202手目 解説を任せる少女
今日は個人戦2日目。
女子の部は終わってるけど、そこそこ人数は来ていた。
藤女からは副会長のサーヤ、駒北からは大場さんが顔を出している。
うちからは、飛瀬さんと歩美先輩。
歩美先輩、あいかわらず暇人ですね。受験勉強は?
男子は3年生以外、だいたい来てる感じかな。初日で負けた葛城くんも来てるし、うちは箕辺くんが応援に参加してくれている。天堂はふたり残っているから、知らない男子が何人か顔を出してる感じ。会計の田中くんの姿もある。
「松平、調子は?」
私は、控えテーブルで尋ねた。
「まあまあ、だな」
まあまあ、ね。とらえどころのない返事。
箕辺くんの話だと、相当頑張っているらしい。
期待したいところだけど、相手が相手。
初戦で千駄さんか捨神くんに当たる可能性もある。もちろん、決勝まで行くには、どちらかと必ず当たるんでしょうけどね。下手すると、両方当たる可能性もある。まずは、籤運を試さないと。
「それでは、トーナメント表を確認してください」
サーヤの指示に従い、ホワイトボードを確認する。
「……バラけたな」
松平は、左右の山をチェックする。
初戦から厳しいのは、佐伯くんと千駄さんのところかな。
さすがに、佐伯くん不利だとは思う。
「剣ちゃんと当たっちゃいましたね」
辻くんが、うしろから顔を覗かせる。
「前回は1日目で当たったが、今回は2日目か」
松平はそう言ってから、さっさと席に移動した。
私と歩美先輩も、あとを追う。
「あ、私は捨神くんのところを観るんで……」
飛瀬さんは離脱。まったく。
8人だから、会場の準備はスムーズに進行。
振り駒のターン。
「剣ちゃんでいいですよ」
「同級生で譲り合ってもしょうがないし、振らせてもらうぜ」
松平はあっさり引き受けて、簡単に歩を放った。
「歩が3枚、俺の先手だ」
辻くんは、自分の右側にチェスクロを置き換える。
「対局準備の整っていないところは、ありますか?」
返事なし。
「それでは、始めてください」
「よろしくお願いします」
辻くんがチェスクロを押して、対局開始。
7六歩、3四歩、2六歩、8四歩、2五歩、8五歩、7八金、3二金。
やっぱり横歩か。
歩美先輩に、解説を頼みましょう。
2四歩、同歩、同飛、8六歩、同歩、同飛、3四飛、3三角、3六飛。
とにかく速い。
「……8四飛とします」
「8五飛じゃないのか……」
松平は小考して、2六飛と寄った。
2二銀、8七歩、5二玉。
8五飛戦法にならなかったから、松平はちょっと時間を使っている。
一方、辻くんは用意してきた作戦なのか、指し手は早い。
5八玉、5一金。
「なんか、変なことになってません?」
私は、歩美先輩に尋ねた。
「最近は後手5二玉型が再評価されてるから、その関係じゃない?」
ふむ……私の知らないうちに、横歩も進化してるのね。
昔は、4一玉型だったと思う。先手が中住まいで、後手が中原囲いみたいな。
1六歩、6二銀、4八銀、9四歩。
お互いに、ひとつずつ端歩を伸ばす。
「詰めとくか……1五歩」
1筋からの攻めを見せたわね。
どう対応するか。
辻くんは1分ほど考えて、2三銀と受けた。
これも、結構怖いと思うんだけど。3筋が薄くなる。
松平は3八金。
つじーん、再び長考。
「どう指すんですか?」
「んー」
歩美先輩も、指し手の予想がつかないらしい。
両腕を組んで、難しそうな顔をした。
「7四歩は飛車の横利きが消えちゃうし、9五歩は遅いわよね」
私たちが考えていると、箕辺くんがやって来た。
そう言えば、さっきまで姿が見えなかったわね。トイレだった?
「どうなってます?」
「横歩取り8四飛型」
私の返事に、箕辺くんは盤面を確認する。
「8四飛なんですね……」
「箕辺くん、どこいたの?」
「佐伯vs千駄戦を偵察してました」
次の対局相手をチェックか。
松平に頼まれたっぽいわね。
「で、どんな感じ?」
「後手佐伯の右玉になってます」
右玉か。新人戦で葛城くん相手に指してたわよね、確か。
パシリ。
おっと、動いた模様。
私たちは、盤面を振り返る。
え? 後手から攻めた?
「これはトリッキーね」
歩美先輩も、びっくり。
「マジかぁ……」
松平は前髪をかきあげて、椅子にもたれかかる。
まったく予想していなかったらしい。
「伸び過ぎを咎められた感じですか?」
箕辺くんが尋ねた。
「んー、どうかしら。2三銀が1四歩の準備で、5二玉も王様を遠ざける伏線だったのは分かるけど、成立してるかは不明ね。同歩は必然として……」
同歩……の次が見えない。
私たちが黙っていると、箕辺くんはちらりと別のテーブルを振り返った。
「俺は他のもチェックしないといけないんで、失礼します」
そう言って箕辺くんは、菅原vs蔵持戦に向かった。
あそこは、中飛車vs居飛車穴熊でしょ、多分。
私は松平の方へ向き直り、続きを考える。
「……歩を垂らすくらいしか、ないんじゃないですか?」
「ああ、1六歩とか?」
【参考図】
歩美先輩は、唇に指を添えて、視線を横に走らせた。
脳内将棋盤を見てる感じかな、この動作は。
「香車で取ると1五歩があるわね」
「香車は死にますから、飛車ですか?」
「それは1四香と走られて、もっと困るわよ?」
……確かに。飛車を逃げたら、無条件で1九香成とされちゃう。
「私なら、同香、1五歩に3三角成と飛び込むかな」
ん、ちょっとよく分からない。
私がその先を尋ねようとしたところで、松平は指した。
1四同歩。
つじーんは、すぐに1六歩と垂らした。
「……同香だな」
松平は、香車で歩を払う。
歩美先輩と同じか。
1五歩、3三角成、同桂、5六角。
あ、なるほど、こういう厳しい手があるのか。
だったら、飛車を1筋に寄る必要性がないわ。
「これ、後手死んでません?」
「2四銀と上がれば、死んでないわよ」
はあ、そんな手があるのか。
辻くんは念入りに確認してから、2四銀。
松平は、1五香と取った。
これは……同銀とは取れないのよね。2一飛成がある。これが3二金に当たってるから、4二金寄、1一龍。駒得は消滅。対抗型なら、それでも均衡がとれてたりするけど……。
「香、取ります?」
「それは、後手陣が保たないでしょうね」
やっぱり。
「じゃあ、どうします?」
「んー、どうしましょ。1四香とか?」
「え? 香車を捨てるんですか?」
「2五銀で、飛車香両取り」
【参考図】
ほおほお、これは先手が悪いわね。
ということは、1四香に同香とは取れない。
香車を代償に1二角成かしら。馬を作って粘る。
横歩でどれだけ粘れるのか、よく知らないけど。
私はどうしても、振り飛車の感覚で読んじゃう。三つ子の魂、百まで。
「1四香」
辻くんは3分ほど考えてから、香車を走った。
今度は、松平が長考する。
「……考えてみたけど、1二角成は、手が遅過ぎるわね。何もできないわ」
そうみたい。
私もいろいろ考えたけど、後手陣を突破できるような手はない。
飛車を追い回されて、そのうち1筋方面が壊滅してしまう。
松平、いきなり悪くしたんじゃないでしょうね?
「……8三角成」
ふわッ!?
「凄い手が出たわね」
歩美先輩は、覗き込むように体を乗り出した。
辻くんも、これには驚いているようだ。
「……パッと見、成立してそうなのが嫌ですね」
辻くんは、ぼそりとそう呟いた。
「そう願いたいな」
私の感覚だと、パッと見、成立していない。
だけどこのへんは、辻くんの方が正しそうだ。
松平の暴発ってわけじゃないみたいね。
「同飛の一手ですか」
辻くんは、同飛。
以下、2四飛、1五香、2一飛成と進む。
駒割りは……角香と銀の交換+先手は飛車成り。
普通は大損としたもんだけど……。
辻くんは、すぐに4二金寄と逃げた。
「2四歩」
「これで届かないなら、俺の負けだな」
こらこら、まだ50手も行ってませんよ。
「こっちは、速い手がないんですよね……」
つじーん、再び長考。
横歩でよくある4五桂とかかしら?
「これ、剣ちゃん有利かも」
「本当ですか?」
「2三歩成〜3二との攻めが、止められないわよ」
まさかの、中盤で有利?
期待できそう。歩美先輩が言ってるから、デタラメってわけじゃないでしょ。
「後手は、何を指します?」
「一目、4四角かしら。7七桂と受け……ないわね。3二角、2二龍、2五桂とされて、攻めが頓挫するわ」
あれ……だったら、そこまで有利でもないような……。
「9九角成が確定しちゃいますよね? 先手、マズくありません?」
「んー、9九角成とは飛び込みにくいわね」
え? 何で? 理由が分からない。
「2三歩成、9九角成、3二と、同金、同龍、4二香とか、どうです?」
「7二銀で死んでない?」
【参考図】
……死んでるっぽい。8二飛には8三金。左右挟撃になる。
「もしかすると、9九角成のタイミング、ないかも」
「じゃあ、何のために打ってるんですか?」
「とりあえず、つじーんの応手に注目かな」
歩美先輩は、他人任せな結論を出した。
辻くんは、たっぷり5分使って、4四角と打った。
これは、予想通り。
松平も、ノータイムで2三歩成とする。
「早逃げしますね」
なんと、逃げた。
「それ、意味なくないか?」
松平は、怪訝そうな顔をする。
「それは指してみてのお楽しみ、ということで」
つじーんの返答に、松平は考え始めた。
時間を使わせるテクニックなんじゃないの?
あんまりお付き合いしない方が、いいと思う。
「ふーん……そっか、そういう手か……」
歩美先輩は、何かに気付いたらしい。
しきりにひとりで納得していた。
「狙いが分かりました?」
「多分、3二と、同金、同龍のとき、王手にならないってことね」
王手にならない……。
「それだけですか?」
「一手余裕ができるから、9九角成の余裕が生まれるでしょ」
で、っていう。
龍に迫られ過ぎてて、後手悪いんじゃないかしら。
一方、当の松平も、ずいぶん悩んでいる。
「……」
松平は息を吸って、それから大きく吐いた。
「こりゃ難しいな……」
松平は、3二とと入った。
同金、同龍。
ここで辻くんが、また少し考える。
9九角成じゃないの?
「これ、角成らないかも」
と歩美先輩。
「他に手がなくないですか?」
「ないっちゃないんだけど、9九角成、7七桂と封鎖されたあと、3三龍が見えるのよね。2五桂と逃げることはできるけど、今度は6五桂跳ねが痛いわ」
手順に桂跳ねか……次に5三桂成一発で終わるわね。
つじーんは散々考えてから、2九香成とした。
これは、後手苦しいんじゃない?
松平は大きく頷いてから、4一金。
同金は同龍、5一香、5二銀くらいで後手負け。
「5二金」
浮いて受けたか……継続手は……。
7二銀、同玉、5二龍は見えるけど、続かない感じかな。
「予想より難しいわね。先手優勢ってわけでもないみたい」
あと1枚あれば、楽勝なんだけどなあ。
松平は2一龍とする。これはちょっと心細い。
5一香、7七桂。どうやら、先手は増援が必要な模様。
「角がいる間は、6五桂〜5三桂成に、同角があるのよね」
うむむ、つじーんは、防衛戦に切り替えている。
松平の陣地は安全だけど、これは焦れてくる展開。
ギャラリーとしても、もどかしい。
「ただ、ここで後手の指し手も難しいから、何とも言えないわね」
「動かせる駒、ありますか?」
「2九成香が第一感だけど……同龍って取っちゃうかも」
それは、長くなりそう。
「2四歩〜2三歩成が間に合えば、先手勝ちかしら。2九成香、2四歩……1四角、2三歩成、4六桂、6八玉、3八桂成。これは圧倒的に後手持ちね」
つまり、2四歩〜2三歩成は間に合わない、と。
「……2九成香」
「同龍」
あらら、ほんとに取っちゃった。
「これ以上は、時間を使えませんね。1四角」
残り時間は、松平が15分、つじーんが10分。
つじーんの方が苦しいけど、そこまで大差じゃないかな。
「これなあ……2一龍と入り直したいんだが……」
それは、4六桂があるのよね。
「んー、剣ちゃん、金は見捨てないといけないかも」
「見捨てたら、勝てなくないですか?」
「4六香と打って、4一角、4四香、同歩があるわよ」
なるほど、4六桂を防ぎつつ反撃ね。
松平、ちゃんと気づきなさいよ。
「……香車打つしかないか」
松平は、4六香と打った。よしよし。
4一角、4四香、同歩。
歩美先輩の読み通りに進む。
とはいえ、これは予定外なんじゃないかなあ、松平的に。
4一の金は、取られるために打ったわけじゃないでしょうに。
「どっちも表情が渋いわね」
ですね。
両者自信なしの展開。
「互角ですか?」
「心理的にはともかく、剣ちゃんの方が指しやすいと思うわよ。龍と生角の差は大きいし、陣形は、つじーんの方が脆いわ。あとは、どこから手を作るかの問題」
だったら、とりあえず龍を入り直すわよね。
「2一龍とかですか?」
「攻め駒が足らないから、一回桂馬に当てたいわね、3三の」
3三の桂馬に当てる手段は、2四龍しかない。
けど、これがいいようには見えないわ。
4二金で簡単に受かる。
「……」
松平は前髪を触りながら、じっと盤面を見つめている。
つじーんは前傾姿勢で没我の状態。ときおり首を捻る。
1回戦負けはして欲しくないけど……どうなることやら。