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風追い  作者: かの@
6/13

第二話 転落(2)

 風使いの生活は規則正しい。夕日が山の端にかかる頃になると、ラティは師匠の家で夕飯の支度にとりかかる。アンディは料理の腕がからきしなので、料理はもっぱらラティの担当だった。

 今日は檸檬風味の鶏肉のソテーに焼きたてのパン、それから野菜たっぷりのスープにしよう。さっと献立を決めると、早速大きな鍋で湯をわかし始めた。

 湯が沸くのを待ちながら、ラティは街で見た婚礼を思い返す。白いレースのドレスに、三色の花束、祝福の鐘。色とりどりのリボンを持った鳥が飛び立ち、街の人々が浮かれ騒ぐ。

 自分まで幸せのお裾分けをして貰った気分で、村に帰ってもまだふわふわと落ち着かない気持ちが続いていた。

 自分にもあんな婚礼ができるだろうかと夢想する。今年16歳になるラティにもそろそろ想い人の一人や二人いて良い頃なのだが、生憎師匠にこき使われる見習いには、そんな心の余裕もなかった。

 けれど、いつか結婚する時には、あんな笑顔が浮かべられたらいい、と思った。

 スープの香ばしい匂いが鼻をくすぐり、夕飯の準備がすっかりすんだ頃になって、外に出ていたルーイがやっと戻って来た。エプロンで手をふきつつ出迎える。戸口で遅かったね、と声をかけようとしてラティは固まった。

 出かけた時より少し薄汚れたルーイの腕には、大量のレンスイショウの花が抱えられていた。鮮やかな黄色の花びらが周りの景色から浮いてみえる。地面から引きぬいたのだろう、根っこの土がぱらぱらと落ちて床を汚した。

 ルーイは無言で家の中に入ってくると、押し付けるようにして、ラティに花を渡す。

「あげる」

「…ありがとう」

 ラティは気圧されるようにしてそれを受け取った。それから、うかがうように見上げるルーイの瞳にこめられた期待に気づく。ラティは花を机の上に置くと、ルーイの頭についた葉っぱをとってやった。

「これを探してきてくれたの」

「うん」

 ルーイは相変わらず感情の読みにくい無表情で頷いた。その指先は泥で汚れ、朝着せたズボンもよれよれになっている。洗濯しないと。とラティは思った。次はお下がりではなく、新しい服も買ってあげようと決めている。

「嬉しいよ、ルーイ」

「そう」

「ありがとう」

 ラティはゆっくり微笑んで、ぎゅうっとルーイを両腕で抱きしめた。人でない彼の体温は少し高く、微かにお日様と草の匂いがした。

「ルーイみたいな白狼がいてくれて、私は幸せだ」

 腕が覚えるこの感覚が、幸せの形だった。あの吹雪の中の孤独が、今では嘘みたいに思えた。


 騒動が起こったのは、その翌日だった。そろそろ学校からルーイが帰ってくるだろうという頃、アンディが慌てた声で師匠の家を掃除していたラティを呼びに来た。

「どうしたの」

「どうしたもこうしたもないよ。ルーイが」

 家を出ると玄関先に、途方に暮れたように立ち尽くすルーイの姿があった。その腕から、大量の果物と髪飾りや首飾りがこぼれ落ちそうになっている。

「ルーイ!?これはどこから持ってきたの?!」

 ラティは思わず大声をあげてルーイを睨んだ。弾かれたようにルーイが顔を上げる。ルーイにお金は渡していない。これだけの量の品物を、買って帰ってくることはありえなかった。

「広場」

 少し茫然とした様子で、ルーイが呟いた。やはり、とラティは眉を寄せた。街と村の間の微妙な関係に思いを巡らせて、頭を抱えたくなる。

 ラティを呼びに来たアンディは隣で静観を決め込んでいた。自分の白狼の教育は風使いの仕事で、他人の白狼にむやみに口出しはしないことが暗黙の了解なのだ。

「今すぐ返してきなさい」

 厳しく言って街へ行くように促すが、ルーイは黙ったまま動かない。自分の言葉が解らないはずはないのに、とラティはむっとした。

「物を盗んで来たら駄目でしょう!」

 ルーイは丸い瞳を瞬かせて言った。

「盗む?」

「そう。お金を払わずに、商品を持って来たでしょ」

「今日は、褒めてくれないの?」

 その問いにはっとしてラティは口を噤んだ。かがんでルーイの肩を掴むと、地面に落ちていた視線が合う。その澄んだ蒼い瞳を見て、ラティは胸が苦しくなった。

「あのね、ルーイ。あなたのやったことは、悪いことなの。お店に並んでいる商品は、お金と交換しないと駄目なんだよ」

「…そう」

「だから、今から一緒に謝りにいこう」

「謝る?」

「そう。悪いことをして、相手を悲しませてしまった時には、ごめんなさいって謝るの」

 今度は素直にルーイは頷いた。アンディに目をやると無言で手をあげる。師匠には彼が上手く言っておいてくれるだろう。ラティはすぐにルーイを連れて街へでかけた。


「困るよ、ちゃんとみていてくれないとねえ。君たちの苦労は知ってるつもりだけどね」

「すいません。次からはこんなことはしないように、言って聞かせますので」

「ただでさえ、ゾディを扱う君たちは誤解されがちだ。今回のようなことがあると、私たちも擁護しきれないよ」

「本当にごめんなさい。…いつも、ありがとうございます」

「そのことは、いいんだよ。我々も君たちに助けられている部分がある。ただ、反感を抱く者たちに、付け入られる隙がないように気をつけなさい」

「はい」

 ラティはルーイと一緒に頭を下げて、広場の露店の主人に謝った。

 酷い罵倒も覚悟していたので、多少ほっとする。しかし、深い溜め息と、向けられる複雑な感情を前にして、心は沈むばかりだ。風使いを「獣使い」と蔑み厭う感情は、風使いの村に近い街でさえ、根強く残っている。

「ラティ」

 どう埋め合わせをしようか考えながら部屋に戻ると、ルーイがラティの足にぶつかるように抱きついてきた。珍しい行動にびっくりしていると、くぐもった声が聞こえてくる。

「ごめんなさい」

 ちょっと自信のなさそうなごめんなさい、にラティは微笑んだ。ひもじくてつい盗み食いをしてしまったとき、母親に必死になって謝った記憶がふっと頭をよぎる。そのまま何も言わずに、ルーイの銀色の髪を撫でてやった。



 帝国の暦では、一年は月の満ち欠けによって12の月に分けられる。さらに七人の聖人にちなみ、七日を一つの固まりとして週と名付けた。

 週末に訪れる聖レリウスの日は別名安息日とも言われ、神に日頃の幸せを感謝し、身体を休める日だ。この日ばかりは、師匠に言いつけられる仕事もなく、一日を自分のために使うことができる。

 朝食をとった後、ラティは師匠の家の一階に部屋を貰う白狼の元を訊ねていた。声をかけてノックすると扉が開く。

「クルト、準備はできた?」

「はい」

 顔を出したのは、人型の白狼の青年──クルトだった。彼はいつも、雲の上を歩いているように頼りない柔らかな笑顔で、ラティを迎えてくれる。どこか抜けたところのある彼の服装をきちんと確かめてから、ラティは彼の手を引いた。

 安息日には、街の教会で礼拝がある。参加は特に強制されていないので、無精の師匠などは行ったのを見たことが無い。ルーイは習い始めた文字に夢中であったし、ラティは普段通り毎回通っているクルトと一緒に出かけることにした。

 安息日ばかりはどこのお店もお休みなので、街の広場も閑散としている。ラティとクルトが通り抜けると、白い鳩たちが飛び立つ羽音が反響した。

「今日はいい風が吹いてるね」

「はい」

 他の白狼と同じく、クルトはあまり喋らない。腕をひかれるがまま、ゆるやかに歩く。その足音は体重がないかのように軽く、ラティは存在を確かめるように、何度も振り返った。昔に比べて少し艶を失った白髪も、どこか翳りを帯びた蒼い瞳にも、何かを諦めたような穏やかさが漂っていた。

 教会の扉を押し開けると、すでに礼拝は始まり、木の椅子はまばらに埋まっていた。神父が聖句を連ね、人々が低く唱和する。色硝子のはめられた窓から、陽光が落ち、人々の膝の上に天上の楽園を彩った。

 馴染みの賛美歌を歌いながら、ラティはそっと隣を見上げる。歌詞を覚えられないクルトは、ところどころで微かに口を動かしていた。

 礼拝が終わると、彼はラティに一言断ってから教会の裏手へ一人で消えた。教会の裏には、天へ召された人々の墓が並んでいる。

「ラティ」

 それを見送っていると、柱の影から呼ばれた。不審に思って振り返ると、ちょいちょい、と手招く男の姿。白い神父服を纏い、けだる気に壁に寄りかかっている。くすんだ金の長髪と、鋭い灰色の三白眼は、驚く程神父服に似合っていない。

「あ、……あんたは」

「よう、久しぶりだな。元気にしてっか」

「不良神父」

「いきなりそれは失礼なんじゃねーの」

 ぽん、と頭に乗せられた手がぐしゃぐしゃとかき回すので、ラティはそれを振り払った。

「驚いた。いつ帝都から帰って来てたの」

「つい昨日だよ。村で盗賊の被害があったって聞いてな」

 村の卵が盗まれた件だろう。元は村出身で神父になったという異色のこの男でも、故郷のことは心配になるらしい。

「あいつ、まだ行ってんのか」

 独り言みたいにぽつりと零した言葉が、クルトのことを指しているのだとすぐに理解してラティは頷いた。

「主を失った白狼の姿はみてられないな…」

「クルトは、本当にリアナさんと仲が良かったから」

「師匠は元気にやってるか」

「元気だよ」

 師匠と妻のリアナ、両方と知り合いの男はほっと安堵したように息をついた。

「リアナが亡くなってから、もう5年になるのか。村はどんくらい変わったかな」

「変わらないよ。ゴルグ爺さんは相変わらずのしかめっ面だし、アルゼおじさんは優しいし」

 変わったのは、クルトの手を引くのがリアナさんじゃなくなって、自分になったことぐらいだ、とラティは思った。

「おまえはどうなんだ?もう自分の白狼をみつけたのか?」

「うん!ルーイっていうんだ。凄く賢くって、私には勿体ないくらいだよ」

「そうか。あのおまえがなあ。一時はどうなることかと思ったが」

 ラティはむっとして男を睨んだ。軽く笑って冗談だよ、と男が肩をすくめる。

「…あれからヴェネフィとも関わってないんだよな?」

 けれどふと表情を変えて、ラティの瞳を覗き込む。灰色の瞳に、予想外に気遣う色がこめられていて、ラティは少しどきりとした。この男はいつもそうだった。

 ラティが水魔に連れ去られた時も、真っ先に駆けつけて震えるラティを抱きしめてくれたのは、この男だった。

「やだなあ。そんなに信用ない?風使いだもの、ヴェネフィとなんて関わらないよ」

「いいや。そんなことはない。だが…」

 男はそこで不自然に言葉を切った。

「何?」

 ラティは煮え切らない態度に先を促す。渋々男は口を開いた。

「…人の良い奴ほど、ヴェネフィに魅入られるんだよ」

 それ以上は何を聞いても口を噤んだままだった。仕方なく話題を変え、しばらく村の話をしたところで、クルトが戻ってきたので神父と別れた。

 結局、不良神父は今回も村に顔を出す気はないようだった。わざわざ帝都から帰ってくるぐらいなのだから師匠にも会って行けばいいのにと思ったが、何か事情があるのだろう。

 師匠に不良神父が来ていたことを話すと、ああ、と頷いてしばらく上の空だった。


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