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Chaos_Mythology_Online  作者: 天笠恭介
第三章 エンカウント
28/50

10.電脳調査 中途半端な白を追え



 夏の暑さは案外としつこいもので、九月の初旬程度では到底秋を感じられるような気温にはならない。加えて自然な空調が期待出来ない密集したビルの内部ともなれば、なまじ日向を歩くよりも性質の悪い熱気が篭りに篭ってしまう事もある。

 だがそんな地獄のような環境の中で、その一室は対極に位置する状況にあった。小奇麗になっている室内の温度計が示す数値は十六度。外の温度と十度近い差が生じている。


 そんな体感的に寒すぎる室内で、その男――久那島総司くなしまそうじはデスクに置いたパソコンの画面を見つめていた。

 年の頃は三十過ぎくらいだろうか。少し厚めの上着を羽織る彼は、画面に表示された膨大な文字列が絶えず流れ続けているウィンドウを眺めている。

 門外漢にはまったく持って意味不明な文字の流れを、総司は何かを監視するかのようにじーっと見つめ続け、


「ん」


 やがて何かを見つけたのか文字列のスクロールを止め、続いて恐ろしい速さでキーボードを叩き始めた。

 カタカタというよりはもはやガガガとしか聞こえない打鍵の音を立たせ、総司は取り付かれたようにキーボードでパソコンを操作していく。


 総司がキーボードを叩き始めると同時に、室内ではもう一つ別の騒音が発生していた。それは総司の操作するパソコンから伸びるケーブルの先、どこぞの大企業などに置かれるような大型コンピューターが三台連結でフル稼働状態にあった。騒音と共に吐き出される熱によって、コンピューター周辺だけはちょうど良い室温になっている。


「………………うーん。ここもなにもなし、ですか」


 速度を落とさずにキーボードを叩き続けていた総司がいきなりピタリとその手を止め、残念そうなため息とともにかりかりと頭をかいた。

 無精ひげを生やしている上に整えられていないぼさぼさ髪だが、フケが飛び散るような不衛生さはない。

 総司はデスクにひじをついて右手で頭を支えると、左手でリズムを刻むようにトントンと机を叩き始めた。それはイラついているわけではなく、物を考えている時の癖だ。

 しばらくパソコンの空調音と指が机を叩く音の二重奏が音楽になっていたが、結局総司は特にこれといって何かを思いつく事もなく、再びかりかりと頭をかいた。そうして一度姿勢を正すと、ごく自然な動作で空いた右手でデスクの引き出しに手をかけ、


「おっと」


 何かを思い出したようにはっと我に返って、総司は反対の左手をキーボードへ伸ばした。


「危ない危ない」


 ぶつぶつと独り言を呟きつつ、総司は左の小指でキーボードのコントロールキーを押しっぱなしにする。その状態をキープしたまま今度こそデスクの引き出しを開け、中から計三枚のクリアファイルに挟まった書類を取り出した。

 総司は片手で取り出したそれらを付くへの上に放り出すと、慎重な手つきで引き出しを閉め、完全に閉まったのを確認してから左小指で押し続けていたキーから指を離す。


「………………」


 総司は無言のまま取り出した三枚のクリアファイルを目の前に並べた。左と真ん中のクリアファイルにはそれぞれ年配の男女の顔写真が挟まっている。

 その後ろに挟まっている書類には、三条重光・三条美代というそれぞれの名前と共に現住所や電話番号を初め、勤めていた会社などの経歴までもが網羅されていた。

 住所ははるか遠くの物で、普通に考えればそんなに離れた場所に住んでいる人物の個人情報がこの場にあるはずがない。


 では何故そんなものがここにあるのかと言えば、総司が自分で情報を引っこ抜いたのである。入手先はCMO、つまりネットゲームだ。

 特に個人でバーチャルリアリティ機器を持っている場合、カスタマイズ調整のために色んな情報を機器に登録する必要がある。それらの情報は当然ゲームキャラに反映されており、ゆえにそこから辿れば総司にとって大したセキュリティに守られていない情報など掠め取り放題なのである。

 CMOにおいてBS二二一B――通称BBとしてプレイしている総司にかかれば、ゲーム内は個人情報の山でしかないのだ。

 だがつい先日、そんな彼をしてほぼ一切の情報が暴けなかった存在がいた。七月の終わり頃始まった『バウンティハントイベント』。そのイベントモブである『賞金首』。

 ゲームに囚われた人間だと主張する彼らは、総司を持ってしてもすぐには解明出来ない謎の存在だった。自分自身の不調ではない事は目の前の二つのクリアファイルが教えてくれている。あの場で一般プレイヤーだった二人からはいつも通りに情報を引き出せたのだ。

 しかし、賞金首たちからはゲーム的な情報以外は何も引き出せなかった。全てはブラックボックスの闇の中である。


 ――今すぐにでも調べたいけど、何の手土産も無しじゃあギブアンドテイクが信条な情報屋の名が廃るんだよね。


 約束は取り付けたものの、総司は己のプライドとして提供してもらうからには自分も提供する義務があると考えていた。故にあの日からこっち方々情報を探り続けているのである。


 主な調査先は当然CMO運営の親元であるAA(アストラルアーツ)社だ。賞金首たちの言葉を信じれば、この一ヶ月は当然の事として、それ以前から何かしら妙なお金の動きなりアクセス数の増加なり電力の供給量の変化なりが生じているはずである。

 現実世界で行方不明になっているという賞金首たちの肉体。それを生かし続けるためにはそれ相応の設備が必要になるからだ。


 AA社が多額の資金を出資している病院は日本全国にあるため、どこで賞金首たちが今の状況になったとしても秘密裏に彼らの肉体を運び込む体制は出来ている。

 つまりは、そういっためぼしい場所を探せば何かしら情報が得られる可能性は大いにあるという事だ。

 加えて、AA社自体には強固なセキュリティと有能なサイバー部隊が設置されているが、さすがに系列の場所にまでそのようなものは配備されていない。必要な労力が最小限で済むという利点もあった。

 無論、そういった場所で手に入る情報がどこまで有用なのかといえば疑問が残るが、そもそも事態の全容がまるで分かっていない状況である事を考えれば、どんな些細な情報でも貴重である。


 ――そう、思ったんですがね。


 総司は一番右のクリアファイルを手に取った。そこには今まで調べた内容がまとめられているのだが、それを依頼人に報告する気にはならなかった。

 理由は単純で、何も分かっていないからである。いや、何も分からない事が分かったと言うべきだろうか。


 AA社の息がかかった調査対象の設備は数多いが、総司は調べ始めて早々にその異常さに首をひねる事になっている。

 何が異常なのかと言えば、どこを調べても()()()()()()()()()()()という点だ。

 これが総司の本来の目的に関してのみというのであれば何の不思議もない。総司としてもそんな簡単に目的が達成出来るわけがない事は理解している。

 だが、これが単純な不正の証拠だったり賄賂の帳簿だったり不祥事に関する秘密文書などといった、社会の枠組みの中でどうしたってついてしまう類の埃すら存在しないとなれば話は別だ。

 どれだけ探っても叩いても塵一つない清廉潔白などありえない。これが一個人という事であればありえない事でもないだろうが、群体である以上は必ずどこかしらに何かがあるはずなのだ。

 だがそれがない。不気味なほどに真っ白なのである。まるで誰かが全てを白いペンキで塗り潰してしまったかのように、何も存在しないのだ。


 ――そんな事あるわけがないんですよねぇ。


 理路整然とどこまでも完璧に全ての痕跡が消し去られている。総司はそこに明らかな作為を感じていた。


 ――それに、世界は常に動いています。とすれば、今の状況はリアルタイムで維持されているとでも言うのでしょうか?


 総司が調べる直前に合わせて全てが行われていると考えるのはあまりに荒唐無稽だ。であれば、この異常な状況はリアルタイムで更新され続けていると見るべきだろう。

 だがそうなると、今度は一体誰がそんな事をしているのかという疑問が湧く。目的が今回の件絡みだとしても、関係のないものまで修正してしまうのは何故なのか。


 ――選別作業の簡略化……ではないでしょうね。


 必要なものを探し出して選択削除する労力と必要のないものまで全てを修正するという労力を比べた場合、おそらくそこまでの差は生じないだろう。

 前者には選別という負荷がかかるが、その分いじる部分が少ないので全体作業量としてはそれほど多くはない。

 一方で後者は選別する必要がないものの、不必要な部分まで修正作業を行わなければならないので全体作業量が数倍以上になるからだ。


 ――その上、こうまであからさまに何もないと逆に怪しまれると思いますけど。


 実際、総司は一番最初の場所を調べた時点でこの異常に勘付いていた。おそらくは誰が調べても似たような勘付きを覚えるだろう。

 そうなれば無闇に注目を集める事になり、面白半分の連中まで巻き込んでとんでもないお祭り騒ぎになる可能性すら秘めている。もしかしたらもうどこかで何か起こっているかもしれない。


 ――ふむ。


 一つ思い立ち、総司は再びその手をキーボードへ伸ばした。瞬きの内にキーボードでの操作を終わらせると、画面には真っ黒なウィンドウだけがポツンと表示されていた。

 総司はそこへ「やあ、久しぶり」と書き込みを行った。すると、


『ほっ。こいつぁ珍しいのが来やがったぜ。なあライトニング』

『あらあら。本当に珍しいわねゲイル。はぁいテンペスト。お元気かしら?』


 すぐに二つの書き込みが追加される。声は聞こえないが、口調からして男と女一人ずつと思われた。

 翻訳機能があるので日本語表記だが、実際には外国語で書かれている内容である。


『私は元気だよライトニング。ついでにゲイルも』

『おいこらついでってなんだついでって。けっ。いつまでもお前がトップだと思うなよ。俺はつい最近――』

『まあまあそんな話は置いといてさ。ねえ? テンペスト。ここに来たって事は何かあったんでしょ?』


 画面に表示された文字列を見て、総司はニヤリと笑みを作る。


『君は察しがいいよねライトニング。私は君のそういうところが好きだよ』

『あらあら。ちょっとクラッと来ちゃう台詞ね』

『なっ! おいおいライトニングそりゃねえぜ』

『冗談よゲイル。大丈夫。少なくとも『今は』貴方だけだから』

『そ、そうか? ならいいんだ。うん』

『君はなんと言うか、相変わらずえげつないよね』

『あら? それはあたしに言っているのかしら?』

『そうだぞテンペスト。俺のライトニングにケチつけるんじゃねえ』

『いやまあ、君らがそれでいいのならそれでもいいけど。っと、雑談はこれくらいにして本題に入ってもいいかな?』


 適当なところで脱線した話を切り上げた総司は、そのままで十秒ほど時間を置いた。この十秒は話を聞く聞かないの選択権を相手に与える意味がある。

 そしてきっかり十秒が経過したところで、


『聞かせてもらうぜ』

『聞かせてもらうわ』


 同時に二つの書き込みが表示された。

 乗り気な二人に総司は軽く吹き出して笑い、


『了解。それじゃあまず質問なんだけど、最近日本で妙な事が起こってるって噂になってないかい?』

『日本? ああ、それってもしかして『中途半端な白ハーフウェイ・ホワイト』の事か?』

『『中途半端な白』?』

『一ヵ月くらい前からだったと思うけど、日本のAA社系列の場所にアクセスしたハッカーたちが次々と身柄を拘束されているのよ』


 ライトニングの書き込みを見て、総司は一瞬どきりとした。何せここ最近、どころかつい今の今までAA社の関連施設を探り続けていたのだから当然だ。

 しかしその後に続いたライトニングの書き込みを見て、


『でもつかまっているのは全員『グル』未満の雑魚ハッカーたちね。それ以上の面々はいつも通りだわ』

『おそらく相手のカウンターハック能力がグル未満って事なんじゃねえかなと俺は思ってるぜ』

『ああ、確かにそれだと中級以下のハッカーだけが捕まっているって現状には当てはまるね』


 総司は自分の抱いた不安が杞憂である事を悟った。『ウィザード』に位置する総司にとって、グル未満のカウンターハックなど怖くもなんともない。

 いわば最新式の電子ロックに針金で挑まれるようなものだ。土俵からして違い過ぎる。


『それで、それの何が『中途半端な白』なんだい?』

『ああ。俺もちょっと調べてみたんだがな。例のAA社の情報が薄ら寒いくらいに真っ白なんだよ。ありえない程に清廉潔白ってこった』


 ゲイルの書き込みを見て、総司は自分の考えが正しい事を確認する。やはり今の状況は何かおかしいのだ。そしてカウンターハックが行われているという事は、まず間違いなく誰かの意思の元で行われている改竄という事になる。


『私も調べてみたのだけど、何をどんな理由で改竄したのかがまるで分からないのよね。ウィザードの私たちでも分からない、それだけ見事に痕跡を消してしまえるのにカウンターハック能力はグル未満。だから『中途半端な白』ってわけ』

『なるほど。ライトニングでもだめだったとなると、かなり厳しいね』

『俺も調べたぞ』

『でも駄目だったんだろう?』

『おうよ。さっぱりだったぜ』


 ふんと胸を張ってふんぞり返る誰かを想像して、総司はまた軽く噴き出した。


『でも、それがどうかしたの? テンペスト。確かに不思議な事だけど、ただそれだけと言えばそれだけのつまらない案件よこれ。AA社自体へのアクセスならともかく、貴方が興味を持つような事じゃないと思うけど』

『なに、ちょっとした伝手で方々調べる事になってね。けれど手土産になるような物がまるで見つからなくてさ。ちょっと煮詰まってたんだ』

『あら、依頼を受けているの? 本当に珍しいわね。いつもあたしかゲイルが持ってくるものを手伝うだけなのに』

『久々に興味深い物を見つけてね。知的好奇心を満たすための対価が調査だったんだよ』

『ほう。お前がそこまでして調べたいものがあるっていうのは本当に珍しいな。で、ここに来たって事はそれに関して俺たちも一枚噛めるって事なのか?』

『私が調べた後ならね。そういう約束なんだ』


 実際はそこまでの約束をしていないが、あの時の契約では総司が調べた事を第三者へ提供しないという約束は含まれていない。故にこれは問題ないと判断した。

 そもそもこっちの都合に手伝ってもらえるのだから、二人にはそれ相応の対価を用意してやらねばならない。今更お金を欲しがる二人でもない事は分かっているので、対価としてはこちらのほうが相応しいはずだった。


『テンペストがそこまで興味を抱くものを教えてくれるのなら、私は是非とも協力させて頂くわ』

『俺もだぜ』

『了解。それじゃあ簡単にこれからやる事を説明しよう。と言っても、使い古された囮作戦だけどね』


 総司はライトニングとゲイルの二人に考え付いた作戦を説明する。

 中身としては総司が囮になってアクセスを行い、わざと相手のカウンターハックを受けるというものだ。たとえどれだけ痕跡を消すのが上手かろうと、攻めに出ている間に同時進行で痕跡を消す事は出来ない。

 その残される痕跡をひたすらにライトニングとゲイルに集めてもらい、相手のカウンターハックにカウンターハックを行うというわけだ。


『分かったわ。ゲイル、用意はいいかしら?』

『いつでも万全だぜライトニング』

『二人とも仕事が速くて助かるよ。それじゃあ私は今から仮想空間を立ち上げるから、そこを監視して欲しい。場所についてはすぐに情報を送るよ』


 そう書き込んで、総司はキーボードを操作してパソコンに仮想空間を立ち上げ、今いる部屋の住所などの情報をを全く別の住所であるように偽装した上でライトニングとゲイルへ監視場所のデータを送った。


『いいわ。こっちはオッケーよ』

『こっちもだ。とっとと始めやがれってんだ』

『了解だ。それじゃあ行こうか』


 そう書き込んで、総司は再びとある病院へアクセスを開始した。今回はステルス性能をかなり落としているので、長時間その場に留まる事で簡単に見つけてもらえるはずだった。

 実際、ものの数分でマーカーを付けられることになり、総司はそれに気が付かない振りをして撤退を開始する。

 すると、予定通りに相手の放った追跡者が追いかけて来た。総司はわざと遠回りをしつつところどころで座標を誤認させるプログラムを忍ばせて行き、追跡者が完全に今いる場所を誤認したところで用意していた仮想空間へ誘い込む。

 追跡者は総司の用意した仮想空間に入り込むとすぐさまその場を調べ始め、絶妙な難易度で隠されている位置座標情報をどうにかこうにか入手すると、後は速やかに帰っていった。


 ――恐ろしく手際がいいな。


 最初から分かった上で一部始終を見ていればマーカーがついた事も追跡されている事も分かるが、何の用意もなしに今と同じ事をやられたら中級者程度にはどうにもならないだろう。

 そしてライトニングも舌を巻く痕跡消去の完璧さには総司も目を見張るものがった。


 そもそもからして相手の存在が希薄という事もあるのだろうが、その執拗なまでの消去具合は自分という存在を殺しているに等しい。一つ間違えば本当に自分自身を抹消しかねないギリギリの綱渡りだ。

 それを何の躊躇いもなく行っているところを見るに、相手のハッカーは相当にその部分に関して手馴れているのか、あるいはどこか螺子が飛んでいるのかもしれない。


 そんな感想を抱きつつ、総司は立ち上げた仮想空間をさっさと分解して完全に消し去ると、


『今お客さんが帰ったけど、何か分かったかい?』


 監視を頼んでいた二人へ問いかけを行う。だが、何故かすぐに返事が来ない。


 ――ん?


 総司は画面を眺めて首を傾げ、そのまま十秒ほど待っても反応がないのでもう一度書き込みをしようとして、


『ねえテンペスト。これってどういう事なの?』


 ライトニングからの書き込みが表示された。続いて、


『こいつぁ、また妙なところへ戻って行ったもんだよな』


 ゲイルの書き込みがなされる。

 それらを総合するに、どうもカウンターハック自体には成功しているようだが、その結果に何かしら問題が生じているような感じだ。


『悪いが、分かるように言ってくれないか?』


 いくらなんでも画面上の文字だけでは何も分からない。おかしな雰囲気になっている二人に対して総司は首を傾げつつも再度質問を投げた。


『ええと、なんて言うか今の追跡者の後を尾けたはいいんだけど、途中で『バーチャルシティTOKYO』に入って行っちゃったのよ』

『え? TOKYOに?』


 総司は良く知っており、しかし今の状況で出てくるとは思わなかった名称を見て軽く驚いた。


 『バーチャルシティTOKYO』は、日本で唯一の都市型仮想世界の名称である。

 ゲームとは違い、現実世界を出来得る限り再現した特殊なバーチャルリアリティワールドで、不動産の売買まで行われている第二の東京とも呼ばれていた。

 バーチャルリアリティ技術を使う事で遠方の人間と移動の手間を省いて共同作業を行う事もでき、また翻訳ソフトによって言語の垣根を越えて対話する事も可能なため、このTOKYOに会社を構える企業まで存在する。


 今現在では主要各国の首都に同様のバーチャルシティが存在し、その全ては一つのネットワークで繋がっている状態だ。

 一般人でも必要な手続きを行って料金を払えば、ごく普通に各国のバーチャルシティへ行く事が出来る。

 ただし、バーチャルシティネットワークは基本的に閉じられたネットワークになっており、専用の回線を通してでしか外部から出入りが出来ないようになっている。

 そのため、まずは専用回線が繋がっている場所へアクセスし、そこで厳しいセキュリティチェックを受けてから中へ入るようになっていた。

 その強固さは当時から今までに存在するありとあらゆるハッカーたちを退け続けており、かく言う総司もいまだにそのネットワーク内へ正規以外の方法で進入出来た事がない。


『でも、それってつまりは相手のハッカーがTOKYO内に潜んでるって事になるよね?』

『そうとしか考えられないわね。あのネットワークにするりと戻って行けるって事は、元々中から出てきたって事以外にありえないもの』

『しっかしおかげで最後まで追っかける事は出来なかったけどな』

『そうね。けど、今回であの子がどういう方法で自分の痕跡を消しているのか分かったから、今度は中へ逃げられる前にこっちがマーカーをつければいいわ』

『その後でバーチャルシティネットワークへ正規の手段で入り込めば、どこに潜伏している相手なのか割り出せるって事かい?』

『その通り。それでどうするの? テンペスト。今話してる間にマーカーはもう作っちゃったけど』

『おお。さすが俺のライトニング。その名は伊達じゃあねえよな』


 ゲイルの書き込みの通り、彼女はいつも仕事が速い。せっかくのお膳立てを断るのは失礼というものだろう。


『分かった。それじゃあもう一度僕がアクセスをかけるから、その後はライトニングに任せるよ』

『オッケー。マーカーの効果は四十八時間。三時間ごとに一度だけ信号を発するから、遅くても明日の朝頃にはバーチャルシティネットワークへ行って頂戴。受信機はすぐに作って送るわ。ゲイルが』

『え? 俺?」

『制限時間はあたしがマーカー付けて相手がネットワークへ帰るまでね。あ、マーカーの基本情報送っといたから』

『おいおいなんて無茶振りだよっておいこれなんだ! 何でこんな複雑怪奇な設定仕込んでんだ。しかもマイナー過ぎるだろこれ!』

『メジャーなものじゃすぐばれちゃうじゃない。誰も彼も忘れたような、いわばアナログほど今の社会で秘匿性に優れたものもないのよ』


 ライトニングの言葉に、総司は概ね賛同だった。

 机に置かれた三枚のクリアファイルに挟まれた書類も、外へ漏らしてはならない情報だ。インターネットへ接続していないパソコンへの保存という方法もあるが、昨今ではデジタルデータとして残しておく事自体がすでに危うい。


 それに比べてアナログな紙媒体であれば、直接物理的に攻められなければ盗まれる事はありえない。また、物理的に来られたとしても簡単な仕掛けで証拠を隠滅する事も出来る。

 総司は再び新しい仮想空間を立ち上げると、左の小指でキーボードのコントロールキーを押しっぱなしにして、右手でデスクの引き出しを開けてクリアファイルをしまい込んだ。

 総司のキーボードはこの引き出しの仕掛けと連動していて、コントロールキーを押さずに引き出しを開けると中の物を燃やしてしまうようにしてある。


 人に見られたくはないが取っておかなくてはならないものは、厳重にしまい込むよりも簡単に失ってしまうような危うさに置いてしまう方がいい。いざという時を考えるのならば、なおさら。


『準備出来たよ』

『こっちはいつでも行けるわ』

『ちょっと待て。真面目にちょっと待て後十分。いや七分くれ』

『じゃあ四分後に始めましょう』

『ちょおおおおおっ!』


 ゲイルの声無き絶叫にクスリと笑うと、総司は椅子に座ったままぐいっと身体を伸ばした。この一件が終わったらすぐにでもバーチャルシティへの入場手続きをしてこなければならない。


 ――さてさて、何が分かりますやら。


 最後にコキコキと首をひねって骨を鳴らすと、


『じゃあ、始めようか』


 総司は再びアクセスを開始した。



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