初 手 賭ける少女
私の名前は裏見香子。駒桜市立高校の1年生。
中学のときは陸上をやっていた。ポニーテールにちょっと引き締まった体格の女の子。
身長は中の上くらいかな。体重はもちろん秘密。
好きな科目は数学、趣味は──ちょっと変わってるけど将棋。
幼いころ、おじいちゃんに教えてもらった。それ以来ずっと遊んでいる。
5月をむかえて、すこしダレてきた昼休み。
私は学食に来ていた。券売機にならんで順番待ち。
長蛇の列で、もう何分も待っていた。前の女子がはけて、ようやく私の番。
さっそく本日のAランチを──あれ? お金がない?
財布に100円しか入っていなかった。
私はまごまごしてしまう。するとすぐうしろの男子が、
「どうかしたの?」
とたずねてきた。
マズい。券売機の前から移動する。財布の中身をもう一度よく確認した。
「変ね……昼食代はもらったはず……あッ!」
もらったあと、財布に入れた記憶がない。
ということはつまり……勉強机のうえだ。なんという不覚。
私はタメ息をついた。あたりを見回す。みんな美味しそうに食べている。
しょうがない、コンビニで一番安いパンを──と、そのときだった。
私はあるテーブルに目をとめた。
ふたりの女子がボードゲームで遊んでいた。将棋だった。
女子高生がお昼休みに将棋? 見間違いかしら?
私はこっそりうしろにまわってみた。
やっぱり将棋だ。
学食で将棋なんて、ずいぶん変わってるのね。ま、ひとそれぞれか。
っと、こんなことしてる場合じゃない。私はその場をはなれようとした。
ところがその瞬間、メガネをかけたショートボブの女子がふりむいた。
ネクタイのタイピンからして、最上級生のようだ。
うちの学校は、男女ともダークグリーンのブレザーで、赤いネクタイをしている。
そのタイピンに横線が入っていて、その本数で学年がわかるのだ。
「あ、こんにちは、将棋に興味がおありですか?」
あいてのほうが先輩なのに、敬語で話しかけてきた。
しかも、もちろん興味がありますよね、っと、そんなオーラ。
私はすぐに察した。このふたり、ただ将棋を指してるわけじゃない──勧誘だ。
将棋部なのだろう。5月になって、新入部員の勧誘はとっくに終わっている。けど、こうして出店を構えている部活は多かった。大抵は、4月に新入生が集まらなかったというオチだ。
「いえ……なにをしてるのかな、と気になっただけで……」
「気になるということは、興味がおありなんですよね?」
しまった。めんどくさいことになったかも。
「すみません、ほんとにチラッと通りがかっただけで……」
「いえいえ、もしよろしければ一局」
「将棋はよく知らないので……」
「でも将棋っておわかりになられたんですよね?」
「駒の動かし方を知ってるだけで……」
「初心者大歓迎ですよ」
しつこーい。このようすだと、ほんとに新入生がいないっぽい。
「たいしたおもてなしはできませんが、飴をさしあげますよ」
こ、高校生を飴で釣るのはどうなの?
と思ったけど、いい考えが浮かんだ。
「じゃあ、一局指すので、私が勝ったら学食でおごってもらえませんか?」
賭け将棋の提案。これならさすがにことわるでしょ。
案の定、メガネの先輩はしぶい顔をした。
「賭け将棋はちょっと……」
はい、ではさようなら。
私は退散しようとした。
ところが、もうひとりの女子が急に顔をあげた。
人懐っこそうな感じの、小柄な子だった。タイピンからして2年生。
その少女は、メガネの先輩にむかってタメ口で、
「志保ちゃん、べつに学食くらいいいじゃん」
と言った。
「賭け将棋はちょっと……」
「後輩におごるだけだから、だいじょうぶだよ。それに初心者なんでしょ」
メガネの先輩は急に考え込んだ。
「……拘束時間を考えると、おうどん一杯くらいなら釣り合っていますか」
ちょっと待って、受けてくる流れ?
いやいやいや、そこはことわってくださいな。
私があわてていると、メガネの先輩は、
「わかりました。おうどん一杯ならいいですよ」
と了承してきた。
最悪……でもないか。ちょうどお昼を食べ損ねてたし、渡りに船。
それにしつこく勧誘してきたあいてが悪い……ような気もする。
私は「じゃあ、私が勝ったらおうどん一杯で」とお願いした。
先輩たちは自己紹介をしてくれた。
「私は3年生の大川志保です。将棋部の部長をやらせていただいています」
「あたしは木原数江、カズちゃんって呼んでね」
えーと、自己紹介しないといけない流れかしら。
「1年の裏見香子です」
大川先輩は漢字の書き方をたずねてきた。
「裏側を見る、です」
「めずらしいお名前ですね。では、さっそく……木原さん、どっちが指しますか?」
「部長でいいよ」
木原先輩が席をゆずってくれた。
どうやら大川先輩と指すらしい。とりあえず駒をならべる。
私が半分くらいならべ終えたところで、大川先輩は、
「ずいぶんと手馴れていらっしゃいますね」
とつぶやいた。
そうか、初心者っていう設定だった。
なんか変な感じで置いておこう。
「それでは、裏見さんからどうぞ」
「いえ、先輩からどうぞ」
「いえいえ、裏見さんから」
じゃんけんで、となって、私が後手をひいた。
「お客さんがあいてですが、先に指させていただきます。よろしくお願いします」
「よろしくお願いします」
大川先輩は7六歩と突いた。
さて、どうしたものか。初心者設定にしてしまったから、うかつに指せない。
私はあれこれ悩んだ。
初心者っぽくみえて、しかも勝てそうな戦法を考える。
「……これを動かします」
私は4筋の歩を持ち、やぼったい手つきでひとつ前に進めた。
これを見た大川先輩は、
「その歩、取れちゃいますよ?」
と言って、同角としてきた。
え? ……この戦法知らないの?
もちろん同角はまちがいじゃない。むしろ定跡だ。
けど今の雰囲気は、4四歩の意味がわかっていないようにみえた。
「……先輩、こうしたらどうします?」
私は飛車にひとさしゆびをそえ、ずるずるとスライドさせていく。
5三角成を受けない強気の一手。
先輩はアッと悲鳴をあげた。
「そっか……角成だと飛車が……」
あ、ほんとに知らないんだ。
先輩は長考し始めた。5三角成、4七飛成以下を読んでいるのだろう。
さっきまでの楽観な態度は、どこへやら。真剣に読んでいた。
「……成るしかないですね」
そう言って、先輩は角を成った。
正解だ。角を逃げると、一方的にこちらが飛車を成れる。
それはマズいから、5三角成が当然の一手。
手番を終えた先輩は、自分の陣地を見つめている。
私はわざと不器用な手つきで、3四歩と角道をあけた。
「あ、飛車を成らないんですね。だったらもらいます」
先輩はあまり考えず、4二馬と取ってきた。角より飛車のほうが好きなタイプか。
私は同銀と取り返す。
「8八銀です」
先輩は銀をあがって、9九角成を防いだ。
んー……ちらり。木原先輩のようすをうかがう。
木原先輩は他人の将棋をみるのが好きなのか、楽しそうな顔をしていた。
この先輩の棋力はわからない。
すこしカマをかけてみる。
「木原先輩、このきょ……この状態、どう思います?」
「え? アドバイスして欲しいの?」
「あ、いえ、アドバイスというか……どっちが勝ってそうかな、と」
「わかんない。見たことない変なかたちだし」
なるほど……理解した。
このふたり、初心者じゃないけど低級者だ。
私の棋力をはかることもできないはず。
この勝負、もらいました──とりま王手。