235手目 結果を占う少女
「おい、艶田の魔女だぞ」
男子のひとりが、そう呟いた。
「えへへぇ、美沙ちゃん、遅かったのですぅ」
桐野さんは、嬉しそうに少女へと駆け寄った。
もしかして……あれが黒木さん?
黒木さんは三角帽子を脱いで、コートの雪を払う。
腰まで伸びたふたつのおさげが印象的で、すごくクールな顔立ち。
眼にも口元にも、あまり感情の火が灯っていない。
「イベントは、どこまで進んでいますか?」
「今はぁ、ロボットさんと戦ってるところなのですぅ」
「ロボット?」
黒木さんは、室内に視線を走らせた。
「……ああ、あの人ですか」
黒木さんは、ヴォナ子さんを一発で見抜いた。
「ひとまず、外套を掛けさせてください」
黒木さんは、近くにいたメイドに手伝ってもらう。
コートを脱ぐと、これまた真っ黒なセーターに真っ黒なスカート。
真っ黒なニーソックスで、靴も黒。
「下着も黒か?」
松平に蹴りぃ!
「いたた……蹴るなよ……」
まったく。
私が憤る中、黒木さんは姫野さんのところへ一直線。
左手をポケットに入れて、颯爽と歩く。
「遅れて申し訳ありません」
「いえ、こちらこそ。遠いところをよくいらっしゃいました」
知り合いか……やっぱり顔が広い。
「それでは、ヴォナ子さんのお披露目はこのあたりにして、黒木さんの……」
「お待ちください」
黒木さんは、姫野さんを遮った。
「私のショーは、このロボットを相手に行います」
「ヴォナ子さんを相手に……ですか?」
姫野さんの顔が、わずかに曇る。
「我が社の商品ですので、壊さないでいただきたいのですが」
「もちろん、その心配には及びません」
黒木さんは左手のポケットから、ようやく手を引き出した。
人差し指と中指の間に、一枚のカードが挟まれている。
雷に打たれた塔が、逆さまに描かれた図柄。タロットカード?
「ここに来る途中で占った結果、次の将棋は95手で終わると出ました」
……………………
……………………
…………………
………………
なにを言ってるんですかね、この人は。
「手数将棋*……それが今夜の出し物と考えてよろしいのですか?」
「構いません」
黒木さんの返事に、姫野さんも頷き返した。
「それでは、ヴォナ子さんと指していただきましょう」
「Hmm……95手で勝手に投了するというオチではありませんこと?」
ポーンさんは、半信半疑。
「そのようなことはしません」
黒木さんはそう返して、席についた。
「それではお客様、振り駒を」
ヴォナ子さんは、いつの間にか駒を初期位置に戻していた。
このへんはメイドさんっぽいけど、自分が指したいだけのような気もする。
黒木さんはしなやかな手付きで歩を集めると、手の中で軽やかに掻き混ぜた。
「歩が5枚です」
まだ振ってないでしょ。
黒木さんは、パッと歩を宙に放った。
「……歩が5枚、私の先手です」
ふえ?
「これは私にもできますねぇ」
うわッ! びっくりしたッ!
いきなり声をかけてきたのは、なんと猫山さんだった。
「猫山さん、なんでここに?」
「メイドの日雇い募集があったので、応募しちゃいました」
バイトですか。まったく、驚かさないでくださいな。
「ところで、さっきなんて言いました?」
「ニャハハ、なんでもないですよ」
誤摩化されてしまった。
「先手を引いちゃいましたから、勝つしかないんですよねぇ」
ん、猫山さん、それはどういう……あ、そっか。
95手で終わるってことは、黒木さんが勝つってことだ。
私が納得しかけたところで、ポーンさんはまた口を開いた。
「95手でわざと反則もなしですわよ」
「大丈夫です。ご心配なく」
そういう手もあるか……95手目にわざと二歩とかね。
でもでも、それが禁止となると、ほんとに勝たなくちゃいけない。
「なにか飲みたいものとか、ありますか? 給仕しますよ?」
猫山さんは、サービス精神旺盛。
今飲みたいもの……料理に合うもの……。
「ジャスミンティーのホットあります?」
「了解です」
猫山さんは、お茶を取りに広間から出て行った。感謝、感謝。
「えへへぇ、今から面白いクリスマスショーが観られるのですぅ」
「黒木さんって、桐野さんの後輩?」
「中学が一緒でしたぁ」
なるほどね。来年度高1なら、私たちとは2歳差か。
「それでは、対局準備が整いましたので、始めてください」
姫野さんの合図に従い、ふたりは頭を下げた。
黒木さんのおさげ、床につきそう。
「よろしくお願いします」
「よろしくお願い致します」
ヴォナ子さんがチェスクロを押すと、黒木さんは7六歩。
以下、3四歩、2六歩、4四歩と、再び振り飛車模様。
4八銀、4二銀、5六歩、5二飛。
なにこれ? 変則中飛車?
「美沙ちゃんをあんまりペロペロしない方がいいのですぅ」
「強いの?」
「県大会の常連さんなのですぅ」
そ、そのレベルか。
「ヴォナ子さんに組み込まれているソフトは、非定跡型のようですね」
と吉備さん。
乱戦の攻めを好んでるから、Bonanzaあたりがベースかもしれないわね。
名前もそれっぽいし。
「美沙ちゃん、ゴーゴーなのですぅ」
6八玉、6二玉、7八玉、7二玉、9六歩、9四歩。
「6八銀」
黒木さんも変則的な手を繰り出した。
「急戦ですね。95手で終わらせたいなら、これしかありません」
持久戦だと、100手超えは確定しちゃうもんね。
ここからヴォナ子さんが振り穴に組み替える嫌がらせはあるかもしれないけど(95手を回避するためだけに)、ロボットだからしてこなさそう。
4三銀、5七銀右(うへぇ、意味不明)、8二玉、6六歩、5四銀(これも凄い)、5八金右、6四歩、6七銀。
「江戸時代の将棋みたいですぅ」
その頃の将棋はよく知らないけど、確かにそれっぽい。
「これは本当に興味深いですね。ヴォナ子さんの性能がどの程度か分かりませんが、ソフトでも10秒指しなら破天荒になるという好例です」
吉備さんの解説に耳を傾けつつ、私は局面の推移を見守る。
7四歩、7七角、7二銀、2五歩、3三角、3六歩、7三桂。
「5九角からの展開狙いですね」
「5二金左と出れないから、3七角〜6四角が間に合っちゃうかもですぅ」
メチャクチャに指してるようで、黒木さんはうまく立ち回ってるのかもしれない。
ヴォナ子さんの対応に注目。
「お待たせしました」
お盆に乗った熱々のジャスミンティーが、私たちの前に差し出された。
「ありがとうございます」
私はひとつ受け取って、早速啜る。
……ふぅ、中華料理にはこれが合うわぁ。
「いろいろ見繕って来ましたよ」
もうひとつのお盆には、点心が乗っていた。
猫山さん、ナイス。
「いただきます」
私はシュウマイを自分の小皿に寄せて、将棋観戦を続ける。
局面は、5九角、3二飛、3七角、5二金左と進んでいた。
桐野さんが言った通り、金のガードが間に合っていない。
「6四角」
「5一角」
奇抜な受け。
「ソフトは、こういうところが不気味です」
人間だとありえない手を指してくるのよね。
3八飛、8四歩、7七桂、3三桂、6五歩。
後手の指し手が難しい。
「2五桂」
え? 桂跳ね?
「2六歩で、どうするんですかぁ?」
桐野さんもハテナマーク。
案の定、黒木さんは2六歩。
「1七桂成」
「Was!? 暴発してしまいましたわ」
「10秒将棋ですから、仕方がありませんわね」
びっくりするポーンさんとは対照的に、姫野さんは冷静。
同香、8三銀、1八飛、7二金。
桂損したというのに、ヴォナ子さんは平然と駒組みを続けた。
「人間だったら、パニックになってるところなのですぅ」
「このあたりがコンピューターの強みです」
吉備さんの言う通り。不利な局面でも感情的にならないのがソフト。
とはいえ、これは端が破れるんじゃない?
「1三香成」
ほら、これが受からないわよ。同香なら同飛成。先手優勢。
「2四角とさせていただきます」
これは……2三成香の両取りは、1八香成。
それでも、まだ先手がいいような……いや、でも飛車渡すのはおかしい……。
ここで、黒木さんの手が止まった。
「長考に入りましたね……あ、私にもコーヒーいただけませんか?」
「少々お待ちを」
吉備さんの注文を受けて、猫山さんは再び姿を消した。忙しそう。
「お花なら、1四歩と打つのですぅ」
【参考図】
すっごい重いけど、ありそう。
1二歩は同香、同成香、1七歩だし、1四成香は同香、同飛、1三香で飛車角交換を強要される。
「2四角はソフトらしい誤摩化しですか。しかし、それでも先手いいと思います」
吉備さんは、先手よしと判断した。
黒木さんは残り時間が2分を切ったところで、1四歩と打った。
意外と切迫してるわね。
ヴォナ子さんは6三金左と、端を無視して角を圧迫する。
3七角、6二飛。うーん、飛車を逃げられちゃった。
「コンピューターだけのことはあるわね」
黒木さんは顎に手を添えて、気取ったポーズ。
「お褒めにあずかり、光栄です」
「今のが54手目。残り41手か」
そう言えば、95手で終わらせるのよね。もう折り返している。
「2三成香」
待望の成香寄り。
ヴォナ子さんは5七角成と切って、同金に2七銀と打った。
羽生ゾーンだけど、今回はいかに。
1五飛、3六銀成、5九角。
角が窮屈になった。
「ヴォナ子さん、96手以上になるよう、調整してください」
と姫野さん。
うわぁ、エグイ指示だ。占い結果を外しに来ている。
「かしこまりました。2八歩」
ヴォナ子さんは、と金を作り始めた。手数稼ぎだ。
「1七桂」
「2九歩成」
「8八玉」
ん……そんなことしてる場合じゃないような……。
今は65手だから、残り30手で詰まさないといけないのよ。
さっきの姫野さんの指示があったから、頭金まで投了しないはず。
3九と、6八角、3八と。
ヴォナ子さんは、あからさまな牛歩戦術。
黒木さんの方は、方針がよく分からない。
「5五歩」
「6五銀」
「……銀が死ぬわよ?」
ほんとだ。6六歩で死んでる。
「手数が稼げれば、それでよいのです」
くぅ、このロボット、こすい。
「もっと情熱を持って欲しいわね……6六歩」
黒木さんも、銀を苛めてる場合じゃないでしょ。
7六銀、同銀、4八と、7八金。
「黒木さんは、諦めているのですか?」
吉備さんも首を捻った。
「美沙ちゃんは、絶対に諦めないのですぅ。なにかあるのですぅ」
「なにかあると言っても、ここから寄せるには30手くらいかかりますよ」
この時点で75手。間に合わない。
ピッ。おっと、ヴォナ子さん側のチェスクロが鳴った。珍しい。
「7五歩」
黒木さんは、黙って6七銀と引く。
4七と、5六金……ピッ、2六成銀、2四角……ピッ、1六歩。
もう将棋っていうか手数稼ぎゲームになってきた。
黒木さんがそれに合わせているのは理解不能。手数将棋になってない。
「さっきから、ヴォナ子さんの様子がおかしくないですか?」
「え、そう?」
「私の気のせいですかね……」
吉備さんは、眼鏡を拭いて掛け直した。
「えへへぇ、美沙ちゃんを前にして、ロボットさんもブルってるのですぅ」
どのへんがブルってるんですかね……。
そこへ猫山さんがコーヒーを持ってくる。
「ミルクとお砂糖は、適当にどうぞ」
「ありがとうございます」
吉備さんは一服。
5四歩、同歩、5一銀。ようやく攻め始めた。
「acht, neun, zehn……残り10手ですわね」
ポーンさんは、指折り数えた。
こっから9手詰め……あるわけない。
1七歩成、6二銀成、同金引、6四桂、7六桂。
ほらほら、逆に攻められてるわよ。
「8九玉」
ピッ、ピッ、ピッ……6九銀。
「7九金」
ピッ、ピッ、ピッ……5八銀不成。
「7二桂成」
はい、これで95手。ヴォナ子さんが同金で終わりね。
「やっぱり、おかしくないですか?」
なにがですか、吉備さん、具体的に。
ピッ。
「はやく指さないと、時間切れになるわよ?」
黒木さんはテーブルに肘をのせて、両手を組み、その上にあごを乗せた。
ピッ、ピッ、ピーッ!
「Nein!! Beweg sich!!」
プッ
……………………
……………………
…………………
………………
え? 時間切れ?
ポーンさんは野次馬から抜け出して、ヴォナ子さんの背中をチェックする。
「Oh mein Gott……バッテリー切れですわ」
あらら、ってことは……。
「私の勝ちですね」
黒木さんは席を立つと、胸に手を当てて、ギャラリーに挨拶した。
呆然としていた私たちは、バラバラに拍手を始める。
「さすがは美沙ちゃんですぅ、感動したのですぅ」
ううん……納得がいかない。
「吉備先輩、そろそろ疲れちゃったんですけど」
と土居さん。
「あ、すみません」
吉備さんは床に下ろしてもらって、いつもの高さに戻った。
「こっちの方が安心しますね」
さいですか。
「丸子ちゃんも、美沙ちゃんを信じるようになりましたかぁ?」
「なりません」
ばっさり。
「拙者も信じぬな」
神崎さんが登場。気配を消してましたね。だんだん慣れてきた。
「ちゃんと95手で終わったのですぅ」
「百面ダイスで『これから零を出す』と宣言して零を出したら、それは超能力の証明になるのか。ならぬであろう。本局とて同じことだ。それに、あの機械が電池切れになりかけていたことくらい、拙者にも分かった」
「それはぁ、忍ちゃんだから気付いただけなのですぅ」
一理ある。
「黒木殿のような奇術師なら、目敏いゆえ見抜くであろう」
「私も終盤では違和感を覚えましたね」
確かに、吉備さんは変だと思っていたようだ。私は気付かなかったけど。
「疑り深いと、早死にするのですぅ」
どういう理屈ですか。
「お花殿は気付いておらぬようだが、終盤に露骨な時間調整もあった」
「ほんとですかぁ?」
「七十手台は二十九秒まで考えていたが、八十手台で急に速くなったからな」
ヴォナ子さんの指し手が遅くなったところだ。
忍者の神崎さんが科学主義なのは、笑えない。
「とにかく、宇宙人とか幽霊とか超能力者とかサンタはいないんですよ」
吉備さんは、オカルト全否定。
「サンタさんはいまぁす」
「宇宙人もいまぁす……」
飛瀬さんも便乗。私は溜め息を吐く。
面白かったから、いいんじゃないの?
*手数将棋
宣言した手数ぴったりで将棋を終わらせるゲーム。
場所:姫野家クリスマスパーティー
先手:黒木 美沙
後手:ヴォナ子
戦型:後手中飛車
▲7六歩 △3四歩 ▲2六歩 △4四歩 ▲4八銀 △4二銀
▲5六歩 △5二飛 ▲6八玉 △6二玉 ▲7八玉 △7二玉
▲9六歩 △9四歩 ▲6八銀 △4三銀 ▲5七銀右 △8二玉
▲6六歩 △5四銀 ▲5八金右 △6四歩 ▲6七銀 △7四歩
▲7七角 △7二銀 ▲2五歩 △3三角 ▲3六歩 △7三桂
▲5九角 △3二飛 ▲3七角 △5二金左 ▲6四角 △5一角
▲3八飛 △8四歩 ▲7七桂 △3三桂 ▲6五歩 △2五桂
▲2六歩 △1七桂成 ▲同 香 △8三銀 ▲1八飛 △7二金
▲1三香成 △2四角 ▲1四歩 △6三金左 ▲3七角 △6二飛
▲2三成香 △5七角成 ▲同 金 △2七銀 ▲1五飛 △3六銀成
▲5九角 △2八歩 ▲1七桂 △2九歩成 ▲8八玉 △3九と
▲6八角 △3八と ▲5五歩 △6五銀 ▲6六歩 △7六銀
▲同 銀 △4八と ▲7八金 △7五歩 ▲6七銀 △4七と
▲5六金 △2六成銀 ▲2四角打 △1六歩 ▲5四歩 △同 歩
▲5一銀 △1七歩成 ▲6二銀成 △同金引 ▲6四桂 △7六桂
▲8九玉 △6九銀 ▲7九金 △5八銀不成▲7二桂成
まで95手で黒木の時間切れ勝ち