第一話 孵化(3)
師匠とゴルグ爺はすでに風笛で自分たちの白狼を呼んでいた。
普段の人型から本来の獣の姿に変化した彼らが、不安をかき消すように地面を前足でかく。彼らも幼い卵たちの行方を案じているのだろう。
「アルゼが先に行っている。おまえたちも、後から来い」
ゴルグ爺が、目印となる匂いをしみ込ませた布を放り投げてよこす。
師匠の低いかけ声とともに、白狼たちは軽やかに跳躍し、あっという間に野原を越えて樹々の向こうにみえなくなった。
ラティはアンディとともに飼育小屋に寄ると、鳥獣たちを二頭出した。戦闘能力は白狼には劣るが、自分たちの白狼を持たないのだから仕方が無い。二人ともまだ風使いの見習いだった。
よろしくね、と鳥獣の茶色い頭を撫でると、嬉し気に高い声で鳴いて羽をばたつかせた。早く乗れ、と言っているようだ。
その濡れた丸い瞳にありがとうと微笑んで、ラティはまたがる。ごつごつとしたこぶに捕まって、軽く足で腹を叩くと鳥獣は朝靄をくぐって舞い上がった。
「師匠たちを追って!」
二人から貰っていた匂い布をかがせると、鳥獣は了解したとばかりに一声鳴いて進路を決めた。
太陽が山際から顔を出し、気温が上昇してくると朝靄も晴れ始めた。ラティを乗せた鳥獣は徐々に高度をさげると、びっしり麓を覆う針葉樹林が一部開けた場所をみつけて、降り立った。アンディの鳥獣も見習うように、すぐ傍に降りる。
その後は鳥獣を先導役に二人で森を歩いた。森の中はまだ夜の名残で薄暗い。時々こけそうになるラティの腕を掴んで、アンディが救いだしてくれる。
「何か聞こえないか」
アンディがしっ、と指を口にやって、二人は耳を澄ました。微かに剣を打ち鳴らす高い金属音と蹄の音が聞こえてきて、顔を見合わせる。
「行くぞ!」
アンディが鳥獣に積んである武器を手に取りながら、地面を蹴って駆け出す。ラティもすぐに後を追った。森を突き抜けて獣道に出ると、その先に、馬車のたてる土ぼこりと、三頭の白狼の背が見えた。
「飛べっ!」
かけ声とともにラティも鳥獣にまたがって鞍についていた弓矢をとる。鳥獣はラティの意図をくんで翼をふるい、空を先回りして白狼に追いついた。
盗賊とおぼしき者たちは沢山の箱を積んだ荷馬車を走らせ、なんとか師匠たち白狼の追撃を振り切ろうとしていた。
屋根もなく、粗雑な板だけをつなげた馬車が、悲鳴を上げながらでこぼこの道で跳ねている。盗賊たちは、闇雲に剣を振り回し、白狼が馬車に近づくのを阻止しようとしていた。
ラティは揺れる鳥獣の背からなんとか狙いをつけて盗賊を射る。一人、二人、──全部で八人だ。不意打ちだったのだろう、ラティの矢が一人の盗賊の腕を貫いて剣が落ちた。
白狼にまたがる師匠たちも長剣で盗賊たちを上手くいなしながら、馬車に手をかけ、乗り込んでいく。白狼もそれを見届けると飛び上がって盗賊に噛み付いた。
とりあえず馬車をとめなくてはいけない。獣道を抜け、街道に出て仲間と合流されると厄介だ。
「あいつら、白狼から逃れられると思ってんのか」
アンディが不敵な笑みを浮かべて次々矢を放つ。アンディの弓矢の腕前は、里でも一二を競うほどだ。その矢は寸分違わず、馬の足を射抜いた。
「アンディ兄!」
「わかってる!」
痛みに高く足を上げた馬が崩れ落ちる。均衡を失った馬車は大幅に傾き、荷台もかしいだ。
二人は鳥獣から飛び降りて、止まった馬車に駆け寄ると、反動で崩れ落ちそうになった箱を支える。村の者たちの大量の卵が箱の中に詰まっているのだ。冷や汗がラティの額を伝った。
その間にも、粗野な叫び声と剣戟の音がひっきりなしに響いていた。
御者台の周りで師匠が盗賊たちをちぎっては投げている。師匠の体格は盗賊を二人束にしたのよりも大きいくらいで、敵はそれだけで弱腰だ。更にゴルグ爺は優秀な短刀の使い手で、マントに縫い付けてある大量の短刀を投げては盗賊たちを翻弄し、片腕で長剣を扱うアルゼと見事な連携をみせていた。
盗賊たちは、あの三人に任せても大丈夫だろう。
「ルーイ、どこにいるの…!?」
ラティは必死に大量に積み上がった箱をより分け、つるりと真っ白い卵の姿を探す。しかしどれもこれも、ラティの卵とは違う卵ばかりだ。
「やめろ!」
鋭い声にはっと顔を上げると、追いつめられ焦った盗賊の一人が師匠に向かって卵の一つを投げつけようとしていた。
「あれは」
その卵がルーイであることに気づいてラティの背筋が凍る。
「駄目!」
ラティが叫んだ拍子に手を離した馬車が、ぐらりと揺れた。
足元をふらつかせた盗賊の手から、卵が滑り落ちる。慌ててラティは手を伸ばすが、その手が届くには距離が離れすぎていた。
そこからは、まるで時間がゆっくり進んでいるようだった。卵は少しずつ回転しながら落下し、その殻が地面に触れた。
ぱりん、と硝子の砕けるような澄んだ高い音が耳を刺す。それとともに、目もくらむような光が卵から溢れ出て、ラティの網膜を白く焼いた。
「な、何……?」
不思議なほどの静けさが場を支配した。剣戟の音もいつのまにか止んでいる。
ラティは恐る恐る目をあけた。瞬きを繰り返すうちに、つぶれていた目に徐々に視界が戻ってくる。
ラティはそこで、自分の目を疑った。
白い獣の姿があった。気高く四本足で立ち、果敢に盗賊たちを睨み据えている。その輝くような白い毛並み、ぴんと尖った耳、優雅で気品を感じる細く長い尻尾。風の化身の誕生を喜ぶように、一陣の風が通り抜けた。
「まさか」
ラティはその後の言葉を続けられなかった。口に出せば、この光景が夢となって消えてしまいそうで怖かった。
「ちょうど良く孵化したのか!」
アンディがほっと安堵したように言った。師匠達は状況を把握すると、光に盗賊たちが怯んだ隙を逃さず、素早く全員を捕らえていく。
ラティはただただ茫然としていた。
佇んでいる獣──白狼が振り返る。鋭い蒼い瞳がラティをまっすぐ射抜き、心臓を震わせた。
『…ラティ?』
確認するような、まだ幼さの残る声に呼ばれて、ラティはいてもたってもいられず飛びついた。
「ルーイ!あんたルーイなんだね!」
『うん』
「あの悪戯ばっかりしてた、問題児のルーイなんだね!」
『そうだよ』
涙が後から後から溢れて来て、ラティはますますルーイにしがみついて、そのふかふかした毛並みに顔をすりつける。まだ生まれでたばかりの毛並みは、絹のように柔らかい。
「あり…がとう…!ありがとう………っ」
もうラティは自分が何を言っているのか訳が分からなかった。困惑するように、ルーイが身じろぎする。
「無事でいてくれて」
『うん』
「生まれて来てくれて、ありがとう………ルーイ」
しがみつくように、ラティは必死になって抱きしめた。温かい体温がじんわりと伝わってくる。
『俺も、嬉しい、ラティ』
辿々しい口調で、でもはっきりとルーイが言う。
痺れを切らしたアンディが声をかけるまで、一人と一匹は、しばらく抱き合ったままだった。