93手目 可愛らしい少女
除夜の鐘を聞きながら、私はぼんやりとテレビを観ていた。
はぁ〜、大晦日は、こたつでぬくぬくするに限るわ。
お父さんとおじいちゃんは寄り合いに行っちゃったし、私はお留守番。お母さんはとおばあちゃんは、明日のお雑煮の準備中。私だけ何もすることが……。
ヴィー ヴィー
ん? この振動リズムは……私の携帯?
どこのフライングメールかしら……まだ年は明けてないのに……。
私はめんどくさそうに、もぞもぞとこたつから這い出して、携帯を取りに向かう。こんなことなら、ちゃんとそばに置いとけば良かったわ。
「……ふえ?」
液晶を見た私は、ぽかんと口を開ける。
し、知らないアドレスなんですが……名前が表示されてない……。
迷惑メールかと思った私の視界に、タイトル部分が映った。
「……げッ! 松平ッ!?」
あいつ、どっからアドレスを聞き出したのよ。
まったく、油断も隙もありゃしない……何々、『初詣行こうぜ(松平)』か……私は、タイトル部分だけ読み上げて、どうしようか迷った。うーん……正直、放置したいけど……。
私は数秒ほど逡巡し、それからメールを開いた。
《裏見、いきなりメール悪いな。今から、つじーん、くららん、その他1年生で、駒桜神社に初詣行くんだが、来ないか? 集合場所は、鳥居の下。11時40分までに来いよ。じゃあ、待ってるぜ。剣之介》
あのさあ……もう来ること確定みたいな扱いになってるじゃない……何で『来いよ』とか命令形になってるんですかね……もうちょっと他に言い方が……。
私は携帯を放り投げようとして、少しばかり躊躇した。……要するに、1年生会よね、これって。私だけ行かないと、まずい気が……顔合わせの意味もあるし……。
私は、連盟の役員交代を思い出す。千駄さんの話が正しいなら、今月の9日には、新体制に移行したはずだ。ということは、蔵持くんが会長で、サーヤが副会長、田中くんが会計か……。
どうしよう、全員参加してたら。
私は1分ほど長考して、時計を見る。うッ……今から出ないと、間に合わない。
着替えッ! 着替えッ!
○
。
.
「よぉ、遅かったな」
小走りに、鳥居の前へと向かう私。その私に最初に声を掛けたのは、案の定と言うか、松平だった。松平は、襟元にふさふさの毛がついた、濃紺のジャンパー。その下から、白い長袖のシャツが覗いている。2枚重ねと見た。でないと寒いでしょ、それ。
「香子ちゃん……こんばんは……」
ああ、この賑やかな雰囲気と対照的な声は……。
「ヨッシー、こんばんは」
私はヨッシーに挨拶する。
ヨッシーは、ずんぐりむっくりになるくらい着込んで、寒そうに震えていた。
「香子ちゃんのアドレス……松平くんに教えたけど……良かったよね?」
良くないと思います。
「いいよ、別に」
「そう……それなら安心……」
ホッとするヨッシーを尻目に、私はあたりを盗み見る。
……あ、やっぱりいた。サーヤ発見。くららんの隣に、べったり張り付いてますね。これまた、凄い振り袖をお持ちで……真っ赤っか……若干似合ってるのが癪……。
他の面子も把握し終えた私は、自分の予感が正しかったことを悟った。田中くんも来てるし、他にも知らない男子が何人か……ん? あのそばかす少年だけ、見たことあるわね。確か、駒北の……森さんの到着を知らせた男子だったかしら?
私は、おとなしくしているヨッシーの肩を小突く。
「……何?」
「つじーんと話をしてる、黒いコートの男子、誰?」
私は相手に見咎められないよう、こっそりと少年を指差した。
ヨッシーは軽く背伸びをして、何だと言った顔をする。
「あれは……駒北の津山くんだよ……」
「つやま?」
「来年度の主将……らしいよ……噂では……」
私は脳内で、駒北のオーダーを思い出す。
……いた気がするわね。そこそこ勝ってたような……。
「そろそろ境内に上がりませんか? 場所が取れなくなりますよ?」
つじーんの呼びかけに、松平がストップを掛ける。
「待った。まだ、ふたばが来てねえ」
ふたば? これまた、どこかで聞いたような……。
思い出そうと四苦八苦する私の横で、つじーんは右の眉毛をひそめた。
「葛城さんを呼んだんですか? 同級生の集まりに?」
「す、すまん……昨日、この会のこと喋ったら、絶対来るって……」
気まずそうにどもる松平。
「まあ……別に構いませんけどね……未来の後輩ですし……」
葛城ふたば……葛城ふたば……あッ! 思い出したッ! 団体戦のとき、ギャラリーの間で挙がった名前だわ。来年度の所属の話をしてたから……中学3年生ッ!?
私がそう推測したとき、後ろで可愛らしい声がする。
「ごめんなさぁい、遅れちゃいましたぁ」
私たちは一斉に、神社とは反対側を振り返った。
緋色の晴れ着を着た少女が、こちらに向かって歩いて来る。
か、可愛い……尋常じゃなく可愛い……くりくりした瞳と、長い睫毛。髪型は、サイドを少し跳ねさせた栗色のマニッシュショート。
月並みな言い方だけど、まるで……アイドルみたい。
「ふたばちゃんが来ちゃった……」
ヨッシーは、なぜか悲し気な溜め息を漏らす。
な、何かあったんでしょうか?
「ふたばちゃんと並ぶと……なんか、惨めな気持ちになるんだよね……」
あ、そういう……でも、ヨッシーも可愛いと思うわよ。
もう少し、雰囲気を明るくすればですね……はい……。
さてさて、ヨッシーがこれだけ嫉妬するなら、サーヤはさぞかし……ん? そうでもない顔してるわね。勘違いで私をライバル視してるくらいなのに。
「ふ、ふたばッ! 何だその格好ッ!? おまえ、そんなの持ってたのかッ!?」
驚愕する松平。そんなのって言われても、普通の晴れ着よね……。
もしかして、超高級品とか? 私には分かりません。
「お姉ちゃんのお下がりだよ。着てけって言われちゃった」
そう言ってふたばちゃんは、草履でくるりと一回転。
あうあう……私も嫉妬しそう……この可愛さは、女子から見ても反則……。
「どうかな? 似合ってる?」
「あのな、そういう……」
「剣ちゃん、そろそろ移動しないと、手遅れになりますよ」
つじーんはそう言って、境内に向かう人の列を見やった。
た、確かに、これは……急がないと、場所が取れないかも……。
松平もそう思ったのか、口を閉ざし、全員の先頭に立つ。
「よし、なるべく前の方に行くぞ」
「僕は、後ろでも構わないんですがね……」
「いや、剣ちゃんの言う通りだよ。早めにお参り済ませないと、立ち往生しちゃうから」
くららんの指摘に促された私たちは、早足で境内へと向かった。
こ、これは、迷惑行為になってないですかね……。
「ねえねえ、香子ちゃん……ひとつだけ訊いていい……?」
はいはい、何でしょうか。
「いいわよ?」
「松平くんは……大会にはもう、出ないの……?」
ぐッ……ヨッシーったら、痛いところを突くわね……。
「本人は……出たがってるかな」
「でも駒桜には……女子将棋部しかないんだよね……?」
そうなのよねぇ。だから困ってるわけで、お互いに。
男女共用にするのが、どれくらい難しいのか、私は知らない。まだ、顧問の桂先生と相談していないのだ。そもそも、数江先輩と志保部長が反対している以上、まずはそちらを調整しないといけないわけで……ああ、頭が痛い……こんなことなら、来期主将とか引き受けるんじゃなかったわ。1年生の私に、どうしろと。
「まあ、そのへんは、追々……」
「追々……ね……」
ヨッシーは、私の台詞を真似たあと、押し黙ってしまった。
な、何か、違う話題はないんでしょうか……今年を振り返ってみるとか……。
「ひゃー、今年はやけに多いな」
松平は、右手を額に当てて、境内を一望する。
ほんと、凄い人混み。田舎町の狭い神社だから、余計にそう感じるわ。
「場所、ありそう?」
と、くららん。これは……タイミングを逸した可能性も……。
「あッ! 辻姉発見ッ!」
いきなり大声を出したのは、ふたばちゃんだった。
「辻姉、こんばんはー」
辻姉の名前を連呼しながら、ふたばちゃんは人混みをかき分けていく。
別に保護者じゃないけど、中学生の単独行動は……禁止……。
「なるほど、そういう作戦か……悪いが、乗らせてもらうぜ」
松平の意味不明な台詞に、私は眉をひそめた。
その松平も、辻姉の名前を叫んで、どんどん前に出て行く。
「あいかわらず、悪知恵が働きますね……」
つじーんは感心したように呟き、あとに続く。
他のみんなも……あ、そういう……。
私もみんなの意図に気付いて、ヨッシーと一緒に最後尾についた。
私たちの顔を見た辻姉は、きょとんとなる。ま、当然ですよね。
「ふたばちゃん、どうしたの? 私は、大学の友だちと……」
「辻姉に、挨拶しようと思っただけですよぉ。こんばんは」
「こ、こんばんは……」
あうあう……さすがの辻姉も、慌ててますね……。
ふたばちゃん、やるぅ。
「というわけで、場所は確保できました」
ふたばちゃんは、嬉しそうに囁いた。
……ですね。この子、見た目によらず、相当……腹黒い。
友だち同士の合流は、結構強引にできちゃうから、それを利用したわけね。
「姉さんをあんまり、困らせないで欲しいのですが……」
まあまあ、つじーん、そう言わずに。
私たちは当たり障りのない談笑をして、カウントダウンまでの数分間を過ごす。
「1分切ったぞッ!」
どこからともなく、若い男の声がした。
だんだんと、境内が静かになり始める。
「……10、9、8、7、6、5、4、3、2、1、明けましておめでとうッ!」
境内で沸き起こった大合唱のあと、私たちはお互いに、新年の挨拶をする。
「ヨッシー、おめでとう」
「おめでとう……なんか、アッという間の1年だったね……」
そうかも。高校に入学して、もう……9ヶ月経ったのかしら?
まさか、こうして将棋部に所属することになるとは、夢にも思わず……実は、夢だったりして。
私は、冗談半分に、頬を抓ってみる。……いたた。
「何やってんだ、おまえ?」
っと、松平か。恥ずかしいところ見られたかも。
「明けまして、おめでと」
私はその場を誤摩化すため、適当な挨拶を返した。
「おぅ、おめでとさん。そろそろ人が動き始めたし、拝んで行くか」
そうね。せっかくここまで来たわけで、参拝しておかない手はないわ。
私たちは、人の流れに乗り、前へ前へと進んで行く。いやはや、ふたばちゃんの悪巧みがなければ、これは相当待たされましたね。地方の神社だから、お賽銭を入れるスペースが、小さい小さい。
私はうまくお賽銭を放り投げ(入ったかどうかは知らないけど)、柏を打つ。
お願いごとは……今年もいい年でありますように、おじいちゃんたちが長生きしますように、それから……いい将棋が指せますように……あとは……。
私はいくつかお願いごとを追加して、目を開けた。
隣を見ると、松平がひどく真剣に拝んでいた。な、何ですかね? 恋愛とか?
「……よしッ」
松平も目を開け、こちらを見た。
微妙に気まずい。
「……他の連中は?」
……あ、私たちが最後か……長く拝み過ぎましたね。
とりあえずお賽銭箱の前から退いて、私たちは仲間を捜す。
……いたいた。なんか、運動会のテントみたいなところにいるけど……。
「何か、食べて行きますか?」
つじーんはそう言って、奥にある調理場を指差した。
鰹節の匂いがする。これは……おそばですね。
「そうだな。腹減ったし」
「あ、僕、年越しそば、食べて来ちゃったんだよね」
くららんはそう言って、申し訳なさそうに頭を掻く。
まあ、私もなのよね。普通、家族と一緒に食べるでしょ。
年越しそば2杯はきついかなあ……くららんは男子だけど……私は……。
「お汁粉あるから、それ食べようよ」
と、ふたばちゃん。
こ、この子、微妙にタメ口入ってる。
香子お姉さんは、許しませんよ。
「そうだね……とりあえず、寄って行こうか」
私たちは食べ処に入り、長机の一角を占めた。結構な人数だ。
隣を見ると、参拝客の大行列。今のタイミングじゃなきゃ、入れなかったかも。
「いらっしゃいませ」
割烹着姿の若いお姉さんが出て来て、注文を取る。
「そば……のやつは挙手」
松平の催促に、つじーん、津山くん、田中くん、その他数名の男子が手を挙げる。
「お汁粉の人、挙手願いまぁす」
ふたばちゃんの誘いに、私とヨッシー、それにくららんが手を挙げる。
「あれ? サーヤは?」
私が尋ねると、サーヤは少し迷ったあと、手を挙げた。
何か、顔色が悪そうなんですが……。私がちらちら見ていると、サーヤはごそごそと手を動かし、腰の帯びを調整し始めた。
……ははぁん、きつく締め過ぎましたね。プロポーションで見栄張ろうとするから、そういうことになるわけで……まあ、サーヤは全然太ってないけど。むしろ、すらりとしてる方だし、何かスポーツをやってる気配が……。
「裏見お姉ちゃん、ですか?」
私の観察を遮るように、ふたばちゃんが声を掛けてきた。
少女はきらきらとした眼差しで、こちらを見つめている。
うぅ……天使のような瞳をしてますが……何か企んでる気がする。ここは慎重に。
「そうよ、私は裏見香子。はじめまして……だよね?」
「うん、ボクの名前は、葛城ふたば。駒桜第二中学の3年生でぇす」
うわ……ボクっ子……私の学年にも、ひとりいたけど……。
ふたばちゃん、可愛いんだから、一人称でキャラ付けする必要ないでしょうに……。
「葛城さんは、升風に行くの?」
私はうっかり、受験の話題を振ってしまった。
お祝いの場で、マズかったかしら?
だけどふたばちゃんは、全然気にしないような顔をする。
「はーい、来年度から、升風に進学しまーす」
「頑張ってね」
「大丈夫、楽勝ですから」
ら、楽勝宣言ですか……升風って、ここらじゃ有名な、私立の進学校なんだけど……もしかして、相当頭がいいとか? だから悪知恵も働くという……。
可愛い+頭いい……微妙にムカつく。
「裏見先輩って、今年度の新人王なんですよね? ……憧れちゃうなあ」
うふふ、さっきの発言は、撤回。ふたばちゃんは、いい子。
「そうだ、裏見先輩とは初めてですし、一局指しませんか?」
「ふえ?」
私が変な声を上げた途端、さきほどのお姉さんが戻って来た。
「お待たせしました。おそばの方」
「おーい、そばの奴、挙手しろ」
お姉さんは、いそいそとそばを並べ、再び調理場へと戻る。
「じゃ、先に食べるぜ。冷めちまうからな」
「どうぞ」
私はおざなりな返事をして、ふたばちゃんに向き直る。
「しょ、将棋って……ここで?」
「もちろんッ! ……あれ、先輩、目隠しできませんか?」
ふたばちゃんはそう言って、微妙に顎を引いた。
なんじゃその「この人、目隠し将棋もできないんだぁ」って表情はッ!
できるに決まってるでしょッ!
ほら、この通り。
「いいけど……食べながら?」
「余興ですから、問題ないですよ」
……それもそうか。本気で指すわけじゃないものね。
いいじゃない、受けて立つわ。
「じゃ、先輩からどうぞ」
「え? ……私からでいいの?」
「手番で揉めてもしょうがないですし、年上からでいいですよ」
年上って言うなッ! 1コしか違わないでしょッ!
くぅ……このガキは……第一印象と違って、憎たらしい……。
「7六歩」
私は颯爽と、角道を開ける。
「3四歩」
「6六歩」
さあさあ、ふたばちゃん、その年上の怖さ、思い知らせてあげましょう。




