51手目 投票する少女
あの後、みんなで夜中までわいわい騒いで、次の日は半分寝坊して、朝ご飯を食べてから将棋を指し、合宿は終わった。言葉にすると何とも短い、それでいて充実した合宿だったと思う。マル。
私たちが合宿所を出るのとほとんど同時に、駒桜の女子バレー部とすれ違った。冴島先輩曰く、女バレの人脈を辿って、隙間時間を利用させてもらったとのこと。通りで、初日は午後集合だったわけだ。納得。
帰りは結局、現地解散になった。私はバス停に向かう。意外なことに、横溝さんも同じ方面。よくよく考えてみれば、中学が一緒だったんだから、同じ地区に住んでいるに決まっている。なぜ今まですれ違わなかったのか、不思議なくらい。それとも、横溝さんの印象が薄かったのかしら。ゲフン、ゲフン。
バス停で待つ間、私たちは合宿のことをちらほら話した。とは言っても、横溝さんは相変わらず無口な模様。だんだんと会話のネタがなくなってくる。
空は青く、今日も真夏日寄りだ。私は入道雲を眺めながら、ふとある疑問を思い出す。これ、横溝さんに訊いてもいいのかしら? 口外されると困るんだけど……。
まあ、口が堅そうだし、かなり気になってるから、訊いておきましょう。
「ねえ、ひとつ訊いていいかな?」
「……何?」
私は、周囲に人がいないことを確認する。
「サーヤちゃん、私のこと警戒してるみたいなんだけど、何で?」
警戒というのは、ちょっとぼやかした言い方。ぶっちゃけ、嫌われてると思う。対局前の雰囲気と言い、その後のおしゃべりでも、私だけ無視しているような感じがした。
私は喧嘩した記憶がないし、そもそも普段は顔を合わせないのだ。いったい何が原因なのか、気になって仕方がなかった。
横溝さんも心当たりがあるのか、少し気まずそうな顔をした。
「あ……やっぱり気付いてたんだ……」
はいはい、気付いてますとも。私はそこまで鈍感じゃないんで。
横溝さんも、なぜか周囲を見回す。人の有無を調べているのだろう。そして、その小さな声をますます小さくして、ぼそぼそと話し始めた。
「これ……私から聞いたって、絶対に言わないでね……」
何? そんなにやばい話なの?
私は息を呑み、覚悟を決めて首を縦に振った。
横溝さんも口元を引き締め、意を決したように先を続ける。
「サーヤちゃんが、蔵持くんのこと好きなの、知ってるよね……?」
ええ、知ってますよ。升風の蔵持くんよね。
あれだけ公衆でアピールしてれば、猫でも気付くと思う。……ん、何か嫌な予感が。
「それでね……あの日、レストランで解散する前なんだけど……蔵持くん、『香子ちゃん、可愛いね』って、サーヤちゃんの前で言っちゃったんだよね……」
「あ……」
私は、事態を把握した。これはやばい……。
「蔵持くんって天然だから、香子ちゃんのことが好きとか、そういう意味で言ったんじゃないと思うんだけど……ただ、サーヤちゃんはそれ以来、何か凄いライバル視してて……」
うわあ……これは気が滅入る……一方的な恋のライバル認定ですか……。
蔵持くん、そこそこイケてるとは思うけど、タイプじゃないのよね。
なんか優柔不断っぽいし、いざというときに頼りにならなそう。
「そ、そんなことがあったんだ……教えてくれて、ありがと……」
私は若干、引きつり笑いになる。
「そのうち、サーヤちゃんも勘違いだと気付くと思うから……赦してあげて……」
ヨッシーは、優しいなあ……うるうる……。
とか、涙腺緩めてる場合じゃないのよ。なーんか面倒なことになってるわね。夜中に後ろから刺されるとか、まじ勘弁。いや、さすがにそこまではしないか……。多分……。
っていうか、蔵持くんの責任じゃない? 普通、気付くと思うんだけど。あれだけアプローチされてたら。それで正式に告白しない鞘谷さんも鞘谷さんだし。これは、完璧にとばっちりね。間違いないわ。
私がムカムカしていると、バスがやってきた。無言で乗り込む。
目的に停車駅が見えるまで、私と横溝さんは、ずっと窓の外を眺めていた。
○
。
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次の日曜日。2回目の臨時幹事会が開かれた。大切な話し合いということで、幹事以外にも、参加は自由という取り決め。とはいえ、夏休みにわざわざ顔を出す物好きはいなかったらしい。前回の幹事会に加えて、鞘谷さんが来ているだけだった。各校の代表が議論を戦わし、いよいよ投票。私は自分の席で、志保部長の投票を見守る。
……まあ、中身は知ってるんだけどね。駒桜は、個人戦、団体戦ともに、混合に賛成。どうやら藤女と、そういう話がついているらしい。それって、どうなのかしら。談合じゃない?
投票が終わり、投票管理に選ばれた人たちが開票作業に移る。全部で6校しかないから、5分とかからなかった。事前協議で、3:3の場合は、再投票なしで否決。要するに、過半数じゃないといけないわけね。
結果を耳打ちされた千駄会長が、咳払いをする。
教室内は、しんと静まり返った。
「結果を発表するよ。まずは個人戦。……賛成2、反対4で否決。後期も、男子の部と女子の部は、別々に行うことになった」
教室内がざわめく。うちと藤女しか賛成してないんだ。微妙……。
猿渡さんは、さぞ悔し……。ん? あんまりそういう顔してないわね。予想済みだった?
私が首を捻る中、千駄会長は団体戦の結果発表に移る。
「さて、次は団体戦なんだが……」
こ、この溜めはもしや……。
「団体戦については、賛成4、反対2で、可決だ。後期は、男女混合になる」
さっきよりも大きな喧噪。「マジかよ」という声が聞こえる。
「団体戦の制度変更により、団体戦規約も同時に改訂される。あらためて説明する必要もないと思うから、後で連盟のHPをチェックして欲しい。……何か質問はあるかな?」
「どこの学校が賛成したんだ?」
教室の隅から、男子の声。えっと、それは無記名投票の意味が……。
千駄会長も、首を左右に振る。
「それは教えられない」
男子は、それ以上追及しなかった。ただ、私も気になる。駒桜と藤女の2票は分かるとして、他にも2票入ったってことなのよね。雰囲気的に、升風は賛成っぽかったけど、残りの1票はどこから来たの? まさか、不正があったわけじゃないだろうし……。
私たちは、一様に黙っていた。それを承認と捉えた会長は、場をお開きにする。
「じゃあ、夏休みなのに参加してくれて、ありがとう。これで解散にするよ」
椅子を引く音。ばらばらと教室から出て行く代表者たち。
私はしばらくの間、志保部長の動きを目で追っていた。彼女は携帯を開き、どこかへメールを打っている。覗きは趣味じゃないから、わざわざ盗み見たりはしないけど……。何となく、今回の結果を知らせてるように見えるのよね。歩美先輩宛?
送信ボタンを押した先輩は、ふぅと息を吐き、にっこりと私に振り返る。
「では、帰りましょう」
「は、はい……」
私は筆記用具をまとめて、席を立つ。何もメモしてない。全部部長に任せちゃった。
廊下に出ると、猿渡さんが私たちを待っていた。隣には、鞘谷さんもいる。鞘谷さんは、わざと視線を合わさないようにしているのか、壁の方を見ていた。
「お待ちしてました。お疲れさまです」
猿渡さんは眼鏡を直しながら、私たちを労った。
結局、私は何もしてないんですけどね……。志保部長も、頭を下げる。
「個人戦の方は、残念でしたね」
「あれは仕方がありません。実際、個人戦混合については、諦めていましたので」
あ、そうなんだ……。まあ、前回の話し合いでも、デメリットが大き過ぎるし、私も反対票を入れたかったくらいだから、そうなのかも。
「ところで、どこが団体戦混合に賛成したんですか?」
鞘谷さんの質問。え、それ尋ねていいのかしら? そもそも、猿渡さんたちが、投票内容を知ってるとも思えないんだけど……。
私の予想に反して、猿渡さんは周囲を確認すると、声をひそめた。
「升風と駒北です」
「え……」
私は、慌てて口を噤んだ。ついつい、人がいないかを確認してしまう。教室に役員が残っているだけで、みんなもう帰っていた。
「升風は分かるんですけど、駒北は何で……」
鞘谷さんは、立て続けにそう質問した。
猿渡さんは、口の端を軽く吊り上げる。
「駒北に来年度、そこそこの女子が入るという情報を入手し、それをリークしたのです」
「現行ルールでも、女子はそのまま出られますよね?」
「はい、ですから、『もし団体戦の混合方式に賛成してもらえない場合は、男子の部に女子出場を禁じる提案をする』と、脅しをかけておきました。天堂、清心に、『駒北に強い女子が入るから、こっち側についてくれ』と頼めば、そのまま禁止に持ち込めますからね」
わーお……今のは聞かなかったことにしときましょう……。腹黒過ぎる……。
「でも、今まで女子が出場して問題なかったんですから、理由付けが難しいような……」
鞘谷さんの疑問に、私はうんうんと頷いた。
「それも簡単です。OBに伺ったところ、辻姉の現役時代、同じ苦情があったそうなのです。『どのみち市代表になれない辻さんが、男子の部で指してるのはおかしい』という。あのとき辻姉は、久世さんに続く勝ち頭でしたからね。一理あります」
……なるほど、市内レベルで女子が男子の部に出れても、市代表レベルでは無理なのか。だったら、市内の団体戦メンバーじゃ、県大会には出られないわけで、辻さんを外さないといけない。市代表と違う面子で、代表枠を争ってたのか。そう考えると、従来のシステムもむちゃくちゃだったような気がしてくる。
鞘谷さんも納得したのか、ふーんと言う顔で、壁に視線を戻した。そこまで露骨に視線外ししなくても……。
その瞬間、がらりと教室のドアが開いた。残っていた役員がぞろぞろ出てくる。
千駄会長、久世さん、甘田さん……あ、蔵持くんもいる。前から気になってるんだけど、蔵持くんが呼ばれてる理由が、よく分からないのよね。
「冬馬、一緒に帰ろッ!」
鞘谷さんは蔵持くんに飛びついて、その腕を引っ張った。
……もうちょっと自制した方がいいんじゃないですかね。人前では。
「じゃ、私たちも帰りましょうか」
早々に離脱した鞘谷さんに呆れながら、猿渡さんがそう呟いた。あ、あの、甘田さんは放置なんでしょうか? このへんにも、何か複雑な人間関係がちらほらと……。
ノータッチ、ノータッチ。
猿渡さんは眼鏡をくいッと直し、私たちに視線を向ける。
「それでは、女子将棋部のごり押しだったと言われないように、お互い頑張りましょう」
そう言って猿渡さんは、廊下の反対側へと消えた。
男女混合式団体戦……どうなっちゃうのかしら……?




