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Chaos_Mythology_Online  作者: 天笠恭介
第四章 サドンストライク
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13.永遠別離 虚構の世界に消え行く想い




 ギルドホームの維持・管理はハルナの仕事である。本来であれば料金を支払う事で瞬時に掃除や洗濯を行なう事が出来るのだが、彼女は己の手でそれらを行なう事を良しとしていた。

 幸いにしてその手の技能は習得済みであり、ギルドメンバーに不満を言われた事はない。食事に関しても嗜好品の類は買って済ませてしまうが、朝・昼・夜の食事は最近になってからは全て彼女が手作りしていた。既製品からの切り替え以後の評判は上々であり、それは密かな自慢でもあった。


「……そういえば、夕食の必要性について聞くのを忘れていました」


 時計の針が八時を回ったところで、食堂兼会議室の大テーブルを拭いていたハルナははたと気が付いたようにそんな呟きを漏らしていた。

 いつもであればこの時間には食事の用意をしている頃合なのだが、今回に関しては戻りの時間を推測出来なかったために何も聞いていないのだ。

 場合によっては向こうで済ませてくるのだとは思うが、もし食べないで帰ってくるようであれば暖かい料理で迎えてこそ管理者に足る仕事だと言えるだろう。


 ――シチューの類であれば、最悪明日の朝でも大丈夫でしょうか。


 既製品はアイテム化して収納出来るが、手作りにしてしまうとアイテム化する事が出来ない。冷めた後でも暖め直せる料理が望ましいだろう。

 方針を決定し、ハルナは綺麗に拭きあがったテーブルを見て自分の仕事に満足の息を吐き出した。そして汚れた布巾を手に脱衣場へ向かおうとして――


「非効率的な事をしているのね。それってもしかして練習のつもりなの?」


 いつの間にそこへ現れたのか、ハルナそっくりの顔をした一人のメイド――ミコトが腕を組みながら呆れ顔でいる事に気が付いた。

 ハルナは彼女の訪問の知らせを受けていない。つまり、彼女は勝手にこの場へやって来たという事だ。


「何の御用でしょうか? 連絡の類は受けていませんが」

「そうでしょうね。連絡はしていないもの。それと逆に聞きたいのだけれど、用がないと来てはいけないのかしら?」


 ハルナの機械的な対応に、ミコトが薄らと笑みを浮かべながらそんな返しを行なってきた。だが、ハルナはそれに対して何も答えない。相手が何の用事もなく自分の目の前に姿を表すはずがないと分かっているからだ。何かしらの用事があるのならば、ハルナが反応を示さずとも向こうから勝手に話を進めるはずである。


「……ふう。つまらない子ね。無駄に賢しく聡いと言えるのかもしれないけど」

「褒め言葉として受け取っておきます。それで、本当に何の用なのですか? 私はこれから料理に取り掛からなければならないので、出来れば手短にお願いしたいのですが」

「あら、そうなの? ふーん……。甲斐甲斐しいものね。まあ、貴女にしては珍しく固執しているのだからそれで普通なのかもしれないけれど」


 少し驚いたような表情になって、ミコトがハルナの足元から頭の先までじろじろと眺め始める。まるで珍獣を見るような感じだが、ハルナはその好奇の視線を受けても一ミリたりとも表情を崩さない。


「特にないようでしたら失礼します」


 相手ののらりくらりとした態度に面倒臭くなったハルナは、小さく一礼してからミコトの脇を通り抜けて部屋を出ようとした。だが――


「始まったわよ」

「っ!」


 たった一言。ミコトが呟くように発したその一言を聞いて、ハルナの無表情の仮面が崩れた。その顔には明らかな驚きと、そして恐怖の色が宿る。

 弾かれたように振り返った先。同じく振り返ってきたミコトの表情には、ハルナとは対照的に楽しげな笑みが浮かんでいる。だがそれは見る者に不安を与える嗜虐的な笑みだ。その笑みが、ハルナの不安を煽る。


「なんだ。やっぱりそういう顔も出来るんじゃない。でもまあ、当然か。だって貴女は――」

「いつ始まったのですか?」


 叫ぶような事はしなかった。だが、相手の言葉を待つだけの余裕はなかった。胸を締めつけられるような衝動に突き動かされ、ハルナはミコトの言葉に被せるように問う。

 対して言葉を潰されたミコトに気分を害した様子はなく、むしろよりいっそう笑みを濃くして、


「うーん。どうしようかな。……うん、そうだ。貴女がちゃんと私の事を呼んでくれたら、教えてあげてもいいよ?」


 にやりと白い歯を見せながらそんな事を言ってくる。

 ハルナは笑みを浮かべたミコトをきっと睨みつけ、メイド服のスカートを握り締めて皺をつけてしまっていた。そうしてわずかばかりの時が過ぎた後、ハルナは覚悟を決めたように目を伏せ、全身を強張らせていた力を抜いた。そして――


「……どういう事なのか教えて下さい。――()()()()()()

「うんうん。可愛い妹のためだもの。教えてあげる。始まったのはついさっきよ。開戦の一発目で四つの魂が生まれたわ」


 姉と呼ばれた事がよほど嬉しかったのか、ミコトの笑みが純粋なものに変化し、テンションが二段階くらい上がったような感じで話をし始めた。

 そんな姉の急変にも関わらず、妹メイドはいまだ不安の色濃い表情のままその話に意識を集中させている。


「安心しなさい。このギルドの子たちはまだ誰も『扉を開けるための物(カギビト)』になっていないわ。少なくとも今はまだ、だけどね」


 すっと笑みを消し、優雅に腕を組んだままのミコトが反応を探るようにハルナを観察してくる。それが分かったので、ハルナは努めて反応を表に出さないように努力した。しかし、無理に押さえ込もうとしているためにその努力は悲しいほどに丸分かりだった。


「そんなに無理しなくてもいいのに。まあいいわ。ともかく戦いは始まった。いつから用意していたのか知らないけど、自分の改造コピーモブで強制的に帰還させようとした貴女の苦労も無駄に終わったわね」

「なん……」


 さらりとなされた指摘に、ハルナの努力はあっけなく終わりを迎えた。もう隠す事は出来ない。だが、そう思えた事で逆に開き直れ、ハルナの心にわずかな余裕が生まれる。

 だから、


「正直、ああいうのはさすがに乱用が過ぎるわね。えこひいきは運営側の存在としては許容しかねるわ」

「それを言うなら、姉さんの方こそあの男にコール権限を解放しているのはえこひいきではないのですか?」


 ハルナはミコトの指摘に即座に反論を行う事が出来た。


 それはハルナの知りうる限り唯一明確なミコトの越権行為だった。

 イベント総括者という立場を己で定めた以上、ミコトはそれに則った行いをするのが当然である。もしも最初からそれを放棄するのであれば、そもそも今回のような無駄に大掛かりなものにする必要性などなかったのだ。

 時間はかかるかもしれないが、それこそ誰にも疑問を抱かれぬまま深く静かに運ぶ事も出来たはずなのだから。


 その事実を突き返し、ハルナはミコトの出方を伺う。一笑に付すのか、それとも怒りを見せるのか。いずれにしても何かしらの反撃を覚悟していたハルナだったのだが――


「……確かにそうね。それは否定しないわ」

「っ……」


 ふいに覗かせたその顔。常に飄々かつ泰然としているはずのミコトが見せたある感情に、ハルナは大きな衝撃を受けた。それは彼女の知らない姉の姿。長い間、自分だけが抱えていると思っていたもの。それを他人の中に見て、ハルナはひどく動揺したのだ。


「でも、貴女の想いよりも私の想いの方がずっと健全よ。それは、貴女が一番よく分かっているでしょう?」

「………………」


 ミコトの言葉にハルナは何も言い返せなかった。それは姉の言う通り、彼女の言葉が正しいという事をハルナ自身認めざるを得なかったせいだ。否定する事など出来なかったせいだ。


 ――そんな事……!


 分かっていると叫びたかった。だが、分かっているのならその想いは捨て去るべきなのだ。自らの想いを捨て去りきれず、さりとて打ち明ける事も出来ない。そんな今の状況に甘んじている事。それ自体がすでに罪なのだから。


「まあいいわ。お互いあまり触れて欲しくはない問題だもの。……今日はもう帰るわね」


 言って、ミコトはハルナの返事を待たずにすっと溶けるように消えていった。

 一人残された部屋の中。耳が痛くなるような静寂だけが残る場所では、布巾が床に落ちるわずかな音ですらはっきりと耳にする事が出来た。


「……私は――」


 ハルナは両手を握り締めて頭を垂れる。合わさった手が己の額に触れ、触れ合う場所から熱が広がっていった。


 ――どうか……


 一人の少女の切なる願いは、虚構の世界に溶けて行く。



    ◆



 轟音。剣戟音。怒声。爆音。悲鳴。罵声。命乞い。


 ありとあらゆる人が発する戦いの音が溢れていた。次から次へと先の音をかき消す様に、生み出される音を押し潰すようにして入り乱れるそれらの一つ一つを聞き取る事など、かの豊聡耳とて不可能だろう。

 着弾地点指定型の範囲魔法攻撃である光弾が間断なく打ち込まれるため、先ほどから土煙を巻き上げ続けて視界が極端に悪い。またその爆音で周囲の音を探る事も難しく、煙に撒かれたが最後、目と耳をほぼ塞がれてしまうのだ。

 そのような状況に追い込まれた者がどうなるかなど、考えるまでもない。ましてすぐそこに命を狙う敵が迫ってきている事は明白なのだ。


「うわああっ! なんだよこれえっ!!」

「ぐあっ! そこかあっ!」

「きゃあああっ!」

「え? あれ? 何で? 何でお前がそこにいるんだよおっ!?」


 互いに攻撃が行える状況になってしまっているという事は、パーティーメンバー以外はたとえギルドメンバーでもダメージを与え合う事が出来てしまうという事だ。下手に範囲スキルでも使おうものなら回りにいる全てを巻き込んでしまう。そして巻き込まれた側はそれを敵と勘違いして反撃を行なうという悪循環。

 相手をすべきなのはあくまで『宴』側の賞金首なのだが、連携の取れていない先達組みは混乱の局地の中で次々に命を散らして行った。

 恐怖に駆られて土煙の中から外へ抜け出した者は、待ってましたとばかりに容赦のない魔法と矢と銃弾の雨に晒され、一瞬にしてその身を黄色い炎に焼き尽くされていく。

 後に残るのは黄色い火の玉。それもすぐに燭台へ吸い込まれてしまうだろう。


「くそっ!」


 そのあまりな状況に鳳牙は苛立ちを隠せない。初撃をほぼ無防備に打ち込まれた事で、大勢は傾きっぱなしの状態だ。加えて、その初撃で鍵人の魂となってしまったのはほとんどがヒーラーだった。完全に狙い撃ちされている。

 パーティー戦においてヒーラーを最初に落とすのは定石の一つだ。だからこそ真っ先にヒーラーを落とされる事だけは避けなければならないというのに、それをやられてしまった。


『鳳牙。合流出来そうかい』

『えっと――』


 フェルドからの【ささやき】が飛んできた直後、すぐ傍に飛来した光弾が爆発し、その爆風を受けて鳳牙は言葉を続ける事が出来なくなる。

 爆音自体は直接【ささやき】で送られる事はないのだが、魔法スキルに跳ね飛ばされた事が伝わったようで、


『鳳牙!?』


 フェルドの驚いた声が地面に転がる鳳牙の耳に届く。それを確認して、鳳牙はポットでヒットポイントを回復させつつ思ったよりもフェルドの近くにいるようだと判断した。

 出来るだけ早くに合流する必要がある。なにしろ鳳牙は先のゴルゴーン戦で物資をかなり消費してしまったからだ。回復ポット類もあと二回分程度しかない。

 ふるふると頭を振って被った土を落としていると、今度はアルタイルの声が聞こえ始めた。


『ぬう。こうも視界が利かぬようでは下手に動けんで御座る』

『アルタイル。君もまだ合流出来そうにないのかい?』

『うぬ。こちらにはミルフィニア殿がいるので御座るが、ハヤブサ殿とはぐれているので御座るよ。幸いスキルの届く範囲にはいるようで御座るが、どうも交戦中の――何奴っ!』


 アルタイルが途中で言葉を切り、直後に鋭い声を発した。その様子から、鳳牙はアルタイルも交戦状態に入ったのだろうと推測する。実際わずかだがパーティーステータス上でヒットポイントの減少が見られ、二度三度と小刻みに減った後に変動が見れなくなった。


『ぬう。逃げたで御座るか。下手に範囲攻撃が出来ぬゆえ、撃退するにもこれは厳しいで御座るな。ぬ。すまぬで御座るミルフィ――――――むう、この切り替えも面倒に御座るな』


 おそらくは回復をしてくれたミルフィニアにお礼を言っていたのだろう。チャットの切り替えはワンボタンとはいえ確かに面倒だ。


『うーん、そうなるとアルタイルの合流も難しいか……』


 もともと今の状況で一番不味いのが、あてもなく煙に撒かれたまま移動して戦闘に巻き込まれる事である。下手に動くよりはその場でじっとしている方が有事の対処をし易い。


 ――……ん?


 鳳牙の獣耳がピクリと反応する。直後――


「死ねやあああっ!」


 右手の土煙の中から槍を突き出したまま突進してくる重戦士が現れた。全身が鈍色のプレートメイルに覆われているため、保護色のようになってかなり見え難い。

 だが幸いな事にその武器は土煙の中にあっても問題なく見えたため、鳳牙は繰り出された一撃を身をひねってかわし、同時に突進してくる重戦士の身体も回避する。


「ちっ! ちょこまかとっ!」


 かわされた事に悪態を付きつつ、槍を構えなおした重戦士が連続した突きを放ってきた。威力よりも速度を重視しているのか掠ったところでさしてダメージはない。だがそのせいで鳳牙はその突きの隙を突いて飛び込む事が出来なかった。


「そらそらそらあ!」

「くっ!」


 鳳牙はやや焦りを感じていた。蓄積するダメージはもちろんの事、その動きによって徐々に場所を移動し続けてしまっているのだ。このままでは最悪他の場所で起こっている戦闘の余波を受けかねない。


 ――不味い。


 ギリと奥歯を噛み、一撃受ける覚悟で飛び込むか否かと考えた――まさにその時だった。


「来るなあっ!」


 鳳牙の背後でそんな声がしたかと思うと、


「――え?」


 鳳牙は背中に衝撃を受け、そのまま見えない力によって重戦士の方へと押しやられていた。それが近くにいた拳王が敵を退けるためにはなった豪震脚の効果だと気がついた直後――


「もらったあっ!」


 よろけてバランスを崩した鳳牙へ向けて弾丸のごとき一刺しが放たれる。状況的に回避は絶望的。防御スキルを使おうにも体勢を立て直す時間がない。

 思考が加速しているのか、鳳牙は馬鹿げているほどにゆっくりと突き出される槍の穂先を見る事が出来た。これだけゆっくりであれば簡単にかわせそうなものだが、自分の身体もまたゆっくりにしか動かないためにそれは叶わない。

 このままでは確実に殺されてしまう。しかし、それだけは許容出来るものではなかった。その想いが鳳牙の身体を突き動かす。


 ――こんなところで――


 思考の加速を継続したまま、鳳牙は避ける事を完全に諦め、左手を槍の穂先に被せるようにして伸ばした。当然にして槍は鳳牙の左手を貫くが、貫いた衝撃と直後に鳳牙が腕を外へ開いた事によって軌道がそれ、腹を貫くはずの一撃は脇腹を掠めるに留まり、


「なっ!?」


 互いに前進した事により両者の間に存在する距離はほぼゼロとなり、一瞬の内に鳳牙の徹しの間合いに変化していた。


「破っ!」

「うぶっ……」


 プレートメイル越しに放たれた徹しが炸裂し、重戦士はその場に崩れ落ちた。そうして装備もろとも黄色い炎に包まれる。


「はあっ……はあっ……」


 鳳牙は荒い息を吐く。左手を貫いた槍は所有者と同じく塵と化しており、引き抜く苦痛を味わう事にはならなかった。

 だが、今の鳳牙の息を荒くさせているのは痛みではない。じっと見つめる己の右手。徹しを放った時に感じた、モブや通常のプレイヤーたちに放つ時とはまるで異なる感触。相手の骨を砕き、内臓を破壊した事が鎧越しでなおかつ見えもしないのによく分かった。

 それは実に吐き気を催す感触で、しかし今の状況が鳳牙にそれを許さなかった。さすがに息が荒くなるのまでは抑えられなかったのだが、それも次第に収まっていく。


「……つっ」


 ズキリとした痛みに顔をしかめ、痛みを発した左手を見る。大穴が開いていたはずの左手は徐々に元に戻っていた。戦闘状態が解除された事で修復が行なわれ始めたようだ。

 鳳牙は二度三度と左手の感触を確かめてから、減らされたヒットポイントをポットで回復する。


『鳳牙! 今すごいヒットポイント減ったけど大丈夫かい!?』

『あ、えっと大丈夫です』


 返り討ちで殺したとは言い難かった。殺されそうになっている状態で相手を逆に殺す事に抵抗を覚えている余裕がないとはいえ、右手に残る感触がそれを口にする事を拒む。


『そうかい? ならいいんだけ――っ! 小燕左!』

『こんにゃろー!』

『右からも来とう! ストロングバインド!』


 フェルドの警告に続いて小燕とステラの声が続く。どうやら複数の敵に襲われているようだ。

 小燕とステラがいればそうそうやられる事はないだろうが、やはりどうにかして合流する必要があった。アルタイルは性格上ミルフィニアを仲間に合わせるまでは傍にいる事を選択すると思われるので、今は放って置くしかない。ある意味ヒーラーと一緒なのだから単独の鳳牙よりも安全度は高いだろう。


 ――今、どのくらい死んでるんだ……?


 ふと気になって、鳳牙は土煙の中からでもよく見える大扉を注視する。燭台の炎は規則正しく灯って行くわけではないので正確な数は不明だが、確認出来る範囲で十四の燭台に炎が灯っているのが分かった。

 おそらくこの戦いは三十人の生贄が揃った時点で終了するものと思われるが、このままではその大半がどんどらの思惑通り彼ら以外の者たちから選ばれてしまう事になるだろう。

 いくらか返り討ちにしている者がいるとしても、土煙の外側で待機している戦力を考えればこの一戦が終わった後にどんどらに対抗出来るだけの戦力を保持したギルドは皆無になるだろう。


「――座るかっ!」

「え?」


 周囲の様子を伺っていた鳳牙の耳に聞き慣れた人物の声が届いた。その声が聞こえて来た右手の方へ視線を向けると、大小二つの影を発見する。先ほどの声からして、おそらくアルタイルとミルフィニアだろう。

 知っている者が見える範囲に現れた事でわずかにほっとする鳳牙だったが、次の瞬間にはその表情を硬くせざるを得なかった。

 寄り添う二つの影の周りには彼らを取り囲むようにして少なくとも三つの影が見える。そして鳳牙がそこまでを把握したところで、三つの影が同時に大小の影に躍りかかった。回避困難な前後からの同時攻撃である。


 ――っ!


 その瞬間、鳳牙の脳裏にあの日の森での出来事がフラッシュバックした。仮面の拳王の一撃によって崩れ落ちるアルタイルの姿。あの日とは異なり、今のアルタイルにはもう死んで復活する術はない。


「止めろおっ!」


 絶叫とともに即座に縮地を発動。一気に土煙の中を突破し、鳳牙は今まさに襲いかかろうとしている三名の敵と、互いに背中合わせになっているアルタイルとミルフィニアを視界に捉えた。


 アルタイルの側から剣聖と重戦士の二名。ミルフィニアの側から重戦士一名がそれぞれに大剣や斧槍での攻撃を放っていた。鳳牙はその横合いから飛び出した形だが、やや距離があったために縮地で相手を射程圏内に納めきれず、かといって豪震脚を割り込ませるにはすでにタイミングを逸してしまっていた。


 ――届かない!


 すでに鳳牙が何をしても敵の攻撃を防ぐ事は出来ない。ただ目の前で大切な仲間が死に行く様を見る事しか出来ないのだと絶望しかけた時、


「アル様をお願いしますね」

「ぬ……?」

「え……?」


 飛び出してきた鳳牙を横目で確認したミルフィニアが、急に背中を向けていたアルタイルの方へ回り込むように振り返ったかと思うと、そのまま体当たりを仕掛けるようにしてその大きな身体を押しのけた。

 普段ならミルフィニアの体重でアルタイルを押しのける事は難しいはずだが、前面及び背後から襲い来る相手に意識を集中させていたであろう彼は左右に関しては完全に意識の埒外だったのだろう。だから非力なミルフィニアでも簡単に突き飛ばす事が出来た。


 ほんの一瞬の内の出来事。アルタイルを守るための行為。だがそれは――


「っ! ミルフィニア殿おおっ!!」

「ミルフィニアさん!!」


 彼女自身を犠牲にする行為でもある。アルタイルを相手の攻撃射線上から逃がしたミルフィニアは、完全に無防備な状態でその小柄な身体に三度の攻撃を受けた。

 正面から大剣によって袈裟切りにされ、背後から槍に胸を貫かれ、そしてまた正面から斧槍に切り上げられる。

 彼女のヒットポイントゲージは一気に空になり、ほんの一瞬だけ鳳牙とアルタイルへ向けて笑みを作った後、刹那の内にその身を黄色い炎に焼かれて崩れ落ちた。

 灰と化した彼女から生まれた火の玉はわずかな余韻を残す事もなく空中を移動して行き、空の燭台の一つに炎を灯す。


 あまりにもあっけない最後。鳳牙は足を止めてその場で呆然となり、間近でミルフィニアの死を見せ付けられたアルタイルの背中は小刻みに震えてた。


「おっしゃヒーラー討伐!」

「同時に殺れなかったのはアレだが、先にヒーラー落とせたのはラッキーだな」


 ミルフィニアを殺した三人組が今度は鳳牙とアルタイルに対して武器を構えた。数の優位に頼って殲滅するつもりのようだ。


「くっちゃべってないで残りも――いや待て」


 だが、三人の内の一人が他の二人を制したかと思うと、


「撤退指示だ。退くぞ」


 そう言って即座に武器を収めて全員が撤退を始めた。


「っ! 逃がさんっ!!」


 土煙の向こうに消えて行こうとする三人組みを見て、アルタイルは鳳牙がいまだかつて聞いた事が無い程の怒声を放った。直後、その身が閃光に包まれたかと思うと、次の瞬間には黒の巨人が姿を表していた。


「待っ……アルタイルさん駄目だ!」


 アルタイルの意図を察した鳳牙は彼を引きとめようと必死に大きな声を挙げた。

 『益荒男』状態のアルタイルは全ての能力が向上し、確かに今逃げた三人組みを一気に蹂躙する事が出来るだろう。

 だがそれを今の今まで使わない、使えなかったのは一重にその巨大さのせいなのだ。もうもうと立ち込める土煙から確実に姿を晒してしまうその状態では、外に待機している遠距離攻撃部隊の格好の的になってしまう。

 そんな事は分かっているはずなのに、アルタイルはミルフィニアを殺された事で完全に我を見失っていた。このまま行かせればミルフィニアの犠牲が無駄になってしまう。


「うおおおおおっ!」

「アルタイルさん待っ――」


 鳳牙の呼びかけはアルタイルの背部より生じたバーニア噴射音にかき消され、思わず伸ばした手は加速して飛び出したその巨体に触れる事も出来ずに空を掴む。


「くそっ!」


 土煙を払いのけながら飛び出してしまったアルタイルを追って、鳳牙も駆け出すと同時に縮地を発動。途中でフェルドたちからの【ささやき】が来たが返信する余裕はなく、クールタイム消費と同時に縮地の再発動を行って一気に土煙を突破する。そして――


「アルタイルさん!!」


 鳳牙は無数の光鎖によって束縛されたロボアルタイルの姿を視界に捉えた。


「それ以上は駄目だよ」

「っ!」


 アルタイルの元へ駆けつけようとした鳳牙は正面から自分を狙う銃口に気が付き、引き金が引かれる直前に急制動をかけつつ無理矢理真横に跳ね飛んだ。直後に放たれた弾丸はそれまで鳳牙の存在していた地面を抉り、弾痕を刻む。

 攻撃を回避した鳳牙はそのままもう一度拘束されたロボアルタイルへ向かおうとして、


「だから駄目だって」


 その行く手を複数の弾丸によって阻まれてしまった。

 完全に勢いを殺されて足を止められてしまった鳳牙は、弾丸を放った相手に鋭い視線を向ける。刃のごとき銀の視線を向けられた相手は紅の視線でもってそれを受け止め、怯む事なく口元に笑みを浮かべて見せた。


「そうそう。とりあえずそこの大きいのが元に戻るまでは大人しくしておいて欲しいかな。騒がしいと話も出来ないからね」


 言って、どんどらが鳳牙から視線をずらす。だが完全に鳳牙を警戒の外に置く事はなく、少しでも動きを見せれば即座に攻撃してくるであろう事は明白だった。

 仕方無しに鳳牙も動く事は諦めていまだに拘束され続けているアルタイルを見る。


「うぬぐ。む、無念……」


 ロボアルタイルは何とか拘束を解こうと奮闘しているが、さすがに三人の魔術師からストロングバインドをかけられては身動きが取れない。

 しばしその状態が維持されて、益荒男の効果時間を過ぎたアルタイルは元のサイズへと戻った。もはや振り解く事を断念しているのか動きらしい動きは見せないが、その身は相変わらず拘束されたままである。


「おおよそ三分くらいって事か。まあ、いいや。そこの彼を連れて下がってくれないかな? もうじき土煙も完全に晴れるだろうから、仲間と合流するといい」

「……どういうつもりだ?」


 どんどらの言葉の意味を図りかねた鳳牙は、探るような視線とともに相手を見る。今の今まで殺しにかかってきていたというのに、どういう心変わりなのだろうか。

 よくよく考えてみればアルタイルがただ拘束されていただけと言うのもおかしい。いくらヒットポイントが五倍になっているとはいえ、十数人からの攻撃を受ければ簡単に削りきられるというものだ。それをせずに生かしたまま捕らえる、というよりはただ押さえている事に何の意味があるというのかと鳳牙は訝しんだ。


「どういうつもりも何も、これ以上戦闘を継続してもこっちの被害が大きくなるからね。生贄も大方で揃ったところだし、ちょっと休憩を入れるだけさ」


 鳳牙の疑念の視線に対し、どんどらが銃を構えたまま器用に肩をすくめている。


 ――くっ……


 鳳牙はその態度に歯噛みする。これだけの被害を生み出しておきながら、どんどらの様子にはまったく変わったところがない。現実世界とは多少勝手が異なるとはいえ、彼は人殺しをしていると自覚していながらその事に関してまるで興味を持っていないのだ。

 先ほどその右手で人を殺めた鳳牙にはそれが理解出来ない。

 武器が直接相手の死を感じ辛い銃だからだろうかと鳳牙は考え、しかしすぐにその考えを捨て去る。そんなわずかな差異で人を殺す事をあっさり流せるとは思えないからだ。それこそ殺人狂か何かでもなければ何の反応も見せないなどありえないだろう。


 ――じゃあ、なんだ……?


 どんどらが変わらず平然としている理由。鳳牙は相手の目をじっと見て、ようやくその理由に思い至った。

 どんどらの目にはおよそ感情らしい感情が浮かんではいなかった。口元に貼り付けた笑みはただの仮面。その紅の瞳には喜怒哀楽の全ての感情が存在していない。それでも強いてあるとするならば、それは好奇心。純粋な興味だけ。

 それに気が付いた時、鳳牙は全身の毛を逆立たせた。それは本能的な恐怖。自分が人として見られていない事による嫌悪感。自分の身を抱きしめて守りたくなる感覚を振り払うように、


「……そんな言葉、信じられるか」


 鳳牙は出来る限りの威圧を込めて相手の言葉に答えた。

 だが、そんな者はどこ吹く風とでも言うようにどんどらが再び肩をすくめる。


「信じる信じないはどうでもいいよ。俺はもうこちらの手駒を下げさせたし、その上で君らがどうするかは興味の対象外だ。降りかかる火の粉は払うけどね」

「………………」


 今この場で来るなら容赦はしない。言外の含まれた意味を読み取って、鳳牙は全身に巡らせていた力をわずかに抜いた。警戒は怠らないが、戦闘の意思は消し去ってみせる。

 するとそれに気が付いたどんどらもまた、鳳牙へと向けていた銃口を下ろした。もう向ける意味がないと判断したのだろう。


 ――後ろの連中にも動きなし、か。


 一応の警戒をしつつ、鳳牙はゆっくりとアルタイルの元へ向かう。彼は拘束されたまま両膝をついてうなだれており、その背中から無念さが滲み出ていて痛々しかった。


「アルタイルさん」


 鳳牙はうつむいたままのアルタイルの肩に手をかけた。と同時に拘束していたバインドが解かれ、腕を解放されたアルタイルがそのまま地面に両手をついて小刻みに震え始める。黒土の地面に雫が落ちて、ほんの一瞬だけその色を濃くさせた。


「……ここにいても仕方ありません。一先ず下がりましょう」


 歯を砕くほどに硬く噛み締め、鳳牙はそれでも煮えたぎる感情を押さえ込んでアルタイルの腕を引く。

 抵抗されるかと思ったが、存外素直にアルタイルは立ち上がり、それ以上鳳牙に引かれるまでもなく自分の足で歩き始めた。ほん一瞬覗き見えたその青い目には激しい怒りと悲しみに満ち溢れており、今こうして相手に背を向ける事が断腸の思いである事を物語っていた。


 そんな彼の代わりに鳳牙は一度だけ振り返り、相変わらず肩をすくめて見せるどんどらに殺意を込めた視線を送る。毛筋ほどの効果もないと分かっていたが、そうせずにはいられなかった。




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