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風追い  作者: かの@
2/13

第一話 孵化(1)

「おいラティ!」

 雷よりも怖い師匠の野太い怒鳴り声が外から響いてきて、ラティは鳥獣を撫でる手をとめた。鳥獣が嘴で手をつつき、無言で続きを催促する。

「おまえ、また卵を部屋に持って帰ったな!」

 しかし、怒鳴り声はどんどん近づいてきていた。不機嫌に唸る鳥獣を置き去りに、ラティは慌てて飼育小屋を出る。すると、ごつん、と拳骨が振ってきて目の前に火花が散った。

 見上げると、丸太のような腕を組んで仁王立ちした師匠のしかめ面が待っていたので、ラティは縮こまって俯く。師匠は怒ると手がつけられない。

「おい、俺が何を言いたいのかわからねえとは言わせねえぞ」

「ごめんなさい」

 ラティは即座に謝った。

「卵は孵化場で管理するものだとあれほどいっただろう。いくら卵が気になるからって持ち帰るな」

「はい」

「何をぐずぐずしてる。いいから今すぐ取ってこい!」

「はいっ」

 ラティは殊勝に頷いて早足で小屋を後にする。苛立たし気な師匠の視線が背中に突き刺さっているのをひしひしと感じた。

 まだ雪の残る丘を越え、師匠の目の届かないところまでくると、ラティは足下が滑るのにも構わず走り出す。

「ルーイ、あいつ今度はどこに行ったんだ……!?」

 ラティはもちろん、卵を孵化場から持ち出した覚えなどなかった。

 卵をみつけてから早半年。実は、ラティの卵の『家出』は、これが初めてではない。


 一応孵化場にも寄ってみたがもぬけの殻、師匠の家も、隣の弟子たちが住む家にも卵の姿はない。煉瓦作りの家は暖炉の火も消えていて、がらんと静まり返っていた。

 ラティは自分の部屋で、藁の詰まったベッドに転がっていた手提げ鞄だけ引っ掴んだ。そして、外で薪を割っていた兄弟子の呼び止める声も聞かずに、街へと飛び出した。

 残る候補は街しかない。師匠が不審に思う前に、卵を見つけ出して戻さなくてはいけない。

 卵が誰かに捕まえられ、連れ去られていたらどうしよう、と不安が膨れ上がる。たった一つしかない自分の卵をなくすよりは、いっそいつものように騒ぎを起こしてくれている方がいいと思ってしまう。

 街は、ラティたちの住む村からそう遠くないところにあった。冬になり、雪で街道が閉ざされると行き来も絶えるが、春が近づいた今はまた、ちらほらと街道を行く人も増えた。

 見知った人に挨拶をしながら息を切らして街に辿りつくと、どこからかきゃあ、と叫び声が聞こえてきた。広場の方だ。街は放射状に広がっていて、中心には開拓者の銅像が立つ広場がある。

 ラティが急いで広場に向かうと、予想通りの突風がラティの頬を叩いた。

 露店の屋根の幌が今にも吹き飛びそうになり、建物のバルコニーに干された洗濯物が煽りを受けて舞い上がる。地面を色とりどりの果物が転がり、広場で話に花を咲かせていた女性達が必死に服の裾を抑えて悲鳴をあげている。

 いつもにもまして滅茶苦茶だ。ラティは呻いた。

 右往左往する人々を尻目に素早く視線を巡らせると、広場からのびる狭い石畳の路地の一つにふよふよと卵が浮いていた。都合の良いことに、混乱で誰も気づいていない。

「ルーイ!」

 その暢気な様子にひとまずほっとしてから、肩を怒らせてずんずんと近づいて行った。ラティに気づいた卵は放っていた力を弱め、好き放題暴れていた風が戸惑うように攻撃の手を緩める。

 抱き上げる頃にはすっかり突風はやみ、広場にやっと昼下がりに相応しい落ち着きが戻ってきた。

 人々はなんだったんだろう、と首を傾げて、またそれぞれの日常へ戻って行く。

「こら!また抜け出して、何やってるの」

 卵に向かって怒鳴りつけるという姿は滑稽でしかないのだが、ラティは気にしなかった。この卵はどうやら、ラティの言葉が解っているようだからだ。

 その証拠に、卵が腕の中でからだを揺すって光を明滅させた。──これは、笑っている、のだろう。

 ラティは一瞬むっとしたが、次第に真面目に怒る自分が馬鹿らしくなって、深い溜め息をついた。ラティが真剣に相手にするものだから、この卵もつけあがるのかもしれない。

 考えてみれば、卵が孵化場から抜け出すのはラティが師匠に言いつけられた仕事に忙しく、様子を見に行ってやれない時ばかりだ。

 卵が、「気を引きたがっている」?

 そんな珍妙なことがあってたまるか、と鼻で笑いたいところだった。

 普通、白狼の卵というのは孵化場で大人しくしているものだ。孵化場から失踪する卵なんて聞いたことも無いし、ましてや卵の状態で既に風を操り、主を馬鹿にする卵なんて。

「おまえは、白狼なんだよね…?ルーイ」

 幾度目か解らない問いを不安げにラティが口にしても、卵は何も答えてくれなかった。

 主の心、卵知らず。

 仕方なくちょっとした苛立ちもこめてラティはぞんざいに手提げ鞄の中に卵を突っ込む。窮屈な場所は嫌なのか少し抵抗する様子をみせたが、睨むと大人しくなった。

 とぼとぼと街の門をくぐり、村へと引き返す。頭の中は、師匠にどう言い訳するかでいっぱいだった。

 卵の姿が消えるのは、もうこれで五度目だ。回が増すごとに、卵の悪戯も酷いものになってきている。ばれるのも時間の問題だろう。

 師匠に怪しまれて卵が廃棄処分になってしまえば、ラティは相棒を失うことになる。苦労してやっとみつけたルーイを手放したくはなかった。

「早く生まれてきて、ルーイ。それで私を安心させてよ」

 ラティはまだ見ぬ白狼の姿に想いを馳せた。


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