(2)ライオンになる少女
「ガオー、ガオー」
桐野さんは爪を立てて、ライオン(?)の鳴き真似をする。
えーい、初対面だったら運営に通報ものよ。だまらっしゃい。
「6七金」
とりあえず王手回避だ。
「3六歩としまぁす」
桂頭を攻めてきた。
これは金交換をして上部が空いたからかわせる。
「2五桂」
桐野さんは、速攻で3七歩成。
2五同桂、同歩、3六銀は、遅いとみた?
4六飛、5四歩(痛い)、3三桂成、同銀。
「6六桂」
次に7四桂と跳ねて、7二玉、6四歩を目指す。
「王様を逃げまぁす」
桐野さんは、9二玉と寄った。
そっち? 自分から棺桶に入りに行ってるような……7四桂が詰めろ……。
「6四銀」
まずは、こうでしょ。銀を逃げて一石二鳥だ。
「えへへぇ、やっぱり肉食系ですぅ。突っ込んできましたぁ」
変な表現しない。
「7一銀なのですぅ」
まーた、よく分からない手だ。
っていうか、5一金がみえるんだけど、誘いの隙?
5一金に7二角なら4三飛成、2六飛、3三龍、5五桂……ん? 5五桂は詰めろ? 仮に4二龍として、6七桂成、8八玉、7八成桂、9八玉、8八金、同銀、同成桂、同玉、7八金、9八玉……詰んではいないか。ただ、速度負けしてるわね。7七成桂と銀を取るのがいきなり詰めろで、同桂は8九銀、8八玉、7八角成で詰む。かといって、同桂と取らないで有効な手があるわけでもない。
となると、5五桂以下、一直線の攻め合いは先手負けか……さっきは途中で2六飛を挟んだけど、それも必要ないわけね。後手の飛車は寄せと関係していない。ますますこっちが不利だ。
じゃあ、5一金、7二角、4三飛成、5五桂、同銀だと?
(※図は香子ちゃんの脳内イメージです。)
当然の同歩に3三龍、2六飛、6四桂、4五角右……あ、これが詰めろか。4二龍、8二銀、4五龍、同角と、角を1枚抜くことはできるけど、7二成桂、2八飛成、6八金上、2九飛(詰めろ)、6九銀、4七とが厳しい。8二成桂、同玉、7四桂、7二玉のとき、後手玉に詰めろは掛からない気がする。一応、6二桂成、同玉、1七角、同龍、同香と、龍を消すことはできる。でもそれは、3四角打が詰めろ+5二飛の防止になるから、根本的な解決になっていない。
……………………
……………………
…………………
………………
え? 1二角+9二玉って、そんなにいい手なの?
どっちもトリッキーに見えたんだけど……そんなバカな……。
私はいろいろ読み直した。だけど、どれも先手の方が遅い。
というか、5五桂が速過ぎるのだ。
チェスクロを確認すると、残り2分。
「……5六歩」
5五桂を防止する。
「うにゅぅ? 5一金としてくれないんですかぁ?」
しません。
桐野さんはゆらゆらしながら考える。桐野さんは長考していないようにみえて、意外と時間を使う。変な動きをしていることが多い。残り5分。
「……4七金ですぅ」
それは予想済みッ! ここで5一金ッ!
7二角なら4三飛成で、4七の金が空振りになる。
桐野さんもそれは承知で、4六金、6一金の取り合いになった。
「5六金ですぅ」
ぐぅ、これが詰めろ。
「同金ッ!」
「同角ですぅ」
「6七金ッ!」
その瞬間、桐野さんの顔がパッと明るくなった。
「これを見落としてるのですぅ。ごーななひしゃあ」
……ああッ!
「と、取れない……」
「5六金なら6七金、8八玉、5九飛成が詰めろですぅ」
うぅ……こんな好手があったとは……。
6八金上、6七角成、同金、5八飛成、6八角、6九金。
な、7一金の暇がない。っていうか、7一金が詰めろになってない。
「……7九角打」
最後まで粘る。左右はまだ指しているのだ。
同金、同玉、7八金(!)、同玉、6九角、7九玉、6七龍。
6九玉と取っても、7八金、5九玉、4七桂、4九玉、6八金が詰めろ。
「……負けました」
「ありがとうございましたぁ」
急転直下の敗戦。桐野さんの寄せが鮮やか過ぎた。
まさか金捨てても寄るなんて……速度計算間違えたっぽい。
「最後、先に5一金の方が、粘れたかもですぅ」
桐野さんは、感想戦を始めた。
私も気を取り直して、お茶で一服。
「5一金は、7二角、4三飛成、2六飛、3三龍、5五桂の予定?」
「だいたいそんな感じですぅ」
「どこがおかしかった? 6六歩が悪手?」
私が尋ねると、桐野さんは思い出すように天井を見上げた。
「うにゅにゅ、あそこは難しいのですぅ」
「6六歩から1二角までは一直線でしょう?」
途中で変化できる気がしない。
「8二玉と寄らなくても勝てるかどうかは、分かりませぇん」
んー、確かに。
本譜をみる限りでは、8二玉は好手。
ただ、必要かどうかと言われると、判然としない。
「いきなり5五歩は?」
私は、局面を戻した。
【参考図】
同金、同金、同銀、1二角、6七金、3六歩、2五桂、3七歩成、4六飛。
さて、6五歩の有無と王様の位置の違いが、どう出るか。
「5四歩ですぅ」
「3三桂成、同銀……あれ? 6四銀とできない?」
「それは6三歩でバイバイなのですぅ」
銀挟みの典型になっている。
「3三桂成とせずに、すぐ5四同銀だと?」
「2五桂、4三銀成、4五金で、成銀を抜けまぁす」
ぐぅ、そうなるのか。
4三銀成のところで2五同歩は、5五桂と打たれて終わりっぽい。
「じゃあ、なんで8二玉って寄ったの?」
「石橋を叩いて渡ったのとぉ、5五歩に6七銀が気になったのですぅ」
【参考図】
「8二玉としておけば、6七銀には7二角がありまぁす」
7二角〜3六歩か。なるほど、これは先手がキツい。
8二玉は単なる早逃げかと思ったけど、違うのね。
「もっと前から悪かった? 5九金寄がヌルかったとか?」
「5九金寄しないとぉ、4九角の隙が生じるのですぅ」
実際に検討するため、私たちは局面を戻した。
「すぐ4六金打は?」
【参考図】
2四銀、1六歩、3三桂、5六銀、5四歩、3六歩。
6四歩と突いてないのがポイント。影響や、いかに。
「本譜と同じようにやってみるのですぅ。5三金ですぅ」
3七桂、4四金、4八飛、4三歩。
【参考図】
んー、よく分からない。
5九金寄は4九角の打ち込みを防止した手だけど、この順では発生しないわね。
「6六歩かしら?」
「5五歩ですぅ」
同金、同金、同銀、1二角、6七金、3六歩、2五桂、5四歩、3三桂成、同銀。
私は5五の銀に指を添えて、軽く首をかしげた。
「ん……逃げる場所が……」
「4六銀と引くくらいですぅ」
2六飛と走られて終わりか……6五歩がないと、攻めが成立しないっぽい。
「そっちに1手指してもらったほうがいっか……じゃあ5九金寄は必要ね」
「途中の変化もいろいろあって難解だと思いまぁす」
桐野さんは、断定を避けた。
「他には……」
「負けました」
1番席から声がした。
振り返ると、椿油のキャプテンらしき子が頭を下げている。
「負けました」
ほとんど同時に、3番席の椿油選手も投了。
おっと、これは。
「ふえぇ……負けちゃったのですぅ……」
桐野さんは、なんだかよく分からない顔をした。
悲しそうでもあり、どうでもよさそうでもある。
「2回戦がありますので、終わったところから休憩に入ってください」
運営の声。1日4回戦だと、慌ただしいわね。
「私たちの分も頑張るのですぅ」
「ありがと」
こうして、感想戦は自然とお開きになった。
冴島先輩と歩美先輩も、しばらくして席を立つ。
「いやぁ、勝った勝った」
冴島先輩は上機嫌。
「次はどこなんですか?」
私の質問に、八千代先輩は眼鏡を上げ下げする。
「次は鎌鼬高校です」
神崎さんのところか。知り合いと連続で当たってるわね。
「強いんですか?」
「椿油よりは、よほど強豪です」
「ま、ソールズベリーなんかに当たらないだけマシよね」
と歩美先輩。あいかわらずチーム戦は飄々としている。
明日の個人戦に備えて手抜くとか、止めてくださいよ。
「駒桜の面子は、ここにいたか」
独特の口調。これは間違いなくアノ人ですね。
「香子殿、お久しぶりだ」
「忍ちゃん、こんにちは」
次に当たる学校とばったり出会ったのは、なんだか気まずい。
私が言葉を探していると、神崎さんのうしろから2人の女の子が顔を出した。
ひとりは、マスクをした怖そうな少女で、手にレザーグローブを嵌めていた。
もうひとりは、少年かと思うほど凛々しい天然ウェーブの子。
ふたりとも、鎌鼬のセーラー服を着ている。
「紹介しよう、こちらが雨宮潤殿、1年生だ」
神崎さんは、先にマスクの子を紹介した。
「オッス」
雨宮さんは、両手でチェーンのようなものを握り締め、胸元で引っ張った。
な、なんですかこの人は……レディースかなにか? 番長って感じ。
「は、はじめまして」
「こちらは、前空静殿、同じく1年生だ」
「……」
前空さんはニッコリ笑って、それっきり。
「はじめまして、私は裏見よ」
「……」
返事をせんかい。
「すまぬ、静殿は無口でな、3年に1度くらいしか喋らぬ」
どういう人なんですかッ!? 学校生活が送れないでしょッ!?
「類は友を呼ぶ……」
と飛瀬さん。あなたも十分変でしょ。
私が内心突っ込んでいると、前空さんは飛瀬さんに向き直った。
あ、ヤバい、怒らせた?
「あ……え……はい……」
飛瀬さんは、いきなり声を発した。
前空さんは、あいかわらず黙っている。
「……」
「えーと、それはね……まあ、そういう……」
「……」
「私は補欠だから……また今度……」
??? 飛瀬さんのスーパー独り言タイム。
「あと5分で2回戦を始めます。準備をお願いします」
運営の声に、神崎さんは「ふむ」と漏らした。
「そろそろだな。潤殿、静殿、参るぞ」
「ういーっす」
「……」
3人は、そのままブースに帰って行った。
「飛瀬さん、さっきの一人芝居は、なに?」
私が尋ねると、飛瀬さんは首を捻った。
「一人芝居、とは……?」
「初対面相手に、へんな独り言呟いちゃダメでしょ」
「え……先に話しかけられたのに……?」
前空さんが、いつ話しかけたのよ。
テレパシーじゃあるまいし。
「とにかく、他校の前では、もう少しネタを押さえ気味に……」
「選手の人は、着席してください」
くッ、説教の最中なのに。
「よっしゃ、気合い入れていくぞ」
「ほどほどにね」
対照的な冴島先輩と歩美先輩は、先にブースを出た。
私も慌ててあとを追う。
「それでは、選手発表と参ろう」
神崎さんは、先に着席していた。
私も椅子を引き、オーダー表を取り出す。
ただ、順番はもう分かってるのよね。八千代先輩による偵察の成果。
「拙者から参るぞ。鎌鼬の一番席は拙者だ」
「1番席、冴島」
「二番席、雨宮潤殿」
「2番席は私」
「三番席、前空静殿」
「3番席、駒込」
これは、うまくハマったんじゃない?
1番強い神崎さんに、冴島先輩を当てることができた。
私と歩美先輩で2勝の構図。
ひとつ問題があるとすれば……。
「うっす、よろしくお願いしやす」
この雨宮って子の実力だ。
鎌鼬市の個人戦代表は神崎さんだから、それより強いってことはないはず。
ま、用心するに越したことはないでしょう。
私たちは2番席に移動して、駒を並べる。
……ちょッ! なんで右手にメリケンサック嵌めてるんですかッ!?
「ごめん、それ危ないから外してくれない?」
「あとで外します。対局中は邪魔になるんで」
だったら最初からしてくるなッ!
チェスクロをセットしたところで、雨宮さんは凶器を仕舞った。
なんかなぁ……肉弾戦とか仕掛けてこないでよ……。
鎌鼬が体育会系の学校なのは有名だけど、さすがにこれはない。
「振り駒をお願いします」
運営の指示。
「では、拙者が振ろう」
さっきから全部自分でやってますね。やりたがり。
神崎さんは歩を掻き混ぜて、華麗に空中へと放った。
「……鎌鼬、偶数先だ」
「駒桜市立、奇数先」
私が後手か。
八千代先輩情報によると、相手は居飛車党。
戦法の選択肢は私にある。
「対局準備の整っていないところはありますか?」
会場内は、開始直前の静寂に包まれる。
「では、対局を始めてください」
「よろしくお願いします」
「おなしゃーす」
私がチェスクロを押して、ゲームスタート。
「7六歩」
「8四歩」
角換わりか矢倉に誘導する。横歩は拒否。
「受けて立ちます。2六歩」
雨宮さんは、角換わりを選択した。
8五歩、7七角、3四歩、8八銀、3二金、7八金、7七角成、同銀。
めちゃくちゃ普通の角換わり。一手損ですらない。
2二銀、3八銀、7二銀、4六歩、6四歩、1六歩、1四歩、9六歩、9四歩。
お互いに端歩を突き合う。
6八玉、6三銀、3六歩、4一玉、3七桂、5二金、4七銀。
ちょっと変則的になったかな。最終的には腰掛け銀に合流しそうだけど。
3一玉、5八金、5四銀、5六銀、4四歩、7九玉。
ほらね。このあたりはだいたい形だから、お互いに指し手も速い。
3三銀、6六歩……入城しときますか。2二玉。
私は顔を上げて、お茶のペットボトルに手を伸ばす。
すると、駒桜の応援メンバーと目が合った。
他人に将棋を観られるのって、変な感じ。
おじいちゃんとマンツーマンで指す癖がついてたからかな。
ま、集中し始めたら、そのへんはまったく気にならない。
「同じく入城します」
雨宮さんは、8八玉と入る。
4二金右、7五歩。
7四歩不突きを咎めにきましたか。それも想定の範囲内。
ここから6二飛と回りましょう。6七金右や6八金右には、すぐさま6五歩と仕掛けて、同歩、同銀、同銀、同飛、8二角に4七角の返し技がある。以下、9一角成と香車を拾われても、3六角成、2五桂、2四銀のあとが続かない。8一の桂に紐がつくのもグッド。
「6二飛」
私の飛車回りに、雨宮さんは目を細めた。
「そう来ますか……」
なにか文句でも?
「うち、殴り合いはあんまり好きじゃないんですよね」
「え? そうなの?」
思わず訊いてしまった。マズいマズい。
「こう見えても公僕なんで……」
??? こうぼく? 木かなにか?
「とりあえず7六銀と受けます」
あ、受けてくれるんだ。
じゃあ8二飛。今度は8六歩を狙う。
「それも受けます。7七角」
これは当然か。
角を手放させたのはポイントだけど、こっちから攻める手もなくなった。
ここまでは五分って感じかな。どうしたものか。
「……3一玉」
私は手待ち+角筋からの回避を選択した。
雨宮さんは、4八飛と回る。今度は私が受ける番だ。4三金直。
「簡単には攻めさせてくんないっすよね……5九金」
これは……6八飛の準備か。3九角は5八飛〜4九金で角が死ぬ。
さっきから、飛車がちょこちょこ動いて騒々しい。
……6八飛なら、3一玉は逆に位置が悪いわね。
ただ、ここでいきなり2二玉と戻ってもいいものか。4五歩、同歩、同銀、同銀、同桂、4四銀、3五歩、3七角、4九飛、2六角成、3四歩、4八歩……大丈夫そうね。4三金直で厚くした分、守備力が増しているようだ。3五歩の代わりに6五歩でも同じだと思う。
だったら、6八飛と回られないように挑発してみる価値はありそう。
「2二玉」
「6八飛」
挑発は意味がなかったみたい。
なかなか冷静ですね……頭に血が昇りやすいタイプではないわけか……。
さーて、どうやって受けたもんかしら?
場所:2014年度 全国高等学校将棋トーナメント 団体戦女子の部1回戦
先手:裏見 香子
後手:桐野 花
戦型:佐藤流ダイレクト向かい飛車
▲7六歩 △3四歩 ▲2六歩 △8八角成 ▲同 銀 △2二銀
▲4八銀 △3三銀 ▲6八玉 △2二飛 ▲6五角 △7四角
▲4三角成 △4二金 ▲6一馬 △同 玉 ▲7八玉 △6五角
▲7七銀 △3五歩 ▲4六歩 △2四歩 ▲5八金右 △4三角
▲4五歩 △7二玉 ▲4七銀 △7四歩 ▲5六銀 △2五歩
▲4四歩 △6一角 ▲2五歩 △同 飛 ▲2六歩 △2二飛
▲4五銀 △6二銀 ▲5九金寄 △6四歩 ▲4六金 △2四銀
▲1六歩 △3三桂 ▲5六銀 △5四歩 ▲3六歩 △5三金
▲3七桂 △4四金 ▲4八飛 △4三歩 ▲6六歩 △8二玉
▲6五歩 △5五歩 ▲同 金 △同 金 ▲同 銀 △1二角
▲6七金 △3六歩 ▲2五桂 △3七歩成 ▲4六飛 △5四歩
▲3三桂成 △同 銀 ▲6六桂 △9二玉 ▲6四銀 △7一銀
▲5六歩 △4七金 ▲5一金 △4六金 ▲6一金 △5六金
▲同 金 △同 角 ▲6七金 △5七飛 ▲6八金上 △6七角成
▲同 金 △5八飛成 ▲6八角 △6九金 ▲7九角打 △同 金
▲同 玉 △7八金 ▲同 玉 △6九角 ▲7九玉 △6七龍
まで96手で桐野の勝ち