226手目 読み間違える少女
「では、オーダー会議を始めます」
「はーい」
私はホワイトボードの前に立って、司会進行。
初めての経験で、イマイチ勝手が分からない。
3年生メンバーは、放課後忙しくてこれないとのこと。
というわけで、残りの部員には全員集合してもらいました。男子も含めて。
「まず、これが清心のオーダー表です」
私は、プリントアウトした紙をホワイトボードに貼る。
「全敗なんですね」
と葉山さん。
「全敗と言っても、勝ち星差は首位と3しかない……」
飛瀬さん、鋭いわね。
「今回は、4−1、5−0みたいな大勝が出てないんだよな」
松平は、他の学校のオーダー表も見比べた。
テーブルの上に置いてあるのだ。自由閲覧。
「3年生が出てくるかどうかが、重要だと思います」
来島さんは、眠たそうにコメントした。
「そうね、来島さんの言う通りだわ。3年生が出てくるかどうかがポイント」
「出てくるとしたら、小竹は必ず出ると思うぞ。将棋大好きだからな」
なるほど、その情報は重要だ。松平に感謝。
「確かに、今年の春、去年の秋と、小竹先輩は出まくってますね」
箕辺くんは、過去のオーダー表を比較した。
「箕辺くん、小竹さんが出たら、来島さんの勝算は?」
「ちょい厳しいんじゃないでしょうか。入らないことはないと思いますけど」
うむむ、そうか。
来島さんの進化速度が追いついていない模様。
「そもそも、小竹先輩が来なくて、田中先輩が出る可能性もありますから、そうなるとなおさら苦しいです。5番席は負けで見といた方がいいんじゃないかと」
「最初から負けで見られるのは、私もちょっと嫌だよ?」
「いや……客観的に見てだな……」
箕辺くん、どぎまぎ。
「そこは、もとから動かしようがないからな。4番席は俺、5番席は来島。どう当ててくるかは、相手の権利だ。下駄預けとこうぜ」
松平は一声で、この問題は解決。
私は4番席と5番席を、ホワイトボードに書き加えた。
1番席 ???−???
2番席 ???−???
3番席 ???−???
4番席 松平−田中or三宅or佐伯
5番席 来島−小竹or田中
「1番いいのは、俺が三宅先輩に当たるパターンだな」
「三宅さん、来るかしら?」
「んー……微妙だな……」
松平は、あごに手を添えて考える。
「仮に三宅先輩がこなくて、佐伯が俺と当たるなら、清心の上は相当薄くなる」
その場合は……。
1番席 裏見−森屋
2番席 葉山−原田
3番席 飛瀬−古久根
4番席 松平−佐伯
5番席 来島−田中
「裏見、飛瀬、俺勝ちでみていい」
松平は、自信をもって言った。
ほんとかいな。相手は佐伯くんなんだけど。
「相手から見ても、これが本命ですよね? 変えてきませんか?」
と箕辺くん。
「どう変える?」
「森屋、原田、佐伯、田中、中川とか」
私は、箕辺くんの言った順に書き換えた。
1番席 裏見−森屋
2番席 葉山−原田
3番席 飛瀬−佐伯
4番席 松平−田中
5番席 来島−中川
「来島と中川のところが、ガチだと思います」
「ガチっていうのは、まったくの五分ってこと?」
私は尋ね返した。
「いえ、来島の方がいいです」
だったら、この並びは心配しなくていいわね。
「勝算があるなら、問題ないわ」
「三宅先輩がこないっていう前提は、危険だと思います……」
飛瀬さんは、慎重論を唱えた。
私たちは、もう一度考え直す。
「そもそも、清心の最強の並びって、なんなんですか?」
葉山さんが尋ねた。
彼女は、だれが強くてだれが弱いか、全然知らないのよね。
おさらいしましょう。
「清心のベストメンバーは……」
1番席 森屋
2番席 原田
3番席 佐伯
4番席 三宅
5番席 田中
「こうだと思うわ」
「2番席は、原田じゃなくて古久根かもしれんぞ」
松平は、細かい訂正をした。
「どのくらい違いそう?」
「まあ、ほとんど変わんないレベルだ」
「だったら、変更なし。大会経験の長さで、年上を優先するわ」
私たちは、ホワイトボードをじっくりと眺めた。
「……結構、きついな」
松平は、そう言ってから咳払いをした。
「清心のオーダーは、うちのオーダーに対して相性がいいですね」
うむむ、箕辺くんの言う通り。
飛瀬−佐伯、来島−田中と、よくない組み合わせが2つもできちゃう。
「俺の代わりに辰吉を出して、辰吉、裏見、葉山、飛瀬、来島でも、解決になってないんだよな……これは下3つが負けだ」
室内を沈黙が覆う。
それを破ったのは、松平だった。
「ま、しょうがないよな。他の高校は先週の模試で終わり。うちだけ校内模試で、3年生が来れないんじゃ、最初から戦力差がある。そこは諦めよう」
「……そうね」
ないものねだりをしても、しょうがない。
重要なのは、現有戦力で、最善の結果を出すことだ。
「この様子だと、私が佐伯くんに勝たないといけないような……」
飛瀬さんがボソリと呟いた。
「どうなの、佐伯くんとの差は?」
「火星と木星ぐらいの差は……まあ……」
ラブパワーでなんとかしなさいよ。
「質問がありま〜す」
葉山さんが挙手。
「なにかしら?」
「上から裏見先輩、カンナちゃん、松平先輩って出したらダメなんですか?」
え、それって……。
「1番下を、わざと不戦敗にするってこと?」
「聞いてる限りでは、それで勝てるんじゃないですか?」
1番席 裏見−森屋
2番席 飛瀬−原田
3番席 松平−佐伯
4番席 来島−三宅
5番席 不在−田中
「松平、これっていいの?」
「ルール上は可能だが、思いっきりマナー違反だぞ」
「でも、可能なんでしょ?」
「俺が佐伯に負けたら、どうするんだ? それに、佐伯2番席もあるんだぞ?」
うーん……リスクが高過ぎるか……。
「一点読みで外したら爆死するんで、止めませんか?」
箕辺くんも否定的。
「分かったわ。じゃあ、こっちもベストメンバーで行きましょう」
○
。
.
はい、対局当日です。
私は、会場に視線を走らせる。
「……ふたりとも来てるわね」
三宅先輩と小竹先輩を発見。
少し離れたテーブルで、他の部員たちと談笑している。
「三宅さんの出場は、ほぼ確実だな。俺に田中をぶつけてくる理由がないから、4番席が三宅さん、5番席が田中で決まりだ」
それっぽいわね。
「市立、全員集合」
私は召集をかけた。
「何ですか?」
来島さん、あいかわらず眠そう。
「三宅さんが来たから、清心のオーダーは森屋、原田、佐伯、三宅、田中で、ほぼ決まり。前回、葉山さんが提案した組み合わせにできるけど、どうする?」
5番席不戦敗作戦。
私の質問に、部員たちは顔を見合わせた。
「俺は反対だ。そういうことは、するもんじゃない」
松平は、真っ先に反対した。
「上の並びが確定じゃないから、しない方がいいと思います」
来島さんは、理由を付した。
「私も、そう思う……1〜3番席の並びが確定してない……」
「俺は出ないんで、ノーコメです」
「私もよく分かってないんで、コメント控えときます」
反対3(松平、来島、飛瀬)、棄権2(箕辺、葉山)。
「じゃあ、打ち合わせ通りにするわね」
私は、ズラすのを諦めた。
「それでは、オーダー交換の時間になりました。着席してください」
よし、出動。私たちは、対局テーブルへと向かう。
相手は田中くん、こっちは八千代先輩の代理で来島さん。
来年度の予行演習。
「田中先輩から、どうぞ」
「オッケー、いくね。清心、1番席、五将、佐伯くん」
……………………
……………………
…………………
………………
完全に読み間違えた。
来島さんの視線が痛い。
「市立、1番席、三将、裏見です」
「2番席、六将、三宅先輩」
「2番席、四将、葉山です」
「3番席、七将、田中、僕ね」
「3番席、六将、飛瀬です」
「4番席、八将、中川くん」
「4番席、八将、松平です」
「5番席、九将、小竹先輩」
「5番席、九将、来島です」
……………………
……………………
…………………
………………
どうしてこうなった?
私が混乱する中、清心サイドはわいわいやり始めた。
「おい、小竹、これで負けたら戦犯だからな」
三宅先輩は、小竹先輩に睨みを利かせる。
天然パーマの小竹先輩は、ハハハと笑った。
「いいじゃないか、3年生の秋だし、思い出対局させてくれよ」
そこが原因かぁああああああッ!
「どうやら、小竹先輩が頼み込んだみたいですね」
箕辺くんが、うしろから話し掛けてきた。
「……そうみたいね」
清心は優勝の芽がないから、少しくらい融通が効くってことか。
そのあたりを計算に入れていなかった。
こんなの読めるわけがない。
「それでは、対局準備を始めてください」
私はそのまま、1番席に座り込む。
人混みから、タキシード姿の佐伯くんが現れた。
「よろしくお願いします」
「よろしく」
私は平静を装うけど、内心は冷や汗。
森屋くんなら楽勝だったけど、佐伯くんではガチンコ勝負だ。
緊張を誤摩化すように、黙々と駒を並べる。
「振り駒をお願いします」
私は歩を5枚集めて、盤上に放った。
歩が1枚。
「市立、偶数先」
「清心、奇数先」
後手を多めに引いちゃったけど、学生だから関係ないでしょ。
私は歩の位置を戻して、対局開始の合図を待つ。
「……それでは、始めてください」
「よろしくお願いします」
私はチェスクロを押した。
「よろしくお願いします。2六歩です」
ん、飛車先を突いてきたわね。
佐伯くんは棋風が変わってるし、用心しなきゃ。
「3四歩」
以下、2五歩、3三角、4八銀と進んだ。
これは、なに? 振り飛車にしろってことなのかしら?
……ここまで強調されると、居飛車にしにくい。
「4四歩」
「4六歩」
「4二飛」
お望み通り、振り飛車にしましょう。
先手は右四間っぽいけど、それならおじいちゃんと対局経験豊富だ。
かかってきなさい。4七銀、3二銀。
「3八金」
ふえ? ……右金上がり?
そんなの、右四間にないでしょ。意味が分からない。
これは本格的に怪しくなってきた。嫌な匂いがぷんぷんする。
とりあえず囲っておきましょう。6二玉。
3六歩(これもよく分からない)、5二金左、3七桂(跳ねた?)、7二玉、5六歩、8二玉、6八銀。
これは……ここからできる戦法って、ひとつしかない……。
私は、小考。
佐伯くんの選んだ戦法はズバリ……右玉だ。それ以外は考えにくい。四間穴熊にしようかと思ったけど、右玉vs穴熊は、2九飛〜9九飛と回られたときのプレッシャーと、穴熊側から打開が難しいというデメリットがあって、好ましくない。
ここは、普通に。
「7二銀」
私は穴熊を放棄して、美濃に組んだ。久しぶり。
5七銀、6四歩、2九飛、7四歩。
「4八玉」
だいたい分かってた。
私は9四歩、9六歩の交換を入れて、さらに1四歩と打診する。
佐伯くんは無視して5八金。どうやら、端を詰められても平気らしい。
もっとも、振り飛車側から端を詰めるメリットは、ない。相居飛車だったら、王様が広くなるから、喜んで突くけどね。じゃ、1筋はもう放置して、6三金、と。
「裏見さんは、早指しなんですね」
いきなり話しかけてきた。
「序盤はこんなもんでしょ」
「僕と指すときは、みなさん時間を使うので、裏見さんは例外だと思います」
ああ、それは、アレでしょ。佐伯くんの戦法が変わってるからでしょ。
私は年配のご老人方と指してるから、対応力が違うのよ、対応力が。
この対局で、年季の違いを見せつける。
「角道を開けます。7六歩」
8四歩、6六歩。
全体的に、打開できるような形を工夫する。
8三銀、6九飛、7二金。
まずは銀冠にして、防御力アップ。
「右金が使いにくくなっちゃったな……」
どやぁ。
「こっちから攻めますね。7七桂」
佐伯くんは、桂馬を跳ねた。
普通は右玉だと跳ねないところだ。
三味線とも思えないし、間違いなく6五歩と突いてくるはず。
立ち後れないように4三銀と出るのは既定路線として……6五歩、同歩、同飛の速攻は、6四歩、6九飛と収めて、なにもなさそうなのよね。まあ、飛車先の歩を交換するくらいでも、メリットはあるっちゃある。
いずれにせよ、急激に潰される順は、なさそうだ。
「4三銀」
「9七角」
端角か。凄い形になってきた。
ここから5四銀は……5五歩、同銀、6五歩、同歩、同飛、6四銀に、同角、同金、同飛の2枚換え。以下、6三歩、6九飛として、4五歩がそこまで厳しくなさそう。6五桂、4六歩の取り込みには、同銀左と普通に取って、次の5三桂成が厳しい。飛車の紐がついてるから、9九角成と香車を拾えないのも痛い。
ということは、5四銀はよろしくないみたいね。がっつりと6筋を守るために、6二飛と回る方が良さげ。以下、6五歩、同歩、同飛、6四歩……いや、この形で6四歩は、つまらないかも。振り飛車っぽくないし。
もっと果敢に……7五歩とか?
(※図は香子ちゃんの脳内イメージです。)
同角は7四銀の両取り、同飛は6四金の飛車取り、同歩は7六歩の桂取り。
つまり、取れない、と。
先手としては、一旦6九飛と退避して、7六歩、6五桂の反撃。だから、こっちも7六歩とはせずに、4五歩と突いて角で桂馬を狙う。このとき7五歩の効果で、4五同桂〜5三桂成の強襲が効かない。受けるなら、6七金か6七飛。前者は手堅く、後者は突っ張って受ける格好。佐伯くんの棋風だと、若干後者もありえるかしら。そのとき、7七角成、同飛、8五桂の両取りが成立するかどうか。8五桂、6七飛、9七桂成、同香、4六歩、同銀左……ダメか。先手からは5五桂の両取りがあるわ。
巻き戻して、6七飛に7六歩だと? 6五桂、7七歩成、6九飛、6八歩、同銀、同と、同飛、6四歩……これは後手がいい。7七歩成にいきなり5三桂成は、6七と、6二成桂、5八とと、こっちが先に王手できる。これも後手優勢。
6七飛の突っ張りは、成立しないみたいね。だったら、6七金の一択。そこで強引に7六歩とするのは、6五桂と跳ねずに同金と取られて、手が続かなくなる。私の方も、なにか手を考えないといけない局面だ。
……………………
……………………
…………………
………………
5四金とか?
(※図は香子ちゃんの脳内イメージです。)
先手がなにもしなければ、7七角成、同金、6九飛成で終了。
受けるには、6六歩と打つしかない。その瞬間に4六歩と取り込んで、同銀左、4五歩、5七銀、4四銀と進出。これは、私好みの形になりそう。
私はチェスクロを確認する。残り19分。ちょうど20分を切ったところだ。
佐伯くんは22分残してるけど、今の順のどっかで長考するでしょ、多分。
「6二飛」
私は飛車を寄った。
佐伯くんは、すぐに6五歩と仕掛けてくる。
同歩、同飛、7五歩。
「機敏な一手ですね」
佐伯くんは、7五歩をそう評価した。
そして、長考に入る。
さあ、佐伯くん、あなたの対応力、見せてもらいましょうか。