224手目 ラブパワーな少女
「……6四角と出ますか?」
「それは8四飛でギャフン」
あ……角桂両取り……。
「でもこのままだと、そのうち4五銀と出られますよね?」
私の質問に、スネ夫先輩は悩ましげな顔をした。
「どっちかって言うと、4五桂と跳ねたいんだけどね」
「桂跳ねですか? 狙いは?」
「5七桂成」
えぇ、この局面で?
「ちょっと無謀過ぎません?」
「横歩の後手番は、桂馬をどっちか使わないと話にならないんだよ。形勢だけでなく、気合いの問題でもあるかな。振り飛車だって、左桂がさばけたら気持ちいいんじゃないの?」
確かに、振り飛車で左桂がさばけると気持ちいい。
あれは形勢云々よりも、左桂をさばけたこと自体が好感触なのだ。
幸田先輩の比喩で、4五桂の気持ちがなんとなく分かった気がする。
「とりあえず、角が不安定だから、もう一回移動するかな。9七角とか」
「お互いに端角ですか」
「その次が、また難しいんだけどね。いきなり4五桂が成立するかどうか……」
そんなこんなのうちに、サーヤは9七角と下がった。
飛瀬さんは、7四銀。
「攻めて来ないんだ……」
サーヤは、ちょっと怪訝そうな顔をした。
4五銀か4五桂を読んでたっぽい。
「今度こそ3四歩がありそうだね」
幸田先輩は、一転して攻める順を指摘した。
「ここで、ですか?」
「3四歩、4五銀に、8六飛が飛車成りをみせて先手。当然8五歩だけど、6六飛と寄るのがまた先手で、後手の方が忙しくなりそうだ」
横歩特有の、飛車がちょこまかと動く展開ね。
私が見守っていると、サーヤは3四歩と仕掛けた。
「攻めて来た……」
今度は、飛瀬さんが対応する番だ。
さっきから若干指し手が速かったけど、大丈夫なんでしょうね?
「4五桂……」
跳ねた。
サーヤは、すかさず3三歩成と成り込む。
「5七桂成」
ふわッ!?
「いきなり捨てた? 3五歩じゃないの?」
これには、対戦相手のサーヤもびっくり。
というか、対局相手ならなおさらだ。
「だいたい敵陣の真ん中にぶっぱしておけばOK……艦隊戦の基本……」
「な、なに言ってるのか分からないけど、無理筋でしょ」
サーヤは同銀左と取った。
4五銀、8六飛、8五歩、6六飛。
「3三金……」
「これは冷静だな……先手になにか用意があったら終わるけど……」
幸田先輩は、3三金がやや隙ありと見たらしい。
サーヤもそう考えたようで、にわかに長考を始めた。
「6四角と出ますか?」
私は幸田先輩に尋ねた。
「ちょっと待って……考え中……」
幸田先輩は、前髪を少し持ち上げて、目を細める。
「……これ、後手が成功してるかもしれない」
「え? ほんとですか?」
「6四角と出たいんだけど、一旦6三歩、9七角と収めてから、3七歩が痛打」
【参考図】
「同桂は2九飛、同金は2八飛だよ」
おっと、飛瀬さん、チャンスが転がり込んできたんじゃない?
「ただそれは、6四角と出たらの話だからね」
「他に手がありますか?」
「筋は悪いけど2五桂も考えられるよ。5七角成と切りそうだけど」
2五桂、5七角成、同銀、4三金みたいな展開かしら?
これはこれで、後手相当怖い気がする。油断は禁物ね。
「6四角に、6三歩って収める必要あるんですか?」
「収めるというか、角の逃げ場所を打診してる感じかな。9七じゃなくて、2八に引く手もあるよ。その場合は、7七歩と反対側に打つけどね。開き王手もあるし」
確かに、6三歩と打たないと、なにかのとき2八角なんかが開き王手になる。
ただ、7三角成、同玉、6一飛成みたいなごり押しは、成立しないっぽい。
残り時間は、飛瀬さんが9分、サーヤが7分。結構使ってるわね。
「出るしかないか……」
サーヤは6四角と出た。
飛瀬さんは、6三歩と打たずに7七歩。
同桂、6三歩、2八角。
「読みとちょっとズレたね。お互いになにか見えたのかな」
まあ、手順前後みたいなもんですけどね。
6三歩〜7七歩か、7七歩〜6三歩かの違い。
「8九飛……」
飛瀬さんは、待望の飛車打ち。
ここでサーヤに手があるかどうか。
「後手が歩切れだから、僕なら7六飛と寄るね」
「8三金とかで簡単に受かってませんか?」
「6六桂と追加するよ」
【参考図】
うわ、これは厳しい。
後手は駒がなにもないから、受けようがない。
「とはいえ、6五銀の軽い出はあるんだよね」
「え? 桂馬の筋ですよ?」
「同桂に同桂。次に5七桂成、同銀、同角成、同玉、5九飛成で終わりだよ」
……なるほど、中央から殺到されたら、詰みまであるんだ。
「だから、6五銀には7三角成、同金、6五桂だと思う」
ん? 今、角を捨てましたね?
「4九角で、どうですか?」
「6八玉、3八角成、7三飛成あるいは7三桂成かな」
お互いに金を取りながら大駒を成り合う展開。
「どっちを持ちたいですか?」
「僕なら……後手だね。先手は左右挟撃だから」
ふむ、幸田先輩は、後手持ちか。
飛瀬さん、格上のサーヤ相手に健闘してるじゃない。
さっきの通りに進めばの話だけど。
「飛瀬さん、ここ一年でずいぶん強くなったようだね」
「……そうみたいですね」
ここだけの話、私も部室でたまに入れられちゃうのよね。
飛瀬=箕辺だったけど、今ははっきり飛瀬>箕辺かな。
「ところで、飛瀬さんは、ほんとうに宇宙人なのかい?」
んなわけないでしょ。常識的に考えてくださいな。
「まあ、そういうネタが流行ってるってことで……」
「そのわりには、変な噂をよく耳にするんだけど」
あれでしょ。手品がうまいとかでしょ。
そんなこと言い出したら、佐伯くんだって宇宙人じゃないですか。
パシリ
はい、宇宙人ネタはここまで。続き、続き。
「飛瀬さんが8三金〜6五銀に気付けるか、そこがポイントだね」
気付くと思う。
変に持ち駒がないから、顔面受けしか選択肢しか残ってないもの。
こういうときは、迷う順がなくて助かる。
「8三金……」
「6六桂」
「6五銀……」
よーしよしよしよし。
サーヤも形勢が悪いと勘付き始めたのか、前のめりになっている。
「……角は渡さないとダメか」
サーヤは、7三角成と突っ込んだ。
同金、6五桂、4九角、6八玉、3八角成、7三飛成、5二玉。
私たちの予想通りに進んだ。
「こういうのが、横歩のつらいところだよね。軌道修正が効かない」
そう、だから私は横歩が嫌い。粘れないもの。
振り穴とかでごちゃごちゃぐだぐだやってるのが、私の性に合ってる。
「一応、2五桂の両取り挟撃がありますよね?」
「それは4八馬、1三桂成、5八金、7七玉、8六飛成までだよ」
あうち、4八馬に同銀と取れないのか。
「ってことは……」
「後手勝勢なんじゃないかな」
きたこれ。
飛瀬さん、間違わないでちょうだい。
「て、手がない……」
ピッ。サーヤは1分将棋に突入。
でも、これはひねり出せそうにない。1三に角がいなかったら、3一銀とかいろいろありそうなんだけど、後手の陣形は意外とバランスが取れている。
ピッ、ピッ、ピッ、ピーッ!
「4六桂ッ!」
ん、これは?
「5筋をムリヤリ受けたね」
ふむふむ、攻めっていうよりは受けか。
ここで飛瀬さんは、じっくりと時間を使う。残してきた甲斐があった。
「私がいいと思うけど……こっちにも、微妙に詰めろが掛かりそう……」
飛瀬さんは、あまり楽観していないようだ。
「幸田先輩なら、どう寄せます?」
「寄せに行くなら、4六銀だけど……怖いよね」
4六銀、同歩……まだ大丈夫じゃないかしら?
「後手に詰めろって掛かります?」
「難しい質問だな……5三桂成、同玉、5四銀、4二玉、7二龍、3一玉、4六歩が、微妙に詰めろっぽい気がするんだけど」
【参考図】
これは……微妙……。
「3二歩ですか?」
「同金は詰むよね。同龍、同玉、4三金、2一玉、3二金打、1二玉、2一銀」
「取らないと詰まないように思います」
「2一玉でも2二玉でも、ギリギリ詰まないのかな」
2二玉、3一銀、1二玉、2二金、同角、同銀成、同玉。これは詰まないわよね。3一歩成としても、3二桂で止まっている。同と、同金、3四桂、1三玉、2二角、1四玉……うん、詰まないわ。
「3二歩に代えて4二銀でも詰まないかな……2一玉、3一金、1二玉、3三銀成、2二桂と打って、同成銀、同角……詰まないね」
私は、読み筋を追った。
どうやら、後手に即死の順はないようだ。
「ただ、これは後手負けな気がするね。先手にも詰めろが掛からないから」
「そうですね……これ以上駒を渡すと、さすがに詰めろですし……」
飛瀬さんの持ち時間が、どんどん減っていく。
サーヤは事態が好転したと思ったのか、さっきより表情が軽くなっていた。小刻みに体を揺すりながら、うんうんと頷いている。
ピッ。飛瀬さんも1分将棋。
「4六銀と取らない手があるのかな?」
幸田先輩は、一から読み直し始めた。
飛瀬さんがどの順を読んでいるのかは、さっぱり分からない。
できれば、安全勝ちの順を読んでいて欲しい。
ピッ、ピッ、ピッ、ピーッ! パシリ!
ぐッ、取る順を選びましたか。
サーヤはノータイムで5三桂成。時間攻めに出た。
同玉、5四銀、4二玉、7二龍、3一玉。
ここまで、サーヤはノータイム、飛瀬さんは59秒まで熟考の繰り返し。
「4六歩」
サーヤの手付きは、かなり力強かった。
問題の局面に突入して、私と幸田先輩も念入りに読む。
「後手勝ちだとは思う。考えれば決め手があるはずさ」
幸田先輩は、形勢判断を維持していた。
でも、勝ち筋が見えないんじゃ、意味がない。
30秒経過。
「こういうときこそ、捨神くんのことを考える……捨神くん……捨神くん……」
将棋のことを考えなさーいッ!
40秒経過。私はもやもやしてくる。これで負けたらギャグだ。
50秒経過……ピッ。
「あ、閃いた……」
ピッ、ピッ、ピーッ!
「7六桂」
……………………
……………………
…………………
………………
こ、駒を捨てたッ!?
「ッ!? これは読んでなかったッ!」
サーヤはノータイム指しを止めて、歯を食いしばった。
「5八玉は4九飛成で詰むから、同龍しかないね。安全策かな?」
確かに、龍を引かせて、自陣を安全にする作戦かもしれない。
でも、今度こそ2五桂みたいな張りつきが生じている。
ピッ、ピッ、ピッ、ピーッ!
「同龍ッ!」
「5六桂……」
2連続で捨てたッ!?
驚きを隠せない私の横で、幸田先輩は「へぇ」と声を漏らした。
「こりゃ凄いや」
な、なにが凄いの?
同銀で……4六角? これが王手……5七銀打……は4八馬か。
ということは、4六角には5七銀、同角成、同玉、5九飛成……ん?
寄ってる? もしかして寄ってる?
「ど、同銀」
サーヤは、30秒ほどで桂馬を払った。
4六角、5七銀、同角成、同玉、5九飛成、5八歩。
「5六馬……」
馬を切った。
駒を渡しまくってるから、詰まなければ飛瀬さんの負け。
同玉、5八龍、5七歩、5五銀、同玉、5七龍。
……………………
……………………
…………………
………………
サーヤは、がっくりと頭を下げた。
「ま、負けました」
「ありがとうございました……」
ほ、ほんとに勝ったッ!? これがラブパワーッ!?
にわかにチーム勝ちの目が見えて、私は色めきたつ。
ほ、他はどうなってるの?
私が確認しようとしたところへ、箕辺くんが戻ってきた。
「残念でしたね、1−4ですか」
……ふえ?
「と、飛瀬さん、勝ったんだけど」
私の返事に、箕辺くんはエッという顔をした。
「飛瀬が勝ったんですか?」
「そうよ、勝ったのよ」
「だ、だったら2−3です」
ぐはぁッ! 松平が負けてるッ! 助っ人になってなーいッ!
「最後の桂捨ては見事だったよ。7六に龍がいないと、詰まないんだよね」
幸田先輩の一言で、私たちは観戦へと戻った。
「7六の逃げ道封鎖を考えてたら、たまたま思いつきました……」
飛瀬さんは謙虚。
サーヤはしばらく憮然とした表情で、何度も首を捻っていた。
格下相手に負けたと思ってるんでしょうね、多分。
「終盤、4六桂以外に、何かあった?」
「少し戻しますか……」
「2五桂は、こっちが寄っちゃうのよね」
サーヤは、2五の地点を指差した。
「はい……それは気づきました……4八馬で……」
「サーヤちゃんの4六桂が最善なんじゃないかな」
幸田先輩の指摘に、サーヤも頷いた。
「そうですね……だとしたら、この時点で敗勢」
「3三同金のところで2五桂は?」
私は尋ねた。
「それは5七角成、同銀、6五桂くらいで終わり」
【参考図】
サーヤの返しに、私は納得する。
3三桂成は5七桂成、同玉、5九飛、5八金(5八歩は4九銀でいきなり詰めろ)、8九飛成あるいは2九飛成。取ったばかりの金を5八に使ってるようじゃ勝てない。
「7四銀が、完全に誘いの隙だったわ」
「まあ……そこまで読んでないんですけどね……」
結果的に正解ってやつよね。
「途中、飛車角が乱舞したところで、なにかあると思ったんだけど……」
サーヤは、1三角以下の変化を調べ始めた。
私たちはあーでもないこーでもないと、いろいろアイデアを出し合う。
「どれも芳しくないな……8九飛の打ち込みに弱過ぎる」
「7七桂と跳ねれないようじゃ、バランスが変だったかもしれません」
サーヤは、構想の失敗を認めた。
ガタン!
こ、今度はなんですか?
「やったっス! 角ちゃん大正義っス!」
うしろを振り向くと、大場さんが人差し指を立ててガッツポーズをしていた。
どうやら、決着がついたらしい。
「ふぅ、うちの勝ちみたいだね」
幸田先輩は、うっすらと笑みを漏らす。
「他のところは分かってるんですか?」
「当たり的に2−2スタートだったから、大丈夫だよ」
ちゃんと調べた方がいいですよ。
うちの飛瀬さんみたいなこともあるし。
まあ、大場さんがあれだけ喜んでるってことは、3−2勝ち濃厚。
「後片付けがあるので、終わったところから撤収準備をお願いします」
ここでお開き。
飛瀬さんは一礼して、席を立った。
「すごいな、飛瀬、鞘谷先輩に勝つなんて」
箕辺くんは、飛瀬さんを労った。
「これもラブパワー……」
「?」
ラブパワー恐るべし。
私はそんなことを思いながら、控えテーブルへと戻った。
場所:2014年度秋期団体戦 3回戦
先手:鞘谷 涼子
後手:飛瀬 カンナ
戦型:横歩取り3三桂戦法
▲7六歩 △3四歩 ▲2六歩 △8四歩 ▲2五歩 △8五歩
▲7八金 △3二金 ▲2四歩 △同 歩 ▲同 飛 △8六歩
▲同 歩 △同 飛 ▲3四飛 △3三桂 ▲4八銀 △6二玉
▲2四飛 △1四歩 ▲6八玉 △7六飛 ▲9六歩 △7四飛
▲同 飛 △同 歩 ▲3九金 △2八歩 ▲同 金 △2六歩
▲8二歩 △同 銀 ▲8六飛 △7二金 ▲2六飛 △7三桂
▲5八玉 △8三銀 ▲3八金 △1五歩 ▲6八銀 △4二銀
▲6六角 △7五歩 ▲2四飛 △6四歩 ▲3六歩 △2三歩
▲2六飛 △4四歩 ▲3五歩 △4三銀 ▲3六飛 △1三角
▲7五角 △5四銀 ▲9七角 △7四銀 ▲3四歩 △4五桂
▲3三歩成 △5七桂成 ▲同銀左 △4五銀 ▲8六飛 △8五歩
▲6六飛 △3三金 ▲6四角 △7七歩 ▲同 桂 △6三歩
▲2八角 △8九飛 ▲7六飛 △8三金 ▲6六桂 △6五銀
▲7三角成 △同 金 ▲6五桂 △4九角 ▲6八玉 △3八角成
▲7三飛成 △5二玉 ▲4六桂 △同 銀 ▲5三桂成 △同 玉
▲5四銀 △4二玉 ▲7二龍 △3一玉 ▲4六歩 △7六桂
▲同 龍 △5六桂 ▲同 銀 △4六角 ▲5七銀 △同角成
▲同 玉 △5九飛成 ▲5八歩 △5六馬 ▲同 玉 △5八龍
▲5七歩 △5五銀 ▲同 玉 △5七龍
まで112手で飛瀬の勝ち