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こちら、駒桜高校将棋部  作者: 稲葉孝太郎
第32局 ばっさり辻斬り編(2014年9月10日水曜)
227/295

200手目 物の怪に会う少女

挿絵(By みてみん)


 2六香が第一感なんだけど……2六桂は2五銀で止まりそう。

 ただ、2六香に7一歩と止められて、なかなか突破できないような気もする。

「うーん……」

「お姉さん、30秒以上考えてますよ」

 笑魅(えみ)さんに指摘されて、私はハッとなる。

「あ、ごめんなさい」

「いえ、構いません。紅茶を飲んでいる間、私も考えていましたので」

 では、お言葉に甘えて……。

 私が読み耽る中、喫茶店のドアが開いた。

「おいーす」

 女性のアルトな声に、春日川(かすがかわ)さんは体を動かした。

「すみません、連れが来たようです」

 私も振り返る。

 ……でっかッ!

 175はあろうかと言う長身のボーイッシュな少女が、こちらに手で挨拶した。

「うっす、遅れて悪かったな」

 少女(?)は、将棋盤に気付き、「お」っと声を漏らした。

「将棋指してんのか?」

「はい……市立高校の方に、お相手をしてもらいました」

「へぇ」

 そう言って少女は、笑魅さんのうしろに座る。

 身長が違い過ぎて、笑魅さんが小学生に見える。

伊織(いおり)ちゃん、また大きくなったね」

 マスターが出てきた。

「いやあ、そろそろ止まってくれないと困りますよ」

 イオリと呼ばれた少女は、そう言いつつも誇らしげに笑った。

 ちゅ、中学生でこれだと、将来180超えるんじゃ……。

「飲み物は?」

「コーヒーで」

 イオリさんは注文を済ますと、笑魅さんの頭越しに、盤面を覗き込む。

「ふーん……琴音(ことね)、勝ってんじゃね?」

 ちょ、こっちが不利宣言。

「指しやすいとは思います」

 春日川さんも、自分の優勢を意識しているらしい。

 んー、私の大局観がおかしかった? ……いや、中学生の言うことだし。

「時間あるし、最後まで指せよ」

 イオリさんはそう言って、ぽんと春日川さんの肩を叩いた。

「良いのですか? 30秒将棋とはいえ、まだ中盤です」

「まあ、話すことなんてオーダーくらいだし、オレは構わないよ」

 ぐぅ、オレっ娘か。冴島(さえじま)先輩に続いて、ふたり目。希少種。

「……では、お言葉に甘えて」

 どうやら、再開らしい。

 私の手番。もうかなり考えちゃったから、すぐに指さないといけないわね。

「6四桂」


挿絵(By みてみん)


「……厳しいですね」

 そう、一見ただの桂打ちだけど、5一金なら6三香が急所。同銀は5一龍と入れる。6三金のトリッキーな受けには、平凡に7二桂成。6四同銀なら同歩、同龍、7七角と交換を迫る。どれも、振り飛車悪くない。

 イオリさんが思ってるほど、単純な局面じゃないわよ。

「そっか……こんな簡単な手があるのか……」

 イオリさんは、目を見張って体を乗り出した。

「むぎゅう」

 笑魅さんが押しつぶされそうになる。

「……同銀」

「同歩」

「同龍」

 取ったわね。安全策。

 私は7七角と引いて、同馬を強要する。

「形勢逆転気味ですか……同馬」

「同桂」


挿絵(By みてみん)


 ここで春日川さんは、斜めに首を傾げた。

 考えるときの癖らしい。疑問に思ってるとか、そういうのではないようだ。

 しばらくして、イオリさんのコーヒーが運ばれた。

「ほほぉ、こうなってるんですか」

 猫山さんは、ちらりと盤面を見てから、再び仕事に戻る。

「……6九龍と入り直します」

 春日川さんは悲観してるみたいだけど、まだ私が悪いと思う。

 とりあえず、馬を引きつける準備+攻撃の手掛かりを作りましょう。

「5五歩」

「7一歩」


挿絵(By みてみん)


 めんどくさいのきた……こういう冷静な手が、一番困るのよね……。

 いくら船囲いが薄いとは言え、囲いは囲い。

 横からの攻め合いに強いのは、おじいちゃんとの対局で経験済みだ。

「5四歩」

 私は行きがかりで取り込んだ。

「7五角」

 春日川さんは、攻防一体の手を指す。

「ん、これ、危なくないか?」

 イオリさんはコーヒーを啜りながら、顔をしかめた。

 多分、7六香のことを言ってると思うんだけど……それは、私の負けなのよね。7六香、3九銀、1八玉、2五桂、7五香、4九龍。これを同銀は詰み。かと言って、同銀以外で受け切れるというわけでもない。

「5九香」

 私も、攻防一体の手で返す。

「5八歩、同香、3九銀、1八玉、2五桂、5九銀……足りませんか」

 足りないはず。でないと即死している。

「おい、琴音、そろそろ30秒経つぞ?」

 イオリさんは、身内なのに催促した。

「3五桂」


挿絵(By みてみん)


 ぐぅ……これも厳しい……。

 4八金と引いても、4七香と打たれてしまう。

「……3六銀」

 私は、懸命に粘る。

 4七桂成、同銀引なら、5八歩と打たれても同銀とできて、それが飛車当たり。

「5八歩」

 ん? 歩を打った?

「……あッ」

 私は喫驚を漏らした。

「どうか為さいましたか?」

「な、なんでもない」

 しまった……4七桂成、同銀引、7六角で5八歩を防ぐつもりだったけど、先に打たれる筋があったか……完全に見落としてた……。

 私は渋々、同香と取る。

「4七桂成」

「……同銀引」

「3九銀」

 やーめーてー。

 心の中で悲鳴を上げる。

「い、1八玉」

「1五歩」


挿絵(By みてみん)


 ……………………

 ……………………

 …………………

 ………………

「負けました」

「ありがとうございました」

 イオリさんは、ヒューと口笛を吹く。

「やるなぁ、琴音」

 いやあ……ボロ負け……。

 投了図以下は、受けがない。同歩は同香、1七歩、2八金で即詰み。2六歩は受けになっていないし、2八角なんて受けても、同銀成、同玉、3九角、1八玉、1七香、同桂、2八金で詰んでしまう。4八桂の受けには、4九龍、同銀、2八金、1七玉、1六歩、2六玉、3五金まで。即詰みじゃないけど、4九龍を取れないようでは終了。

「5五歩のところで、早めに5八銀と受けるのは、どうでしたか?」

 琴音さんは、感想戦を始めた。

「それも考えたけど、攻めがなくなるから……」

「そうかもしれませんね」

 中盤で悪かったみたい。

 指しにくいとは思ってたけど、まさか完敗ペースだったとは。

 ちょっとショック。

 持久戦の指し過ぎで、急戦に対する大局観がおかしくなってたかも。

「6五歩の反発を選ばなかった理由は、何ですか?」

 琴音さんは、嫌なことを訊いてくる。

「定跡を外そうかな、と」

 琴音さんは、目を瞑ったまま頷いた。

「そうですか」

「悪いけど、感想戦はまた今度にしてもらえませんか?」

 と笑魅さん。

 そう言えば、対局終了を待ってたのよね。

「すみません、このふたりと話があるので、またのちほど」

「別にいいわよ」

「あそこに席が空きましたよ。移動しましょう」

 笑魅さんは、こそこそと席を移動し始めた。

 他のふたりも、そのあとに続く。

「伊織さん、カップとポットをお願いします」

「おっと、わりぃ」

 春日川さんは、ステッキを左右に動かして、スムーズに席を替えた。

 そのあとに、紅茶のカップとポットを持ったイオリさんが続く。

 私は溜め息を吐いて、盤駒を片付けた。

「どうでしたか?」

 猫山さんが、三たび顔を覗かせる。

「負けちゃいました」

「あらら」

 うーん、恥ずかしい。

 中学生に負けるとは。まだまだ修行が足りないわね。

「最近の学生は、ほんとに強いですねぇ、くわばら、くわばら」

 何を言ってるんですかね、この人は。

「ところで、裏見(うらみ)さんは、藤花の文化祭に行かないんですか?」

「え? なんでですか?」

「今回、私も将棋部のメイド喫茶に参加しようと思うんですよ」

 どういうこと?

「メイド喫茶って……例のアレですか?」

「ええ、甘田(かんだ)さんに誘われたんです」

「甘田さんと知り合いなんですか?」

「知り合いってほどじゃないですけど、たまーに見かけますね」

 そっか……姫野(ひめの)さんがここの常連なら、甘田さんが来ても不思議じゃない。私は会ったことないけど、水曜日くらいにしか来ないから、甘田さんと曜日が合わないのかもしれない。姫野さんとここで顔を合わせるのも、極稀だった。

「私には、声掛かってないです」

「変ですね……裏見さんも誘うみたいなこと言ってましたが」

 あれかしら、姫野さんを破ったから、ハブられたとか?

 ……ありうるから怖い。

「あれですか、もうキープ扱いですか?」

 うーん……そっちの方が、人間関係的に、まだマシかしら……。

 ただ、ちゃんと声掛けてもらわないと、こっちにだって予定がある。

 前日にいきなり誘われても、参加できないかもしれないわよ。

「でも、猫山さんって部外者ですよね?」

「ええ、藤女の生徒ではありませんね」

「どこの高校出身なんですか?」

 私の質問に、猫山さんは、いつもの猫口を作る。

「それは秘密です」

 えぇ……出身校秘密にする必要、ないと思うんだけど……。

「駒桜市出身なんですよね?」

「はい」

「どこに住んでるんですか?」

 そのとき、うしろで男の人が声を上げた。

 注文らしい。

「はーい、少々お待ちを」

 猫山さんは、お盆を持ってその場を退散した。

 誤摩化された匂いがぷんぷんする。

 

 カラン カラン

 

 また来客。

「アイちゃん、アイちゃんおるかあ?」

 店内の視線が、入り口に集まる。

 白装束を着た女性が、キョロキョロとあたりを見回していた。

 不審者。

 奥から、猫山さんが慌てて飛び出してくる。

「た、タマさん、なんでここに?」

 猫山さんは、女性をカウンターの方へ引きずった。

「アイちゃんが顔見せんから、寂しくてのぉ。来てしもうた」

 タマ(?)と呼ばれた女性は、物珍しそうに食器を眺める。

「ぴかぴかして、奇麗じゃのぉ」

 手を伸ばす。

「触っちゃダメですッ!」

「なんでじゃ?」

「保健所が来ますよ」

 タマさんは、びくりと体を震わせた。

「ほ、保健所が来るのか?」

「不衛生にすると、来ますよ。おとなしくしといてください」

 猫山さんは、カウンター席にタマさんを座らせた。

「友だちかい?」

 マスターが尋ねた。

「あ、はい、昔馴染みで」

「おお、ダンディな男じゃの」

「ハハハ、お嬢さん、うまいね」

 タマさんのお世辞に、マスターもまんざらでない顔をする。

「ご注文は?」

「お茶」

 タマさんの注文を、マスターは紅茶と解釈したらしい。

 ポットを用意し始めた。

「アイちゃん、ここであるばいとしとるんじゃろ?」

「そうですよ。っていうか、お金持ってるんですか?」

「賽銭箱から、ちょちょいとな」

 なんか、聞いてはいけないことを聞いた気がする。

「とにかく、おとなしくしといてくださいね」

「おお、借りて来た猫みたいにしとくぞ」

 猫山さんは、ケーキを2つ乗せたお盆を持って、その場を離れた。

 あとには、私だけが残される。気まずい。

 ホームレス……じゃないわよね、身なりはきちんとしてる。

 もしかして、病院から抜け出して来たんじゃ……服が真っ白だし……。

「……む、それは将棋盤じゃな」

 タマさんは、鞄から突き出ているビニール盤を眼差した。

「え、ええ……そうですけど……」

「おぬし、どこかで見たことあるのぉ」

 ありません。記憶にございません。

「どうじゃ、わしと一局指さんか?」

 えぇ……どうなってるの、今日は……。

「はい、紅茶です」

 マスターは、ポットとカップ、それに砂時計をタマさんの前に置いた。

「ふーむ、最近は、変わった茶碗を使うんじゃな」

 なんなんですか、さっきからお婆さんみたいなことばっかり。

「で、指すのか? 指さんのか?」

香子(きょうこ)ちゃん、指してあげなよ」

 ぐぐぐ、マスター……さっきのお世辞が効いてるわね……。

「じゃ、1局だけ」

「おお、年寄りはいたわらんとな」

 私たちは、そそくさと駒を並べた。

 ……手付きはおかしくない。むしろ、手慣れている。

「時間は、どうしますか?」

「適当に指せばええ」

「あんまり長居はできないんですけど……」

「せっかちじゃな……三十秒くらいで、どうじゃ?」

 願ったり叶ったり。

「では、30秒で」

 私は振り駒をして……歩が0枚。後手か。

「わしが先手じゃな」

 タマさんは、嬉しそうに7六歩と突いた。

 3四歩、2六歩。居飛車か。

 じゃ、リベンジで四間。4四歩。

 2五歩、3三角、4八銀、3二銀、5六歩、4二飛。


挿絵(By みてみん)


「9六歩じゃ」

 早ッ! 端歩突くタイミングじゃないと思う。

「9四歩」

 6八玉、6二玉、7八玉、7二玉、5八金右、8二玉、3六歩。

 ふむ、予想通りに急戦か。

 7二銀……え、5七銀? 右銀急戦?

 私は警戒しながら、5二金左と上がる。

「5五歩と、天王山を取るぞ」


挿絵(By みてみん)


 5筋位取りッ!?

 とっくに死滅した戦法じゃない、これ?

 少なくとも、おじいちゃんですらやらない。

「……4三銀」

 6八銀、6四歩、1六歩、7四歩。

 端歩は相手しなくてもいいでしょ、多分。

 3八飛、6三金、5六銀。


挿絵(By みてみん)


 5筋位取りって、先手も後手も狙いがよく分からない。

 どうするんだっけ? 『羽生の頭脳』に載ってたかしら?

 私が悩む一方で、タマさんはポットの紅茶をカップに注いだ。

 なんか危なっかしい手付きだ。

「ふぅむ……変わった香りがするのぉ……」

 タマさんは、くんくんと紅茶の匂いを嗅ぐ。

 そして、舌先でペロペロ舐めた。どういう飲み方ですか。

「あちち、熱いぞ」

 猫舌なのか、タマさんはカップを戻した。

「熱いのが苦手なら、ミルクで冷ませばよくないですか?」

 私はアドバイスをする。

「おお、それはいい考えじゃ」

 タマさんは、ミルクを探した。

 注文してないでしょ。

「マスター、ミルクお願いします」

「あれ? 香子ちゃん、ブラックじゃなかった?」

「いえ、こちらの人が……」

 マスターは事情を察したのか、すぐにミルクティー用のミルクを持ってきた。

「おお、これはうまそうじゃ」

 ちょ、なに飲んでるんですかッ!?

「紅茶に入れないと意味ないんじゃ……」

「ニャハハ、そうじゃった」

 大丈夫なんですかね、この人。

 タマさんはミルクを紅茶に入れて、それから茶碗を持つようにカップを持った。

「ズズズ……うまいのぉ、これは何という茶じゃ?」

「紅茶です」

「そうか、そうか」

 紅茶を知らないとか、すごい世間知らずね。

 というか、将棋が果てしなく中断している。

「まんじゅうとかは、ないんかの?」

 さすがにないでしょ。

 メニューには、ケーキとかの洋物スイーツしかない。

 和風なのは、抹茶オレ、抹茶ケーキくらい。

 ……ま、ゆっくり考えさせてもらいましょ。

場所:喫茶店『八一』

先手:裏見 香子

後手:春日川 琴音

戦型:四間飛車vs鷺宮定跡


▲7六歩 △8四歩 ▲6六歩 △3四歩 ▲6八飛 △8五歩

▲7七角 △6二銀 ▲4八玉 △4二玉 ▲3八玉 △3二玉

▲2八玉 △1四歩 ▲1六歩 △5四歩 ▲7八銀 △5二金右

▲3八銀 △7四歩 ▲6七銀 △4二銀 ▲5八金左 △5三銀左

▲4六歩 △4二金上 ▲5六歩 △7二飛 ▲7八飛 △6四歩

▲4七金 △7五歩 ▲同 歩 △同 飛 ▲8八角 △7八飛成

▲同 銀 △6五歩 ▲8二飛 △7三桂 ▲8一飛成 △6六歩

▲9一龍 △7七歩 ▲同 角 △6五桂 ▲9五角 △6七歩成

▲同 銀 △9九角成 ▲6六歩 △6九飛 ▲6五歩 △6七飛成

▲6四桂 △同 銀 ▲同 歩 △同 龍 ▲7七角 △同 馬

▲同 桂 △6九龍 ▲5五歩 △7一歩 ▲5四歩 △7五角

▲5九香 △3五桂 ▲3六銀 △5八歩 ▲同 香 △4七桂成

▲同銀引 △3九銀 ▲1八玉 △1五歩


まで76手で春日川の勝ち

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