211手目 おもてなしする少女
ああ、疲れた。なによ、あのアイドルは。
「なかなか強敵でしたね」
猫山さんは、いつもの猫口を作った。
将棋が強いのは認めざるをえないかな、悔しいけど。
喫茶店に戻った私たちを待ち受けていたのは、サーヤだった。
「ちょっと、どこ行ってたの?」
「へ、変なアイドルに絡まれて……」
「変なアイドル……内木さんのこと?」
私は頷き返す。
するとサーヤは、怪訝そうに首を傾げた。
どうやら、黒幕ってわけじゃなさそうね。
仕組んだのは、誰? まさか姫野さん本人じゃないだろうし……。
「それより、香子ちゃん目当ての客が来てるわよ」
「え?」
「ご指名」
サーヤはそう言って、教室の隅を親指で示した。
私は、そちらに視線を走らせる。
「……げッ!」
満面の笑みで手を振る松平に、私はこぶしを握り締めた。
「待ってたぞ」
私は待ってないんだけど。
……とはいえ、接客しないとマズいか。サーヤが、こっち見てるし。
私は、しぶしぶ席についた。
「じゃ、今年もサービスしてもらうか」
松平は、飛車をパシリと打ち付けた。
こいつ、ほんとに舐めてるわね。
2年連続で負けてなるものか。
私は意気揚々と、駒を並べる。
「ひとりで来たの?」
「うしろに連れがいるぜ」
私が振り返ると、そこにはつじーんとくららんの姿が。
こいつら、いっつもつるんでるわね。
「香子ちゃんと剣ちゃん、優勝者同士の対決だね」
「賭けてるものは、しょうもないですが……」
つじーんの言う通り。
ほんとにしょうもない。
「振り駒するぜ」
「どうぞ」
松平は歩を掻き混ぜて、宙に放った。
表が2枚。私の先手だ。
「ルールは分かってるわね?」
「一手30秒だろ。勝ったらリップサービス」
松平は、王様の位置をちょんちょんと調整する。
「それじゃ、よろしくお願いします」
私たちは一礼して、対局スタート。
さーて、どうしてくれましょうか。とりあえず7六歩。
私の初手に対して、松平は一考する。
「戦型を考えてこなかったんだよな……」
「メイド喫茶のために準備する人なんていませんよ」
つじーんの突っ込み。正論過ぎる。
「……8四歩」
2手目、飛車先で来たか……6八銀。
私は矢倉に構える。
内木さんとの戦いで温めた感覚を、そのまま引き継ぎましょう。
「矢倉か。だったら分かり易いな」
松平は3四歩。
裏見様の矢倉を舐めるなぁ!
6六歩、6二銀、5六歩、5四歩、4八銀、4二銀、5八金右、3二金、7八金。お互いに指し手は速い。4一玉、6九玉、7四歩、6七金右、6四歩。
「……米長急戦? 舐めてるの?」
「別に舐めてないぞ?」
「誰も指してないじゃない」
消えた戦法扱いでしょ、これ。
「プロでは、だろ」
「アマチュアの大会でも見たことないわよッ!」
「そりゃそうだが……つーか、時間切れるぞ?」
チッ! 私は高速で7七銀と指す。
7三桂、2六歩、5二金右、2五歩、8五歩。
「対策知らないとでも思ってるのッ!? 7九角ッ!」
これが米長急戦に対する定跡。
「ぐッ……知ってたか……」
米長急戦は昭和の戦法だから、おじいちゃんと指してる私が知らないわけない。
松平、策に溺れたわね。
「こうなりゃ行きがかりだ。6五歩ッ!」
私は力強く同歩と取って、6五桂、6六銀、8六歩、同歩、同飛、8七歩、8一飛と、左辺をいったん収めた。そして、2四歩と反撃する。同歩、同角。
「2六歩だッ!」
くぅ、ちょこざいな。
同飛、4四角、2八飛は、2六歩で止められてしまう。かと言って、4四角に2五飛は3三桂の跳ねが……ん、ちょっと待ってよ。2五飛は6五の桂馬に当たってるから……。
ピッ、ピッ、ピッ、ピーッ! パシリ!
私は同飛と取った。案の定の4四角に、もう一度考える。ここで2五飛、3三桂、6五飛と寄れば、いきなり桂得に……ならないか。2八歩と打てるんだわ。ただ、6五飛の位置は相当いいから、そこでうまい手があれば、一気に持っていける気がする。
私は26秒まで考えて、2五飛と浮いた。3三桂、6五飛、2八歩。
「6四桂」
これが厳しいでしょ。放置できないわよ、さすがに。
松平も、険しい顔をする。
「やべぇな……」
あっはっは、どんなもんよ。
ピッ、ピッ、ピッ、ピーッ! パシリ!
松平は、6三金を選択した。
じゃ、7二桂成としまして……。
私は桂馬を摘んで、裏返そうとした。そのとき、ふとある筋に気が付く。
これ、6四歩ってされたら、どうするの? 8一成桂、6五歩、7七銀、2九歩成……2一飛とか? いや、でもそれは、4九飛で相当困る。
「あれ……桂馬を成れない……」
私は青くなった。楽勝かと思いきや、そうでもないらしい。
ピッ、ピッ、ピッ、ピーッ! パシリ!
セーフ。切れ負けしかけた。
松平は、チッと舌打ちする。こら。
「……2九歩成」
今度こそ7二桂成だ。6四歩の止めに、同角、同金、同飛。
角金交換だけど、悪くないはず。
「飛車を殺すッ!」
松平は、5三銀左と出た。
え? 飛車が死んでる? 7四飛、8三角……死んでないじゃない。
嘘禁止ッ! 7四飛ッ!
「8三角」
「7五飛」
「6三桂」
……………………
……………………
…………………
………………
げッ!
「飛車を逃げたら桂損だぜ?」
ぐぅ……8一成桂。
以下、7五桂、同歩、1九とと進んだ。
「今の飛車交換、剣ちゃんが得してない?」
「どうですかね……陣形差が……」
くららんとつじーんの会話を無視して、私は読む。
4九飛と下ろされる危険性があるから、金はとっておきたい。
そして、松平の陣形は、横歩のアレに若干似てるから……。
「2一飛」
「参ったな……」
松平は髪をくしゃくしゃにしてから、3一香と受けた。
私は2四桂と追撃。
いくら横歩を指さないとは言え、ここが急所なことくらいは分かる。
4二金、2三歩。と金の製造を開始。
「2九飛。王手桂だ」
松平は、わざわざ宣言してから2九飛と下ろした。
もちろん、これはうっかりじゃない。5九金とガッチリ受けて、2四飛成に2二歩成。桂馬を代償に、自陣を安全にした。さらに、と金も間に合うという寸法。
「こりゃ早逃げするしかねぇな……5二玉」
「3一飛成」
私は香車を取りつつ、龍を作ることに成功した。
これはもう、必勝でしょ。
あとは慎重に寄せていくだけだわ。
4一金、1一龍、4五桂、4六香。
私は桂馬と角を串刺しにした。
「2二角」
桂馬を跳ねたのは、攻撃するためじゃなくて、この角引きのためか。
でも、交換する必要はないわ。1二龍。
4二金(他の手は2三歩で死ぬ)、4五香。駒損を回復。
「9四角」
角の活用……そんなに怖くないわね。6七角成と切られても、どうということはない。6五歩と叩かれるのは大丈夫そうだし、何より7四桂がないのはラッキー。7五の歩がいい味を出している。
私は2三歩と打って、3三角に6五桂と打った。
6四銀、4六香打、5一桂。香車の2段ロケットで、桂打ちを強要。
これで私の方が攻められる心配はなくなったわね。うん。
……と言っても、まだ攻め駒が足りないか。9一成桂。
「6七角成」
え? 切ってきた?
私は驚いた。まだ大丈夫だと思ってたけど……うむむ……。
26秒で、私は同金と取る。すぐに1一金が打たれた。
しまったッ! 龍が死んじゃったッ!
まさか逆転されて……私は焦る。
ピッ、ピッ、ピッ、ピーッ!
「4二龍ッ!」
この一手しかない。
松平は、ノータイムで同玉と取った。
マズい。ここでうまい手がないと、攻めが切れちゃう。
私は猛烈に考える。うまい手……うまい手……そうだッ!
「6一角ッ!」
3二玉と逃げたら、4三香成、2三玉、2五歩、同龍、3三成香と角を取って、同玉に1六角くらいで勝ち。3三成香を取らずに1四玉と逃げたら、3四角成。これを阻止して2四玉なら、2八香が激痛。同龍、3四角成で終了。
「諦めてたまるかッ! 5二飛だッ!」
さっさと投了しろーッ! 同角成ッ!
同玉で……ん、意外と寄せにくい?
3二飛が第一感だけど、4二角くらいで受かってるような……。
5三香、同銀引、同桂成、同銀……あれ……これも寄らない……。
ピッ、ピッ、ピッ、ピーッ!
「3一飛ッ!」
し、死なないはず。
放置なら3二飛成、4二角、4三香成、同桂、同香成。これは寄り。
4二角打と受けても、3二飛成で4三の地点が受かってない。4一角なら、4三香成、同桂、同香成、同玉、4一飛成と抜ける。2一角には3二金と重く打って、同角、同飛成、4二合駒、4一角と入玉を阻止して勝ち。
よしッ! 全部後付けだけど、結果オーライ!
ピッ、ピッ、ピッ、ピーッ!
「2三龍」
それも予想済みよッ! 5三香ッ!
私は、王様の頭に香車を打ち込んだ。
4二玉とは逃げられないから(4一金の一手詰み)、同銀引、同桂成、同銀、4三香成、同桂のはず。その瞬間に、とっておきの手があるわ。松平、覚悟ッ!
「……同銀引」
松平は、険しい顔付きで香車を払った。
「同桂成」
同銀、4三香成、同桂。
私は、持ち駒の銀を手にする。
「喰らえッ! おもてなしッ!」
「銀捨て? ……あッ」
松平は片目をつむって、顔をしかめた。
「詰んでんじゃねーか」
正解。同玉に6一飛成。ここで6二合駒は、7四金で即詰み。だからと言って、7三に逃げても、7四金、8二玉、8一龍まで。
「反対側で即詰みがあるとは思わなかったな……投了」
「ありがとうございました」
松平は大きく息を吐いて、前髪をいじくった。
「いやあ、いいところなかったな」
「6五飛は見落とし?」
「飛車交換すれば、裏見の方も形が悪いから、なんとかなると思った」
私の王様が堅くないのは事実だけど、松平玉も大概じゃないかしら。
本譜だって、飛車打ち〜桂打ちで崩壊してるし。
「どっかで6六角と切った方が良かったか」
「4四の角?」
「そう」
「んー、どうかしら、その角、意外とうざかったわよ」
松平は、うーんと唸る。
「6五歩、同歩、8六歩、同歩のあと、7五歩も入れとくんだったか」
私たちは、仕掛けのところまで戻した。
「怖くない?」
「同歩、8六飛、8七歩、8四飛と引いたら?」
松平は、符号だけ口にした。私も駒を動かさずに、脳内で将棋盤を動かす。
「……2四歩で?」
「同歩、同角、7七歩、同桂、同桂成、同銀、6五桂の打ち直しは、どうだ?」
……面倒と言えば、面倒かしら。
「6六銀、7七歩、同銀、同桂成、同金……寄?」
「同金寄でも同金直でも、7六歩と叩くぜ」
うッ、それがあったか……7六同金は9九角成が決まっちゃう。
「6六銀を省略して、6六歩、7七桂成、同金寄は?」
私は、銀桂交換に甘んじる順を選んだ。
「そこで2六歩としたいな」
「ちょっと無理攻めじゃないかしら?」
とは言ってみたものの、自信はない。
ただ後手は、4六角と引かれたときの対処が、難しいんじゃないかしら。
「まあ、本譜よりはマシなんじゃない?」
「せめて、こっちだったか」
松平は、椅子にもたれかかって、大きく仰け反った。
「Frauウラミ、お疲れさまですわ」
私たちが感想戦を続けていると、ポーンさんが姿を現した。
外国人のセレブだけあって、朝から大人気の模様。
でもでも、ポーンさんの棋力なら、ほとんどおごらなくていいのよね。
お店としても、ぬれ手に粟だ。
「裏見、俺に一杯のお慈悲を」
松平は両手を合わせて、私を拝んだ。
「ダーメ、お店の商品だから」
「この前のリレー将棋で、負け分払ったじゃないか」
「それとこれとは別」
「そこをなんとか……」
まったく、情けない。
私が呆れ返っていると、お店の中が急に騒がしくなった。
入り口から、どやどやと人が雪崩れ込んでくる。
「Oh!! Meine Freunde!!」
なんと、1年生の面子だった。
「ポーン、見学しに来たぞ」
「よろしくねぇ」
「アハハ、繁盛してるみたいだね」
「角ちゃんも、手伝いに呼んで欲しかったっスねぇ」
箕辺くん、葛城くん、捨神くん、大場さん。さらに、飛瀬さん、来島さん、佐伯くんもあとに続く。佐伯くんは、なぜか私服じゃなくてタキシードを着ていた。仕事着?
いきなりの大所帯で、教室は窮屈になった。
「ゆっくりしてくんだまし、オーッホッホ」
なんですか、その言い回しは。
「なんだ、辰吉も来たのか」
松平は席を立って、1年生に挨拶した。
どうやら、私の役目は終わったらしい。
全力で指して、疲れちゃった。
「香子ちゃん、休憩に入ってもいいよ」
甘田さんに声を掛けられた。
「え? もういいんですか?」
「朝からずっと働いてない?」
……あ、こっそり休んだのが、バレてないんだわ。
ということは、甘田さんが黒幕でもなさそうね。
今のが演技だとは思えない。私と内木さんの対局を知らない模様。
「じゃあ、お先に失礼します」
「3時くらいまでは休んででいいよ。飲食メインになってきたから」
お客さんは将棋を指さずに、飲み物や食べ物を注文している。
将棋を指せる学生自体そんなにいないから、大方はけちゃったんでしょうね。
「またあとで」
「片付けのときに、よろ」
さて……休憩と言っても何をすればいいのやら……。
1年生集団には入りにくいし、猫山さんは厨房だし、校内を適当に歩きますか。学校の友だちに会ったら恥ずかしいけど、そこはなんとかなるでしょう、多分。
私が廊下に出ようとすると、うしろから声が聞こえた。
「おーい、裏見、オレも行くぞ」
振り返ると、冴島先輩が立っていた。
「休憩ですか?」
「ああ、せっかくだから見て回ろうぜ」
「分かりました」
いざ、藤花女学園の文化祭ツアーに、出発ッ!
場所:藤花女学園文化祭(2014年度)
先手:裏見 香子
後手:松平 剣之介
戦型:矢倉米長急戦
▲7六歩 △8四歩 ▲6八銀 △3四歩 ▲6六歩 △6二銀
▲5六歩 △5四歩 ▲4八銀 △4二銀 ▲5八金右 △3二金
▲7八金 △4一玉 ▲6九玉 △7四歩 ▲6七金右 △6四歩
▲7七銀 △7三桂 ▲2六歩 △5二金 ▲2五歩 △8五歩
▲7九角 △6五歩 ▲同 歩 △同 桂 ▲6六銀 △8六歩
▲同 歩 △同 飛 ▲8七歩 △8一飛 ▲2四歩 △同 歩
▲同 角 △2六歩 ▲同 飛 △4四角 ▲2五飛 △3三桂
▲6五飛 △2八歩 ▲6四桂 △6三金 ▲4六角 △2九歩成
▲7二桂成 △6四歩 ▲同 角 △同 金 ▲同 飛 △5三銀左
▲7四飛 △8三角 ▲7五飛 △6三桂 ▲8一成桂 △7五桂
▲同 歩 △1九と ▲2一飛 △3一香 ▲2四桂 △4二金
▲2三歩 △2九飛 ▲5九金 △2四飛成 ▲2二歩成 △5二玉
▲3一飛成 △4一金 ▲1一龍 △4五桂 ▲4六香 △2二角
▲1二龍 △4二金 ▲4五香 △9四角 ▲2三歩 △3三角
▲6五桂 △6四銀 ▲4六香 △5一桂 ▲9一成桂 △6七角成
▲同 金 △1一金 ▲4二龍 △同 玉 ▲6一角 △5二飛
▲同角成 △同 玉 ▲3一飛 △2三龍 ▲5三香 △同銀引
▲同桂成 △同 銀 ▲4三香成 △同 桂 ▲6三銀
まで107手で裏見の勝ち