7.最強武匠 鍛冶神の名を持つ男・相対
「お呼びでしょうか? 『賢人』のフェルド様」
太陽が中天を過ぎた頃、準備を整えた鳳牙たちは指定場所であるドルミナス高原へ移動するためにメイドコールを行った。
そして、闇色髪セミロングの無表情メイド、HAR‐七が現れる。もはや百発百中の確立であった。
鳳牙は片眉を跳ね上げ、
「……これ、本当にランダムなのか?」
ぼそりと疑問を口にする。
耳聡く聞きつけたHAR‐七が鳳牙にだけ見える角度で半目の睨みを利かせ、
「何かご不満でも?」
「いや、ないけど。って、何か応対がぞんざいになってないか? あと、表情動くんじゃないかお前」
「そのような事は御座いません。気のせい、というものです」
しれっとHAR‐七がいつもの無表情に戻って言葉を返してきた。
「ハルナさんやっほー」
小燕がHAR‐七の足元まで近寄り、にはーと笑いながら元気よく右手を上げて挨拶をする。
「lib。『鉄壁』の小燕様。ご機嫌はいかがですか?」
可愛らしい小燕の行動に眉一つ動かさず、HAR‐七は丁寧にお辞儀をした。出会ってからすでに一週間近くが経過するが、その対応には微塵の変化も見られない。
ただ、鳳牙に対してだけたまに引っかかる物言いをする事があった。その理由は全く持って不明である。
ちなみに、『ハルナ』というのは小燕がつけたHAR‐七の愛称である。まさにそのままHAR‐七と読んだだけなのだが、不思議としっくり来るので誰も突っ込まなかった。
和名の据わりが良いのは髪と瞳の色が黒系のせいもあるのだろう。
HAR‐七の方も最初は『私の名前はHAR‐七です。ハルナではありません』と抵抗していたのだが、フェルドやアルタイル、そして鳳牙も何かの拍子にその名前で呼んでからは、訂正せずに普通に対応するようになった。
そうするのが無駄だと悟ったのだろう。意外と融通が利くようだった。
「本日はどういった御用でしょうか?」
「ああ。ドルミナス高原まで僕らを送って欲しいんだ」
「lib。それでは転送の準備を始めます。すぐに転送してしまって大丈夫ですか?」
「うん。お願いするよ」
「liberate。皆様がこの世界に自由と解放をもたらす鍵人とならん事を」
HAR‐七が深々と頭を下げ、それと同時に鳳牙の視界は一瞬で砂埃に塗れた白石造りの廃墟へと切り替わる。
元々は大きな石柱が立ち並ぶ欧米の神殿のような造りだったのだろうが、今や壁は崩落し、石柱の全てが半ばから折れたり完全に横倒しになってしまっている。
砂や土を含んだ乾いた風が通り抜け、鳳牙は瞬間的に喉の渇きを覚えた。
「さて、約束の時間まではもう少しあるから、ギリギリまでここで待とうか」
「うぬ。高原は身を隠す場所がほぼ皆無故、この場の方が安全で御座ろう」
現在時刻は午後十二時四十分。切り立った崖の直下に位置するトランスポーター付近であれば、崖上からは見えない壁に阻まれて死角になる。潜むにはもってこいの場所だった。
そうしてその場でしばらく時間を潰して、
「さて、それじゃあ上に移動しようか。御影さんには神殿の見える崖に来てくれるように書置きしたから、上に移動したらすぐに戻ってこよう」
フェルドの言葉に全員が頷く。
トランスポーターの転送先は待ち伏せ警戒のため崖からやや離れた位置にランダムで設定されているため、移動した場所から崖へ戻らないと御影に見つけてもらえない。
鳳牙たちは四人同時にトランスポーターに進入し、周囲を警戒しながら転送先から崖に向かって移動を開始する。
遮蔽物になるような物が近くにないため、視力さえよければそれなりに遠くからでも人がいるかいないかは見て取れる。
鳳牙の見たところ、まだ御影の姿は崖の上には無かった。
もしもの時を考え、鳳牙たちは崖を背にした状態でいつでも退却可能な準備をしておく。もしも御影以外の誰かが現れたら、すぐさま飛び降りて逃げるつもりだった。
そのまま御影が現れるのを待ち続け、ちょうど三十分ほど経った頃、視界の中にいきなり一人の人物が出現した。
どうやらその位置でログアウトしていて、今まさにログインをしてきたようだった。
腰まで届く白い髪を、刀の鍔でまとめている浅葱色の着流しを着た人物だ。
「御影……さん?」
鳳牙が声をかけると、ログインしたての人物がピクリと反応し、ゆっくりと振り返って来た。
巌のようないかつい顔に、左目を縦に走る裂傷の跡。腰には一振りの黒塗り鞘の刀を差している。への字になった口には金属製のキセルをくわえ、ゆらゆらと紫煙が上っていた。
間違いない。鳳牙の知る御影その人だ。鳳牙は御影に近づきながら、
「御影さんあの――」
「本当に、いるたぁな」
鳳牙の言葉を、聞き慣れた御影の独特な低い声が遮った。普段の御影と同じ口調の、しかし違和感を覚えるほど冷めた言葉。
――……え?
鳳牙はとまどった。その違和感の正体が分からず、立ち止まって黙り込んでしまう。
御影はそんな鳳牙からすっと視線を外し、
「何かの、冗談だと思ったんだがなぁ。なあ? おい」
すうとキセルをたっぷり吸い、ゴツゴツした手でキセルを掴んで、ぱかりと口を開けて煙を吐き出す。
「だがこうしてここにいる以上、俺としちゃあ――」
御影が手にしたキセルを逆さに向け、カンと腰の刀の柄にぶつけて煙草をキセルの中から地面に落とし、
「――全く持って悪趣味と言わざるをえねえな」
懐にキセルをしまいこむのに合わせ、その全身から明らかな殺気を放った、次の瞬間――
「金剛!」
ほとんど直感で、無意識の内に鳳牙は防御体勢を取っていた。それとほぼ同時に、金属同士を打ち合わせたような音が響き、鳳牙は右脇腹に衝撃と痛みを感じる。
「ちいっ!」
鳳牙は金剛の硬直が解けるのと同時に大きく左側に逃げ、自分の身に起こった事を確認し、理解する。
「……何の真似ですか? 御影さん」
自分の脇腹に容赦のない居合いを叩き込んだ襲撃者、刀を抜いて泰然とその場にいる御影に怒りの視線を向けた。
「ふん。何の真似、か。真似ているのは手前らの方じゃないのか? 人工知能さんよ」
トントンと刀の峰で肩を叩きながら、御影は吐き捨てるように言葉を放つ。
「み……御影のじ――ひっ」
声をかけようとした小燕が小さく悲鳴を上げ、フェルドの背後へ隠れた。同時に、彼とアルタイルが戦闘態勢を取る。
鳳牙から見て取れる御影は、その顔を般若の様な形相に変えていた。今までに見た事が無いほどの、激怒の表情だった。
鳳牙は怯えてフェルドの背に隠れ続ける小燕を解放するため、
「何を言っているのか分かりません。フェルドさんの置手紙におおよその事は書いてあったはずです。大分はしょってますけど、貴方なら俺たちの状況を正しく理解してくれるはずだ」
御影に話しかける。怒りの視線の矛先は、すぐに鳳牙へと向けられた。
「手紙……手紙ね。ああ、読んだぜ。荒唐無稽もいいところじゃないか。引退したはずの人間が、実はゲームの世界に囚われているだって? ふん。そんな都市伝説、今日日もう流行らねえよ」
鼻を鳴らし、馬鹿にしたような口調で返答する御影。
そんな相手の様子に、ふつふつと鳳牙の内にも怒りが宿る。
「だからっ! 俺たちはゲームを引退なんてしてない。あの日から一ヶ月間、意識を失ってたんです」
思わず声を荒らげ、しかしすぐにそれを抑えて鳳牙は事情を説明する。
ああは言ったものの、書置きでは伝わりきらなかった可能性もある。だから、もう一度状況の説明をするつもりだった。
「一ヶ月、ね。それじゃあ、手前の現実世界の身体はどうなる? 一ヶ月もこっちにいたんじゃ、脱水症状なり栄養失調でお陀仏じゃねえか?」
突然表情から怒りを消した御影は、刀を持たない左手を大きく広げて肩をすくめて見せた。
痛い質問だった。その問に対する答えを、鳳牙は持っていない。
「それは……分かりません」
だから、顔を逸らさずにいるのが精一杯だった。相手の目をしっかりと見続けて、
「けど、ちゃんとした病院で治療を受けていれば一年でも生きます」
考えられる状況を踏まえた上でそう発言する。ゲームに囚われた人間が死なないで生きている以上、現実世界の肉体も何らかの方法で生き続けているはずなのだ。
「……ふん。そうだな。まあ、そうだったと仮定してもいい。だが、少なくとも五十人以上。いや、今日で七十五人か。そんで、最終的に百人だったな」
御影は冷めた目で鳳牙の視線を受け止め続けている。先ほどとはうって変わって、感情の揺らぎは微塵もない。
「それだけの人数が手前らと同じ状況だってんなら、確実にニュースになってるだろうぜ。だが、そんな話しは何処にも出ねえ。掲示板で騒ぐ奴もいねえ。それはどうしてだ?」
御影の鋭い、しかし当然の質問。
現実世界の状況を至極限定的にしか知る事が出来ない鳳牙たちには、論理的ではない仮説しか立てる事が出来ない。
「それは……」
今度は視線を外す事に耐える事は出来なかった。鳳牙は硬く奥歯を噛み締め、握りこんだ拳は小刻みに震える。
そんな鳳牙を見て、
「ふん。分からねえだろうよ。さすがにそこまでの情報は組み込まれていねえだろ」
御影は勝ち誇ったような笑みを浮かべた。そうしてより一層冷めた目で鳳牙を、そしてフェルドたちを見て、
「手前らがどうやって『あいつらの真似』をするに至ったのかは知らねえが、俺の知り合いを騙るのはいただけねえな。ああ、いただけねえ」
再びその顔に怒りの感情を表していく。
「ちょ、ちょっと待って下さい。なんで御影さんは俺たちがまるで、まるで偽物だというように決め付けるんですか?」
御影の物言いに違和感を感じた鳳牙は、その疑問を御影に投げる。
彼は最初から鳳牙たちの言う事をまるで信じていない。その理由が分からなかった。
「そりゃ、一月も音沙汰なく消えてたのは悪いと思いますけど、それは――」
それでも考えられる事柄を話そうとして、
「音沙汰無くなんかねえよ」
御影の言葉に絶句する。
「…………え?」
たった一言。その言葉を発するのに二十秒は使った。もしも御影が最初の様に切りかかって来ていれば、おそらく鳳牙は何も出来ないうちに死んでしまったに違いない。
御影の言葉は、鳳牙にそれほどの隙を生ませていた。
「御影さん。それ、どういう事なんですか?」
言葉を失う鳳牙に代わって、フェルドが問いかける。
御影はフェルドを一瞥するように顔を向けて、
「音沙汰無くなんかねえ。あいつらはあの日、神殺しに失敗したって報告を俺にして、そのままゲームを止めるって言ったんだよ」
今度は具体的な状況を含めて、そう説明した。
――どういう事だ……?
それはおそらく四人共通の思い。
気絶していて記憶が無い間の出来事に、自分たちが存在するという矛盾。主観的にはありえない事態だ。
「いきなりだったからさすがに俺も面喰ったが、まあゲームはゲームだ。引き止めるもんでもねえし、それっきりだった」
ふと、御影の表情に陰りが出る。悲しいとも、寂しいともとれそうな、そんな感情が一瞬だけ表れ、
「だから掲示板であいつらの名前を見た時はまた驚いたぜ。運営も悪趣味な事をやると思ったが、それがまさかここまでたぁな」
再び仇敵を見つけたかのような怒りが御影の全身を包んでいった。
「俺たちが、あの後で御影さんに会いに行った……?」
言葉の意味を確認するような独白だった。
「ああ、そうだ。確かに四人で来たぜ。昨日今日なら会話ログも残ってたが、さすがに一ヶ月以上も前のは残ってねえけどな」
その言葉にきっちりと返答し、御影は肩に乗せていた刀を風切りの音を立たせながら振り下ろして、
「あいつらの知り合いにもそれぞれで挨拶に行ったみてえだな。眼鏡司祭と筋肉忍者のギルドメンバーが俺の工房に来た時、そんな話をしてたぜ」
言いながら刃を鞘に収めていく。チンと小気味のいい鍔鳴りがした。
そこまでの会話で、鳳牙は合点が行った。
賞金首たち全員が理解していて、けれどまったく持って謎だった現象。
イベントについて一般プレイヤーがまるで疑いを持っていない、その理由。
鳳牙たちは突然行方不明になったわけではない事になっている。意識を失っている間に何者かがそれぞれに成りすまして、ゲームの引退を知り合いに告げて回ったのだから。
元々本当の名前も顔も分からないネット上でのつながりだ。現実世界でも会うような間柄でなければ、深く追求される事もない。
――いや、でもそれじゃあ――
疑問が残る。フェルドとアルタイルのように現実世界での知り合いがいるプレイヤーも巻き込まれているのだ。仮にその繋がり全てがまとめて巻き込まれているのだとしても、賞金首たちの意識は常時ゲームの中だ。現実世界の本体は魂の抜けた抜け殻のような状態になってしまっているはずである。
バーチャルリアリティ機器の利用者が百人もそんな状態になれば、絶対に何らかの騒ぎになるはずなのだ。だが、何度も確認しているようにそれが無い。
その理由を確かめるためにはゲームからログアウトしなくてはならないが、賞金首たちにはそれが出来ない。ならば――
――是が非でも現実世界の情報を手に入れられる手段を作るしかない。
「さあ、問答はこんなもんで十分だろう。せめてもの手向けだ。あいつらの知り合いの一人として、手前らは俺がこの手で引導を渡してやる」
決意を固めた鳳牙に、御影の決意の言葉が放たれる。それは彼なりの想い入れあっての行動で、つまるところ付き合っていたころの鳳牙たちをきっちり認めてくれている証明でもある。
だから、鳳牙はその想いに賭ける事にする。
「分かりました。でも、最後に一つだけいいですか?」
相手の目を見据え、強い意思を持った言葉を放つ。穏やかな、それでいてずしりと重い言葉。
「……ふん。いいだろう。だが、その言葉が終わった時が、手前の最後だと思いな」
鼻を鳴らして受けた御影に対し、鳳牙は静かに息を吸い込み、賭けの一言を言い放つ。
「もし俺が一対一で御影さんに勝ったら、頼み事を一つ聞いてくれませんか?」
「っ! 鳳牙!」
鳳牙の考えを察したフェルドが声を上げるが、鳳牙はそれを手で制した。
不安そうな視線を送ってくるアルタイルと小燕に対しても、鳳牙は強い意思を持つ瞳で黙っているように伝える。
「あん? 人工知能のクセに頼み事だあ? しかも、俺とタイマン張ろうってのか」
毒気を抜かれたような顔をして、御影が片眉を跳ね上げた。
最低限の警戒はしたまま鳳牙は構えを解き、
「ええ。御影さんは俺たちを討伐したいんでしょう? だったら、悪い提案ではないと思いますけど」
御影の反応をうかがう。
確かに御影は一流のプレイヤーだが、それでも鳳牙たち四人をまとめて相手に出来るほど常識外れというわけではない。
個人戦に持ち込まれれば各個撃破される恐れは十二分にあるが、集団で対処出来れば多勢に無勢だ。
それは御影自身にも分かっている事のはず。だからこそ、
「……いいだろう。人工知能にしちゃあずいぶんと面白え。いいぜ? 俺に勝ったら俺に出来る事なら何でも聞いてやろうじゃねえか」
御影が乗ってくる可能性は高い、と鳳牙は踏んでいた。
「ふん。ただし、無駄に長く戦うのも面倒だ。互いにアイテムやスキルによる回復は無し。それでどうだ?」
御影の提示した条件は、鳳牙にとってはさして問題ではない。鳳牙には相手がプレイヤーであればほぼ確実に一撃で仕留められるスキルがある。相手のヒットポイントが減っていようが減っていまいがお構い無しだ。
鼻を鳴らしてにやりと歯を覗かせている御影に対し、
「いいですよ。その条件でやりましょう」
コクリと頷いて承諾する。
「ところで、さっきの約束に二言はありませんね?」
「ああ。二言はねえ。これでも『武者』なんでな」
交渉成立。同時に、鳳牙は腰を落とし、身体を半身に開いて構えを取った。対する御影もまた、刀の柄に手をかけ、いつでも攻撃を放てる準備を整えている。
彼我の距離は歩数にして約十歩。鳳牙の間合いは約三歩からだが、刀という武器を手にする御影のそれは最低でも五歩以上はある。
――いや、さっきの斬撃を考えれば、実質この距離はもう御影さんの間合いの内だ。
鳳牙が金剛によって辛くも防いだ初撃も、今と同じ程度の距離があった。今はその時のように無警戒ではないので、御影もすぐには斬りかかっては来ない。
だが、少しでも気を抜けばすぐさま神速の斬撃が飛んでくるだろう。
――とはいえ、この距離でのにらみ合いじゃ俺の攻撃は届かない。
鳳牙は御影の動向を警戒したまま、ゆっくりと間合いを縮めていく。前の足を少しづつ前進させ、後ろの足はその都度引きつける様にして、上半身の構えを動かさずにじっくりと距離を詰めていく。
御影の方でもそれには気が付いているはずだが、全く微動だにせず居合いの構えを取ったままだ。やや前傾姿勢で前足に体重を乗せ、いつでも飛び出せるような体勢になっている。
鳳牙はじりじりと間合いを詰め、その距離が五歩ほどまで縮まった瞬間、全身の毛が逆立つ感覚を覚えて全力で後方へ飛んだ。
「つっ……」
腹部に焼けるような痛み。瞬間的に斬られたという事を理解する。
その証拠に、今の今まで鳳牙の立っていた場所に、陽光を反射する白銀の刃が存在していた。一瞬で間合いを詰めた御影の斬撃は、鳳牙の腹の皮一枚を切り裂いていた。
「鳳兄!」
小燕の悲鳴が上がる。思わず飛び出しかけていた身体は、フェルドとアルタイルによって押し留められていた。
そんな光景を視界の端に捉えつつ、鳳牙は着地と同時に再び構えを取り追撃を警戒するが、その視線の先で御影はゆっくりと刀を鞘に収めているところだった。
「……なるほど。今のをかわす、か」
刀を納めきり、御影が再び居合いの構えを取る。その表情は、野獣の笑みを想像させた。
今の回避行動で、彼我の距離は八歩ほどに広がっている。鳳牙は再びじりじりと間合いを詰め、今度は六歩ほどの距離を開けて前進を止めた。
しばしそのまま隙をうかがっていると、
「ふん。最近の人工知能は学習能力が高いらしいな。まあ、人の真似事が出来るくらいだ。そう驚くほどのもんでもないのかもしれんがな」
構えを崩さないまま、御影が鳳牙に話しかけてくる。
「そうそう何度も不用意に間合いに立ち入りはしませんよ。今のだってたまたまかわせただけなんですし」
「初撃もたまたまだって言うのか?」
「あれは、勘です」
その言葉に嘘偽りは無かった。なんとなく危ないと思い、鳳牙は金剛で防御したのだ。今思い出してみても背筋が凍る。もしも下手に避けようなどと思っていたら、間違いなく腹を大きく掻っ捌かれていたはずだ。
「かかかっ。今、『勘』と言ったか? 人工知能が勘だと?」
鳳牙の説明を聞いて、御影が声を上げて笑い始めた。刀の柄から手を離し、ぺちりと右半分を覆うようにして顔を叩く。
一瞬、それを好機と考えた鳳牙は攻撃を仕掛けようとして、覆われていない左眼から放たれる圧力に制されて思わず動きを止めた。
「くくくっ。面白い。その言葉、本当かどうか確かめてやろう」
愉快そうに笑い、御影は前傾姿勢からすっと身を起こし、納めていた刀を抜き放った。そしてそのまま、刀を大上段へ構える。
――速度の優先を捨てた……?
御影のその行動に、鳳牙は内心で首を傾げる。
御影の職業『武者』は、武器を刀剣とした場合まず一刀流と二刀流に大別される。御影のような一刀流の場合、居合い・大上段・青眼という、それぞれ速度・威力・バランスに適した三種類の構えを用いて戦闘を行う。
初手から今まで、御影は速度優先の居合いの構えを使っていた。それは身軽さに長ける鳳牙に対するため、最速の斬撃をもって仕留めるつもりだったという事だ。
実際その見立ては正しく、鳳牙は防ぎかわしたとはいえ、一方的に御影の攻撃に晒されて攻めあぐねいていた。あのまま居合いで攻められ続ければ、どこかで直撃を受ける可能性は十分にあったはずなのだ。
だというのに、御影は速度優先を捨てて威力優先の大上段へ構えを変えた。威力優先の大上段は居合いに比べてはるかに速度に劣る。
鳳牙にしてみれば、かわしやすい上に隙の多い攻撃になるのである。
自らを不利な状態に置く真意がまるで分らなかった。分からなかったが、
――大上段からの攻撃なら避けきれる!
今度こそは間違いのない好機と判断し、鳳牙は予備動作無しで急速前進を開始する。御影も初手に使用した剣士系・拳闘士系共通スキル『縮地』だ。最大で約六歩分の距離を一瞬で移動する接近技であり、近い間合いで使えばまさしく瞬間移動とも言うべき速度で接近が可能だった。
ただし、最大の間合いからの使用では相手側に十分過ぎる対応の時間を与えるため、五歩以内の間合いから使用するのが主流だった。
六歩の距離を一息に詰めた鳳牙はそのまま手を伸ばして御影に触れようとして、すぐさま直角に右へ跳ね、着地を踏込として御影の背後に回り込むと、再び縮地を使用して背後から強襲をかける。
――とった!
鳳牙は自分の動きに素早く反応して、足を入れ替えて構えを維持しつつ反転しようとしている御影を確認し、勝利を確信する。
速度に劣る大上段からの攻撃では、このタイミングで鳳牙へ振り返ってからでは遅すぎる。居合いであってもおそらくは同時かどうかというところだろう。
鳳牙は大きく手を伸ばし、振り返り終わったばかりの御影の鳩尾に掌を押し付けようとして、強烈な悪寒が全身を駆け巡るのを感じた。
突如周囲の空気が粘性を持ったかのように重くなり、高速で移動しているはずの鳳牙はゆるゆるとしたスローモーションのような動きに変化していた。
――なん……
それはよくある時間の遅滞現象にそっくりだった。意識だけが違う時間の流れに存在するような、そんな状態だ。
そして、その感覚は往々にして死ぬ間際の人間が走馬灯を見る時によく現れるものでもある。
鳳牙は遅滞した時間の中で少しづつ御影へと接近し続けている。伸ばした手はもう少しで御影に触れる。触れれば、鳳牙の勝ちだ。大上段に構えた御影の攻撃は――
――っ! 違う……大上段じゃない!?
その時、鳳牙は御影の構えが少し変化している事に気が付いた。頭の上で水平に構えられていたはずの刀が、今は御影の顔の横で垂直に立てられた状態で構えられている。
見た事のない構えだった。大上段に似ているようで、明らかに異なる構えだ。そして、瞬間的に鳳牙は悪寒の正体がその構えである事を悟った。
――間に合うか?
とっさに攻撃の中断を決定。鳳牙は金剛による防御に切り替えようとして、頭の中で肩口から一直線に分断される自分の姿を想像し、
「うわああっ!」
そのあまりのリアルさに悲鳴を上げて右方へ緊急回避を試みた。それとほぼ同時に鳳牙の悲鳴をかき消す、
「キィエエイッ!!」
それが人の叫び声なのかと疑いたくなるような大音声が発せられ、御影が刀を振り下ろしたと思った時には、鳳牙が到達しようとしていた場所の地面が爆砕していた。