6.収集指令 神々の御魂
「あ、ふぁる兄おふゃひょう」
「アルタイルさんおはようばい。ほら小燕ちゃん。口に物を含んだまま喋ったら駄目ばい」
「二人ともおはようなので御座る。朝から元気が良いで御座るな」
アルタイルが女子陣二人組みの様子に青い目をニコニコとさせながら、左の肩を抑えてぐいぐいと首をめぐらしている。その都度ゴキゴキと物凄い音がしたが、いつもの事なので誰も気にはしない。
「やあ、おはようアルタイル。君が最後というのも珍しいね。三日経っても本調子じゃないのかい?」
「うぬ。おはようなので御座る。なに、昨日はいささか夜更かしが過ぎ申してな。さすがにいつもの時間には起きれなかっただけに御座る」
大きな手を口元にもって行き、おそらくは欠伸をかみ殺しているであろうアルタイルが鳳牙の隣の席にどっかりと腰掛けた。
「アルタイルさんおはようございます。すみません。俺に付き合ってもらったせいですよね」
「おはようで御座る鳳牙殿。うぬ。拙者が自分の判断で付き合っているので御座る。それに、拙者もさすがに次はないで御座るからな。鳳牙殿との手合わせはいずれまた出会うであろう彼奴との戦いにおいて無駄にはならんはずで御座る」
大きな手には小さく見えるパンにバターをたっぷり塗りたくり、アルタイルが覆面をずらして露出させた口にそれを押し込んでいる。
わずか数回の咀嚼でごくりと喉を鳴らすと、
「うぬ。これは美味に御座るな。いや、やはり死なないで正解だったで御座る」
「縁起でもない事言わないでください」
「そうだぞアルタイル。そうしないとまた皆が泣いちゃうじゃないか。小燕はともかくあの時は鳳牙――」
「わわわっ! フェ、フェルドさんその話いつまで蒸し返すんですか!」
御影の工房にてマリアンナに抱きすくめられたまま号泣した鳳牙の行為は、今となっては完全にからかいのネタに成り下がってる。
鳳牙としては忘れてしまいたい過去だが、ある意味で笑い話のネタに成り下がった事にどうしようもない安堵を覚えているのも確かだった。
「……うぬ? どうしたで御座るか鳳牙殿。拙者の顔に何か付いているで御座るか?」
「え? ああ、いえ。もう三日目ですけど、ちゃんとアルタイルさんはここにいるんだよなって思いまして」
「うぬ? 何を言っているので御座るか。夜中まで散々手合わせをしたでは御座らぬか」
二つ目のパンを口に放り込んだアルタイルが、きょとんとした顔で首を傾げている。
それは普段通りの光景だった。
失ったと思っていたもの。もう消え去ったと思っていたもの。それが失っても消えてもいないという事を知ったのは、あの日御影のホーム破棄によって強制的に異端者の最果てのホームポイントに戻って来てすぐの事だった。
◇
「それじゃあ、あたしらは一度他の皆に報告してくるよ。後で私だけそっちに行く」
「そう、ですね。分かりました。もし疲れているようなら、明日以降でも構いませんよ?」
「……あ、うん。そうだね。そうするよ。……それじゃあ」
ホームポイントでフェルドとハヤブサがややぎこちない会話を交わし、パーティーを解体して別れた後、鳳牙たちはやや重い足取りで自分たちのホームへ帰って来た。
一度は落ち着いたものの、この場所に戻ってきた事で嫌でも一人の不在は浮き彫りにされてしまう。
フェルドは無言のまましきりに眼鏡に触れており、ややうつむき加減で表情が読みづらい。
小燕は明らかに目を潤ませているが、ステラの外套を強く掴んで必死に泣く事に耐えていた。
ステラはそんな小燕の好きなようにさせているが、本人も落ち着かないのか帽子のつばを指で擦り続けている。
御影は平気そうに見えるが、火をつけていないキセルを歯で噛んでいるのが分かった。
全員、無言のまま歩き続ける。
鳳牙は鳳牙で拳を握ったり開いたりと無駄な動作を繰り返しており、ホームが近付くにつれて胸の内に宿る何かがどろりとした感触で動き回るのを感じていた。
そんな不快感に耐えつつ、鳳牙はホームの扉を開ける。
「お帰りなさいませ。ドリンクを用意して御座います」
ホールでは人数分の飲み物をトレイに載せたハルナが待機していた。
鳳牙はそのトレイに乗るグラスの数が五つしかない事に改めて落胆する。ありえないと分かっていても、それは最後の希望を打ち砕かれたように感じた。
「いや、俺はいい」
鳳牙はふいとハルナから視線を逸らし、トレイを差し出している彼女を素通りしようとして――
「うぬ? 喉は渇いて御座らんのか?」
ありえない声を聞いて全身の毛が逆立ち、弾かれたように声のした方へ顔を向けた。
「ではもったいないので拙者がもらうで御座る」
声の主はハルナを除くその場の全員が絶句する中を悠々とした足取りでホールの奥から歩いてくると、トレイからグラスを一つ取り上げて一息に中身をあおった。
筋肉質な肉体はラフなアンダーウェアのみの格好で、首からタオルを下げつつ普段は頭巾の下に隠れて見れない短い赤髪がなんとなく湿っている様子から察するに、風呂から出た直後のようだった。
「な、な、な……」
誰とはなしに言葉にならない声が漏れ出す。それを聞いた風呂上りの巨漢は、
「うぬ? どうしたで御座るか? 皆一様にそのような大口を開けて。何かあったで御座るか?」
目をぱちくりとさせて不思議そうに首をひねる。
そこが限界だった。
「アルタイルさんなんでここにいるんですか!?」
「ちょっと待てお前確かに森で死んでただろ!?」
「アル兄? ほんとにアル兄? マジ? マジ? マジ!?」
「何がどうなっとうとね!? うち幻でも見とうと?」
「てっめこの筋肉忍者! なにのんきに風呂上りなんだてめえは! ああ!?」
「ぬあっ!?」
全員でいっせいにアルタイルを取り囲み、べたべたと見事な肉体に触れてその存在を確かめる。
鳳牙の手に伝わる硬く鍛えられた肉体の感触は確かに現実で、風呂上りのせいで上昇している体温もまた現実だった。
血の巡った存在が、確かにそこにいる。
「アルタイルさん……本当に、アルタイルさんなんですよね?」
触れていた手を離し、鳳牙は皆の様子に驚いているアルタイルに話しかける。すると――
「わっ……」
暖かくて大きな手が伸ばされ、あの時のように鳳牙はくしゃくしゃと頭を撫でられた。それは紛れもなく、鳳牙のよく知る優しい手付きだ。
「何をそこまで驚かれているのか分からぬで御座るが、拙者は間違いなく本物に御座るよ」
「あ、鳳兄ずるい! アル兄、あたしもナデナデしてほしー」
「うぬ?」
小燕にくいくいと肌着を引っ張られたアルタイルが、鳳牙の頭から手を離して小燕の小さな頭を優しく撫で始めた。
撫でられている小燕はえへへとご満悦の様子である。
「けど、本当にアルタイルさんなんでここにいるんですか? 森であの仮面の拳王に『徹し』を打ち込まれて……その、死にましたよね?」
一瞬、それを口にしたらまたアルタイルが消えてしまうのではないかという恐怖が生まれたが、鳳牙は意を決して尋ねた。どうにも納得がいかないせいだ。
「うぬ? 鳳牙殿には保険があると伝えていたと思ったで御座るが?」
「保険……?」
逆にアルタイルに問い返され、鳳牙は自分の記憶を探る。
「……ああ、そういえば確かに言ってましたけど、それとアルタイルさんが死なずにここにいるのとどういう関係があるんですか?」
「どういうも何もないで御座る」
鳳牙の返答に対し、アルタイルはその視線を周囲を取り囲む面々からやや外れた方、傍らでトレイを持ったまま待機し続けていたハルナへ向けた。
「ハルナ殿」
「lib。なんでしょうか? アルタイル様」
「拙者が出掛けに交換したアイテムの効果を説明してもらえぬで御座ろうか?」
「lib。承りました」
トレイを持ったまま一礼したハルナは、トレイを左手だけで支えられるように持ち替え、開けた右手を差し出しながら掌を上に向けた。
すると、立体映像のようにその白い手袋の手から妙な藁人形が出現し、例の如くくるくると回りだした。
鳳牙はその人形に見覚えがある。あの時アルタイルが大きな手でぐにぐにと弄んでいた藁人形だ。
「こちらは『空蝉の藁人形』という特殊アイテムになります。これを所持している状態で討伐されれた場合、討伐場所にダミーの死体を出現させ、本体はパーティーを外れて瀕死の状態で異端者の最果てのホームポイントに強制送還されます」
それだけの説明を終えると、ハルナは出現させていた藁人形を消し去り、以上ですと言って綺麗にお辞儀をした。
「こっそり貯めていた虎の子の撃退マーク三十個と交換したアイテムに御座る。皆もそういうアイテムがある事は知っているで御座ろう?」
どこか得意げなアルタイルだが、そう言われても鳳牙はそんなアイテムの事などまったく知らない。他の全員にしても同じだろう。誰一人アルタイルに賛同出来る者がいない。
「うぬ? またもやどうしたで御座るか?」
本人にとっては予想外であろう反応を受けて、アルタイルがやや困惑している。なんとも微妙な雰囲気が場を支配してしまった。
だが、その雰囲気はただ一人常に泰然としている存在によってすぐに破られる事になる。
「僭越ながらアルタイル様。あれは『忍者』専用の特殊アイテムになります。そのため、当ギルドにおいてはアルタイル様が交換申請を出した時に限り陳列されるアイテムになりますので、他の方は知りえない物になります」
「なんと。なるほど。それで拙者がここにいる事を皆がこれほどまでに驚いているという事に御座るか」
全員の妙な態度が本当に自分が死んだと思われていた事に起因するのだと気が付いたのか、ただ一人合点がいったと言う様にアルタイルが大きく頷いている。
そしてその説明を受けて、鳳牙はアルタイルが生きている事は確かで間違いないのだという確証を持つ事が出来た。ほっとした事で思わず滲んできた涙を、鳳牙は目を擦ってごまかす。
「あれ? ハルナさん。それじゃあ『司祭』専用や『魔術師』専用の特殊アイテムもあるって事だよね?」
いち早く色んな衝撃から立ち直ったと見えるフェルドが、早速ハルナへ質問を投げた。
「lib。詳細に関しては一度交換申請を出していただければ確認出来ます。アイテム表記が黒字のものは共通アイテム。青字の物が各職業毎の特殊アイテムになります」
「うぬ。そう言えば『空蝉の藁人形』は青字で御座ったな」
ハルナの説明にアルタイルが補足を加えたところで、鳳牙もまた気になる問題点を見付け、
「あれ? それじゃあアルタイルさんって絶対討伐されない事にならないか?」
その事についての説明を求めた。
何せ死の危険を完全回避出来るアイテムである。撃退マーク三十個というのはそれなりに重いが、死との天秤にかけて勝るものではない。
そしてわざわざ『忍者』専用というからには他の職業には同じ物がないと考えた方が自然である。その不公平さはどうなのだろうか。
そう思っての問いだったのだが、
「いや、それは無理で御座る。『空蝉の藁人形』はトレード不可な上、一度交換すると一覧からなくなってしまうで御座るよ」
意外な事に返答はアルタイルから来た。彼は鳳牙へ答えを返して、
「完全な一人一個のみという事に御座るな、ハルナ殿?」
次いでハルナに確認の問いを投げる。
「lib。各職専用の特殊アイテムは原則一度きりの交換になります。ご利用の際は計画的にお願いいたします」
無表情のメイド少女はアルタイルの言葉を肯定し、どこかで聞いたような注意喚起のフレーズを口にした。
こういうところがやけに俗物っぽく人間臭いように思える部分でもある。
「なるほどな。……ん? おいメイドの嬢ちゃん。賞金首じゃねえ俺はどうなんだ?」
特殊なギルドのギルドマスターという立場の御影だが、彼は賞金首ではない。そのため賞金首パーティーに属している時に一般プレイヤーと戦う事は出来るのだが、彼の戦果には撃退マークが付与されず、またトレードで渡す事も出来ない。
普通に考えれば特殊露店の利用は出来ないはずだ。
「lib。そういえば今まで一度もご利用いただいておりませんが、御影様も職業に合わせたアイテムを交換する事が出来ます。それは賞金首と行動を共にする特典という位置付けになっておりますので。支払いの撃退マークは倉庫の中に収められたものを消費する事になります」
しかし、ハルナの返答は利用可能というものだった。撃退マークの支払いに関しても直接所持していなくてもいいような形になっている。なかなかに融通が利くようだ。
「ん。そうか。それならいいんだ。後でちょっくら確認させてもらうぜ」
「lib。どうぞよろしくお願いいたします」
ハルナとのやり取りを終えた御影はぷらぷらとその場から離れて行き、
「なーんかしらけちまったから今日はもう落ちるぜ。あー、マリアンナには俺から伝える。お前たちはあっちの嬢ちゃんたちにそこの大馬鹿野郎が実は生きてましたって伝えてやんな。特に責任感じまくりだった司祭の嬢ちゃんは早く楽にしてやれ。じゃあな」
淡々とそれだけ言うと、御影の姿はログアウトによって音も無くふっと消え去った。
「あ、そうかハヤブサさんに連絡入れないと」
御影に言われて思い出したのか、フェルドがなにやらもぞもぞと動いて連絡を取っているようだった。
小燕とステラはアルタイルが確かにそこにいる事が確認出来て満足したのか、ハルナから受け取った飲み物に仲良くそれぞれ口をつけ、コクコクと喉を動かしている。
「うぬ。これは着替えてきた方が良さそうで御座るな」
「そうですね。驚きが勝って気にしてませんでしたけど、下着姿は不味いですね。今から女性陣がすっ飛んで来るでしょうし」
自らの格好を確認したアルタイルが、鳳牙の同意と忠告を受けてだかだかと二階の自室に向かって行く。
そもそも風呂に入るときに着替えは持って行かなかったのかという疑問を覚えた鳳牙だが、どうでもいい事かとすぐに捨て去る。
「ドリンクはいかがですか?」
背後から聞こえて来た声に振り向けば、トレイの上に一つだけグラスを載せたハルナの姿がある。
「うん。もらう。それと、すぐに三人来ると思うから追加よろしく」
「libelate。承知いたしました」
◇
その後はなかなかに面白い展開になった。文字通りすっ飛んできた『秘密の花園』面々にも同じような反応をされたアルタイルは、ハヤブサからは仲間を救ってくれたお礼。
トウカからは無事なら無事で何故すぐに連絡を寄越さなかったのかという件――これに関しては気絶していて目が覚めたのが十分くらい前だったらしいとの事――についての怒りを。
そしてミルフィニアからは目を潤ませた彼女からの熱い抱擁を受けた。
特に命を賭してミルフィニアを救った事による彼女の中でのアルタイルの株はストップ高を突き抜け、アル『様』と白馬の王子に一目ぼれしたお姫様のような状況になっている。
もともと夢見がちな面もあったらしく、窮地を救って死亡――かと思いきや生きてましたという物語になりそうな展開にすっかり魅了されてしまった、とはギルドメンバーのトウカの言葉である。
実際、ミルフィニアは昨日一昨日と真理の探究者のギルドホームを訪れてはアルタイルを引っ張り出し、二人だけで異端者の最果て内での――彼女曰く――デートを行っていた。
一昨日は一日中で昨日は半日ほどだったため、最終的には二・三時間で落ち着くだろうと渦中のアルタイルは言っていたが、そうそう毎日アルタイルを連れて行かれるわけにもいかない。
ハルナに改めて確認してみたところ、『司祭』と『魔術師』の職業専用アイテムに是非とも手に入れておきたいアイテムが追加されている事が分かったため、『真理の探究者』では絶賛撃退マーク収集強化中なのである。
それぞれに八十個ずつという結構な量を集める必要があり、『宴』の動きがこれ以上おかしくなる前の早い内に揃えたいという思惑もあった。
今日こそは五人パーティーで一気に稼ぐ算段のため、ミルフィニアには申し訳ないが今日もその気ならアルタイルには丁重に断ってもらう事になっている。
「相済まぬで御座る。ミルフィニア殿との遠出も面白いものに御座るが、いつまでも遊び呆けているわけにも行かぬ故――」
「ダメダメ。アル兄、そんなんじゃミル姉が可愛そうだよ。もっとこー、オブラート? に包んでさー」
「そうばい。うちならショックで寝込むばい」
「うぬ……」
朝食を終えた後、小燕とステラを教官にしてアルタイルの『女性からの誘いを相手を傷つけることなく断るための練習』講座が開かれていた。
鳳牙にしてみれば今さっきの言葉で十分優しいと思えるのだが、隣で聞いていたフェルドに言わせると『遊び呆けて』の部分がアウトらしい。
「あー、言われてみれば。それなら例えば『今日はどうしても外せない用事がある』とかですか?」
「うーん。そうなると『私と用事とどっちが大切なの?』とかきそうだから、鳳牙のに『この埋め合わせは今度するから』なんてのを付け加える方が良いかもね」
「なるほど」
さりげなく心の辞書にそんな言い回しを記録しつつ、鳳牙は一つ欠伸をかみ殺した。
この三日間、鳳牙は必要性を感じなかったために意識していなかった賞金首同士でノーダメージの組み手が出来るようになるアイテムを使い、毎夜アルタイルと修練に励んでいた。
必然的に睡眠時間が削れるため、三日目ともなるとずいぶんと眠気が強くなってしまっている。
顔を洗った事で一度は飛ばした眠気だったが、朝食を食べて腹がくちた事でまた鎌首をもたげてきたらしい。食べてすぐ寝るなどまさしく野生動物のようだが、ある意味で鳳牙は他の面々よりもそれに近い性質を持っているのだ。
その場に新たな人物が現れたのは、鳳牙がいっその事誘惑に負けても構わないんじゃないだろうかと考えた時だった。
「おう。全員いるな」
室内へ入って来たのは御影だった。その背後から六人分のティーカップを載せたトレイを持つハルナが続く。
「おはようございます御影さん」
いち早くフェルドが挨拶をし、それに続いて鳳牙やアルタイルたちも御影に挨拶をする。
それに対して御影は軽く手を上げて答えるのみだが、これもまたいつもの事なので誰も気にしない。
それよりも、鳳牙はこの時間に御影がログインしてきた事に疑問を抱いた。旅行中だという彼は、昨日は別として基本的に夕方以降にならないと現れない。日中は奥さんと観光しているはずだからだ。
「今日は早いんですね。観光はどうしたんですか?」
「これから行くんだよ。だが、その前に鳳牙。お前に渡しておく物がある」
フェルドの質問にぶっきらぼうに答えたかと思うと、御影が急に鳳牙へトレードを申請し、アイテム欄に謎のナックルアイコンが表示された。
「なんですか? これ」
質問しつつもトレードを受けた鳳牙は持ち物ボックスに収まったナックルのアイテムインフォを確認し、
「……豪炎拳カグツチって、なんですかこれ?」
聞いた事もない名前に首を傾げて再び同じ言葉を口にしてしまった。
「新作だ。メイドの嬢ちゃんに交換アイテムを確認したら、俺が『匠』なせいか妙なレシピがどっさりあってな。通常の交換アイテムより若干強いってんで、以前お前たちに取って来てもらった『火之迦具土神の魂』を使って一品作ってみたってわけよ」
珍しくこれ見よがしに自信満々な風で御影が腕を組んだ。銘入りではないが相当の自信作ではあるらしい。
鳳牙は名前しか見ていなかったアイテムインフォの性能部分に目を向け、驚きのあまり盛大に噴き出した。
「鳳牙?」
近くにいたフェルドが訝しんだ表情で噴き出した鳳牙へ声をかける。少し離れた位置にいた三人にしても鳳牙の噴き出した音は当然届き、三人揃って首を傾げて鳳牙の方を見ていた。
「いや、あの、すいませんちょっと自分で見てください」
ややしどろもどろになりつつ何とかそう言って、鳳牙は吹き出しウィンドウに『豪炎拳カグツチ』のアイテムリンクを貼って頭上に表示させた。これによって全員がアイテムインフォを閲覧する事が出来る。
そしてその衝撃はすぐさま全員に伝わり、
「ぶっ……冗談だろ。普通のナックルの二倍、いや二.五倍以上の攻撃力か」
「うぬう……、これほどの物は見た事が無いで御座るな」
「うっひょー。何これすっげー」
「ボーナスの数値と種類どうなっとうとね。多過ぎて見難いばい」
口々に驚きの言葉が漏れる。『豪炎拳カグツチ』はそれほどまでに壊れた性能を誇っていた。
具体的にはその攻撃力に加え、各種ステータスアップボーナスと特殊効果が全部合わせて十二種類も付加されている。伝説のレア物も真っ青だ。
元々拳闘士系の職業は他の職業よりも基礎攻撃力が一.五倍になる職業補正があり、当然ながら完全無手の状態では一番高い攻撃力を有している。
しかしその分装備はナックル系の武器に限られ、その攻撃力は他の武器の二分の一から三分の一と極端に低く設定されていた。
それを補うための攻撃速度とスキル連結だが、どうしても一撃に劣るのが最大の弱点である。
鳳牙は『徹し』というその弱点を補うリミテッドスキルを発現したためにパーティーの主力アタッカーではあるが、一般的には後詰やとっさのタゲ逸らしが主なパーティーでの役目であった。
そこへきて『豪炎拳カグツチ』の攻撃力は他職の武器と遜色のない攻撃力を有している。鳳牙がこれを装備すれば、小燕の攻撃力をはるかに凌駕する事になるだろう。そして『徹し』の威力も間違いなく四桁に達してしまう。
「どうだ? なかなかにすげえもんだろ」
得意げに御影が鼻を鳴らしている。確かに、これだけの一品となれば製作者として鼻も高くなってしかるべきだ。
「確かにすごいですけど、これが御影さんの交換品なんですか?」
「ああ。レシピだけだけどな。しかも一回使うとなくなるらしくてな。文字通り一品物だ」
「あれ? ……って、御影さんレシピの交換用の撃退マークって――」
「ん? ああ。倉庫にあったものを使ったぞ。レシピ一個につき四十個だ。これだけの性能なら文句ねえだろ?」
ふんと鼻を鳴らす御影に、
「ええまあ確かに文句ありませんけど、今貯めてたのは別の目的がですね」
フェルドが眼鏡の位置を直しつつ半ば呆れた感じで苦言を呈する。
だが続く御影の言葉に、
「んだよ細けえやつだな。装備強くした方が狩りの効率も上がるじゃねえか。言っとくがナックルでこの性能なんだぜ? 小娘戦士の大剣だったらどうなると思うよ?」
「………………」
フェルドはぐっと黙り込んでしまった。
御影の言う通りナックルで二倍以上の攻撃力を叩き出すという事は、他の武器にしても相当な壊れ性能である可能性は十分にある。
一撃の威力が上がれば当然撃退マーク狩りにしても効率はぐんと上がるだろう。今まで戦闘時間がかかるために敬遠していた強さのプレイヤーも狩り対象の選択肢に入れる事が出来る。
「じーちゃんあたしの大剣も作ってー!」
耳を大にして会話を聞いていた小燕が、とうとうこらえきれなくなって御影に突撃する。
御影は突っ込んできた小燕をひょいとかわし、反転して来た彼女の頭を抑えて抱きつかせないようにしていた。
「作ってやるのはやぶさかじゃねえが、作成には『火之迦具土神の魂』と同じ『神々の魂』が必要だ。まあ、つまるところまた神殺しをしなきゃならんつうこったな」
「ほえ? 神殺し?」
ピタリと動きを止めた小燕が口の中で御影の言葉を反芻し、
「えー……」
げんなりした顔でがっくりと肩を落とした。
そんな小燕の肩にフェルドがぽんと手を置いて慰めつつ、
「神殺しクエストって帝都ウルフィスでしか受けれませんよね? CMOの最大都市に潜入するのはさすがに無茶ですよ」
「一時的に名前変えるアイテムがあっただろうが」
「あれは使用中はパーティーが組めなくなるんですよ。神殺しは受けた後でパーティーになっても受けた時の人数でしか決戦フィールドに入れませんから、一人で戦う羽目になっちゃいますって」
「ん? そうなのか?」
リネームカードのデメリットに関しては知らなかったと見える御影が片眉を跳ね上げる。
せっかくの性能を誇る交換レシピ武具だが、素材を集められないのでは新しく作る事は絶望的と言えた。だが――
「クエストを受ける事は出来ます」
突然無感情であるが故に透き通った声が聞こえて、釣られた全員がいっせいに声の出所へ視線を向けた。
そこには全員に紅茶を配り終えた後も待機していたハルナがいる。彼女は全員の注目を集めた事を確認すると、
「CMOにおける全てのクエストは私を通して受諾する事が出来ます。当然、完了報告も私に行っていただく事になります」
さも当然の事であるようにハルナが背筋を伸ばした姿勢で淡々とそんな事を言ってきた。
初耳の情報に鳳牙は目をぱちくりとさせてしまう。
「え? それじゃあ神殺しクエストも?」
今回もいち早く立ち直ったフェルドが確認をすると、
「lib。火之迦具土神、建御雷之男神、闇御津羽神など、全ての神討伐クエストをご提供出来ます」
変わらず堂々とした姿勢のままでハルナが答えた。何故かどこか得意そうに見えるのは姿勢が良過ぎるせいだろうかと鳳牙は思う。
「なんだ、特に問題はねえんだな? よし、それなら早速神の魂を獲れるだけ獲って来い。つってもまあ差し当たって今話に出たので建御雷之男神と闇御津羽神。それに月読神と最後に天照大神ってとこか」
「ちょ、ちょっと待ってください御影さん。それほとんど最高難度の武神と三柱神じゃないですか!」
フェルドが焦ったのも無理はない。御影が何気なくさらりと口にしたのは、どれも高難度で知られる神々ばかりだ。日本の神々ばかりなのはおそらく御影の趣味か何かだろう。
鳳牙の経験では火之迦具土神がもっとも強い神である。前評判でそれ以上となると相当に骨が折れるであろう事は容易に想像がついた。
「そのためのそいつだ。それにそこの一人軍隊な魔女娘もいるんだ。火之迦具土神を攻略したって時の四人よかずいぶんとましじゃねえか」
「……ええ、まあ確かにそうですけど」
「あ、う、うち頑張るばい!」
突然話を振られたステラが、どことなく疲れたような顔を見せたフェルドを見て急に元気良く返事をした。ずいぶんとやる気のようだが、鳳牙は突然そんな姿勢を見せたステラに内心で首を傾げる。
「うぬ。さりとてレシピを手に入れるにも撃退マークは必要に御座る。ところで、今の在庫はいくつなので御座るか?」
「え? ああえっと――」
「今現在のギルド倉庫内の在庫は三十七個です」
「ああ、ありがとうハルナさん。そうそう。もう少しで八十個だったんだっけ。うーん、誰か誰かさんみたいにこっそり着服してない? 別に責めるつもりないからさ」
ちらりとアルタイルを見つつフェルドがそんな問いかけをするが、残念ながら誰もアルタイルのようにこっそり貯め込んではいないようだった。
鳳牙にしても稼ぎは全て倉庫に入れてしまうので、無い袖は振れない。
レシピ一つにつき四十個となると、全員分の武器を新調してもらうには最低でも後百二十三個の撃退マークを集めなければならない事になる。
差し当たっては魂一つを先に確保し、撃退マークを三個稼いで御影に新武器を作ってもらう事が最初の目標になりそうだった。
「それで、どの神から先に挑むのー?」
新装備への渇望を全身で表現している小燕が、当面の目標を決める重要な質問を出した。
鳳牙たちの戦力を分析し、なおかつ新装備を得る事で次の一手への布石とするには――
「順当に、今出た四神の中では相対的に一番弱い闇御津羽神かな。水属性の龍神だけど水上に全身が出てる時は火属性が弱点になるから、鳳牙の新装備が一番生きると思う」
「うむむむ……。じーちゃん闇御津羽神だと誰の武器になるの?」
「闇御津羽神か? ちょうど良いじゃねえか。お前のだよ小娘戦士」
「マジで? よーっしけってーい! 最初の討伐は闇御津羽神さんに決まりました! ……おーけー?」
甘えん坊のおねだりのようなキラキラ目線が鳳牙とフェルドとアルタイルとステラに向けられる。
満場一致で闇御津羽神討伐のクエストを受ける事になった。
「lib。それではパーティーを結成して私にアクションをかけてください。闇御津羽神討伐クエストを選択出来るようにいたします」
鳳牙たちはその場で五人パーティーを組み、淡々と語られるハルナのクエスト説明をすっ飛ばしながら、神との決戦フィールドへ入るための通行手形になる特殊アイテムを受け取った。
「さて、それじゃあパーティーは組んだままでいいから各自三十分以内に用意を済ませる事。ハルナさん。続けてで申し訳ないけど露店開けてもらえるかな」
「lib。本日はいくつか個数限定の品も仕入れておりますので、神討伐に挑む際はどうぞご利用下さい」
「ありがとう。よし、それじゃあ一時解散。再集合場所はホールで」
フェルドの取りまとめに全員が頷きで応える。
今日は忙しくなりそうだ、と鳳牙は内心で嫌ではないため息を吐いた。




