229手目 解体する少女
「辻先輩、死すべし……慈悲はない……」
やーめーてーッ! 暴力ダメっ! 絶対ッ!
私と来島さんは、飛瀬さんを引き止める。
「それでは、オーダーを交換の時間になりました」
やった。グッド・タイミング。
私たちは飛瀬さんを監視しつつ、対局テーブルへと向かった。
「よろしくお願いします」
最終戦ということで、升風は蔵持くん本人が登場。
こっちは来島さん。
「会長からでいいです」
「了解」
蔵持くんは、半分に折ったオーダー表を広げて、読み上げを始めた。
「1番席、副将、蔵持です」
「1番席、三将、裏見です」
「2番席、五将、松本です」
「2番席、四将、葉山です」
「3番席、六将、辻です」
「3番席、六将、飛瀬です」
「4番席、七将、佐藤です」
「4番席、九将、来島です」
「?」
蔵持くんは、オーダー表から顔を上げた。
「4番席が来島さんですか?」
「はい、そうです」
「……5番席、八将、葛城です」
「5番席はいません」
「ッ!?」
升風陣営がざわめく。
「ふえぇ……不戦勝になっちゃった……」
葛城くんもびっくり。
「ルール違反じゃないわよね?」
私は念のため、確認を入れた。
「出場選手は5人未満でも可だよ」
よしよし。会長の言質を取った。
「対局準備を始めてください」
運営の指示に従って、選手は散り散りになる。
私は、蔵持くんの前に座る。
「公式戦で指すのって、久しぶりだよね?」
「新人戦以来じゃない?」
確か、凖決勝あたりで当たった気がする。
あのときは……四間飛車vs居飛車穴熊だったかしら。
駒を並べ終えた蔵持くんは、会場内を見渡す。
「剣ちゃんも辰吉くんも、いないんだね。急用?」
「まあね」
私は適当に答えた。
どうやら、女子で最低2勝、あわよくば3勝という作戦に気付いていないようだ。
当然といえば当然。女子チームの勝ち星まで一々計算していないはずだから。
私たちの方だって、男子チームの勝ち星は計算していない。
「振り駒をお願いします」
「裏見さんでいいよ」
蔵持くんは、私に振り駒を譲った。
私は歩を5枚集めて、念入りに掻き混ぜてから宙に放った。
表が3枚。
「市立、奇数先」
「升風、偶数先」
歩を並べ直して、両手を膝の上におく。
「……それでは、対局を始めてください」
「よろしくお願いします」
泣いても笑っても最終戦。いくわよ。7六歩ッ!
蔵持くんは数秒ほど考えてから、8四歩と突いた。
私は即座に6八銀。
「矢倉だね」
蔵持くんも了解して、指し手は速くなる。3四歩、6六歩、6二銀、5六歩、5四歩、4八銀、4二銀、5八金右、3二金、7八金、4一玉、6九玉、7四歩、6七金右、5二金、7七銀、3三銀、7九角、3一角、3六歩、6四角。
ここまで、ほぼノータイム。
私は温めてきた作戦を敢行する。
「1八飛」
蔵持くんは、おやッという顔をした。
「3七銀じゃないんだね……4四歩」
「3五歩」
内木さんとの対局でやられた、矢倉3五歩早仕掛けだ。
蔵持くんは受けが得意ってわけじゃないし、これで押しつぶす。
「うーん……早仕掛けか……」
蔵持くんは腕組みをして考え込む。
私はその間に、ちらりと飛瀬vs辻戦を盗み見。
暴力沙汰になっていないかどうかを確認する。
「とりあえず取るね」
3五同歩、同角、3四歩(4三金右じゃないんだ)、6八角、4三金右。
蔵持くんは、歩を打つ手堅い順を選択した。
受けに自信のない証拠だ。私は7九玉と寄る。
3一玉に1六歩。端に狙いを定めて、9四歩、1五歩、9五歩、3七銀、7三桂。
お互いに好戦的な形になった。
「3六銀」
私は矢倉の好形を目指す。
蔵持は2四銀と受けて、8八玉に2二玉。
こうなったら、思い切って角もぶつけちゃいましょう。4六角。
「このタイミングだと、取っても打つところがないんだよね」
その通り。4六同角、同歩は、どこにも打つ場所がない。
というわけで、蔵持くんは5三銀と上がった。
ここで2六歩が第一感。どんどん上部を圧迫したい。ただ、2六歩に4六角が見える。同歩、3五歩、2五銀、2七角と、今度は打つスペースがあるのだ。そこで2八飛、2四銀、同歩、2五歩、2七銀みたいな押さえ込みがありうる。もちろん、6八飛と一旦逃げて、2四歩に2三歩と垂らせば、結局攻めは繋がっているのかもしれない。ちょっと薄いのが気になるくらいかしら。
ただ、個人的に気が進むのは、3五歩と突かれたときに、無視して2五歩と突き返す順。その瞬間は2七角と打てないから、3六歩、2四歩、2七角、2三歩成、同金、2八飛。後手が4九角成と逃げたら、2四歩と叩いて終わり。
(※図は香子ちゃんの脳内イメージです。)
矢倉の一方的な攻めが決まりそう。
要するに、4六角〜3五歩〜2七角は怖くない、と。
私は安心して2六歩と突いた。
今度は蔵持くんが長考。頬肘をついて考え込む。
ときどき葛城くんが観戦にくるくらいで、会場内はいたって静かだった。升風陣営から見れば、葛城くん不戦勝で1−0、葉山さんは負けだから2−0。つじーんが飛瀬さんに勝って3−0という前提があるのかもしれない。
「……4六角」
「同歩」
「3五銀」
ん、思いっきりぶつけてきた。これは想定外。
私は読み直す。同銀、同歩……桂馬を跳ねたいわね。1七桂か3七桂。3七桂は3六歩、2五桂、3七歩成かしら。1七桂は2七角、2八飛……いや、3六角、2八飛、4七角成、2五桂ね。3七桂にも3六角、2八飛、4七角成、2五桂かもしれないし、結局は同じというオチも。相手に選択肢を渡したくないから、1七桂の方が良さげ。
問題はむしろ、2五桂と跳ねたとき、すぐに2四歩と殺されてしまうことだ。ここで1四歩みたいなのが効けばいいけど……例えば、1四歩、同歩、1三歩、2五歩、1四香。端は制圧してるけど、飛車を苛められてからの入玉が若干心配なのと、1三歩に同桂、同桂成、同香と収める順も気になる。2五桂の打ち直しができない。
ふむ……となれば、1四歩は不発の可能性が高いわけか……1三桂成ね。1三桂成、同香に1四歩、同香、同香……あ、同馬。馬が利いてる。これはマズい。私は考え直す。
……………………
……………………
…………………
………………
1三桂成、同香、2五歩ね。
(※図は香子ちゃんの脳内イメージです。)
同歩なら、今度こそ1四歩、同香、同香、1三歩、同香成、同桂、1四歩、1二歩、同歩成、同歩、2四歩くらいで、潰れている。同馬なら同飛と切って、同歩、2四歩の垂らし。1四歩も絡めれば、飛車がなくても寄るはず。多分。
私は3五同銀と取って、同歩に1七桂と跳ねた。
蔵持くんは少し考えてから、3六角と置いてくる。2八飛、4七角成、2五桂。
「2四歩」
すかさず1三桂成。
「そっち?」
蔵持くんは30秒ほど読み直して、同香と取った。
「2五歩」
「4六馬」
ん……蔵持くんも想定の範囲内だった?
でもこれは、1八飛と戻れる。私は飛車を寄った。
8五桂、8六銀、2三金。
味付けしてから守りを固めましたか……ちょっと無理気味に見えるけど。
第一感は1四歩、同香、1五歩。そこで3六馬と再度飛車をイジメにくるか、あるいは9六歩と攻め合いに持ち込むかの二択。それ以外に怖い筋はない。順番に読みましょう。
まず3六馬だけど、これは無視して1四歩、1八馬、2四歩、同金、1八香で、どうかしら? 次に1三銀と打ち込めば勝ちだから、後手は当然1二歩の受け。そこで5一角と深く打って、4二銀、7三角成、8一飛、1九香と重ねる。入玉を阻止すれば、先手の勝ちだと思う。最悪、相入玉。2四歩に1九馬なら、2三歩成、同玉、2五角と金取りに当てて、3四銀と受けてきたら1三歩成、同桂、1四金以下、押し戻して……ん? 駒が足りない?
持ち駒は銀香のみか……足りてないわね。1八馬に即取りで同香には、3八飛が怖い。それでも1三銀とゴリ押ししてみて、同桂、同歩成、同金、同香成、同玉……これは捕まってるくさい? 2四歩と取り込んで、同玉なら4七角が痛打になる。
(※図は香子ちゃんの脳内イメージです。)
どうやら、繋がってるみたいね。
私は読み抜けがないことを確認してから、1四歩と突いた。同香に1五歩。
「困ったな……一方的に攻められてる……」
蔵持くんは缶コーヒーのタブを開けて、一口飲んだ。
しばらく考えそうだ。
「ちょっと失礼」
私は席を立って、仲間の対局を見て回ることにした。気分転換の意味もある。
葉山さんのところは……。
【先手:松本 後手:葉山】
どう考えても敗勢か……飛瀬さんに移りましょ。
【先手:飛瀬 後手:辻】
相掛かり? ……ええ、それってどうなの?
私は、しばし混乱する。そして、あることに気付いた。そっか、飛瀬さんが初手7六歩と突くと、つじーんは問答無用で3四歩と角道を開けてくる。矢倉や角換わりにする機会はない。やるとすればムリヤリ矢倉だけど、それなら初手2六歩で、先手勝ちやすい相掛かりに誘導した方がいいってわけか。
飛瀬さん、なかなか策士ね。とはいえ、根本的な棋力差がある。これで優位に立てるわけでもないし、楽観はできない。つじーんが、どのくらい相掛かりを指せるのか、そのあたりにかかってきそう。
次は来島さん……おっと、箕辺くんも観戦か。
【先手:佐藤 後手:来島】
ほぼ定跡形。
ここは大丈夫だと信じたいけど、相手の佐藤って男子も弱くはなさそう。
あとは来島さんの成長次第ね。
私はおおよその形勢を確認して、席へと戻った。
局面は動いていない。お茶を飲んで、続きを考える。
……………………
……………………
…………………
………………
蔵持くん、残り時間が15分を切った。
「攻めるか守るか……」
まだそのレベルで考えてるの? ……あ、違うか、候補手が2通りなわけね。一方は攻めで、片方は受けとみました。おそらく後者は3六馬。前者は……9六歩? 9六歩、同歩、9七歩と反撃が始まった場合、右辺に影響が出るおそれも……。
「んー、これ以上考えてもしょうがないか」
蔵持くんは、9筋に指を伸ばした。
攻めてきた。
私は少しばかり前傾姿勢になる。
9六同歩、9七歩……いや、2枚あるから9八歩と直接叩いて、同香、9七歩、同香、同桂成、同銀、8五桂と打ち直してから、8六銀、6四馬。次に9六香、9七歩、同香成、同銀、同桂成、同桂、9六歩で、私の陣地は崩壊してしまう。
もちろん、これは蔵持くん有利になるように進めてるだけで、回避策はばっちり。例えば8五桂の打ち直しに1四歩と取り込む。今回は3六馬〜1八馬の心配をする必要がない。だから後手も当然9七桂成と突っ込んできて、同桂、9六香、9八歩、同香成、同歩、8五桂と、2度目のおかわりかな。そこで9九香から受けに回るのと、そのまま1筋、2筋を攻め続けるのと、どっちがいいかしら。好みなのは後者。
とりま9六同歩としときましょ。
「同歩」
蔵持くんはすかさず9八歩。
同香、9七歩、同香、同桂成、同銀。
「8五桂」
ほい、きた。
問題なのは、蔵持くんが8六銀で読んでるのか、それとも1四歩か。
私はもう一度読み直す。1四歩、9七桂成、同桂、9六香までは必然。9八歩と受けるのも当然で、9七香成、同歩、8五桂に9九香と受けるか、それとも攻めるか。攻めるなら、2四歩、同金、1三歩成だ。これを同桂とは取れないから、3一玉と引くしかない。こうなると、後手に入玉の望みはなくなる。
要するに、1四歩以下は引き分けがないわけか。チーム的に私の引き分けは負けだから、そっちの方が助かる。勝つか負けるか。ふたつにひとつ。
「1四歩」
私が端を詰めると、蔵持くんは眉毛をぴくりと動かした。
「そっちなんだ……」
そっちです。
蔵持くんは8六銀をメインに読んでいたのか、再度長考を始めた。
残り時間は、蔵持くんが11分、私が13分。
終盤の入り口なのに、意外と残してるわね。
私は蔵持くんの長考に合わせて、攻め合いの順を読む。
「僕の方が広いと思うんだけど……9七桂成」
同桂、9六香、9八歩。ここで蔵持くんはさらに1分使って、9七香成とした。
同歩、8五桂、2四歩、同金、1三歩成、3一玉。
ん……蔵持くん、手が速いから悪いと思ってないのかしら……。
自分の方が広いみたいなこと言ってるし、9筋方面に逃げるつもりね。
そうはせませんよ、と。
「6一角」
私は挟撃を開始する。
蔵持くんは背筋を伸ばして、困惑の表情を浮かべた。
「そっか、角打ちがあるんだ」
甘い甘い。裏見様相手に受け切り勝ちなんて、100年早いのよ。
蔵持くんの王様解体ショー、始まり始まり。