222手目 千日手模様な少女
千日手の選択肢はあるの? ……ないわよね。これは先手がいいはずだし、千日手は津山くんの方がどちらかと言えば歓迎のはず。全体の勝敗を見ても、私が引き分けたらチームも引き分ける公算が高い。八千代先輩のところは、多分負けだから。
私は千日手の順を斬り捨てた。お茶を飲んでリフレッシュ。頭を働かせる。
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飛車を切る? 現局面から4三桂成、同角成、4六歩、9七飛成、4五歩、6七と、5五馬、3三香、4四金、同銀、同歩、7六馬、4三歩成、同銀、同飛成、同馬、4四歩。
(※図は香子ちゃんの脳内イメージです。)
……ダメっぽい。4四歩に7六馬と逃げられたあとが続かない。
私はお茶をもう一口飲んで、考え直す。
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そうか、金を残してないからダメなんだわ。飛車を切るなら4三桂成、同角成、4六歩、9七飛成、4五歩、6七と、5五馬、3三香、4四歩、7六馬、4三歩成、同銀、同飛成、同馬、4四歩と、すぐに切った方がいい。4四歩に7六馬なら、4三金と打てる。
(※図は香子ちゃんの脳内イメージです。)
後手は金銀を1枚も持ってないから、千日手は不可能。
しかも先手優勢。ひょっとすると勝勢。
ということは、5八とは間に合わないわけね。よし。
「4三桂成」
私は桂馬を成り込んだ。
同角成、4六歩、9七飛成、4五歩、6七と、5五馬、3三香。
合い駒も予想通り。4四歩、7六馬。
「4三歩成」
「え?」
津山くんは、私の歩成りに喫驚した。
「拠点を成り捨てるの?」
成り捨てます。
どうやら、読みに入ってなかった模様。
津山くんは自分の持ち時間をチラ見してから、同銀と取った。
「同飛成」
「……同馬、4四歩か」
正解。これは一直線だから、回避できないわよ。
「同馬」
「4四歩」
「同銀」
それはこの手が急所ッ! 5四銀ッ!
「うッ……」
津山くんは、思わず仰け反る。
同馬なら、同馬、5三銀打に4三角、5四銀、同角成。
この瞬間、銀を助けるのは5三角くらいしかないけど、それは緩手。4三金と打って、5八と、3二銀以下、明らかに先手の速度勝ち。
津山くんは、長考に入る。
私はさっき長考したから、残り7分。津山くんは12分残してる。
5分くらい考えて来そうかな……私も寄せを考えましょう。多分5五銀と出て来るから、4三銀成、5八と、4二歩、3一金、5四角、4四金、3二金、1二玉、4四成銀と補充して、3二金、3二角成、2二金、同馬、同玉、4三金が詰めろ……これは勝ちね。攻めが切れないわ。
要するに、後手は4二歩と打たれてはお仕舞い。5八とと取る余裕はない。だったら、敵の打ちたいところに打てで、後手から4二歩でしょ。
(※図は香子ちゃんの脳内イメージです。)
ここで……ん……ここで……ん?
手がない? ……そんなバカな。香子ちゃんの寄せセンサーはビンビンよ。
さすがに寄る……はず……。
私は寄せの順を考えた……けど、思いつかない。一旦5三成銀と逃げる? 5八と、5四角、4三桂……全然ダメか。だったら、4三銀成とせずに不成? 4二歩、5四銀成、5八と、5七龍……これも冴えない。五分か先手不利になってる。
もっとなにかトリッキーな手を……。
パシリ
5五銀が指された。
私の方は、すぐには指せない。考えがまとまってないからだ。
うーむ……先手が優勢のはずなんだけど……。
「負けました」
「ありがとうございました……」
おっと、飛瀬さんのところが終了。どうやら勝ったようだ。
こうなると、私も勝たなきゃいけない。残りは来島さんに託す。
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待ってよ。後手は4二歩〜4三歩と取ったところで、受けになってないのよね。4三に残るのは、ただの歩だもの。ということは、そこで別の駒を取れれば良し……ずばり5二角。
(※図は香子ちゃんの脳内イメージです。)
同金に3二金、5二成銀が詰めろよね。
2二桂と受けて……あ、2二桂と受けられると面倒?
3一金打が詰めろじゃないのよね。5八と、2一金寄、1四歩、2二金寄、1三玉、2五桂、2四玉、1六桂、2五玉、2六歩、1五玉……詰まないか。1六桂のところで2六銀と出れば詰めろだけど、3五歩の逃げ道がある。
どうやら、金2枚ではダメなようだ。むしろ角を残したい。5二角に代えて、5二金とする? 同金……あ、今度は3二金がないのか。5二同成銀、5八と、4二成銀、3二金は、また千日手コースかもしれない。もっとも、現時点で先手が悪いなら、千日手も視野に入れて指す必要があるわよね。頭の片隅に。
私はアレコレと考えた。でも、結局はさっきの順に戻っちゃう。5二角と打つか、それとも5二金、同金、同成銀と収めるか。どちらも進行は漠然としている。
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後者の方がいいか。5二角以下は、攻めが切れてる気がするもの。
この時点で、私の持ち時間は2分を切っていた。
「4三銀成」
「4二歩」
くぅ、ノータイムで指しますか。人が困ってるときに。
私は5二金と返した。
「これはさすがに切れてる気が……」
かもね。
「同金」
「同成銀」
「5八と」
さて、問題の局面。
さっきからチラチラ浮かんでいるのは、4二成銀、3二金、4一金、4二金、同金、3二金、4一金打、4二金、同金以下の千日手。変化はいろいろありそうだし、どちらか手を変えてもおかしくないけど、津山くんなら受け入れてくれるかもしれない。
もっと単純な寄せがなければ、これを……。
そのときだった。私はふと、喫茶店『八一』で読んでいた必至の本を思い出す。この形、少し手を変えたら必至図になったような……あれってなんだっけ……?
ピッ。1分将棋に突入。私は記憶を振り絞る。
……そうだ、4二に金がいて、3一角、1二玉、3二金で必至だわ。ただ、ここで4二成銀と寄っても、それじゃ必至にならない。手番が違うからだ。手番を逆転させる方法があれば、私の勝ち……なにかうまい手は……そうだッ!
「4三歩ッ!」
私は10秒ほど残して、4三歩と打った。
津山くんはまったく予想外だったのか、じっと4三の地点を見つめる。
「と金の製造……?」
に見えるわよね。
「……同歩」
私は金を空打ちして、30秒ほど読み直す。
「4二金」
これが必至一歩手前。3二金なら同金、同玉、4二金、2二玉、3一角、1二玉、3二金で、いきなり必至になる。他の駒を打っても同様。
「あ、そっか……必至形……」
ようやく気付いたわね。
津山くんは、急にそわそわし始めた。
けど、私も落ち着かない。正直、このまま必至に持って行ける気がしないのだ。
「に、2四歩」
悩ましいの来た。
候補としては、4一成銀と入るか、4一角と打つか、3二角と打つか。4一成銀は、一番厳しくなさそうだ。却下。問題は、4一角と3二角の比較。4一角、5七龍、3二角成、1二玉、3一金は、詰めろ? 仮に7八飛と打って、2一馬、2三玉、3二馬、1二玉……連続王手の千日手。私の負けだ。だけど、2回目の1二玉のとき、2三桂と打てる。これは1一桂成、同玉、2一馬までの詰めろだ。つまり、4一角は一手スキ。
比較候補の3二角だけど、これも一手スキなんじゃない? 7八飛、4一角成、5七龍、3二馬(3二金は2三玉、3一金、1二玉、3二馬が詰めろじゃないっぽい)、3一金で、さっきと同じ形になる。
ただ、角を打った時点で1二玉って逃げられたら、どうするの? そのあと2二金で切れてるような……援軍がどう考えても必要……。
ピッ。あうち、分からなーいッ!
「4一成銀ッ!」
私は角を温存して、先に成銀を繰り出した。ちょっとひよったかも。
津山くんは、私の陣地と自分の陣地を交互に見比べる。
速度計算をしているようだ。私の王様は、7九飛〜4九と〜3九とと迫られない限り、有効な詰めろが掛からないはず。二手スキ以上。多分。違ってたら知らない。
ピッ。津山くんも1分将棋になった。
「……1二玉」
ぐぅ、めんどくさいの来た。うっかり5七龍とかしなさいよ。
私は懸命に考える。
3一成銀は、2二金、3二金、2三金打以下、千日手模様。
っていうか、もう千日手でもいいかなあ……下手したら負けるし……。
回避するなら、3二金の勝負手だ。2二金なら同金、同玉、3一角、2三玉、2二金、1四玉に1六歩の詰めろ。これを受けるのは、かなり難しいはず。
残り30秒。よし、両方を含みで見ましょう。折衷案。
「3二金」
2二金なら寄せにいく。2三金なら千日手。
「時間がない……」
津山くんは、逡巡する。千日手っぽいのは、彼にも見えているはずだ。
ピッ、ピッ、ピッ、ピーッ! パシリ!
千日手コース! 3一成銀ッ!
以下、2二金打、4一角と進む。
7二飛と横に利かせてきたら、4二歩で強制シャットアウトだ。
3二金、同成銀、2二金打、3一金、3二金、同金。
暗黙の了解があるのか、お互いに指し手は速くなった。
「2二銀」
配置は変わったけど、これも3一金打、同銀、同金、2二金打で千日手……。
「ん?」
私は少し前のめりになる。
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……………………
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………………
あ、これ千日手じゃない。
「2一金」
「え?」
津山くんは、すっとんきょうな声を上げた。
「せ、千日手じゃないの?」
千日手だとは、口頭で一度も申し上げておりません。
「ど、同玉」
「3二金」
「1二玉」
私は2二金と取らずに、持ち駒へと手を伸ばす。
「1五桂」
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………………
「う、受けがない」
津山くんは、眉毛をひくひくと震わせた。
1四金なら2二金、同玉、2三銀、2一玉、3二角成まで。
3一金なんて打っても、同金、同銀、2三桂成以下、詰み。
「い、1四角」
む、粘るわね。
2三桂成、同角に、慌てず2一金打。
3二角、同角成、2三金と受けて来たところで、私は2二金と決めに出た。
「同金」
「2三角」
終了。
「……負けました」
「ありがとうございました」
津山くんは、しまったという顔で溜め息を吐いた。
「てっきり千日手だと思ってたよ」
ぎくり。
「寄せが見えたから早指しになっただけなんだね」
おほほ、そういうことにしときましてよ。
「ずっとこっちが悪かったかな?」
「終盤は、そうでもないんじゃない?」
「え? 穴熊丸残りなのに?」
「こっちの攻めが切れたら、7九飛〜4九とくらいで危ないと思う」
津山くんは、あまり納得してなさそう。
「そうかな? 龍が死に体だし、4九とには3八金で逃げれるよね?」
「8八龍で?」
「詰めろじゃないよね?」
「詰めろじゃなくても、一手スキでしょ。こっちが一手スキ以上になったら終わり」
津山くんは、またまた首を捻った。
「僕の方が一手スキ以上になるって、あるのかな?」
うーん、これって、私の切れ筋が見えてなかったのかしら?
だったら、対局中にあそこまで焦らなくても良かったわね。
独り相撲だった予感。
「4三歩が全然見えてなかったよ。5八とは悪手だったかな」
私たちは、その局面まで戻した。
「一番単純なのって、3二金だよね?」
……かな。10秒将棋なら、そう受けそう。
「それでも4三歩かしら」
私は、4三歩と置いてみた。
「同歩で?」
「4二歩と垂らすわ」
後手が金を手放したなら、これでも待ち合うんじゃないかしらん。
「これは相手にしてられないから……5八とと取るよ」
私は黙って、4一歩成と裏返した。
「これは……一手スキかな」
「そうね。4二とで詰めろ」
「裏見さんの玉に、一手スキは掛からないね」
「だったら、3二金は受けになってないわ」
「4三歩に同金と取っても?」
いや、全然ダメでしょ。
「それは4一角と打たれて、3二に金打った意味ないと思うわよ」
「そっか」
津山くんは、こくりと首を縦に振った。
「なんか、いい手はないのかな?」
「7二飛と、横に受けたら?」
最後の最後で気付いたけど、自陣飛車が意外と厄介なのよね。
成銀を寄って行く筋がなくなるから。
「……意外といい手だね。裏見さんの予定は?」
「深くは読んでないけど、4三歩かしら」
「え? 5二飛で?」
「それは4一角で死ぬわよ」
飛車を逃げたら、3二金、1二玉、4二歩成。
本譜と似たような圧殺パターンに入る。
「でもさ、4三歩と取っても4二金で、結局同じだよね?」
「速度が違うわ。5二同飛、4一角のパターンは、2四歩より先に角が打てるから」
「ああ、そっか、飛車を逃げてる分、こっちの方が遅いんだね」
津山くんは4三歩と取って、私は4二金と置いた。
「まあ、2四歩かな」
津山くんは、本譜と同様に逃げ道を作る。
ここで、私は腕組みをした。いい手が思いつかない。
「飛車の横利きがあるから、4一成銀〜3二金は成立しないわね」
1分ほど考えて、3二角と打ち込む。
「1二玉かな」
4三角成、2二金。
「……3二金とできないわね」
「そっかぁ、じゃあ、絶対こっちの方が良かったな」
ま、7二飛に気付いてないんじゃ、こうはならないんだけどね。
「これがあるなら、終盤入り口でも、まだ戦えたのかな?」
「それはどうか分からないけど……」
「裏見さんなら、どう指す?」
私は盤面を一瞥する。
「すぐに攻める手はないから……4七金とかかしら」
「5七と、で?」
私は無言で、4六金と立つ。同銀、同銀。
「……これは僕が逆転してない?」
「次に3一銀と引っ掛けるわよ?」
「あ、そのための銀入手か……んー、でも……」
私たちが形勢判断で揉めていると、八千代先輩がやってきた。
「裏見さん、どうでしたか?」
「勝ちました」
私の返答に、八千代先輩は胸を撫で下ろす。
「では、3−2ですね」
おっと、チームも勝ちましたか。
八千代先輩の顔色からして、勝ったのは来島さんと予想。
だいたい計画通り。
「それと、もうひとつ朗報です。藤花が天堂に負けました」
……え?
「ほんとですか?」
「はい」
「どこか事故ったんですか……?」
「理由は、オーダーを見れば分かります」
オーダーと聞いたところで、私は時計を見た。
もうすぐ3時になろうとしている。
「3時15分からオーダー交換です」
運営の指示に、私と津山くんは顔を見合わせる。
「感想戦は、このへんにしようか?」
そうね。オーダーの話し合いがあるもの。
私は黙って頷いた。
「じゃ、ありがとうございました」
「ありがとうございました」
場所:2014年度秋期団体戦 2回戦
先手:裏見 香子
後手:津山 武
戦型:先手四間穴熊vs後手銀冠
▲7六歩 △3四歩 ▲6六歩 △8四歩 ▲6八飛 △6二銀
▲7八銀 △4二玉 ▲4八玉 △3二玉 ▲3八玉 △3三角
▲2八玉 △2二玉 ▲7七角 △5四歩 ▲6七銀 △5三銀
▲5六銀 △4四歩 ▲1八香 △5二金右 ▲1九玉 △3二銀
▲2八銀 △4三金 ▲3九金 △7四歩 ▲3六歩 △7二飛
▲7八飛 △5五歩 ▲同 銀 △7五歩 ▲同 歩 △同 飛
▲4六銀 △4五歩 ▲3七銀引 △7六歩 ▲8六角 △7四飛
▲7五歩 △5四飛 ▲5八金 △8五歩 ▲6八角 △6六角
▲7六飛 △9九角成 ▲7七角 △同 馬 ▲同 飛 △7三桂
▲6六歩 △8六歩 ▲同 歩 △9八角 ▲7四歩 △7六歩
▲7九飛 △7四飛 ▲7二角 △8八歩 ▲8三角成 △6四飛
▲7三馬 △8九歩成 ▲4九飛 △7七歩成 ▲5五桂 △9四飛
▲4三桂成 △同角成 ▲4六歩 △9七飛成 ▲4五歩 △6七と
▲5五馬 △3三香 ▲4四歩 △7六馬 ▲4三歩成 △同 銀
▲同飛成 △同 馬 ▲4四歩 △同 銀 ▲5四銀 △5五銀
▲4三銀成 △4二歩 ▲5二金 △同 金 ▲同成銀 △5八と
▲4三歩 △同 歩 ▲4二金 △2四歩 ▲4一成銀 △1二玉
▲3二金 △2三金 ▲3一成銀 △2二金打 ▲4一角 △3二金
▲同成銀 △2二金打 ▲3一金 △3二金 ▲同 金 △2二銀
▲2一金 △同 玉 ▲3二金 △1二玉 ▲1五桂 △1四角
▲2三桂成 △同 角 ▲2一金打 △3二角 ▲同角成 △2三金
▲2二金 △同 金 ▲2三角
まで129手で裏見の勝ち