14手目 観戦する少女
「あー、食った食った。ごちそうさん」
冴島先輩はお腹をポンポンしながら、メックを出た。
甘田さんはお財布をしまいながら、ぶつぶつと文句を垂れた。
「はあ、信じられないね……ほんとにおごらせてるし……」
傍から見ると険悪な雰囲気。だけど、甘田さんはおごる約束をしてないんだから、断れば済む話。それを払ってるってことは、最初からおごる気だったんでしょうね。
うーむ、このふたりの仲、謎。
「おっし、オレはもう帰るぜ」
「あれれ、もう帰っちゃうの? せっかく市民会館まで来たのに?」
冴島先輩は甘田さんの肩を叩いた。
「わりィな。今月は応援部で忙しいんだ。今日くらいゆっくりしてえんだよ」
「そっか……」
甘田さん、すこし残念そう。もしかしてこの後、遊ぶつもりだったのかな。
「ほんじゃ、また今度な」
「ばいばーい」
甘田さんの挨拶に手を振って、冴島先輩はバス停の方へ向かった。
あの人、ここから結構遠いみたいなのよね。市の端っこに住んでるみたい。
冴島先輩の姿が見えなくなったところで、私は今後の予定について考えた。
部長と数江先輩は、先に会場へもどっちゃったのよね。
私も行ったほうがいいのかしら? 元体育会の感覚だと、多分そう。
私が思案していると、鞘谷さんが声をかけてきた。
「まだ2回戦の途中だし、見て行かない?」
「2回戦? ……まだ試合してるの?」
「女子は2校しかないからいきなり決勝だけど、他の高校はこれからが本番よ。今日中に3回戦までやるんだし」
ええッ? そんなにやるの? 30分60秒を1日3局かぁ。
そう言えば、メックにいた人たちもやたら早食いだった。道理でね。
「でも、なんで男女別なの? ほとんどの高校って共学じゃない?」
私が尋ねると、鞘谷さんはちょっと困ったような顔をした。
横溝さんが代わりに答えた。
「なんかいろいろあって男女別に分かれた……って聞いた……」
「いろいろ?」
「もともと駒桜市の高校大会は、男女混合方式だったの……でも県大会が男女別だから、男女別に市代表を決めないといけなくなって……それで……」
へえ、そういう歴史があるんだ。陸上も男女別でやってるし、普通といえば普通か。
「女子チームが2校しかないのは?」
こんどは甘田さんがしゃしゃり出て来た。
「そりゃ簡単な話。女子の将棋人口が少ないからだよ。昔は升風にも女子チームがあったんだけど、今はなくなってるね」
たしかに、5人制だと集めるのもたいへんそう。うちだってほとんどギリギリの人数だもの。
とりま、会場へもどりましょ。
直帰すると、行方不明扱いになっちゃうかもしれないしね。
○
。
.
市民会館は、あいかわらずの盛況だった。
2回戦も始まっているらしく、対局音が聞こえた。
学生の群れ……に混じって、私服のおじさんもいるわね。顧問?
「あそこの人、学校の先生?」
私はちょっと小太りなおじさんを指差して尋ねた。
鞘谷さんは目標をサーチして、なんだと言った顔をした。
「あ、違う違う。一般の見物客よ」
「見物客?」
「そ、どこの大会でも、見に来る人はいるんだよ。他人の将棋を見るのが好きなタイプ」
社会人の八千代さんタイプかぁ。
未だにその心境が分かんないのよね。まあ趣味の問題だからいいんだけど。
鞘谷さんは会場をぐるりと見まわして、
「どれから見る? やっぱり千駄さん?」
とたずねてきた。
せんだ? 誰それ?
「どの人?」
「んー、野次馬に隠れてて見えないわね。千駄さんは駒桜高校将棋連盟の会長よ。しかも升風の部長兼生徒会長」
高校生のくせに肩書き多過ぎ。将来、過労で死ぬわよ。
「ようするに、すっごい真面目くんってわけね」
私が総括すると、鞘谷さんはチッチと指を横に振った。
「そんな肩書きは正直どうでもいいの。重要なのは将棋よ、将棋」
最初からそれを言ってくださいなッ!
会長云々のくだり、完全にいらなかったでしょ。
「どれくらい強いの?」
「去年の新人王で、駒桜名人戦ベスト4の強豪」
ん? なんか私の記憶に引っかかるものがある。
去年の新人王ってことは2年生でしょ。だから……姫野さんと同学年だッ!
「え、じゃあ決勝で姫野さんが負けた相手って、もしかして……」
「決勝は千駄ー姫野の千駄勝ち。去年卒業した先輩曰く、3年に1度の好局だったらしいわ」
3年に1度ってのがなんかいやらしいわね。リアルっぽくて。
まあ鞘谷さんがそれだけ言うなら、その対局を観てもいいかな。
もしかすると姫野先輩退治のコツがつかめるかもしれない。
ところが、私たちが近づいてみても、全然スペースがなかった。
横溝さんは、
「それより1年生をチェックしたほうがいいんじゃないかな……」
と提案した。
鞘谷さんもうなずいた。
「そうね。新人戦も近いし、ライバルの偵察でもしますか」
「うん……今日は比較的1年生が顔出ししてるし……」
新人戦? ……1年生だけの試合ね。確か……うーん……6月だった?
「みんな新人戦出るの?」
私が尋ねると、鞘谷さんは「もちろん」と答えた。
「裏見さんは出ないの? ……そんなわけないわよね?」
「いや、まだ決めてないんだけど……」
「出た方が得よ。今年はチャンスだし」
「チャンス……? なんの?」
「もう、優勝に決まってるでしょ、とぼけちゃって」
とぼけてないんだけどなぁ。そもそも優勝のチャンスってなに?
私はちょっと推理した。
「……今年は層が薄いとか?」
鞘谷さんは大きくうなずいた。
「私たちの世代で1番強い男子が、市外の高校に行っちゃったの。だから狙い目」
トップが抜けただけで勝てると思うのは、ちょっと甘いんじゃない?
2番手、3番手もいるわけだし。鞘谷さんが何番手かは知らないけど。
ところが、横溝さんも鞘谷さんと同じ意見のようだった。
「しかも2番目の男子は、将棋部に入ってないらしいから……松平くんって知らない……?」
知らんっちゅーねん。
「駒桜に入学したって聞いたんだけど……」
「え?」
ってことは、同学年? ……私のクラスじゃないわね。
松平っていう苗字の男子はいない。
私が「知らない」と答えると、ふたりとも半信半疑のようだった。
なんで疑うんですか。心外ですよ。
「それじゃ、順番に1年生をチェックしていこっか」
「でもどうやって? 鞘谷さん、全員の顔覚えてるの?」
私がそう尋ねると、鞘谷さんは振り返って肩をすくめた。
「簡単よ、大将席のオーダー表に学年が載ってるから、それを確認すればいいだけ」
ああ、なんだ、そんな方法があるんだ。ほんと簡単ね。
私たちは移動を始めた。まずは手近なテーブルから……私はオーダー表を覗き込む。
天堂と清心──ん? 天堂が出てるの?
天堂は地元の不良高校で有名なところだ。
名前を書いたら合格するとかいう噂がある。
そこに将棋部があるというイメージがなかった。偏見かしら。
清心はカトリック系の私学だ。マジメな生徒が多い印象。
1年生は天堂に1人、清心に2人……あ、天堂の方は大将だわ。私は盤面を見た。
ふえ? 後手が天堂の1年生だけど……なんですかコレは? もう敗勢な気が。
私が目を白黒させていると、鞘谷さんたちは奥の方へ行ってしまった。私も後を追う。
私は対局の邪魔にならないように、できるだけ小声で、
「さっきのなに?」
とたずねた。
鞘谷さんがふりむく。
「さっきのって?」
「大将戦」
ああそのことかと、鞘谷さんは軽くうなずいた。
「あれは当て馬よ」
「あてうま?」
馬がどうしたの? 競馬用語?
鞘谷さんもいい加減に私の知識量を把握し始めたのか、すぐに説明をくわえた。
「当て馬って言うのは、強い人に弱い人を当ててオーダーをずらすこと」
オーダーをずらす……ああ、分かった。八千代先輩が説明してたもんね。多分、清心の大将がメチャクチャ強いから、弱い人を当てて他で星を稼ぐ作戦なんだ。さっきの1年生は、そのための生け贄ってわけか。可哀想に。
「あの手付きだと、ルールを知ってる初心者を狩り出したんでしょ」
「……そんなのアリ?」
「参加条件に棋力は関係ないから」
……それもそうか。だったら、さっきの1年生はノーマークね。
団体戦に狩り出された人なら、個人戦には出て来ないでしょうし、出て来たとしても楽勝よ。
さてさて、お次は清心の1年だけど……確か、四将と五将だったわね。
四将は、と──
んー、横歩か。横歩はさっぱり分かりません。
次に移ろうとすると、鞘谷さんは真剣な表情で盤面を見つめていた。
……ははん、鞘谷さんは横歩を指すわけだ。彼とはライバルってわけね。
数江先輩戦も居飛車穴熊だったから、鞘谷さんは居飛車党でほぼ確定。これは貴重な情報。
それじゃ、次行きましょ、次。
後手が清心の1年よね……ふむ、私でもこうなりそうな形だ。
相振りなら受けて立つわよ。相手が男子だろうが、逃げも隠れもしないんだから。
っと、鞘谷さんと横溝さんもこちらに移動してきた。
横溝さんは五将の将棋に興味津々のようす。
「相振りか……」
……横溝さんは振り飛車党っぽい?
私と横溝さんが当たると、相振りになる可能性が高いかも。
後で部長に訊いてみましょ。
鞘谷さんたちは少しだけテーブルを離れた。作戦会議かなにか? 私も後を追う。
壁際に寄ったところで、鞘谷さんが口をひらいた。
「さっきの四将と五将、中学のときに見たことあるわね……」
「え、指したの?」
「じかに指したことはないわ。中学のときは男女で指す機会がなかったから」
「ふーん……で、強いの?」
鞘谷さんは「うーん」とうなり、評価をひかえた。ってことは、そうでもないんでしょうね。入賞するくらい強かったら、鞘谷さんたちも覚えているだろう。
だけど私の立ち位置が分からないから、比較のしようがないのよね。ここだとどのくらいの順位なんだろう。下の方ってことはないと思う。さっきの当て馬を見る限り、下はほとんど初心者に近いようだ。
いや、でも、あの男子だけ極端に弱かった可能性はあるか。
ここは恥を忍んで──
「ねえ、ちょっと質問していい? 私って、ここだとどのくらい強い?」
鞘谷さんと横溝さんは、お互いに顔を見合わせた。
うぅ、これは緊張する。下の中くらいなんて言われた日には、立ち直れないんだけど。
ふたりはこちらへ顔をもどす。
横溝さんは、
「裏見さんとは指してないから分かんない……」
と答えた。なんとも無難な回答。
鞘谷さんは、
「裏見さんって、ほんとに同世代の誰とも指したことないの?」
と確認してきた。
「ほんとよ、私が指したことある人数は多分……両手の指で数えられるくらいかな」
私の返事に、鞘谷さんと横溝さんはなんとも微妙な顔をした。
むむッ、ライバルオーラが漂ってる。敵と認識されましたか。
だけどそれも束の間、鞘谷さんはすぐに笑顔を浮かべた。
「そっか、じゃあ今後は長い付き合いになりそうね。後でMINE交換しましょう」
ああ、この青春してるって感じ──と、このへんでお手洗い。