陽気な日々
あたしの名前は甘田幸子。汗もしたたるいい女、なーんてね。
いやー、今日も暑いねえ。こうも暑くっちゃ、勉強する気にならないよ。1時間目から6時間目まで、爆睡しちゃったわ。おかげで担任に呼び出されちゃったけど、そこはノープロブレム。毎度のことだし。
というわけで、あたしは今日も、魑魅魍魎の待つ藤花女学園将棋部に向かうのだった。将棋部の部室は、他の文化部とは違って、生徒会室のすぐ隣にある。去年、猿渡さんが抽選で引き当てた空き部屋。抽選っていうけど、ほんとうに抽選したのかな。いろいろと、黒い噂が立ってるみたいよん。ま、触らぬ神に祟りなし、ってね。
ドアを開ける……お、いるね、いるね、いつものメンバーが。
抽選(?)になった部屋だけあって、壁はぴっかぴか。床は剥き出しのフローリングだけど、文化部では一番! パソコン、クーラーも完備。まさに藤女の楽園って感じ。本当は壁紙を変えたかったんだけど、顧問に却下されちゃったのは内緒。あの頑固ババアめ。
「甘田先輩、おはようございます」
はいはい、おはようございます。
このボーイッシュな子は、1年生の鞘谷さん。
自称サーヤ。西洋かぶれだよね。 え? 言い方が古い? よく言われる。
「おはよう、サーヤは今日も、元気だねえ」
サーヤちゃんは、升風に片想いの彼がいるらしいけど、どんな感じなのかしらん。今度、そのネタでいじり倒しちゃおっかなあ、と。
あたし、他人のゴシップと恋愛話には、目がないから。悪く思わないでねえ。
「甘田先輩……こんにちは……」
おっと、この貞子みたいな少女は、同じく1年生の横溝さん。
渾名はヨッシー。でっていう? サダコちゃんって渾名をつけようとしたら、猿渡さんに怒られちゃったんだよねえ。あの人、性格がお堅いから。
「甘田さん、今日は遅かったですわね」
このおしとやかなお嬢様は、姫野さん。藤女のヤクザとは、この人よ。
あ、今のオフレコね。殺されちゃうから。
「ちょうどよいところへいらっしゃいましたわ。わたくし、職員室に少々用事がありますので、1年生の面倒を見ていただけませんこと?」
おほほ、よろしくてよ。って、こんな肩の凝る喋り方しなくてもいいってば。
「いいよん、いてら」
「では、よろしくお願い致します」
そう言って席を立った姫野さんは、部室を後にした。
歩く姿も様になってるし、羨ましい限りだわ。5センチくらい、身長を分けてもらえないかしらん。それで将棋も強いんだから、腹立っちゃうよね。
部室は、1年生とあたしだけになった。あれ? 部長は?
「部長は来ないの?」
あたしが尋ねると、サーヤから返事があった。
「猿渡先輩は、推薦入試の関係で、今日は来れないそうです」
へえ、推薦入試ですか。いいご身分で。
ま、うちの部長なら、それくらいは楽勝って感じ?
それに推薦入試だと、後期の大会にも出られてお得なのよね。部としても助かるわ。部長は鞘谷さんと同じくらい、ナンバー3ってわけ。だから、彼女がいないと困る。前期の団体戦でも、駒桜の裏見とかいう子をぶっ飛ばしてくれたし、後期もよろしくッ!
じゃあ、あたしもそろそろ将棋を……あれれ、さっきからヨッシー、パソコン使ってるわね。将棋倶楽部24かな?
「なに見てるの?」
あたしがのぞき込むと、横溝さんはびっくりしたように肩をすくめた。
この驚き方は、男子校ならアダルトサイトと誤解されるレベル。
画面を隠したり切り替えたりしないところを見ると、そうじゃないみたいだねえ。
「れ……連盟のHP見てます……」
連盟? 日本将棋連盟のHP? ……じゃないか。駒桜高校将棋連盟のやつね。
そんなの見てどうするのかな?
「なにか面白い記事でもあった? 千駄さんが過労死とか?」
「い……いえ……今日は、駒桜市立の部紹介です……」
ああ、部紹介ね。去年も、うちやったわ。あれって、結構面白いのよ。
どれどれ、あたしも見ちゃおっかなあ。
あたしが画面を覗き込むと、ヨッシーはわざわざページトップにスクロールしてくれた。いい後輩だねえ。涙が出ちゃうよ。どれどれ──
【2013年度 駒桜市立高校 女子将棋部】
《大川さん》
Q1 自己紹介をどうぞ
大川志保。駒桜市立高校3年生です。
Q2 渾名はありますか?
ないですね。「部長」は渾名じゃありませんし。
Q3 将棋を始めたきっかけは?
小学生の頃、近所のお姉さんに教えてもらいました。
Q4 得意な戦法は?
ありません……弱いので……。
Q5 尊敬する棋士は?
羽生先生です。ほんとうに素晴らしい方だと思います。
Q6 将棋のライバルはいる?
いると言えるほど強くありません……。
Q7 将棋以外の趣味は?
読書。
Q8 好きな食べ物は?
和菓子が好きなんです。最中とか。
Q9 嫌いな食べ物は?
辛いもの。
Q10 今年の目標をどうぞ
大学受験なので、学業とクラブ活動の両立を頑張ります。
「ふむむ、大川さんは、常識人だねえ」
「そうですね……」
まあ、記事はつまんなくなるんだけど。もっとはっちゃけないと。
「記者も、突っ込んだこと聞けばいいのにね。『初体験はいつ?』とか」
「……後で問題になると思います」
冗談だって。ヨッシーは、何でも額面通りに受け止めちゃうんだから。
そこが可愛かったりするんだけど。
「この『近所のお姉さん』って、辻姉のことらしいよ」
私の指摘に、横溝さんは前髪の奥で目を見開いた。
「え? そうなんですか?」
「うん、あの人も変わってるから。普通、近所の女の子に将棋教えないって」
「……羨ましいですね……辻姉から教えてもらえるなんて」
そうかな? 強いのは強いけど、あの人といると疲れるのよねえ。ブラコンだし。
だいたい、渾名が『辻姉』ってどうなのよ。誰かのお姉さんとしか認知されてないじゃん。
ま、いっか。次の記事行きましょ、次。
《駒込さん》
Q1 自己紹介をどうぞ
駒込歩美。2年生。
Q2 渾名はありますか?
なし。
Q3 将棋を始めたきっかけは?
幼稚園のとき、コンピューター将棋で。
Q4 得意な戦法は?
なし。
Q5 尊敬する棋士は?
米長邦雄。
Q6 将棋のライバルはいる?
姫野咲耶。
Q7 将棋以外の趣味は?
なし。
Q8 好きな食べ物は?
なし。
Q9 嫌いな食べ物は?
なし。
Q10 今年の目標をどうぞ
個人戦で姫野咲耶の連覇を止める。
「なんて言うか……あっさりしてますね……最後だけ凄いこと言ってますけど……」
「手抜きだよね。絶対めんどくさくて答えてないだけだから」
「将棋以外に趣味がないというのも、凄いです……」
っていうか、始めたのがコンピュータ将棋ってのもアレだよね。
さあ、お次は誰かな?
《木原さん》
Q1 自己紹介をどうぞ
木原数江。2年生だよ。
Q2 渾名はありますか?
カズちゃん。
Q3 将棋を始めたきっかけは?
高校に入ってから、部に勧誘された。
Q4 得意な戦法は?
特にないかな。
Q5 尊敬する棋士は?
渡辺明。独特の雰囲気がいいよね。
Q6 将棋のライバルはいる?
いなーい。みんな友だち!
Q7 将棋以外の趣味は?
食べること。
Q8 好きな食べ物は?
何でも好きだよ。
Q9 嫌いな食べ物は?
ないよ。
Q10 今年の目標をどうぞ
今年中に1級を目指す!
「高校から将棋って、珍しいですよね……」
「プロの森9段も、高校から始めたらしいよ」
「え? そうなんですか?」
ま、普通はびっくりするよね。スポーツなんかと同じで、小学生の頃には始めてないといけない分野だから。木原さんの場合は、それ相応の棋力って感じかな。1級は……まだ遠いわよねえ。24の1級だと、絶望的。あれ、レーティングが凄く辛いから。
負けてもめげないのは、いいことだよん。うんうん。
《傍目さん》
Q1 自己紹介をどうぞ
傍目八千代。2年生です。
Q2 渾名はありますか?
委員長と呼ばれてます。
Q3 将棋を始めたきっかけは?
中学生のとき、NHK杯を観るようになりました。
Q4 得意な戦法は?
観る専なので、指しません。
Q5 尊敬する棋士は?
羽生世代の方々全般。
Q6 将棋のライバルはいる?
指さないのでいません。
Q7 将棋以外の趣味は?
読書。
Q8 好きな食べ物は?
ケーキ。
Q9 嫌いな食べ物は?
ナス。食感がダメです。
Q10 今年の目標をどうぞ
戦型チェックなどを通じて、少しでも部に貢献したいです。
「読書って書いてるけど、これ薄い本のことだよ」
「……今のは聞かなかったことにします」
「あ、薄い本って言って、ヨッシー分かるんだ?」
「//////」
アハハ、赤くなっちゃって可愛い。
後輩をからかうのは、これくらいにしましょうか。そろそろアノ人かな。
《冴島さん》
Q1 自己紹介をどうぞ
冴島円。2年生。女だ。
Q2 渾名はありますか?
まどか。
Q3 将棋を始めたきっかけは?
小学生のとき、兄貴に教えてもらったぜ。え? 兄弟? 兄貴が3人だ。
Q4 得意な戦法は?
相掛かり。
Q5 尊敬する棋士は?
谷川先生かな。棋譜並べをするのは、高橋先生とか三浦先生だ。
Q6 将棋のライバルはいる?
認めたくねえが、藤女の甘田だなあ。奴の方が勝ち越してるけどよお。
Q7 将棋以外の趣味は?
スポーツは、やるのも観るのも好きだぜ。中学のときはソフトしてた。
Q8 好きな食べ物は?
肉。
Q9 嫌いな食べ物は?
納豆。あれだけは食えねえ。
Q10 今年の目標をどうぞ
とりあえず公式戦で勝ち越しかな。ちょいキツいが。
「いやはや、回答が男前だねえ」
「Q1の『女だ』は要らないと思うんですけど……女子将棋部……」
「自虐ギャグじゃない?」
でも、実際間違える人、大勢いるんだよねえ。
中学のとき、女性でエントリーしようとして、受付で揉めてたし。まあ、男物のジャージで来るからいけないのよ。それに懲りて、公式戦は全部制服を着て来るようになったけど、あれがまた似合わなさ過ぎてウケるんだわ。
さてさて、これで2年生は全員かな? するとお次は──
《裏見さん》
Q1 自己紹介をどうぞ
裏見香子。1年生です。
Q2 渾名はありますか?
ないです。
Q3 将棋を始めたきっかけは?
幼稚園のとき、おじいちゃんに教えてもらいました。
Q4 得意な戦法は?
中飛車。
Q5 尊敬する棋士は?
プロはよく分からないので……すみません……。
Q6 将棋のライバルはいる?
おじいちゃん。
Q7 将棋以外の趣味は?
マラソン。中学のときは、陸上部でした。
Q8 好きな食べ物は?
飲み物ですけど、お茶。
Q9 嫌いな食べ物は?
これも飲み物ですけど、炭酸飲料。
Q10 今年の目標をどうぞ
ひとつでも多く勝てるように頑張ります。
「香子ちゃん、陸上部だからいいスタイルしてるねぇ」
ここで鞘谷さんが乱入。
「そうですか? ぺったんぺったんって感じなんですけど?」
新人戦が終わってから、サーヤの裏見さんを見る目が厳しいんだけど、なにかあった?
もしかして、恋のライバルかな? そういうのは、部の外でやってね。
そんなことを思っていると、鞘谷さんは思い出したように、
「そう言えば、来月はうちじゃなかったですか?」
と言った。
「え? なにが?」
あたしは、パソコンから目を離す。
「部紹介です。猿渡さんが、そう言ってたような……」
あ、そうなんだ。それにしても猿渡さんは、やたらとサーヤさんを寵愛してるね。
ま、来年度の主将候補だから、当たり前と言えば当たり前なんだけど。
幹事を誰にするかが問題なのよねえ。声がちっちゃくてもいいなら、ヨッシーかな。
「部誌の『藤花』も、そろそろ発行しないといけない時期ですよ」
「編集担当は、ヨッシーだっけ?」
あたしが尋ねると、ヨッシーは気まずそうに首を縦に振った。
「そうなんですけど……なかなかいい企画が……」
「そんなの適当でいいのよ。うちの部誌、他校の男子には結構売れるから、ちょっとお色気路線でいったら大丈夫だって。『ヤクザな日々』とでも銘打ってさ、咲耶ちゃんの着替え写真なんか突っ込んどけば、1冊1万円でも売れる。間違いなしッ!」
あたしは、ひとりで爆笑した。
……あれ? 笑ってくれないの? つまんないなー。こういうときは、先輩に合わせて、お世辞でも笑って欲しいところなんだけどねえ。
ってか、なんでそんなに引いてるの? 下ネタはNG?
……ん……なんか殺気を感じ……あたしは、ゆっくりと後ろを振り返る。
「なかなか面白そうな企画ですわね。詳しくお聞かせいただけませんこと?」
………………その現れ方、ズルくない?
次回おまけ、『男前な日々』に続く。