179手目 お茶を淹れる少女
飛瀬さんは、お盆にコップを乗せて戻ってきた。
「お湯は茶道部から借りました……」
ご苦労。
ガラスコップなのが雰囲気出ないけど、よしとしましょう。
私たちはめいめい、お茶を手に取った。
あつつ。熱伝導率。
「変わった香りがしますね」
歩夢くんは、湯気をくんくんと嗅いだ。
私も真似をする。……確かに。
「なんか薬品くさくない?」
福留さんは、軽く眉間に皺を寄せた。
「ちゃんと洗った?」
「これはお茶の匂いです……」
なーんか怪しいわね。
まあ、洗剤の流し忘れとかじゃなきゃ、いっか。
私はお茶を口に含んだ。
……………………
……………………
…………………
………………
まっずッ!
「ゲロマズなんだけど」
歩美先輩は、臆面もなく言い放った。
こういうとき、先輩の性格は助かる。
「変だな……淹れ方を間違えた……?」
飛瀬さんは、自分の湯呑みを啜った。
「……おいしぃ」
いや、自分がおいしくても、しょうがないでしょ。
だいたい、何よこれ。
栄養ドリンクみたいな味がするんだけど。
「このお茶は、変わった味がしますね。何ですか?」
馬下さんは、えらく控えめに尋ねた。
「エモニア星のガトガラン茶……私の星でも大人気……」
あのさぁ……。
「えもにあせい? がとがらんちゃ?」
馬下さんは、マジメに悩んだ。
悩まなくていいから。
「今の話、聞かなかった方向で」
「それ、箕辺くんが『変なもの飲まされたって』言ってたやつかな?」
来島さんは、怪訝そうな視線を走らせた。
「箕辺くんの味覚が特別だと思ってた……」
他人を実験台にするなぁ!
「市立の将棋部って、宇宙人さんがおるんね」
ぐッ……これはバカにされた……?
「よもぎちゃんが幽霊をつれて来たら、物の怪がそろいますね」
三つ編みの子がつぶいた。
「幽霊とかいないから」
歩美先輩、全否定。
「え? 姉さん、将棋の神様はいるとか言ってなかった?」
「将棋の神様はいるけど、幽霊はいないから」
「日本の神様って霊体じゃないの? 霊体いたら幽霊いるよね?」
「将棋の神様は唯一神なのよ」
もうメチャクチャ。
どこから突っ込んでいいのやら分からない。
「そもそも、私はイタコではありません。幽霊は呼び出せませんよ」
馬下さん、冷静。
「幽霊も呼び出せない巫女さんって、意味なくない?」
福留さんの強烈な突っ込み。
「失礼な……私の仕事は駒桜神社の御神体を祀ることで、オカルトとは関係……」
「まあまあ、ふたりとも、そこらへんでね?」
三つ編みの子が割って入った。
この子は常識人っぽいわね。
「ところで、大川さんは顔を出さないんですか?」
三つ編みの子は、いきなり大川さんの名前を出してきた。
「志保先輩のこと、知ってるの?」
「はい、私、あの人の大ファンで……」
??? 大川先輩の大ファン?
……怪しい意味じゃないでしょうね。
「ぜひ私のコスプレ姿を見て欲しかったのですが……」
は?
「今年の夏は何をやるのですか?」
「『秘密のドキドキ♡角交換』に出てくる如月くんです」
「もみじの化粧テクは完璧だもんね。男にしか見えないし」
あ、頭がくらくらしてきた……さっきの言葉は撤回……。
「奇人変人大会みたいになってきた件について……」
おまえが言うな。
「ところで、えーと、もみじさんの名前は?」
さすがに、もみじが苗字ってことはないわよね。
「あ、自己紹介が遅れました。赤井もみじと言います」
こ、これまた凄いネーミングセンス。
菅原先輩といい勝負かもしれない。
「今日の面子でまだ指してないのは、赤井さんだけね。指す?」
「いいんですか? 私、あんまり強くないですよ?」
「どのくらい?」
「よもぎちゃん、あんずちゃんよりは弱いです」
……ってことは、飛瀬さんよりも弱い可能性あるわね。
「でも、県大会行ってるのよね?」
町内会の試合の前に、そんなこと言ってたような。
私が疑問に思っていると、馬下さんが唇を動かした。
「中学の県大会は3人制なので、高校のレベルが要求されないんですよ」
あ、そうなんだ。
全然知らなかった。
「マトモなチーム組めてるのが、うちと藤花の中等部しかないもんね」
福留さんは笑いながら、椅子を傾けた。
ひっくり返るわよ。うちの備品ボロいし。
「じゃあ、馬下さんが最強なんだ?」
そう尋ねた瞬間、部室の空気が重くなった。
あれ? なんかマズいこと訊いた?
「……同世代で一番強いのは、不破さんだと思います」
馬下さんはあんまり認めたくないのか、小声で返した。
「ふわ? ……藤花にいるの?」
「いえ……二中です……」
「第二? 歩夢くんのところ?」
私は、歩夢くんに向き直る。
「そうなの?」
お茶をちびちび飲んでいた歩夢くんは、こくりと頷いた。
「3年の女子で最強なら、うちの不破さんでしょうね」
「うちに来たりしない?」
私は色気を出した。
4人揃えばウハウハでしょ。
「無理だと思いますよ」
「無理? 何で?」
「ま、いろいろと」
……どういうこと?
「それより、せっかくなので指していただけませんか?」
赤井さんはお茶を半分も飲まずに、席を移動した。
私もコップをお盆に返す。
「おもてなしの心とは……」
だったら、こんな変なもの出さない。
私はそんなことを思いながら、振り駒。
表が3枚出て、私が先手だ。今日は先手率が高い。
「よろしく」
「よろしくお願いします」
赤井さんは頭を下げて、チェスクロのボタンを押した。
7六歩、3四歩。
棋風が分からないから、居飛車でGO、2六歩。
それに対して8四歩。
あう……横歩党だったらどうしよう……6六歩。
「ムリヤリ矢倉ですか」
赤井さんは、ちょっと意外に思ったようだ。
けど、すぐに8五歩と伸ばした。
7七角、3二金、5八金右、4一玉、7八金、6二銀。
ふむふむ、初心者レベルじゃないみたいね、さすがに。
6七金右、6四歩、4八銀、6三銀、6九玉、5四銀。
ああん? ……これは右四間ね。
5六歩、6二飛、5七銀。常套の受け。
赤井さんの4二銀に対して、私は6八銀上と、変則的に指した。
「うわ、そう来るんですか」
7四歩、7九玉、7三桂、3六歩、5二金、2五歩、3三角。
だんだん飽和してきたわね。
1六歩、1四歩、9六歩、9四歩と付き合ってから、私は4六銀と上がる。
「右四間に対して積極的な攻勢……」
その通りよ、飛瀬さん。
格下相手に慈悲はない。
「さすがに先攻させてもらいます」
赤井さんは6五歩と開戦した。
5七銀上、6六歩、同銀、6五歩、5七銀左、7七角成、同金寄。
「金寄るですか……一回4四歩です」
角を打ち直さなかったわね。
打って5五歩、同銀、同銀、同角、4六銀打を嫌った?
だったら……私は7五歩と突いた。
6三金、5五歩、4三銀と下がらせて、7四歩の取り込み。
同金、8三角、6四飛、7二角成。
「い、いきなり馬を作られちゃいました……」
これで先手がポイントを稼いだ形ね。
赤井さんは8四角と、反撃に出た。
6七歩と丁寧に収めて……ん、9五歩?
端攻めか……同歩、4五歩、同馬、4四銀、5六馬。
とりあえず馬を撤退する。
赤井さんは4五歩、3七銀、5四歩と追撃してきた。
4六歩と逃げ道を開けて、5五歩、4七馬。
うーん……ちょっとミスった? さすがにアドバンテージは残ってるかな。
赤井さんは陣形が伸び切ってるから、うまく突けば崩壊しそう。
何か手は……。
私が攻めを模索する中、赤井さんの方から積極的に動いた。
4六歩、同馬、4五歩、4七馬、5四飛。
わお、4、5、6筋を制圧されてますね。
歩得だから、全部受けちゃいましょ。5八歩。
「う……手堅い……」
6四金には7六歩。7筋も固めた。
それでもまだ、歩は2枚ある。
「攻め続けるしかないので、9六歩です」
同香、9五香、同香、同角。
9筋を守るかどうか……7七角成が見えるから、6八銀かな。
7四香、9六歩、8四角。
あ、しまった……これが3九角成見せてるのか……。
3八飛は面白くないから、3八馬?
……でも、5六歩と伸ばされたとき、馬が働いてないわね。
……いっそのこと、4八馬で交換する?
閉じ込められた馬と利いてる角の交換なら、損じゃないような気がする。
ピッ、ピッ、ピッ、ピーッ! パシリ! 4八馬。
「交換させてくれるんですか?」
「どうぞ」
「では、失礼して……」
同角成、同銀、5六歩。
銀2枚だから、中央は潰れないわよ。3七桂。
赤井さんは、5五角と工夫した。
2四歩、同歩、同飛、2三歩、2九……いや、2七飛。
「……手がない」
かもね。後手は、ちょっと苦しくなったと思う。
ピッ、ピッ、ピッ、ピーッ! パシリ!
9八歩ぅ?
これは8八玉でタダ……じゃないか。7六香と突っ込まれるわ。
じゃあ放置して……6二角。
6三金、7一角成、9九歩成、2六香。
左右挟撃。馬下さんのときみたいに、片方から攻めると危ないからね。
8九と、同玉を決めてから、赤井さんは5一飛と引いて、馬を牽制した。
7二馬、5三飛、5七歩、6四桂。
そろそろ決めますか。6三馬。
「か、過激ですね」
同飛、5四金、6一飛、2三香成、7六桂、3二成香、同玉、5五金。
攻めの根元を喰い千切って、同銀に2二金、4一玉、2三飛成。
最初の構想とは、ちょっと違う。それでも、なんとかなりそう。
3一香、7六金、同香、7七歩、6六歩、5三桂。
「あ……そんな手が……」
銀が利いてて、うっかりかしら? 7三龍より5三龍の方が厳しい。
3一香は、はっきり疑問手。3三金なら、まだ分からなかった。
5三同銀、同龍、5二金、5五龍。銀もゲット。
6七歩成、同銀、6五桂、7四角。
詰めろ。受けたら6五角〜7六角で皆殺し。
「ま、負けました……」
赤井さんは一礼して、投了を告げた。
「ありがとうございました」
ふむ……前2局よりは楽だったかな。
申告通りの実力っぽい。
「どこが悪かったですか?」
「3一香は疑問よね。3三金と打って、2九龍、6八桂成、同玉、7七香成、同金、6六歩なら、こっちもかなり危なかったと思う」
ぶっちゃけ、2三飛成とか手なりだから。
この棋力差なら勝てるっていう、若干舐めプ気味の手。
「5四金と打ったとき、6一飛と逃げたわよね。あの局面だと、角の方が大切だから、飛車を放置して7六桂だったんじゃない?」
私はそう指摘してから、局面を戻した。
「6三金だと、どうなるんですか?」
「深くは読んでないけど、6八桂成、7一飛、5一銀打、6八金、7七香成は、こっちに詰めろが掛かってて、勝てないわよね。6八金に代えて2三香成と攻めても、7八成桂以下、詰んじゃうし」
「6八桂成の時点で、詰めろがかかってるんですね」
「だから、7六桂に同金、同香、7七歩だと思う」
「それだと自信ないです……中盤で、もう悪かったですか?」
中盤は……難しかった気がする。
後手が無理攻め気味なのは、なんとなく感じてたけど、具体的には……。
「9五歩、同歩、9六歩の攻めが成立してたかどうかよね」
「飛車と角のコンビネーションが悪かったんじゃない?」
歩美先輩の指摘。
「確かに、角は7筋を攻めて、飛車は5筋を攻めてました」
「5筋を攻めるなら攻めるで、戦力集中した方が良かったかも」
歩美先輩の意見は、なかなか説得力がある。
けど、もっと具体的にですね……。
5筋攻め→9筋攻め→7筋攻めは、流れの中で生まれたわけだから、どこかをスキップして調整なんてできないんじゃないかしら。
あるいは、歩美先輩ならできる?
「これで、だいたい指し終わりましたね」
と馬下さん。
「1勝3敗かぁ」
福留さんは、椅子をゆらゆらさせた。
ん? 1勝3敗?
「飛瀬さん、勝ったの?」
「勝ちました……」
「最近、また伸びたのね」
「宇宙人の学習能力を舐めてはいけない……」
はいはい。
「やっぱり高校生は強い」
福留さんは、見直したように言った。
「まあ、受験勉強で棋力が下がってるのもあると思うよ」
歩夢くんのフォロー。
そう言えば、全員3年生なのよね。
……喉が渇いた。
「裏見先輩、お茶どうですか……?」
うえぇ……。
「ごめん、それはパス」
「美容にいいですよ……」
なんですか、その怪し気な商法は。
私がお茶を淹れ直そうかと思ったとき、部室の扉が開いた。
「うーす、見学に来たぞ」
「お邪魔しますッ!」
顔を見せたのは、松平と箕辺くん。
ふたりとも私服でTシャツだった。
「あ、松平先輩、こんにちは」
「げ……歩夢……」
松平は、若干身を引いた。
「何ですか、その態度は?」
「おまえ、市立受けるのか?」
「親が受けろとうるさいですし、まあ」
主体性のない話だ。
「うちは男子将棋部ないぜ? 同好会だからな」
「個人戦に出られれば十分です。団体戦に興味ないので」
姉と一緒かい。
「まあ、おまえが決めることだからな……と、裏見」
「何?」
「差し入れ持って来たぞ」
松平は、手にしたビニール袋を持ち上げた。
ナイス。気が利くわね。
チョコレートやせんべいが、テーブルの上に広げられる。
スナックを買ってないあたり、理解があるわね。
駒に脂がついちゃうから。
「箕辺くん、お茶飲む……?」
飛瀬さんは、箕辺くんにお盆を差し出した。
「……それって、この前のやつと一緒か?」
「もちろん……」
「え、遠慮しとく」
「おいしくてヘルシーなのに……」
「緑茶と栄養ドリンク混ぜてるんじゃないのか?」
確かに、そんな味がする。
ドクダミ茶みたいに、健康にいいお茶はたいていマズいのよね。
健康にいいっていうのも眉唾だけど。
私たちはお菓子を食べて、淹れ直したお茶でわいわい雑談をした。
「主将は今、誰なんですか?」
赤井さんが尋ねた。
「私よ」
「来年度は?」
「……まだ決めてないかな」
まだ決めてないというか、まったく考えてなかったわ。
私はちらりと、飛瀬さん、来島さんを盗み見る。
うわぁ……これは究極の選択ね……。
ふたりとも関心がないのか、1学期の成績の話をしていた。
「カンナちゃん、学年で1番だったよね?」
「うん……」
マジですか?
自称宇宙人が1番とか、頑張れ、他の生徒。
「合宿に、なに着て行く?」
「制服かな……地球の私服はあんまり持ってないし……」
「ああ、女子は合宿があるんだよな」
箕辺くんは、なぜか情報を入手していた模様。
「どこへ行くんだ?」
「鎌鼬の獄門温泉だって」
「それって、ビーチがあるところだろ? 結構キレイだぞ」
ほおほお、箕辺くんは物知りですね。
実は水着の用意をしろと言われたから、そんなことだろうとは思ってたわ。
「合宿とか、いいなぁ」
福留さんは、羨ましそうにチョコレートを頬張った。
「中学はみんなバラバラです」
馬下さんは、お茶を啜りながら返した。
「中学生だけで合宿は無理ですから……」
赤井さん、正論。
「高校生でも、あの面子はヤバいと思いますが」
歩夢くんは毒舌だ。
結局、参加したのは、うちが歩美先輩、私、飛瀬さん、来島さん、藤女が甘田さん、サーヤ、ヨッシー、ポーンさん、ゲストで駒北の大場さん、椿油の桐野さん、鎌鼬の神崎さん、本榧の吉備さん。
……ほんと心配になってきたわね、これ。
場所:オープンキャンパスの部室
先手:裏見 香子
後手:赤井 もみじ
戦型:ムリヤリ矢倉
▲7六歩 △3四歩 ▲2六歩 △8四歩 ▲6六歩 △8五歩
▲7七角 △3二金 ▲5八金右 △4一玉 ▲7八金 △6二銀
▲6七金右 △6四歩 ▲4八銀 △6三銀 ▲6九玉 △5四銀
▲5六歩 △6二飛 ▲5七銀 △4二銀 ▲6八銀上 △7四歩
▲7九玉 △7三桂 ▲3六歩 △5二金 ▲2五歩 △3三角
▲1六歩 △1四歩 ▲9六歩 △9四歩 ▲4六銀 △6五歩
▲5七銀上 △6六歩 ▲同 銀 △6五歩 ▲5七銀左 △7七角成
▲同金寄 △4四歩 ▲7五歩 △6三金 ▲5五歩 △4三銀引
▲7四歩 △同 金 ▲8三角 △6四飛 ▲7二角成 △8四角
▲6七歩 △9五歩 ▲同 歩 △4五歩 ▲同 馬 △4四銀
▲5六馬 △4五歩 ▲3七銀 △5四歩 ▲4六歩 △5五歩
▲4七馬 △4六歩 ▲同 馬 △4五歩 ▲4七馬 △5四飛
▲5八歩 △6四金 ▲7六歩 △9六歩 ▲同 香 △9五香
▲同 香 △同 角 ▲6八銀 △7四香 ▲9六歩 △8四角
▲4八馬 △同角成 ▲同 銀 △5六歩 ▲3七桂 △5五角
▲2四歩 △同 歩 ▲同 飛 △2三歩 ▲2七飛 △9八歩
▲6二角 △6三金 ▲7一角成 △9九歩成 ▲2六香 △8九と
▲同 玉 △5一飛 ▲7二馬 △5三飛 ▲5七歩 △6四桂
▲6三馬 △同 飛 ▲5四金 △6一飛 ▲2三香成 △7六桂
▲3二成香 △同 玉 ▲5五金 △同 銀 ▲2二金 △4一玉
▲2三飛成 △3一香 ▲7六金 △同 香 ▲7七歩 △6六歩
▲5三桂 △同 銀 ▲同 龍 △5二金 ▲5五龍 △6七歩成
▲同 銀 △6五桂 ▲7四角
まで135手で裏見の勝ち