44手目 お泊まりする少女
というわけで、やって参りました。
合宿ですッ! 私は気合いを入れるため、合宿所の玄関で立ち止まる。
「おーい、裏見、入り口で突っ立ってんじゃねーぞ」
私の肩を押しのけて、冴島先輩が割り込んできた。
ととと、邪魔になってましたか。私は素直に道を開ける。
後ろにつけていた甘田さんは、
「一時はどうなるかと思ったけど、円ちゃんのおかげで助かったねえ」
と、笑いながら言った。
「1週間前に宿見つけろとか、頭おかしいだろ。どんだけ行き当たりばったりなんだよ」
「見つかったからいいじゃない。結果オーライなのよ、円ちゃん」
「オレが見つけたんだろ。女バレのツテがなきゃ無理だったぞ」
冴島先輩の愚痴にもかかわらず、甘田さんはいつもの忍び笑いを浮かべた。
「というか円ちゃん、荷物それだけでいいの?」
甘田さんはそう言って、冴島先輩の鞄を指し示した。
私もそれは気になってた。だって学生鞄しか持って来てないんだもの。他の人は、旅行用の大きな鞄をぱんぱんに膨らませてるのに。
冴島先輩は、溜め息をつく。
「あのな、1泊2日なんだぞ? 分かってんのか?」
「いやいや、そこは乙女の嗜みって奴でね」
甘田さんは、ぽんぽんと鞄を叩く。
「嗜みで鞄が膨れるかよ。代えの下着と洗面具でいいだろ」
え、それは色々足りてない気もするのですが。
私が突っ込みかけたところへ、数江先輩が割り込んでくる。
「ゲーム機とか漫画とか、いろいろあるじゃん」
ないです。さすがに呆れたのか、冴島先輩も反論しなかった。
茶番をよそに、志保部長は、合宿寮の入り口近くにある窓口へと向かった。私たちは玄関ホールで、ぼんやりと待機する。参加人数は、全部で10人。駒桜からは、八千代先輩を除く全員。藤女からは、レギュラー5人。
要するに、いつもの面子だ。
歩美先輩はかばんを床に置きながら、
「偶数人数なのは助かるわね。余りが出ないし」
とそう呟いた。
すでに将棋モードですか。やりますね。
私は、
「八千代先輩は、来ないんですか?」
とたずねた。
「八千代ちゃんは観る専だから」
そ、それだけ? ……まあ、指さなきゃ合宿の意味もないか。
私が半分納得していると、志保部長が戻って来た。
「お待たせしました。部屋に移動しましょう」
志保部長を先頭に、私たちは1階の和室へと通された。見るからに使い古された部屋。テレビもなければ、冷蔵庫もないような、ザ・合宿所って感じの空間だ。
私たちは特に相談することなく、駒桜スペースと藤女スペースに分かれる。
さて、目的地にたどり着いたのはいいんですが、何をするんですかね? 将棋なのは分かるけど、トーナメントでもするのかしら? ……それは効率が悪いか。団体戦とか?
「えーと、それでは、各校代表から挨拶をさせていただきます」
志保部長は、参加者の注目を集めた。自然と腰を下ろす部員たち。
こういうときは、部長はほんとに頼りになる。
「まずは自己紹介をさせてもらいます。私は駒桜高校将棋部の部長、大川志保です。今回は藤花女学園から、合宿へお誘いいただき、誠にありがとうございました。後期は男女混合など、いろいろと解決しなければならない問題もありますが、女子将棋部としても、精進していきたいので、よろしくお願いします」
拍手。入れ替わるように、藤女の猿渡さんが立ち上がった。
姫野さんが挨拶するかと思ったけど、違うのね。っていうか、志保部長と猿渡さんって、3年生なのに合宿とか来てて、大丈夫なのかしら。
猿渡さんは眼鏡を直すと、酷く真面目な顔で挨拶を始めた。
「私が言いたいことは、大川さんが言ってくれましたので、手短に済ませます。今回は駒桜からのご参加、大変ありがとうございました。男女混合については、次回の臨時幹事会で決まる予定ですが、どちらに転ぶにせよ、駒桜の学生将棋の底上げが目標です。合宿についても、単なる親睦ではなく、個々人の棋力向上を目指したいと思いますので、気を抜かずにやりましょう。以上です」
拍手。はい、これで面倒な挨拶は終わり。
さっさと指しましょう。そのために来たんだから、腕が鳴るわ。
場の雰囲気を感じ取ったのか、志保部長は早速準備に取りかかる。
「猿渡さんと話し合ったのですが、なるべくいろんな人と指せるように、工夫していきたいと思います。というわけで、最初は団体戦と同じように、藤花と駒桜の生徒がお互いに当たるようにセッティングします。猿渡さん、籤でいいですよね?」
志保部長の確認に、猿渡さんは頷き返す。
「では、籤を用意してありますので、藤花から引いてください」
おお、何と言う手際のよさ。
私が感心する中、まずは猿渡さんが籤を引く。次に、姫野さんと甘田さん。最後に1年生の横溝さんと鞘谷さん。
「次に、駒桜が引きます」
私たちも、学年順に籤を引いた。
私の紙には、Cと書いてある。どういう意味かしら?
「アルファベットが同じ人同士で、対局をお願いします」
めいめい、自分のアルファベットを口にする。
「Cって誰? 誰?」
うッ……この声は……。
「わ、私です……」
「あ、香子ちゃんなんだ、よろー」
そう言って擦り寄ってきたのは、何と甘田さんだった。
志保部長は、組み合わせを確認する。
「猿渡−駒込、鞘谷−冴島、裏見−甘田、姫野−木原、横溝−大川ですね」
「わーい、姫野さんと指せるよ」
数江先輩は、両手を挙げて喜んでいる。
姫野さんは……微妙そう。これって、姫野さんが1回損してるんじゃないの?
指導対局にすらなっていないような……。
まあ、横溝さんも志保部長とだから、微妙と言えば微妙か……。
学校同士で、棋力差があるのよねえ……。
「では、盤を用意しましょう。ルールは、10分60秒でお願いします」
「え? 10分なんですか?」
私は思わず訊いてしまった。志保部長は、申し訳なさそうな顔をする。
「はい、できれば夕方までに3回戦やりたいので、10分でお願いします」
私は、腕時計を確認する。今は1時過ぎ。午前中から集まれば良かったのでは?
首を捻る私を他所に、周りの人は盤と駒、それにチェスクロを用意し始めていた。
「ほらほら、こっちこっち」
甘田さんが、にやにやしながら私を手招きする。
うむむ……これは腹をくくるしかないわね……。
私は、甘田さんの前に座る。盤駒は、彼女が用意してくれていた。
チェスクロの時計を合わせながら、甘田さんは唇を動かす。
「香子ちゃんは、スケジュール調整とか大変だったんじゃない? 彼氏とかさあ」
……何を訊いてるんですか、この人は?
「え……彼氏とか、いないんで……」
「またまた、そんなこと言って、どうせいるんでしょ? ほら、彼とか」
彼? 彼って誰? 脳内カップルですか?
「いえ……ほんとに……」
「おい、甘田、うちの裏見にセクハラすんな」
Bの席に座っていた冴島先輩が、助け舟を出してくれた。
これはありがたい。甘田さんも、肩をすくめて、それ以上は追及してこなかった。
お互いに、黙って駒を並べる。
「じゃ、振り駒するよん」
甘田さんはそう言って、歩を5枚、宙に放った。
歩が4枚。あらら、甘田さんが先手ですか。どうしましょ。
「はい、それでは対局の準備が整ったようなので、始めてください」
志保部長の言葉を合図に、みんなが頭を下げた。
「よろしくぅ」
「……よろしくお願いします」
私は、チェスクロのボタンを押す。甘田さんは7筋に指を伸ばし、7六歩と突いた。
私の3四歩に、甘田さんは6六歩。そう言えば、三間党なのよね。普通に指せば、相振り飛車になる展開だけど……。
私は8四歩と突いた。
「ほおほお、居飛車にしてきますか」
甘田さんは、大げさに首を捻ってみせた。
「両刀使いってのは、本当なんだね」
ううむ、その言い方、止めて欲しいんだけど……。
ちょっと恥ずかしいというか、誤解を招くというか……。
まあ、それはどうでもよくて、この8四歩には意味がある。甘田さん相手に、ちょっと試したいことがあるのだ。
甘田さんは、30秒ほど使って、7八飛と寄る。やっぱり三間飛車なのね。
じゃあ、8五歩と突いて、角を上がらせましょう。
7七角、6二銀、6八銀、4二玉、4八玉、3二玉、3八玉、5四歩、1六歩。
おっと、打診して来ましたか。普通なら1四歩と突き返すけど、ここは……。
「おっとっと、もしかして穴熊模様?」
甘田さんは5六歩と、中央を突き返す。私は5三銀。
5七銀、2二玉、2八玉、1一香、3八銀、1一玉、5八金左、2二銀。
はい、穴熊の完成です。最近は、ちょっと棋風改造で、穴熊も指すのよね。まあ、歩美先輩に毎回凹られてるからなんだけど。甘田さんに、うまい穴熊潰しの手順、見せてもらおうじゃないの。情報収集。情報収集。
4六歩、3一金、3六歩、4二角、4七金、7四歩、4五歩、6四銀、4六銀。
銀を4六に上げて、プレッシャーを掛ける形か。コーヤン流だっけ?
左の守りが薄いから、もう攻めちゃいましょう。7五歩、と。
「はえー、税金も払わずに、いきなり開戦ですか」
確かに、ちょっと早いかもしれない。6一の金も浮いてるし。ただ、これは7一飛成とさせないためで、意味がある。うっかりばらばらにしているわけじゃない。
甘田さんは、10秒ほどで3五歩と突き返してきた。7筋の歩を放置は、すごく三間飛車っぽいわよね。7六歩、5九角に8六歩、同歩。手筋に突き捨ててから、私は3三角と出た。次に6六角があるから、甘田さんは当然7六飛。
だけど、これには7五歩があるのよね。7五歩、と。
「ありゃー、飛車逃げられないね」
甘田さんは、にやにやしながら3四歩と取り込む。
7六歩、3三歩成、同銀。飛車角交換だ。こっち有利なんじゃない?
私がそう思っていると、甘田さんは6五歩と突いてきた。
これは……同銀は5三角ってことかしら?
3二金、7五角成、6九飛は、6六歩で銀が捕まっちゃう……。
(※図は香子ちゃんの脳内イメージです。)
かと言って、6四歩は同馬で受けになってないし……。
なるほど、甘田さん、やるわね。仕方がないわ。5三銀と下がりましょう。
私が銀を下がると、甘田さんは5五歩と追撃してくる。同歩、5四歩、同銀、5三角は、さっきと似たような展開。だから、放置して先に6九飛。
5四歩、同銀と進み、そこで7五角が指された。
4二金なら、5三角成とはできないけど……微妙に同角成とされそうなのよね。同飛なら5三金、同銀なら3二金か……。潰れないとは思うけど……。
安全に行きますか。3二金、と。
「じゃ、とりあえず馬作りますよん」
甘田さんはそう宣言して、5三角成。ここで6五銀と5二飛の二択ね。
6五銀、7五馬、6六銀、7六馬、6七銀不成、7七馬……微妙に冴えない?
5二飛、同馬、同金、8二飛、4二金右、8一飛成、8九飛成の方がいいかしら。
んー、どっちも居飛車の形勢が良くないような。まあ、これは実験局だし、覚悟の上よ。がんがん行っちゃいましょう。5二飛ッ!
「ひゃー、ぶつけてくるんだ。取っちゃうよ?」
同馬、同金に……1五角? これは読んでなかったわよ。
まあ、それでも8九飛成だと思うけど。
私がそう指すと、甘田さんは1分ほど考えて、4一飛車と下ろした。
4一飛……意外なところに打たれた……。
でも、これ放置で良くない? 6七角と打って、8一飛成に4九角成。同銀、同飛成は、先手終わってるような……。
あ、でも6七角に、8一角成なんてしないか。5八歩よね。4五銀、同銀、同角成、4六歩に、どうしましょうか。3六桂は、1八玉で逃れてるし……。素直に3四馬と引く? そこで8一飛成なら、こっちも5一歩と打って補強。私は馬、甘田さんは素角だから、私の方が指せる気がする。
うん、これでいきましょう。私はチェスクロを確認する。私の持ち時間が1分、甘田さんが2分。いい勝負ね。6七角、と。
「うーん、これ面倒なんだよねえ」
甘田さんは、困ったような声を上げる。顔は笑ってるけど。ほんとに、強い数江先輩バージョンって感じ。将棋を楽しんでる雰囲気が、よく出ている。
甘田さんは、貴重な残り時間を使い始めた。5八歩だとは思うけど……。
私は、何だか不安になってくる。そして、その不安は的中してしまった。