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Chaos_Mythology_Online  作者: 天笠恭介
第五章 リベレイター
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5.未来託繋 その屍を越えて行け




 そこは小さな石造りの壁に囲まれた小部屋だった。目の前には外へ通じる扉の無い出入り口があり、その向こうにはかなり大きな空間が広がっているようだ。

 見た目はアドラ城のそれと似ているが、あちらのような不気味さはない。


「ここが塔の第一階層です。あの中心部でゆらゆらと揺れている影が階層モブになります」


 きょろきょろと鳳牙が周囲の確認をしていると、ハルナがすっと指を差した。

 その指し示す先を目で追うと、確かに妙な黒い揺らぎが炎のように存在している。定まった形を持っていないようだった。


「あれの探知範囲内に入る事で戦闘状態に移行して形が決定されます。探知範囲はあれを中心として床の色が異なる範囲になりますので、その外側を通ってあれの真後ろ、つまり私たちがいる場所から正反対の位置にある二つのレバーを同時に操作する必要があります」


 ハルナの説明通り、確かにくすんだ石の色をした床の一部がそれとわかるほどに錆色をしている部分がある。もう少し視線を高くしないと全体が分かり辛いが、おそらくは黒い影を中心とした円形になっていると思われた。


「うぬ。しからば時間も惜しい故、早速行って来るで御座る。皆はここに待機していると良いで御座るよ」

「ちょちょいっと行ってくるのですよ」


 先に一人分しか隙間の無い出入り口から小燕が大部屋へ飛び出して行き、その後にやや壁に引っかかりそうになりながらもアルタイルの巨体が続く。

 その迷いの無い動きは頼もしくもあったが、鳳牙はふとそんな二人の姿に何やら不吉な色を感じたような気がして、


「アルタイルさん」


 思わず彼の大きな背中を呼び止めていた。


「なんで御座るか? 鳳牙殿」


 しかし当の彼はいつも通りの様子で首を傾げながら振り返り、そうして鳳牙を見て少しだけ目を見張ったかと思うと、


「うぬ」

「っ……」


 いつかのように鳳牙はその大きな手を頭に乗せられてわしわしとかき回された。

 なんとなくいつもより長くかき回されたあと、


「心配御座らん。なるようになるで御座るよ」


 アルタイルは静かな声でそう言って、鳳牙の頭から手を離した。


「アル兄先行っちゃうよー」

「うぬ。すぐ行くで御座るよ」


 そうして小燕に呼ばれるままに、再び背を向けて歩み出す。探知域を示す錆色の床の範囲はそれなりに広いので、奥へ向かっている二人は大きく回り込みながら広い空間を進んで行った。


「鳳牙様。あまり前に出られると転送範囲外になってしまいます」

「え? ああ――」


 背後から声をかけられ、鳳牙は自分が今にも広間に出てしまいそうな位置まで移動している事に気が付いた。促されるままにその場から下がり、改めて広間の方へ視線を戻すと、ちょうどアルタイルの大きな身体と小燕の小さな身体が黒い影の向こうに消えるところだった。

 そろそろ連絡が来て仕掛けを作動させる事だろう。


『うぬ。所定位置に着いたで御座る』

『こっちもおっけーなのですよ。……もう倒してもいい?』


 はたして二人から準備が整った旨を伝える【ささやき】が送られてくる。


『lib。アルタイル様。小燕様。こちらは――』


 ふいに、ハルナが言葉を切ってしまった。それは塔へ入る前にも見せた逡巡で、つまりはあの場では聞けなかった隠し事に関係する事だと鳳牙はすぐに気が付く。


 ――なんだ?


 決定的なずれが生じている気がした。自分だけが知らない隠し事。他の面々だけが知っている何か。躊躇いを見せるハルナと、躊躇いを見せないアルタイルと小燕。

 鳳牙はばっとその場にいる者たちの様子を確認した。


 ――おかしい。


 ハルナが目をそらした。ステラが悲痛な表情で、しかし強い意志を秘めた視線で見返してくる。そしてフェルドは――


『二人ともやってくれ』


 鳳牙と目を合わせる事なく苦痛に耐えるような表情で指示を出した。


『相分かったで御座る。それではいくで御座るよ小燕殿。……皆、武運を祈るで御座る』

『あいさーアル兄。……フェル兄もステラ姉もハル姉も、鳳兄をよろしくね』

『なっ……』


 その物言いに、鳳牙は強烈な違和感を覚えた。むしろ武運を祈らなければならないのはこれからトラップとモブをかいくぐって戻ってこなければならないアルタイルと小燕の方だ。だというのに、なぜ彼が鳳牙たちの武運を祈るなどといったのだろうか。

 それと、小燕があんな事を言った意味が分からない。なぜ自分に限定するような言い方をしたのだろうかと、鳳牙はその胸の内に妙な不安が爆発的な勢いで大きくなるのを感じ取った。


『二人とも――』


 一体どういう事なのかと問おうとした鳳牙の言葉は、


『さらばで御座る』

『ばいばい』


 アルタイルと小燕の別れの言葉によって潰され、同時に景色が暗転し、鳳牙の視界から二人と共有している世界を奪った。



    ◆



 タイミングを合わせてレバーを操作した瞬間、アルタイルは自分の認識している世界が一瞬にしてぐちゃぐちゃに混ざってぐにゃりと歪む様を見た。そのいきなりの変化に思わずバランスを崩しかけるが、幸いにしてレバーを掴んでいたために倒れ込むような事にはならない。

 同じように足をもつれさせていた小燕も、やはりレバーに寄り掛かる事で転倒を避けている。


「大丈夫で御座るか? 小燕殿」


 アルタイルは小燕を気遣いつつ大きく息を吐き出し、ぐちゃぐちゃに歪む世界が補正されるのを待った。そうしてすぐに視界が元に戻ると、今度は大きく深呼吸をする。気持ち悪さは嘘のように消えてしまっていた。


「何とか大丈夫。さっきまで吐きそうだったけどもうなくなった」


 ふるふると頭を振っている小燕を確認し、アルタイルは少しだけ安堵する。


「これで最初の仕事は終了に御座るな。あとは――」


 すっと視線を向ける先。そこには今まで揺らめく炎のような影が踊っていたのだが、今は一人の人物が佇んでいる。

 それは忘れもしない相手の姿。我が身に受けたあの衝撃は、今なお忘れてなどいない。


 動きやすさを重視した軽装の闘衣。武器を持たぬ無手の姿。そして、顔の上半分を覆う妙な仮面。

 それはあの日にアルタイルを屠ろうとした仮面の拳王だ。鳳牙と同じく一撃必殺の徹し使い。


「うげ。あいつあの時アル兄をやってくれたやつだ」

「よもやここで再び相まみえようとは思わなかったで御座るが、ちょうどいいで御座る。拙者のこの命果てる前に、あの時のお返しをさせてもらうで御座るよ」


 アルタイルがタケミカヅチを抜き放ち、次いで小燕もクラミツハを構える。双方の指先から黄色い光を放つ鱗粉のようなものが散り、きらきらと輝く。それは特殊なエフェクトか何かのようで、全く異なるものだった。

 よくよく見てみれば、その黄色い燐光は装備品を含めた身体の節々から発生しており、二人の身体はその発生個所から徐々にかけ始めている。まるでそれは、世界に分解吸収されているようにも見えた。

 いや、実際に二人の身体は崩壊を始めている。


「ああ……。ハル姉の……言った通りだね。アル兄」

「うぬ。確かに痛みはないようで御座るが、何とも妙な気分で御座るな」


 やや声を震わせる小燕と違い、アルタイルは自らの身体が朽ち欠け始めている事実を正しく認識しながらも冷静だった。それは前もってこうなる事を聞かされていた事と、年長者として小燕の前で取り乱すわけにはいかないせいでもある。


 鳳牙の目覚める前。フェルドがハルナから聞き出した話を伝えられてから、彼はすでにこうなる覚悟を決めていた。説明したフェルドが言葉に詰まり、事の重さに小燕がすすり泣き、理解が早いためにステラが呆然とする中で、アルタイルはすぐに全てを受け入れていた。

 そうした上でそれが避けられぬものであるのならば、最大限有効に使うべきだと進言したのは彼自身である。自分たちに助かる見込みがないのであれば、助かる可能性のある者に全てを託すべきだろうと。


「改めて済まぬで御座る小燕殿。別の方法であれば最後の時までは皆で一緒にいられたのかもしれぬで御座るが」

「別にいいよ、とはさすがに……言えない……かな。でも、最後まで残っても帰るべき場所がないって言うんじゃ……どうしようもないもんね」


 ヘルメットの向こうで小燕が見せる強がりの笑顔に、アルタイルは少なからず痛みを覚えた。そうして、彼は考える。

 虚構であり偽物でもある自分たちの感情はやはり偽物だ。だが、この三ヶ月の間に経験してきた事は紛れもない事実であり、その中で抱いた感情は全て自分の物だ。

 だとすれば、その感情ははたして偽物なのだろうか。ここに確かに存在していた自分たちは、偽物というくくりで収まるべきものなのだろうか。


 いや違う。今願い想うこの気持ちは、決して偽物などではない。虚構だろうと偽物だろうと、ともにあった日々は間違いなく本物だ。それを証明してくれる者がいる。

 ならば今存在する自分たちは間違いなくここにいる。自らの意思で自らの運命を選択し、己が己である事を示している。


「……しからば、そろそろ幕引きと行こうでは御座らぬか」

「合点承知の助。すっかりしっかり終わらせるよ」


 互いに声を掛け合って後、一時の間アルタイルは目を伏せた。その瞬間、これまでの記憶が走馬灯のように脳裏に再生され続け、そして唐突に終わりを告げた。

 一点の光すら存在しない無の闇。これから自らを飲み込んでいく世界。何も映らぬ真っ暗闇の世界の中で、アルタイルは一人静かに息を吐き――


「煌星忍軍が一人。『巨星』アルタイル――」


 まぶたに収まる青を開眼。


「――推して参る!」


 全てに決着をつけるべく、アルタイルは今生最後の決戦に挑んだ。



    ◆



 世界が元に戻った時、そこは先の場所とまったく同じようで、しかし完全に異なる場所だった。

 しかし鳳牙はそんな事にはかまわず急いでパーティーステータスを確認する。確認して、そこに二人分の空白が存在している事を理解した。

 ログにはアルタイルと小燕がパーティーを離脱したというシステムメッセージが残されている。おそらくはレバーを操作すると同時に自分たちの意思で抜けたのだろうと鳳牙は思った。


 ――どういう事だ……?


 意味が分からなかった。後で合流するというのに、わざわざパーティーを離脱する意味がない。階層を隔てると【ささやき】も届かなくなるため、パーティーステータス以外に互いの状況を推し量るすべがないのだ。それすらなくなってしまったら、完全に繋がりが断ち切られてしまう。


「なん、だよ……。なんなんだよ。フェルドさん。二人はいったいなん――え?」


 何かを知っている様子だったフェルドに事の次第を問おうとして、鳳牙は突然自分の身体が少しも動かせなくなった。その金縛りは青空劇場でミコトに使われた行動制限の感覚とよく似ていて、鳳牙は即座に唯一動かせる頭を動かしてハルナへ怒りの視線を向けた。


「ハルナ! 一体何の真似だ!」


 こんな芸当が出来るのは当然にして彼女以外にはいない。そう考えての言葉だったのだが、


「ハルナさんを責めちゃだめだよ鳳牙。これは、僕がやらせてる事なんだからね」

「……え?」


 そっと眼鏡の位置を修正しているフェルドが、今までに聞いた事のないほど底冷えのする声を発した。

 しかしその視線は鳳牙を見ていない。この場のだれにも焦点はあっていなかった。


「ステラ。君は先にレバーのところへ行っていてくれるかい?」

「っ……」


 フェルドの言葉に一瞬息をのんだようだったステラだが、すぐにコクリと頷くと、


「………………」


 ちらりと鳳牙の方を見てから小部屋を出て大部屋へ行ってしまった。


 まったくもってわけがわからない。なぜ自分は今こうして束縛されているのだろうか。鳳牙の頭の中はぐちゃぐちゃの思考で埋め尽くされていた。


「……本当は全部ハルナさんから伝えてもらおうと思ったけど、やっぱり自分の事は自分で言う事にするよ」


 長く静かに息を吐いたフェルドが、どこかさみしそうな表情をしている。先の怒りで忘れていた得体の知れない不安が、再び鳳牙の中で大きくなっていった。


「いいかい鳳牙。僕は――君以外の僕らは全員、オリジナルの僕らから複製された存在なんだよ」

「………………はい?」


 唐突に切り出された言葉。その言葉を、鳳牙は理解出来なかった。ばらばらに分解すれば単語の一つ一つは理解出来るが、それらが一つの文になっている事の意味が分からない。

 きょとんとしたままの鳳牙の理解を待つ事無く、フェルドは話を進めていく。


「君だけが唯一のオリジナルだ。なんでそうなっているのかに関しては彼女に聞いて欲しい。そこは僕の領分じゃないからね」


「いやだって、そんな事が――」

「これは事実だよ。僕は君の知っている僕であって僕ではない。いわばコピー人間なんだ」


 有無を言わさない意思のこもった言葉。それはとても冗談を言っているようには見えなかった。しかし、それは鳳牙にとってあまりにも荒唐無稽な話だ。にわかに信じる事など出来ようはずがない。出来ないはずだったのだが――


「なあ鳳牙。僕らゲームに囚われた人たちってさ、現実世界の方でどうなってると思う?」


 フェルドの問うそれは、すでにある程度の結論が出ていた内容だった。なぜそれをいまさらに尋ねるのか鳳牙は不思議に思うが、


「どうなってるって、BBさんの調べだとどこかの病院に収容されてる可能性が高いんじゃないんですか? だから記録が改竄されてるって……」


 自分で知りうる答えを返す。フェルドはその答えに無言で頷いた。


「そうだね。あの人の報告ではそうあったし、ハルナさんにも確認したけれど、確かにそういう事はしているらしいよ」

「だったら――」

「ただ、ね。あれは確かに隠すためのものだけど、隠しているものが僕らの考えとは大きく異なっていたんだ。いや、本質的には同じかな。――寝たきりになっている誰かの存在を隠し続けているという事に関しては、だけどね」


 再び、鳳牙はフェルドの言葉を掴み損ねた。

 

「それって、何が違うんですか?」

「違うよ。僕らの考えでは隠匿されているのは賞金首全員だ。ゲームに囚われた僕ら全員が隠されていると思っていた」


 その通りである。当然にして意識不明状態になっていると思われる自分たちの身体は病院に収容され、そこで延命措置を取られている。そうでなければ数か月間も生きていられるはずがないし、騒ぎが起こっていない事にも説明がつかないからだ。

 ゆえに今回ゲームに囚われた者は全員AA社の暗躍で秘密裏に病院へ送られた。そう考えるのが自然なのだ。


「でもさ、それだとやっぱりおかしいんだよ。だってこれはデスゲームなんだ。特殊な条件以外では死ねば生き返らない。そしてもう七割以上の賞金首が死んでいる。よく考えてみれば、この時点でもうおかしいんだよ」


 フェルドの話が続く。鳳牙には段々と彼の言葉に熱がこもってきているような気がしていた。


「BBさんはAA社が僕らの治療を行う事と口止め料を払う事で家族の口を塞いでいると言ったけれど、じゃあすでに死んでしまった人はどうなるんだい? 死んだ人に治療はいらない。家族が医療費絡みでAA社を頼る必要性がなくなる。だったら、その時点で事が公になってもおかしくないとは思わない?」

「それ……は……」


 言われてみれば確かにその通りだ。利害が一致していればこその口止めだというのに、その利害が崩れてしまったらどうだろうか。もう黙っている必要はないと動きを見せる誰かがいたとして不思議ではない。


「よほど口止め料が高額なのかもしれないけれど、それでも百人もの人間に関わる全ての人に口止めをするためには途方もない金額が必要になるし、場合によってはそれが継続されるとも考えられる」


 鳳牙たち賞金首という存在は、AA社にとってただの弱みでしかない。自分たちの管理下にあったデータ生命体の姉妹が引き起こした事なのだから、当然にして彼らに主導権はないのだ。

 企業は信用が第一であり、もしも事が露見すればたとえ大企業といえどもかなり窮地に追い込まれる事になるだろう。それをネタに強請る輩が現れる可能性は高い。


「現実的じゃないんだよ。百人もの人間をゲームに閉じ込めるという行為自体が。今回の事はミコトとハルナさんが引き起こした事でAA社が直接関わっていないのだとしても、二人の利用価値よりも損害が大きくなるのであれば容赦なく切られる。それは彼女たちの望む結末じゃない。そんな愚行は犯さないはずだ」


 それはハルナ自身も言っていた事だ。損害よりもハルナたちの方に利用価値がある内だけ好き勝手が出来ると。度が過ぎれば容赦なく切り捨てられる。

 それを踏まえた上で今までのフェルドの説明を思い返してみれば、確かにおかしいと言わざるを得ない。

 だが、そのおかしいは百人の人質を前提にした場合の話だ。これがもし、彼の言う通り百人ではなく一人ならどうだろうか。たった一人だけならかなりの無茶を利かせる事も出来るし、実に現実的な話になる。


「分かったかい? 今回本当に巻き込まれたのは君だけなんだよ。他の賞金首は君以外に巻き込まれた誰かを演じるコピーに過ぎない。僕も、アルタイルも、小燕も、ステラもね」

「え? いやだって、そんなはず……」


 ありえないと言いたかった。だが、ハルナのような完全なる自由意志を持つデータ生命体の存在。限りなく現実と変わらないような仮想世界。人間の五感や記憶をもデジタル化されている現代の技術。それらを考えればもう一人の自分というコピーを生み出せても何ら不思議ではない。

 人は記憶によってその人格を形成するという。つまりは、どんな見てくれであってもその誰かの記憶を持っていれば、それは間違いなくその誰かなのだ。


「じゃあ……もしかしてあの時――」


 鳳牙は事の始まりを思い出す。全員が急に意識を失って倒れたあの日。あれが強制的に記憶をいじられた結果だとするならどうだろうか。

 御影に別れを告げたのは成り済ました誰かの仕業だと考えていただが、あれが確かに自分であったなら。すでにコピー体に入れ替わっていた仲間たちであったなら。


 無理な話ではない。むしろ、そうであるならばいろいろな事に納得がいく。

 ミコトがイベントの説明を行なった時、これは犯罪にはならないと言った。それは当然だったのだ。なにせ鳳牙以外は現実が存在しないコピーなのだから。そして鳳牙一人であれば抑え込む事も出来る。

 現実世界で騒ぎにならないのも当然だ。百人の意識不明者ではない。たった一人の意識不明者なのだ。そんな些細な事に気を配れるほど今の世界は事件に飢えていない。


「それじゃあ……それじゃあフェルドさんは、皆はどうなるんですか!?」


 コピー体に現実はない。この仮想世界こそが現実だ。外の世界へ行く事が目的であるこの一連の事柄の中で、コピー体には行くべき外の世界がないのだ。


「どうにもならないよ。ただ消えるだけさ。コピー体は最初からただの礎に過ぎない。その役目が終われば何も出来ずに世界に還元される」

「っ!」


 フェルドがぐっと握りしめた拳。鳳牙はその拳から見えるはずのない黄色い燐光が散ったような気がした。


「けど、さすがにそんなのはごめんだ。利用されるだけ利用されて、いらなくなったら捨てられるなんて我慢出来ない。許容出来ない」


 静かに叫ぶような言葉に、いつしか鳳牙は呼吸する事さえ忘れて聞き入っていた。止めなければならないと頭では分かっているのに、少しもフェルドを止められる気がしなかった。


「だから僕らは考えた。どうせなくなる命なら、その最後の使い方は自分たちで決めようってね。……その答えが今回の仕掛けだよ。ルールを捻じ曲げて、君を消耗させずに最上階へ送る方法を考えた」

「まさか――」


 鳳牙はフェルドから視線を外し、ハルナを見た。彼女は何も言わない。ただ黙って、色が変わるほどに自分の手を握りしめていた。その姿が何よりも雄弁に事実を語っている。

 鳳牙は再びフェルドに視線を戻し、しかし何も言えずに表情を歪ませる事しか出来ない。それを言葉に出来なかった。したくなかった。


「たぶん、今鳳牙の考えている事で正解だよ。この仕掛けは、僕らの命を使って作動させる仕掛けだ」


 だがそんな鳳牙の弱さを叩き潰すように、他でもない当のフェルドが決定的な言葉を口にする。

 それはつまり、第一階層に残してきたアルタイルと小燕の二人がもう二度と現れないという事を意味している。


「ただ企みに利用されるだけじゃない。これは僕らが僕ら自身の意思で決めた事だ。コピー体だろうとなんだろうと、今まで君と一緒に生きてきた僕らの選択だ。だから鳳牙がなんと言おうと僕は、僕らは君を最上階へ送る。そう、決めたんだ」


 それはどこか自分に言い聞かせているような言葉にも思えた。迷いを断ち切るための暗示。おそらくはもう、何を言っても彼の耳には届かないだろう。だから――


『位置に着いたばい。こっちはいつでもよかよ』


 先に行ってしまったもう一人。ステラの声が聞こえた時、鳳牙は彼女に対して説得を試みようとした。


『ステラ! 君も……君も全部知ってたのか!? だからあんな――』

『知っとったばい。やけん一杯……いーっぱい悩んだばい。一杯悩んで、決めたばい。皆で……決めたばい』


 しかし鳳牙の言葉は遮られ、彼女もまたすでに聞く耳を持っていない事に気付かされてしまう。

 鳳牙の思いは孤立していた。それに気が付いた時、ようやく彼は目覚めてからの妙な疎外感の正体を理解する。覚悟を決めきった者と、ただ覚悟を決めていただけの者との間の差異。それが違和感の正体だったのだ。


「たぶん最上階ではどんどらとミコトが待っているはずだ。鳳牙には伝えてなかったけど、賞金首ってもう僕らを除けば彼しかいなかったからね」


 フェルドの言葉はもう半ば以上鳳牙には聞こえていなかった。思考はすでにぐちゃぐちゃで、まともに物を考えられる状況ではなかった。

 そんな様子がフェルドにも分かったのか、彼は一つ溜息を吐く。


「……いいかい鳳牙。僕らのこれは君の目には自己犠牲に見えるかもしれないけど、別に僕らはそうは思ってないんだよ?」

「…………え?」


 ふいにいつも通り柔らかな口調に戻ったフェルドの声に刺激され、鳳牙は覚めるようにぐちゃぐちゃの思考から脱却する。そうして、彼を見た。


「だって僕らは元々は存在しないはずの存在なんだ。借り物の姿に借り物の記憶。僕らにある本物って言えば、君と過ごしたこの三ヶ月位なもんなんだ」


 笑っている。先ほどまでの苦痛に耐えるような表情ではない。どこか飄々としている、鳳牙のよく知る彼だった。

 彼は再び小さくため息を吐くと、


「でもね、だからこそこの三ヶ月は偽物にしたくない。そしてそのためには、唯一の本物である君に元の世界へ帰ってもらわなくちゃいけないんだ。僕らと過ごした君が僕らの記憶を持って現実世界に帰る事で、そこで初めて僕らは本物になれるんだ。コピーなんかじゃない。本当の僕らになれるんだよ」


 さっと両手を広げながらそんな事を言う。しかしすぐにそのまま肩をすくめた。


「口ではこんな事言うけどさ。本当はこれってすごく残酷な事だよね。これって僕らを忘れるなっていう事なんだから。これから勝手に死ぬ僕らを、一生忘れるなっていう事なんだからさ」


 フェルドが自嘲気味に笑う。


「でも、それでも僕は言うよ。絶対に僕らの記憶を持って帰ってくれ。僕らが生きた証を忘れないでくれ。僕らを……本物にしてくれ」


 これで話は終わりだと言うように、彼は鳳牙から視線を外してハルナへとその視線を向けた。


「ハルナさん」

「lib」

「鳳牙を頼んだよ。僕らはここまでだ。だから、最後までちゃんと見届けて欲しい」


 フェルドの言葉に、ハルナはほんの一瞬だけ強い意志を秘めた闇色の瞳を見張った。そうしていつものようにきれいなお辞儀をする。


「承知いたしました。僭越ながら、皆様の記録は私個人でも一生保管させて頂きます」

「ははは。それは心強いな。……未来へ進む二人の頭上に、八百万の神々のご加護のあらん事を」


 言って、フェルドは踵を返して小部屋から大部屋へと出て行ってしまった。


「っ! フェルドさん!」


 鳳牙は一瞬遅れてその背中に声をかけるが、当然応答はない。


「ハルナ! 俺を解放してくれ! フェルドさんを止めてくれ!」


 同じく見送ったハルナに懇願するが、彼女は悲しげな表情で首を左右に振った。


「ハルナ! ――ハル! 頼むから!」


 彼女の本当の名を呼ぶが、それでも何も変わらない。ただその表情に悲しみの色が濃くなってしまうだけだった。そして――


「すでに仕掛けは動いてしまっています。たとえ今ここで止めたとしても、第一階層に残してきた二人は帰ってきません」


 その言葉は鳳牙の胸を貫いた。確かにそうなのだ。もうすでに自分は第二階層にいる。それはアルタイルと小燕が仕掛けを動かしたからで、仕掛けが動いた以上もう二人の命は尽きているのだ。

 ここでフェルドたちを止めたとして、それでどうするのかと問われれば何も答えられない。


「だけど……ハル……」

「私は……私は皆様に貴方を託されました。今はそれが全てです。私個人の感情もまた、貴方を元の世界へ戻す事だけが全てです。ですから――」


 貴方の事を想うから、貴方の言う事は聞けない。それが彼女の答えだった。


「なんでだよ……なんでなんだよ……」


 ここまで来て、なぜ自分は皆を失わなければならないのだろうか。鳳牙の胸の内に、無念と後悔が渦を巻く。


『僕も位置に着いたよハルナさん』

『もうよかと?』

『lib。大丈夫です。開始して下さい』


 交わされる【ささやき】の声。鳳牙の声が決して届かない世界での会話。


『分かった。それじゃあ行くよステラ』

『了解ばい』


 だというのに――


『頼んだよ鳳牙』

『さよならばい』

「ちくしょおおおっ!」


 鳳牙が無力さのあまり絶叫を上げた瞬間、世界は無の闇に包まれた。





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