(1)忍ばない少女
「うわぁ……奇麗……」
それが、私の第一声だった。
ここはH市の総合文化センター。
地方都市の駒桜とは、比べ物にならない広さだ。
磨き上げられた板張りの床と、真っ白な壁に、照明の光が反射する。
テーブルは、駒桜の大会で使ってるような茶色の長机じゃなくて、もっとどっしりとしたキャスター付きの代物。うーん、ひとつ失敬したいわね。
さすがは県庁所在地って感じ。
「裏見さんは、ここ初めてですか?」
つじーんが尋ねてきた。
「初めてよ」
「僕は県大会でなんどかお世話になってます」
なんですか? プチ自慢ですか?
「ところで、オーダーはどうなってるの?」
なんの相談も受けてないんだけど。
「それは先輩方がやってくれますよ」
上級生に丸投げか……楽でいい。
「駒桜の選手、集まってください」
蔵持くんの号令で、私たちは一ヶ所に集まった。
メンバーは、十傑の千駄先輩、姫野さん、菅原先輩、つじーん、スネ夫先輩、歩美先輩、くららん、三宅先輩、久世先輩、そして私。他には、新しく副会長になったサーヤと、甘田さんの姿もある。サーヤは引率役みたいだけど、甘田さんは自費かしらん。あ、それと、市の代表幹事として八千代先輩も参加していた。八千代先輩は、運営席にいる。
「えー、今日は四市対抗オールスター戦です。引率は新会長の僕と、副会長の鞘谷さんですが、オーダーなどは千駄前会長、姫野前副会長を中心に行いますので、その点はよろしくお願いします」
まあ、1年生じゃ勝手が分からないわよね。
くららんのスピーチが終わったところで、千駄前会長は前に出た。
「おはよう、今からオーダーを回すから、各自チェックしてくれ」
千駄さんは、プリントを配った。
大将 三宅
副将 辻
三将 菅原
四将 裏見
五将 千駄
六将 久世
七将 姫野
八将 蔵持
九将 駒込
十将 幸田
へぇ、こうなってるんだ。
意図がよく分からない。
「いろいろ注文はあるかもしれないが、オールスターは交流戦だ。並びにこだわっても仕方がない。各人の努力に期待するよ」
丸投げされた仕事が、再び私たちに返ってきた。
「初参加の人のために、ルールをもう一度説明するよ。10名登録の7名出場。勝ち星の多いチームが勝ち。当たり前だね。千日手は指し直し1回まで。2回生じたときは引き分け。持将棋は24点法で引き分け。そして、これが特殊なんだけど、登録選手は必ず1回は出なくてはいけない。ベンチになるんじゃないかと心配する必要はないよ」
それは、あらかじめ送られてきたメールで知っている。
10人中7人っていうのもすごいし、最低出場回数が定まっているところをみると、お祭り的なイベントなんでしょうね。会場の雰囲気も緩い。違う学校同士でも、将棋を指したり雑談したり、和気あいあいとしていた。
「なにか質問はあるかな?」
千駄さんは、私たちをぐるりと見回した。
すると、菅原先輩が挙手した。
「1回戦の相手は、まだ決まってないのか?」
「まだみたいだね」
「さっき籤引いてただろ?」
「本榧高校がまだ来てない」
千駄さんの答えに、菅原先輩は軽く舌打ちをした。
「偏差値高いからって遅刻していいと思ってんのか」
県立本榧高校は、この周辺だと一番の進学校だ。
「まだ定刻じゃないからね。ほかに質問がないなら、ゆっくりしといてくれ」
こうして、ミーティングは終わった。
なにも中身がなかったわね……あ、お茶買うの忘れてた。
「自販機のある場所、誰か知ってます?」
「それなら廊下の左にあるよん」
「ありがとうございます」
甘田さんに教えてもらったとおり、私はホールを出て廊下を左に曲がった。
……あった。私は150円を投入して、緑茶を購入。
きびすを返そうとしたとき、ふと他校の女子が現れた。
この典型的なセーラー服は……獄門だ。うわぁ、ちょっと怖いかも。獄門は、いろんな意味で有名な学校だ。超スパルタで、体罰なんかも普通にあるとかないとか。スポーツの強豪だし、種目によっては全国に名が轟いている。
私がそばを通り過ぎようとした瞬間、少女は振り返った。
「おぬし、市立の生徒だな」
……はい?
妙な言い回しに、私は思わず立ち止まってしまった。
「そ、そうですけど」
「見かけぬ顔だな。新入りか」
……えぇ、なに、この人。
語調がすごく変。
ただ、美人だし、目つきが鋭いだけで、他に特徴は……あ、ポニテ。
むむむ、ポニテなら私も負けないわよ。
この裏見様のポニーテールをご覧なさい。
「どなたですか?」
私は強気に出る。
「これは失礼した。拙者は獄門の神崎忍と申す」
……は? 拙者って言った? 時代劇ごっこかなにか?
「一年生だ。貴殿の学年は」
「私も1年生だから、もうちょっと普通に喋ってくれない?」
「普通と言われてもな……拙者はこれが普通だ」
んなわけないでしょッ!
一人称が拙者の女子高生なんて、いてたまりますかッ!
「あのさ、いくら初対面でも……」
「あら、忍ちゃんじゃない」
廊下の向こう側から、歩美先輩が現れた。
神崎さんも、そちらに向き直る。
「これはこれは、市立の駒込殿、お目にかかれて光栄だ」
「忍ちゃん、最近調子はどう?」
「忍術学校も卒業し、いよいよ順風満帆といったところ」
「将棋は?」
「将棋もそこそこに」
「当たったら、よろしく」
「こちらこそ、よろしく仕る」
歩美先輩はそれだけ言って、さらに奥へと消えてしまった。トイレっぽい。
「失礼。して、なんの話だったかな?」
「ニンジュツ学校って、なに? 中学校の名前?」
「国立の忍者養成機関だ」
「ニンジャ? ……漫画とかに出てくる忍者じゃないわよね?」
「その忍者だ」
……もはや意味が分からない。
忍術学校? 忍者? ……んなわきゃーない。
歩美先輩は動じてなかったけど、ふたりしてからかったんじゃないでしょうね。
ありうるから困る。
「ごめん、そろそろ戻るわ」
「それは残念だ。同じ一年同士、あとで携帯番号など交換しよう」
遠慮させていただきます。
自称忍者とか、怪し過ぎる。変な勧誘のメール来そう。
私はその場から、そそくさと逃げ出した。
会場にもどると、知らない生徒が増えていた。
「本榧の到着ですか?」
私は菅原先輩に尋ねた。
「みたいだな。あと5分で始まるぞ」
まあまあ、落ち着きましょう。
宮本武蔵も遅れて来たしね。頭に血が昇ったら終わり。
「それでは、対戦校を発表します」
遠くのホワイトボードに、張り紙がされた。
うーん、見に行ったものか……あんまり混雑してもしょうがないし……。
私は諦めて、駒桜のブースに待機した。
しばらくして、くららんがメモ帳片手に戻ってきた。
「最初は鎌鼬市ですね」
鎌鼬か……さっきの子、出てるかしらん。獄門は鎌鼬市のはず。
当たらなければいいけど。
「時間が押していますので、すぐに開会式を行います。全校集合してください」
あらやだ、結構本格的。
と思いきや、整列もせずにバラバラ。
「選手代表、挨拶。椿油高校、桐野花さん」
「はぁい」
間の抜けた声と一緒に、ロングヘアの妖精系美少女が前に出た。
ほんわかな笑顔で、くるりとみんなの方へ向き直る。
「今日はぁ、北風さんがぴゅーぴゅー吹いててぇ、とっても寒いですぅ。でもぉ、みんなでぽかぽかするような将棋を指したいと思いまぁす。ちなみにぃ、お花は今朝、猫ちゃんとワンちゃんが、お庭で一緒にぬくぬくしてるのを見ましたぁ。とってもあったかそうだったのですぅ。お花も仲間に入れてもらおうと思ってぇ……」
えぇ……なにこれ……私はめちゃくちゃ動揺する。
「というわけでぇ、猫ちゃんをモフモフしてたらぁ……」
「す、すみません、挨拶はそのくらいで終わりにしてください」
「ふえぇ、ごめんなさぁい」
少女はそう言って、列に戻った。
この子、ヤバいんじゃない?
なんというか……すごく触れてはいけない感じがする。
「それでは、各市の代表者は、席についてください」
では、早速……あれ?
「結局、誰が出るんですか?」
私はキョロキョロする。
蔵持くんは、メモ帳を確認した。
「今から発表するね。一回戦の抜け番は、三宅先輩、久世先輩、幸田先輩です」
ってことは、私は出るわけか。
「ふむ、いきなり抜け番か」
久世さんは、腕組みをして唸った。
「すみません、応援をよろしくお願いします」
「なに、新入生のトレーニングも兼ねてるからな。俺はおとなしくしとくよ」
抜けた人は荷物番。
私は対局席へと向かう。
「えー、オーダー交換などはないので、そのまま着席してください」
適当ね。非公式戦だからかしら。
三宅先輩が抜けてるから、私は3番席……げッ!
「む、おぬしと当たったか」
なんでよッ!? 完全にフラグ立ってるじゃないッ!
「よろしく仕る」
「よ、よろしく……」
神崎さんは、用意された駒を並べ始めた。
この手付き……できる。
私も負けじと並べる。
「面識がないとはいえ、おぬしも十傑。初心者ではあるまい」
「……中学のときは将棋部じゃなかっただけよ」
「左様か」
この喋り方にも、だんだん慣れてきた。
「各列、振り駒をお願いします」
1番席のつじーんは、相手の怖そうなお兄さんに振り駒を譲った。
「……鎌鼬市、奇数先」
「駒桜市、偶数先です」
私は後手か……そっちの方が、相手の棋風がみれていいかも。初見だし。
情報収集しとけばよかったかしら。
「対局準備の整っていないところはありませんね? ……それでは始めてください」
「よろしくお願いします」
私は一礼してから、チェスクロを押した。
「9六歩だ」
……………………
……………………
…………………
………………
「どうした。拙者が先手番であろう」
「え、あ、はい」
私は3四歩と、角道を開ける。
神崎さんは、さらに4八銀としてきた。
……なにこれ、全然予想外の出だしなんだけど。
素人? ……なわけないか。鎌鼬市の十傑でしょ。鎌鼬がどれくらい将棋盛んなのかは知らないけど、十人目が初心者ってはずはない。いくらなんでも少な過ぎる。
私は用心しつつ、9四歩と突き返して、様子をみることにした。
「3六歩」
くぅ、もうわけ分かんない。
悩むのは止め。ぶっ潰す。
5四歩、3七銀、5二飛、6八玉、6二玉、7八玉。
飯島流引き角でもない……と。
7二銀、4六銀、7一玉、3八飛。
めちゃくちゃ単純な急戦ってわけね。なんとなく見えてきたわ。
私は3二金と備えた。以下、3五歩、同歩、同飛、8二玉と進む。
「駒組みに粗相はないようだな」
序盤で作戦負けして、たまりますか。
「こちらも守備を固めよう。5八金右」
ここで私は少考。
この神崎って子、早指しみたいね。全然時間を使ってない。
中飛車にした以上、こちらは5五歩と伸ばしたい。同飛も同銀もありえないから、先手はそれを甘受するしかないはず。そこでなにを指してくるか……7六歩かな?
いい加減に角道を開けてくるでしょ。
「5五歩」
「3七桂」
ぐッ……読みが外れた……けど、これって悪手じゃない? 3八歩で?
4五桂で歩を取りにきたら、4四歩と突いて桂馬を殺すことができる。3八飛、4五歩、3五銀は、こちらが有利だ。かと言って、2五に跳ねても同じ。2四歩がある。というわけで、3八歩〜3九歩成を許すしかないでしょ、先手は。
私は軽く頷いてから、3八歩と打ち込んだ。
神崎さんは、形のよい眉毛をぴくりとさせる。
「なんだそれは、取り切れるぞ」
「え?」
神崎さんの手が、9筋に伸びる。
え、角上がり? 3九歩成で?
私は読み直す。3九歩成、4五桂、4四歩……あッ! 5三桂成ッ!
しまった、角で桂馬をガードできるのか。変則的過ぎて気付かなかった。
となると、歩成りはできない。桂馬を突っ込まれてしまう。
……やるわね。こうなったら方針変更で、角を苛めましょう。9五歩とか。4五桂には4四角と上がって、5筋をガード……あれ? 3八飛? 歩を取られちゃう。
4四角と上がらずに、9六歩と取り込むのは? 8六角……8六角のあとが続かないか。ということは、3八歩は無意味……そんなバカな……この順を一瞬で読んだの? ありえない。だとしたら強過ぎる。
私はちょっと怖くなってきた。
「きゅ、9五歩」
とりあえず、歩を代償にして端を詰めに向かう。
4五桂、4四角、3八飛、9六歩、8六角。
ここで、私の方は手詰まりになってしまった。先手は次に3三歩がある。同桂、同桂成、同角、同飛成、同金、3一角成の強襲がモロ見え。
となると……5一飛。これで銀に紐をつける。
「やはり取り切りであったな。おぬしの急所は……」
神崎さんは、歩を手にする。3三歩かなあ……これは……。
ところが、歩はまったく別のところに置かれた。
端の逆襲……さっきから、全然手が当たらない……。
私は、チェスクロを確認する。私は22分、神崎さんは28分。
「時間は気にせずともよいぞ。拙者は10秒以上使わぬからな」
はあ? 舐めプですか?
あったまきた。こんなの全部受け止めてやるわよ。
こっちの駒はほとんど動かせないから、角を目標に。8四歩。
「大層危険な順に飛び込むのだな。9六香だ」
神崎さんは、端を完全に詰めた。
8五歩、9三歩成、同香、同香成、同玉、7五角、8二玉。
「9四歩だ」
「9二歩」
香車交換で、ムリヤリ攻め駒をゲットした。
「お互いに香車が手に入ったか……」
神崎さんは、親指で香車を器用に弾いた。
コイントスみたいに、駒が奇麗な放物線を描く。
「既に拙者の勝ちだな。いざ、寄せに参らん」




