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1・どこが楽しいのか分かりませんね


「そ、じゃあまた日曜にね」


 ボタンを押してケータイの通話を切って、あたしは人差し指で中断していたペディキュアの続きに取り掛かる。すると、マニキュアの独特なシンナー臭が鼻をついたのか、同居人の小姑がシルバーフレームの眼鏡のブリッジを押し上げた。もう分かる。芙蓉フヨウの小言の合図。


サトリさん、少し宜しいでしょうか?」


「はいはいなんでしょ、芙蓉さん。マニキュアを塗る時は換気扇を回してからってお話でしょーか?」


「分かっているのなら言われる前にそうして下さい」


 へいへい。相変わらず口煩い男だ。言ってやりたいが、口にしたところで倍にして説教を食らうので言わない。

 だもんだから溜息つきつつ、毎度の通りあたしはキッチンの換気扇を回して、また元のダイニングの自分の指定席に腰を落とす。


「……智さん」


 束の間、またくいっと眼鏡のブリッジを上げる仕草。今度は何だ。横目で睨むとレンズの奥の灰青色の不思議な色の瞳が不機嫌に歪む。


「その短いスカートで足を上げての作業はどうにかなりませんか」


「ならないよ。爪先塗るのに足曲げなきゃ届かないじゃん」


「なら、着替えて下さい」


「もう塗っちゃってるのに、今更着替えんて剥げたり服に付いたらより面倒だっての」


「いいからさっさと着替える。年頃の娘が足を霰もなく異性の前で上げるものではありません」


「あらやだ。芙蓉さんてばあたしに欲情しちゃうの? それならそうと言えばいいのにぃ」


 反撃も兼ねてからかえば、あっさり鼻で笑い返された。――く、悔しい……。


「羞恥の伴わない行動にそそるものなどありませんよ。悔しかったら異性の欲情煽る淑女になって出直すんですね」


 淑女? 思わずこっちが鼻で笑っちゃうとこよ。羞恥だとか、要は嫌よ嫌よと恥じるのがいいってんでしょ。親父じゃん。やだやだ。二十代にしてその感覚、どうなんだよと含み持たせて眺めれば不機嫌な灰青色の視線とぶつかる。


「黙って突っ立ってないでとっとと着替えたらどうですか。いつまでも制服ままではスカートに皺もよりますよ」


「はいはい」


 経験上、下手に逆らうと鬼の説教コースが待っているので、あたしはここいらを潮時に素直に従う。自室に向かうあたしの背中に向かって「はいは一回」の言葉も毎度の事。

 たく、毎日毎日小言ばかりで疲れないかねと思う。何が楽しくてそんなに口喧しくなったんだと思う? なんて愚痴を親友に零せば「サトが素直に聞けば一回で済むだけでしょ」と正論を返された。よくよく考えればこの親友も属性は芙蓉と近しいのだった。

 でも、まぁ、うん、そうね。仰る通りあたしがしっかりすりゃあいいのは分かってはいるんだよ。だけど、どうにも芙蓉の言葉は素直に聞けないんだよ。

 大体さ、家族でも親戚でも恋人でもない赤の他人と一つ屋根の下で暮らしていて、そうそう簡単にその共同生活が上手くいくものかとあたしは思うのね。


 あ、今更ながら説明すると、あたし古閑智コガサトリと、月森芙蓉ツキモリフヨウは赤の他人ながら同居して早十ヶ月の間柄である。

 始まりは高二に上がる今年の春先。

 父の突然の海外赴任に、いつまでも新婚夫婦然の母は当然のように愛しのダーリンに付き添う事になった。それは別にいいのよ。娘より旦那、娘より妻を優先するバカップル両親がどこに行こうがあたしが日本に残れればそれで良かった。しかし、一人娘のあたしが一人残ることが当然ながら問題となった訳だ。

 隠すつもりは毛頭ないが、私は読む・描く・売るの三拍子揃ったオタクにて腐女子であり、またその界隈では有名な美少女コスプレイヤーである。そんなあたしが海外で日本の二次元と離れて暮らすとか土台無理な話。いくらネットが普及したからって本場日本の新鮮なネタは日本でしか手に入らないのだ。

 そんなこんなで家事もまともに出来ないくせ日本を離れたがらない娘を、両親はとある家に下宿させる事を決めたのだった。

 その下宿先ってのが、昔母の実家で家政婦をやっていたオババが隠居後に開いていたもので(母はお嬢である)、現在は下宿人は募集してはないという話だったが、縁故あるお嬢様の頼みならばと半ば無理を押し通して至る、今。

 が、いざ住み込み先に荷物と共に引越したあたしは驚いた。良くて座敷童、悪くて貧乏神でもいそうな昭和丸出しのボロい家。まあ、そんな家でもネット回線(ちゃんと光)が入っているらしいから目を瞑るんだけど、そんな家を管理してるのが、既に鬼籍に入っていたオババの資産を継いだ孫の芙蓉だった訳よ。


 しかもその芙蓉って男がまた色々な国の混血の外国人の祖父を持つクォーターで、本人も隔世遺伝やらでダークブロンドヘアに灰青色の瞳と言ったエキゾチックな風貌を湛えた、知的眼鏡の超イケメンだったのだからあたしも歓喜したものである。

 何コレ美味しい同居フラグ!? 一つ屋根の下で保護者と女子校生の禁断ラブ!? ってな具合にね。

 でも喜ばしかったのは最初だけ。暮らしてすぐにコイツは私の敵と判明したのだ。

 とにかく芙蓉と来たら、繊細で大人しそうな見た目に反して日本の姑宜しく、重箱の墨を爪楊枝でほじっていじくるのが趣味と思えるくらいこまけぇ性格なんだよ。

 やれ門限が、やれ服装の乱れ、やれ清く正しい男女交際はだの。

 お前は昭和に帰れと言いたくなる口の酸っぱさに、あたしの当初の淡い恋心など一クールの深夜アニメ程も続かなかった。

 事あるごとに衝突はするけども、それでも芙蓉は現段階ではあたしと家族。一つ屋根の下で過ごす以上、このまま怒らせるのは大問題だった。

 何故なら、芙蓉の手料理はとにかくそこいらの大衆レストランよりも美味しいのだ。このまま怒りをこじらせて飯抜きの刑は御免被りたいのである。


 そりゃあね、あたしが我儘で、グータラで、横柄な自覚はあるさ。あたしのそんなだらしなさとかが真面目な芙蓉の鼻につくのもね。でもだからと言ってあたしから謝る気はない。悪いのはあたしかも知れないけど、素直に謝れる性格なら度々衝突はしないもんでしょ。ですが、さきにも言ったとおりあたしは我儘だ。芙蓉の機嫌は良くしたい。損ねたままだと明日のあたしの弁当は日の丸にメザシと言った悲劇が待ち構えている。(事実、過去に前歴がある)

 ……しゃーねーなぁ。



 * * *


「芙蓉、ゲームの相手してくんない?」


 中学のジャージに着替えたあたしは脇に元祖家庭用ゲーム機を世に出したブランドの最新機種を携えて、ダイニングの玉簾越しに声を掛ける。一瞬、眼鏡の奥の灰青色の瞳がギラリと光った気がした。が、芙蓉は別にお小言を言うつもりではなくきちんと締めたシャツの襟元を緩めると、「仕方ないですね」と腰を上げた。

 実は意外に付き合いのいい彼は、自らは口にしないものの最近はゲームにハマり気味なのだ。しかもそれでいて負けず嫌いなものだから、未だあたしに勝てないこの赤い帽子のおじさんがぶいぶい言わせているレーシングゲームに固執している節がある。


「今日こそあたしに勝てるといいね」


「勝ち負けではありません。私は付き合ってやってるだけです」


「あ、そうなの? だったら今日は私赤甲羅撃っちゃうよ?」


「う……緑で勘弁して下さい」


 などと懇願する芙蓉の顔は真剣そのもの。負ける度に「どこが楽しいのかわかりませんね」とボヤいてはまた一戦挑むのだ。あたしはそれを受け入れ、今日もまた夜は更けていく。

 上手に手を抜いて最後の一勝は芙蓉に花を持たせてやったから、明日の弁当にはハンバーグをつけてくれるかな?


 

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