6.光陰表裏 彼女たちが望んだ未来
「本当にそれでいいのかい?」
テンガロンハットを手で押さえたどんどらは、目の前にいるミコトに尋ねた。その表情を見ればそれが聞くまでもない事だと分かっているのだが、それでも彼は聞いておきたかった。
「確かに俺は君のためならなんだってするよ。死ねと言われたらすぐに死ぬし、矛盾するかもしれないが君が君を殺せというなら笑って君を殺そう。なんだってするっていうのは、それくらいの覚悟を持った上で言っているんだからね」
妄信的、というにはいささか違う。かといって狂っているわけでもないのに狂信的といわれるのは癪だが、はたから見ればやはり自分は狂っているのだろうとは思う。
いかにその存在が虚構の作り物であるとはいえ、確立した自我を持つ存在を虐殺したのだから。
「それは分かっています。ですが、これは仕方のない事なのです」
ミコトの表情は動かない。強い意志が決意となって表れている。それをどんどらはとてもきれいだと思った。全てが虚構である世界の中で、彼女だけが現実で、それ以外はいらなかった。
「仕方がない、っていうのはちょっと違うよ。それだと誰かに決められたみたいに聞こえるじゃないか。俺たちは自分たちで決めたんだ。俺は最初から君のために全てを捧げると決めていた。そして君は今、自分の意思でそれを決めた。だったらこれは仕方のない事じゃない」
そう。これは自分たちの選択だ。その結末が何であれ、誰かに決められたものではない。押し付けられたものではない。むしろこれは自分たちが決定し、そして押し付けるものだ。
当然にして反発が起きるだろう。きちんと説明出来れば違うかもしれないが、ここへやってくるであろう彼と彼女はこちらの言う事に耳を貸さないだろうし、もとより説明する気がない。
「なるようになるさ。もし危なくなったら助けてくれてもいいけど、たぶん君たちはお互いに牽制しあって動けなくなるんだろ?」
「……ええ。あの子は頑固なところがありますから、私が邪魔をしないように制限してくるでしょうね。だから、最終的には貴方次第になります」
ミコトの言葉に、どんどらは少し困ったような表情を作る。
「だから、俺は君の――」
「貴方が選んで下さい。正直な話、今さっき話した事は半分本心で半分は嘘です。そして最初に思っていた事もまた、半分本心で半分は嘘です。私はどちらの結果になっても後悔するでしょう。だから、これに関しては私に基準を求めないで下さい」
その言葉は少なからず彼に衝撃を与える。全ての行動基準を彼女のためになる事においてきた彼にとって、何をしても、何もしなくても彼女のためにならないという事は初めてだったからだ。
それはつまり、行動基準の全てを否定されてしまったという事になる。
だがそのショックも大して長くは続かず、
「……そうか。うん。分かった。どちらにしても君を後悔させてしまうというのなら。どう頑張っても君の望みを叶えられないのだとしたら。俺は俺の望みを叶えよう。俺がしたいように、俺のためだけに君の望みを叶えよう。それでいいんだろう?」
ミコトの言葉に対する自分なりの回答を見出した。自分で選ぶ事が彼女の望みであるのなら、その通りにしようと思ったのだ。
見据える先。メイド服姿のままのミコトが黙って頷いている。
その瞳に宿るのは、相反して矛盾する決意と迷いの色。迷っているのに覚悟を決めており、覚悟を決めているのにまだ迷っている。そんな不安定さが、どんどらにはたまらなく愛おしかった。だから――
「あ……」
彼はミコトを抱きしめていた。自分という存在をくれた彼女。この世でただ一人、誰かを愛するという事を教えてくれた存在。
「決めたよ。俺は――」
◆
その場所は第一、第二階層とは異なり両扉で仕切られている小部屋だった。その場所には、鳳牙とハルナの二人しかいない。
突入時には六人いたのに、四人は自らの意思で礎となってしまった。自分たちが存在した証である記憶を、残る二人に託して。
「………………」
「………………」
重苦しい沈黙がその場を支配していた。鳳牙も、ハルナも、互いに一言も発さない。束縛の解けた鳳牙は膝をついて呆然としており、彫像のように微動だにしないハルナは沈痛な表情でそんな鳳牙を見つめている。
時が止まってしまったかのようなそんな光景は、
「……なあ、ハルナ」
ぼそぼそとした鳳牙の声によって再び動き始めた。彼は壊れかけの人形のように首を回してハルナへ視線を向け、
「なんで俺は、俺だけはここにいるんだ?」
そう尋ねた。それは四人を犠牲にして生き残っている事へのものではなく、そもそもなぜ自分だけが巻き込まれた存在であるのかという事に対する問いだった。
なぜ全員をコピー体にせず、鳳牙だけをそのままゲームに閉じ込めたのか。その本質を問う言葉だ。
「…………ありていに言えば人質、です。今回の事を起こすにあたって、AA社側に対する脅しとして誰か一人を閉じ込めてしまうという事自体は、姉さんがこの計画を立案した最初期の段階で決められている事でした」
人質。言われれば確かにそうだと鳳牙は納得出来る。ハルナとミコトが今回の件を維持出来ているのは、つまりはそういうわけだったのだ。鳳牙の命を盾にする事で、AA社側を牽制する。もしもバーチャルリアリティ関係で死者を出そうものなら、いったいどれだけ波紋が広がるか分かったものではない。
「人質は、本来ならだれでも良かったはずだったんです。けれど、姉さんは貴方を――鳳牙を選んでしまった。私と関わっていたという理由で。たぶん、私に対する枷の意味もあったんだと思います。計画を実行する直前の段階では、私はかなり姉さんの計画に否定的でしたから」
「…………そう、か」
考えてみれば、最初に彼女が鳳牙を迎えに来たことから始まり、事ある毎にやってきていたのは様子を伺いに来ていたのだろう。そのくらいの事は彼女の権限をもってすれば簡単に出来たはずだ。
そうして自然な流れで鳳牙たちのギルドホームの管理人に収まった。おそらくは見えないところでもいろいろ手を回してくれていたのだろう。そのれが彼女なりの誠意だったのだ。
「は……ははっ……はははは――」
「……鳳、牙?」
沈痛な表情を崩さなかったハルが、壊れたように笑う鳳牙を見て一転して驚きの表情に変化した。
だが鳳牙は彼女のそんな変化には気が付かず、乾いた笑い声を上げ続ける。
「ハルはずっと、俺を守ってくれていたんだよな。さっきだって、もしハルナが止めてくれなかったら俺は、皆の気持ちを台無しにするところだったんだもんな」
「っ! それは――」
「違わないさ。ハルナのやった事は正しかった。俺は間違っていた。それでいい。そうじゃなければ皆が間違ってた事になる。皆のやった事が無駄になる」
そう。鳳牙は皆の選択を否定出来ない。おそらくはもっと別の方法もあったであろう中で、あえてこの選択をした皆の意思を否定したくない。
だから今のこの気持ちは間違いなのだ。全身を掻き毟りたくなるような痛みと辛さを感じる事は皆の選択に対する冒涜なのだ。だから間違っているのは自分だ。間違っているなら正しい方に進まなければならない。
「そうさ。俺は帰らなきゃいけない。皆の選択は間違ってないんだ。だから俺は絶対に――」
突然、鳳牙はハルナに抱きしめられた。視界のほとんどを塞がれ、頭に回された手で固定されてしまったために首を動かして確認する事は出来ないが、鳳牙を抱きしめる彼女は震えているようだった。そして――
「鳳牙は……間違ってない。間違って、ないよ……」
それはどうにか絞り出したような言葉だった。その体と同じく震えた声。なにかの痛みを耐える声。
「……けど、だけどそれじゃあ皆が間違ってる事になる。皆の思いが正しくない事に――」
「ならないよ!」
より強い力で抱き締められ、耳元で叫ばれた大声に雷にでも撃たれたかのように鳳牙は全身を硬直させた。尻尾の毛も全てが逆立ち、しかし波が引くようにすぐに収まっていく。
「鳳牙は間違ってない。皆も間違ってない。間違ってたのは私たち。私と姉さん。だから、だから皆は間違ってない。鳳牙も間違ってない!」
強い否定の言葉。彼女の言葉は鳳牙の中にしみ込んでいき、何かを押し流していく。その瞬間、鳳牙は目の前が開けたような気がした。暗雲の立ち込めていた空に、透き通るような青空を見た気分だった。
「大丈夫だから。私が鳳牙を守るから。鳳牙の中にある皆を守るから。だから大丈夫。大丈夫だよ……」
ぽたりと、鳳牙は自分の頬に水滴が当たった事に気が付いた。その事にはっとして、いつの間にか拘束が弱まっていた頭を上に向けると、潤みきった闇色の瞳と出会う。そこにいたのはハルナではなかった。取り戻した記憶の中にいる、ハルだった。
「ハル……」
泣き顔にそっと手を伸ばす。頬を濡らす滴が指先に伝わり、冷えた感触と肌の温もりを同時に感じる。
「ハル……」
鳳牙はその場で立ち上がり、再び彼女を真正面から見据えた。
いつかのように涙でぐしゃぐしゃになってしまったハルの顔を見て、彼は胸を締め付けられるような痛みを覚えると同時にとてつもない不安も覚えた。
それは蘇る記憶の中。この顔になった彼女が彼の前から姿を消してしまったという出来事に対するトラウマだろう。いまだ胸の内には激しい後悔の念が渦巻いていたはずなのだが、この一瞬だけは他の全てを忘れてしまった。
ごく自然な、しかし有無を言わさない勢いで――
「っ……」
鳳牙は逆にハルを抱き締めていた。きつく、強く、決して離さないというように。
それに対し、ハルはただされるがままになっていた。衝動的に動いた鳳牙は力の加減を考えておらず、それなりの痛みも覚えていたというのに、少しの声も漏らさなかった。
あたりは静寂に包まれている。抱き合う二人は動かない。世界に置き去りにされてしまったかのようなその光景は、しばらくの間続けられた。
◆
コツコツと机を指で叩く音がその空間の中に響いていた。
音を多々ている指の持ち主は、その空間の主たる男――総司だ。彼はデスクの席についてじっとパソコンの画面を眺めていた。
表示されているのはCMOのゲーム内掲示板だ。そこには今朝から特殊クエストに失敗した旨の書き込みとそれに関する議論が活発に行われている様が映し出されている。
「妙、としか言いようがないですね」
誰かに聞かせるわけでもないのだが、総司はあえて声に出した。それは胸の内で先ほどからずっと呟き続けたせいで、いい加減飽きたという事もある。
彼はカタカタとキーボードを操作して別のウィンドウを表示させ、一つの個人情報を引っ張り出した。
その個人情報は、御影とともにAA社から掠め取った九十九人の内の一人。そして唯一その所在をはっきりさせる事が出来ていない人物だった。
「大鳥圭介。十七歳の高校二年生。なるほど。大鳥だから鳳という事ですか。分かってしまえばいくらでも関連性を推測出来るものですね」
ツンツンとディスプレイを指で突き、総司は改めて表示させた個人情報を読み込んでいく。
幸いなのか現住所が総司の事務所から駅五つ程度しか離れておらず、簡単な調査はすでに終了していた。その中で話に聞いていた意識を失ったという日を境に家族の様子がおかしくなった事や、本人の姿を何ヶ月も見ていないという情報も手に入れている。
そしてこの少年が収容されているとみられる病院も特定済みだ。家族の行動を把握する事で場所はすぐに割れた。割れたが、そこから先に手が出せないでいる。
完全に赤の他人である総司が隠匿されている彼の下へ見舞いに行く事など不可能だし、デジタル側ではどうやら相手側も総司が場所を特定した事に感付いたらしく、もはや他の隠ぺい工作は必要ないと言わんばかりにその場所を徹底してガードしているのだ。
彼自身情けない話だとは思うが、そのガードに対して今のところ全く手が出ないのである。
――うーん。
あとはもうこの情報をマスコミにでも流すかという話だが、それに関してはさすがに自重している。三条夫妻との約束を反故にするわけにもいかない。
――あと何か出来るかもしれない事といえば、存在しない百人目が何者なのか特定する事なんでしょうけどね。
九十九人のデータを調査した事で、各賞金首に対して現実世界の人物との照合は済んでいる。そしてその照合の結果、『どんどら』という賞金首の個人データだけが存在しない事も分かっていた。つまりは、彼が存在しない百人目という事になる。
ゲームキャラクターからの調査も試みたが、ちらちらと過去の彼を知るものから話は聞けたものの、基本的に完全なソロプレイヤーとして活動していたらしく、野良パーティーの類も全く参加していなかったらしい事が分かっている。
総司の聞き知った限りでの人物像は、十代から二十代の男性。ほぼ一日中ゲームに接続していた事から引き籠りの類の生活をしていたと考えられた。
しかし分かったのはそこまでで、いったいどこの誰なのかはいまだに謎である。リアルタイムに接続されていれば引っこ抜きも出来たというものだが、過去の話をしてもどうしようもない。
「百人の賞金首。虚構の九十八名。たった一人の被害者。存在しない最後の一人。いったいなんなんでしょうねこれは」
考えれば考えるほどに分からない。この一連の出来事の行く末がどこに向かう事になるのか。最終的にどんな結果に落ち着くのか。
おそらくはもう総司に出来る事は何一つとしてない。ここから先は、なるべくしてなるようになるだけだ。
「私もまた、ただ待つ事しか出来ないという事ですか……」
背もたれに深々と身を沈め、総司は静かに目を閉じた。
◆
腕に抱く相手の鼓動が伝わってくる。その鼓動は、自然と自分の鼓動に重なっていた。二つの鼓動が一つになり、大きな音となって身体の中に響き渡る。
優しく。懐かしく。そして暖かい音。
不思議な感覚だった。嵐のように暴れまわっていた種々の感情が、いつの間にかどこにもない。凪の海面のように、穏やかになっている。
「………………」
そっと、鳳牙は腕の拘束を解いた。それに合わせて少しだけハルの身体が離れ、重なる鼓動は再び二つに分かれた。
離れた彼女はうつむいていて、鳳牙からはその表情を伺う事が出来ない。だが、とにかく何かを言わなければならないと思い、
「……その、ごめん」
どうにかそれだけを言葉にした。
覚悟の出来ないままでいろいろな事が起き過ぎて、今にしてみれば完全に我を失っていたと鳳牙は思う。加えて妙な不安を覚えていきなり、しかも手加減せずに抱き締めてしまったのだから、まずは謝るべきだろうと思っての発言だった。
「………………」
しかしハルは何も言わない。うつむいたままで黙っている。
すわ怒らせてしまったかと焦り、鳳牙は腰を落として相手の顔を伺おうとした。だが、なぜかぷいっと顔をそらされてしまう。
――え?
中腰状態のままそっぽを向かれてしまった鳳牙は困惑の表情を浮かべ、やはり怒らせてしまったのだと思って、
「えっと、その……ほんとにごめん。痛かったよな」
パンと両手を合わせて頭を下げるが、やはりハルは何も言わずにそっぽを向いたままだった。さてどうしたものかと悩んでいると、
「ん?」
鳳牙はそっぽを向かれたことで露出した彼女の形の良い耳が真っ赤になっている事に気が付いた。そこは別に押さえつけていた場所ではないので、鬱血してしまった事による赤ではない。
という事は――
「……なあハル。えっと、耳、赤いぞ?」
「っ!」
指摘に驚いたのか、ばっと向けてきたハルの顔はやはり耳と同じく真っ赤になっていた。その姿にどきりとして、鳳牙もまたやや顔の表面温度を上げてしまう。
真っ赤な顔のまま、ハルはいつかのようにぷくっと頬を膨らませていた。やはり怒っているには怒っているようだが、久しぶりに見るその姿に鳳牙はつい、
「……ブフッ」
抑えようとして漏れた息が変な笑い声となってしまう。
「………………」
途端、見る見るうちに顔の赤を引かせたハルがジト目で非難の目を向けてきた。不機嫌な時の彼女の癖だ。思い出してみれば、鳳牙は度々そんな顔を向けられていたような気もする。
しばらくそんな彼女に睨まれ続けていたが、ふいにその表情が柔らかなものになった。そうして、
「……もう、大丈夫?」
ハルはそんな気遣いの言葉を口にする。
そう言ってくれるだけで十分だった。鳳牙は自分でも驚くほど冷静になっている。悲しい気持ちがなくなったわけではない。辛いと思う気持ちが消えたわけじゃない。それらの感情はまだ自分の中にあって、しかし奥底に沈めて眠らせているだけだ。
きっと、この感情はこの先ずっと無くならない。時とともに意識する事はなくなっていくだろうが、死ぬまでそこに眠り続けるだろう。この身に刻まれた悲しさと辛さは、忘れる事のない記憶になる。
「……ああ。大丈夫だ」
だがそれでいいと鳳牙は思う。辛さの記憶はより強く、そして濃く残される。だからそこから楽しかった事や嬉しかった記憶を呼び起こす事も出来るだろう。
鳳牙の記憶に残り続ける限り、虚構は現実になる。彼らの存在を肯定出来る。その胸の内に宿る感情は、紛れもない本物なのだから。
「……行こう。この扉の向こうに、二人が待っているんだろ?」
両扉に視線を向けて、鳳牙はハルに問う。
彼女はその問いに答えようと口を開きかけて、しかし一度閉じてしまった。そうして少しの間目を伏せたかと思うと、
「うん。その先に、あの人と姉さんがいるよ」
完全にハルナではなくハルの口調でそう答えた。
彼女なりに何かを決めたのだろう。鳳牙としては先ほどからハルと呼びかけているせいか今の方がしっくりくる。
「よし」
鳳牙は両扉に手を当て、ゆっくりと力を入れる。蝶番が錆びついているのか、扉は耳障りに軋む音を立たせながら押し開かれていった。
そうして広げられた境目の向こうには、第一階層や第二階層とは趣の異なる大部屋が存在していた。
石の床は一面が灰褐色に染まり、その中央には揺らめく影の代わりに台座のようなものがある。天井は視認出来ないほどに高く、その先はまるで太陽を直視するかのごとき白光によって隠されていた。
「やあ。やっと来たね」
声をかけられて、鳳牙は視線を水平に戻した。台座を挟んだ向こう側。扉を開けた時には誰もいなかったはずの空間に、二人の人物が佇んでいた。
テンガロンハットを片手で押さえつつ、しかしその激烈な意志を宿した真紅の瞳で射抜いてくるどんどら。
そのやや後ろに控える、変わらぬメイド服姿で薄い笑みを浮かべているミコト。
両者を睨みつける鳳牙に対し、
「さっさとはじめようか。言いたい事があるなら言ってくれてもいいけど、ただ黙って聞くのは面倒だからじっとはしてあげないよ?」
どんどらがぴんとテンガロンハットのつばを弾いて見せた。
確かにそうだ。鳳牙とてじっくり腰を据えての話し合いなど求めてはいない。
「願ったり叶ったりだ。今度こそお前をぶっ飛ばす。それで、全部終わらせてやる!」
右の拳を突き出し、鳳牙は犬歯をむき出しにして笑みを作った。
「姉さん……」
ハルもまた自らの姉を睨みつける。それは元の目的を捻じ曲げてまで、先の無い未来を求めてしまった彼女に対する怒りだった。
「……そう。もう仮面を被る事は止めたのね。うん。そっちの方がずっといいわ。さあ、見届けましょう。私と貴女。お互いに選んだ人の晴れ舞台を」
それは不思議な笑みだった。複数の感情が入り混じった結果、無色透明になってしまったような、そんな笑み。
「合図は必要かい?」
目にもとまらぬ動きで左のホルスターから銃を引き抜き、即座に撃鉄を起こして構えるどんどらが問う。
「必要ないな。好きに始めればいい。これは西部劇の決闘じゃないんだ」
やや体勢を前傾させ、重心を移動させて飛び出す準備を整えた鳳牙は答えた。
そう。これから行われるのは試合でも決闘でもない。ただの死合いであり、言うなれば血闘だ。殺し合いだ。
勝ったものだけが望む未来を手に入れる。そういうルールだ。
「始めるべくして始めればいい。好きなように。思うように」
「なるほど。確かにそれには同感だ。それじゃあ――」
鳳牙の言葉を受け、嬉しそうに笑ったどんどらが銃を持たない右手で懐を探ったかと思うと、彼はそこから一枚のコインを取り出した。それを鳳牙に見せつけるようにして示すと、
「――好きなように始めさせてもらうよ」
言葉尻に合わせてコインを指で弾いた。
場違いなほど澄んだ音が辺りに響き、光を反射するコインはきらきらと輝きながら宙を舞った。そうしてすぐに重力に囚われて落下を始め、
「っ!」
「っ!」
床に落ちて一際甲高い音が奏でられた瞬間、強く床をける音と乾いた銃声が同時にそれをかき消した。




