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こちら、駒桜高校将棋部  作者: 稲葉孝太郎
第10局 はらはら秋の個人戦編(2013年9月8日日曜)
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52手目 フェイントをかける少女

「ひとつ質問してもいいですか?」

 がやつく周囲を無視して、私は冴島(さえじま)先輩に質問を投げ掛ける。

「何だ?」

 女子の制服を着た先輩は、恥ずかしそうに返事をした。

 そう……先輩がスカートを履いてるということは……。

「何で個人戦が、9月の第一週にあるんですか? ……早過ぎません?」

 今日は9月8日、日曜日。

 新学期が始まったばかりだと言うのに、私たちは例の市民会館に集まっていた。

 春の団体戦よりも、人数は若干少ない気がする。3年生がいないのと、もうひとつ、腕に自信がない人は、出場しないのだろう。私は、そう睨んだ。

「なんでって……理由のことか?」

 私は、黙って頷き返す。

「そりゃ、秋は文化祭とか体育祭があるからな。被らないようにしてんだよ」

 あ、なるほど、そういうことか。

 実際、9月の第一週に行事を催す学校はない。少なくとも、駒桜(こまざくら)市ではそうだ。ちなみに駒桜市立では、9月28日が体育祭、10月19日が文化祭になっている。

 他の高校も、似たり寄ったりのはずだ。

「それより、ちゃんと準備してきたか?」

 準備? ……ああ、将棋の準備ですか。

 ばっちりですよぉ。優勝狙ってますから。

「まあ……それなりに……」

 私は、謙虚に答えた。

 冴島先輩は、羨ましそうな顔をする。

「8月はスポーツ大会も多いから、あんま練習できなかったんだよなあ」

 おっと、いきなり言い訳ですか。

 こういう人は、案外に用心しとかないとね。

 私が横目で冴島先輩を見ていると、千駄(せんだ)さんがこちらにやって来た。会長は、立方体の小さな箱を持っている。それが意味するところは、ひとつ。

「おはよう、女子の部の抽選だよ。中からひとつ、カードを引いてくれないかな」

 ふむ……女子の部を千駄さんが担当するんだ……。不正防止かしら? 女子の幹事は、女子の部に出場するでしょうしね。特に、甘田(かんだ)さんとか。

「おい、裏見(うらみ)、引かねえのか?」

「……先輩どうぞ」

 私は一応、先輩に先を譲った。特に意図はないんだけど、何となく。

 先輩は勇ましく箱に手を突っ込むと、1枚のカードを引き抜く。

「……1番か。幸先いいじゃねえか」

 えーと……トーナメント表の番号だと思うんですけど……。

「裏見さんもどうぞ」

 会長は、にこやかに箱を差し出して来た。

 はいはい、引かせてもらいますよ、と。どれどれ……。

 私は手を突っ込んで、適当に1枚引き抜く。

「……3番ですね」

「了解。冴島さんが1番……裏見さんが3番ね……」

 会長はそれをメモに取り、その場を立ち去った。ちょっと離れたところにいる、歩美(あゆみ)先輩へと近付く。

 私はそれを見届けることもなく、冴島先輩に向き直った。

「1番と3番なら、1回戦で当たることはなさそうですね」

 私の確認に、冴島先輩は大きく目を見開いた。

「ん、知らねえのか? 同じ高校が1回戦で当たることは、まずないぜ」

「え? そうなんですか?」

「ああ、多分、会長が持ってた箱、奇数のカードしか入ってねえんじゃねえかな。後で藤女(ふじじょ)が偶数のカードを引いて、その組み合わせになると思うぜ」

「人数がぴったりじゃない場合は?」

「そのときは、しょうがねえ。同じ高校同士でやるんだ」

 私は、会場にいるメンバーを確認する。

 駒桜から出場しているのは、歩美先輩、冴島先輩、数江(かずえ)先輩と私。八千代(やちよ)先輩が来ていないのはともかく、志保(しほ)部長も来ていなかった。まあ、3年生だから、さもありなんよね。

 私は、藤女のスペースに視線を移す。テーブルを陣取っているのは……姫野(ひめの)さん、甘田さん、鞘谷(さやたに)さん、横溝(よこみぞ)さん……。

 あれ? 猿渡(さわたり)さんは? やっぱり3年生だから来てないとか?

 私が首を伸ばしていると、冴島先輩がぼそりと呟く。

「藤女も4人か……こりゃ、学校別の対抗戦になりそうだな」

 ふむふむ、それは分かり易いですね。ということは、1回戦は藤女の誰かか……。

 姫野さんだと、嫌だなあ……。戦う前から諦めるのは、私の性分じゃないけど、本音としては当たりたくない。せめて、甘田さん……。

 私がお祈りする中、千駄会長は箱を持って、幹事ブースに戻った。メモ帳を見つつ、ホワイトボードに線を引き始める。

「お、見に行こうぜ」

 怖いけど……見に行きますか……。私は、冴島先輩の後に続く。

 8人しかいないトーナメント表は、私たちが辿り着く前に、完成していた。

 

挿絵(By みてみん)


「げえッ!?」

 冴島先輩は、変な声を上げて、そのまま固まってしまった。

 ……お悔やみ申し上げます。

 私の相手は、鞘谷さんか……。相手にとって、不足はナシね。前回は持ち時間10分だったけど、鞘谷さんは長い将棋と短い将棋、どっちが得意なのかしら。

 男子の方は、人数が多いだけあって、まだトーナメント表の作成中だった。千駄さんは手を叩き、衆目を集める。

「時間も押してるから、女子の部は9時10分に開始します。そろそろ着席を」

 私はうんうんと頷き、冴島先輩に声をかける。

「じゃ、2回戦で……」

「お、おう……」

 あんまり自信がなさそうですね……。

 まあ、勝たないと2回戦には出られないわけだから、私も頑張りましょう。

 私が3番の席に向かうと、鞘谷さんは先に着席していた。わお、凄いやる気ですね。何だか、変なオーラが出てるような……。

「おはよ、よろしくね」

 私はそっと椅子を引き、なるべく明るい顔で挨拶をした。

「……」

 はい、無視されました。む・か・つ・く。

 このまま場外乱闘に持ち込んでやろうかしら。腕力には自信があるのよ……。

 っと、駄目ね、ここで興奮したら、相手の思うツボだわ。私は深呼吸する。

「女子の部、振り駒を始めてください。男子の部も席についてください」

 会長の声。しばらく見合いになった後、鞘谷さんが歩を集めて、宙に放った。

 ……歩が2枚。私が先手か。

 鞘谷さんはチェスクロの位置を直し、お互いにじっと盤を見つめた。

「では、女子の部は初めてください。男子の部も、振り駒が済んだところからどうぞ」

 会長の説明が終わる前に、私たちは頭を下げる。

「お願いします」

 後手の鞘谷さんが、チェスクロのボタンを押す。

 30分60秒。久々の長丁場だ。私は7六歩と突く。

 鞘谷さんは10秒ほど呼吸を整えて、8四歩。矢倉にしませんか、ってこと?

 拒否、拒否、拒否ッ! 断固拒否ッ! 6六歩ッ!

 私が居飛車を拒否すると、鞘谷さんはさらに10秒ほど考えて、3四歩と突いた。私はすぐに1六歩。そこから6二銀、6八飛、1四歩、7八銀、4二玉、4八玉、3二玉、3八銀と、すらすら進んだ。


挿絵(By みてみん)


 端歩を突き返してきたから、穴熊じゃないでしょ。5四歩、3九玉、5二金左、2八玉、5三銀……。

「ん?」

 私は、6九の金に伸ばした手を止めた。

 5三銀? 持久戦模様ってこと? まさか、右銀急戦じゃないだろうし……。

 1四歩と5三銀の組み合わせなら、米長(よねなが)玉が有力かしら? 私は半端な知識を駆使しつつ、5八金左とした。8五歩、7七角、3三角……。やっぱり、左美濃っぽい気がするわね。4六歩〜3六歩〜3七桂として、どんどんプレッシャーを掛けましょう。

 4六歩、4四歩、3六歩、2二玉、3七桂、1二香……。

 

挿絵(By みてみん)

 

「なッ?」

 私の喫驚に、鞘谷さんはちらりと顔を上げた。

 それから、めんどくさそうに視線を戻す。

 ぐッ……端歩を突き返しといて穴熊とか……小癪な……。

 私は6七銀と上がる。1一玉、6五歩、2二銀、6六銀、7四歩。

 7筋からの攻めを防ぎましたか。じゃあ、5筋から攻めましょう。5六歩。

 4三金、4七金、3二金、2六歩と、お互いに駒組みを飽和させる。

 鞘谷さんは、9四歩と税金を払い、私は6九飛車として、強く戦えるように備えた。

 鞘谷さんは持ち時間を1分使って、5一角の展開。私は5五歩と仕掛ける。

 

挿絵(By みてみん)


 これは同歩の一手だ。でないと、5四歩、同銀、5五歩で銀が死ぬ。

 私の読み筋は、同歩、同銀に7五歩。7五歩を突くタイミングは、多分ここしかない。5五同歩、同銀、5四歩、6六銀に7五歩は、同銀とできるから。

 7五歩に代えて8六歩なら、5四歩とするつもり。8七歩成なら、無視して5三歩成、7七と、4三と。このとき、7七とが飛車に当たっていないのが、6九飛車の効用だ。5四歩に4二銀と逃げるなら、あらためて8六角と歩を払う。

 鞘谷さんは3分ほど考えて、5五同歩。私の同銀に、予想通り7五歩と仕掛けてきた。

 さて、ここで同歩とするか、それとも別の手を指すかですが……。

 候補手は多分、同歩or5四歩or4五歩。順番に読みましょう。まずは同歩から。

 7五同歩には、8六歩かしら? 7六歩は、5九角として、次に6四歩か5四歩を狙えばいいだけだもの。8六同歩、8八歩、同角、8六飛は不味いから、同角よね。そこで後手がどうするかだけど……。8六飛車はつまらないかなあ。同歩、7八角、7九飛、6七角成と馬を作っても、イマイチ冴えないし……。7五歩突きを活かすには、5四歩? 6四歩に5五歩と攻め合って、6三歩成、4二銀。

 

挿絵(By みてみん)


 (※図は香子ちゃんの脳内イメージです。)


 このとき、4二角成、同金引、6二銀のごり押しがないのが、7五歩のメリットね。5二と、同飛、6一飛成には、5四飛、8一龍、5六歩……。んー、銀損は痛いかなあ。これはあんまり感触が良くないわね。

 さて、次は5四歩を読みましょう。5四歩には、一回4二銀よね。7六歩なんて攻め合っても、無視して5三歩成、7七歩成、4三と。先手勝てそうだもの。ここでも、6九飛車がいい味出してる。だから、4二銀なんだけど……そこで7五歩と手を戻すと、8六歩、同角同飛、同歩として、7八角……。

 ん? 7八? さっきも7八に置いたけど、8七角の方がいいかしら? 7九飛車なら、6五角成で終わるわよ。だから、6八飛と浮いて、7六角成、6四歩、同歩、同銀、6七歩と飛車先を遮断。7八飛、6五馬、5三歩成、6四馬、4三と、同銀……。

 

挿絵(By みてみん)


 (※図は香子ちゃんの脳内イメージです。)


 うわー、分かんない。これどうなってんの? 穴熊+馬は、ちょっと嫌かしら。

 途中変化も、もっといろいろありそうな……例えば、6八飛車じゃなくて、6六飛車と高く浮くと……7三桂、6四歩、同歩、同銀(同飛は6五角成、同飛、同桂)、6五桂で、手順に桂馬を跳ねられちゃうか……。ふむ……。

 最後に、4五歩を読みますか。第一感、これが一番厳しい。同歩なら、4四歩、4二金引に4五桂馬と跳ねて、5四歩、4六銀、7六歩、6六角、7二飛。


挿絵(By みてみん)


 (※図は香子ちゃんの脳内イメージです。)


 4筋の楔が大きいわ。ここを拠点にして、穴熊を攻略できそう。

 例えば、5三桂成、同金、4三銀の打ち込みがある。ただ、ごちゃごちゃするから、見落としがあったら終わる形だけど……。

 私は、チェスクロを確認する。残り時間は、私が21分、鞘谷さんが24分。結構、考えたわね。1四歩からのフェイント穴熊で、長考させられたところもあるし……。

 残り1分だけ考えましょう。私は盤面に集中する。

 問題は、7二飛の局面で、本当に先手が指せるか、よ。5三桂成と突っ込むと? 同金、4三銀、3一金、5九飛……9五角があるか……。5八飛、7七歩成、5四銀成、6七との展開は……。ん? 食らいつけないこともないかしら? 5三成銀、6六とでも、あるいは5八と、同金でも、次の4三歩成が厳しくない? 勘違いかしら……?

 おっと、これは1分以上考えちゃったわね。危ない、危ない。

 私は、最後の選択肢、4五歩を選んだ。明確に良くなるとすれば、これだから。

「ふーん……やっぱり、そっち……」

 私の手を見て、鞘谷さんは小考した。どうやら、私の時間を使って読んでたみたい。読みが噛み合うと、こういうときに困る。鞘谷さんは1分だけ使って、7六歩と取り込んだ。


挿絵(By みてみん)


 あうち、こっちが先か……。

 でも、これって、さっきの読みと合流するんじゃないの?

 私は30秒ほど確認して、6六角と逃げる。4五歩、4四歩、4二金引、4五桂、5四歩と進む。なーんだ、合流したじゃない。私は、4六銀と引いた。

「先に引くんだ……」

 鞘谷さんは、両手の人差し指を眉間に当て、ごしごしと両目を擦った。

 ん? 「先に」ってことは……。ここでいきなり5三桂成を読んでた? さすがにそれは急ぎ過ぎだと思うけど……。まあ、いいわ。時間を使ってくださいな。

 1分……2分……。んん? かなり使ってるわね。もしかして、6二銀を読んでる? 私はだんだん、自信がなくなってきた。本当に7二飛車と寄ってくれるのかしら? 難所に差し掛かっていることだけは、確実に感じている。

 6二銀なら、7五角と出たいんだけど……。

 

挿絵(By みてみん)


 (※図は香子ちゃんの脳内イメージです。)

 

 8六歩なら、ガン無視で6四歩、同歩、同角、8四飛、4二角成、同金、4三金。これは後手、潰れてるでしょう。8六歩とせずに、そこで7二飛なら、4二角成、同金、6四歩、同歩、4三金、4一金、6三歩。同銀なら5三金か5三桂成。4三歩成が入れば、私の勝ちだと思う。

 ということは、さっきは気付かなかったけど、7二飛車しかないみたいね。7五角を防ぐ手が、それくらいしかないから。よって、鞘谷さんがここで7二飛車じゃなかったら、私は7五角と上がりましょう。それで、私が有利なはず。

 うん、だんだん自信が出てきたわ。かかってきなさい!

 私が意気込んでいると、鞘谷さんは「うーん」と呻き声を上げる。目を閉じ、最後の確認をしているようだ。それからおもむろに瞼を上げ、飛車に指を伸ばす。

 あ……やっぱり……。息を呑む私の前で、7二飛車が指された。

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