31手目 複雑な少女
「駒桜市高校将棋連盟主催、2013年度新人戦優勝、裏見香子殿。あなたは頭書の成績を収めましたので、これを表彰致します。2013年6月9日、高校将棋連盟会長、千駄光成」
会長は爽やかな笑顔を浮かべ、私に賞状を手渡す。
「おめでとう」
「ありがとうございます」
私は軽く一礼し、賞状を受け取った。
拍手。
数江先輩は、小躍りしながら手を叩いた。
「よ、香子ちゃん」
これはちょっと恥ずかしい。
私は賞状を折り曲げないように気をつけて、辻くんに場所を譲る。その後ろには、蔵持くん。気付かなかったけど、どうやら3位決定戦も行われていたらしい。辻くんと当たらなければ、鞘谷さんが入賞してたところなんでしょうけど──
当の鞘谷さんは、藤女の列に加わり、蔵持くんにやたらと拍手してた。なんだか自分のことみたいに嬉しそう。まあ、気持ちは分かるけど……うーん、あの情報漏洩の罪を赦したわけじゃないわよ。今回は当たらなかったけど、次の団体戦か個人戦で、成敗しておきたいところ。
というか、賞金とか出ないのかしら?
「さて、これで2013年度前半の行事は終わりだ。次は、夏休み明けの個人戦になる。幹事会については追って知らせるので、連絡に注意して欲しい。今日は、会場設営などの手伝い、ありがとう。閉会とするよ」
パチパチと拍手が成り、生徒たちは後片付けの作業に入った。テーブルなんかを元に戻すだけで、大した作業ではない。15分くらいであっさりと終了した。
歩美先輩も、
「とりあえず、おめでとう」
とねぎらってくれた。
「あ、どうも……」
「これも私のアドバイスのおかげね」
そ、それを自分で言いますか……合ってるけどさあ。
冴島はニヤニヤしながら、
「しっかし、裏見が優勝するとは思わなかったなあ」
と、率直な物言い。
うむむ、新人王に対するリスペクトが足りないんじゃないですかね。
数江先輩は、
「そんなことないよ。香子ちゃんは強いもんね」
と言ってフォローしてくれた。
そのあとは打ち上げという流れに。優勝しちゃったから、さすがに参加することになった。お母さんにMINEで連絡を入れておく。会館の前に集合。そのあとでファミレスへ移動した。中に入ると、他のお客さんがびっくりしていた。まあ、びっくりするわよね、普通。
席は……学校別かな? という私の予想とは裏腹に、みんな勝手に座り始めた。千駄会長の周りには、どうやら幹事が集まっているらしい。志保先輩も私たちの列を抜けて、千駄さんの席に移った。甘田さんもそっち。
甘田さんが藤女の幹事なんだ。てっきり、猿渡さんかと……あ、でも猿渡さんは3年生だから……ん? 志保部長も3年生よね。この人、受験大丈夫なのかしら。誰かさんと違って、赤点の噂は聞かないけど。
私は大テーブルへ誘導される。なんだか主役って感じで恥ずかしい。
なんと8人席。U字型のソファーに囲まれた大テーブルだ。
「お、団体席か」
そう言って、大きな人影が現れた。
恰幅のいい眼鏡の男性。久世先輩だった。
久世先輩が腰をおろそうとすると、蔵持くんが声をかけた。
「千駄さんが呼んでますよ」
「いや、俺はここに座るよ」
「千駄さんのご指名ですよ?」
「俺が座ると、ふたり分取っちゃうからな」
久世先輩は、ワハハと笑う。な、なんと言う自虐ギャグ。
周囲の視線も気にせず、久世先輩は8人席に座ってしまった。
体積的に残り6人。
数江先輩はとくに気にせず、
「ほらほら、早く座ろうよ」
と言って、久世先輩の隣に座った。
す、凄い凸凹コンビ……身長と横幅が全然違う。数江先輩は、見た目150センチちょっと。それに対して久世先輩は、180を超えているように見えた。
私は八千代先輩に奥をゆずった。下級生は、端っこで皿取り。これくらいは私でも分かる。
久世先輩は、
「おい、蔵持くんも座れよ。1年生同士、固まればいい」
と言って、私の隣をゆびさした。
ちょうどそのとき、鞘谷さんと横溝さんも合流した。
「お、こりゃ華やかなだなあ」
久世先輩は嬉しそうに笑う。もう、完全におじさん入ってるじゃない、この人。
蔵持くんが席を勧められたはずなのに、鞘谷さんは横溝さんを奥に押し込んだ。そして自分が入り、最後に蔵持くんを端に座らせる。要するに席順は、久世→木原→傍目→私→横溝→鞘谷→蔵持。
これは鞘谷さんの策略ですね。間違いない。
私が確信する中、トイレから誰かが出て来た。
角刈り眼鏡の田中くんだ。田中くんは席を見渡し、ぽりぽりと頭を掻いた。
「あちゃー、満席か」
蔵持くんは、
「ここ空いてるよ」
と言って、さらに詰めた。これで合計7人。久世先輩が2人分取ってるから、要するに一杯ってことね。半分以上が1年生という所帯だ。
全員が座ったのを確認したのか、さっきの店員さんが注文を取りに来た。
久世先輩がまっさきに手をあげて、
「たらこスパゲティ大盛りとWハンバーグ、ドリンクバーで」
と注文した。
みんなびっくりしている。
ところが数江先輩も、
「ライス大盛りとチキングリル、デザートはアイスクリーム。あとドリンクバー」
とビッグなオーダー。
えーッ!? か、数江先輩、食べ切れるんですか???
八千代先輩は、
「コーヒーをお願いします」
と、ドリンクオンリー。
「ドリンクバーですね……お食事のほうは?」
「結構です」
まあ、訊かれるわよね。先のふたりがふたりなだけに。
「お次のかたは?」
あ、注文決めてなかった。
「ちょ、ちょっと待ってください」
私は慌ててメニューをひらく。店員さんは、そのまま横溝さんに移った。
「ラザニア……」
「はい? もう一度お願いします」
「ラザニア……」
横溝さん、注文はもっと大きな声でしましょう。
っと、それどころじゃなくて……確かに、ラザニアは好手かも。でも被らないほうがいい。
「お次のかたは?」
鞘谷さんは蔵持くんとメニューをみながら、
「ねえねえ、私ひとりで食べ切れないから、半分こしない?」
と言った。
「え……みんなの前でそれは……」
「いいじゃん。このセット頼んで、お皿に分けよ」
「じゃ、じゃあ、このサラダセットと……」
うわー……このふたりは、そのまま爆発した方がいいんじゃないですかね。
「後で小皿をお持ちします。お次のかたは?」
田中くんはハンバーググリルにライス。平凡。
店員さんは機械を操作し、ふたたび私に向き直った。
「お決まりでしょうか?」
「ドリアをお願いします」
うん、我ながら好手。やっぱりご飯を食べないとね。
「では、少々お待ちください」
店員さんは厨房に引っ込んだ。私は他の席を見回した。
そう言えば、辻くんは……あ、4人席で、他の男子と座ってる。雰囲気的に升風かな。それとも、中学からの知り合いか……いずれにせよ、同級生っぽい。もうひとつの席は、2年生の混合。早速、将棋盤を取り出していた。それはどうなの。
久世先輩は、
「じゃ、ドリンク取りに行こうか」
と言って席を立った。ドリンク組は全員起立。めいめい好きなものを汲んで、すぐに戻る。店内が騒がしくなり始めた。みんな好き勝手に喋っている。
久世先輩と数江先輩は、メニューが来るのを今か今かと待っていた。八千代先輩は、時々その話し相手になっていた。隣ではカップルが……ってわけじゃないのよね。どうも見ている限り、鞘谷さんの一方通行だ。蔵持くんは華麗にスルーしている。いわゆる鈍感体質なのかもしれない。鞘谷さんのラブラブ光線が、空気みたいに透過しちゃってた。鞘谷さんが話しかけて、蔵持くんが適当にあいづちを打って、空気を読まない田中くんが割り込んで、鞘谷さんがにらんで……の繰り返し。千日手模様。
となると、私の話し相手は──
「香子ちゃん……優勝おめでとう……」
横溝さんは、ぼそりとつぶやいた。
「あ、ありがとう」
「辻くんに勝ったのは凄いよ……」
そ、そうなのかしら? よく分からないんだけど。
「まあ、クジ運とかもあるし」
一応謙遜しておく。横溝さんは1回戦負けだから、気を遣わないと。
「そうかな……クジ運が良かったとは思えないけど……」
「で、でも、3回しか指してないから……」
「その代わり、面子がキツいよね……」
む、そう言われると……横溝さん、蔵持くん、辻くんか。
って、それ言外に「自分も強い」アピールじゃない。横溝さん、やるわね。
ただ、蔵持くん3位はねえ……いや、いちゃもんつけるわけじゃないけど、横溝さんと鞘谷さんが入賞できてないのは、完全にクジの問題だし……1回戦で蔵持vs横溝か、蔵持vs鞘谷のカードができてたら、蔵持くん初戦敗退だったんじゃない? ……ん、まさかの鞘谷さん八百長負けが……あるわけないか。そこまでノロケてないでしょう……と信じたい。
私がそんなことを考えていると、続々とメニューが出てきた。店員さんは大忙しだ。
「いただきまーす」
数江先輩は、自分のチキングリルが出た途端、ナイフとフォークを手に取った。そして勝手に食べ始める。久世先輩も、たらこスパゲティを食べ始めていた。蔵持くんと鞘谷さんは、サラダセットをふたりで分けている。田中くんのハンバーグは、久世先輩のWハンバーグと一緒に到着。最後に、ラザニアとドリアが届いた。
「いただきます」
私はスプーンでドリアを救うと、冷ましてから口元に運んだ。
ファミレスのドリアって、最初熱過ぎて食べ難いのよね。
隣の横溝さんは、ラザニアを格子状に切って、冷めるのを待っているようだ。
「ところで香子ちゃん、居飛車も指せるんだね……」
ごほッ!
むせ返った私は、あわてて水を飲んだ。
「そ、そうだけど……」
「てっきり、純粋振り飛車党だと思ってたんだよね……」
んー……やっぱり決勝のフェイント作戦、変な目で見られてるんじゃないの? 勝てたのはいいけど、卑怯とか思われてるんじゃないでしょうね。でも誤解したのは周りの方なんだから、卑怯もなにもないような。お堅い八千代先輩も、この作戦にはなにも口出ししていない。
「両方指せるのは、いいことだよ……羽生さんも両方指せるし……」
そりゃ、作戦の幅が広がるしね。片方だけは、どうしてもレパートリーがせばまる。
八千代先輩はコーヒーに口をつけながら、
「裏見さんは、うちの期待のエースですからね」
とコメントした。
嬉しいけど、他校の生徒に堂々と宣言しちゃうのはどうなんでしょうか。
ハンバーグを頬張りかけていた久世先輩は、ふとフォークをとめて、
「そういえば……女子が優勝したのは4年ぶりかな」
とつぶやいた。
私は「そうなんですか?」とたずねた。
「4年前に辻くんのお姉さんが優勝して最後だった。そもそも辻くんのお姉さんが女子で初優勝なんじゃないかな。あんまり古いことは知らないけどね」
ということはですよ、なかなかの快挙なのでは?
史上二人目。
「まあ、今年は丸目くんも松平くんもいなかったしなあ」
ととと、持ち上げて落とす作戦。否定はできないけど。確かに松平くんが出てたら、松平くんが優勝してたと思うし、その丸目ってひとは、もっと強いんでしょうね。
久世先輩はハンバーグを口に放り込み、そのまま押し黙ってしまった。
数江先輩はジュースを飲みながら、
「でも、優勝は優勝だもんね」
と言ってくれた。すでに皿を半分以上片付けている。
この人、どこに胃袋があるの? というか、その栄養はどこへ行ってるのですか?
私が不思議に思っていると八千代先輩は、
「男女がぶつかるのは、学生だと新人戦しかありませんし、なかなか実力差を測るのは難しいと思います」
とコメントした。
そっか、男女混合は新人戦だけなんだ。
だったら、辻くん、蔵持くんとは二度と指さないのか。
私がそう思った途端、久世先輩は、
「うーん、それなんだがなあ……」
とつぶやいた。
八千代先輩は「どうかしましたか?」とたずねた。
久世先輩は、ちらりと幹事席を盗み見た。
「明日には広まることだし、ここで話してもいいか……」
そう言えば、さっき久世先輩を幹事席に呼んでいた。
あれって単なる社交辞令じゃなくて、なにか大切な話があったんじゃないかしら。
久世先輩は紙ナプキンで口をふくと、大きくタメ息をついた。
「じつは2013年度秋季から、男女混合の話が持ち上がってるんだよ」
エッと、何人かが声を上げた。
蔵持くんが身を乗り出した。
「個人戦ですか?」
「全部」
「全部……? 団体戦もってことですか?」
久世先輩は、そのふとましい首を縦にふった。
「それで千駄さんに呼ばれてたんですね……やっぱり話し合いに参加したほうが……」
いやいや、と久世先輩は大きく手を振った。
「俺はもう運営引退してるから」
「でも、前会長でしょう?」
え……あ、そういう……2012年度の会長って、久世先輩だったんだ。
道理で顔が広いわけだ。
「前会長が口出しするなんて、混乱のもとだよ。現役がやればいい話さ」
あら、けっこう常識人。口うるさいOBって、どこにでもいるものだけど。
一方、私はなんだか話がよくわからなかったので、
「そもそも今は、どうやって決めてるんですか?」
とたずねた。
「単純だよ。男子の部で優勝した個人とチームが男子代表、女子の部も同じ」
「代表?」
「市代表だよ。県大会がある。そのあとは全国大会」
なるほど、そのへんは陸上とあんまり変わらないわけね。
「ま、さっきも言ったけど、この話は後輩に任せた。俺は関与しない」
というわけで、この話題は打ち切りになった。
あとは歓談になる。横溝さんとは、今日指した将棋について、八千代先輩とは、今後の学校生活について。八千代先輩曰く、学業をさぼらないように、とのこと。それはうちの主将に言ってください。
1時間ほどで、会はお開き。私たちはそのまま、ファミレスの前で解散した。
7時だけど、外はまだ明るい。西の空に雲が出ている。明日は雨かしら。
家路の途中、なんだか沸々と、嬉しいものが込み上げ来た。新人戦優勝。
初の公式戦タイトルだ。
おじいちゃんに伝えたら、よろこんでくれるかな。
私はスキップするように、家路へと急いだ。