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こちら、駒桜高校将棋部  作者: 稲葉孝太郎
第34局 そわそわ文化祭編(2014年10月5日日曜)
241/295

212手目 ヅカな少女

 私たちはお店をあとにして、まずは同じフロアを見て回る。どうやら調理の関係で、ここには飲食店が集まっているようだ。焼きそば、お好み焼き、クレープ、アイスクリーム、定番のお店が並んでいる。お昼は冴島(さえじま)先輩と一緒に食べちゃったから、微妙。クレープくらいなら、買ってもいいかな。

「買うのか?」

「はい」

「じゃ、オレもひとつもらうぜ」

 私はストロベリーを、冴島先輩はチョコを頼んだ。

 100円ずつ払って、クレープを受け取る。

「ありがとうございました」

 店員さんの挨拶を背に、私たちはクレープを頬張る。

「素人が作ってるわりにはウマいな」

「そうですね。クリームは、お手製って感じですけど」

 あんまり甘くないけど、そっちの方が好きかな、私は。

「そういや、裏見(うらみ)に言い忘れてたが……」

 冴島先輩は、ちょっと真面目な顔になった。

「何ですか?」

「秋の団体戦……両方出れねえ」

 ……え?

「初日も2日目も欠席ってこと……ですか?」

 冴島先輩は、申し訳なさそうに頷いた。

「まあ、なんとかなるだろ」

 冴島先輩は、わざとらしい笑みを浮かべた。

 いや、ならないでしょ。なんでレギュラーが抜けてるんですか。

傍目(はため)は推薦大丈夫みたいだし、人数の心配はないと思うぜ」

「そりゃ……そうですけど……」

 人数ギリギリだと、オーダーがずらせなくなるのよね。

 それって、団体戦だと致命的な気がする。

藤女(ふじじょ)だって、姫野(ひめの)は休むだろう」

 うーむ……楽観論……。

 姫野さんの志望校次第じゃないかしら。

 簡単な女子大だったら、出場してくるかもしれない。

 なーんて悩んでも、こればっかりは仕方がないか。3年生だもの。

「分かりました、残りの面子で何とかします」

「おう、頼んだぜ」

 私たちはクレープを食べながら、校内を移動する。

 渡り廊下を抜けて校舎を移動すると、辺りは急に静かになった。

「ん、ここは何もしてないのか?」

「文化部のフロアみたいですね」

 開いた教室を覗き込むと、あちこち展示物が見えた。

 書道部、華道部、美術部、イラスト研究会……。

 ときどき、留守番と思しき生徒と目が合った。

 軽く会釈して通り過ぎる。

「ここは見るものなさそうだな。引き返すか」

「そうですね」

 私たちが引き返そうとしたところで、ふいに音楽が聞こえてきた。

 音楽と言っても、CDを流してるとか、そういうのじゃない。

 最初はクラシックギターの生演奏かと思ったけど、どうも違う。

「こいつは……」

 冴島先輩は、何か思い当たるところがあるのか、近くの教室を覗き込んだ。

 同じように首を伸ばした私は、思わず声を上げそうになった。

「か、春日川(かすがかわ)さん……」

 和室の奥で、着物姿の春日川さんが、三味線を構えていた。年配のお客さんが、そこそこ入っている。他にも琴や尺八を持った生徒がちらほら。どうやら、和楽器の演奏会らしい。

 春日川さんはポンと弦をかき鳴らし、おもむろに唇を動かす。


 黒髪の むすぼれたる 思ひをば

 とけてねた夜の 枕こそ ひとり寝る夜の 仇枕


 すごいスローテンポな曲で、ちょっと眠くなる。

 私は眠気覚ましに、自分の額を軽く小突いた。

 その瞬間、ある人物が目に留まった。

「あッ!」

「しーッ」

 一番うしろのおばさんに注意されてしまった。

 私は口を噤みつつも、和室の端に座っている少年を睨む。

 ナツキくん、発見。こんなところに隠れていたとは。

 とはいえ、このままじゃ動けないから、私は春日川さんの演奏が終わるのを待つ。


 袖はかたしく つまじゃといふて ぐちな女子の心としらず 

 しんとふけたる 鐘のこえ ゆうべのゆめの けささめて 

 ゆかし 懐かし やるせなや 積もるとしらで つもる白雪


 最後に余韻の残る音が響いて、春日川さんは歌うのを止めた。

 そして、目を瞑ったまま、観客に向かって一礼する。拍手。

 私はその隙を突いて和室に飛び込むと、ナツキくんのシャツを引っ張った。

 振り返ったナツキくんは、ちょっと驚いたあとで、すぐに笑顔を浮かべた。

「裏見さん、どこに行ってたんですか?」

 それはこっちの台詞でしょうがッ!

「あなた、なんか仕組んだでしょ?」

「え? 何のことですか?」

「あなた、内木(うちき)さんのトークショーで……」

 詰め寄る私の背中を、誰かが小突いた。

 誰よ。振り返ると、見知らぬ女子生徒の姿が。

「すみません、次の演奏が始まるので、私語は廊下でお願いします」

 ぐぬぬ。ここで諦めてなるものか。

 私はナツキくんの襟を掴んで、廊下に引きずり出す。

 ナツキくんはスリッパを履いて、素直に従った。

 尺八の音をBGMに、私はナツキくんと対峙する。

「お、おい、裏見、穏便に……」

「冴島先輩は黙っててください」

 私は、ナツキくんを睨みつけた。

「あなた、内木さんとつるんで、私をハメたでしょ?」

 ナツキくんは、丁寧に整えられた眉毛を弓なりにして驚く。

「え? ボクがですか? レモンちゃんと?」

「あの状況で、なんで私が指名されるのよ。内木さんは将棋部員?」

「ええ、中等部の将棋部員です」

「だったら、私のこと知ってたわよね?」

「高校生のメンバーまでは、知らないと思います」

 こいつ、シラを切る気か。

「内木さんは、白状したわよ。私に復讐するためだって」

 決定的な証拠を突きつけられたにもかかわらず、ナツキくんは笑った。

「え? そうなんですか? ボクは知りません」

 こいつはぁッ!

 イケメンだったら何でも赦されると思ってるわね。成敗。

「ちょっとこっち来なさい」

「どこにですか?」

「高等部の面子に掛け合って、決着をつけてもらうわ」

 どこの中学か知らないけど、ひとりくらいOBがいるでしょ。

 ちょっと脅したつもりだったけど、ナツキくんは別の反応を見せた。

「メイド喫茶ですか?」

「そうよ」

「どのくらい人がいます?」

 なにを訊いてるの、この子?

「結構いるわよ。高1の将棋部員とか」

「そうですか、だったら行きましょう」

 ……意味が分からない。

 まさか、OBに庇ってもらえると思ってる?

 それとも、高校生の中にやはり黒幕が……うむむ。

 私は迷った挙げ句、喫茶店へ連れていくことにした。

 黒幕が見つかったら見つかったで、一石二鳥でしょ。

「裏見、落ち着いたほうが……」

「これは私とナツキくんの問題です」

 いくら冴島先輩の知り合いとはいえ、これは赦せないわ。

 年上をバカにしてるにもほどがある。ぷんぷん。

 私はナツキくんを引き連れて、喫茶店のドアをくぐった。

 入り口でヨッシーと鉢合わせになる。

「あれ……なんで……」

 ヨッシーは、私たちを見比べて、すごくびっくりしていた。

 ヨッシーが黒幕……じゃないか、さすがに。

「こんにちは、先輩方」

 ナツキくんは、他のメンバーに挨拶する。

「ナツキ、どうしたんだ?」

箕辺(みのべ)先輩こそ、どうしたんですか?」

「ポーンに招待されたんだ」

 横合いから、葛城(かつらぎ)くんが顔を覗かせる。

「ナツキくん、こんにちはぁ、今日もかっこいいねぇ」

「葛城先輩も、可愛いですよ」

「えへへぇ」

 な、なんか危ない会話。男の娘も守備範囲だった?

 一方、ポーンさんは、ナツキくんに渋い顔をしていた。

「Oh, nein, warum ist sie hier?」

 ポーンさんも知ってるのか。意外と顔が広いのね。

 だからって、庇わせません。こってり油を搾ってあげるわ。

「ほら、そこに座りなさい」

「お邪魔します」

 ナツキくんは、おとなしく私の前に座った。

 そして……。

「ちょっと、なんで駒揃えてるのよ?」

「もちろん、指すためですよ」

 ……は?

「ふざけないで。あなた、さっきからおちょくり過ぎでしょ」

「おちょくってませんよ。正式に試合を申し込みます」

 それがおちょくってると言うにッ!

「内木さんとつるんだのを、認めるわけね?」

「別に陰謀じゃありませんよ……内木さんは、姫野先輩を尊敬してるだけです」

「どちらにせよ、あなたには関係ないでしょ」

 私が詰め寄ると、ナツキくんは不敵な笑みを漏らした。

 周りの様子もおかしい。

「関係は大有りなんですよ」

「どこが? あなた、内木さんの彼氏とか?」

「仮に付き合ってても、彼氏とは言わないでしょうね」

「それって、どういう……」

 そのとき私は、ある違和感を覚えた。

 ナツキくんの体を、じろじろと眺める。

「あ、あなた、まさか……女?」

 ナツキくん……いや、ナツキちゃん?

「なんで男の子の格好なの?」

「ハハ、冴島先輩がいるのに、今さらその質問はないでしょう」

 ぐぅの音も出ない。

 混乱する私をよそに、ナツキくんは振り駒を始めた。

「自己紹介が遅れました。藤花女学園中等部2年。(つか)夏希(なつき)。漢字は宝塚の塚に、summerの夏、希望の希……演劇部兼任です。よろしく」

 そう言って塚さんは、歩を放った。

「表が4枚、ボクの先手ですね」

 後手か……って、なんでこんなことになってるのよッ!

「ちょっとサーヤ、あんたのとこの将棋部員は、どうなってるの?」

「さあ、中等部は私の管轄じゃないし」

 こーいーつーはーッ! 保護者責任ッ!

「裏見さんは、右利きでしたね」

 塚さんは、私の右側にチェスクロを置いた。

 今の手付きだと、どうやら左利きらしい。捨神(すてがみ)くんや菅原(すがわら)先輩と一緒だ。チェスクロハンデはなしか。

「30秒将棋ですね?」

「そうよ」

 ……あれ、なんで将棋指す流れになってるし。

「これは見物(みもの)だねぇ」

「さすがに裏見先輩の方が、強いんじゃないっスかね?」

「アハハ、どうだろうね」

 1年生たちが、野次馬のごとく集まってきた。

「よろしくお願いします」

「よ、よろしく」

 私は成り行きでチェスクロのボタンを押した。

 どうしてこうなった。

「7六歩です」

 また棋風が分からない。

 もう内木さんのときと同じでいいでしょ。8四歩。

「6八銀」

 なんだ、居飛車党か。

 私は安心して、3四歩と突く。

 6六歩、6二銀。これで本日3回目の矢倉に……。

「6七銀」


挿絵(By みてみん)


 ……………………

 ……………………

 …………………

 ………………

 え、なにそれ? 陽動振り飛車だった?

 私は訝しがりつつも、4二玉と上がった。

 5六歩、3二玉、5八飛。

「陽動中飛車……?」

「フフフ、違いますよ」

 塚さんは静かに笑って、上着の内ポケットから薔薇の花を取り出した。

 将棋には必要ないと思うんですけど。5四歩。

 塚さんは、薔薇の花びらに、形の良い鼻先を埋める。

「ボクの中飛車は、不破(ふわ)さんのように品のない中飛車じゃありません。喩えてみれば、この薔薇のように可憐で……繊細」

 今日の夕飯は何かなあ。鯖の味噌煮かしら。

「4八玉」

 何よ、ただの中飛車じゃない。ゴキゲンですらない。

 5三銀、3八玉、5二金右、4八銀。

 ん? ツノ銀?

 なんか楽勝な気がしてきた。穴熊にしちゃいましょ。

 3三角、4六歩、8五歩、7七角、2二玉、3六歩、1二香。

 ほれほれ、クマっちゃいますよ〜。

「将棋で最も美しい形をお見せしましょう。4七銀」


挿絵(By みてみん)


 ……………………

 ……………………

 …………………

 ………………

 こ、これはッ!?

「ローゼ・クロワ……薔薇十字戦法です」

 意味分からんッ! 風車(かざぐるま)でしょッ! 風車ッ!

「出ました、夏希ちゃんの十八番」

 うしろで観ていた甘田さんが、ニシシと笑った。

「Rosenkreuzerと言って欲しいですわ。なぜにフランス語ですの」

 えーい、んなことはどうでもいいのよッ!

 こんな変態戦法、粉砕してやるッ!

「1一玉」

 私は、速攻で穴熊にこもった。

 1六歩、2二銀、7八金、3一金、5九飛、4四歩、1五歩。


挿絵(By みてみん)


 端を詰められたけど、風車で端攻めはできない。余裕、余裕。

 4三金、4八金、6四歩、2六歩。

 ほらほら、形がどんどん崩れてますよ。

 私は9四歩、9六歩の交換を入れてから、7四歩。

 角頭に狙いを定めた。

「ここからが、また美しい……6八……」

「おいッ! 姫野のババアいるかッ!?」

 うわッ! びっくりしたッ!

 その場にいた全員が、入り口を振り返った。

 そこにいたのは、もちろん……。

「アハハ、不破さん、こんにちは」

「あッ、捨神の兄貴、ちーす」

 不破さんは、丁寧に頭を下げた。

 だけど、すぐに顔色を変えた。

「姫野のババア、いるかッ!?」

「姫ちゃんなら、いないよーん」

 甘田さんが代表して答えた。

 っていうか、見れば分かるでしょ。

「チッ、またいねぇのか」

 不破さんは舌打ちをして、手近な椅子に腰を下ろそうとした。

 お尻がつく前に、「おッ」と声を出す。

「ヅカじゃん」

 不破さんは、塚くんに歩み寄った。

(かえで)先輩、こんにちは」

「ここで何やってるんだ?」

 不破さんは、将棋盤を覗き込んだ。

「なんだ、また変態中飛車やってるのか」

「ローゼ・クロワですよ」

 風車だっちゅーねん。

 不破さんはニヤリと笑って、隣の椅子にドカリと腰を下ろした。

 腕組みをして、椅子を傾ける。

「優勝経験のないおまえじゃ勝てねえよ」

「フフフ、ボクが初物喰い(バージンキラー)だってこと、忘れてませんか」

 あんたなんかにバージンあげて堪りますか。

「それは俺がもらごふッ!」

 デリカシーのない奴は死ねッ!

「ふええぇ……松平(まつだいら)先輩がノックアウト……」

「今の右は、世界を狙えるっスよ」

 怒れる私をよそに、不破さんはポケットからスティック付きの飴玉を取り出した。

 包み紙を剥がして、それを口に含む。

「確かに、ヅカは初見殺しだからな。せいぜい頑張れよ」

 ……あれ? 塚さんのターンよね?

 とっくに30秒経っているような……。

「それじゃ、再開します」

 塚さんは、チェスクロの秒読みを再開させた。

 くぅ、ちゃっかり止めてたか。

「6八角です」


挿絵(By みてみん)


 7二飛〜7五歩を牽制しましたか。

 だったら、6筋に目標を変えて6二飛、7七桂、7三桂、9八香、6五歩、同歩、同桂、同桂、同飛を狙いましょう。桂馬を持てれば、攻めのチャンスがあるはず。

「6二飛」

 塚さんは、7七桂と跳ねる。

「7三桂」

「3七桂」

 ん……そっちか。

 端攻めを狙ってるとか? さすがに王様が近過ぎると思うけど。

 私は26秒まで考えて、6五歩と突っかけた。

 同歩、同桂。

「8五桂」


挿絵(By みてみん)


 え? 交換しないの?

 ……とりあえず、7三桂成は防止しないといけないわよね。6三飛。

「1四歩です」

 ええ……ほんとに端攻めしてきた……。

 予想されるのは、同歩、1三歩、同香、2五桂よね。そこで2四角……あるいは、5一角と引いて、1三桂成、同銀、1八香打みたいな展開かな。さすがに切れてるでしょ。

 私、1四同歩と取った。

 1三歩、同香。予想通りに吊り上げてくる。

 そこで桂跳ねかと思いきや、塚さんは持ち駒の歩を手にした。

「6六歩」


挿絵(By みてみん)


 桂馬を殺しにきた……けど、これはうまい返しがある。5一角と引いて、6五歩に同飛。これが桂馬に当たっているから、8六歩、6六歩、5八銀左と押さえ込んで、8四歩。5八銀左とせずに7七桂と切り返してきたら、冷静に6三飛と引いておけばいい。

 ピッ。5一角。

「9五歩」

「ふえ?」

 今度は9筋の端攻め?

 同歩、同香……いやいや、全然成立してないわよ。

 私は自信をもって9五同歩。

「2五桂」


挿絵(By みてみん)


 だぁあああッ! さっきから右に左にちょこまかとッ!

「すげぇ手順だな」

 不破さんはテーブルに頬肘をついて、ニヤニヤと笑っていた。

「舞台と同じで、盤面は広く使わないとね」

 なーにが舞台よ。先に桂馬を殺してやるわ。8四……ん?

 8四歩、9五香、同香、同角……あッ! 角筋が止まるから端攻めが成立ッ!

 しまった。9五歩はただの味付けじゃなくて、8四歩の防止なんだわ。

「さ、指す手がない……」

 裏見香子、ピーンチ!

『黒髪』

https://www.youtube.com/watch?v=qnsYY1whk0c

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