92手目 闘争心溢れる少女
殺気すら漂わせる姫野さんの初手は……2六歩?
7六歩じゃないんだ。
ポーンさんも不審に思ったのか、少し考えてから8四歩。
2五歩、8五歩、7八金、3二金、2四歩……むむ、この出だしはッ!?
あ、相掛かり……部室でも大会でも、一度もお見かけしてない戦型だわ。
そもそも、初手2六歩自体が少ないし……。
「Das ist sozusagen相掛かりですわねッ! Keine Angst!! 受けて立ちますわッ!」
ポーンさんは、意気揚々と同歩。
相掛かりも指せるの?
同飛、2三歩、2八飛(深く引いたわね)、8六歩、同飛、8七歩、8四飛。
「まさか、相掛かりになるとはね」
っと、この声は……。
「辻さん」
3八銀。
「裏見ちゃん、お久しぶり」
9四歩。
「辻さんは、ポーンさんのお知り合いなんですか?」
9六歩。
「知り合いも何も、ドイツで彼女を見つけたのは私よ」
3四歩。
「見つけた?」
4六歩。
「フランクフルトのNippon Connection 2013で見かけたのよ」
7二銀。
「将棋を指してるところを、ですか?」
4七銀。
「そう。大きなお祭りで、将棋のコーナーがあったのよ。そこで偶然会ったわ」
6四歩。
そ、そういう経緯が……。
でも、辻姉は何でドイツに? 留学してたとか、そういうこと?
それなら、ドイツ語ぺらぺらなのも、納得が……さすがは、駒桜の女ボス……。
そんなことを考えている間にも、局面は進んでいく。
7六歩、6三銀、3六銀。
うッ、かなり進んだ……相掛かりは、イマイチ分からないけど……。
ただ、おじいちゃんの得意戦法だから、何となく察しがつくわ。
縁台将棋で、観戦したことがあるもの。
5二金、4五銀の出に、ポーンさんは6五歩。
そう、8四飛は、横の防御にも利いてるのがミソ。
6八玉、4一玉と、相掛かりでよくある形に囲って、5八金、1四歩、1六歩。このあたりの端の入れ合いも、相掛かりならではの呼吸よね。
ポーンさんはさらに、3五歩。
「強い……」
姫野さん、か、顔が凄いことになってるんですが……。
殺し屋の目になってる……。
「お褒めにあずかり、光栄ですわッ!」
ポーンさんは、指せること自体が嬉しいのか、対局相手を見てないわね。
まあ、普通はじろじろ見ないもんだし……。
姫野さんは9秒くらい考えて、5六銀と引いた。
攻めきれないと見た? それとも、3六銀→4五銀→5六銀の組み替え?
「パンパン行きますわッ!」
バンバンです……オノマトペ、間違ってますよ。
銃声のつもりかもしれないけど、これ、そういう時代のゲームじゃないから。
5四銀……2二角成ッ!
きたーッ! いよいよ、角交換からの殴り合いね。
同銀、8八銀。
「これ、姫野さんが負けたら、どう……」
ぼんやりとした不安が、私の口を突いて出た。
8二飛。
「負けたら、姫ちゃんも、その程度ってことよね」
き、きつい物言い……7七桂。
「とはいえ、負ける心配はしてないけど」
6二飛。ポーンさんの攻勢。
「激情家でありながらも冷静。そこが彼女の強みよ。相掛かりに誘導したのも、その証拠」
9五歩。開戦ッ!
「誘導?」
「ドイツに相掛かりの定跡書なんてないし、ネットの情報量も少ないわ。今時、相掛かりを指す人って、ほとんどいないでしょ。初手2六歩は、明らかに情報格差を突いた手」
そ、そういうことか……正々堂々と勝負してるように見えて……いえ、正々堂々と勝負してるんでしょうけど、あくまでも自分の土俵で戦う方針……。
しょ、勝負の鬼だわ。
「さっきのスネ夫くんの勝負術、あれはやり過ぎだけど、誰だって、純粋な将棋以外の要素を利用するものよ。私ですら、姫ちゃんの角換わりは受けないから」
辻さんが解説する間、手はどんどん進んでいく。
同歩、9三歩、6六歩、同歩、同飛、6七歩、6二飛……2五飛ッ!?
飛車を浮いた?
「He? ……何ですの、そのLuftballonのような飛車は?」
ポーンさんの手が止まる。
だけど10秒将棋。考える時間はないわよ。直感で指さないと。
ポーンさんは迷いながらも、3三銀と出た。
姫野さんはノータイムで3五飛。
「それはvorauszusehenですわッ! 6五歩ッ!」
ポーンさんは、飛車の横利きを止めた。
当然よね。8五飛と回られたら、それで終わりになっちゃうし。
私がそう思った瞬間、姫野さんは同桂と取った。
えッ……? 桂跳ね?
こ、これは4四銀、2五飛、3三桂、2八飛、6五銀でダメなんじゃ?
「それは悪手ですわッ! 4四銀ッ!」
「5三桂……不成」
……………………
……………………
…………………
………………
「Scheiße!! こ、このような手がッ!」
はっきりと動揺を見せる少女。
っていうか、ポーンさん、時間切れますよ?
「……ポーンさん、10秒経ったように思いますが」
「Echt!? ど、同金ですわッ!」
ちょッ! 10秒経過を指摘しますかッ!
ホストとして、それはどうなの……完全に潰しに掛かってる……。
飛車の横利きが通り、姫野さんは悠々と8五飛。
これは……終わったかも……。
「んー、まだ微差ね」
「そ、そうなんですか?」
私が尋ねた途端、6三角が指された。
そ、そっか、この手が、飛車当たりな上に、桂馬を守ってる。
つ、強い……このエリザベート・ポーンって子、めちゃくちゃ強い……。
幸田さんの逃げは、ある意味、正解だったかも。
8三飛成、8二歩。これで龍が遮断されて……。
「さきほどのところ、同銀なら困っていましたが……」
意味深な、姫野さんの独り言。
え? 同銀なら?
姫野さんの手が宙を舞い、角を敵陣に放つ。
「O......mein......Gott......」
そうか……5三桂不成で同銀としておけば、この角打ちはなかったわ。もし打ったら、8三歩、6二角成、同金で、丸々角損だもの。同金としちゃったから、6二角成が無事……5三同金は悪手……と言っても、飛車当たりの銀を引いて、わざと8五飛を許す順序は、第一感読まないし……。
ポーンさんは、明らかに10秒以上考えて、6一飛。
さすがに姫野さんも、今度は指摘しなかったわね。
さっきの催促はおそらく、5三同金の悪手を誘うため。まさに鬼畜お嬢様。
以下、8二角成(8二龍じゃないんだ)、6四桂、7七銀(うわ、冷静)、5六桂、同歩と進み、ポーンさんはまた小考する。
1、2、3、4、5、6、7……。
「Alles oder nichts......Ich lasse's darauf ankommen!!」
ポーンさんは母国語で何やら呟き、桂馬を……桂馬?
……これは?
私は、局面の把握に数秒を要する。
「うふふ、10秒将棋ならではの惑わしね」
つ、辻姉の言う通りだわ。
正しく対処すれば悪手っぽいけど、10秒以内に指せと言われると……。
姫野さんは9秒くらい考えて、7三馬と入る。
「俺なら7二馬だが……」
と松平。
あんた、さっきからだんまりじゃない。
……まあ、解説する義務はないんだけどね。辻姉もいるし。
「勝負ですわッ!」
ポーンさんは8五桂と跳ねた。6三馬、同飛、8五龍。
な、なるほど……桂馬を代償に、窮屈な角と飛車を解放する作戦……。
上手い……10秒将棋なのに、上手いとしか言いようがない……。
7三歩(打たないと7四角があるわ)、2二歩(手筋)、同金。
ここで姫野さんは、何を指すの?
会場は固唾を呑んで、次の一手を待つ。
もたもたしてると、6六歩、同歩と味付けして3八角がありそうな……。
姫野さんはぎりぎりまで考えて、3四桂と打った。
これは……抜けないか。金を逃げるしかなさそう。
ポーンさんは案の定、3二金と逃げた。
2二歩、3三桂、2一歩成。
ポーンさん、懸命に粘ってるけど……姫野さん有利かなあ。
まあ、飛車を成り込んだ時点で、姫野さん有利のはずなんだけど、ポーンさんが決め手を与えないように指してるから……なかなか……こうなってみると、9三桂の勝負手が、完全に活きてる感じ……7三馬からの馬角交換が、間違いだった可能性も……。
「まだまだ、諦めませんわよッ!」
ポーンさんは、6筋に歩を打ち付けた。
えーと、同歩、3八角、2二とは、後手負けだから、同歩、2五桂……。
「残念ですが、それは悪手です」
「Was!?」
姫野さんは龍に人差し指を添え、一気に8一まで押し込む。
このタイミングで? ……あッ、歩がッ!
「そうか……6六歩の瞬間に入れば、歩が打てねえ……」
ま、松平の言う通り……二歩で反則負け……。
ポーンさんはがっくりとうなだれて、溜め息を吐く。
「Das hätte ich einfach vermeiden können......投了ですわ」
「ありがとうございました」
姫野さんは、少し高揚した声で、礼を述べた。
誰も喋らない。熱戦の余韻が、会場を支配している。
「……もう少し粘られても、良かったのでは?」
「Ne......6一銀と打っては、攻め駒が足りなくなりますわ」
確かに……6一歩の受けがなくなってるから、6一銀か5一銀だけど、そこに駒を使ってるようじゃ、もう勝てないわ。6六同歩と手を戻して、3八角に2二と。先手は角を持ってるから、5六角成の王手で桂馬を抜くこともできない。
……投了も已むなしね。
「すげぇな。やけに龍の入りを保留してると思ったら、6六歩を待ってたのか……30分60秒なら、誰でも気付く罠だが……いや、その前に5三同金としないし、野暮なコメントだな」
と松平。うんうん、これには私も感心だわ。
10秒将棋ならではの攻防戦。姫野さんが、一枚上手だったってことね。
外野がどうこう言える将棋じゃなかった感じ。
「さてと、結果は予想通りだし、ショーはこれでお仕舞い」
1勝1敗で、お互いにキリがいいわね。
私が指名されたときは、どうしようかと思ったけど……うーん、正直、なんかホッとしてる自分が、情けない。ちょっと、勝てる自信がないというか……はい……。
「とても勉強になりましたわ。Frau Himenoは、やはりお強いのですね」
「それほどでも……駒桜には、私と肩を並べる女性が、たくさんいらっしゃいます」
「そうそう、私とかね」
歩美先輩は、もうどうしようもないですね……。
対戦成績を五分に戻してから言ってくださいな……強いのは認めるけど……。
「ふぅん、そこまで盤外戦術するんだ」
後片付けの始まったテーブルを見つめながら、辻さんはぼそりと呟く。
「盤外戦術? ……今の発言がですか?」
ただの謙遜だと思ったけど。
「『駒桜一の女流に負けた』んじゃなくて、『駒桜の一般的な女流に負けた』と思わせたいのよ。前者と後者じゃ、負けた意味が全然違うから」
……あ、そういう。
理解はしたけど……ちょっと、エグ過ぎませんかね?
しかも、それは辻姉の解釈なわけで、本当に謙遜かもしれないし……。
「大丈夫だよ。駒桜一の女流は、姉さんだからね」
「うふふ、やっぱり竜馬は、分かってるわね」
……はいはい、続きは、おうちでやってくださいな。
……そう言えば、辻姉と姫野さん、どっちが強いのかしら? 辻姉が大学2年生だから、姫野さんとは、中高時代が被ってないはず……対局したって言う話も聞かないし……。
「彼女、来年度から、藤女に入学するんですよね?」
「そうよ。将棋部にも入るって言ってるわ」
……………………
……………………
…………………
………………
あれ?
「た、大会とか、出ないですよね?」
私の震え声に、辻姉はわざとらしい笑みを浮かべる。
「『日本国籍であること』なんて、規約に書いてないけど?」
……………………
……………………
…………………
………………
うち、来年度、やばくない?
自称宇宙人しか入って来ないんですが……冗談抜きで……。
場所:姫野家クリスマスパーティー
先手:姫野 咲耶
後手:エリザベート・ポーン
戦型:相掛かり
▲2六歩 △8四歩 ▲2五歩 △8五歩 ▲7八金 △3二金
▲2四歩 △同 歩 ▲同 飛 △2三歩 ▲2八飛 △8六歩
▲同 歩 △同 飛 ▲8七歩 △8四飛 ▲3八銀 △9四歩
▲9六歩 △3四歩 ▲4六歩 △7二銀 ▲4七銀 △6四歩
▲7六歩 △6三銀 ▲3六銀 △5二金 ▲4五銀 △6五歩
▲6八玉 △4一玉 ▲5八金 △1四歩 ▲1六歩 △3五歩
▲5六銀 △5四銀 ▲2二角成 △同 銀 ▲8八銀 △8二飛
▲7七桂 △6二飛 ▲9五歩 △同 歩 ▲9三歩 △6六歩
▲同 歩 △同 飛 ▲6七歩 △6二飛 ▲2五飛 △3三銀
▲3五飛 △6五歩 ▲同 桂 △4四銀 ▲5三桂不成△同 金
▲8五飛 △6三角 ▲8三飛成 △8二歩 ▲7一角 △6一飛
▲8二角成 △6四桂 ▲7七銀 △5六桂 ▲同 歩 △9三桂
▲7三馬 △8五桂 ▲6三馬 △同 飛 ▲8五龍 △7三歩
▲2二歩 △同 金 ▲3四桂 △3二金 ▲2二歩 △3三桂
▲2一歩成 △6六歩 ▲8一龍
まで87手で姫野の勝ち
《更新予定》
5月29日(木)7:00 可愛らしい少女
5月31日(土)7:00 小悪魔的な少女
6月02日(月)7:00 実は……な少女