表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
こちら、駒桜高校将棋部  作者: 稲葉孝太郎
第31局 ばっちり秋の個人戦(女子の部・2014年9月7日日曜)
216/295

190手目 弱点を知る少女

 始業式。

 私は放課後の部室で、ぼんやりと駒を盤に打ち付けていた。

 ……………………

 ……………………

 …………………

 ………………

裏見(うらみ)さん、どうかしましたか?」

 八千代(やちよ)先輩の問いかけに、私は顔を上げた。

「ずいぶん、深刻そうな顔をしていますが」

「実は……」

 私は八千代先輩に、辻姉(つじねえ)との会話を伝えた。

姫野(ひめの)さんを倒す……ですか……」

「辻姉は、羽生vs佐藤、羽生vs森内を思い出せって……」

 そのアドバイスの意味は、まだ見えてこない。

 いや、総論的な部分は分かる。羽生善治からタイトルを奪うために、トッププロは様々な戦略を練った。最新の研究をぶつけるというのが、一番典型的。

 でも、それは私にはできない。最新研究なんて持ってないから。

「単なる比喩だと思いますよ。佐藤、森内の真似をしても、勝てないでしょうね」

 ぐさり。堂々と否定された。

「しかし、裏見さんが姫野さんに闘志を燃やしているというのは、意外です」

「そうですか?」

 私って、基本的に負けず嫌いなんだけど。

 歩美(あゆみ)先輩ほどじゃなくてもね。

「ええ、団体戦で積極的に当たりたいとか、そういう要求を耳にしなかったので」

「そういう闘志は湧かないですね……チーム戦ですし……」

「チーム戦でも、駒込(こまごめ)さん並みの闘志を出す人はいますよ」

 あれは例外なんじゃないかなあ。

 公私混同というか……なんというか……。

「ちょっと、1年生の春を思い出して……」

「喫茶店で姫野さんに、こてんぱんにやられたときですか?」

 私は、正直に頷き返した。

「そう言えば、裏見さんが入部するきっかけになったのも、それでしたね」

 もう一度頷き返す。

「姫野さんが団体戦に出ることはないでしょうから、個人戦が最後かと」

「やっぱり、そうですよね……」

「で、何か努力の方は?」

「夏休みは、将棋漬けでした……いろいろ本を読んだり……詰め将棋を解いたり……でも、強くなったっていう実感が伴わないです」

「観る専の私が言うのもなんですが、裏見さんは着実に強くなってると思いますよ」

 それは、辻姉にも言われた。

 団体戦の成績とかを見る限り、結果にも反映されている。

 今なら、四天王クラスに一発入れてもおかしくない。

 だけど問題は、その一発を、どこで入れるかだ。練習将棋じゃ意味ないもの。

「ハァ……」

 私が溜め息を吐くと、八千代先輩は目を閉じた。

「……そんなに勝ちたいですか?」

「はい」

 即答。

 すると、八千代先輩は腰を上げて、鞄をまさぐり始めた。

 一冊のノートを取り出す。ずいぶんと年季が入ってそう。

「これは今まで、誰にも見せたことがありません」

 自作のポエムですか?

 八千代先輩は、ノートを開く。

「姫野咲耶さんが将棋倶楽部24に登録していることを、知っていますか?」

「……知りません」

「でしょうね。本人は登録していないと公言しているので」

 ???

「しかし、実際は登録しているのです。あれだけの強豪が、ネット将棋を利用していないはずがありませんから」

 話が見えてこない。

「どうやって調べたんですか? 本人から聞いたとか?」

千駄(せんだ)さんは、24のユーザーネームを公開しています。彼のレートから姫野さんの予想レートを割り出し、そのレートに所属しているユーザーをすべて調査しました。もちろん、全局調べるわけにはいかないので、平日の午前・午後に不在、夜更かししない、個人戦や団体戦直前に対局数が増加、攻めの棋風などのパラメーターを用いました」

 ふえぇ……もはやストーカーの領域……。

「その結果、間違いなく姫野さんだと思しきユーザーを発見したのです」

「それは……?」

「残念ですが、ユーザーネームは教えられません、プライバシーですから」

 もうプライバシーもなにもないと思うんですけど。

「ともかく、姫野咲耶さんの棋譜が数百局手に入ったわけです。私はその中でも、特に彼女が負けた対局に注目しました」

「敗局に……? どうしてですか?」

「その人特有のミスが出やすいからですよ」

 要するに、弱点ってことか。

「で、姫野さんには弱点があるんですか?」

「あります」

 私は腰を浮かした。

「本当ですか?」

「そんなに驚くことじゃないですよ。プロでもあるんですから」

 そう言われれば、そうだけど……でも、私は気付かなかったわよ。

「その弱点というのは?」

「非常に薄い受けを好む……ということです」

「薄い受け?」

 八千代先輩は、パラパラとノートをめくり始めた。

 こちらからは見えない角度。中身は企業秘密らしい。

「姫野さんの敗局を調べたところ、最後で逆転されるケースが多く見られました」

「将棋に逆転はつきものだと思いますけど?」

「もちろん、そうです。しかし、逆転のされ方に特徴があるのです」

「何ですか?」

「駒を投入すれば受かる局面で、なぜか薄い受けを選択してしまうのです」

 つまり……駒を節約して、受けになってない手を指しちゃうってことか。

「でも、姫野さんがそんなミスをするんですか?」

「ここからは、憶測になってしまいますが……彼女の棋風はご存知ですよね?」

「超攻撃的、ってことですよね……知ってます」

「それが原因だと思うのです」

 どういうこと?

 私が首を傾げる中、八千代先輩は先を続けた。

「細い攻めを繋ぐという技術において、姫野さんの右に出る高校生はいません。少なくとも駒桜市内にはいません。千駄さんですら、ああも巧くは繋げられないでしょう。しかし、細い攻めを繋ぐというのは、無理攻めギリギリの指し方をするということでもあります」

 そこまでは分かる。

 春の個人戦凖決勝、姫野vs駒込戦がそうだ。

 負けはしたけど、あの攻め方は真似できないと思った。

「すみません、話が見えてこないんですけど……」

「単純なことです。細い攻めを繋ぐには、持ち駒のすべてを、歩1枚に渡るまで使い尽くさねばなりません。守りに投入することができないのですよ」

「あ……ってことは……」

 私は、ようやく合点がいった。

「つまり、姫野さんは、駒を打たずに受ける習慣がある、と?」

「手癖と言ってもいいかもしれません。ほとんど秒読みでミスが出ています」

 そのとき私の脳裏に、ある局面が浮かんだ。

 去年の藤花の文化祭で見た将棋だ。

「何か思い当たることでも?」

「去年の文化祭なんですけど……確かそういう将棋があったような……」

「ああ、余興でやった姫野vs千駄ですか?」

 え、何で知ってるの。

「噂を聞きつけて、あとで松平くんに再現してもらいました」

 八千代先輩は盤を取り出すと、そのときの局面を作り始めた。

 私の将棋も記録されてるんじゃないでしょうね。怖い。


挿絵(By みてみん)


「ここから姫野さんは、5九金と引きましたね」

 かなり怖い受けだ。

 実際、姫野さんはここから負けている。

「これは、千駄さんが姫野さんを誘導した局面だと思います」

「誘導?」

「24で調べたところ、姫野さんと千駄さんのレーティングは、ほとんど同じでした。千駄さんが姫野さんに勝ち越しているのは、姫野さんの弱点に勘付いているからだと思います。この対局でも、わざわざ9二金と攻めの手を打たせて、そこから捩じ伏せているので」

 うーむ……そういうことか……。

 それなら、姫野さんが吉備(きび)さんに弱いのも分かる。

 吉備さんは受けの達人だもの。

 なんだかいいことを聞いた気がする。

 いや、気がするんじゃなくて、間違いなく有益な情報だ。

 完全無欠に見えていた姫野さんの将棋に、綻びが現れ始めた。

「……ありがとうございます」

「いえ、日頃から眠っていたデータですし、使う機会があって良かったですよ」

 八千代先輩は、ノートを鞄に片付けた。

 そして、眼鏡の位置を直す。

「但し、ひとつだけ気になることがあります」

「気になること?」

「個人戦に出るのは、姫野さんひとりではありませんよ」

 うッ……確かに。

「こう言っては失礼かもしれませんが、春の個人戦は、1回戦で大場(おおば)さんに負けていたはずの将棋です。あのときは時間切れに助けられましたが、二匹目のドジョウはいないと思った方がいいのではないかと……ともかく、一戦一戦を大事に戦ってください」

「……はい」

 八千代先輩にお説教されるとは……やっぱり、個人戦凖優勝、団体戦4−1ってことで、天狗になってたところがあるのかも。合宿じゃ1−2だし、名人戦も初戦敗退。

 優勝一直線ってポジションじゃないわね。

「アドバイス、ありがとうございました。とりあえず1回戦突破を目指します」

「頑張ってください」


  ○

   。

    .


 というわけで、9月7日、個人戦初日です。

 女子は今日で指し切り、男子は二日制。

 はりきって行きましょう。

「今度こそ、(すみ)ちゃんが優勝するっス」

 大場さんも、大張りきり。

「今回は狙い目ですわ。3年生が3人しか出ておりません」

 ポーンさんは右腕を前に出して、存在をアピール。

 実際、出ている3年生は、歩美先輩、姫野さん、甘田(かんだ)さんだけ。

 うちはヤル気が感じられませんね、まったく。

「3人しか出てないけど……その3人が強過ぎる……」

 飛瀬(とびせ)さんの冷静なコメント。

「アハハ、男子も3年生が少ないんだよね」

 男子陣営も、話に加わって来た。

「めぼしいのは、千駄前会長と菅原(すがわら)先輩くらいか」

 箕辺(みのべ)くんは額に手を当てて、会場をぐるりと見回した。

松平(まつだいら)先輩の気合いが凄いから、違う山に入りたいね」

 捨神(すてがみ)くんは、へらへらと笑った。

 松平はいつものように立ち歩かず、会場の隅っこで目を閉じている。

 ガチで優勝を狙いに行ってるわね、これは。

「それでは、組み合わせが決まりましたので、確認してください」

 くららんの合図に従い、みんなホワイトボードへと群がった。

 私もこっそり割り込みまして……。


挿絵(By みてみん)


 うわぁ……これは……。

「うまくバラけた感じっスね」

 強豪同士が潰し合ってないから、右も左も激戦区。

「1回戦シードですわ」

「私も1回戦シード……」

 ヨッシーは、微妙に感動していた。

香子(きょうこ)ちゃん、よろしくぅ」

 甘田さんが揉み手で近付いてきた。

 これは……カモだと思われてるわね。

 なんだか腹立たしい。

「女子は4回戦までありますので、早速始めたいと思います」

 くららんは、着席の指示を出した。

 女子はぞろぞろと移動する。

「2回戦シードの山だから、お互いにラッキーだね」

「そうですね」

 ここを勝てば、そのまま準決勝進出。

 男子と違って人数が少ないから、それじゃステータスにならない。

 私たちは、無言で駒を並べた。

「振り駒をお願いします」

 私は甘田さんに譲る。

「ひょいっと」

 歩が4枚……私の後手か。

「チェスクロは私の右でお願いします」

「了解」

 会場からは、男子の話し声が聞こえた。

 姫野さんや歩美先輩の対局席には、そこそこの人集りができていた。

「……それでは、対局を開始してください」

「よろしくお願いします」

 私は一礼して、チェスクロのボタンを押す。

「序盤はだいたい予想がつくけどね……7六歩」

 私はひと呼吸入れて、8四歩。

 以下、6六歩、3四歩、7八飛、8五歩、7七角と進んだ。


挿絵(By みてみん)


 三間飛車vs居飛車。これは予想通りだ。

 夏休みの間に、ちょっとは対策してきたわよ。

 6二銀、6八銀、4二玉、4八玉。

 序盤は飛ばす。

 3二玉、5八金左、3三角、3八銀、2二玉。

「まあ、穴熊にするよね……4六歩」

 1二香。穴熊一直線。

 3六歩、1一玉、3九玉、2二銀、1六歩、5四歩。

 8月に合宿があったのは、幸運。

 適当に指したんじゃ、甘田さんには勝てないわ。

 5六歩、5二金右、1五歩、4四歩。


挿絵(By みてみん)


「前回と違うね」

 合宿のときは、5三銀〜4四銀とした。

 今回は、オーソドックスに歩で止めるわ。

「形としては、こっちの方が経験多いけどね。4七金」

 4三金、5七銀、5三銀、3七桂に、5一角。

 角の展開を急ぐ。

 2六歩、7四歩、2七銀。

 甘田さんも、銀冠へと移行し始めた。

 9四歩、9六歩の交換を入れてから、3二金と固める。

「3八金」

「4二銀」


挿絵(By みてみん)


「ガチガチに固める作戦か……」

 甘田さんは2八玉と上がりかけて、すぐに手を戻した。

 どうやら長考するつもりらしい。私も読みを入れる。

「……6五歩」

 角道を先に開けたわね。

 私は30秒ほど読み直して、8四角と出た。

 甘田さんは、角筋を避けて2八玉。

「3一金」


挿絵(By みてみん)


 私の金引きに、甘田さんは目を丸くした。

「松尾流じゃないんだ……」

 松尾流は、手が作りにくい。

 駒桜名人戦で、松平と猫山(ねこやま)さんの対局を観て、そう思った。

 さらに4二銀は、相手に時間を使わせる手でもある。

 実際、残り時間は私が25分、甘田さんが22分。3分差をつけている。

「あぁ……なるほど、6八飛に7三角〜5三銀と戻るのか」

 正解。

 今回は、甘田さんに動いてもらいましょう。

 後手番だから、千日手は歓迎します。

「ここは三間党としての腕の見せ所かな。6八飛」

 甘田さんは、構わず飛車を寄った。

 私は7三角と受ける。

「6九飛」


挿絵(By みてみん)


 手渡し……こっちも手渡しするかどうか……。

 いや、そこで悩んじゃダメね。持ち時間の無駄だわ。5三銀。

 2五歩、3二金、9八香。

 手渡し合戦になってきた。

 候補は……4二銀? ただ、4二銀は6六銀と上がられる展開が気になる。そのときに、5三銀と上がり直すのが得策かどうか。例えば、5三銀、7五歩、同歩、同銀、7六歩、5九角と引かれたとき、こちらに手がないかもしれない。7五歩に8四飛の受けは、7四歩、同飛、7五歩と押さえられて、8四飛に7九飛〜5九角が見える。

 となると、別の受けが必要なわけで……再度3一金もあるかなあ……。

 私は迷った挙げ句、9二香を選択した。

「いやあ、居飛車がそこ上がりますか」

 自分でも良かったかどうか分からない。

 甘田さんは、すぐに4八銀と引いた。

 6六銀がなくなったわね。安心の4二銀に、3九銀。


挿絵(By みてみん)


 んー、やっぱり計画通りには行かないなあ。結局、松尾流になっちゃいそう。

 これは千日手コースかも。

 私は3一銀右として、固め合いに乗った。

 1八玉(?)、7二飛、2八銀、9一角、6六角、7三角。

「香子ちゃんは、今のところ打開する気なしか……1七銀」

 甘田さんは、かなり変則的な囲いを選択した。

 5一角、2六銀右。こんなのあるんだ。

 8二飛、7七角、4二角。6筋を巡る攻防戦。

 お互いに角と飛車しか使えないから、バランスは取れている。

「これは振り飛車側も十分になってきたね。2八玉だよ」


挿絵(By みてみん)


 うッ……あの不規則な組み替えから、完璧な銀冠。

 甘田さんの一芸を見たような印象に駆られる。

「ウマいでしょ?」

 ですね……ん、待ってよ。

 これ、8六歩って突っかけたら、どうなるの?

 8六歩、同歩、同角に8八飛の返し技がないから……見落とし?

 私は、甘田さんの顔をちらりと盗み見た。いつものニヤケ顔。

 甘田さんが見落としてるのか、それとも私の知らない筋があるのか……ここは、甘田さんリスペクトで、後者を前提に考えた方がいいかしら。8六歩、同歩、同角……6六角とか?


挿絵(By みてみん)


 (※図は香子ちゃんの脳内イメージです。)


 角は成れないけど、先手がいいとも思えない。

 例えば5三角とすぐに引いて、8四歩、7五歩。これに同角は同角で成功だし、同歩は8四飛で、8筋が本当に受からなくなる。そこで代償があるかどうか。

 ……4五歩と開戦するしかない? 同歩、同桂、4二角、6四歩、4四歩、6三歩成、4五歩……一応、後手の桂得か……4五同桂としないで、即座に6四歩? 同角、7五角、同角、同歩、8四飛、6三飛成は、次に4五桂の跳ねがあって、先手有利っぽい。

 となると、4五歩を無視して、即座に8四飛ね。4四歩、同金、6四歩、同歩、7五角、8八飛成、6四角、同角、同飛、8九龍。


挿絵(By みてみん)


 (※図は香子ちゃんの脳内イメージです。)

 

 これは……飛び込んでもいい順かな。

 先に駒得できるし。8九龍のところで、7三角、6一飛成、4六歩もありそう。4八金引とさせてから、8九龍。もしここで4五歩と押さえてきたら、同金、同桂、4七歩成が炸裂する。

 私は残り時間を確認した。私が17分、甘田さんが19分。

 逆転しちゃってるけど……この順で戦えるはず……。

 私は覚悟を決めた。千日手路線を捨てる。

「8六歩」

 合宿での借り、返してもらいましょう。

アクセス状況を調べたところ、週末は10時あたりからアクセスがありましたので、これからは平日7時、週末10時にしようかと思います。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
cont_access.php?citi_cont_id=454038494&size=88
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ