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Chaos_Mythology_Online  作者: 天笠恭介
第四章 サドンストライク
33/50

5.黒客演説 仮装世界の真実(一)




 ――ここはどこだ?


 何かに気が付いたとき、鳳牙はそんな疑問を抱いた。視界に広がるのは闇ばかり。そこに始まりはなく、ゆえに果てもない。

 感じられるものは水に浮かんでいるような浮遊感。仰向けに浮かんでいるような感覚はあるが、実際にそうなのかは分からない。今の鳳牙には自分の身体さえ見えてはいないのだから。

 ふと、遠くの方で何か音が聞こえたような気がした。それに反応してピクリと耳が動いた感触を覚えたかと思うと、


 ――くっ!


 闇の世界は一気に眩しいほどの白で塗りつぶされ、鳳牙の意識は再び遠のいて行って――


     ◇


「がはっ! ごほっごほごほ……」


 喉の奥に突っかかった何かを吐き出して、鳳牙はそのまま激しくむせた。腹筋に痛みが走るほどに連続した咳き込みで、全身から力が抜けていく。

 それでもどうにか呼吸を落ち着け、鳳牙は眩しさのせいで閉じたままだった目をゆっくりと開いて行く。すると――


「……え?」


 視界に飛び込んできたものを見て、鳳牙は思わず目を見開いた。

 そこは白を基調とした清潔そうな建物の中だったのだが、その装いがまるで病院のように思えたのだ。


 ――どこだ? ここ。


 そんな事を考えながら鳳牙は無意識の内に傍にあるものを支えに立ち上がろうとして、


「ん?」


 その手に感じられた金属質な冷たさに視線を向けた。

 見慣れた自分の素手が触れている物は、鳳牙がよく知る物体によく似ていた。しかし、それは仮想世界ではなく現実世界にあるべきはずのものだ。

 ついと首を巡らせて周囲を見回してみるが、その結果分かった事は、鳳牙が足を伸ばしたまま座っている物がバーチャルリアリティー機器のようなカプセル型の大型機械であるという事と、その中に淡い青色に発光する謎の液体が入っている事。そしてアンダーウェアすら身に着けていない全裸状態だという事だけだった。


 ――くそ。これじゃあ下手にここから出られないぞ。


 今は青い発光液体が目隠しになって下半身の様子は非常に見え難い物になっているが、さすがにここから出れば完全に色んなものを晒す事になる。

 いわゆる倫理コードが外れている事は異端者の最果てで確認出来ていた事だが、入浴しているわけでもないのにどことも知らぬ場所で全裸でいるのはなかなかに心細い。

 さてどうしたものかと鳳牙が頭を悩ませていると、突然真正面に位置していた扉らしき物がシュンと横にスライドし、


「おや、お目覚めですね。気分はどうですか?」


 白衣を着込んだ天然パーマの男――BBがひょっこりと現れた。


「BBさん?」

「ええ、私です。ふむ。その様子では大丈夫そうですね。まあ色々聞きたい事もあるかと思いますが、込み入った話は別室で。着替えはそこのロッカーに入れてあります。一先ず着替えて下さい」


 BBが指で示す先には確かに縦長のロッカーが存在している。

 鳳牙はおずおずとカプセルの中から出ると、尻尾で前を隠しつつ早足に室内を横切ってロッカーのある場所へ向かう。

 中にはアンダーウェアを含めて全ての装備が収まっていたので、それらを一つ一つ装備して行き、どうには体裁を整える事は出来た。


 BBへ向きなおす前に少し離れたところから今まで自分置いた場所を再確認すると、なんとも昔の映画にでも出てきそうな状況だった。

 鳳牙の収まっていたカプセルの他にも三つほど同じようなカプセルが存在し、それらから伸びる管やらケーブルやらが背後に設置されているキノコの様な天井一杯までの大きな装置に接続されている。

 ところどころにランプが点灯、明滅を繰り返しており、さながら人の心臓が鼓動しているかのような有様だった。


「きっちりとデータさえ組めれば、再現出来ないものはないんですよ」


 横合いからの言葉に鳳牙が視線を向けると、壁に寄りかかったまま缶コーヒーをすすっているBBがいた。その缶コーヒーという物体が、すでに鳳牙の知るCMOというゲームの枠組みの外の物だ。

 それをCMOで使用されているキャラクターであるBBが飲んでいるというのは、実に奇妙な光景だった。


「それが仮想世界というものです。……さて、準備が整ったようなら行きましょうか。皆さんお待ちかねですよ」


 みんなと聞いて、鳳牙はパーティーメンバーたちの事を思い出した。

 先行して探りにいった結果一人で罠みたいな奈落に落ちたわけだが、あそこから覚醒するまですっぽりと空白期間がある。


「フェルドさんたちもここへ?」

「ええ。貴方だけは私が作業をしている間のちょっとした手違いでここへ来るときに気を失ってしまったようですが、他の方はちゃんとお連れしましたよ」


 しれっと答えて来るBBの言葉に、鳳牙は微妙な嘘の臭いを感じ取った。


「作業って、何の作業ですか?」


 鳳牙は探りのつもりでそんな質問をしてみた。すると、


「戦闘データの計測ですよ。まさかあそこまで跡形もなく消し飛ばされるとは思ってませんでしたから、蓄積データの復旧に手間取りました」

「え? ちょっと待って下さい。まさかあのドラゴンゾンビ――」

「はい。私が置きました。皆さんの前に普通のプレイヤーたちが交戦してくれたおかげで、いい比較材料になりました」

「………………」


 とんでもない事実が判明してしまった。鳳牙としてもずいぶんとおかしなところに湧くおかしな存在だとは思っていたが、まさか人為的に配置されたいわゆるチートモブだと言うところまで考えは至っていなかった。

 そして湧くはずのない場所に湧くはずのないモブが出現するという事実に関してもう一つ思い当たることがあり、


「BBさん。もしかしてフラミー海岸にフェンリルシャドーを放ったのも貴方だったりしますか?」

「フェンリルシャドーですか? いや、それは別のハッカーじゃないですかね。イベント初期の頃は賞金首を襲わせてデータを集めようとする輩が結構いましたし、そういえば掲示板にもちらちら話題が上ってましたね」


 こちらに関しては空振りのようだった。しかしながら鳳牙が知らなかっただけで、CMOには色々と入り込んでしまっているようである。

 あまり知りたくもない裏事情を知ってしまったことに軽く後悔しつつ、ついでに鳳牙は今最も気になっている事を尋ねてみる事にした。


「そういえばここってどこなんですか? なんか俺、とんでもない奈落に落っこちたような気がするんですけど」

「奈落ですか。まあ、言い得て妙かもしれませんね。何せここはあらゆる屑データの行き着く先。掃き溜めのような場所ですから」

「掃き溜め?」


 それはまたずいぶんな言い方だと鳳牙は思う。少なくともこの部屋の中は掃き溜めと言うに値するほど雑多なわけでもゴミだらけというわけでもない。


「今は建物の中にいますからね。一歩外に出れば意味が分かります。まあしかし、さし当たっては今さっき言ったように皆さんがお待ちかねです。そちらへ移動しましょう」


 ずずずと缶の中身を吸い尽くしたBBは空き缶になったそれを両の掌で挟んで押し潰すと、どういう原理なのか光の粒にして空気中に混ぜ込んでしまった。

 もはやなんでもありである。鳳牙はただ黙って部屋を出て行ったBBの後をついて行く事にした。


 ――しかし本当に病院……いや、研究所って言う方が近そうだな。


 カツカツとBBの足音が響く廊下は、実に質素な感じであった。ところどころに灯りが設置されている以外、ごくごく薄い若草色で彩られたその空間は塵一つない不思議な空間でもあった。

 変わり栄えのない造られた規則性の空間。視界に現れる変化といえば鳳牙がいた部屋とは別の場所であろう部屋への扉くらいだが、これもいっていの間隔毎に存在するので規則性の一部に過ぎない。

 そんな無機質な空間を進む事三分少々。


「ここですね」


 今まで素通りしてきた扉と何一つ変わらない扉の前でBBが立ち止まり、壁に埋め込まれているテンキーらしきものに手を伸ばして目にも留まらぬ速度で何かしら入力すると、


「どうぞ」


 静かに、それでいて迅速に扉がスライドし、BBは自分を脇にどけて鳳牙へ中に入るように促してきた。

 鳳牙が素直にそれに従って部屋の中に入ると、まず目に飛び込んできたのは縦長の大きな楕円形のテーブルだ。部屋の置くまで届くそれの周りには複数の座席が設置されており、造りとしてはギルドホームの会議室兼食堂に似ているなと鳳牙は感じた。そして、


「鳳牙」

「鳳牙殿」

「鳳兄」

「鳳牙さん」


 向かって左手の列にパーティーメンバー全員が集合している。

 全員鳳牙の姿を見て安どの表情を浮かべているところを見るに、どうやら彼らはカプセル内に納まっていた鳳牙の姿を見ていないようだった。


「みんな」


 鳳牙は手を上げながら仲間たちの方へ近付こうとして、ふと反対側にも気配を感じてそちらへ目を向け、軽く驚く羽目になった。

 そこにはぶすっとした顔で席に着く白髪の男と、ニコニコ顔の銀髪美女が並んでいたからだ。


「なんだよ。幽霊でも見てるような顔しやがって」

「どうもこんちには。鳳牙君」

「……御影さんと、マリアンナさん?」


 パーティーメンバーの対面にいるのは間違いなくその二名だった。しかし、なぜこの二人がこの場にいるのかが鳳牙には分からない。

 少なくとも御影は今日は用事で来れないと言っていたはずだ。


「マリアンナに呼び出されてたんだよ。それでなぜかここへ連れて来られたってだけだ」

「なるほど」


 先約のマリアンナの用事もまさかのBB絡みだったというわけだ。しかしそれならそれで判明したタイミングで教えてくれても良かったものだと思わないでもない。

 そんな鳳牙の思考が伝わったのかどうかは不明だが、


「俺はついさっきここへ連れて来られたばかりだ。お前らの方がずっと前に着いてたんだよ」

「はあ……」


 誰に対するわけでもないのだろうが、どこか言い訳めいた言葉を御影は口にした。


 ――変だな。


 鳳牙は御影のその態度を妙に思った。言い訳を口にするという事は、御影は鳳牙たちに対して何かしら後ろめたい事があるという事になる。

 しかし、今日ここへ訪れる事が直前まで分からなかったという事であればそれを後ろめたく思うのはおかしな話だ。

 つまりは御影は何か別の事に関して鳳牙たちに後ろめたい事があるという事になるのだが――


「それでは全員揃ったようですし、席についていただけますか」


 部屋の置くから声が聞こえてきて、その場にいる全員の視線がそちらへ向けられた。

 いつの間にか部屋の奥側にスピーチ台のような物が出現しており、白衣姿のBBはそこに立って鳳牙たち全員を見回していた。

 目で促された鳳牙はパーティー側の席に腰を下ろし、黙って相手の出方を伺う。


「本日はご足労頂きましてありがとうございます。ご依頼いただいていた調査に関して進展がありましたので、まずはそちらの報告からさせていただきます」


 そう言って、突然BBが何もない空間を撫でるような仕草をとった。すると、


「っ……」


 誰ともなしに鳳牙たちの側から息を呑む声とわずかなどよめきが生まれる。

 BBの行為によって、彼の横には大きなウィンドウが出現していた。何も映っていない真っ暗なものだが、鳳牙たち賞金首はそれが生み出される場面を一度ならず見た事がある。


「その反応を見るに、こういった類のものをどこかで見た事があるようですね。まあ、運営が絡んでいるのであればさして難しい事でもないでしょうけど。っと、そうそう。今回の件ですが、やはりAA社のどこかが関わっているのは間違いありませんね」


 鳳牙たちの変化にそれ以上触れる事もなく、BBは淡々と説明を開始した。

 彼の説明にあわせてウィンドウが切り替わり、そこには青空をバックに堂々とそびえたつガラス張りのビルが映し出される。


「今さら会社概要を述べるのもあれですが、まあ今後の説明に絡む点もあるので簡単に説明します」


 BBはそこで一度言葉を切ると、小さく息を吸い込んで、


AstralArts(アストラルアーツ)Corporation。通称AA社。電子工学以外にも各機械工学や医療設備やら外食産業やら、数えるのが面倒なほど幅広く手を出している複合企業です。特に仮想都市の構築や他国の仮想都市をつなぐネットワーク構築においても大きな貢献をしています」


 日本という国に住んでいればどこかしらで耳にするAA社の功績について簡単にまとめた説明を行った。


 ――ん?


 そんな中で鳳牙が気にかかったのは、BBが言葉尻に御影へ視線を飛ばし、その視線を受けた御影が面白くなさそうに鼻を鳴らした事だ。

 まるでアイコンタクトのようなそれは、一体何の意味があったのだろうか。


「AA社は東京の中心地に本社ビルを構えていますが、仮想都市TOKYOの同じ座標にも同規模の自社ビルデータを所有しています」


 鳳牙の引っかかりをよそに、話は先へと進んで行く。

 BBの隣に存在するウィンドウは縦に二分割され、それぞれによく似たビルが映し出されていた。左側の映像は最初に映っていたものと同じであるため、右側のビルが仮想現実で構築されたビルなのだろう。


「そしておそらく、今回の一件の犯人はこのバーチャルAA社に潜伏しているものと見られます」

「なんだと!?」


 真っ先に声を上げたのは、なんと御影だった。テーブルに手を叩きつけ、椅子から立ち上がってしまっている。


「ちょっと待て。てめえは犯人が仮想都市ネットワーク内から事を起こしてるって言うのか?」

「その通りです。なにせご存知の通りAA社は唯一仮想都市TOKYOと独自の回線で接続している会社でもありますからね」


 言って、BBはウィンドウを操作して赤と青、それぞれ単色の線で構成された二つの立方体を表示させた。

 そうしてその二つの図形を重ね合わせて紫の立方体を示しながら、


「この専用回線のおかげでAA社はバーチャルAA社と異層合重を行い、現実を仮想に、仮想を現実へ再現させる特殊な環境を作り出しています。言ってしまえば、局所的なオーギュメンテッドリアリティですね。これによりAA社では仮想世界にいながらにして現実世界への干渉を行う事が出来ます」

「そうか。それであの場所は……」


 BBの説明を受けて、御影が眉間に深いしわを刻んでいる。

 どうも先ほどから御影はBBの話についていっているようだが、鳳牙は仮想都市の話題が出た辺りからほとんどちんぷんかんぷんである。

 ちらりとフェルドやアルタイルの様子も盗み見たが、こちらも眉間にしわを寄せているところを見るにほとんど分かっていそうにない。

 小燕にいたっては眠りかけているし、ステラは小燕の介抱でおそらく途中から話を聞いていない。

 話の内容は鳳牙たち自身に関わる事のはずなのだが、当の本人たちがまるで理解出来ないというのはいささか問題なのではないだろうかと悩み始めたところで、


「賞金首である貴方たちはこの話をきっちり理解しなくても構いませんよ。貴方たち五人の中にこちらの方に明るい人はいらっしゃらないようですしね。まあ、だからこそマリアンナさんに頼んで天之御影命さんを連れてきてもらったのですけれど」


 BBが難しい顔をしている鳳牙たちにそんな事を言ってきた。

 改めて言われると馬鹿にされているような気がしないでもないが、事実である以上何も言う事は出来ない。


 ――けど、御影さんがこっちに明るいってのははじめて知ったな。


 自然と鳳牙の視線は御影に向けられる。武具職人として世話になっている期間は実はフェルドたちとの付き合いよりもやや長いのだが、それでも御影がそちらに精通しているとは知らなかった。

 考えてみればゲーム内で現実の話をする機会など早々ないのだから当然だが、なんとも奇妙な感じである。


 ところが、続けてBBの口から語られた内容は、鳳牙の予想をはるかに超えたものであった。


「貴方なら私の話を十二分に理解してくれると思っていましたよ。元AA社セキュリティ開発部門の主任の経歴は伊達ではありませんね」

「………………え?」


 場の空気が固まった。

 そうして全ての視線が一斉に御影に集中し、無言の圧力を受ける羽目になった御影がそれらを真っ向から受け止めつつ、何かを諦めたように小さく嘆息した。


「昔の話だ。もう、二十年以上もな」


 ポツリと吐き出された言葉は、過ぎ去りし日々を思い出すように噛み締められたものだった。隣のマリアンナはそういった御影の過去を知っているのか、特に表情を変える事無く話に耳を傾けている。だが――


「しかしAA社の関わっていた仮想都市TOKYOの構築にも貴方は関わっていたのでしょう? そして仮想都市ネットワークの構築完了とほぼ同時にAA社を辞めた。()()()()()()()()()()()()()()()()

「――っ!」


 新たにBBの口から語られた事実に、それまで平然としていたマリアンナが大きく息を呑んで両手を口元に当てた。信じられないものでも見ているかのような視線を御影に向け、向けられた側はばつが悪そうに顔を逸らしてしまう。


 ――状況が分からん。


 相変わらず理解の追いつかない鳳牙は、ぴくぴくと苛立ちを表すように耳を動かした。

 とりあえずはマリアンナの驚き方とそれを否定しない御影の様子から、BBが何かしら重大な事を暴露したであろうという予想は付くが、それだけである。

 再度ちらりとフェルドに視線を向けた際、彼とちょうど目が合ったのだが、首を振りながら肩をすくめられてしまった。

 そんな様子が部屋の奥からよく見えたのだろう。


「すいませんね。先にこの話をしておかないと貴方たちに関係のある話に持っていけないんですよ。まあでも、この話は貴方方が十歳にも満たない頃の話ですから分からないのも無理はありません」


 BBがそんな話をして来た。そして、


「簡単に説明すると、ですね。仮想都市ネットワークはそのセキュリティを高めるために構築に関わったメンバー全員の管理を徹底する決まりを作ったんですよ」


 彼は場の微妙な雰囲気を無視して説明を始める。いわゆる歴史の話になるようだが、一先ず鳳牙は黙ってBBの話に耳を傾ける事にした。


「住居も特定の場所を決められ、情報の漏洩をする事がないように生活上も様々な制限を設けられます」


 BBの説明によれば、それはいわゆる個人プライバシーの喪失と同義であるという事だった。

 電話の内容もメールの内容も全て監視・検閲を受けねばならず、当然インターネットの利用時もリアルタイムでどんなサイトを閲覧しているのか、どんな書き込みを行っているのかなど全てが筒抜け状態。住居には隠しカメラや盗聴器が仕掛けられ、ありとあらゆる行動を逐一監視されるのだという。

 普通に考えれば精神がもたない。恐ろしいまでのストレス環境だ。


「その代わりに、対象者には莫大な給金を支払われます。が、自由の代償としてはとても足りませんね。だから当時開発に関わっていた人間のほとんどが辞めています。情報を外に漏らせないよう、仮想都市ネットワークに関する記憶を奪われて、ね」


 BBがつんつんと自分のこめかみの辺りを指で突いている。

 鳳牙も知識として人間の記憶のデジタルデータ化が可能であるという事は知っているが、まさかそれを記憶改竄に応用しているという事実までは知らなかった。


「今我々が体感している五感のデジタル化をはじめ、脳科学・医学の発達で記憶のメカニズムはほぼ解明されていましたからね。特定の期間の記憶を選択削除するという事も不可能ではありませんでした。そこで仮想都市ネットワークに関する仕事に携わったもので仕事を辞するものは、その記憶を削除――というよりは抜き取りでしょうかね。まあそれが通例となったようです」


 なんでもないような感じでBBが話を続けているが、その実そんなに単純な話ではない事を鳳牙はよく知っている。

 記憶デジタルはその扱いに大きな責任が課せられおり、下手な事をすると簡単に死刑判決さえ出かねないほどデリケートな分野でもあるのだ。BBの言う様な記憶改竄が日常的に行われていると知れれば、大騒ぎになるのは間違いない。


「抜き取られた記憶はデジタルデータとして保存されています。そして代替要員にその記憶データを転写する事で即戦力として活動させているんです。もちろんその代替要員が辞める時にはまた記憶を引っこ抜いてしまいます。そうやって無理矢理専門家を生み出しながら仮想都市ネットワークは維持されているというわけですね」


 記憶デジタルの扱いが難しい最大の理由がまさにそれだ。その人間を作り上げる重要な要素でありながら、もはや人間の記憶は機器さえ揃えばインプットもアウトプットも容易なただのデータでしかない。


「だからこそ犯されれば致命的でもある仮想都市ネットワークは全てにおいて優先されるのでしょう。人の記憶を弄繰り回す事も辞さないほどに、ね」


 熱弁をふるうBBに、鳳牙は一抹の恐怖を覚えた。それは彼の言葉にある種の感情が滲み出ているせいだ。この感情は、おそらく本人では気がつけない類の滲み出方をしている。

 言葉の端々に感じられるもの。それは期待だ。彼は何かに期待している。


 ――なら何に期待している?


 にやりと口の端を釣り上げるBBの視線の先。そこには親の敵でも見るような顔をした御影と、そんな御影とBBの顔を落ち着きなく見比べているマリアンナがいた。

 鳳牙はピンと耳を立ててそんな大人たちの同行を見守る。


「しかし、そこの天之御影命さんはどういった手段を使ったのか記憶を保持したまま仕事を辞めているんです。つまり、おそらくはこの世界で唯一仮想都市ネットワークについて情報を持っている部外者なんですよ」


 消されるはずだった記憶を保持したままであるという事は、御影はすでに関係者ではないにも関わらず仮想都市ネットワークについて何らかの事情を知っている者と考えられる。

 そして今回の鳳牙たちの一件に関係する者がその仮想都市に潜伏しているということであれば――


「つまりは――ああ、いきなり失礼」


 鳳牙の考えがまとまるよりも先に、それまで沈黙していたフェルドがやおら口を開いた。彼は一言断った後、


「えと、つまりは仮想都市内でBBさんが今以上の調査をするためには完全秘匿されている仮想都市ネットワークに関する何かが必要って事で、その何かを持っているであろう御影さんをこの場に呼んだという理解でいいんですか?」


 その黄玉の瞳をBBへ向けて尋ねた。彼の言葉は等しく鳳牙の考えと同じもので、だからこそ鳳牙は下手に口を挟まずフェルドとともにBBの返答を待つ。


「ええ。仮想都市ネットワークは今までに述べた通り徹底したセキュリティに護られています。世界中にいる歴代の有力なハッカーたちも、仮想都市ネットワークに正規の方法以外で侵入出来た者はいません。また、入場の際にほぼ全ての物品データの持込を禁止されているせいで何かを持ち込む事も難しい」


 やれやれとでも言うように、BBは大げさな動作で肩をすくめている。だがすぐにすっと目を細ませたかと思うと、


「ですが、仮想都市ネットワークが外部からのアクセスに対して強固である理由の一つは仮想都市ネットワークの構造が人為的ブラックボックスに包まれているせいです。ネットワークに関わっている人間以外にはその構造がどの様になっているのか、どのような理論で持って構築されているのかすら分からない」


 最後に軽く奥歯を噛んだようだった。ハッカーとしての誇りが、太刀打ち出来ない存在を許容しかねているのだろう。実力があればあるだけ悔しさも一押しといったところか。


「ですが裏を返せばその内容さえ分かればどうとでもなる可能性は高い。デジタルであろうとアナログであろうと、その手の内さえ見えてしまえば攻略出来ないものなどありはしないんですよ。だからこそ――」


 フェルドへ向けられていた視線が横にずれ、その視線を追った鳳牙は相変わらずしかめ面のままになっている御影に行き当たる。


「貴方の持つ情報が今回の事態を打破する鍵になり得るんですよ。天之御影命さん」


 向けられた視線を、腕を組んだ御影が真っ向から見据え返していた。



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