(3)詰みに気づく少女
渋川さんは、しばらくして爪を噛み始めた。
うーん、その癖、気になる。
カルシウム不足なんじゃないですかね……などと適当な推測をかましてみる。
っと、私も考えないと。
とりあえず、3八飛とされる心配はないのよね。2七角があるから。こっちの方が駒組みしやすくなったんじゃないかしら。
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………………
「ちょっと攻め急いじゃったかしら」
だと思いますよ。
「ふん、まあいいわ。7九玉」
ん、なにそれ?
……マズい、さっぱり分からない。
7八玉だと、なんかあった?
……7八金〜8八玉の準備かしら。
よくよく考えると、7八玉よりは自然かもしれない。
じゃあ、こっちも囲いましょう。
「4二玉」
7八金、3一玉……やっぱり囲うだけ……。
「7五歩」
7筋を押さえてきた……先に7四歩だったかな?
微妙にミスったかもしれない。桂馬を活用できなくなった。
私はリカバリーの方法を探す……思いつかない。とりま2二玉。
「手がないわね……9六歩よ」
これはさすがに9四歩と突き返す。
渋川さんは、1六歩とした。手作りに苦心しているのは、相手も同じ模様。
私も本格的に考える。攻め手……攻め手……9三桂とか? 居飛車で9筋に桂馬を跳ねるのは、普通にあり……だけど、9三桂、7四歩、同歩、7三角があるか……8一飛、6四角成、8五桂……細かい形が特定しにくいわね。パターンが多い。
9三桂、7四歩、同歩、7三角、8一飛、6四角成、8五桂、8六銀……9五歩? 7四馬、4三金右、7七歩……7七歩は、ちょっと変かしら。でも、打たないと後手から7七歩と打たれる。いずれにしても、全体的に後手好調。先手の馬はあまり活躍していない。
「……9三桂」
私の桂馬跳ねに、渋川さんは目を細めた。
この人、よくみるとクマが凄い。寝不足かしらん。
牛の刻参りとかするくらいなら、寝ましょう。
「めんどうな手ね……7六銀……ッ」
銀を立ったか……これは8五桂と跳ねたときに手抜かれてしまう。
次に7四歩〜7三角は確定だから……ちょっと変化しましょう。
「4五歩」
私は4筋を絡めた。同歩なら9五歩、同歩、8五桂、7四歩、同歩、7三角、8一飛、6四角成、9七歩、8六歩、9五香、8五歩、9八歩成、同香、同香成。このとき、7四馬と寄ると5五角の返しができる。これが4五歩、同歩の効果。ただ、そうはせずに、4四桂と打ってくるでしょうね。同銀、同歩、6一香、7四馬、6三金(ここで5五角は、5二馬が銀当たりでさすがに勝てないと思う)、4七馬……うーん、難しいか。8五歩が間に合えば話は簡単なんだけど。
ここでも、渋川さんは小考。
爪を噛むのはやめたようだ。
「……7四歩」
ほぉ……取らずに攻めてきましたか……。
同歩、7三角、8一飛、6四角成。
「4六歩」
私は歩を補充する。同馬なら7四馬の心配がなくなるから問題ない。
渋川さんもそれは分かっているから、7四馬と寄った。
さすがにここで寄られると、逃げるしかないわね。4三金右。
「そっちの方が堅いわね……7七歩」
ん、ここで歩打ち? ちょっと変調じゃない?
もちろん、放置なら8五桂〜7七歩と打たれるから、先受けなのは分かる。
やっぱり4五歩を取った方が良かったんじゃないですかね。
「9五歩」
私は予定の端攻めを敢行。
同歩、8五桂、2四歩、同銀、8六歩。
さっきと違って8六歩が一手早いから、9八歩と打つ。
同香、9七歩、同桂、同桂成、同香。
「7一飛」
「5二馬」
ふむ……こうなってみると、4五歩を取られたバージョンの方が良かったかも……渋川さんの手抜きが正解っぽい……さっきの形勢判断は勘違いだったか……やりますね。
入玉が若干心配になってくる。
私は9六歩と、逃げ道封鎖の常套手段。
8八玉もあるかなと思ったけど、渋川さんは4四歩、同金、9六香を選んだ。
じゃあ、このまま攻めさせてもらいましょ。無骨にいくわよ。
「3六桂」
私は桂馬を置いて、お茶で一服。
意外と手応えはある。先手は陣形が悪い。
「ひ、飛車が活きない……ッ」
ですね。飛車が活躍しない。
どうやら、馬作りの代償を得られていないようだ。
1八飛、2七角、1七飛、4九角成。
ほらほら、単純な攻めが通る。とはいえ、こっちも攻め駒が足りないか。
渋川さんの6七金に、私は2八桂成とした。次に2七成桂だ。
渋川さんは、また爪を噛み始めた。ぶつぶつなんか言っている。
私は聞かなかったことにして、チェスクロをチェック。
残り時間は、私が17分、渋川さんが16分。かなり接戦。
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………………
かなり考えてるわね。5分経ったわよ。
「こ、これしかないみたいね……5三馬……ッ」
飛車金当たり……でも4一飛と逃げればOK。
4一飛、5六桂、4三金引、6三馬。
うッ……2七の地点を受けられてしまった。
しかも先手は攻めの橋頭堡を築いている。
まだまだ楽観はできないか。
7一飛、4四歩、4二金引、3七桂。
あうあう、桂馬すら取れない。1九成桂とはできないし、完全な空振り。
「4七歩成ッ!」
成桂は放置するしかない。私は、と金を作った。
これだって厳しいでしょ。
「3三歩……ッ」
これも厳しいッ!
同銀、2五桂。アッと言う間に攻め込まれてしまった。
えーい、2六の銀を狙うわよ。
「5九馬」
「3三桂成」
同金右、3五銀。
ぶつけてきた。
私はここで考える。
これは同銀と取ったら、3四歩、同金、4三銀でしょうね。後手崩壊。
つまり取れないから……攻めるしかないか。
うまく攻められそうな場所というと……5五桂とか? 5五桂、3四銀、6七桂成、3三銀成、同金、6七金。ここで9七銀が必至……にはさすがになっていない。でも、7六飛と切ることもできるから、先手の入玉は消滅。あとは私が寄せられなければ勝ち。
5五桂に6八金引と逃げるのは、5八とで加速する。というか、このままだと4七飛と寄られちゃうから、5五桂は必須ね。迷う余地がない。
「5五桂」
私の桂馬打ちに、渋川さんは顔をしかめた。
「や、やっぱり気づいたのね……嫌な女……ッ」
あなた年下でしょ。しばくわよ、まったく。
渋川さんは、ここでも5分使って長考。
3四銀、6七桂成、3三銀成、同金、6七金、9七銀。
ほらほらほら、これは寄りそうなんじゃないの。
「8八金……ッ」
どうやら、受けを考えていたらしい。
受かってる? 今度は私が考える番だ。
同銀成……いや、それはおかしい。同玉、5八とは遅い。となると、銀を見捨てて先に5八と、9七金、6九馬、8八玉、7八金、9八玉、6八とが正しいわね。これが……これが一手スキか。私の攻めは速くない。
そこで先手がどう寄せてくるか。いろいろ考えられる。いきなり詰めろになる手は、ないと思う。4五桂と露骨に打っても詰めろじゃないし、5四馬と引くのも詰めろじゃない。先手も最善で一手スキでしょうね。
私は見落としがないように、よく考えた。
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………………
あれ、詰めろが一個あるわね。4三歩成だ。
(※図は香子ちゃんの脳内イメージです。)
6七とに3三と、同桂、3四桂、3二玉、5四馬、4三歩、2二金、4一玉、4二銀、5二玉、6三銀、6一玉、6二銀まで。詰む。4三歩のところで4三金は、4二金、2一玉、4三馬、1二玉、2二金まで。やっぱり詰む。3三とに同玉も、4四銀、3二玉、4三銀打以下、並べ詰み。上に逃げても一緒。
そっか、詰めろは残ってるのか。だったら、4三歩成には同金の一手だ。これはなんだか危ない気がしてきた。長年将棋を指してる勘が、そう囁いている。
4三同金……4三同金……2四歩?
(※図は香子ちゃんの脳内イメージです。)
これが詰めろになってる可能性はある。
ただ、取ってもダメなような……2四同歩、2三歩、同玉……4五馬、3四歩、3五桂、3二玉(2二玉は2三銀、3一玉、3二銀打、4二玉、4三桂成、5一玉、5二金まで)、2三銀、4二玉、4三桂成……こんなの詰むに決まってるわね。4五馬に3二玉、2三銀、4二玉……詰まないけど、4四歩がさすがに詰めろか。6七との暇がない。
もしかして、2三歩に同玉と取らない方がいい? 3二玉、4四歩、3三金、4三銀、2三玉、3五桂、2二玉、2三銀、同金、同桂成、同玉、3四銀打……うわぁ、詰む。これはマズい。本格的にマズい。
私は、あれこれ考える。結論として、2四歩に同歩はダメなようだ。仮に詰まなくても、6七とが入っていないから速度負けしてしまう。ということは、先に6七とを入れて、2三歩成以下で詰まなければいいのよね。
詰まないといいけど……ピッ。
ああ、ここで1分将棋。私は56秒まで考えて、5八とと入った。
9七金、6九馬、8八玉、7八金、9八玉、6八と。
私はそれぞれ56秒ずつ考えて、打開策がないかを探った。結果、なし。
渋川さんが気づかなかったら助かるんだけど……。
「よ、4三歩成……ッ」
ダメか。気づいたらしい。
同金に2四歩。
6七と、2三歩成、同玉に、渋川さんがどう出るか。
真っ先に考えられるのは3五桂だけど、これは2四玉、1五銀、3五玉、3六銀、3四玉と逃げて、4五銀、3三玉、2四銀打、2二玉、2三歩、1二玉はギリギリ詰まないはず。先手は完全な受けなしだ。
ピッ、ピッ、ピッ、ピーッ!
「6七とッ!」
私は詰まない方に賭けた。
どうせ6七と以外は負け。
「詰ます詰ます詰ます……ッ」
渋川さんは爪を噛みながら、59秒ギリギリまで考える。
そして、2三歩成と成った。
私はノータイムで同玉。
3五桂ではなく、2四歩の叩きが飛んでくる。
これは……引いたらダメなの? 2二玉、2三銀、3三玉、4五桂、2四玉、1五銀、2三玉、2四歩、3二玉、2三銀、4二玉。これで詰まない。3三玉に3四銀とされても……同金、同銀成、同玉、3五歩、3三玉、3四金、4二玉、4三歩……あ……れ……?
ピッ、ピッ、ピッ、ピーッ!
「同玉ッ!」
え? 詰んでた? 2二玉は、なんか詰んでた気がする。
1五銀、3三玉、3四歩……そうか、金を取られると高確率で詰む。カラクリが分かった私は、金を取られない方向で読みを進めた。4二玉、5四桂、3一玉、6四馬、5三歩、4二銀。
ここは……ここは金を渡しても、いいわね。同金。
「な、なんで詰まないの……ッ」
指運、かな。正直、途中で詰んでも全然おかしくなかった。
以下は同桂成、同玉、4三歩、同玉、4四歩、3二玉、4三金、2二玉、2三歩、1二玉と進んで、詰まないことが確定した。私は胸を撫で下ろす。
「こんなポッと出の女に……負けました……ッ」
やったぁ。2回戦突破。
「ありがとうございました」
「さ、最後、ほんとに詰まなかったの?」
「うーん……詰んでたかもね」
プレッシャーをかけてみる。
「4四歩のところで4四銀と打ったら?」
【参考図】
「3四玉なら詰むけど、3二玉だと詰まないわ……ッ」
3二玉、3三金、4一玉……確かに。
逃げる方向さえ間違わなければ詰まない。
「じゃあ、5三歩の時点で詰みなしね」
「うぐぐ……どうしてこんなことに……ッ」
「中盤、4五歩を同歩って取れば良かったんじゃない?」
私たちは、中盤まで局面を戻した。
【参考図】
「きゅ、9五歩、同歩、8五桂が嫌だったわ……ッ」
「具体的に進めたら、難しくない?」
「も、もちろん考えたわよ……でも、7四歩、同歩、7三角、8一飛、6四角成、9七歩、8六歩、9五香以下、どうみても入玉できないでしょ……ッ」
別に入玉を目指さなくてもいいと思うんだけどなあ。
まあ、9筋に成香ができたら終わりっていう感覚には同意できる。
かなり気持ち悪いから。
「それはそれで一局だと思うわよ。例えば、9五香、8五歩、9八歩成、同香、同香成に、そっちは何を指すの? 7四馬? 4四桂?」
「7四馬、4三金右、8四歩を読んでたわ……ッ」
私は、渋川さんの言った順を頭の中で追う。
……んー、やっぱり難しいような。
「どちらにせよ、こっちが一方的に攻められてダメだわ……ッ」
渋川さんサイドからみると、反撃できそうにないからキツいのか。
角打ちがあるせいで、飛車も動かせないし。
「とはいえ、こっちも具体的な手が……5四角とでも打つ?」
【参考図】
私は角を置いた。
「これが面倒なのよね……ッ」
渋川さんは10秒ほど考えて、8七銀と引いた。
8七銀に代えて6五歩なら8九成香、同玉、6六桂かな。
あるいは先に4五角で、拠点を払うのもありね。
「8七銀に4五角は、9八銀だから……8九成香、同玉、4五角?」
「それは私の方が助かってると思うけど……ッ」
そうかしら?
渋川さんとの間に棋力差は感じられないけど、読みが全然合わない。
特定の局面に対する評価が違い過ぎる。
「ご、5四角じゃなくて、5五角もあると思うわよ」
【参考図】
1八飛、6六角、7七歩、8四角……これもありか。
8四角のところで強く8四飛、同馬、同角もありそう。
次に2七角と打てれば、左右挟撃に持ち込める。
「これも一局みたいね」
渋川さんはそう言って、ちらりとサイドを見た。
ギャラリーが、私たちの感想戦を待っている。
時刻は、既に12時を回っていた。
「も、もうお昼だし、これくらいにしましょう」
「そうね……ありがとうございました」
「つ、次であっさり負けたら、赦さないんだからね」
はいはい、了解。
席を立った私の肩を、冴島先輩が叩いた。
「すげぇじゃねえか、2回戦突破だぜ」
「香子ちゃん、やるぅ」
数江先輩もガッツポーズ。
「いえいえ、たまたまです」
裏見香子、絶好調。
3回戦のお相手は、だれかしら?
場所:2014年度 H県高校竜王戦 個人戦女子の部 2回戦
先手:渋川 みどり
後手:裏見 香子
戦型:後手一手損角換わり
▲7六歩 △3四歩 ▲2六歩 △8八角成 ▲同 銀 △2二銀
▲3八銀 △3三銀 ▲7七銀 △6二銀 ▲3六歩 △6四歩
▲3七銀 △4四歩 ▲6八玉 △6三銀 ▲2五歩 △5四銀
▲2六銀 △4五銀 ▲3五歩 △8四歩 ▲3四歩 △同銀引
▲5八金右 △3二金 ▲4六歩 △5二金 ▲6六歩 △3五歩
▲7九玉 △4二玉 ▲7八金 △3一玉 ▲7五歩 △2二玉
▲9六歩 △9四歩 ▲1六歩 △9三桂 ▲7六銀 △4五歩
▲7四歩 △同 歩 ▲7三角 △8一飛 ▲6四角成 △4六歩
▲7四馬 △4三金右 ▲7七歩 △9五歩 ▲同 歩 △8五桂
▲2四歩 △同 銀 ▲8六歩 △9八歩 ▲同 香 △9七歩
▲同 桂 △同桂成 ▲同 香 △7一飛 ▲5二馬 △9六歩
▲4四歩 △同 金 ▲9六香 △3六桂 ▲1八飛 △2七角
▲1七飛 △4九角成 ▲6七金右 △2八桂成 ▲5三馬 △4一飛
▲5六桂 △4三金引 ▲6三馬 △7一飛 ▲4四歩 △4二金引
▲3七桂 △4七歩成 ▲3三歩 △同 銀 ▲2五桂 △5九馬
▲3三桂成 △同金右 ▲3五銀 △5五桂 ▲3四銀 △6七桂成
▲3三銀成 △同 金 ▲6七金 △9七銀 ▲8八金 △5八と
▲9七金 △6九馬 ▲8八玉 △7八金 ▲9八玉 △6八と
▲4三歩成 △同 金 ▲2四歩 △6七と ▲2三歩成 △同 玉
▲2四歩 △同 玉 ▲1五銀 △3三玉 ▲3四歩 △4二玉
▲5四桂 △3一玉 ▲6四馬 △5三歩 ▲4二銀 △同 金
▲同桂成 △同 玉 ▲4三歩 △同 玉 ▲4四歩 △3二玉
▲4三金 △2二玉 ▲2三歩 △1二玉
まで136手で裏見の勝ち