45手目 崩れ去る少女
※2013/03/11 おまけ小説『漫才な日々』を挿入しました。
3……四……歩……?
攻めた? 何で? 4九角成は、痛くないってこと?
ちょ、ちょっと読みましょう。4九角成、3三歩成、3九馬、3七玉、3三金、同角成、2二桂、同馬、同玉、3四桂、3二玉、4二金、3三玉、3一飛成、2四玉、3五銀打、2五玉、2六歩、1四玉、1五歩……。
うッ、詰んでる。3九馬に代えて、3八馬は? 同玉、7八龍、4八金……。い、1五の角がうざいッ! で、でも、ここから3三同金で、何とか……3三同金、同角成……だ、ダメだわ……さっきと同じ順で寄っちゃう……。
しまった……4一飛〜1五角が半分詰めろになってたんだ……。
じゃあ、4九角成とせずに、受ければいいんじゃない? 3四同銀、3三歩、2二金、3一飛成。ここで4九角と手を変えて、同銀、同飛成とすれば、こっちは詰ま……。
詰むッ! 2二龍、同玉、3一角、同玉、3二金ッ! めちゃくちゃ簡単よッ!
ろ、6七角のところで、何か受けてれば……む、無念……。
私は、力なく4九角成と入った。3三歩成、3九馬、3七玉に、3六歩。
同玉なら2四桂、2六玉、3三金と、微妙に綾がある。間違えてちょうだい。
「歩の叩きね」
甘田さんは、一瞬だけ真面目な顔をした。初めて見たかも。
私の願いも空しく、甘田さんは同金と取る。
これは……捕まらない……。酷い将棋を指しちゃったかも……。
8七龍、5七歩。私は頭を下げた。
「負けました」
「えッ?」
驚きの声を上げたのは、甘田さんじゃなくて、隣で指してる冴島先輩。
先輩はしばらく盤を見つめた後、すぐに自分の対局へと戻った。
は、恥ずかしい……。
「ありがとうございました」
甘田さんが挨拶を済ませ、私たちは感想戦に入る。
「4一飛車に、苦しくても2四歩と受ければ良かったんじゃない? あるいは、7七角として、3三の地点に紐を付けとくとか」
「そうですね……ただ、3四歩からの寄りが見えてなかったので……」
「ああ、そうなんだ。じゃあ6七角って打ちたくなるよね。4五銀路線?」
私は、黙って頷き返す。
「あんまり指し慣れてない感じだったけど、棋風改造でもしてるの?」
「は、はい……いろいろ指してみようかな、と……」
んー、やっぱり、そういうのバレちゃうのか……。
まあ、それだけでも収穫ってことなんだけど……。
「いくつか分からないところがあったんですけど、教えてもらっていいですか?」
「いいよいいよ、あたしが答えられる範囲でね」
私は局面を戻す。まず55手目の、7五角を打った場面だ。
「本譜は3二金でしたけど、2二銀とか4二金も考えたんですよね」
「4二金は危ないかな。同角成、同銀、3二金が第一感」
「そこで5一金と寄ると?」
「1五角って出るんじゃない?」
1五角……。なるほど、8九飛成なら、4二角成、同金、2二銀で詰みか。
「3三角合なら、同角成、同銀、7一角ですか」
「というか、そこまでするなら、4二金って上がらない方がいいよね」
「4二金に代えて、2二銀は?」
「それは、5三角成、6五銀、4三馬を読んでたかな」
「6一の金当たりだから……5二金ですか。手順に堅くなってません?」
「4四馬と引いて、7一の馬入りと、1五角を見るよん。簡単じゃないけど」
私は、甘田さんの指摘した順を読む。どちらも簡単じゃないけど、振り飛車が指せそう。
「となると、中盤の分かれで、こっちが不利でした?」
「んー、中盤の分かれが不利でも、終盤で何とかするのが穴熊だからねえ」
甘田さんの言う通りだ。私の場合は、経験値不足で何とかならなかっただけかも。
ただ、中盤、もうちょっと工夫のしがいがあったような気もする。残念。
「すみません、何か早く終わっちゃって」
「大丈夫、大丈夫。もっと早く終わってるところあるから」
私は、部屋を見回す。集中してて気付かなかったけど、左隣の姫野さんも、感想戦を始めていた。どう見ても数江先輩がボコボコです。多分、ここの棋力差がMAXだったと思う。
「負けました」
Eの志保部長も投了した。
これで残すは、歩美先輩と猿渡さん、冴島先輩と鞘谷さんか。
私が冴島先輩の対局を見ようとすると、甘田さんが声を掛けてきた。
「ねえねえ、ところでさっきの話なんだけど、彼とはどれくらい進んでるの?」
「……?」
「またとぼけちゃって。この前、レス……痛ッ!?」
「おう、わりぃ、チェスクロと間違えちまった」
頭をはたかれた甘田さんは、ムスッとなって冴島先輩を睨みつける。
わお、怒ったのも初めて見たかも。いつもニヤニヤしてる印象しかないし……。
というか、冴島先輩に感謝、感謝。さて、その冴島先輩の形勢は……。
これは……ん、後手の冴島先輩が優勢では? 持ち駒が違い過ぎる。
私が寄せを読む中、冴島先輩は59秒ぎりぎりで6五桂と打った。
詰めろかしら? 5七桂成、同玉、6五桂、6八玉、5七銀、7九玉、5九飛、6九桂、6八角、同金、同銀成、同玉、5八金、7八玉、6九飛成……。詰んでるわね。5七銀に5九玉と逃げても、3七角がある。同金なら5八飛、6九玉、7八飛成、同玉、6八金。かと言って、取らずに4八桂も5八飛以下同じ。
全部詰むわね。後手は捕まらないでしょう。
私がそう読む中、鞘谷さんは5三飛成とした。
冴島先輩は念入りに読み直して、4五玉と立つ。
鞘谷さんは、30秒ほど黙った後、軽く頭を下げた。
「負けました」
「ありがとうございました」
冴島先輩は、額の汗を拭った。
これで、駒桜全敗はなくなったわけですが……。
歩美先輩の方は、どうなってるのかしら。私は首を伸ばす。
眼鏡のフレームに指を当てている猿渡さんの顔が見えた。
「……負けました」
猿渡さんの声。歩美先輩の勝ちか。
それぞれ感想戦が始まった。これがあるから、10分60秒でも1時間近く掛かっちゃうのよね。省略はできないし。
私は、隣で行われている冴島先輩の感想戦を眺めた。
「5四角がいい手でしたね。これで痺れました」
鞘谷さんは、5四の地点を指差しながら、悔しそうに呟いた。
「そうか? 結構苦し紛れだったぜ。本譜も、3六歩以下は忙しかったしな」
局面が進められる。4四銀、同銀、同飛、4三金左、4六飛、3六歩。
問題の局面だ。
「4五桂以下、こっちの攻めが細い感じなんですよね」
「オレは生きた心地がしなかったけどなあ」
相掛かりを指さない私の感覚だと、3二歩と受けちゃいそう。
まあ、それは無いんでしょうけど。
冴島先輩もそうは指さず、5五銀と置いた。ふむ、これは厳しそう。
「3三銀しかないわけですけど……」
鞘谷さんは、銀を3三に打ち込む。確かに、これしかなさそう。単に3三歩成は、同桂以下清算して攻めが切れてると思うから。
「同桂、同歩成、同銀、同桂成、同玉までは一直線だな」
「本譜は2五桂馬でしたけど、それがヌルかったですかね?」
2五桂ね……なかなか厳しそうだけど……。
「3四歩って叩く順を気にしてたんだが……同金とできねえしな……」
「同玉に2六桂?」
「いや、もっかい3五歩って叩く。同玉なら2七桂だ」
「2七桂、3四玉……2二角ですか?」
「んー、2二角は4六銀でダメじゃないか? 同歩なら2九飛車。かと言って、無視して3五銀とも打てねえ。銀が利いてるからな」
「……ですね。だったら、やっぱり後手がいいんじゃないでしょうか」
確かに、後手がいいと思う。2七桂、3四玉、3五銀も、3三玉で捕まらないし。
「じゃあ、本譜通り指すしかねえか……2五桂として……」
「すみませーん、感想戦はそこまでにしてください」
志保部長の声。部員たちの視線が集まる。
志保部長は申し訳なさそうな顔をしながら、一同を見回した。
「次の対局は、勝った者同士、負けた者同士でやります。勝った人は挙手してください」
姫野さん、甘田さん、横溝さん、冴島先輩、それに歩美先輩が挙手する。
ここで挙手できないのは惨め……。
「藤花が3名、駒桜が2名ですか……。猿渡さん、どうします?」
相談を受けた猿渡さんは、眼鏡をくいっと直す。そして、こう言った。
「やはり、駒桜と藤女が当たるようにしましょう。恐縮ですが、冴島vs姫野、駒込vs横溝、甘田vs木原でお願いできませんか?」
「え……あたし勝ったんだけど……」
甘田さんが口を挟んだ。猿渡さんは、冷静に対処する。
「藤花側は勝者が3人いるので、仕方ありません。1年生は対局経験が浅いので、上級生が譲る形でお願いします」
ま、そうなるわよね……。誰かが抜けないといけない状況、1回戦の当たりが微妙だった横溝さんと姫野さんが優遇されるのは当然か……。
甘田さんもそれが分かっているのか、それ以上は何も言わなかった。
「姫野とかあ……」
冴島さんは、頭を掻く。
それを横目で見ていた姫野さんが、不敵な笑みを浮かべた。
「よろしくお願い致しますわ」
「……おう」
冴島先輩もドン引きの殺気……。で、私は?
「残りは、じゃんけんにしましょう。私と鞘谷さんで、勝った方が裏見さんと指します」
猿渡さんはそう言うと、鞘谷さんのそばに移動する。
これは、鞘谷さんとついに当たるんじゃないですか?
「じゃんけん、ぽんッ!」
猿渡さんがグー、鞘谷さんがチョキ……。あれ? 猿渡さんと?
「では、裏見vs猿渡、大川vs鞘谷ですね」
鞘谷さんは、チョキの形になった手をじっと見つめていた。
なるほど、鞘谷さんとしても、私と指したかったわけですか……。まあ、そのうち指すことになるわよね。3年間はチャンスがあるわけだし。……いや、もっとかも。
私がそんなことを考えていると、猿渡さんがテーブルに移動してきた。
「お久しぶりです」
「あ、どうも……」
「あなたと指すのは、2回目ですね」
そうね。前回は団体戦で当たってるから。
あのときは、角頭歩に負けちゃったけど、今度はそうはいかないんだから。
私は腕まくりを……する袖がない。夏服だもの。
「それでは、すぐに始めましょう」
志保部長に言われるまでもなく、私たちは駒を並べ直していた。
振り駒は、猿渡さんに譲る。表が2枚。私が先手ね。
「では、よろしくお願いします」
猿渡さんは、すぐにチェスクロのボタンを押す。
「よろしくお願いします」
私は頭を下げて、7六歩と突いた。
B級戦法使いの猿渡さん。どんな手を繰り出してくるのかしら。
緊張する私の前で、3四歩が指された。初手は普通か……2六歩、と。
「居飛車ですか……その方が、私には対応し易いのかもしれませんが……」
猿渡さんはそう言って、4四歩。
んん? 振り飛車? 私は、10秒ほど盤を睨む。そして、2五歩と突いた。3三角、4八銀、3二金……。おっと、もう変な形になりましたよ。振り飛車じゃないみたいね。ムリヤリ矢倉かしら?
10分将棋なだけあって、序盤はあまり考えられない。5六歩、5二金、5八金右、4三金右。ほんとにムリヤリ矢倉みたいね。7八銀として、さっさと囲いましょう。
5四歩、7九角、6二銀、6六歩、6四歩、7七銀、6三銀、7八金、7四歩、6九玉、8四歩、9六歩、9四歩、3六歩……6二玉ッ!?
そっか……右玉だわ……。通りで王様を動かさなかったわけね。
「これが今回のB級戦法ですか」
私は王様を見ながら、そう呟いた。
「右玉はB級戦法ではありません」
ぐッ……否定されちゃった……恥ずかしい……。
私は頬が火照るのを感じながら、6七金右と上がる。こっちは矢倉にするしかない。
7三桂、3七銀、5一角……。んー、右玉には、どうやって攻めるのかしら?
……とりあえず3筋の歩を交換しましょう。3五歩、と。同歩、同角。これで、角を6八に移動する手間が省けたわ。
猿渡さんは、右玉の定跡で8一飛と引く。この下段飛車が厄介なのよね。慎重に行きましょう。7九玉、8五歩、8八玉。こっちは入城完了。
猿渡さんも、7二玉とひとつ寄る。私は3六銀と立って、矢倉の理想型を目指した。
狙いはもちろん、4六歩〜4五歩だ。
猿渡さんは私の銀上がりを見て、30秒ほど考えた。そして、2二銀。
ん? 2二銀? そっちに上がりますか。てっきり4二の方だと思ってたけど……。
ま、こっちは方針に変更なしよ。1六歩、1四歩の交換を入れて、4六歩。
「やはりそこから攻めてきますか」
私の構想を予想していたらしく、猿渡さんは6二角と上がった。なるほどねえ、4筋で開戦したら、交換しますよってわけか。なら、3五のままだと不味いわね。2六角、と。
これでどうする気? 後手は動かす駒がなさそうだけど……。
私が盤を覗き込んだ瞬間、猿渡さんは飛車を横一文字に移動した。3一飛車だ。
これもよく分からない。まさかの4二金寄とか? 猿渡さんだから、ありそう。これ以上は攻めを延期できないわね。4五歩と突っかけましょう。それッ!
場所:2013年度夏合宿
先手:甘田 幸子
後手:裏見 香子
戦型:コーヤン流三間飛車vs居飛車穴熊
▲7六歩 △3四歩 ▲6六歩 △8四歩 ▲7八飛 △8五歩
▲7七角 △6二銀 ▲6八銀 △4二玉 ▲4八玉 △3二玉
▲3八玉 △5四歩 ▲1六歩 △3三角 ▲5六歩 △5三銀
▲5七銀 △2二玉 ▲2八玉 △1二香 ▲3八銀 △1一玉
▲5八金左 △2二銀 ▲4六歩 △3一金 ▲3六歩 △4二角
▲4七金 △7四歩 ▲4五歩 △6四銀 ▲4六銀 △7五歩
▲3五歩 △7六歩 ▲5九角 △8六歩 ▲同 歩 △3三角
▲7六飛 △7五歩 ▲3四歩 △7六歩 ▲3三歩成 △同 銀
▲6五歩 △5三銀 ▲5五歩 △6九飛 ▲5四歩 △同 銀
▲7五角 △3二金 ▲5三角成 △5二飛 ▲同 馬 △同 金
▲1五角 △8九飛成 ▲4一飛 △6七角 ▲3四歩 △4九角成
▲3三歩成 △3九馬 ▲3七玉 △3六歩 ▲同 金 △8七龍
▲5七歩
まで73手で甘田の勝ち
《対戦成績》
駒込 猿渡○ 横溝
冴島 鞘谷○ 姫野
姫野 木原○ 冴島
甘田 裏見○ 木原
横溝 大川○ 駒込
大川 横溝● 鞘谷
猿渡 駒込● 裏見
木原 姫野● 甘田
裏見 甘田● 猿渡
鞘谷 冴島● 大川