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風追い  作者: かの@
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第三話 青磁の紋章(2)

 村を出てから三年以上、ラティとルーイは各地を転々とし、風使いとして小さな依頼を請け負って生計をたてていた。ここハイリアの街に腰を落ち着けてからは、もうふた月ほどになる。

 依頼者をみつけるのは難しい。依頼自体はどこにでも転がっているのだが、身分を保証してくれる民間の機関──盾の連盟に入っていないということがラティの立場を難しくしていた。

 盾の連盟とは、国境を越えた民間の相互扶助を目的とした機関だ。助けを求める依頼人と、剣士や魔法使いの間を取り持つ役目を負っている。

 風使いを含め、正式な魔法使いたちは一人前と認められると、自動的に盾の連盟に入る。盾の連盟に入っていない魔法使いというのは、後ろ暗い者か、師匠に推薦状を貰えなかった実力不足の者たちだけだ。

「連盟の人じゃないのかい。それじゃあ頼めないねえ」

「そうですか…」

 目の前でやや乱暴に閉じられた扉にラティは項垂れる。これで五件目だ。連盟の建物に出入りし、掲示板に張られた依頼を盗み見てきたのだが無駄足だったようだ。

 連盟に持ち込まれた依頼をくすねるような真似は、堂々とできることではないが、他に方法がない。幸い、掲示板に張られるような依頼は緊急性も重要性も低いものばかりで、連盟も手が回っていないのが現状なのだろう。

 今にも泣き出しそうな曇天が、ハイリアの石造りの町並みを陰鬱にみせる。ラティは踵を返すと、街の大通りへと歩き出した。

「ラティ」

 隣を歩くルーイが、励ますようにラティの肩を叩いた。擬態した銀色の髪も、今日は少し色がくすんでみえる。

「ありがと」

 ラティは溜め息を飲み込み、微笑みを返した。

「今日はもう、やめたら?」

「ごめん。でも、もうちょっとだけ」

 しょうがないな、というふうにルーイが頷いた。諦めの悪い自分に付き合わせてしまっていることに、申し訳なさを感じる。

「でも、少し休憩しようか」

 ずっと歩きっぱなしだったので、足が棒みたいだ。ラティの提案にルーイは頷くと、

「飲み物を買ってくる」

 と呼び止める間もなく行ってしまった。ラティは仕方なく、道ばたの壁にもたれかかって待つことにする。

 喉が乾いているなど、一言も言っていないのに。

 普段は他人に無頓着なはずのルーイは、不思議とラティの心中は察知する。気遣いは嬉しいし、心が暖まる。しかし反面、心配でもあった。ラティの心ばかり気にしてか、自分の言葉を飲み込んで、殆ど不平不満を言わない。

 今も依頼探しを手伝ってはくれるが、本音では賛成していないのではと思うことがある。ラティが必死になる姿にあまり良い顔をしない。ラティがなぜ風使いの仕事にこだわるのか、理解できないのだろう。

 確かに、無理に依頼を探して風使いとしての仕事をする必要はないのかもしれない。最近は飢饉もなく経済もそれなりに安定しているから、上手くすれば街の飲食店などで雇ってもらえるだろう。

 それでもラティは、どうしても、風使いになることを諦めきれないのだ。

 

 ──風は在野にあれ。在野にありて、人を助け、人を導き、常に人とともにあれ。


 風使いの教えをそっと心の内で呟く。

 風とは、あまねく大地を自由に渡るものだ。それと同じく、風使いも国境や人種に囚われることなく、己の信ずるままに自由に生き、己の力を市井の人々を救うことに使わねばならない。

 そういう意味だと、師匠が教えてくれた。

 当時の記憶は今でも胸の奥底に大切にしまってある。

 あれは、金貨数枚と引き換えに師匠に家に連れてこられた日の夜、与えられた部屋で一人泣いていた時のことだ。

 当時まだ幼かったラティは、新しい家族の前で気を張っていた反動か、部屋に入った途端糸が切れたかのように涙がぽろぽろと溢れた。

 幼くても自分の身に起きたことは朧げに解っていた。自分は親に捨てられたのだと。

 自室を与えられた上、部屋は小綺麗に整えられ、寝台はちゃんと藁をつめたものが用意されていた。それでも、床に藁だけしいて雑魚寝で触れ合う母の温もりが、恋しくてたまらなかった。

 兄弟の中で、一人だけ見放されたことを思うと、自分は何の価値もなく本当に惨めな存在に思えた。

 まだ道ばたに転がっている石ころの方がましだ。食べ物を必要としないのだから。

 シーツにくるまって嗚咽を漏らしていると、静かなノックがした。返事をし、慌てて涙をぬぐって寝台から降りると、師匠が大きな身体を縮めるようにして、のっそりと部屋の中に入ってきた。

 獣みたいに怖い顔をした師匠が、ラティの目線に合わせてかがみ、ゆっくりと大きくて分厚い手を頭に置いた。

 そこで口にしたのが、風使いに代々伝わるという教えだったのだ。

 人生の厳しさを物語る深く刻まれた皺に囲まれて、澄んだ瞳がラティをまっすぐ見ていた。映っていた感情は、今ならば解る。懐かしさと、慈愛。

 師匠はきっと、かつての自分を懐かしみ、かつての自分に言い聞かせるような気持ちだったのだろう。

「風使いになるような奴はな、親に捨てられたり、人買いに売られたような奴ばっかりだ。そんで、無理矢理この村に連れてこられて、おまえみたいに一人で泣くのさ。親にすら見捨てられた、自分は何の価値もない存在だってな。おまえだけじゃねえ。みいんな、そうだ」

 低く地を震わせるような声が、不思議と怖くなかった。

「俺だって、俺の師匠だって、みんなそうやって泣いたんだ。でもな、その時に師匠からこの教えを教わるんだよ。ラティ、おまえは自分の境遇を恥じる必要なんてねえ。風使いには風使いの誇りがある。今は哀しくて寂しくても、きっとおまえはいつか胸を張って歩けるようになる」

 いつのまにか、涙はひいていた。その言葉は、役立たずと言われてきたラティの面を上げさせた。

「俺たちは肉親をもたない。俺たちは王をもたない。俺たちは国をもたない。一度この村を出れば、子どもを持つか引退するまでは帰ってこられない。だから孤独を感じることもあるだろう。だが、だからこそ、どんなしがらみにも囚われず、名もなき誰かの助けになってやれることがある」

 だから泣くな。おまえは自分に誇りをもて。

 そう言って、初めて師匠は顔をくしゃくしゃにして笑ったのだ。


 ──風は在野にあれ。在野にありて、人を助け、人を導き、常に人とともにあれ。


 その教えがあるからこそ、ラティは考える。

 人がヴェネフィゾディを分けるのはなぜだろう、と。

 元来魔獣は同じ性質の生き物であり、その区別は人間が一方的に押し付けたものにすぎない。ルーイがヴェネフィだから、だから人間と共存できないなどと、誰が決めたのだ?

 それは人が勝手に定めた国境と、何の違いがあるのだ?

 実際、ルーイには素晴らしい魔力がある。それは確かに人にとって諸刃の剣だ。強大すぎる力は反発と恐怖を呼び、熾烈な排斥を生み出すだろう。だからその前に、彼が人と共存できるのだと、恐れるだけの存在ではないのだと認めてもらわなくてはいけない。

 風使いになりたい。そして、ルーイと一緒に生きたい。ラティの切実な願いであり、夢だった。


 ラティの意識を思考の海から引き上げるように、唐突に肩を叩かれた。

「ねえ、あんた、さっき連盟にいた子よね?」

 話しかけてきたのは、見事な金髪の女性だった。ラティと正反対のめりはりのついた身体、特に豊満な胸につい視線がいきそうになる。女性は艶のある唇を引き上げてにっこりと笑った。意思の強そうなしっかりした鼻梁と、勝ち気そうなつり上がった瞳が眩しい。

「あんたにとっても良い話だと思うんだけど。あたし達と、一緒に仕事しない?」

「え?」

 一瞬、何の仕事か解らなかった。女性の服装は、街でよくみる空いた白いブラウスと茶色のスカートだったが、大胆なくらいに襟ぐりが開いている。惜しげも無くさらされた見事な谷間は、ラティの──ぺったんこな平野とは大違いだ。

 往来の男達から向けられる視線に慣れた堂々とした態度や、誘うような香水の甘ったるい香りが、特殊な商売を想像させた。ラティが混乱で顔を赤くしたり青くしたりすると、女性は面白そうに目を細める。

「やーねー。何の仕事と勘違いしてるのか知らないけど、人探しの依頼よ」

「え、あ。ごめんなさい」

 ラティは自分の変な勘ぐりを見透かされて恥ずかしくなる。女性は気を悪くするでもなく、あっけらかんと笑った。

「依頼主にね、あたしたちだけじゃ人数が足りないから無理だって言われたのよ。最低でもあと一人は必要なんだって。正直誰でもいいんだけど、風使いが一緒だと心強い」

 ラティは眉を八の字にして困ってしまった。いきなりの誘いで、警戒心が捨てきれないのも確かだ。

「報酬は、なんと盾の連盟への推薦状。どう?あんたも見たところ、青磁の紋章が欲しいんじゃないの?」

「は、はい!」

 『青磁の紋章』、その一言で、思わずラティは身を乗り出した。青磁の紋章とは、盾の連盟の準会員の証のことだった。盾の連盟は街の有力者の推薦でも入れるのだが、その時に最初に貰うのが青磁の紋章なのだ。

 そこで、ラティははっとする。女性はラティが正規の風使いでないことに気づいて声をかけてきたようだが、一体なんで気づかれたのだろう?

「不思議そうな顔ね。あんたは知らないかもしれないけど、青磁の紋章を欲しがってるやつって結構いるのよ。普通の剣士たちは、魔法使いたちみたいに、最初から盾の連盟の会員になれるわけじゃないからね。あんたがこそこそ掲示板を覗いているのを見て、この子もおんなじだって、すぐ解ったわ」

 あとはさっきの断られた話を聞いてたのよ、と女性は片目をつぶった。

「じゃあ、貴方も青磁の紋章を?」

「そうよ。だからこの依頼を絶対に受けたいんだけれど、向こうは人数が少ないことで難色を示していてね」

「でも、どうして、盾の連盟の人には頼まないんですか?」

「もう一度頼んだみたいなのよ。それでも解決しなくて、今は藁にも縋る気持ちみたいね」

 なるほど、とラティは頷いた。一度盾の連盟で失敗しているのなら、再度の依頼は頼みづらいだろう。そして、盾の連盟に加入できない後ろ暗い者の中に、破格の実力を持つものがいるのも事実だ。

 女性はアンナ、と名乗った。彼女は薬師らしい。もう一人連れがいて、そちらが剣士なのだ。ラティも簡単な自己紹介と、連れがいることを簡潔に話した。

「ラティ、どうしたの」

 戻ってきたルーイは、ラティの隣に立つ女性に気づき眉根を寄せた。近寄ったりせず、警戒したようにラティの斜め後ろで立ち止まる。露店で買ってきたのだろう飲み物は二人分あった。

「あれ、これが連れの子?」

 ラティが頷くと、女性はじろじろと眺め回すようにルーイを見る。ルーイの眉根の皺が更に深くなった。

「…誰」

「ああ、アンナさんっていうの。仕事を紹介してくれるって」

 ラティはルーイの声が一段低くなったことに気づかず、能天気に返した。依頼がみつからずに落ち込んでいたというのに、今は青磁の紋章が手に入りそうな話が転がり込んできている。内心で少しはしゃぎながらルーイに説明した。

「やめときなよ」

「え?」

 だから、強ばったルーイの言葉にびっくりした。

「やめた方がいい」

 珍しく強い口調で言う。ルーイが仕事の内容に口を出すのは初めてのことだ。ラティは目を瞬かせた。

「ふうん。そっちの子はあたしのこと、気に入らないみたいね」

 ルーイがぐい、とラティの腕を掴んでやや乱暴に自分の方へと引き寄せ、鋭く女性を睨みつけた。ルーイより若干背の高い女性は気分を害した様子もなく、余裕の笑みで受け止めている。

「ル、ルーイ…?」

 ラティは困惑して二人の間にうろうろと視線を彷徨わせる。とても一緒に仕事ができるような友好的な雰囲気では、ない。

「今日はこれで、ラティちゃん。この話、受ける気があったら明日の昼にまたこの場所で待ってるわ」

 アンナは板挟みのラティに苦笑すると、ひらひら手を振ってあっさり去って行ってしまった。


 沈黙が、重い。結局二人は宿に帰ってきたのだが、ルーイは道中買ってきた飲み物を渡してくれることもなく、深く考え込んでいるようだった。ルーイが無口なのはいつものことだが、こんなに硬い雰囲気のことは滅多にない。ラティは苛立ちよりも心配が先にたった。

「ルーイ、どうしたの?あんなに嫌がるなんて、珍しい」

 ルーイがやっとそこで重い口を開く。

「…嫌な感じがする」

 ヴェネフィ独特の勘のようなものだろうか。アンナの気さくな振る舞いを思い返して、ラティは首をひねった。

「ええ?でも、良い人だったよ。受けるかどうかは、依頼の話を聞いてみてからでもいいんじゃない?」

「…別に、他の依頼を探せばいい」

 ルーイは頑なだ。でもラティも簡単には引き下がれない。なんていったって、報酬が青磁の紋章なのだ。青磁の紋章があれば連盟の会員として身分は保証され、ルーイのことで教会に突然捕まるという事態も避けられる。いざという時の後ろ盾があるのとないのとでは、大きな違いだ。

「こんなにいい条件の依頼、他にないよ」

「なんでこだわるの。そんなに、青磁の紋章が大事?」

 触れれば手を切ってしまいそうな刺々しさで言葉が投げつけられる。苛立ちを含んだ、ひりひりと焦げ付くような強い視線が突き刺さって、ラティは怯んだ。

「だ、大事だよ。だって、青磁の紋章が手に入れば、風使いとして正式に登録ができるから…」

「ラティは、そんなに風使いになりたいの」

 ラティは素直に頷いた。

「どうして?」

 とすぐにルーイが問いを投げかけてくる。

「だって、それは風使いになることは私の小さい時からの夢で…」

 ラティはいぶかしく思いながらも、しどろもどろに自分の夢を語る。解ってほしくて一生懸命語れば語るほど、ルーイの表情がどんどん曇っていくのに気づいた時には、もう遅かった。

「じゃあ、なんで」

 目の前の端正な顔が歪んだ。

「俺を殺さなかったの?」

 牙を向いた手負いの獣の目だった。傷つけたのだと、ラティはやっと気づいた。

 唐突にラティは軽く突き飛ばされ、壁に両腕を押さえつけられた。たいして力をこめているようにもみえないのに、それだけでラティは身動きできなくなる。

「そんなに風使いになりたいのなら。俺を殺して、白狼を育てればよかったはずだ」

 村を出た時の話をしているのだと、すぐ解った。心の臓を鷲掴みにされたような気持ちになる。

 あの時は逃げるのに精一杯で、二人できちんと話をしたりしなかった。ラティは自分の罪悪感と向き合うことが怖くて、ルーイが相変わらずけろりとした無表情に戻っていたのをいいことに、逃げてしまったのだ。

 それ以来、なんとなくあの時の話は二人の間で禁句になってしまった。

「後悔してるんじゃないの」

「違う!」

 ラティは必死に叫んだが、ルーイの表情は変わらなかった。

「どうだか」

 鼻で笑う。自分自身を傷つけるような、嘲るような痛々しさがあった。

 有耶無耶にして、臭いものに蓋をしてきた結果がこれだ。ラティは内心で歯がみした。いくら言葉を重ねても埋められない程、決定的な深い溝が、いつの間にか二人の間にあったのだ。

 ラティが立派な風使いになりたいと口にするたび、ルーイは自分がその最大の障害であることに苦しんできたのだろうか。

 なんとか離してもらおうと全身に力をこめてもびくともしない。絶望的なくらいの、力の差をつきつけられる。

 ルーイは震えるラティに今気づいたかのようだった。

「それで、全力?」

 彼の怒りを表すように蒼から赤紫に燃え上がった瞳に、怜悧な光が宿り、じっと首筋に視線が向けられた。もがくラティを、無表情に見下ろす。

「俺が夜中にしてること」

 耳元に囁きが落ちてきてぞくりと背筋が震える。

「気づいてるよね」

「ごめん。ずっと、聞こうと思ってた。だけど、」

 吐息が触れるほど近くにいるのに、もどかしいくらい視線は重ならない。ルーイは最早、ラティの言葉なんて届かないくらい遠い所にいるみたいだった。

「お願い。私の話を聞いて、ルーイ。私が風使いになりたいのは」

「弱いな」

 ぽつん、とルーイが言った。すっと腕にかかっていた力がなくなる。ルーイはラティの手をとると、そのか弱く非力な腕をじっと眺めた。赤く痕のついてしまった手首をそっとなぞる。顔を歪めるルーイの方がよっぽど痛そうだった。

「…それが…」

 苦しい、と零したのは聞き間違いだったのか。

 確認する前に、ルーイは部屋を飛び出していってしまった。

「ルーイ!」

 追いかけようとしたラティは、膝から力が抜けてずるずると崩れ落ちた。開け放された扉がきい、と寂しい音をたてる。

 一体、なんでこんなことになってしまったのか。

 ──結局その日、ルーイは宿に帰ってこなかった。


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