228手目 物理的に挑む少女
「最後、大差になっちゃいましたね」
「受けはなかった?」
「持ち駒に桂馬しかないので、ちょっと無理そうです」
私たちは、念のため局面を戻す。
「次の4四歩で痺れました。単に6二金、同玉、5二金、7二玉の逃げか、あるいは4三角成、5二金、同成香、同銀、同馬、6二金の受けを考えていたので」
「どっちも私の方が足りない感じね」
「僕の方が足りてるかというと、微妙だと思います」
「足りてるんじゃないかしら。例えば、4三角成、5二金、同成香、同銀、同馬、6二金に3四馬と逃げるのは、5七桂成、同金、同馬。これが飛車当たりで、私の方には速い攻めがないわよ。4四桂なんて打ってるようじゃ、間に合いそうにないし」
「4四桂、6八馬、同銀……これは8六歩が厳しいですね」
その通り。かといって6八同金、4九飛も、なかなか嫌な筋だ。
「僕勝ちとまでは言えませんが、まだ戦えますか」
だったら、私の4四歩は好手ね。
「4四歩に3四歩も考えたんですが、あとでお手伝いだと気付きました」
「そうね。3四歩なら、渡りに舟で4三角成とするわ。以下、5七桂成、同金、同角成、6二金、同玉、5三金、7二玉、6三金、同玉、5二銀、7二玉、5四馬、8二玉、8一馬、同玉、5一飛、7一桂。本譜と一緒に見えるけど、次の6八馬が王手じゃないから、6三桂の詰めろね」
「7二金、7一桂成、同金、6三桂、7二金打、7一桂成、同金、6三銀成、7二金打に8三金で必至ですか」
必至だ。8三同金も6三金も詰む。
となると、佐伯くんの側に、まともな受けはないということ。
「指し直し局は完敗でした……ところで、千日手局なんですけど……」
佐伯くんは、ひとつまえの将棋に戻った。
「こちらから打開する手がありましたか?」
うーん……私は局面を思い出す。
「裏見さんの方は、3三角と戻らずに、3三桂もありませんでしたか?」
「それは、2四歩、同歩、同飛、4六歩、同銀左、3六歩、同銀、1三角の進行?」
「そうです。その進行です」
私たちは、そこまで局面を戻した。
「4四飛で」
佐伯くんは、飛車を切った。
「2一飛成は?」
「それは2二飛、1一龍、2九飛成、1三龍だと思います」
佐伯くんは、根元の角を取った。
「次に3五歩〜4五歩〜4六香で、僕が悪いんじゃないでしょうか」
なるほど、3九歩と打っても、3五歩、4七銀、4五歩、5七銀、4六香か。
「2一飛成とできないのね」
「ですから4四飛、同金、5三角成を狙います」
「まあ、4六角よね」
「4四馬で、金を補充します」
ここで、後手に思わしい手が……。
「8八飛かしら?」
「それが嫌でした。5八金に6九銀と引っ掛けられて」
以下、5九銀、5八銀成、同銀、6八金。絡みつかれている。
「んー、じゃあ、私は2二角〜3三桂で良かったのかしら」
「そうされたら、2四歩、同歩に同飛としない予定でした」
「他にどうするの?」
手がないような気がするけど。
「8六歩〜8五歩です」
ん、これは……また渋い手を。
「そっちが攻めてこないなら、攻めるわよ?」
私は4六歩と突いた。
同銀左、3六歩、同銀、3五歩、4七銀、4五桂。
「5五歩です」
桂馬を取らないのか。
「……3七桂成」
同金、5五銀、同銀、同金、5三角成。
「ごめん、ちょっと待って」
私は待ったをかける。感想戦だからOK。
最後の5三角成を成立させないためには……先に7四歩、6六角とか?
以下、4六歩、同銀左、3六歩、同銀、3五歩、4七銀、4五桂、同桂、同銀……これは2二角成が生じてる。最後の同銀を同金に変えても、同銀、同銀、2二角成か。でも、交換後に4六歩とかで圧迫できないかしら? ……あ、どう考えても先手から4六歩ね。
ダメっぽい。角が7五のままだと、5三角成、角が6六にいると、2二角成の筋が発生して、4六歩以下の攻めが頓挫してしまう。こうなると、佐伯くんの手待ちは最善っぽい。
「8六歩は、いい手ね」
私は素直に褒めた。
「ありがとうございます」
「こっちも手待ちしつつ受けるわ。7四歩よ」
「6六角で」
「7三桂」
8五歩、同歩、8四歩の防止だ。
「それでも8五歩といきます」
……あ、どのみち同桂、同桂、同歩、8四歩か。
私はしばらく考えて、同桂と取った。同桂に2五桂。
「跳ね違いですか……6四桂」
ぐぅ、厳しい。
「6三金」
「2五桂」
「……6五金」
私は、桂馬の守りがなくなった角の頭を狙う。
「2三歩」
ぐはッ!
「ごめん、これは私の負けね」
ってことは、3三桂以下の変化は、私に不利なのかもしれない。
だとすると、千日手にしたのは正解のようだ。
「これで先手がいいなら、2四歩、同歩、2九飛でしたね」
それでも3三角ってやっちゃうかも。
感想戦が続く中、他の対局も続々と終わり、まわりは賑やかになってくる。
「こーたーけーッ!」
「どうした、三宅?」
「チーム負けてんじゃねーかッ!」
「ハハハ、そういうこともある」
「つーかおまえが負けるなよッ!」
「すまん、受験勉強のし過ぎだ」
悪びれない小竹先輩に、三宅先輩は舌打ちをした。
「佐伯が負けたらしゃーねぇな」
「すみません」
佐伯くんは冷静に謝罪。
清心としても、優勝は見込めないから、特に未練はないようだ。
「まあ、相手が裏見だったしな……そろそろ飯行くぜ」
三宅先輩は、さっさと控えスペースに戻って行った。
佐伯くんも、私に向き直る。
「では、先輩方と昼食なので、失礼します。ありがとうございました」
「ありがとうございました」
私は一礼すると、席を立った。
さて、誰と誰が勝ったんですかね。松平は勝ってるだろうし、来島さんは小竹先輩に勝ったから、3−2かしら?
「裏見先輩……お疲れさまです……」
飛瀬さん登場。
「飛瀬さん、どうだった?」
「勝ちました……」
「え?」
空耳かしら。
「もう一度言ってくれる?」
「勝ちました……4−1です……」
うそーん、サーヤに続いて田中くんに?
「よく勝ったわね」
「これもまた……」
「はいはい、ラブパワーでしょ。ところで、他の面子は?」
「控えテーブルに戻ってます……裏見先輩のところが最後……」
そっか。千日手指し直しだし、当たり前ね。
私は控えテーブルへ向かった。
「お疲れさま」
「お、裏見、遅かったな」
「他の対局がどうなってるか、知ってる?」
松平は、ちらりと会場の方を振り向いた。
「藤女、駒北勝ち」
ぐぅ、藤女勝ってるのか。
「3−2?」
「3−2だ」
「ってことは、勝ち星差で逆転……」
「してないぞ」
松平の台詞に、私は眉をひそめる。
「なんで? うちが4−1で藤女が3−2でしょ?」
「俺が勝ってるから、実質3勝なんだよ」
ぐはッ! 忘れてた。
異性不加算って、思ったよりキツい。
「依然として0.5勝差だ。どう埋める?」
「その話は、昼食休憩で」
「だな。さっさと移動しよう」
○
。
.
ここは市内のファミレス。いつものところ。
幸いなことに、他の学校は来ていなかった。
「じゃあ、オーダー会議を始めましょう」
各人、食べている手を止める。
「来島さん、升風のオーダーは?」
「これです」
「チーム勝数3、勝ち星11ですね」
箕辺くんは、計算結果を確認した。
「そうね……え?」
私はオーダー表を凝視する。
「千駄さんと姫野さんは?」
「ふたりとも来てませんよ」
「なんで?」
私の質問に、箕辺くんは少しだけ声を落とした。
「ふたばの話だと、『3年生はどうせ12月の県大会に出られないから、2年生以下でなんとかしろ』ってことらしいです。ポーンと大場も同じことを言ってました」
こ、これはチャンス。
「私たちはチーム勝数2.5……勝ち星10.5……」
飛瀬さんは、私たちの成績を確認した。
「チーム勝数で差がありますから、藤花が最終戦勝ったら終わりです」
そういうことになる。うちが負けても終わり。
「完全に他力ってことね」
「女子で最大限に勝つしかないな」
「とりあえず、ボーダーラインを書き出してみましょう」
私は、来島さんのオーダー表の空きスペースに、鉛筆で走り書きする。
藤花 うち
5−0 (勝ち条件なし)
4−1 (勝ち条件なし)
3−2 (勝ち条件なし)
2−3 女子のみで2.5勝以上
1−4 女子のみで2.5勝以上or松平勝ち+女子1.5勝以上
0−5 女子のみで2.5勝以上or松平勝ち+女子1.5勝以上
キツ過ぎィ!
「現実問題として、藤花0−5はないと思います」
と箕辺くん。
「女子2.5勝以上って、かなりギリギリのラインですよね?」
と来島さん。私は頷き返す。
「4回戦を4−1で勝ててよかったわ。じゃないと、3.5勝条件だったから」
その場合は、私、飛瀬さん、来島さん、葉山さんで3.5勝。
要するに、葉山さんが引き分け以上でないといけない。
さすがに無理だ。
「とりあえず、藤女2−3を前提にしよう。升風相手に俺抜きで2.5勝だ」
うむむ……難しいのは最初から分かってたけど、これほどまでとは……。
「駒北も、3年生は来てないのね?」
「大場が嘘を吐いてなければ、ですが」
箕辺くんは断言しなかったものの、大場さんを疑っている素振りを見せなかった。
私も、大場さんがそういう局面で嘘を吐くようには思えない。
「ただ、藤井先輩だけは来てます」
「藤井先輩だけ? なんで?」
「人がいいですから、頼み込まれて出たんじゃないでしょうか」
そう言えば、藤花も甘田さんだけは出ている。
彼女の場合は、人がいい、ってわけじゃないけど。
「そもそも、藤花に負けパターンはあるんですか……?」
飛瀬さんの疑問に合わせて、私たちは藤花と駒北のオーダーもチェックする。
「俺が駒北なら、こう並べるな」
1番席 鈴本
2番席 津山
3番席 大場
4番席 下野
5番席 藤井
「これに対して、藤花には2パターンしかない」
【パターンA】
1番席 鈴本vsポーン
2番席 津山vs金子
3番席 大場vs横溝
4番席 下野vs甘田
5番席 藤井vs鞘谷
【パターンB】
1番席 鈴本vsポーン
2番席 津山vs横溝
3番席 大場vs甘田
4番席 下野vs杉本
5番席 藤井vs鞘谷
「AでもBでも、駒北の3−2濃厚だ」
前者は津山くん、大場さん、藤井先輩の勝ち。後者も同じ。
む……意外と藤女も苦しいんだ……。
藤女の2−3は、十分にありえる。となれば……。
「いよッ、香子ちゃん」
「ッ!?」
いきなり肩を叩かれて、私は飛び上がった。
振り返ると、甘田さんがいつものニヤケ顔で立っている。
「お、おどかさないでください」
「別におどかしてないけど……あ、オーダー会議中だった?」
私は、慌ててオーダー表を隠そうとした。
けど、よくよく考えれば、まだ書き込んでいないことに気付いた。
松平も、さっきのメモは素早くポケットに仕舞い込んだようだ。セーフ。
「お互いに3年生が出てないし、どうなるか見物だね」
甘田さんは、イヒヒと笑う。
「なんで甘田さんは出てるんですか?」
「いやあ、さすがに面子固定はマズいと思ってさ。お情けのズラし要員だよ」
ズラし要員……ね。下手したらチームで一番強いと思うんだけど。
「ま、12月の県大会には、あたしも出れないしさ。うちは優勝してもサーヤ、よっしー、エリーちゃん+当て馬ふたり。1回戦負けが関の山だよ。戦力的にそっちと大差ないから」
うちだって、私、飛瀬さん、来島さん、葉山さんしかいない。
ぶっちゃけ県大会に出ていい面子じゃないような気がしてくる。
「春までは、どこのチームも3年生頼みだったからな」
松平は、独り言のように呟いた。
「そういうこと。それじゃ、あたしは失礼するよん」
甘田さんはスパイと思われるのが嫌なのか、さっさとファミレスを出て行った。
どうやら、ひとりでコーヒーを飲みに来ていたらしい。
「で、どうするんだ? 俺は出るんだろ?」
「チーム勝ちは大前提だから、出てもらうわ」
「だったら、こうなるぞ?」
松平は、鉛筆でオーダーに書き込みを入れる。
1番席 裏見vs蔵持
2番席 葉山vs松本
3番席 飛瀬vs辻
4番席 松平vs佐藤
5番席 来島vs葛城
……ん、ちょっと待った。
「これ2−3じゃない?」
「飛瀬がつじーんに勝たない限り、な」
私は、飛瀬さんに向き直る。
「勝てそう?」
「えーと……ラブパワーにも限界があると思います……」
「ラブパワーってなんだ?」
箕辺くんは怪訝そうな顔をした。
「それは女の子のヒミツ……」
「?」
いかんいかん、飛瀬さんの恋愛話がバレちゃう。
「松平、裏をかくとどうなるの?」
「裏をかくには……辰吉を出すしかないな」
1番席 箕辺vs蔵持
2番席 裏見vs松本
3番席 葉山vs辻
4番席 飛瀬vs佐藤
5番席 来島vs葛城
「……ダメね、あいかわらず2−3だわ」
箕辺くんが蔵持くんに入るとは思えないし、入っても意味がない。
意見がまとまらない中、箕辺くんはおずおずと手を挙げた。
「すみません……俺が当事者なんで、意見していいですか?」
「いいわよ」
なんでも言ってくださいな。
「俺を抜きにしませんか?」
「松平を出しても変わらないでしょ?」
「いえ、そうじゃなくて、ふたりとも抜いて……」
私は一瞬きょとんとした。
そして、ハッとなる。
「そ、そっか」
私は急いでオーダーを組み直した。
1番席 裏見vs蔵持
2番席 葉山vs松本
3番席 飛瀬vs辻
4番席 来島vs佐藤
5番席 欠席vs葛城
「飛瀬さんがつじーんに勝てば、女子で3勝……最悪でも女子2勝……」
「ちょっと待て、そりゃなしだろ?」
松平は、また反対の意を唱えた。
私が再反論しかけたところへ、来島さんが顔を覗かせる。
「どうしてですか? もともと私たちのチームは、女子が4人しかいません。だから不戦敗が出ても、まったくおかしくないと思います。勝ち星に加算されない男子を入れるのはよくて、女子のみで正々堂々と戦うのはダメってことは、ないんじゃないですか」
「うッ……」
来島さん、ナイス言いくるめッ!
「俺も来島の言う通りだと思います。男子はもともとサブですからね」
箕辺くんも、ちょっと強気になった。
松平は目を閉じて、髪の毛をかき乱した。
「それなら俺も反対はしねぇが、飛瀬がつじーんに勝てるのか?」
「そ、それは……」
私は返答に窮する。
「飛瀬はかなり調子がいいですし、一発入るかもしれません」
箕辺くんは、そう言って飛瀬さんに向き直る。
「な、飛瀬?」
「うーん……プレッシャー……」
自称宇宙人らしくないわね。しゃきっとしなさい。しゃきっと。
「じゃ、決まりだな。対局開始まで、俺はここにいるぜ」
「なんで?」
「俺のポリシーだ」
まったく、変なところで細かいわね。
まあ、そういう律儀なところ、嫌いじゃないけど。
「それなら、俺もここに残ります。みなさん、頑張ってください」
私たちは男子ふたりを残して、ファミレスをあとにした。
公民館につくと、レギュラー陣営は総揃い。
飛瀬さんと来島さんは、早速1年生の輪に加わる。仲良し。
「あれ、辰吉ちゃんはどこにいるんっスか?」
ぎくり。
「箕辺くんは、トイレだと思うよ?」
来島さん、ナイス嘘。
「お花を摘んでるんっスか。了解っス」
「大場さんらしくない表現だねぇ」
「あのっスね……ふたばちゃんの中で、角ちゃんはどういうキャラなんっスか?」
「えへへぇ、どんなキャラかなぁ」
葛城くんは、笑って誤摩化した。悪魔の笑み。
……と、こんなことしてる場合じゃないわ。
私は飛瀬さんを呼び戻す。
「なんですか……?」
「つじーんの棋風は、分かってる?」
「純粋居飛車党……横歩が得意……攻めと受けのバランス型……」
正解。
「オッケー、だったら……」
「アハハ、飛瀬さん、ここにいたんだ」
いきなり捨神くんが登場。
飛瀬さんは、もじもじし始める。態度でバレバレなんじゃないかなぁ。
作戦会議中だと言うのに、捨神くんは構わず話し掛けてきた。
「飛瀬さん、4−0なんだよね?」
「うん……」
「僕も4−0なんだよね。一緒に全勝賞取れるといいね」
飛瀬さんは、壊れた人形みたいに首を縦に振る。
落ち着け。
「そうだ、全勝したら、お祝いに食事をおごってあげるよ」
「ッ!?」
「じゃ、またあとで」
捨神くんは、そのまま天堂のテーブルに戻ってしまった。
あとには、金魚のように口をパクパクさせる飛瀬さんがひとり。
「カンナちゃん、これってチャンスだと思うよ?」
隣から、来島さんが口を出す。
私もこれはチャンスとみました。
「そうそう、つじーんに勝ったら捨神くんとデートできるわよ」
「捨神くんとデート……」
「そこから恋が芽生えることもあると思うよ?」
「恋が芽生える……」
「その第一歩として、つじーんを倒さなきゃね」
飛瀬さんは、懐から変なモデルガン(?)みたいなものを取り出した。
「ちょ、ちょっと、どこ行くの?」
「辻先輩を倒してきます……物理的に……」