5.強襲迎撃 カルテナの森の攻防
轟音と共に落雷が発生し、その都度大地が爆ぜていく。雷光は目を焼き、気を抜いた瞬間に視界を白く焼き尽くしてしまうだろう。
そこは雷神の領域というよりも、雷の遊び場と言う方がしっくり来そうなほど、無秩序な雷が暴れまわっていた。
「いやあ、聞くのと実際に見るのと、あとその中にいるのとじゃ全然違うね」
顔を引きつらせながら、フェルドが気分を落ち着けるためなのかずれてもいない眼鏡の位置を直している。
頭上にはチャットウィンドウによる吹き出しが表示されており、彼の台詞はそこに表示されている。
通常チャットでは雷の音が煩過ぎてまるで声が聞こえないせいだ。
「うぬ……これは凄まじいで御座る」
「うええ。なんも聞こえないなんも見えない」
アルタイルと小燕も同様に吹き出しを表示させ、両手で耳を塞ぎながらそんな文句を言っていた。
そして鳳牙は、
「……………………」
吹き出しを表示させず、うつむき加減にゆらゆらと揺れていた。頭の獣耳はぺたりと伏せられ、何故か立っているのがやっとという感じである。腰の尻尾も力なくだらんとうなだれていた。
その様子を不審に思った小燕が下から鳳牙を見上げて、
「鳳兄どう――うわっ! やばいまずいフェル兄! 鳳兄がうつろな目でグロッキーになってる!」
急に焦ったようにそんな長文を吹き出しに表示させた。
それを見て、
「あ、そうか。鳳牙って獣人だから、もしかしたら今の状態だと耳とか鼻とか普通の人間よりも敏感なのかも」
「うぬ。それは便利で御座るな」
二人がそんなのんきな答えを吹き出しに表示させる。
「フェル兄! アル兄も! そんな事言ってる場合じゃないよ早く移動しないと鳳兄が!」
怒りのエモートと一緒に小燕がジェスチャーを交えた発言を表示させ、鳳牙の手を取って避雷針の近くでくるくる回っているトランスポーターへ向かって行く。
フェルドとアルタイルは互いに顔を見合わせ、それぞれ肩をすくめたり頭をかいたりしながらその後に続いた。
そうしてトランスポーターによって移動した先は、先ほどまでの騒音が嘘のように静かな場所だった。
さわさわと駆け抜けていく風が、地面に生える草木をざわめかせていく音だけが聞こえてくる。
「鳳兄、大丈夫?」
「……ああ、なんと……か」
心配そうに見上げてくる小燕に対し、鳳牙はどうにか笑みを作った。
正直に言えば未だに耳がガンガンしている上、そのせいで視界がぐるぐる回転している。不意打ちの落雷による轟音と衝撃で、三半規管をひどくやられてしまったようだった。
――まさかそういった能力まで獣人化してるとは気が付かなかったな。
最近妙に気配に敏感になったような気がすると思っていた鳳牙だが、ようやくその理由を悟る事になった。
「どうだい鳳牙。ちょっとは良くなった?」
「……あー、はい。多分歩く分には。全快まではもうちょいかかりそうですけど」
実際、飛んだり跳ねたりはまだ難しそうだった。だが、ここがすでに『異端者の最果て』の外である事を考えれば襲撃を警戒して早く移動しなければならない。
鳳牙は多少ふらつきながらも一歩足を踏み出そうとして、
「そっか。それじゃあもう少し待とう」
フェルドの言葉に動きを止める。見てみると、当の彼は草の大地に腰を下ろした。
鳳牙の「何故?」という雰囲気が伝わったのだろう、フェルドが肩をすくめて、
「だって、僕らは今お尋ね者なんだよ? どこで誰に襲われるか分からないんだ。万全の体調で迎え撃つにこした事はないさ」
そんな事を言う。隣でアルタイルもうむうむと頷いていた。
「なんせ僕らの賞金合計額は三千万ゴールドだからね。慎重に行動してし過ぎるって事はないよ。ひとまず転送してきたばかりの内は安全度が高いって事なんだし、鳳牙の体調が戻るまではしばらく待機さ」
「うぬ。鳳牙殿が気にする必要はないので御座る。今後もっと大変な事態が起こるやも知れんで御座る。この程度の事を気にしていては互いにもたんので御座る」
「そうだよ鳳兄。鳳兄はパーティの主力アタッカーなんだから、鳳兄が欠けたらあたしたちも死んじゃうかもしれないんだからね」
「小燕。君のそれはちょっとしたプレッシャーだよ? それにそれを言うなら僕らは誰一人が欠けてもパーティーとして機能を失うんだから、全員下手な事は考えちゃ駄目だよ」
それぞれの励ましを最後にフェルドが戒める。
鳳牙は胸の内に、温かな感情が宿るのを感じた。
「そうですね。危ない橋を渡る事も多くなるんでしょうけど、とにかく生き延びて、何が起こってるのか知らないと」
大人しく鳳牙も地面に腰を下ろし、しばらくその場で休む事にする。そうして万全の状態を整えてから四人は移動を開始した。
主要な街道は当然避けて進んで行く。街道は最短の移動ルートのため、数多くのプレイヤーが利用しているためだ。
賞金狙いのプレイヤーではないとしても、不用意にこちらの存在を気付かせるのは得策ではない。
シルフェリシア大草原には森のように身を隠せる場所はないが、背の高い草が生えている場所なども多いため、屈みながら移動したりしゃがみ込んだりする事で一時的に身を隠す事は出来る。
実際に何度か一般プレイヤーに遭遇しそうになったが、四人は何とかやり過ごすことが出来た。
そんなこんなでどうにかこうにかカルテナの森に隣接するタウンエリア、『月森の町トリエル』へのトランスポーターへと到着する。
「さて、一応タウンエリアでは襲われる心配はないけど、移動直後はどうしたってトランスポーターの近くに出る事になるから、万が一誰かがいて見つかってしまった場合はとにかく町を走り抜けてカルテナの森へ入るよ」
トランスポーターへ進入する前に、フェルドが行動指針を確認する。
隣接フィールドの不人気により普段はほとんど人がいる事のないタウンエリアであっても、現在のバウンティハントイベント中においてはあまり楽観視するべきではない。
人の少ない場所ほど穴場という考え方も出来るためだ。
「あそこは目隠しになるものも多いし、何より薄暗くて視界が利き難い。草原の方へ後退するよりはマシなはずだから」
確かに隠れるという意味ではただっ広い草原よりも薄暗い森の方がずっと向いている。
その分敵も身を隠しやすいのだが、目的地である御影の工房へよく赴いていた事もあって鳳牙たちはカルテナの森のフィールドは熟知していた。地の利で負ける事はほぼないだろう。
「それじゃ、一気に行くよ。町に入ったらとりあえず左前方の空き家の影に。いいかい? 三……二……一……ゴー!」
フェルドの合図で全員がいっせいにトランスポーターに飛び込み、視界が切り替わると同時に打ち合わせ通り建物の影に潜む。
鳳牙はすぐさま辺りの気配を探り、ややあってからゆっくりと息を吐き出した。
フェルドが目で合図を送ってきたので、鳳牙はクリアの合図を返す。
「……よし。トランスポーターから見えない経路で迅速にカルテナの森へ入ろう」
全員で頷き合い、速やかに町の反対側にあるトランスポーターを目指す。
トリエルは相変わらずノンプレイヤーキャラ以外は無人だった。まるで人気のない道を進み、鳳牙たちはカルテナの森へのトランスポーターの見える位置で再び身を潜める。
「さてここからだ。全員、チャットを【ささやき】に設定して」
フェルドの指示が飛び、鳳牙はチャットの設定を【ささやき】に変更する。
声を外部に漏らさないためと、万が一声が届かないほど離れてしまった場合でもすぐに連絡を取れるようにするためだ。
『いいかい? まずはアルタイルが先行。周囲の状況を確認後、僕、小燕、鳳牙の順番で移動するよ』
『はーい。何でアル兄が最初?』
小燕が先生に質問するように大きく挙手する。パーティーの壁役である自分が先行するべきではないかと言っているのだろう。
その質問に対しフェルドは眼鏡の位置を直しながら、
『アルタイルの回避力ならもし向こうで襲われてもそう簡単に致命傷を喰う事はない。さらに足元に罠玉を撒けばうかつに近づく事も出来ないし、目隠しにもなる』
罠は即効性に欠ける分、効果範囲と持続性が優れている。不意を打たれてもすぐに罠を撒いて後退すれば、追撃を防ぐ事は十分に可能だ。
フェルドの立案に、鳳牙は無言のまま次の言葉を待つ。
『一人ずつ行くのは魔術師の範囲魔法対策。全員が一度に喰らったら回復が追いつかなくなるからね。まあ向こう側に敵がいたとして、その編成次第で撤退か応戦かが決まるけど。……アルタイル、君のもたらす情報が僕らの命綱だ』
『うぬ。大役に御座るが、見事果たしてみせるで御座る』
フン! とアルタイルがボディービルダーのようなマッスルポーズを取り、黒装束がはち切れんばかりに膨らんだ。
小燕がやんややんやと手を叩き、フェルドは顔を手で覆って盛大な溜息を吐いている。
――うん。いつも通りだ。
鳳牙はそんな仲間の様子を楽しい気持ちで見ていた。このメンバーならきっと大丈夫だと、根拠もない自信が湧いてくる。
『アルタイルさん、お任せします』
『うぬ。しからば、そろそろ行くで御座る』
アルタイルは周囲をきょろきょろと確認し、サササッとトランスポーターに接近。その勢いのまま鳳牙の視界から消えていった。
自然と鼓動が早くなる。まだ数秒しか経っていないというのに、すでに何分もの時間が過ぎ去ったような感覚だった。
そうして、
『……クリアに御座る。周辺には誰もおらんようで御座る』
アルタイルからの【ささやき】が入った。
誰ともなしに安堵の息を吐き出し、続いてフェルドが周囲を確認しつつトランスポーターに進入して行く。
『いいよ。小燕もこっちに』
すぐに合図が来て、小燕がガシャガシャと鎧をこすらせながらトランスポーターに向かって行く。
鳳牙はそれを見届けつつ、再度周囲の気配を探った。特定の場所から動かないタウンエリアのノンプレイヤーキャラには気配が無いので、今は誰の気配も感じられない。
『鳳兄いいよー』
小燕の【ささやき】を受けて鳳牙もトランスポーターへ接近し、そのままカルテナの森へ移動する。視界が切り替わると、先行した三人がすぐそこにいた。
『じゃあ行こうか。今のところ見つかった気配はないけど、ここからはなるべく先を急ごう』
『はい』
『うぬ』
『ういさー』
鳳牙はつい先日のようで、実際には一ヶ月以上も前に通った道を進んで行く。時折現れるモブをさっくりと倒しながら、四人は御影の工房へ急いだ。
そうしてしばらく進み続け、途中で鳳牙は小さな違和感を覚えた。
『……フェルドさん』
『なんだい?』
『何か、モブが少なくないですか?』
『そうかい? まあ、あの日は団体にぶつかったからね』
その対比で少なく感じるのではないか、というのがフェルドの返答だった。
確かに鳳牙としてもそう言われればそうなのかもしれないという思いはある。だが、ちりちりとうなじが焼けるような、全身の毛が逆立つ感覚がどんどん強くなっているのも事実だった。
移動速度をそのままに、鳳牙はより一層周囲に気を配る。カルテナの森には気配のあるモブが存在するため、ただ気配を探るだけでは何も分からない。だから、その動きに注意を払った。
――右前方に二体。通過した左に一体。……追って来る気配が無いな、今のはモブか。
進みながら、鳳牙は絶えず気配を探り続ける。頭の獣耳がピクリピクリと小刻みに反応していた。
――……左後方に気配が出たな。
突如沸いた気配を察知し、鳳牙はピタリと立ち止まってそちらの方へ視線を向けた。
『鳳牙?』
急に動きを止めた鳳牙に気が付いて、先を行っていた三人も立ち止まる。それらを背中で感じながらも、鳳牙はじっと気配のする方を睨み続けた。
ぱたぱたとリズムを取るように尻尾を揺らす。
…………ふう。動きはな――っ! いや、明らかに逃げて行った。今のは――
ギリッと奥歯を噛み締め、
『あっちに誰かいました。逃げて行きましたけど、多分仲間を呼びに行ってます』
鳳牙は全員に警戒を促がした。
『っ!』
『ぬ……』
『うぇ』
鳳牙の言葉を受けて、三人の顔色が変わる。
『急ごう。すぐに来ないのなら、その間になんとしても御影さんに会わないと』
『うぬ。戦闘の準備だけは万全に、速やかに移動するで御座る』
『全速前進!』
全員で頷き合い、四人は一列に森の中を進んで行く。
殿の鳳牙は全神経を後方へ集中させていた。
――今のところはまだ誰も分かる範囲には近づいて来ていない、か。でも、いつまでこのまま行けるか……
緊張感が心臓の鼓動を早める。誰も、一言も発さずに先を急ぎ続けていた。
そうやってしばらく走り続けて、
『見えたで御座る』
先頭のアルタイルから【ささやき】が飛ぶ。
『状況が状況だ。このまま飛び込みで工房に入らせてもらおう』
フェルドが冷静な声で方針を決定し、
『ええ!? 御影のじーちゃん間違ってあたしたちの事切り捨てたりしないよね……?』
小燕が不安そうな声を上げた。
『それは行ってみないとなんとも言えないな……』
『うぬ。それ以前に立ち入り許可がそのままかどうかという問題も御座るな』
『それも行ってみないとなんとも言えませんね』
目的地である御影の工房は、特殊アイテムで設置出来る個人用のホームだ。ギルドがタウンエリアに設ける事が出来るギルドホームに比べると非常に小規模だが、機能としてはほとんど変わらない。
設置者はホーム管理者権限を行使でき、ホーム内への立ち入り制限や対人戦の許可不許可など様々な設定を変更する事が出来る。
ちょくちょく足を運んでいる鳳牙たちは御影から立ち入り許可をもらっていたが、それはもう一ヶ月も前の話である。
公には引退した事になっている以上、場合によっては立ち入り許可を取り消されている可能性も十分にあった。
また仮に許可がそのままだったとして、連絡も約束も無しに人様のホームに飛び込むのだから、万が一何かの間違いで切り捨てられても文句は言えない。
『まあ、もうここまで来たら悩んでもしょうがないさ』
『うぬ。ままよ、に御座る』
アルタイルが速度を上げ、いち早く工房の扉に到達。勢いよく開け放って中に飛び込んだ。続いてフェルド、小燕、鳳牙と続く。
飛び込んだ工房の中は記憶にある限り前回来た時と大きく変化したところは見受けられなかった。だが、最大の違いが一つある。それは――
『いない、か……』
フェルドが走ったせいでずれた眼鏡の位置を直しながらやや重い溜息を吐き出した。
主、御影の不在。
工房の中には誰もおらず、ただ彼の愛用しているキセルがぽつんと作業台に残されているだけだった。
――くそっ。タイミングが悪かったか。
鳳牙は思わず工房の壁に手を叩きつけていた。
他の三人にしても、どうしていいか分からないといった感じに所在なさげである。
『フェルドさん。このままここにいても追っ手が来る可能性が高いです。いったん戻って、出直しましょう』
『……そうだね。あ――』
鳳牙の言葉に頷きかけたフェルドがはっと何かを思い出したように目を見開き、ごそごそとローブの内側を漁り始めた。そうして、ペンとメモを取り出してくる。
『書置きをしておこう。待ち合わせ場所を決めて、掲示板か何かに時間を指定してもらえば、僕らでも確認出来る』
『うぬ。妙案では御座るが、あまり時間もないで御座る』
『分かってる。一分で書くから』
言うや否や、フェルドは紙に高速でペンを走らせ始めた。瞬く間に紙に文字が記されていき、
『よし。終わり』
本当に一分とかからずに書置きを完成させた。だが――
『フェルドさん、もう、というか元々手遅れだったっぽいです』
扉をわずかに開いて外の様子を見ていた鳳牙は、すでに工房を取り囲む複数の気配を察知していた。
『うぬ。見える範囲で四人で御座るな』
『少なくともあともう一人はいます。遠距離系ですかね? もしも『魔術師』だったら厄介ですよ』
『アル兄と鳳兄なんで分かるの? あたし二人しか見えない』
同じ様に外を探るアルタイルと小燕も、それぞれに敵を視認しているようだ。そこへ静に近づいてきたフェルドも加わり、ちょうどトーテムポールか何かのような状態で全員が戸口に集まった。
『なんか、僕の苦労が無になったみたいでちょっと腹立たしいね』
きょろきょろと視線を巡らせるフェルドが、すっと手を伸ばして眼鏡の位置を調整する。たいした光源も無いというのに、そのレンズが妖しく輝いて彼の目を隠した。
実際フェルドの言う通りなので、鳳牙もアルタイルも小燕も何も言えない。
――さて、あまり馬鹿もやっていられないぞ。
鳳牙の感覚で敵の総勢は五人。内一人が見える範囲にいない。見える四人は一人が無手で他はそれぞれ何らかの鎧を着込んでいたり武器を持っていたりするので、おそらくは近接職系で間違いはないだろう。
――となると、やっぱり問題は見えていない一人か。
鳳牙は物理職系の遠距離型ならいくらでも対処する自信はあったが、魔法職系に関しては別である。今のパーティーで魔法耐性があるのは司祭のフェルドと装備品で魔法耐性を付加している小燕だ。
司祭のフェルドに直接戦闘は当然ながら不向きのため、小燕の運用がこの場を切り抜けるための鍵になる。
『さて、どうしようか?』
『さしあたって姿の見えない一人がどう攻撃してくるかですけど、もし魔法攻撃をしてくるようなら、小燕に突撃してもらうしかないと思います』
『あー、鳳兄もアル兄も魔法耐性低いもんね』
『然り。ならばその場合は、拙者と鳳牙殿で小燕殿の行く手を阻む輩を全力で排除する必要があるで御座るな』
仮にその場合、アルタイルが罠で牽制しつつ、鳳牙は各個撃破する形で障害を排除。小燕にはとにかく最優先で相手魔術師を殲滅してもらう他にないだろう。一時的にフェルドの防御がなくなるが、電撃作戦で瞬時にカタをつければ勝機はある。
『でも魔術師いなかったらどうするの?』
『その時は普通に戦えばいいさ。ただの物理屋なら何とか出来る』
『うぬ。見たところ名の知れたプレイヤーのようでは御座らん。いざとなれば罠をばら撒いて逃げるで御座る』
『……皆、勝手な事言ってるけど僕の苦労を――まあいいや。別に下策でもないし、さっきの案で行こう。タイミングは任せる。鳳牙、その見えない一人の位置を小燕に』
小さく溜息を吐いたフェルドが、矢継ぎ早に指示を飛ばす。パーティーのまとめ役兼作戦参謀の許可が出たとなれば、後はその指示に従うだけだ。
『アルタイルは最初から出来る限り罠をばら撒いて全体を牽制。数が減ったら各個撃破に移行して。鳳牙は小燕の進行上の敵を優先排除。リミテッドで必殺を狙ってもいいけど、吹き飛ばし系のスキルも織り交ぜて囲まれないように注意して欲しい。小燕は多少のダメージを覚悟して鳳牙の指示通り隠れている敵を殲滅。全員の命は僕が預かる。いいかい?』
鳳牙は無言で頷き、他の二人も同様に了解の意を示す。
『幸いこの程度の範囲だったら工房の入り口から魔法が届く。僕の事は心配しないでいいから、とにかく速攻で場を支配するよ』
『はい』
『うぬ』
『りょーかい』
全員の返事を受けたフェルドがすうと小さく息を吸って、指でカウントダウンを開始した。
鳳牙は扉に手をかけ、アルタイルの飛び出しを支援する体制をとる。
――四……三……二……一……!
フェルドの指がゼロをカウントし、
『八百万の神々のご加護を!』
CMOでよく使う言い回しと共にゴーサインが出た。
同時に鳳牙は扉を開け放ち、アルタイルの巨体が外に躍り出る。続いて鳳牙も外へ飛び出し、背後からは小燕の気配も続いていた。
『煌星忍軍流玉吹雪の術! とくと味わうで御座る!』
先頭を切ったアルタイルが四方八方に罠玉をばら撒き、それに混じるようにして周囲に潜んだ敵めがけて投玉を見舞い始めた。
「くそっ! もう気付かれてたか!」
「構う事はない。いざ、勝負!」
「最低でも五百万の首よ。絶対逃がしちゃ駄目だからね!」
囲っている側がここまでの急襲を受けるとは思っていなったのか、襲撃者側のプレイヤーたちはやや浮き足立っていた。
隠れつつも姿の見えていた四人が、応戦のためにその姿を完全に晒してくる。
――『騎士』。『拳王』。あの軽装のは、『剣聖』か? あとは『聖騎士』、と。
相手の編成を瞬時に確認し、鳳牙は呟くように【ささやき】に飛ばしてフェルドに伝える。と同時に、
『はあっ!』
鳳牙は自分に向かってきていた剣聖の女を先手必勝と言わんばかりに飛び蹴りで吹っ飛ばした。
「きゃあっ!」
剣聖は女性らしい悲鳴を上げて空を飛んでいく。
なかなかに反感を買いそうな光景だが、鳳牙にしてみれば命がけなのだからそんな些細な事は気にしない。それ以前に、ここはゲームの世界なので戦いに男も女も関係ないのだ。
「しゃっ!」
鳳牙の着地を狙って拳王がすばやい突きと蹴りのスキルを繰り出してくた。その上段蹴りを身体を逸らす事で、中段突きを身体をひねって掠らせながら回避し、流れるよう動きで相手の懐に自分の身体を滑り込ませて鳳牙は掌を相手の胸に押し当てる。
『破っ!』
遅滞なくリミテッドスキル『徹し』を発動。一瞬、相手拳王の身体が大きくビクリと震え、その全てから色を失って灰色となり地面に倒れた。
「げっ!?」
「一撃だと……?」
倒された拳王と隙をうかがっていた聖騎士の男が驚きの声を上げる。
鳳牙の持つリミテッドスキル『徹し』は、相手防御力無視の五倍ダメージを叩き込む大技だ。通常のモブはともかく、ヒットポイントの上限が三桁に収まるプレイヤーキャラに対してはまさに一撃必殺の威力を有する。
『ふっ!』
鳳牙はすぐさま驚いて棒立ちの聖騎士に攻撃を仕掛けようとして、
『ぐっ……』
急激な眩暈を覚えて思わずたたらを踏んだ。視界が霞み、景色も歪んでしまう。
「くっ! 何のスキルか知らんが、仇は討たせてもらうぞ」
その隙を見逃さず、聖騎士が剣を振るってきた。
――ちっ、やっぱり魔術師だったか。
鳳牙はなんとか初撃をかわして地面を転がり、
『リカバー!』
直後のフェルドの声と共に鳳牙は青白い光に包まれ、次の瞬間には嘘のように眩暈が消え去っていた。
『助かります』
お礼の言葉を返しつつも跳ね起き、鳳牙は聖騎士に相対する。
「ふん。持ち直したか。だが、俺の防御力はあいつとは段違いだぞ!」
鳳牙の繰り出す攻撃を大きな盾で防ぎながら、聖騎士の男は声を上げた。
『聖騎士』は『騎士』や『重戦士』に次いで物理防御力の高い職である。加えて、『僧侶』の使用出来る回復・支援魔法も使用できるため、準ヒーラーのような位置付けでもあった。
強固な防御で被ダメージを軽減し、いざとなれば自己回復が可能なため、ソロでもパーティーでもその生存率は抜きん出て高い。
「ははは。レア職とは言っても所詮は攻撃力の低い素手職。脆い拳王は倒せても、俺は倒せまい!」
鳳牙の攻撃で削られる自分のヒットポイントを確認して、聖騎士は高らかに笑いながら盾での防戦から片手剣による攻勢に打って出た。
鳳牙はステップを織り交ぜつつもその攻撃をかわしていくが、何回かに一度はいい攻撃をもらってしまう。
徐々に削られるヒットポイントの減少具合は、明らかに鳳牙の方が早かった。
「そらそらどうしたどうした!」
調子に乗った聖騎士は、回避しつつも反撃せずに逃げ回る鳳牙を追撃し続ける。その結果、彼は元々いた位置から大きく工房付近まで釣り出されてしまった。そして――
「ひっ!」
自分の背後から聞こえた悲鳴に驚いた聖騎士が思わず振り返る。その隙を逃さず、鳳牙は相手の腹を蹴りつけて無理矢理間合いを取った。
その間にちらりと悲鳴の聞こえた方を見れば、
『魔術師討ち取ったりー』
高々と大剣を掲げて勝ち誇る小燕の姿が見えた。その直後に彼女は最初に鳳牙が吹っ飛ばした剣聖の女と交戦に入り、つばぜり合いを演じ始める。
「き、貴様、最初からこちらの魔術師を……」
体勢を立て直した聖騎士が、怒りで真っ赤になった顔のまま全身を震わせていた。
鳳牙は無言のままくいくいと手招きをして挑発を仕掛ける。ついでにフンと鼻で笑ってやるのも忘れない。
「人工知能風情が!」
鳳牙の行為が相当気に喰わなかったらしく、聖騎士の男はがむしゃらな一撃を放ってきた。気合の入った容赦ない一撃は、受ければ確実に大ダメージを喰らってしまう。だが――
『……金剛』
鳳牙は腰を落とし、両の拳を突き合わせた姿勢のまま、相手の攻撃をまともに受けた。
聖騎士の片手剣は振り下ろされるままに鳳牙の左肩口から斜めの袈裟懸けに剣閃を――走らす事は出来なかった。
「しまっ……!」
鋼鉄と鋼鉄を打ち合わせたような音と共に、聖騎士の顔が不味いと言うように歪む。彼の振り下ろした剣は、鳳牙の左肩で完全に止まっていた。大ダメージを与えるはずの一撃は、わずかばかりのヒットポイントを削ったのみで、その威力を失っている。
防御スキル『金剛』の効果だ。数秒間だけ爆発的に防御力を増大させ、相手の物理攻撃を受け止める事が出来る。
――……それなりに痛いな。けど――
構えを解き、鳳牙は静かに聖騎士の白銀の鎧に手を触れる。相手は攻撃直後の硬直で動けない。その隙で十分だった。
――俺の勝ちだ。
意識を集中し、触れた掌から相手へ向けて渾身の一撃を放つ。
『破っ!』
鳳牙は聖騎士に『徹し』を叩き込み、その色を灰色へと変化させた。
「な……俺も、一撃……だとお!?」
驚きの声を漏らす聖騎士を無視して、鳳牙は視線を小燕の方へ向ける。
『と・ど・め・だあっ!』
小燕の飛び上がっての斬り下ろしを受けて、剣聖の女が灰色になって倒れるのが見えた。小燕はよっしゃあと言わんばかりに拳を振り上げている。
それを見届けて、鳳牙はアルタイルの方へ視線を移した。彼は工房の近くで最後の一人である騎士と交戦中だった。
「くっ。正々堂々戦え!」
『うぬ。忍者に対して何を言うで御座る。これが忍びというものに御座るよ』
アルタイルが騎士の動きを制限するように罠を配置して行き、動きが鈍ったところを狙って投玉をぶつけている。
騎士の方は持ち前の防御力で何とかアルタイルの攻撃をしのいではいるが、多数の罠に少しずつ、しかし確実にヒットポイントを削られていた。
たまに剣で切りかかりもするのだが、回避に優れたアルタイルには掠る事すら出来ない。騎士にとって物理職系の相性では忍者は最悪の部類に入る。
「おのれちょこまかと……。この卑怯者め!」
『それは褒め言葉として受け取っておくで御座る』
【ささやき】設定で会話は出来ていないはずなのだが、傍から見ている分には完全に成立しているのが鳳牙としては面白かった。
加勢するまでも無さそうだとしばらく眺めていると、懐に手を入れたアルタイルが何かを投げる素振りを見せた。しかし、鳳牙の目には何も映ってはいない。
フェイクだろうかと首を傾げていると、アルタイルが発動した罠を避けた騎士に投玉を投擲し、さらに罠から遠ざけるように仕向けた。
――誘導してる?
アルタイルの行動に鳳牙がそんな印象を受けた瞬間、
『滅』
突然相手に背を向けたアルタイルが、顔の前で二本指を立てつつぼそりと言葉を発した。
それに合わせるかのように、
「うわあああっ!」
騎士の姿が突如発生した無数の火柱に包み込まれる。数秒後に火柱が消え去った後には、灰色になった騎士が倒れ伏していた。
「な、何で罠が……」
『貴殿が知る必要はないで御座る。罠隠しの術は秘伝で御座る』
肩越しに倒れた騎士を一瞥し、アルタイルは静かに歩き始めた。
『ふー。これで殲滅完了かな? 皆お疲れ様』
それぞれの戦闘が終結したのを見届け、フェルドが工房の戸口から声をかけてくる。
見た目の派手さはないが、三人をサポートしきったフェルドが一番の功労者と言っていい。鳳牙もアルタイルも小燕も、フェルドの支援を信じているから全力で戦えるのだ。
『それじゃ、一度異端者の最果てに戻ろうか。もうここにいる事ばれちゃったし、また別のプレイヤーが襲って来ないとも限らない』
フェルドの提案に鳳牙も賛成だった。
襲撃に失敗した以上、撃退した面々の誰かが知り合いに【ささやき】を送ったり、掲示板に目撃情報を書いたりしかねない。
結局御影には会えずじまいだが、先ほどフェルドの残した書置きもある。ここは一時撤退が上策だった。
『物資にはまだ余裕はあれど、連戦は面倒で御座るな』
『だねー』
『それじゃあ、奥の一方通行からドルミナス高原へ抜けましょう。どうせならむこうからの帰還を試して見る方がいいと思います』
『そうだね。そうしようか』
方針を固め、それぞれに持ち物などを簡単に確認をする。その過程で、鳳牙は自分の持ち物ボックスに入ったままのアイテムを思い出した。
――そうだ。これを置いていけば。
鳳牙は御影の工房の中に入り、フェルドの残した書置きのそばに火之迦具土神の魂を残しておく。
書置きに加え、このアイテムが一緒であればきっと何らかのアクションを起こしてくれるだろうという期待を込めて。
『鳳牙、行くよ』
『はい』
呼ばれた鳳牙は工房を後にする。戸口から出る際、最後にちらりと工房の中を振り返った。
作業台に置かれた火之迦具土神の魂が淡い光を放ち、金属製のキセルの表面をわずかに光らせていた。