183手目 意思疎通する少女
ふぅ……いいお湯。
露天風呂から星空が見える。
端っこの方におばさんがいるだけで、ほとんど貸し切り状態。
どうやら穴場らしい。
「今日はsehr Spaß gemachtでしたわ」
ポーンさんはお湯に浸かりながら、タオルで顔を拭いた。
おじさん入ってる?
「なかなか楽しかったかも……」
飛瀬さんもご満悦。
「泳げるようになった?」
「少しは……」
結構なことで。
「その割には、日焼けしてないみたいだけど?」
サーヤは、飛瀬さんの顔をじろじろ見回した。
私も確認する。……確かに、真っ白ね。
「私たちは日焼けしない種族なのです……」
はいはい。
あとで真っ赤になっても知らないわよ。
「あんまり将棋指してないけど、良かったのかな?」
サーヤは小声で呟いた。
うーん、そう言われると、2局しか指してないのは問題があるような……。
ただ、去年の合宿も、合計3局くらいしか指してない気がするし……。
って言うか、最後までくららんと楽しんでたのはサーヤだし……。
「お風呂から上がって指したら、ちょうどいいんじゃない?」
私は適当に答えた。
「そうかも」
そんな会話をしているところへ、甘田さんが泳いできた。
「ねえねえ、目隠しペア将棋やらない?」
「目隠しペア将棋? ……あ、それって」
「そうそう、去年やったやつね」
思い出したわ。
私と冴島先輩、姫野さんとヨッシーで指したわね。
結果は……私たちの負けだったかな?
「いいですけど、面子は?」
「せっかくだから、藤花、市立で分かれたら? あたし審判やるから」
ポーンさんとサーヤ、私と飛瀬さんか。
「学年別に致しませんこと?」
とポーンさん。
「え? 私が香子ちゃんと組むの?」
「何よ、その反応は?」
「まあまあまあ、ここは先輩の格を見せつけるチャンスだよ?」
甘田さんは、ムリヤリ割り振りを決めた。
どうやら、2年生vs1年生になったらしい。
「じゃ、ルール確認ね。お手付きは3回まで。将棋の一般的な反則は全部お手付きだよ。それプラス、相談タイムも3回まで。相談できるのは、戦法、持ち駒の確認、駒の配置、詰みの有無。それ以外のことを相談したら、これもお手付き」
「詰みの有無はよくて、詰み手順はダメなんですよね?」
「そそ、香子ちゃん、よく覚えてるね」
「Ein bisschen kompliziert……指し手の相談はできませんのね」
「それやると、ペア将棋の意味ないから」
甘田さんは説明を終えて、イヒヒと笑った。
「じゃんけんで先後決めてちょ」
サーヤとポーンさんがじゃんけん。
チョキでサーヤの勝ち。
「1手20秒だからね。じゃ、早速……」
「Warte mal」
「ん? 何?」
「相談というのは、言葉に限られますのね?」
質問の意味が分からない。
甘田さんも首を傾げる。
「しゃべんないと相談できないよね?」
「でしたら、しゃべらずに相談するのはノーカンですかしら?」
「ボディランゲージもダメだよ。指で数作るとか」
「ボディランゲージでもなければ?」
ますます意味不明。
「……できるんならやればいいんじゃないかな」
甘田さんの投げやりな回答。
「Dann……」
ポーンさんは、飛瀬さんに耳打ちする。
「……え」
「できますわよね?」
「アレ、めちゃくちゃ疲れるんだけど……しかも一方通行だし……」
「そこは宇宙人パワーで頑張るのですわ。片方だけでも分かれば有利ですわ」
怪し気な会話が繰り広げられる。
「疲れたら止めるからね……」
「Verstanden」
ポーンさんと飛瀬さんは配置につく。
私とサーヤも一列に並んだ。
「サーヤ、ポカしないでよ」
「そっちこそ」
棋力的には、こっちが有利なはず。
主将コンビだし、負けてられないわよ。
「指す順番を決めてちょ」
私たちは、仲間内でじゃんけんする。
サーヤ→ポーンさん→私→飛瀬さんか。
「では、対局開始ぃ」
サーヤはちょっとだけ考えて、私の方に向き直った。
「戦型は?」
早速1回目の相談か。
「居飛車で」
そこまで言って、私は付け加える。
「但し、横歩と相掛かりはなしで」
「横歩と相掛かりなし……って、こっちじゃ調整できないわよ? 先手だし」
「横歩模様の出だしならムリヤリ矢倉に」
「……了解」
横歩党のサーヤは、若干不満そう。
でも、20秒将棋で横歩は対応できない。
ここはサーヤに我慢してもらうしかないわね。
「7六歩」
「Hmm……どういたしませうか?」
「もう8四歩でいいんじゃないかな……相手は横歩拒否してるし……」
「では、8四歩と致します」
私は2六歩。飛瀬さんは8五歩。
お、いい感じの出だしね。
「角換わりか……7七角」
「3四歩ですわ」
「8八銀」
「3二金……」
以下、7八金、7七角成、同銀、4二銀、3八銀、7二銀と進む。
ここで私の番か。
「4六歩で」
2五歩は保留しといても大丈夫でしょ、多分。
「……6四歩」
さっきから、飛瀬さんだけ指すの遅いわね。
私は、湯煙越しにちらりと飛瀬さんの顔を見やった。
……ん、様子が変? 瞬き一つせずに、虚空を見つめている。
脳内将棋苦手とか?
6八玉、6三銀、1六歩、1四歩、9六歩、9四歩。
端をちゃんと覚えておかないと……3六歩。
「……4一玉」
飛瀬さんが指したところで、サーヤは水中で体を動かす。
水面に波紋が広がった。
「難しくなってきたわね……3七桂」
「5二金ですわ」
「4七銀」
ここでまた中断。
「……3一玉」
5八金、5四銀、5六銀、4四歩、7九玉。
腰掛け銀だ。
3三銀、6六歩、2二玉、8八玉。
「ちょっと失礼……」
ポーンさんは、じっと考え込んだ。
「……Was? なんですのその手は?」
??? 独り言ですか?
「10秒ぉ」
甘田さんは、間延びした声で秒を読んだ。。
「Hm……Hm……verstanden、4二金右と致します」
うわ、変な手がきた。
4五歩の当たりを緩和したのかしら。
私も小考。
後手は桂跳ねが遅れてるから……。
「7五歩」
7筋を押さえた。
「それ、危なくない?」
とサーヤ。
そうかしら? 桂跳ねを押さえ込めば、先手有利だと思う。
「……6二飛」
んー、難しい手がきた。
サーヤ、頑張れ。
「7六銀」
がっちり受ける。
私の狙いとも一致。
「8二飛ですわ」
え? 戻った?
しかも即断……パートナーが移動した飛車だから、普通は戻しにくいけど……。
裏で相談してる? 背中に指で書いてるとか……いや、腕の位置は、ふたりとも前だ。おかしな仕草は見られない。足でコンタクトは無理なはず。
「10秒ぉ」
甘田さんの催促。
11、12、13、14、15……。
「7七角」
8筋を受けるには、これしかない。
どうも6二飛→8二飛が機敏だったみたい。反省。
「……3一玉」
うわぁ……入城した王様を戻した……。
「なぁんか変な対局だね」
甘田さんは、さも面白そうに笑った。
「4八飛」
サーヤは攻めっ気たっぷり。
「4三金直ですわ」
ここで4五歩……は成立してない気がする。
同歩、同銀、同銀、同桂、2二銀。
(※図は香子ちゃんの脳内イメージです。)
2二玉の状態なら、4四銀に6五歩で崩壊してたけど……。
「10秒ぉ」
争点を求めるなら、6筋かな。
問題は、サーヤが同調するかどうか。
やっぱり指し手の相談ができないのはツライわね。
「16秒ぉ、17、18、19……」
「5九金」
「え? 何それ?」
サーヤは首を捻った。
意図を汲み取ってくださいな。
6八飛〜6五歩ですよ。
「……」
飛瀬さんも長考。
「10秒ぉ」
「……」
「15秒ぉ、16、17、18、19」
「2二玉」
ん? 戻った?
これは……。
「4五歩」
サーヤは速攻で仕掛けた。
今度はポーンさんが長考。
「Hmm……そういう作戦ですのね……」
あいかわらず不審ですね。
「同歩ですわ」
「同銀」
私も速攻でぶつける。
同銀、同桂、4四銀、6五歩。
さあ、これで角の射程に入ったわよ。
次の狙いは3五歩〜3三歩。
最悪、4四角、同金、5三桂成と突っ込む手順まである。
ポーンさん、飛瀬さん、どう対応する?
「……3七角」
角打ち……。
「あッ」
サーヤは喫驚を上げた。
どうかした? 4九飛……3八銀ッ!?
しまったッ! 5九金のせいで飛車を引けないッ!
「いや……まだ大丈夫なはず……4七飛」
そっちかぁ……1八飛もあったような……。
2七銀、5八飛、4六角成で、桂馬が死んだ可能性もあるけど……。
あるいはさっきの、4四角以下の攻め筋もあったし……。
「1九角成と致します」
さすがに4六銀なんてしてこないか。
これは先手不利。4六香で飛車が死ぬから……。
「5三桂成ッ!」
こうなったら暴れまくるわよ。
4六香なら4三成桂、4七香成、4四角で後手崩壊。
「……同金」
「飛車で取るか角で取るか……」
飛車よ、飛車。
角は同金、同飛、5五角で即死。
「10秒ぉ」
「4四飛」
よしよし。
「同金」
「同角」
「……3三銀」
銀で受けたか……無難と言えば無難だけど……。
「7一角成」
そんなに悪くないんじゃない、これ?
駒割りは……あう、桂香損か。
ただ、金銀6枚あるし、相当粘れるはず。
「10秒ぉ」
「8四飛と逃げます」
縦か。4二飛と思ったけど、うむむ。
「3五歩」
ここが急所でしょ。
「……同歩」
「2五銀」
ほえぇ、銀を置きましたか。
これはちょっと読んでなかった。
2四歩なら3四歩、4二銀、2四銀ってことか。
すぐには死なないわね。
「タイムですわ」
ポーンさんは、2回目の相談タイム。
「えーと、指し手の相談はできないよ?」
甘田さんはルールを確認した。
「30秒ほどいただきませう」
???
ポーンさんは押し黙る。
相談しない?
……………………
……………………
…………………
………………
「Aha……so……」
なぜかひとりでうんうん頷いてるポーンさん。
まさか……テレパシーで会話してる?
……………………
……………………
…………………
………………
なわけないか。
いかんいかん、飛瀬さん病が移ってるわ。
絶対に手品なはず。
微妙な動作で意見を伝えてるか、あるいは会話の節々にヒントがありそう。
麻雀とかのギャンブルで言う【通し】。
「まだ休憩?」
サーヤが痺れを切らした。
「5五馬と引きますわ」
王手か。
2九飛を読んでたけど、これも厳しい。
7七銀は駒が足りなさそうだから……。
「7七桂」
私は桂跳ねで節約した。
「ま、そうするわよね」
サーヤも納得らしい。
「3九飛」
今度は飛瀬さんも速かった。
やっぱりトリックがある。
なんらかの方法で意思疎通していると見ました。
見つけたら腕を捻り上げてやるわ。覚悟。
「3四歩」
4四銀、6八金上。
5六銀と馬をいじめるのもあったかしら。
ただ、無視して5九飛成とされると厳しい。
「しぶといですわね」
それほどでも。
「……4九飛成」
いやぁ、冷静。
6六桂みたいな直接手なら、少し持ち直せる気がしたけど、ダメみたい。
飛瀬さんの棋力が上がっているというのは、本当らしい。
昔なら6六桂か6六香と打ってたはず。
「10秒ぉ」
「タイム」
サーヤ、ここで2回目のタイム。
「持ち駒は金銀歩よね?」
「それで合ってると思う」
「心細いけど……6一馬」
ぼんやりした手だ。
狙いは5一馬からの3三銀かしら?
あるいは5一馬〜7四金という大技もある。
いずれにせよ、持ち駒が心細いのは事実だ。受けには使えない。
「ここで6六香ですわッ!」
あッ……。
「これはキツい……」
サーヤは苦しげに片目を瞑った。
確かに、これは痛い。
4九飛成を入れてるから、5八金と逃げられない。
「10秒ぉ」
「7九金打」
ああ、使わざるをえない。
6八香成、同金寄。
「6五歩」
じっと歩を伸ばした?
8六歩が激痛かと思ったけど、そうでもないのかしら?
8六歩、同歩、同飛、8七銀だと……。
「10秒ぉ」
あうち、余計な順を読んでる場合じゃないわ。
とりあえず、綾をつけないといけない。
「5一馬……かな」
私は力なく馬寄り。
「……6四桂」
6七銀、6六歩。
あッ……これは終わったかも……。
「3三銀」
私たちは王手ラッシュを始める。
同桂、同歩成、同銀、3四歩、6七歩成、3三歩成、同金。
ここで歩切れかい。
「3四香」
仕方がないから香車で代用。
「……7六桂」
飛瀬さんの王手。
「9八玉」
「Der Kampf ist schon entschieden worden!! 7九龍ッ!」
「3三香成」
「……同馬」
「タイム」
サーヤは最後のタイムを取った。
「これ、詰む?」
どう見ても……。
「詰まないと思う」
3三馬から、まったく足りていない。
飛車の横利きがおまけ付き。
「よね……投了」
はうぅ、後輩チームの勝ち。
「オーッホッホ、人類と宇宙人の美しきコンビネーションですわ」
くぅ、いったいどんなトリックだったのか……気になる。
ペア将棋の提案が唐突だったから、道具は使ってないと思うんだけど……タオルの形で伝えてた? あるいは指先の動き、呼吸、瞬き……むぅ、分かんない。そもそも、女子高生にそんな高度な技が使えるかというと疑問……どこかに盲点が……。
「飛瀬さん、あなた……」
ん? 飛瀬さん?
勝負が終わったというのに、飛瀬さんはみじろぎもしない。
「もしもーし?」
私が肩に触れると、飛瀬さんは水飛沫をあげてひっくり返った。
た、大変だーッ!
場所:2014年度夏合宿(温泉)
先手:鞘谷・裏見ペア
後手:ポーン・飛瀬ペア
戦型:角換わり腰掛け銀
▲7六歩 △8四歩 ▲2六歩 △8五歩 ▲7七角 △3四歩
▲8八銀 △3二金 ▲7八金 △7七角成 ▲同 銀 △4二銀
▲3八銀 △7二銀 ▲4六歩 △6四歩 ▲6八玉 △6三銀
▲1六歩 △1四歩 ▲9六歩 △9四歩 ▲3六歩 △4一玉
▲3七桂 △5二金 ▲4七銀 △3一玉 ▲5八金 △5四銀
▲5六銀 △4四歩 ▲7九玉 △3三銀 ▲6六歩 △2二玉
▲8八玉 △4二金右 ▲7五歩 △6二飛 ▲7六銀 △8二飛
▲7七角 △3一玉 ▲4八飛 △4三金直 ▲5九金 △2二玉
▲4五歩 △同 歩 ▲同 銀 △同 銀 ▲同 桂 △4四銀
▲6五歩 △3七角 ▲4七飛 △1九角成 ▲5三桂成 △同 金
▲4四飛 △同 金 ▲同 角 △3三銀 ▲7一角成 △8四飛
▲3五歩 △同 歩 ▲2五銀 △5五馬 ▲7七桂 △3九飛
▲3四歩 △4四銀 ▲6八金上 △4九飛成 ▲6一馬 △6六香
▲7九金打 △6八香成 ▲同金寄 △6五歩 ▲5一馬 △6四桂
▲6七銀 △6六歩 ▲3三銀 △同 桂 ▲同歩成 △同 銀
▲3四歩 △6七歩成 ▲3三歩成 △同 金 ▲3四香 △7六桂
▲9八玉 △7九龍 ▲3三香成 △同 馬
まで100手でポーン・飛瀬ペアの勝ち