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こちら、駒桜高校将棋部  作者: 稲葉孝太郎
第3局 初めての大会編(2013年5月12日日曜)
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11手目 活かす少女

「どうかしましたか?」

 ひどく事務的な口調で、猿渡さんは私に声をかけた。

 私はあわてて口をつぐみ、首を左右にふる。

「いえ……なんでもありません……」

 そう答えている間も、私の意識は盤面に釘付けだった。8六……歩……?

 

挿絵(By みてみん)


 なにこれ……? 見たことないわよ……。

 おじいちゃんとの対局で、3手目にここを突かれた記憶がないもの。

 そもそも初期配置で一番弱いのが、角の頭なのだ。おじいちゃんはそう教えてくれた。だから居飛車はそこを集中的に攻める。棒銀だってそう。なのに、そこの歩をいきなり突いてくるって、どういうこと? 敢えて弱点を晒している。

 例えば8四歩と突き返したら、どうする気? 7八金と受けたって、8五歩、同歩、同飛で、いきなり飛車先の歩が交換できちゃう。

 私がそう指そうとしたとき、ふと歩美(あゆみ)先輩の声がよみがえった。

 相手の戦法を受けるな……そ、そうだ。8四歩なんて、絶対相手の読み筋。パックマンで言うなら、4四歩を食べちゃってるようなもんよ。対策があるに決まってる。だったらここは──


挿絵(By みてみん)


「4二玉ですか……」

 猿渡さんは眼鏡をはずし、専用の布でレンズをふき始めた。

 これは好手だったかも。意外に思ってるみたいだ。

 ホッとするのも束の間、猿渡さんは眼鏡をかけなおして、2二角成とした。

 いきなり角交換か……神経を使う。

 とりあえず同銀。猿渡さんは1秒も考えずに7八金と上がる。

 これは研究してるって手付き。変に角を打つとハマりそうね。3二玉。

「6五角とは打って来ませんか……」

 それねえ……ちらっと浮かんだんだけど、4八銀、7六角、4五角、6二銀、3四角でますます混沌としちゃうのよね。4五角と打たないで、角を手持ちに温存しておく指し方までありそうだし。

 おっと、相手の独り言に釣られてる場合じゃないわ。構想を練らないと。

 私が読みを再開した途端、猿渡さんは6六歩と突いてきた。6五角を消したのね。だったらこっちも当然、4五角を消す。6二銀。

 これで次は8四歩〜8五歩と伸ばす楽しみができた。

「姫野さんが言った通り、なかなかやりますね」

 いえいえ、それほどでも。私は形だけ謙遜する。

 ……ん、桂馬を持った?


挿絵(By みてみん)


 ははーん、そういう作戦なんだ。分かったわ。8四歩には、とにかく7七桂馬で足止めするわけね。かと言ってここで8四歩と突かないと、逆に8筋の位を取られちゃうから、次の一手はもう決まり。8四歩、と。

 私はチェスクロのボタンを押す。サッと6五歩が指された。

 うむむ、6筋の位は取られちゃいましたか。これは飛車が窮屈。こっちの駒組がかなり制約されちゃってる。なんとかして普通の形に戻さないと。

 6二銀の活用と6筋の受けを見て、5四歩としますか。私がそう指すと、猿渡さんはまたまたノータイムで6八飛車。

 速い……速過ぎる……猿渡さんは持ち時間をまだ1分も使ってない。この手順、絶対研究にハマってるわね……不味い……私のなかで焦りが出始める。

 多分、5三銀は当たり前過ぎて、研究から外れられない。しかも先手には、7五歩の伸ばしが残ってるから厄介だ。7筋、6筋を同時に制圧されると、こっちはお手上げ。かと言って、それを止める手も……って、ちょっとッ! この人、盤面を見ないで本読んでるじゃないッ! 私のこと舐めてんのッ!?

「すみません」

 私が声をかけると、猿渡さんは本から顔をあげた。

「それなんですか? まさか定跡書とか……」

 猿渡さんはカバーを外して本のタイトルを示した。

 『ツァラトゥストラかく語りき』? ……小説かなにか?

「容疑は晴れましたか?」

「あ、はい……失礼しました……」

 私はくちびるを結び、盤面に集中する。ほんと、変な人ばっかりなんだから。

 ……ん? この手はどうかしら? 読んだ限りでは……成立してそう。

 いっちょ行ってみますか。歩美先輩も、自分の将棋を指せって言ってたしね。

 私は角を持ち、4二にそれを据えた。


挿絵(By みてみん)


 パタンと本を閉じる音がした。

 猿渡さんは本を机の上に置く。

「読書しながら勝てる相手ではないようですね」

 当たり前でしょうがッ! その眼鏡、カチ割るわよッ!

 失礼しちゃうわね、ほんと。日曜の朝から、血圧が上がりまくり。

 でも、この4二角を見て本を閉じたってことは、好手なのね。

 よしよし、やっぱり私の読み通りじゃない。

 普通、こんな序盤で4二に角なんか打たない。だけどこの局面は別。6筋を受けながら7五歩の伸ばしを牽制、さらに8六歩を狙うという一石三鳥の手。

 猿渡さんは軽く首を回した後、8七金と上がった。これで金がそっぽ。私は9四歩の継続手を放つ。


挿絵(By みてみん)


「素晴らしい手です」

 猿渡さんは眼鏡をなおしながら、そうつぶやいた。

 でしょでしょ? ここからの構想は、自分でも見事だと思う。

 猿渡さんの4八玉に9三桂ッ! 無理矢理足して8筋突破ッ!

 ……っと、8八銀ですか。無理矢理な攻めには無理矢理な受けの典型ね。でも、これで銀も明後日の方向に移動したし、マイナスにはなってない。進路変更はナシよ。

 私は8五歩と力強く突いた。同歩、同桂に同桂……じゃないッ!? 8六歩ッ!?

 しまった……この辛抱は読んでなかった。だけどだけど──

 私は7七桂と成り込む。

 

挿絵(By みてみん)


 普通に考えると同銀……っと、やっぱり取ってきたわね。

 ほら、さっきまではこっちの陣形が窮屈だったのに、今は猿渡さんの陣形がバラバラ。マウントされた状態からの逆襲ってヤツ。

 と言っても、8筋は金銀でガチガチだし、こっちも工夫しないとね。5二金右。

 私がチェスクロのボタンを押すと、猿渡さんは9六歩と突いてきた。……これはよく分からないわね。9五歩の突き越しから端攻めを警戒した……? でも、棒銀するつもりなんかないし、無駄手なような……ここで時間を使うのは止めましょう。3三銀、と。

「さきほどの9四歩は感心しました。一見活躍しそうにない桂馬を、端歩突きで活かす巧妙な手順。私の理想とする将棋です」

 はあ……そうですか……。

 褒められるのは嬉しいけど、なんか不気味……悪徳セールスみたいで……。

 私がちょっとばかり引いていると、猿渡さんは3八玉と深く入った。私は4四歩。4三金からの矢倉模様を見せながら、隙を見て3筋を位取りする作戦よ。

 猿渡さんは囲いに相当時間が掛かるから、位取りできる……はず……。

 んんん? 私は次の一手に目を見張る。


挿絵(By みてみん)


 8八飛車……? 金銀が密集してる場所に移動してどうするつもり……?

 私が首を傾げていると、猿渡さんの声が聞こえる。

「使えない駒の活用術、今度は私がお見せしましょう」

 な、なによ、この口上は? テレビ取材が来てるわけでもあるまいし。

 いや、テレビでそんなシーン流されたら、後で悶死するわね。恥ずかしくて。

 とにかく、方針は変更しないわよ。4三金ッ!

 私が力強く好形を作ると、猿渡さんは即座に6六銀を上がった。

 囲わないの? 猿渡さんの玉、銀の上に乗ってるだけなんだけど……えーい、あくまでも舐めプってわけね。だったら受けて立とうじゃない。3五歩。

「これで凝り形の解消です」

 そう言って、猿渡さんは音もなく金を7七に寄った。


挿絵(By みてみん)


 ……あッ! た、確かに……金銀がほぐれて、うまく連結してる。

 次に8五歩と伸ばされたら、8三歩、7五銀で終わりだ。

 私は泣く泣く歩を手にし、8四にそっと置いた。猿渡さんは5六歩。

 これはマズい。8筋を制圧したと思ったのに、五分になってる。で、でも玉頭はこっちが圧倒的に優位。予定通り、がんがん押して行きましょう。3四銀。

「位取りですか……」

 ここで猿渡さんは初めての長考に入った。研究範囲から抜けたのかしら? さすがにこんな中盤までは研究してないか……3年生って言ってたし、受験生でしょ。暇がないはず。

 さーて、次に考えられるのは、2八玉か4八銀かあるいは……。

 っと、動いた……5五歩ッ!? どこまで囲わない気なのッ!?

 同歩、同銀、5四歩、6六銀、1四歩、1六歩……。

 えーい、相手が意地を張るなら、2筋も詰めちゃいましょう。2四歩ッ! 8筋は睨み合いで終わらせて、玉頭からぶっ潰すわ。

 私が気合いを入れていると、猿渡さんは4八銀。ようやく囲ったわね。でもそれ、全然固くなってないわよ。4五歩ッ! 4筋を詰めつつ、3三角の覗きを見せる手。猿渡さんが何もしないなら、6六角とぶった切って、同金に7七銀まである。

 回避する手は一応あるけど……。私が盤面を睨んでいると、指されたのは……。


挿絵(By みてみん)


 6七金……うーん、引っかからないか……銀引きの余地を作る好手ね。

 私は行きがかり3三角と出た。猿渡さんは当然に8九飛車。これで角切りの狙いは絶たれちゃったわね。残念。

 私は30秒ほど考えて、2五歩と伸ばした。これで2〜4筋を全て圧迫できたわ。

 ただ、こちらばかり得してるわけじゃない。猿渡さんも、悠々と7五歩。右辺と左辺で双方が出しゃばってる形になった。均衡が崩れたときが勝負ね。

 こっちから崩す……手はないか。仕方がないわ。4二金直としましょう。

 激しい戦いになるかと思ったけど、案外に地味ね。囲い合いになってきた。

 猿渡さんが5七銀と上がり、私は2二玉とさらに戦場から離れる。4八金、3二金。


挿絵(By みてみん)

 

 どちらも飽和点になったわ。何とか仕掛ける手はないかしら。

 やっぱり6二銀を動かして行かないと、なかなか。

「裏見香子さん、ですよね」

 はい、ってか話し掛けないでください。

 私が無視気味にうなずき返すと、猿渡さんはさらに言葉を継いだ。

「この局面で銀がもう1枚あれば、勝てると思いますか?」

 銀……? 私の持ち駒に銀があるってこと……?

 質問の意味が分からないけど、そりゃ勝てるわよ。7八銀、8八飛、6七銀成から、ボロボロ駒を取れるもの。楽勝でしょうね。まあ、銀なんて持ってないんだけど。

「勝てるんじゃないですかね……」

 私は他人事のようにそう返した。だってただの仮定の話だから。

「欲しいと思いますか?」

 あー、もう、私は盤から顔を上げた。

 ……うわ、凄い真面目な顔してる。口三味線かと思ったけど……それによく考えたら猿渡さんの手番だから、会話しても彼女の時間が減るだけなのよね。

 3年生だから、春が最後の大会かもしれないし、ちょっとつき合ってあげましょうか。

「欲しいとは思いますけど……意味ないですよね」

「そうですね、意味がありません」

 ……何ソレ。この会話自体、意味ないと思うんですが。

「しかし、世の中にはそれに気付かない人がたくさんいるのです……不思議なくらいたくさん……『もっと時間があれば』、『もっと優秀な人材がいれば』、『もっと資金があれば』……全ては無駄な願望なのに……」

 な、なにが始まろうとしてるんでしょうか……? 後輩に対する説教?

 私、他校の生徒なんですけど。

「名人にもなった升田(ますだ)幸三(こうぞう)は、こんな言葉を残しています。『将棋は使いにくい駒をどう使うかで勝負が決まる。それは人使いでも同じことだ』と……裏見さん、さきほどの端歩からの桂馬捌きは、まさに使いにくい駒を使った好手順でした」

 はあ、どうも……お褒めに預かり光栄です。

 一方的に褒められるのもなんだし、ひとつ返しときましょうか。

「お礼ってわけじゃないですけど、猿渡さんの8八飛〜6六銀〜7七金も見事でしたよ。私だったら多分6筋に固執して、8八飛車自体指さなかったと思います」

 お世辞じゃない。私なら金を8筋に固定してたと思う。もちろん、猿渡さんの指し方の方がずっといいんだけど、あれはなかなか──

 ん? なんで急にこんな話を? まさかこの局面になにかある?

 私が盤を確認していると、猿渡さんの手が伸びた。向かう先は……9筋ッ!?

「この一手で開戦と行きましょう。使えない駒を使うために」

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