4.不浄怨念 呪われし腐乱龍
『ふぬっ!』
渾身の震脚が石の床を踏みつけ、鳳牙の全身から放たれる勁が波動となって周囲のモブたちを押しのける。
不死族モブは総じて動きが遅めのため、限定空間内での殲滅戦では囲まれる事のないようにノックバック付加スキルで自分たちの制空圏を確保し続ける事が肝要だ。
そのためには制空圏内への侵入者を最速の一手で倒し続ける必要がある。
『てぇりゃあ!』
小燕が大剣を横薙ぎにを振るい抜き、ヒットポイントを根こそぎ奪われたモブたちが演出効果で胴切りになって床の上に散らばった。
臓物が撒き散らされないだけましだが、ゾンビやらグールやらのバラバラ死体は結構なスプラッタである。
『鳳牙、小燕。そっちは大丈夫かい?』
周囲のモブを蹴散らしてやや一息つこうかというタイミングで、フェルドからの【ささやき】が飛んでくる。
彼はすぐ近く、青透明の壁の向こうで同じようにわんさか湧いて出ているモブとそれを生み出しているドラゴンゾンビと交戦中だ。あちら側にはアルタイルとステラもおり、範囲攻撃スキルに長ける二人が相手の軍勢をものともせずに押し返していた。
自分たちの周囲を確保するだけで手一杯の鳳牙たちとはえらい違いである。
『今のところはたまに飛んでくる龍咆が痛いくらいで安定してます』
鳳牙は周囲で不気味な声を上げながら間合いを詰めてくるモブたちを睥睨し、次の一手の準備をした。
装備品の変更が出来れば小燕と合わせて雑魚モブなど物の数ではないのだが、ドラゴンゾンビの出現と同時に『亡者の呪い』を付加されてしまったため、装飾品である着替え袋の効果も使用不可能になってしまっている。
加えて、本来ドラゴンゾンビが使えるはずがない『エリアセパレート』によって仲間と分断されてしまったのが痛い。
エリアセパレートで分断されると会話も【ささやき】でしか届かなくなり、エリアをまたいで対象を取る事も出来なくなる。ようは互いに見える位置にいながら全く別の場所にいる、言い換えれば仲間とはぐれてしまう事と同じなのだ。
それならばと一度塔から出られればよかったのだが、入り口の扉には謎の魔法陣が張り付いて開閉が出来なくなった上、塔の上階へ続く階段はドラゴンゾンビの背後にあるため容易にこの場から撤退する事が出来ない状況である。
と、壁を背にして機会を伺う鳳牙と小燕の足元から淡い光が発生する。発生源は石の床の上に描かれた魔法陣だ。
地面から生えたかのような青透明の壁を潜るそれは、フェルドが設置した『聖浄なる領域』である。直接的な支援を望めない鳳牙と小燕にとってこの回復魔法陣は生命線だ。セパレートの効果時間である五分が過ぎるまで、なんとしてもこの場所で耐え切らなければならない。
『セパレートの効果が切れたら急いで合流するよ。固まらないとまた分断されちゃうからね』
『了解です。あと三分くらいですかね』
鳳牙は自分に付加された亡者の呪いの残存効果時間を指標にしておおよそのタイミングを割り出した。
付加ステートは月齢のようにアイコンが徐々に消えていく形で残存時間を示すため、効果時間が十分である亡者の呪いアイコンが半分になったタイミングでセパレートの効果も切れるはずだった。
『鳳兄』
『応』
小燕に呼ばれ、鳳牙は会話に割いていた分も含めて全ての意識を眼前の敵へ集中させた。
「キ゛ュ ア゛ア゛!」
ドラゴンゾンビが不快な咆哮を上げて巨体を震わせるたび、その身にまとう腐肉が周囲に撒き散らされる。そして撒き散らされて腐肉から新たな不死族モブがゾクゾクと発生し続けていた。
これがドラゴンゾンビの最も厄介とされる『不死生み』の特性だ。
龍族系ボスモブでは単体性能最弱のドラゴンゾンビだが、攻略難易度ではそれなりに上位に位置する。その一端を担うのがこの不死生みなのである。
特に今の戦場になっているドラゴンゾンビが存在するにはいささか狭い場所においては、無尽蔵に出現し続けるモブは下手に強力なモブが数匹いるよりもずっと厄介だ。
挙句の果てには亡者の呪いとエリアセパレートのコンボでほぼ全ての回復手段を封じられている現況、物量攻めは最もやられたくない戦術である。
『とはいえ、ここで負けるわけには行かないんだよ』
鳳牙はぐっと拳を握り締め、
『小燕。旋風脚で前の方の七匹くらいをまとめて吸い寄せるから、道中でやったみたいに『斬空』で薙ぎ払ってくれるか?』
『あいあい合点承知の助!』
アルタイルの影響だろうか。やたらと古めかしい言い回しと共にガッツポーズを見せた小燕に元気をもらい、
『よし!』
鳳牙はモブの群れに特攻する。
「ア゛ア゛ア゛」
「ウ゛ア゛ー」
当然鳳牙を射程内に捉えた最前列のグールが大口を開けて噛み付こうと狙ってくるが、
『俺は美味しくなんかねえぞ、っと!』
相手の鼻っ柱に軽くジャブを打ち込んで怯ませ、その隙に体当たりをする勢いで脇を抜ける。
『小燕!』
すり抜けると同時に合図を飛ばし、
『あいさ!』
合図を受けて特攻して来る小燕の動きを振り返る事無く背中で感じ取って、鳳牙は一拍置いてから旋風脚を発動。高速の空中回し蹴りによって発生させた竜巻が周囲の八体のモブを引き寄せた。
『だっしゃー!』
全てのモブが最もコンパクトな状態に集まった瞬間、狙い済ました小燕の大横薙ぎの剣閃がモブの胴体を通り過ぎ、合計八つの上半身が宙を舞う。
数拍を置いて熟れ過ぎたトマトを地面に落として潰れたような音が連続して聞こえてくると、まさに死屍累々という言葉がぴったり来るような惨状が形成されていた。
『小燕。魔法陣まで下がるよ』
『あいあい』
もっとも近くまで寄ってきていた集団を一掃したため、再びモブの群れが危険領域に到達するまでにはいくばくかの余裕が生まれた。
鳳牙はガラスのように脆そうでありながら強化アクリルのごとく強固な青透明の壁に身を寄せ、透けて見える向こう側の戦況を確認した。
あちらこちらでアルタイルの罠玉が火柱を発生させ、猛火を逃れたモブもステラとクリスタルオプションがピンポイントで狙い打っている。
設置してもらった魔法陣しか回復手段がない鳳牙側と違って、フェルドの的確な支援によって龍咆による三種類のダメージも即座に回復しており、状況は明らかに優勢と言えた。
ただし、大本であるドラゴンゾンビのヒットポイントがほとんど減っていない。相手側のモブ湧き速度からいって、これ以上時間をかけるようではすぐに物資が底を尽いてしまうだろう。
鳳牙は自分の呪いステートアイコンを確認し、それがもう少しで半分になる事を確認すると、
『フェルドさん。そろそろ壁がなくなります』
『オーケー。壁がなくなったらすぐに合流。固まったところで僕がターンアンデッドをチャージするから、その後は各自これから言う指示に従って欲しい』
鳳牙の声掛けに、目を閉じて脱力した自然体になっているフェルドが答えた。
自分のマナポイントを急速回復させる『メディテーション』中は全ての行動が不可能になるため、戦闘中はかなり諸刃の剣になる回復スキルである。
それを今使っているという事は、フェルドが次の一手で勝負を決めるつもりだという事だ。
『まず鳳牙、アルタイル、小燕は僕がチャージ完了するのにあわせて神器を解放』
『了解です』
『うぬ』
『合点だ』
早期決着のためには当然神器を使わざるを得ない。強大なる神にさえ致命的なダメージを与える神器のウェポンスキルだ。
三つのスキルを叩き込めばいかに高ヒットポイントで名高いドラゴンゾンビといえども倒しきれる可能性は十分にある。
ただしその際に気をつける必要があるのはドラゴンゾンビの反撃だが、
『ステラはターンアンデッドで周囲のモブが消滅したあと、ドラゴンゾンビが新しいモブを生めないように行動妨害効果のあるスキルで波状攻撃して欲しい』
当然そこに対する対処も考えられていた。ステラだけ解放メンバーに入っていなかったのはドラゴンゾンビを抑える役目を担う者として、彼女以上の適任者が存在しないからである。
『お任せばい』
フェルドの言葉にステラが力強い返事をしたところで、不意に鳳牙の目の前にあった青透明の壁が消失する。エリアセパレートの効果が切れたのだ。
『消えました!』
『全員モブを無視して集合!』
『承知』
『急げ急げ』
『分かったばい』
鳳牙を含め、それぞれに言葉を発するより先に行動を開始している。そして懸念していた二度目のエリアセパレートが行われる事なく即座に合流が完了すると、
『ターンアンデッドのチャージにかかる時間は十秒だ。さっきの通りチャージ完了と同時に打って出るよ』
すぐさま詠唱に入ったフェルドが全員に目配せを行ってきた。詠唱エフェクトを発生させて淡く輝く彼の右手がカウントダウンを開始し、
『神器、解放!』
『神器解放に御座る!』
『神器解放いっくよー!』
その指が〇をカウントすると同時に、鳳牙は右拳のカグツチから炎を噴き上げた。同じく力を解放したアルタイルのタケミカヅチは刀身に青白い雷をほとばしらせ、小燕のクラミツハは噴き出す水流が新たな剣身となって形成されている。
『全力だ! 八百万の神々のご加護を!』
宣言と同時にフェルドが先陣を切り、その後ろに鳳牙、アルタイル、小燕、そして殿をステラが続く。
『退け! ターンアンデッド!』
先頭を進んでいたフェルドがモブの群れのど真ん中で急停止すると同時に高々と白杖を掲げてスキルを発動。眩い光がフェルドを中心に発生し、光に触れたモブたちが次々と塵芥となって消え去って行く。
対不死族モブ限定の範囲即死魔法。その威力は絶大の一言に尽きる。
そしてターンアンデッドの聖光はドラゴンゾンビにまで及び、
「キ゛ュ イ゛イ゛イ゛ッ!」
照らされる事が不快であると示すかのように龍咆を発動させてきた。
だが龍咆はヒットポイント、スタミナ、マナポイント全てにダメージを与える強力なスキルである反面、獣咆や神咆のように行動を阻害する効果が一切ない。
つまりそれは現在進行形でスキルを発動させ続けているフェルドの行動を止める事も、スキル発動のために立ち止まったフェルドを追い抜いた鳳牙たち三人を止める事も出来ないという事だ。
『ぬう。これが初お披露目で御座るな。喰らうがいいので御座るよ』
最初に飛び出したのはアルタイルだった。タケミカヅチを逆手に構えた彼は、
『疾風迅雷――』
さらに速度を上げてドラゴンゾンビへ肉薄。いつの間にか発生していた複数の残像を引き連れたまま一筋の雷光となって駆け抜けた。
「キ゛イ゛ッ!」
鳳牙は急速接近してくるアルタイルに気が付いたドラゴンゾンビが大口を開けて何かしら反撃を試みようとしているのを確認したが、
『遅いで御座るよ!』
その時にはすでに全てが終わっていた。刹那、鳳牙はアルタイルが光になったかのような錯覚を覚えた。無数の残像と共に目にも留まらぬ速さで駆け抜けたと思った彼の姿が、いつの間にかドラゴンゾンビの脇へ移動していたかと思うと、
『煌星忍法、光陰閃』
「キ゛ェ イ゛イ゛イ゛イ゛ッ!!」
血糊を振り払うかのようにアルタイルがタケミカヅチを振った途端、瞬きの内に数十本の剣閃エフェクトがドラゴンゾンビの身体を切り刻み、その激痛に反撃を試みていたはずのドラゴンゾンビが威嚇でも攻撃でもない激痛による咆哮を上げる。
ほぼ満タンだったヒットポイントは三割ほど削られており、鳳牙はチラリと確認したダメージログが上から下までアルタイルの攻撃がドラゴンゾンビにダメージを与えている事を示すもので一杯になっている事を確認した。
はたしてあの一瞬で何回攻撃を行った事になっているのだろうか。
『アル兄かっけー! でもでも、小燕ちゃんだって負けてはいないのですよ!』
次いで仕掛けるのは水の大剣を背負いが舞えた小燕だ。彼女はアルタイルの与えたダメージで生じた隙を逃さず、突撃する勢いのままに床を蹴って飛び上がり、
『斬山昇水――天下両断剣!』
落下の勢いに乗せてありえないほど長大に変化させたクラミツハの水剣をドラゴンゾンビの脳天めがけて振り下ろした。
それはこれがゲームでなければ間違いなく相手を一刀両断したであろう一撃である。
「キ゛ェ エ゛エ゛エ゛ッ!!」
小燕の攻撃で一気に四割近いヒットポイントを削られたドラゴンゾンビが絶叫を上げる。だが今度はすぐさま白濁した目に黒い憎悪をたぎらせると、全身から赤紫の光を放ち、顎が外れるのではないかというほどに開けた大口にエネルギーを収束させ始めた。
それは龍族モブが持つ『ドラゴンブレス』と総称される固有技の前兆だ。ドラゴンゾンビのブレスは『デッドリーブレス』と呼ばれ、あらゆるバッドステータス・ステータスダウンを同時付与した挙句、五割の確率で即死させられる凶悪なる死の吐息だ。
ブレスの射線上には攻撃態勢に入った鳳牙に加え、攻撃を終えた直後の硬直状態にある小燕。ターンアンデッドを終えて白杖を構えるフェルド。そしてステラがいる。
ブレスの射程と効果範囲を考えれば、今から回避したのでは誰も間に合わない。かといって鳳牙の攻撃はブレスの発動に先駆けれるタイミングではない。
何も知らないまま今の状態を見れば、誰もが全滅の文字を脳裏に浮かべた事だろう。だが――
『プレス!』
凛とした声がそのスキル名を唱え、同時に大口を開けていたドラゴンゾンビがいきなり床に伏した。いや、それはまるで上から強制的に押さえつけられたかのようだ。
そしてその結果、ドラゴンゾンビは自ら集めていたエネルギーを飲み込むようにして口を閉じてしまい、全身から発していた赤紫の光を消え失せる。
『続けてストロングバインドばい!』
音も無く忍び寄っていた青のクリスタルオプションから魔力の鎖が伸び、いまだ地面に押さえつけられているドラゴンゾンビの口に巻き付いた。
これでもう口を開けてブレスを撃つ事は出ない。また、不可視の力で押さえつけられている状態では腐肉を撒き散らす事も出来ない。
『ナイス、ステラ!』
デッドリーブレスという脅威がなくなったこのタイミング。放つならば今しかないというこの瞬間、鳳牙はドラゴンゾンビを射程に捕らえきるわずかの距離を縮地で無へと帰すると、
『炎魂一擲――せぇええりゃあああっ!』
地面に押さえつけられて身動きのとれない相手の鼻っ柱に燃える拳を叩き込んだ。
鳳牙は自分の拳が相手に触れるや否や全てのエネルギーが接点に収束し、即座に拡散して大爆発を起こす様を誰よりも近くで確認した。
そんな爆発が起きても全てを目の当たりに出来たのは、収束した力の拡散方向が全て相手側にのみ向けられたものだったからだ。
さすがに反動を足の力で抑え切る事は出来ずに床の上を滑って後退してしまうが、計り知れない威力の爆発を全てその身に受けたドラゴンゾンビはただではすまない――はずだった。
「カ カ ッ……カ カ カ カ カ ッ!」
腐肉の焦げが生み出す異臭のする煙の先から硬質な物を打ち合わせたような音が響いてきたかと思うと、
『げっ……』
『ぬう……』
『あっちゃー……』
視界を塞いだ煙の中から、身体のほとんどの腐肉を失って白骨化したドラゴンゾンビが怒りの咆哮を上げた。
そのヒットポイントは残り一割だが、残存ヒットポイントとしてはいささか多過ぎる。
――おいおい腐肉を吹き飛ばさせる事でダメージを軽減させる事でも出来るっていうのか?
鳳牙の知識ではドラゴンゾンビにそんな特性はないはずだが、考えてみれば初手からエリアセパレートなどというスキルを使ってきた相手である。今更そんな芸当を見せられたところでやる事は変わらない。
強力な分硬直も長い神器スキルの反動で全ての行動が不可能になっている鳳牙は眼前のドラゴンゾンビと言うよりかはボーンドラゴンと化した相手を見据えるが、
「やば! 小燕避け――」
頭上で煙を振り払うかのごとく大振りに薙がれた骨の爪が左から襲ってくるのを見て、鳳牙は傍にいた小燕に回避を促した。
硬直で動けない鳳牙と違って、すでに硬直の解けた小燕はぎりぎり回避が間に合うはずだからだ。しかし――
「この程度、小燕ちゃんにお任せなのですよ!」
そう言うや否や骨の爪と鳳牙の間に身体を滑り込ませた小燕が、クラミツハを右手だけに持ち替え、空いた左手を静止を促すようにして突き出した。
彼女は小さく息を吸い、そして腹の底から力を吐き出すようにして、
『絶対障壁!』
スキル名を宣言。直後に突き出した左手を中心に闘気のようなエネルギー体が出現し、瞬く間にエリアセパレートのような障壁を出現させた。セパレートは青透明だったが、こちらは黄色い輝きを孕む白色である。
『来い!』
小燕が威勢よく啖呵を切ると同時に骨の爪が出現した障壁に激突。鉄球がコンクリートの壁を破壊したような音が響き渡るが、ドラゴンゾンビの一撃は小燕の発生させた障壁を打ち破れず、
「カ゛ア゛ア゛ア ッ!」
一際強く輝きを放った障壁に弾き飛ばされるようにしてその破壊力と勢いの全てを失った。
『絶対障壁』。重戦士の職業スキルにして、あらゆる物理・魔法攻撃を無効化させて弾く完全防御の障壁を発生させるスキルだ。
効果は使用者本人にしか及ばないが、指向性をもつ範囲攻撃をシャットアウトさせる効果もあるため、小燕の背後にいた鳳牙も全くのノーダメージになっている。
『小燕ちゃんの防御は素敵で無敵で完璧なのだ!』
ダーッ、と勝利のガッツポーズを決める小燕に、鳳牙は軽く溜息を吐き出しながらそのヘルメットに覆われた頭をコンコンと叩いた。
『助かったよ』
『ういうい』
『二人とも無事に御座るか!』
そんなところへ元から攻撃の範囲外にいたアルタイルが文字通り飛んで来て合流する。
「カ ア ア ア ッ!」
と、自分の攻撃が防がれた事がよほど腹に据えかねたらしく、全てを失った存在しないはずの空虚な目に憎悪の業火を燃やしたドラゴンゾンビが再びデッドリーブレスの体勢に入った。
立ち位置はそれほど変わっていないので、この状態でブレスを放たれればパーティー全員が巻き込まれるだろう。
だが収束していく黒いエネルギーを目の当たりにしても、鳳牙はそれが危険だとは思えなかった。
もしこれが最初の攻撃――骨の爪による大薙ぎの代わりであったならやや焦ったかもしれないが、今この状況下でデッドリーブレスを放とうとするにはもう遅すぎるのだ。
ドラゴンゾンビは鳳牙たちに、正確には初手で周囲のモブを消し飛ばした彼に時間を与え過ぎたのである。
『これで最後だね』
鳳牙がチラリと確認した先。力を解放したアマテラスを掲げたフェルドが、今まさに聖光なる鉄槌を打ち振るわんと構えていた。
発生した力場が風を呼び、はためくフェルドの白きローブがアマテラスの光を反射する。そして――
『神罰執行――ディバインレイ!』
指し示されるように向けられた白杖の先。怨念をその身に宿した腐乱龍の身体が激しい光に包まれて、鳳牙の視界が戻った時には跡形もなく消滅してしまっていた。
本来残るはずの死体がないのは、おそらくあのドラゴンゾンビが規格外な存在であるせいだろう。
ドラゴンゾンビの消滅と共に地面に展開されていた赤紫の魔法陣を消え去り、扉に張り付いていた魔法陣も消滅した。
ようやく落ち着きを取り戻したと、鳳牙を含め誰もが思わず一息吐き出した時だった。
「なんっとおっ!?」
「きゃっ……」
「おお?」
「おふ……」
「ぶべ」
いきなり大扉が開かれたと思うと、扉の向こうから五人のプレイヤーが転がり込んで来た。
気が緩んだ一瞬を突かれた形になったため、鳳牙もフェルドもアルタイルも小燕もステラも、誰一人としてこの出来事に反応出来ない。ただ目を丸くして瞬きを繰り返してしまった。
転がりこんできたのは明らかにパーティーだ。
最初の鳳牙のように最も勢いよく転がり込んできたのは、覚めるような赤と白のツートンカラーのおそらくは巫女。そのやや後ろの方で仲良く転んでいるのが、向かって左からハルバード装備のフルプレートメイル。体格からしておそらく男の重戦士。その隣に紺碧のローブに身を包んだ男司祭。銀色のプロテクターを装備する女剣聖。最後に棘のついた物騒極まりない棍棒を持った男聖騎士。
「………………」
見るからにガチパーティーだ。それでも普段なら撃墜マーク集めでもと考えられそうではあったが、なにぶん現在はドラゴンゾンビを全力で仕留めきった直後である。
削れたヒットポイントなどの回復はすんでいないし、ドラゴンゾンビの残り香とも言うべき亡者の呪いもまだ消えていない。
大技を二発使ったフェルドの残存マナポイントも雀の涙な上、神器解放を使った事で精神的な疲労も抱えている状態ではまともなプレイヤーと戦闘をするなど自殺行為である。
「いたた……。あーもうなんやねん! ひーまー、開かへんゆうたかて開いたやんかぁ」
「え? だって本当に開かなかったんだって」
「ともちん。それは俺も確認した。なあHIRO」
「おうとも。一瞬破壊すんのかと思っておもいっきり突いてやったがびくともしなかったぜ?」
「やっぱり掲示板の通り何かおかしかったんでしょうね。それが開いたという事は中のパーティーが全滅したかあるいは――って、あ……」
最も早くに正面に顔を向けた聖騎士の男と、鳳牙はばっちりと目が合った。ポカーンと口を上げて呆然とする仲間に首を傾げながら、残りの面々も同じように正面に顔を向けてきて、やはり口を開けて固まった。
そして――
『全員階段へ急いで!』
相手が驚いた事で逆にこちらの緊張が解けたのが幸いし、
『これは予想外過ぎますって!』
『三十六計逃げるが勝ちに御座るよ!』
『不味いってやばいってこれ!』
『なんでこげなとこ来よっとう!』
フェルドの声に反応して鳳牙は周りのみんなと一緒に塔の奥に見える登り階段を目指して駆け出した。
「なあっ! 賞金首や! しかも総額三千五百万の『真理の探究者』や!」
「ほんとだ。それじゃあドラゴンゾンビを攻略したの賞金首って事?」
「んー、どうなんだろうね?」
「阿呆かあ! んな事考えとらんで追っかけるんや! 塔は最上階で行き止まりなんやで? ダンジョンは転移魔術も使えへんし、袋のネズミやんか!」
「おう。そういやそうだったな。これは一つ俺様の槍斧使いとしての名を上げるチャンス到来ってか?」
「名だたるランクSとランクAのみで構成されるパーティーギルド。ふふ。相手にとって不足はないね」
「格好つけとらんではよ行かんかい前衛ども! 『瞬身の法』行くでー!」
ややコントじみた会話が終了した後、鳳牙は背後から迫ってくる複数の足音を耳に捉えた。
◇
――間に合うか?
鳳牙がそんな焦りを覚えたのは、全十一階層からなる塔の七階層目に到達しようかという段になった時だった。
塔は螺旋状の階段で各階層をつなげており、階層毎にちょっとした踊り場のような空間と扉が存在している。
一度どこかの階層に潜んでやり過ごす事も考えたが、うるさく反響する足音が急に途絶えれば確実に相手に知られてしまうだろうし、何よりここまで来たらもう行けるところまで行くしかない。
『………………』
チラリと、殿で階段を駆け上っている鳳牙は背後を盗み見る。そこにはまだ誰の影も見えはしないが、鳳牙は鋭敏な聴覚によって後ろから追いかけてくる足音が徐々に追いついてきている事に気がついていた。
移動速度に差が生じてしまっているのは、相手方の巫女がかけたスキルの効果である。
中・後衛職に該当する『巫女』はステータス強化スキルに秀でており、それは単純な力・体力・魔力・回避率・命中率の六大要素に留まらず、移動速度強化をも行う事も出来る。
さすがに獣化ほどの速度上昇は見込めないが、それでも約一.三倍の移動速度上昇効果は絶対的だ。幸いな事に階段にモブがいないため速度を緩める事なく登り続ける事が出来てはいるが、それでも単純計算で三階層上る毎に一階層分差を詰められてしまう事になる。
七階層の扉を素通りして再び階段を駆け上り始めたタイミングで、鳳牙はこのまま行けば八階層過ぎで追いつかれると判断した。ゆえに――
『先に行って下さい。足止めします』
鳳牙は階段を駆け上がる足を止め、踵を返して第七階層の踊り場に仁王立ちした。
『鳳牙!?』
『何のつもりに御座るか鳳牙殿!』
『鳳兄!?』
『鳳牙さんなんばしよっとう!?』
当然他の四人は鳳牙の行動に驚いて足を止めてしまうのだが、
『止まらないで行って下さい。やけでも無謀でもないですよ。ちゃんと勝算もありますし、大きく開いた差を埋められる獣化の使える俺が適任なだけです』
戻ってきそうになる仲間を、鳳牙は肩越しに振り返った視線でその場に押し留めた。そして最後に大きく頷いてみせる。
すると、
『……分かった。みんな、鳳牙を信じて先に行こう』
『うぬ。すぐに追いついてくるで御座るよ鳳牙殿』
『う~、鳳兄ちゃんと来なきゃだめだからね』
『鳳牙さん気をつけるばい』
それぞれに言葉を残して再び螺旋階段を駆け上っていった。
そんな仲間の背中を見送って、鳳牙は小さく息を吐き出した。そして今度は大きく息を吸い込んで、止める。
階下から聞こえてくる足音、ぴくぴくと反応する耳に届くそれはもうすぐそこに迫っている。鳳牙は限界まで姿勢を低くし、いつでも飛び出せる準備を整えた。
そうなるつもりはさらさらないが、万が一も考えてチャットも通常チャットに変更しておく。
ギリギリまで相手にこちらの存在を気付かせてはならない。ふりふりと尻尾を振って正確に時間を刻む。
そして――
「なんやまだ見えへんのかいな」
「残念だがまだ見えねえな。今七階層くらいか?」
「第七階層目であってますよ。最初にアドバンテージをとられたとはいえ、移動速度はこちらが有利なはずです。八階層目辺りで追いつけると思いますよ」
「ゲームでもなきゃ階段ダッシュなんて無理だよねぇ」
「でも走ってるこの感覚はリアルだから、案外現実にも出来るのかもしれないぞ?」
ゲームだからこその雑談混じりの追跡者たち。鳳牙たちも何か一つ条件が違えばあちら側の立場にいたのかもしれないと思うと、なんとも複雑な気分だった。
――けど。
今この場にもしもの議論は必要ない。今鳳牙が求めているのは逃げ切れるだけの時間だ。それを得るために彼らには少々痛い目を見てもらう事になるが、幸いな事にここはゲームだ。大事に至る危険はない。
だから――
「ふっ!」
鳳牙は踊り場から追跡者の頭が完全に見えるようになった段階で縮地を発動。限界距離まで一瞬で移動し、そこからさらに二歩進んだところで緊急停止した。
「なあっ!?」
「うお!」
「なんと!?」
「きゃっ!」
「待ち伏せ!?」
鳳牙が停止したのはちょうど踊り場と下へ続く螺旋階段との境にあたり、追跡者たちはそこから七段ほど下の位置で急に現れた鳳牙に驚いて動きを止めていた。
しかしパーティー内の連携が良いせいだろう。ほとんど無意識のうちにと思われるが、しっかりと鳳牙の狙い通りに陣形を構えていた。
「悪いけどここから先は通行止めだ、よっ!」
言葉尻に合わせて鳳牙は全霊の豪震脚を放った。
豪震脚は地上においてはドーム状の範囲にノックバック効果のある勁を放つ物理スキルだが、実際にはスキル発動者を中心とした球状に範囲効果が発生している。
地上判定のない空中や水中での使用が出来ないために平面での効果範囲で説明される事が多いが、実際は効果の及ぶ限り高低差の影響を受けないスキルなのだ。
つまりは――
「あ、これやば――」
「おお?」
「押される!?」
「え? あ、ちょ――」
「わわっ! ちょ無理だっ――うわあああっ!」
豪震脚のノックバック効果で吹っ飛ばされる形になった追跡者たちは、陣形を作って固まっていた事が災いし、前衛の重戦士と聖騎士が後ろの三人を巻き込むような形で見事に階段を転げ落ちていった。
あの調子では六階層の踊り場に至るまで止まる事はないだろう。また、ダメージはなくとも痛みはあるためにすぐに行動を起こす事も出来ないはずだ。
「よし。……『獣化』!」
視界から追跡者が消え、騒々しい音が止んだところまで確認してから鳳牙はその身を銀の狼へと変化させた。
そして猛スピードで階段を駆け上っていく。
さすがに移動速度三倍は伊達ではなく、すぐさま八階層目を通過した鳳牙は次の九階層目の踊り場で仲間に追いついた。
『鳳牙!』
『鳳牙殿!』
『鳳兄お帰り!』
『鳳牙さん無事だったばい?』
『追っ手を一階層分下に突き落としてきました。たぶんこれで最上階までに追いつかれる事はないと思います。俺はこのまま先行して先に危険がないか確認してきます』
途中まで併走しながらそう告げると、鳳牙は一気に速度を上げて第十階層を突破。そしてすぐに最上層である第十一階層へ到達した。
――ここか。
人型に戻った鳳牙は、獣化によって外れた装備を付け直しつつ、注意深く目の前にある扉の様子を伺った。
これまで素通りしてきた各階層の扉とは一線を画する大きさと装飾の施された重厚なそれは、中に大事な物をしまっておくような厳重さと、誰かを閉じ込めているような堅牢さが同居しているかのようだった。
――さて……
道中何の危険もなかったが、他の四人が追いついて来るまでには今少しの時間がかかる。さしあたって中の様子も確認しておくかと鳳牙は扉に手を当て押し開けようとして、
『――え?』
あっけなく、それこそ扉自体の重さすら感じられないほどに何の抵抗もなく開いてしまった扉に肩透かしを食う形でバランスを崩され、
『っておいなんだこれええええっ!』
無様に床に転がるかと思いきや、奈落に繋がっていそうなほどの深淵を湛えた闇の底へまっさかさまに落ちて行く。
繋がったままの【ささやき】チャットから聞こえて来た叫び声に驚いたフェルドたちの呼びかけに応える間もなく、鳳牙の意識は唐突に途絶えてしまった。