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風追い  作者: かの@
3/13

第一話 孵化(2)

 案の定、師匠は家の前で待ち構えていて、ラティがどこに行っていたのか問いただした。ラティは頭を振り絞り、卵を家で回収した後、忘れていた薬草を街に届けに行ったと嘘をついた。

 師匠の鋭い金色の目が全てを見透かしているようでラティはいたたまれなかったが、とりあえずその場はなんとか追及を免れる。

 薄々勘づいているであろう兄弟子が呆れたような顔をしていたが、その場では何も言わなかった。

「ラティ、おまえ何か隠しているだろう」

 だから、卵を孵化場に戻した帰り道、兄弟子のアンディが放った言葉は不意打ちもいいところだった。

「おまえの卵。あいつ、なんだか変じゃないか?」

「何が?」

 ラティは努めて落ち着いた声で聞き返したが、視線はふらふらとさまよった。

 唯一の救いは、孵化場の藁を敷き詰めた箱に戻した時のルーイが、不思議なくらい大人しく「普通の卵」だったことだ。隣の兄弟子が探るように見張っていたからかもしれない。

 あの卵は、どうもラティたちを見分けて上手く振る舞っているようなふしがある。

「今日もまた孵化場からいなくなったんだろう?」

「違うよ。私が家に持ってかえっちゃったんだ。孵化場に置いておくのはなんだか心配で」

「いいや。街に行くおまえは卵なんて持ってなかっただろう?なのに帰って来た時には、ちゃんと卵を持ってた」

 さすがに誤摩化せないか、とラティは唇を噛む。

「師匠に相談した方がいい。もしかして──」

「大丈夫だから!アンディ兄が心配するようなことじゃないよ」

 ラティは咄嗟に鋭く遮ってしまい、ばつが悪くなって俯いた。

 アンディは気を悪くした様子もなく、大きな手で宥めるようにラティの小麦色の髪の毛を撫でた。細められた茶色の目は、秋の落ち葉みたいにあたたかい。

「おまえが、どんなに苦労してみつけた卵か俺は知ってる。初めての卵だしな。でも、今回が駄目でも来年もあるだろう?」

「でも」

「俺はおまえが心配なんだよ、ラティア」

 ラティはいたたまれずに、足下に転がる石を蹴った。アンディは心底妹弟子の身を心配しているのだ。それでも、やっぱり頷くことはできない。

 アンディは今年、2つの卵を手に入れた。

 去年は手に入れた卵が上手く孵らなかったが、今年はきっとそんなこともないだろう。対してラティは去年の初めての入山で卵を手に入れられず、今年も期間のぎりぎりまで、全く卵をみつけることができなかった。

 ルーイは、やっとの思いで、最後の最後に手に入れることのできた卵なのだ。卵に恵まれているアンディに、自分の気持ちなんて解るはずがない。

 つい、そんなひねた考えを持ってしまう自分が嫌だった。

「お願い、アンディ兄。せめてルーイが生まれるまでは、待って。それからはっきりさせるから」

「そっちの方が、おまえには辛い結果になるかもしれないんだぞ」

「大丈夫だから」

 ラティの一度言い出したら聞かない強情さは、小さい頃からの付き合いである兄弟子にとってお馴染みのものだった。最終的に折れるのがどちらかということも。

 アンディは渋々頷くと、それまでは師匠にも言わないと約束してくれた。


 その日は悶々として眠れず、ラティは何度もベッドの中で寝返りをうった。頭に浮かぶのはルーイのことばかりだ。しょっちゅう自分の手を煩わせ、突拍子もない騒ぎを起こす卵。でも、そんな卵にすでに自分が夢中になっていることもまた、事実だった。

 やっとうとうとしかけたのは、雄鶏が朝日の到来をつげ、空が白み始めたころ。そのぬるい微睡みも、階下の荒々しく扉を開け放つ音で吹き飛んだ。

「アンディ!起きてるか!」

 師匠の怒鳴り声に、すぐに隣の部屋から人が出て行く気配がする。

 何かよくないことがあったのだと、ラティは瞬時に悟った。師匠は弟子たちの早起きに厳しいが、だからといってわざわざここまで押し掛けて来たりしない。

 胸騒ぎがした。ラティは居心地のいい毛布の中からはい出して、寝間着の上から茶色のローブを上から被った。階下では押し殺したような声と、今にも出て行こうとする気配がする。

 毛皮の靴に足を突っ込んで慌てて階段を降りると、ちょうどアンディが扉を締めようとするところだった。

「待って!」

「ラティ」

 しまった、という顔でアンディが扉に鍵をかけようとするのを無理矢理外に出る。

「なんかあったんでしょ」

「おまえは危ないから待ってろって…」

「やだよ。私も一緒に行く。私だって、風使いの端くれなんだから」

 押し問答する二人に痺れをきらした師匠が、いいから二人とも来い、と声をかけた。


 うっすら朝靄がかかる中を、黙々と丘を上って行く。丘の先のセルディア山脈はまだ薄藍のヴェールに包まれていて、輪郭がぼんやり溶けていた。

 丘の溶けかけた雪の合間に、まだ緑の萌芽の気配はない。風使いたちの村では、雪の溶け始めは孵化の季節の始まりを意味する。丘が緑一色になる頃には、全ての卵が孵るのだ。

 卵。そう、問題は卵だ。

 二人はさっきから何を聞いてもだんまりで、ラティの存在などはなから無視しているかのようだった。向かう先は、どうやら孵化場のようだ。またルーイが何かしでかしたのではないかと、気が気でない。

 孵化場はラティたちの住む村から更に丘を山の方へ2つ越えた場所にある。

 村の全ての卵がそこに預けられているため、隣には見張り小屋も建っていて、今日はアルゼとゴルグ爺が交代で寝ずの番をしているはずだった。

 そのゴルグ爺が、刻まれた眉間の皺を更に深くして、小屋の前で待っていた。自慢の豊かな白い髭を気難しそうに片手でしごいている。

「どれくらいやられた」

 師匠も普段の強面を更に厳しくして問いかけた。

「半分くらいだ。奴らも、全部は持って行けなかったんだろう」

「どこに逃げたかは」

「おそらく山の方だ。車輪の跡があった。あいつら、俺たちの交代の一瞬の隙を見計らっていた」

「かなり前から準備していたようだな」

「中は酷い有様だ。やつらは白狼の卵がどれだけ貴重からわかっとらん…」

 師匠とゴルグ爺の言葉少ななやり取りを拾って繋ぎ合わせ、ラティは息を飲んだ。

「ラティ!」

 待て、とアンディが叫んでいたが、ラティは気にせず身を翻して孵化場に駆け込んだ。アンディも遅れてついてくる。

 鍵の壊された木の扉を押し開けると、狭い孵化場の中は、嵐でも吹き抜けた後みたいになっていた。

 藁箱はひっくり返され、むきだしの地面に藁が大量に散乱している。卵はあるものは落ちて割れ、あるものはなくなっていた。無事な卵の方が少ない。

「そんな…」

 生まれでる前に儚く散ってしまった卵の残骸を、屈んでそっと拾い集める。自分と同じ見習いたちが、卵の孵化をどれだけ待ち望んでいたか。彼らの気持ちを想像するだけで息が詰まった。

 ラティは恐る恐る、自分の藁箱に近寄った。昨日、ちゃんと新しく藁をひき直して、卵を置いた藁箱。手を伸ばすと、かさりと藁だけが乾いた音をたてた。空っぽだった。

「畜生!」

 アンディが柱を力任せに殴りつけ、鈍い音がした。彼の卵は黄色と黒の2つあったはずだが、黄色の卵は地面に落ちて無惨な姿をさらし、もう1つは藁箱から消えている。

「ルーイ」

 あの無邪気で問題児の卵がいない。茫然と立ちすくむラティに、アンディがしっかりしろ、と肩を叩いた。

「このまま逃がすつもりか?俺たちは風使いだろ」

 力強い瞳がラティを捕らえた。怒りと、誇り、そしてまだ諦めないという強い意志が、ラティを震いたたせる。

「アンディ兄…」

「卵を取り戻すぞ!」

 ラティも力強く頷き返した。


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