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こちら、駒桜高校将棋部  作者: 稲葉孝太郎
第9局 どきどき合宿編(2013年8月12日金曜〜13日土曜)
53/295

49手目 目隠しする少女

「あー、指した指した、今日は疲れたなあ」

 湯気の向こう側で、冴島(さえじま)先輩が大声を出した。まるで、仕事帰りおじさんみたいだ。タオルを頭に乗せて、湯船の縁に寄りかかっている。

 食事の後、しばらく休憩した私たちは、お風呂に入る組と、それ以外に分かれた。ここの合宿所は、もともとしなびた温泉だったらしく、浴室だけは豪華だ。私も、温泉は嫌いじゃないし、冴島先輩に誘われたから、こうして一緒に浸かっている。

 他に、横溝(よこみぞ)さんと甘田(かんだ)さんも一緒。横溝さんは私の隣でじっとしてるけど、甘田さんはプールみたいに、あちこちで平泳ぎしていた。

 ちょ、何やってんの、この人。

香子(きょうこ)ちゃんは2勝1敗か……」

 横溝さんが、辛うじて聞き取れる声を出した。

 まだ気にしてるの? 公式戦じゃないんだから、別にいいと思うんだけど……。

「それにしても、うちは全勝者0か。気が滅入っちまうな」

 冴島先輩は、目を閉じたまま、ちょっとだけ深刻そうな顔をした。

「全勝者のひとり、甘田(かんだ)様はここにいるよん」

 甘田さんは泳ぐのを止めて、こっちに近付いてくる。

 冴島先輩は彼女をひと睨みして、軽く舌打ちをした。

「おまえのは、あたりがヌルヌルだろうが」

「おっと、香子ちゃんもいるのに、そんなこと言っていいのかな?」

 甘田さんのちょっかいに、冴島先輩は二度目の舌打ち。

 私の方をちらりと見て、申し訳なさそうに頭を掻く。

「そういう意味で言ったんじゃねえぞ。……残りのふたりだ」

 ま、いいんですけどね。甘田さんのあたりがヌルかったのは事実だし。

 私が首まで湯船に浸かると、曇りガラスの向こう側に人影が現れた。

 この高身長……長髪……誰か分かっちゃうわね。

 ガラリと扉が開き、すらりとした脚が床のタイルに伸びる。

(ひめ)ちゃん、遅かったね」

 胸元から下をタオルで隠した姫野(ひめの)さんが、浴室に入って来た。

 姫野さんは、しばらく甘田さんの姿を探していた。湯気で見えないらしい。

猿渡(さわたり)さんと、少々打ち合わせをしておりました」

「さいですか」

 甘田さんはそれだけ言って、また泳ぎ始めた。

 姫野さんは、そのまま蛇口のひとつへと向かう。

「凄い……奇麗……」

 横溝さんの声。私も同意する。

 天は、姫野さんにいろいろ与え過ぎなんじゃないですかね……。

 それからしばらくの間、私たちは冴島先輩たちと、適当な話をしていた。みんな将棋には疲れちゃったのか、学校生活とか、美味しい甘味処とか、そういう話に終始する。その間に気付いたことがふたつ。横溝さんは、凄い着痩せするタイプだってこと(お腹が、じゃないわよ)と、冴島先輩は、腋の手入れが甘いということ。女子力……。

 姫野さんが湯船に脚を沈めたとき、私たちの会話は自然と終わった。

「おい、姫野。駒込(こまごめ)との対局、戦型は何だったんだ?」

 冴島先輩の問い掛けに、姫野さんは、黒髪の位置を直しながら答える。

「角換わり腰掛け銀……」

 冴島先輩は、呆れたように頭のタオルを叩く。

「マジかよ、アホだなあいつ」

 同じ部員をアホ呼ばわりとは、やりますね。まあ、冗談なんでしょうけど。それに、姫野さんを呼び捨てにしてるのも、冴島先輩くらいなのよね。同学年とは言え、なかなか呼び捨てにし難いと思うんですが、いろんな意味で。

 会話が途切れた。姫野さんって、どんな話なら食いついてくるのかしら。私が話題を考えていると、再び甘田さんが近付いてきた。今度は平泳ぎのままだ。

「ねねね、目隠し将棋やろ、去年の文化祭みたいにさ」

 目隠し将棋? ……駒と盤を使わずにやる、アレですか?

「お、いいな。だけど、5人いるぜ?」

「あたしが審判やったげるよ。観てた方が面白いし」

 自分から誘ってきたにもかかわらず、甘田さんは審判を引き受けた。

「誰と誰がやるんですか?」

 私が尋ねると、冴島先輩はにやりと笑う。

「もちろん、ペアだぜ」

「ペア……? ふたり一組ってことですか?」

「ちょうど藤女(ふじじょ)とうちで4人いるしな」

 そうだけど……目隠しペア将棋なんて、したことない……。

 心配になった私は、横溝さんを見やる。横溝さんも、不安そうな顔をしていた。

「私……自信がないです……」

 横溝さんの発言に、甘田さんはイヒヒと笑う。

「大丈夫、大丈夫。やってみたら、案外できちゃうから」

裏見(うらみ)と横溝は、今回が初めてか。じゃあ、ルール説明からだな」

 ルール説明? 普通に交代で将棋を指すってわけじゃないのかしら?

 私が訝っていると、冴島先輩は説明を始めた。

「基本は普通のペア将棋だ。ふたつのチームに分かれて、メンバーが交代で指す。例えば、姫野→裏見→横溝→オレ→姫野→裏見……みたいな感じだな。途中で並びを変更するのは不可。パスもなし。詰まされたメンバーのいるチームが負けだ」

 何だ、普通の将棋じゃない。私は、ふんふんと頷き返した。

 すると、今度は姫野さんがバトンを受け取る。

「但し、いくつか決め事があります。まず、お手付きは3回まで。二歩、持ち駒の勘違い、移動できない場所へ駒を移動した場合など、反則は全てお手付きです。3回目のお手付きになった時点で、形勢と関わりなく、負けとなります」

 なるほど……目隠し将棋だから、反則=即負けは厳しいという配慮か……。

 姫野さんは、先を続ける。

「次に、仲間との相談も、3回までとします。相談できる内容は、第一に、全体の大まかな方針……例えば、矢倉にするかどうかですわね。第二に、持ち駒の確認。なお、相手チームに持ち駒を訊かれても、答える義務はありません。第三に、駒の配置の確認。2六に歩があるかどうか、などです。第四に、詰みの有無」

 詰みの有無? それって、詰みを相談してもいいってこと?

 私が質問しかけたところで、甘田さんが捕捉する。

「但し、詰み手順を相談するのはNGだよん。詰むかどうかだけ。イエス・ノー方式だね。他にも付け加えておくと、具体的な指し手を相談するのもダメ。『2四歩、同歩に同角としますか?』なんて訊いた時点で、反則1回だから、注意してね」

「要するに、指し手自体は自分で考えないといけないわけですね?」

「お、さすが香子ちゃん、飲み込みが早いね」

 甘田さんはそう言うと、一歩離れて、両サイドを見比べる。

「じゃ、文化祭のときと同じで、1手20秒ね」

「「えッ!?」」

 私と横溝さんが、同時に喫驚を上げた。

 甘田さんは、にやにやしながら理由を説明する。

「100手でも、2000秒、30分超えだよ。1手1分なんてしたら、のぼせちゃう」

 そ、そう言われると、そうだけど……。1手20秒? 目隠しで?

「おっと、大事なこと言い忘れてたぜ。同じ理由で、穴熊やミレニアムに組むのは禁止な。持将棋もなしだ。王様が最下段に到着した時点で、勝ち。どうぶつ将棋と同じルールだぜ。だからって、最初から入玉狙いみたいなのは止めろよ。面白くねーからな」

 私は、だんだん自信がなくなってきた。

 横溝さんは、このルールで納得なのかしら?

 ちらり……。横溝さんは、もの凄く真面目な顔をして、宙を見つめている。

「よ、ヨッシー?」

「ごめん……頑張って脳内将棋盤作ってる……」

 そ、そうですか……それは失礼しました……。

 私も深呼吸して、脳内将棋盤を思い浮かべる。

 

挿絵(By みてみん)


 ふむ……ここまではいいとして……。

「おまえら、そんなに心配しなくても大丈夫だって。将棋の手ってのは意味があるんだからな。歴史の年表覚えるより楽だぜ?」

「それでは、じゃんけんよろ」

 姫野さんと冴島さんが、それぞれ右腕を突き出す。

 じゃんけんぽん。姫野さんがグー、冴島先輩がパー。おっと、先手ですか。

 冴島先輩は、そのまま両手を合わせて指を鳴らすと、私の方に近寄った。それと入れ替わるように、横溝さんは姫野さんサイドへ。

「裏見、どっちが初手指す?」

「……先輩どうぞ」

「おう」

 冴島先輩は、男前に返事をする。

 姫野さんたちも、同じ相談を始めた。

「初手は横溝さんにお譲りします」

「え……いいんですか……?」

「構いません」

 甘田さんは、パンと柏を打ち、両手の平を擦り合わせる。

「さてさて、秒読みはあたしが担当するね。10秒と16秒以下でよろ」

「10秒と16秒以下?」

「10秒を最初に読んで、次に、16秒、17秒、18秒……って読むやつ」

 あ、なるほど。

 つまり、10秒経過と、残り5秒を教えてもらえるわけか。

「じゃ、ルール説明はこれくらいにして、いくぜッ! 7六歩ッ!」

 冴島先輩の大声とともに、ペアマッチが始まった。

「……3四歩」

 横溝さん、もっと大きな声で……。

 と、私か。2六歩か6六歩だけど……。冴島先輩は居飛車党。私も、居飛車は指せる。それなら、居飛車にした方が良さそうね。横歩が心配だけど、横溝さんは横歩を指せないだろうから、そうはしないでしょ。

「10秒ぉ〜」

 甘田さんの秒読み。

「2六歩」

 私の宣言に、冴島先輩は笑みを漏らす。

「裏見、気遣わせて悪りぃな」

「相談タイムです」

 姫野さんの声に、全員が振り向いた。

「え? もう使うの?」

 ちょ、甘田さん、あなた審判でしょ。助言禁止。

 姫野さんもそれが分かっているのか、甘田さんを無視して、横溝さんに声をかける。

「横歩は、どれくらい指せます?」

「……全然ダメです」

「一手損角換わりは?」

「……もっと分かりません」

 予想通り。横溝さんは、純粋振り飛車党。だったら、姫野さんの選択肢はひとつ。

「承知しました。では、4四歩と突かせていただきましょう」

 姫野さんは、振り飛車を選択する。これで、少しはハンデになったはずよ。姫野さんは、純粋居飛車党だし。

 ……とは言っても、対抗型なら、居飛車党でも定跡を知ってるか。

「ふん、対抗型か……4八銀」

「……4二飛」

「へえ、よっしー、4筋に振るんだ」

 審判喋り過ぎ。私はそんなことを思いながら、5六歩を宣言する。

 余興だと思っているのか、それとも長引かせると悪いと思っているのか、ほとんどみんな10秒以内で指していく。3二銀、6八玉、6二玉、7八玉、7二銀、9六歩、9四歩、2五歩、3三角、5八金右、4三銀。

 そろそろかな……。

「相談タイムにします」

 私の宣言に、冴島先輩はお湯の表面を見つめたまま、頬を掻く。

「どうした?」

「持久戦にします? 左美濃とかはどうですか?」

「んー、あんま気が進まねえな……。ペア将棋だから、定跡が固定されてる急戦にしてえ」

 なるほどね。持久戦に持ち込むと、指し手がちぐはぐになると見ましたか。ただそれは、藤女ペアにも言えそうだけど……。あ、でも姫野さんの棋力なら、横溝さんの振り飛車に合わせられそうだしなあ……。

「分かりました。どの戦法にします?」

「裏見が決めていいぞ」

 ま、丸投げですか……。私は、立ち上る湯気を追う。

 八千代(やちよ)先輩に手伝ってもらって覚えた戦法リストが、役立ちそうですよ。

「……5七銀左急戦で」

「おまえ、それマジで言ってるのか?」

 はい、きました。決めていいと言いつつ、文句をつけるパターン。最悪です。

「左銀急戦とか、今時誰もしねえぞ?」

「え? そうなんですか?」

 おじいちゃんとか、普通に指してくるし、結構優秀だと思うんだけど……。

 でも、言われてみると、部室で誰にもされたことがないような……。

「大会では、ね。ネット将棋なら、普通に観るよん。4五歩早仕掛けの次に優秀じゃん」

 甘田さんの割り込み。冴島先輩は困ったような顔をした。タオルでこめかみを拭う。

「まあ、決めていいって言っちまったからな。それでいいぜ」

「じゃあ、3六歩で」


挿絵(By みてみん)


 一悶着あったけど、再び指し手が速くなる。

 7一玉、6八銀、8二玉、5七銀左(だから5七銀左急戦と言う)、5二金左、6八金直と引き締めまして、横溝さんは5四歩。

「1六歩」

「ん」

 冴島先輩を、私の顔を覗き込む。

「な、何ですか?」

「そこの歩、突く必要あったか?」

「あれ? 違いましたっけ?」

 冴島先輩は、気まずそうに視線を逸らした。

「……普段指さねえから、忘れた」

 ぐはッ! そりゃないでしょう。私も自信ないけど。

 半分漫才になった私たちを他所に、姫野さんは6四歩と突く。4六銀、1二香。

 んー、悪くない形ね。端がマイナスになってるとも思えないし。

「3五歩」


挿絵(By みてみん)


 ついに開戦だ。

「3二飛車」

 姫野さんは、飛車をひとつ寄った。このあたりは間違えてくれそうにない。

 3四歩、同銀、3八飛、4五歩。銀当たりだけど、無視して3三角成が定跡。同飛に2二角と打って、4六歩、3三角成、同桂、3四飛に、4三金の顔面受け。

 冴島先輩は3八飛車と引いた。まだ誰も間違えていない……はず。

「4四角……」

 横溝さんは、急所に角を据えてくる。

 9九の地点に利いてるから、受けないといけない……。

「7七銀」

「銀打ちかあ」

 冴島先輩は、大きく背伸びをした。やっぱり腋が気になる。

 まあ、それはいいとしまして……。

「2七角」

 姫野さんは、歌うような声で、2枚目の角を置いた。

 さあ、難しくなってきましたよ。

《ルール確認》

1、反則は3回目でアウト。

2、相談タイムは3回まで。相談できる内容は、

 a:大まかな方針(戦法とか戦型)。

 b:持ち駒の確認。相手チームには答える義務なし。

 c:駒の配置の確認。

 d:詰みの有無。具体的な手順は禁止。

3、時間が掛からないように、穴熊禁止。入玉時はトライルール。

4、1手20秒以内で指す。

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