表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
こちら、駒桜高校将棋部  作者: 稲葉孝太郎
第3局 初めての大会編(2013年5月12日日曜)
17/295

15手目 睨まれる少女

 ふぅ……私は手を洗いながら、ピカピカに磨かれた洗面台の鏡を眺める。

 ……私が写ってる……って、当たり前か。

 この会館、最近できたばかりだから、トイレが奇麗で助かる。

 汚いトイレだと、気が滅入るもんね。

 全自動の蛇口から水が止まる。私はハンカチで手を拭きながら、トイレを出た。

「おっとッ!」

 出口のところで、ひとりの男子生徒とぶつかりそうになった。

 これは運命の出会い……じゃなくてただの衝突事故ね。未遂でよかった。

 私は一歩後ろに下がり、すぐに頭をさげた。

「す、すみません」

 相手は「ふぅ」と胸を撫でおろし、少しずれた黒縁の眼鏡をかけなおした。

 知的そうな顔をした、背の高い男子だった。……ん、この学ランは升風(ますかぜ)だ。

 升風は市内でトップの進学校だ。男女共学。

「きみ、大丈夫?」

 そう言って、彼は私のことを気遣った。なかなか紳士的。

「あ、大丈夫です」

「そっか、ちょっと局面を考えてて前を……きみは駒桜(こまざくら)の生徒?」

 相手は私の制服をじろじろ眺めてくる。

「きみも将棋部? この大会に?」

「え……そうですけど……」

 え、なに、新手のナンパ? 将棋でナンパとか聞いたことないけど。

 案外にむっつりなのかしら……気をつけましょ。

 私が警戒していると、あいての男子は、

松平(まつだいら)くんは来てないのかな?」

 とたずねてきた。

 いや、だから知らんっちゅーねん。

「すみません、そういう人はちょっと知らないんですけど……」

「駒桜は今も女子だけで活動してるのかい? 顧問の先生からはなにも?」

 まったく話が見えてこない。

 ただそう言われてみれば、女子部員しか見たことないわね。

 歩美(あゆみ)先輩たちも「女子」将棋部って言ってたはずだし。

 よく考えたらおかしい。駒桜は男女共学。

 男子将棋部が別にあるのかしら? 一度も会ったことないような?

 私が自問自答していると、目の前の男子は気まずそうに笑顔を見せた。

「失礼、他校の事情を尋ねたのは良くなかったね……許して欲しい」

 いや、許すもなにも、別に怒ってない。

「いえ……お構いなく……」

「もしよければ、升風(ますかぜ)千駄(せんだ)がよろしく、と伝えておいてくれないかな」

 えぇ!? このひとが例のセンダなのッ!?

 いや、たしかにものすごく会長っぽいキャラだけど──

「は、はぁ……機会があれば……」

 私がそう答えると、相手はその場を去った。

 私は黙って彼の背中を見送る。たぶん対局中なんでしょうね。

 局面を考えてた、とか言ってたし。そのわりにはずいぶんと余裕があった。

 まあいい。鞘谷(さやたに)さんたちを待たせるといけないし、戻りましょう。

 天堂と清心の対局席は……あれれ? いない。ふたりとも消えちゃってる。

 他の対局へ移動したんでしょうね。私が会場を見渡すと、べつのテーブルにふたりはいた。

 私もそこへ移動する。

 升風と駒北(こまきた)戦だった。

 すっごい緊張感。もしかして事実上の決勝戦なのかも。

 小声ですら話してもいいって雰囲気じゃないし、黙らざるをえないって感じ。

 鞘谷さんと横溝さんに声かけもできない。

 じっくりと観戦に集中しましょうか、まずはオーダー表をチェック。

 1年生は升風副将の(つじ)って人だけね。辻……竜馬(りょうま)ッ!?

 な、なかなか凄い名前ね。こういうネーミングは勇気いるわよ。

 名前負けしないように育てないといけないから。

 どんな人かな。私は野次馬越しに覗き込む。そこにいたのは、細身のオタクっぽい男の子だった。右の髪の毛が少し眉毛に掛かってる。いかにもって感じ。まあ、人を外見で判断するのは良くないし、局面をば。辻くんが先手だ。

 

挿絵(By みてみん)


 うーん、これも横歩かあ。とりあえず居飛車党ってことしか分からない。

 あ、鞘谷さんがめっちゃ真剣な顔して見てる。彼もマークってわけね。

 それにしても、この席は人が多い、三将ほどじゃないけど。三将は選手の顔が見えない。

 私は盤面に視線を戻す。それにしても危ないなあ。次に8八角成からの2枚換えと、1九角成の香車取りが受からないじゃない。もう先手負けのような。

 ん、歩を持った? どこに打つ気?

 

挿絵(By みてみん)


 8二歩? ……こんなの無視でしょ。1九角成……は8一歩成、2九馬、7一とで先手が損してるか……じゃあ8八角成、同金、同角成ね。先手は壁銀で超危険だし、後手もそう指すでしょう。

 

挿絵(By みてみん)


 取った? なんで? 8八角成、同金、同角成は後手良しじゃないの?

 ……これだから横歩って嫌なのよね。ワケが分かんないもん。

 私は興味を失い、再び三将のテーブルを盗み見た──あれだけ人気ってことは、相当なカードなんでしょうね。多分、升風のボスと駒北のボスと見たわ。こうなってくると、さすがの私も野次馬根性が頭をもたげてきた。こっそりと四将の側に移動する。ちょっとくらい隙間は……ないか。全然見えない。

 たぶんあそこがセンダさんの席なのよね。

 だって他の席に見当たらない。去年の新人王ってことは、姫野(ひめの)さんより上ってことだし、そうなると私より遥かに上。うーん、どれほどの実力か見てみたい気もする。姫野さん対策にもなりそう。

 しばらくして、鞘谷さんと横溝さんは列を離れた。私もそちらに移動する。

 鞘谷さんは開口一番、

「裏見さんは、だれか気になる1年生がいた?」

 とたずねてきた。

「え、うーん……序盤だからよく分かんなかったかな……」

 これには横溝さんが、

「今年の1年生は、やっぱり辻くんが要注意だと思う……」

 とつぶやいた。

「辻……? あ、升風の副将?」

 横溝さんは黙ってうなずいた。

 そっか、雰囲気が尋常じゃなかったから、もしやとは思っていた。

 手付きも鮮やかだったしね。

「ふたりは、辻くんと指したことある?」

「私は……ない……」

「駒桜名人戦の予選で、1回だけ当たったことがあるわ」

 鞘谷さんはそう言って、勝敗には言及しなかった。

 言及しないってことは、負けたってことね。確認はやめとこ。

 鞘谷さんは、

「裏見さんは、振り飛車党?」

 とたずねてきた。

 私は特に考えなくうなずいた。数秒後、余計な情報を与えてしまったことに気づいた。

 しまった。黙っとけば、さっきの試合から居飛車党と勘違いしてくれたかも。

 これはアドバンテージを失っちゃったわね。少しケアしないと。

「鞘谷さんは居飛車党なんでしょ? 横歩を指すくらいだし」

「そうね……たまに気分転換で振るかしら」

 なるほど、やっぱりそうなんだ。私も昔はおじいちゃんと矢倉を指してたし、今でも気分転換に居飛車を指すから、同じようなものね。

 さて、お次は横溝さんの情報を……。

「横溝さんは、振り……」

 ここで鞘谷さんがわりこむ。

「ねえねえ、同じ学年なのに、さん付けで呼ぶの止めない? 香子ちゃんでいい?」

 それって歩美先輩と同じなんだけど……ま、いっか。中学でもそうだったし。

「いいわよ、鞘谷さんの下の名前は……」

「あ、私はサーヤって呼んで。中学のときからずっとそれで通ってるから」

 鞘谷さんはそう言うと、片目でウィンクしてきた。

 了解。

「えっと、横溝さんは?」

「わ、私は横溝で……」

「彼女、よっしーって渾名があるんだ。それで呼んであげて」

 う、よっしーって、某アクションゲームで出て来る恐竜のことじゃあ……それに、どこからそんな渾名が出て来るわけ? 横溝は「よ」しか合ってないし……もしかして、見た目によらず大食いだったりするとか?

 私が勘ぐっていると、鞘谷さんが解説してくれた。

「横溝さんは、下の名前が良枝(よしえ)なの。だから、よっしー」

 なんだ、そんなオチか……単純明快。

 呼び方で揉める必要性もないでしょうし、適当に合わせときましょう。

 鞘谷さんがサーヤで、横溝さんがよっしー……覚えた。

「ところで、私たちは最後まで見ていくつもりだけど、香子ちゃんはどうする?」

「んー、ちょっと明日の宿題とか溜まってるから……お先に失礼するわ」

「そっかぁ」

 鞘谷さんは残念そうな顔をした。だけどすぐに表情が戻る。ほんとにお天気屋さんね。

 ここまで気分をコロコロ変える人も珍しい。

「じゃ、またね」

 ふたりは観衆の波に消えた。私はしばらくたたずんだあと、出口へと爪先を向けた。

 すると、なぜか道路のまえで歩美(あゆみ)先輩と遭遇した。

香子(きょうこ)ちゃん、もう帰るの?」

「あ、はい……ちょっと宿題が多めに出てるので……先輩は?」

「私は今からお昼」

 マジ? どんだけ感想戦してたの?

「さっきの香子ちゃんの試合、どういう内容だった?」

 そんなの部室で訊けばいいと思うんだけど。一応答えますか。

 私は猿渡さんとの対局内容を説明した。歩美先輩は最後まで黙って聞いていた。

「ふーん、角頭歩だったんだ……」

 かくとうふ。メックでも耳にしたわね。どういう漢字かも分からないんだけど。

「中盤までは良かったのね?」

「は、はい……猿渡さんが言うには……」

 私がそう答えると、歩美先輩は再び黙り込んでしまった。

 えーと、なにかアドバイスとかいただけないんでしょうか? 私はじっと待つ。

「……お疲れさま。じゃ、また部室で。そろそろ香子ちゃんとも指したいし」

 え? ええ? それだけ? 聞くだけ聞いといて、帰っていいとか……歩美先輩、前から思ってたけど結構冷たいわね。人づき合いが下手というか、相手の気持ちを考えられないというか……要するにKYってこと。

 とはいえ、ここでお説教が始まるよりはいい。

 私は「ではお先に」と告げて、バス停へとむかった。

 

  ○

   。

    .


 私がベッドに入ったのは、夜10時を過ぎた頃だった。

 宿題は案外早く片付いたし、疲れてておじいちゃんとは1局しか指さなかった。しかも負け。

 うーん、今日は0ー2かあ……面白くない。

 真っ暗な天井を見上げながら、私は今日一日の出来事をふりかえった。初めてチーム戦で指したし、新しい友だちもできた。よく分からない質問もいっぱい飛んで来た。

 そう言えば、そろそろ歩美先輩と指さないといけないのよね。

 どうしましょ。とりあえず歩美先輩は……私は闇の中で、あることに気付いた。歩美先輩の将棋、一度も見たことない。部室で冴島先輩と指してたときも、結局盤面はのぞかなかった。居飛車党かどうかも分からない。しまった、もうちょっと情報収集しておけばよかったかも。

 ……ま、いっか。ここで考えても意味はない。寝ましょ寝ましょ。

 目を閉じると、心地よい眠りが私の意識を奪った。



【第1部 完】

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
cont_access.php?citi_cont_id=454038494&size=88
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ