2・ありがた迷惑って言葉知ってますか?
さて、もうじき来る二月はバレンタインデー。
この時期の女の子は忙しい。企業の商売戦略だろうと、本来はバテレンの司祭様が処刑された日だろうと無関係に女という生き物として大変なのだ。特に今年は気合が入っているあたし達には。
というのも、来年のこの時期、あたし達は就職休みに入っているし、何より生徒の大半が受験真っ只中を占める。そんな中にチョコだの告白だのと現を抜かしてる場合じゃないだろうから。(こんな時だからって意見もあるにはあるが)
そんな訳だから、実質純粋に楽しめそうな高校最後のバレンタインであろう今年はちょいと盛り上がろうと画策してるのだけども……。
「芙蓉ー。媚薬ってマジで効くのかなー?」
ネットを開きながら、とある通信販売の広告を前に尋ねると、夕食作りに一息ついてコーヒーブレイク中だった芙蓉が黒い霧を吹いた。
「び……何ですって」
「媚薬。直接塗るタイプとかあるじゃない? あーゆーのは何となく効くんだろうなぁって思うけど、食材に混ぜたりする奴あるでしょ。あれ、漫画みたいに効くのかなぁって」
「知りませんし、何を見てるんですか貴方は! バレンタインのレシピを探してたんじゃないんですか!?」
顔を赤くして怒る芙蓉。煩い事この上ないのだが、仕舞いにはフィルタリングかけますよとか言い出すんで慌ててページを戻した。
「別にマジで買う気はないってば」
「ある方が問題です」
「だーかーらー! マジじゃないっての。バレンタインとか愛だのの特集に混じってたまたま怪しげなリンクに飛んじゃっただけなの」
何の言い訳、どんな言い訳。普通この場合、攻防として男女逆じゃねぇかと思いながら、あたしは芙蓉を宥める。冗談の通じない人間はこれだから面倒だ。
本気で媚薬仕込むつもりはないのだが、親友に最近出来たあの彼氏に同じ質問をしたらどう出るのだろうと考えてしまった。向こうは向こうで冗談に寛容そうな人だから、きっと芙蓉のように目くじらを立てたりはしないだろう。これをネタにいくらか話が楽しめそうだと思うと親友がちょっぴり羨ましかったりもする(親友はこの手のネタはふらないだろうけど)。見た目レベルは芙蓉も親友の彼と張り合えても、中身は正反対だとあたし、溜息。
「――しかし、どうしてこの手の質問を私にするんですか」
眼鏡をくいっと上げる芙蓉は、さも心外だとばかりに不愉快そうに口を歪める。
「別に、深い意味はないよ? ただ芙蓉が年上で、相手にも不自由なさそうで、経験豊富そうだから聞いてみただけ」
「経験て……そんな下衆い見方は失礼ですよ」
「ごめんなさいねぇ」
適当にあしらって謝るが、背後ではまだぶつくさと不満の声が聞こえた。
ホント、細かい男だ。
こいつに付き合う女はさぞかし完璧か、心の広い人間に違いない。
「…………」
ふと考えて気付く。そういや芙蓉に女の影を見た覚えがない事に。
マダムキラーなのは確かだが、人妻に手を出す馬鹿でもないから、こそこそ隠れるようなただれた恋愛なんぞしないだろう。男……はある意味個人的には大変美味しいがそれもないからな。あればあたしの腐女子レーダーが鋭くキャッチしている。
「……芙蓉さー、バレンタインにチョコ貰う相手とかいないの?」
「さあ。お優しい近所のマダムからはお付き合いで頂けるかも知れませんが、どうでしょう」
肩を竦めて夕刊を捲るが、さらさら興味がない顔でコーヒーをすする芙蓉。
「大学の生徒さんとか」
「学校関係からは毎年断ってますので。まあ、名無しで置かれた物に関しては研究室のみんなと分けてますがね」
「ふーん」
余談だが、元々下宿を営んでいない此処は、あくまであたしを特別に預かり入れているだけであり、芙蓉は下宿収入で生計を立ててはいない。オババが残した資産の土地活用、あとマンション収入を得ながら――それもかなりいい物件らしいがそこに住まないのが不思議で、また芙蓉らしい――大学の教員をやっているらしい。詳しい内容は分からないが、資産運用片手間に先生をやってんだから優秀には違いないのだろう。
その上、モテる。この見た目だからおかしい話じゃない。言い寄る女はそこらにたくさんいる筈なのに彼女はいないっぽいから素材を持て余してるように思う。
この時期に特定の彼女いないとか勿体ないよなぁ。それを言っちゃクリスマスもお一人様だったけど、それを言ったらあたしもお互い様なので深くは言わない。
でも、芙蓉に恋人がいないのって、もしかしてあたしというお守りがいる所為かなって思うと、申し訳ない気がした。
「――ねえ。あたしが芙蓉の分もバレンタインに何か作ろっか」
さっきの質問の謝罪も兼ねているが、純粋に感謝の意もあって申し出ると、芙蓉の顔は何故か凄い、曇った。
「……ありがた迷惑って言葉、知ってますか?」
引きつる笑顔の問いにあたしもにっこり笑みを返す。
「あたしに対してすげー失礼な意味だって理解してるよ。爆発しろ芙蓉」
「お断りです。大体、作るって何を作る気ですか」
「フォンダンショコラ」
「食材が無駄になるのでもっとランクを下げたら如何です? 白玉とか」
「あんたあたしをナメすぎじゃない? お菓子くらい作れるっての!」
「カレーに片栗粉入れる人が、繊細なお菓子作りなんか無理に決まってます。いいですか!? 智さんに料理の才能は皆無ですっ」
「皆無とは何よ! 目玉焼きとおにぎりくらいは作れるもん」
「そんな小学生も出来るレベルなんて自慢にもなりませんよ。気持ちだけで十分ですっ」
「気持ちなんてある訳ないでしょー! 気色悪い事言わないでよっ」
「何ですかそれ! だったら始めからそんな提案しないで下さい」
「うっさいうっさい! バーカ、バーカ!」
……どうしてこうなった。
それから小学生男子じみた口論は三〇分程続き、炊飯器のご飯が炊けた音で我に返って喧嘩の馬鹿さ加減に気付いたあたしらが「じゃあ、手作り以外の何かを贈ってやろう、貰ってやろう」で手を打って終戦を迎えるのである。
かくして、あたしと芙蓉の二人のバレンタインが幕を開けた。