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風追い  作者: かの@
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第三話 青磁の紋章(4)

 無骨な鉄の檻の中に一人ずつ隔離された人々が、ぼんやりと虚ろな視線を宙に投げている。ラティが目撃した商家の娘のように、無理矢理連れてこられた人々だろう。一体どんな目に会ったというのか。

 ぶつぶつと意味を成さぬ言葉の断片を呟く者もいれば、体中の力が抜け切り、口から涎を垂らす者もいた。金切り声をあげて、檻を掴み酷く揺する音が耳に痛い。人というよりも獣に近いその姿に、ラティは言葉を失った。

「誰だ」

 鋭い誰何すいかの声に、はっとして視線を奥へ投げる。

 室内に整然と並ぶ檻が真ん中に道を作っている。その道の突き当たりに、頭まで黒いローブを被った男が立っていた。

 表情の見えない男が、こちらに向かって掌をかかげるのをみて、ラティは咄嗟に子どもを背後に突き飛ばす。

 膨れ上がる魔力の気配。間に合うかと焦りながら、口の中で律を紡ぐ。

「風よ、我が盾となれ」

 端的で乱暴ともいえる律で、風を無理矢理に動かす。男の手から生み出された水が怒濤の勢いでラティに襲いかかった。

 間一髪で、風の盾がなだれかかる水の勢いを殺して受け流す。奔流はそのままラティの背後の壁に激突し、凄まじい音をたてて穴を開けた。

「風使いか」

 男は感情の抜け落ちたような声で一人呟くと、ぶつぶつと長い詠唱を始めた。まずい、とラティは焦る。長い詠唱が必要なのは、複雑な高等魔法だけ。

 ラティは風使いの村できちんと訓練も受けていないこともあり、あまり上級の魔法は使えない。特に、攻撃魔法は苦手だった。

 茫然とする子どもを引き寄せて、必死に防御のために律を編む。男は水使い。それならば、属性だけではお互い有利にも不利にもならない。純粋な魔法使いとしての実力勝負となると、ラティには分が悪い。

 次の攻撃がすぐに襲ってきた。今度は水が龍の形をとってラティたちに巻き付き、二人を締め上げようとした。張り巡らせた風の膜が強い圧力にたわんで今にも破れそうだ。

 押し負けるのも、時間の問題だった。圧倒的な力の差を前に、ラティは男の子を必死に抱きしめた。この小さな温もりだけは、なんとしても守りたい。踏みしめた足はがくがくと震え、額を伝った汗が目に入って視界が滲んだ。

 悔しい。その感情で、目が眩んでしまいそうなほどだった。虐げられる人々を守る、風使いになりたいと願っていたはずなのに。現実の自分はちっぽけで、こんな小さな子ども一人守ってやれないのか。

 ラティを嘲笑うように、膜にぷつり、と亀裂が入った。

「間に合ったな」

 ──焦るでもなく静かなつぶやきとともに、ふ、と目の前に影が躍り出た。

 逞しい背中が、ラティの視界に割り込み、強い意志を宿した腕が剣を振り上げる。大振りの蒼い光を宿した剣が水の龍を切り裂くと、呆気なく霧散した。圧力が突然消失し、ラティはその場でたたらを踏む。

 ラティと男の前に突如として走り込んだのは、カイだった。来てくれたのだ。ラティは安堵でどっと力が抜けた。

 カイは剣を振り下ろした勢いもそのままに、真っすぐ男に向かって行く。

 律を編む暇もないと思ったのか、男は舌打ちすると腰の短刀を抜いてカイの剣を受けた。しかしすぐに押し負ける。

 もともと魔法使いは律を編むのに時間と集中力を要するので、接近戦はえてして苦手だ。間断なく繰り出される刃に、徐々に壁際へと追いつめられていった。

 その壁際に、横たわる娘の姿があった。猫の依頼をした商家の娘だ。全身を縄で縛られている。意識が戻ったのか、猿ぐつわをされたまま必死に呻いていた。ラティは慌ててその娘を助けようと駆け出した。

 意識が前に集中し、背後で膨れ上がる殺気に気づかなかった。

「あーあ。まったく役立たずばっかりだね」

「え…」

 ラティは愕然と自分の肩をみた。銀色の鈍い光を放つ何かが、着ている黒いローブを突き破っていた。激痛で膝の力が抜け、地面に顎をしたたかに打ちつける。

 背中に誰かが馬乗りになり、肩口の刃を更にねじる。ラティは声にならない悲鳴を上げた。痛みが意識を遮断しようと頭を揺さぶる。

「そこまでにしてくれる?この娘を死なせたくないでしょ?」

 自分の荒い息づかいを割って振ってくる少し高い声。それは、ラティが先ほどまで胸に抱いていたはずの、男の子の無邪気な声だった。

「何を……!」

「おっと、怖いお兄さん、剣を捨ててもらえるかな?その魔封じの剣、さすがにちょっと怖いんだよねえ」

 怖いと口にする割に楽しそうに少年が言った。

「おまえ、ヴェネフィだったのか。道理でこいつの主がいないと思ったら…」

「はやく。僕ってこう見えて気が短いんだよ」

 捨てたら駄目だ、とラティは叫ぼうとしたが、喉の奥から変な掠れ声が漏れただけだった。小さな身体のはずなのに、上から押さえつける力は凄まじく、全く抵抗することができない。

 乾いた金属音がした。なんとか顔をあげると、苦々しい顔をしたカイが剣を投げ捨てたところだった。水使いの男はとっくにやられたのか、地面に転がっている。

「邪魔してくれちゃって、まったく。とりあえずのところ、実験は中断かな」

「おまえの目的はなんだ」

「僕の目的?そんなの、君たち人間のお仲間に聞いた方が早いんじゃない?」

「人間?誰か人間が関わっているというのか?」

「さあねえ」

「答えろ」

 ラティはそこでカイの意図に気づいた。アンナがいない。つまり、アンナはこの屋敷のどこかにいるか、もしくは応援を呼びにいっている。カイは時間稼ぎをするつもりなのだ。

「答える義理はないね。それより、この娘、どこかで…」

 訝しむように台詞が途切れた。無理矢理襟元を掴まれて引きずり起こされる。喉が詰まって息ができない。頭に血が上り、耳に心臓があるかのようにどくどくと波打つ。覗き込む蒼い瞳がゆらゆらと揺れた。

「ラティ!」

 硝子の割れるけたたましい音とともに、横殴りの突風が吹いた。少年は驚愕の声とともに締め上げていた手を離す。地面に再び激突しそうになったラティを、優しく風が受け止めた。

「ルーイ…」

 慣れた魔力の気配だった。ぴりぴりと彼の怒りが肌に触れる。

 窓から飛び込んできたルーイはそのまま少年を巻き込んで自身もろとも檻の列に突っ込んだ。みるみるうちに擬態は解け、髪の毛は黒く染まり、瞳が赤紫に燃え上がる。硬質化した空気が刃となって少年に襲いかかり、たちまち白い肌に無数の赤い線が浮かんだ。

 風が唸る。部屋の中の空気は渦巻き、あらゆる物という物が少年へと襲いかかる。

「ちょっとやばいわね。彼、我を忘れてるわ」

「あ、アンナさ…」

「黙ってなさい。出血が酷いわ」

 いつのまにか隣に立っていたアンナが、放り出されたラティを助け起こしてくれた。胸元から布を取り出すと手早くラティの止血を始める。その間にも、カイが無差別に飛んできた壺を剣で叩き割った。

 ルーイの身体は衣服が割け、いまやすっかり獣型に戻っていた。対する少年も本性が剥き出しになり、その姿を水魔へと変えている。

 ルーイの前足が硬い鱗に覆われた水魔を押さえつけた。鋭い牙で噛み付くと何枚か鱗が引きはがされて表皮が露になった。彼の怒りに反応した風が水魔の身体に無数の小さな傷をつける。

 水魔も負けてはいない。鋭い爪でルーイの首をえぐりとって鮮血が散った。ひるんだルーイを振り払って距離をとる。

 赤黒い舌で自身の傷を舐めて、水魔が笑った。

『黒狼か。でも成獣じゃないからまだまだだね』

『おまえ、よくも…』

 ぎりぎりとルーイが歯ぎしりして毛を逆立てた。こんなに怒っている彼をみるのは、初めてかもしれない。

『残念だけど、今日はここらへんでやめとこうかな。時間切れだ』

『何を…』

 水魔が何の躊躇いもなく窓を蹴破って空中へ躍り出る。ルーイはそれを追おうとするそぶりを見せたが、アンナに呼び止められて足を止めた。その間に水魔はすっかり闇の中に姿を消してしまった。

「どうして止めた?」

「窓の外を見なさい」

 すっかり日が沈んだ窓の外に、明るい松明がいくつも浮き上がっていた。松明に照らされて、白銀の鎧がきらりと光る。耳を澄ませば、階下で微かなざわめきが聞こえた。

「教会兵よ!誰が呼んだのか知らないけれど、まずいわ。ここに居ればどんな誤解をうけるか。特に、貴方たち──あんまり詮索されたくないんじゃないの」

 ルーイは自分の獣型の姿をみて首を一振りすると、ラティへと駆け寄った。恐る恐るラティを覗き込む。

『ラティは──』

「大丈夫よ!とりあえず今は、ここから逃げることだけを考えましょう」

 いつのまにか、カイが依頼主の娘を檻から出して担ぎ上げていた。隣には、縄から解放された商家の娘も大人しく従っている。

「幸い、裏手に森があるから、そっちから逃げましょう」

『…わかった』

「ラティちゃんのことは頼んだわ」

 アンナが身体に力の入らないラティを手伝っててきぱきとルーイの背に乗せる。促され、商家の娘もその後ろに跨がった。恐怖が尾を引いているのか、青ざめて震えている。

 アンナは万が一にもずり落ちないように、ラティの手をルーイの首に巻き付けて紐でしばる。五人と一匹が廊下に出て窓から飛び降りるのと、教会兵たちが階段へとなだれ込むのはほぼ同時だった。

 そうして、来た時よりも更に慌ただしく、ルーイたちは屋敷を去った。

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