4.一期一会 喪失の対価
御影の工房へ辿り着いた時、待ち合わせの相手はすでに工房の中で鳳牙たちの到着を待っていた。
「あら? ちょっと時間がかかったのね。道中大丈夫――じゃなかったみたいね……」
工房へ足を踏み入れた鳳牙たちは、座っていたであろう椅子から立ち上がった漆黒の魔女帽子に漆黒のローブを身に着けた女性の出迎えを受けた。アッシュブロンドの髪に同色の瞳は、鳳牙のものと似ているようでわずかに違う。
見る者をほっとさせる優しい眼差しはしかし、一転して相手を心配するような不安の色を宿したものへと変化していた。
彼女が不安そうな顔をしているのは鳳牙たちが意気消沈しているせいだ。いや、意気消沈などという言葉では足りないほどに、鳳牙たちの気持ちは沈んでいた。
出発の時は九人だった。それが今は八人になっている。一人が欠けてしまっているという事実が、全てだった。
「……あら? 大きい忍者の子はどう――」
「マリアンナ!」
足りない誰かの存在に気が付いたであろうマリアンナの言葉を、御影が存外大きな声で遮った。
それに気圧されてマリアンナは言葉を飲み込んだが、事情を知らなかった彼女の言葉は追い討ちをかけるように鳳牙たちの空気をさらに重くしてしまっている。
「……う、ううう……」
突然、誰かのすすり泣く声が聞こえて来た。鳳牙には声をする方を見なくてもそれが誰なのかは分かっている。どうにかこうにかこの場所まで辿り着けはしたが、逆に安全圏まで辿り着けた事で押さえていた物が留めきれなくなったのだろう。
一度溢れ出してしまったものは、容易に押し留める事は出来ない。
「ミルフィ。あんたのせいちゃうで。あんたが悪いわけやない。あんなん、うちかて無理やったわ」
床に膝を突き、両手で顔を覆って嗚咽を漏らすミルフィニアを、トウカが本人も泣きそうになりながら強く抱きしめていた。
あの場ではショックで抜け殻になりかけていたミルフィニアを叱咤激励してここまで引っ張って来た彼女だが、さすがにもう強がる事は出来ないらしい。
そんな二人のギルマスであるハヤブサは、彼女らの近くで立ち尽くしたまま無念そうに拳を握り締め、うつむいて下唇を噛んでいる。
涙こそ見せていないが、おそらく彼女の内に渦巻くのは自分で自分のギルドメンバーを守れなかった無力感と、それによって失われた存在への自責の念だ。
「アル兄……アル兄が……死ん……うわあああっ!」
ミルフィニアの涙に触発され、一度は泣き止んでいた小燕が再び声を上げて泣き始めてしまった。幼い子供のように泣きじゃくる彼女の姿はあまりに痛々しくて、見る者の心を抉る。
「小燕ちゃん……!」
隣にいたステラがたまらず小燕の頭を自分の胸に抱きかかえ、しかし彼女もまたこらえ切れなくなったのか、そのまま自分も声を殺して泣き始めてしまった。
「くそっ!」
苛立ちの感情のままに、フェルドが工房の壁に拳を叩きつけた。やり場のない怒りが渦巻いているのか、その全身は小刻みに震えている。
目の前で、己が手の届く場所で友人を失った彼の悔しさは人一倍だろう。例えそれが、どうしようもない状況だったのだとしても。
「……御影さん。どういう事なのか説明してちょうだい」
全員の異様な雰囲気に唖然としていたマリアンナが、はっと我に返ったのか厳しい口調で御影に詰め寄っている。
御影はそんなマリアンナに対してやや目を逸らしがちに、
「どうもこうもねえよ。森に入ったところで待ち伏せをくってな。何とか撃退したんだが、アル――」
「俺のせいです」
御影の言葉に被せ、鳳牙はよろよろとした足取りでマリアンナに近付いた。
「鳳牙君……一体何を言っているの? 貴方のせいってどういう事なの?」
問う相手を変えたマリアンナの言葉に、
「俺が……俺があんなミスをしなければ。あいつを……あいつをちゃんと抑えていれば、アルタイルさんは死なずにすんだんだ」
しかし鳳牙はまるで焦点の合っていない、どこを見ているのか分からない様子で終始目を泳がせながら震える声で言葉を紡ぐ。
それは目の前の存在が誰であるのかすら理解していないのではないかと思えるほどに、ちょっとした弾みで壊れてしまいそうな印象を与えるものだった。
「え……? 死んだって……アル君が!?」
マリアンナが隣の御影に確認を取るように視線を向け、それを受けた御影が重苦しいため息を吐き出してゆっくりと首を横に振った。
その意味は正しくマリアンナに伝わったようで、彼女が息を呑んだのが鳳牙には分かった。
「待ち伏せされたって言っただろ? その中の一人が最後の最後で不意打ちくれやがってな。向こうの司祭の嬢ちゃん庇って、代わりにあいつがよう」
御影の言葉によって、鳳牙の頭の中であの瞬間がフラッシュバックした。
一瞬の油断。時間にして一秒か二秒だろう。その間隙を、あの死神は見逃さなかった。
気が付いた時にはもう遅い。縮地と獣化を用いても追いつけない状態になってしまい、なおかつ警告ですらタイミングを逸した。
その結果が――
「俺の……俺のせいなんです。俺が刺し違えてでもあいつを倒してい――」
何かの懺悔の様にそこまで言って、鳳牙はそれ以上の言葉を続けられなくなった。
一瞬にして視界は黒く染まり、鳳牙の顔は柔らかな、そして暖かくてどこか懐かしいような香りのするもので覆われていた。
マリアンナに抱きすくめられたのだと理解したのは、頭上から聞こえてくる彼女の静かな声を聞いてからだった。
「馬鹿な事を言っては駄目。刺し違えてもだなんてとんでもないわ。そんな事をしても、私の知っているアル君は喜んだりしないわ」
トントン、とマリアンナが子供をあやすように鳳牙の背中を優しく叩く。全てを包み込むような暖かさに、鳳牙の目から涙の筋が頬を伝った。
「さあ。良い子だから落ち着いて。落ち着いたら、ゆっくりでいいから話して頂戴」
包まれた安心感。背中から伝わる心地よい振動。そして、急速に安定を取り戻していく自らの鼓動。
それは頑なに拒んでいた鳳牙の中の感情を刺激し、押さえ込まれていたものを吐き出させた。
恥も外聞もなく。鳳牙は心の底から、泣き叫ぶ。
◇
「……そう。そういう事なの」
ようやく落ち着きを取り戻した鳳牙たちから事の顛末を聞き終えたマリアンナが、その表情を曇らせた。
御影から賞金首たちの扱いに関しては聞き及んでいるという事なので、賞金首たちの死が普通のゲームの死とはまるで別のものである事を知っているためだ。
「事情は分かったわ。立場の違う私から下手な事は言えないのだけど、それなら余計に落ち込んでばかりもいられないわ。アル君の事はアル君の事として、貴方たちがここへ来た目的を忘れてしまったら、それこそ彼が浮かばれないわ」
鳳牙たちが御影の工房を訪れた理由。それは話し合いをするためだ。そして話し合いをする相手は、マリアンナの紹介という事だったはずだ。
鳳牙はマリアンナの視線が別の方へ向いている事を確認し、そちらへと視線を移した。
「ん? ああ、なんかアレ過ぎて意図的に空気になってましたけど、ようやく私の出番という認識で構いませんか?」
マリアンナの視線の先。どことなく持って回った言い方で話し始めたのは、黄土色の外套に身を包んだ天然パーマのどこかくたびれたような印象のある男性キャラだった。
一言で言い表すなら胡散臭いというのが最もしっくり来るだろう。口元にはくしゃった煙草をくわえているが、火はついていないようだ。
頭上に示されたネームは『BS二二一B』という何かの暗号のような文字列である。ぱっと見なんと読むのかさっぱり分からない。
「ああ、私の事は『BB』とでもお呼び下さい。まあ、これでもゲーム内では情報屋なんてものをやっています。時間帯毎の狩場の混雑具合からレアアイテムのドロップ方法まで、答えられる情報には何でも答えますよ。料金は先払いですがね」
椅子に座ったまま作業台に身体を預けているその姿はいかにもだらしがないというか、少なくとも鳳牙は初対面の印象では高評価を出せなかった。
おそらくそれは他の面々にしても同じなのだろう。それぞれになんと反応していいものか判断しかねているようだ。
「ちょっとBBさん。それが貴方の普段通りなのは知っていますけど、ここには学生の子もいるんですからね。いい大人なんですからせめて人前ではしっかりなさいな」
そんな空気を察したのか、それとも単に気になっただけなのかは分からないが、マリアンナがぷりぷりと怒ってBBに苦言を呈した。
しかし当の本人はどこ吹く風といったように小さく肩をすくめ、
「マリアンナさんたっての申し出という事で一応引き受けはしましたが、いまだに私は信じ切れてないんですよね。ゲームの中に意識を閉じ込められたプレイヤーがいる、なんて話は私でさえいまだかつて聞いた事がありませんもので」
くわえていた煙草を手にとって外套のポケットに押し込みながら言葉を返した。
「あら? それじゃあ貴方は黙って見ていた間のやり取りも全部偽物だって思うのかしら?」
「……んー。まあ、あまりにも自然といえば自然でしたけどね。私の存在にも先ほどまで誰一人として気が付いてなかったみたいですし」
そう言ってBBはそれまで主にマリアンナへ向けていた視線を、ここで初めて鳳牙たちへと向けた。
途端、鳳牙は耳に一瞬だけぴりっとした痛みが走るのを感じる。気のせいと言えば気のせいですむレベルのものだったが、不思議と気になって仕方がない。
そのため、鳳牙はそっと頭に手を伸ばして自分の耳をさすった。だが、特におかしなところはない。
――やっぱり気のせいか。
結局そう結論付け、鳳牙は再びBBの話に耳を傾ける。
「しかし相手は天下のAA社ですからね。あそこは機工分野のエキスパートだ。人間そっくりの人工知能を作れても不思議じゃありません」
BBの考えは間違っていない。現に一般プレイヤーのほとんどが鳳牙たちをよく出来た人工知能の操るイベントモブとしかみなしていないのだ。
御影やマリアンナのように鳳牙たちの話を信じてくれるプレイヤーは圧倒的に少数だろう。
BBのありふれた言葉に鳳牙はわずかに気落ちしてしまうが、続けられた言葉に知らずうつむいていた顔を上げた。
「ただし、AA社はその手の人工知能に関してなんら正式な発表をしていません。一度公式フォームから問い合わせてみましたが、企業秘密という事でテンプレートな返信が来るだけでした」
コツコツとBBが作業台を指で叩く。
「常識的に考えれば試験段階という事なのでしょうけど、じゃあそんな物をゲームでテストするのかと言えばそこには首を傾げざるを得ません。私だったらやりませんね。こんなセキュリティのザルな環境で正式発表もされていないものの試験運用をするはずがない」
BBの言う事は門外漢の鳳牙でも理解出来た。アストラルアーツ社自体は強固なセキュリティに守られているが、外部からのアクセスを前提としたネットゲームにそこまで強固なセキュリティを敷く事は出来ない。どうしても穴は多くなってしまうのが道理だ。
「現にバウンティハントイベントで人工知能が使用されると発表された時期を境に、海外からCMOへのアクセスが急激に増えたようですからね。あわよくば技術を盗もうと考えている輩は数多いという事でしょう」
有名企業の先進技術は金になる。横取りした上で先んじて発表する事が出来れば、自社の儲けとライバル企業への打撃という一石二鳥の結果を見込めるのだ。
しかし、それはあくまで本当に鳳牙たちが人工知能で動いている場合であって、鳳牙たちはれっきとした人間の意識である。
さすがに詳しい情報処理の仕方を鳳牙は知らないが、生身の人間を調べたとして何にもならないという事は分かる。
それはバーチャルリアリティ技術を確立する時にすでに調べつくされたものだからだ。
「そう。そこですよ。そこにいる七人。公式発表では『賞金首』と呼称されるイベントモブ。勝手ながら今の今まで皆さんの構成データ情報をスキャンさせてもらってました」
「え?」
突然、BBがよく分からない事を口走った。
相手の言葉の意味が分からなかったのは鳳牙だけではないようで、全員一様に首を傾げたり疑問符エモートを出現させたりしている。
しかしBBはそんな鳳牙たちには構わず、
「うん。実に興味深い。皆さんは普通のプレイヤーキャラとはまるで違う、ブラックボックスの塊だ。解析出来るのは表面だけ。中身がまったく見えません」
どこか楽しそうに、それ以上に愉快そうにクックックと喉の奥の方で笑うような声を出していた。
だが、BBが何を言っているのか鳳牙には分からない。唯一分かる事は、やはり自分たちが一般のプレイヤーとは異なる何かになってしまっていると言う事くらいだ。
「普通のキャラクターであればステータスやら装備品やらはもちろん、登録情報ですら閲覧出来るんですけどね。皆さんはゲームに関係するものだけが閲覧可能で、その他は一切分かりませんでした。こんな物を見るのは初めてですよ」
「登録情報って、あなたはもしかしてハッカーなんですか?」
BBの言葉に反応して、それまで沈黙していたフェルドが思わずといった質問をした。
それに対し、
「ああ。そういえば特に聞かれませんでしたので言ってませんでしたね。確かに私は『ハッカー』でもありますよ。これでも現実世界ではちょっとは名の知れた存在でしてね」
BBはなんでもないというように自らが犯罪者である事を告白した。
「マリアンナお前――」
BBの言葉を受けて、御影が紹介主であるマリアンナへ詰め寄ろうとしたところで、
「ああ。マリアンナさんの名誉のためにも言って置きますが、彼女と私が知り合いなのは偶然ですよ。もちろん私の行っている違反行為なんかにもまったく関係ありません。以前に私の本職が探偵だとお伝えした事がありましてね。今回はそういったご縁で呼ばれたわけです」
即座にBBがそんなフォローを入れてきた。
その言葉を裏付けるように、マリアンナもまた非常に驚いた表情をしている。
彼女はたんに情報屋の探偵としてBBを紹介するつもりだったのだろう。それがまさかのハッカーとなれば驚くのも無理はない。
「まあそんな細かい事はどうでもいいじゃないですか。別にハッカーがゲームをして悪いわけではないでしょう? 今は刑務所にだってバーチャルリアリティ機器が入っている世の中です。仮想世界と現実世界は別のものですよ」
BBの小指で耳の穴をほじくりながらの言葉に、
「てめこのっ……!」
御影が顔を真っ赤にして怒りを露わにしている。彼は無言のまま空中を指で何度かつつくと、突然居合いの構えを取って刀を抜き――放つ事は出来なかった。
「うお!」
踏み込みと同時に斬撃を繰り出そうとしていた御影は、抜こうとして抜けなかった刀につんのめる形で派手にすっ転んだ。
突然の御影の行動に鳳牙はおもわずぽかんと口を開けたまま固まってしまう。
「ててて……。くそっ! 何がどうなってんだ!」
横向きに倒れた事で強かに打ちつけてしまった腰を撫でつつ、御影が悪態を付く。
「ちょっと御影さん。何をしてらっしゃるの?」
呆れたような声を出してマリアンナが御影の介抱をし始める。
そんな夫婦のようにも見える二人を、BBがニヤニヤした顔で眺めていた。そして、
「いきなり斬りかかるのは無しにしましょうよ。今の速度で不意を打たれたら、さすがに設定変更が間に合わないじゃないですか」
「変更……だと? ……くそ、手前の仕業か。俺のホームの設定を勝手に変えやがったな」
「ええ。オフレコ部分はここへお邪魔させていただいた時にいじっておいたんですけど、まさか攻撃されるとは思ってませんでしたからね。改めていじらせてもらいましたので、しばらく設定変更は出来ませんよ?」
御影との間でそんなやり取りをする。
その内容から、鳳牙はどうもBBがハッキングで工房の設定をいじったのだという事を理解した。本来は管理者権限を有する御影のみが行える行為だが、BBは何らかの方法でその制約をすり抜けたのだろう。
ゲーム内から何をどうすればそういう事が出来るのかは不明だが、彼が自分で言っていた事はあながち誇張でもなんでもないのかもしれない。
「さて、いい加減本題に入りましょうか。皆さんも飽きてきた事でしょうしね」
BBはコキコキとたいしてこった様にも見えない首を鳴らすと、
「皆さんは私に、一体何を望みますか? マリアンナさんにはお世話になってますからね。それに何より久々に面白そうな案件です。内容によっては報酬もいりません。出来れば私を楽しませてくれるような依頼をして下さると助かりますね」
相変わらずニヤニヤとした表情でそんな事を言ってきた。
鳳牙たちがBBに望む事。それはもうすでにここへ来る前に全員で話し合って決めてある。
鳳牙がちらりとフェルドに視線を向けると、彼はコクリと頷いて静に前へ進み出てBBと相対した。
「僕らが貴方に望む事。それはこのバウンティハントイベントが一体何のために、何の目的で行われているかを知りたいという事です。それと、どうやって僕らをゲームの中へ閉じ込めているのか。何故誰も僕らが意識不明になっている事を騒ぎ立てないのか。それらについても状況を知りたいです」
「……ふむ。なるほど。つまり皆さんはAA社について調べて欲しいと言う事ですか。確かにあそこは一般人が到底手を出せるものじゃないですからね」
BBがフェルドの言葉を吟味するようにもごもごと口の中で何事かを呟くと、
「分かりました。その依頼を受けましょう。天下のAA社に喧嘩を売るというのも面白そうです」
交渉成立だと言うようにすっと手を差し出してきた。
フェルドがその手を取ろうとした瞬間、
「ただ、先に言ったように報酬はいりませんが、交換条件として皆さんの中から一人を私に解析させていただけませんか? 簡易的なものではブラックボックスに手出しできませんでしたけど、本腰を入れれば何か分かるかもしれませんし」
BBの怪しげな申し出に、フェルドがピタリと動きを止めた。その手はまだ相手の手を握ってはおらず、BBはBBで相手が動くまで自分から動くつもりはないようだった。
どうしますか、と意地の悪い目でフェルドとその背後に控える形の鳳牙たちへ視線を向けてくる。
誰もがその視線に躊躇する中で、
「じゃあ俺が」
鳳牙は自然な動作でフェルドの手を追い越してBBの手を握った。
「鳳牙」
「鳳兄」
すぐにフェルドと小燕が不安そうに鳳牙を名前を呼び、他の全員が心配そうな視線を送ってくる。
「大丈夫ですよ。それにここでこの話がなかった事にでもなったら、アルタイルさんに顔向け出来ませんから」
それらに対し、鳳牙はわざと明るく笑って皆の不安を少しでも取り除けるようにした。
それは草原でアルタイルにしてもらった事と同じ。気配り屋だった彼の真似事だ。
「それでは交渉は成立という事で。えっと、鳳牙君でいいのかな? フレンドリストは登録出来るかい?」
「あ、いいえ。俺たちは一般プレイヤーとは通常チャット以外で会話出来ないんですよ。パーティーになるかギルドに入ってれば別なんですけど」
「ふむ。ギルドですか」
そこまで言って、頭上にギルドタグのないBBはちらりと御影に視線を投げた。
視線を向けられた御影は、
「絶対に御免だぞ。俺は認めねえからな」
ぷいっとまるで子供のようにそっぽを向いてしまった。隣ではマリアンナがあらあら困ったものねと言う感じの微笑を浮かべている。
「ふーむ困りましたね。連絡が取れないんじゃ解析をお願いする方法が――あ」
ぼりぼりと頭をかいていたBBが、突然何かを思い出したようにごそごそとポケットやら懐やらを漁り始めた。
「えーと確か…………あ、ありましたありました」
散々自分自身を漁っていたBBが取り出したのは、赤色がかった金色の小さなリングだった。ただ指輪にしてはやや大きく、さりとて腕輪にしては小さ過ぎるというなんとも中途半端なサイズだ。
トレードで差し出されるままに受け取った鳳牙だが、妙な事にこの謎なリングのアイテムインフォを確認出来ず、ただのアイテムなのか装備品なのかすら判別出来ない状況だった。
どうしようもないのでBBの様子を伺うと、
「それは私特製のイヤリングでしてね。『鬼神の耳輪』をベースにお遊びでちょっとした通信機能をつけてあります」
鳳牙に聞き覚えのある装飾品の名前と、そこに余計な説明が付属されていた。
「とあるご婦人からゲーム内での夫の浮気調査を頼まれた時に作ったんですよ。通信機能とは言いましたが、元は単なる盗聴器ですね。使わなくなってから相互通信可能なように改良したまではよかったんですが、とんと使い道がありませんでしたのですっかり忘れてました」
盗聴器という言葉を聞いて、鳳牙は思わず手に持っていたリングを投げ捨てかけた。
「いやいや、今は盗聴器じゃありませんよ。ほら、そこのちいさなボタンで通信機能のオンとオフを切り替えるんです」
BBに示された場所には、確かに妙なでっぱりがあった。試しに押してみると、かちりと小さな音がしてブルッと一度だけ振動した。
もう一度押すと、今度はブルブルと二度振動する。どうもオンとオフで判別できるようになっているらしい。妙に細かい設定である。
「一回振動するのがオンですね。通信機能をオンにする事で離れた位置でも【ささやき】と同じように私と通常チャットで会話が出来ます。逆にオフ時に私から通信を飛ばすと鈴の音で着信を知らせてくれますので、ボタンを押していただければ会話が出来るようになります」
その代わり機密性はまるでありませんけど、と付け加えてBBは謎のアイテムの説明を終えた。
「鬼神の耳輪って事は、攻撃力+五の装飾品ではあるんですよね?」
「ええ。何せ装備してもらえないとどうしようもありませんからね。下手に能力値をいじっても駄目ですから、人気のある装備品をベースにするんです」
BBの言うように、『鬼神の耳輪』は現在CMOで確認されている耳の装飾品では最大の攻撃力強化が出来る装備である。ボスモンスターからの相当に渋いレアドロップ品のため、プレイヤー間売買では五十万ゴールドはくだらない代物だ。
前衛職垂涎の代物となれば、誰もが装備する事に躊躇はない。BBの目的を考えれば実に理に適っていた。
「けど、これアイテムインフォ見れないんですけど?」
「ええ。さすがに相互通信機能まで乗っけたらデータが重くなり過ぎてしまいまして。削れるところを削ったら色んな物まで削ってしまったといいますか。まあ装備するに問題はないですからどうぞお気になさらず」
どうぞどうぞとしきりに装備を進めるBBに押し切られる形で、鳳牙は『鬼神の耳輪?』を装備する。
左の耳に違和感が生じたのでそっと手を伸ばすと、ひんやりしたリング状の金属の感触が指に伝わった。
「よくお似合いですよ。……さて、それでは私は早速依頼をこなしに行くとしましょうか。マリアンナさん。少々騙す形になって申し訳ありませんでした。この埋め合わせは皆さんの依頼を成功させるという形で返したいと思います。性急で申し訳ありませんが、これにて」
口早にまくし立てるだけまくし立てると、BBは優雅な動作で一礼してログアウトしていった。
後には微妙な沈黙が残される。
「ええと、なんだか妙な事になってごめんなさいね」
沈黙を最初に破ったのはマリアンナだった。今回の件を企画した者として何かしら思うところもあるのだろう。
鳳牙としては特に謝られるような事ではない。むしろ偶然とはいえただの探偵を紹介してもらうよりもはるかに意味があったと言えるだろう。
「まあとりあえずの目的は成ったんだ。んで、こっからどうするんだ? 少し外を見てみたが、三人くらいいるぞ」
「……御影さんには申し訳ありませんけど、ホーム破棄で帰るしかなさそうです。掲示板に僕らの事がかかれてちゃってます。あと、やっぱり御影さんがギルドマスターになってる事もばれましたね。幸いマリアンナさんとBBさんについては何もないようですけど」
いつの間に調べていたのか、フェルドが眉をひそめながら眼鏡の位置を修正している。
掲示板に情報が載ってしまったという事は、外にいるのはおそらくはまた見張りなのだろうと鳳牙は考える。個人ホームへは手出しが出来ないため、こちらの動きを常時監視しているのだ。
おそらくはカルテナの森から移動出来る全ての場所で待ち伏せをされていると見て間違いない。
ただでさえアルタイルを失って戦力が落ちているのだ。御影には再三申し訳ないが、緊急避難をする以外にはどうしようもなかった。
「ま、しゃあねえだろうな。おう、マリアンナ。お前んとこの嬢ちゃんとの話はもういいのか?」
「ええ。巻き込まれているというのは心配だったけれど、元気そうで何よりだったわ」
「マスター……」
マリアンナの聖母のような微笑を受けて、ステラが照れながら魔女帽子を抱きしめている。
「何かあったら私も相談に乗るわ。今のところは他のメンバーには内緒という事でいいのよね?」
マリアンナの確認に、御影が無言で頷いた。
マリアンナへ話が伝わったのは、彼女が御影と同じくらい信用出来るという鳳牙たちの判断によるものだ。しかしながら彼女のギルドメンバーにまで情報を伝える事は出来ない。
正直な話、これ以上は下手に誰かに相談しない方がいいだろう。問題なのはBBだが、あちらはあちらで別の意味で信用は出来そうだった。
自分の知的好奇心を満たしてくれそうな存在をおいそれと手放しはしないだろう。飽きられさえしなければ当分は味方と見ても大丈夫なはずである。
「よし。じゃあホームを破棄するぞ。全員忘れてる事はないな?」
御影の最終確認に、鳳牙を始め全員が頷いた。
「おう。じゃあなマリアンナ。助かったぜ」
「どういたしまして。皆も無理しちゃ駄目よ? 辛くなったらいつでも相談にいらっしゃい」
心に染み渡る暖かな声を受けて、鳳牙は思わず自分の胸に手を当てた。規則正しい心臓の鼓動は、鳳牙は今ここで確かに生きている事を実感させる。
死した存在を忘れる事は出来ない。だが、死に引きずられて己も死んでしまっては何にもならない。だから鳳牙は生きて行く。死せる存在をその内に宿し、己が糧へと変えて行く。
――見ていてください。アルタイルさん。
見えるはずのない空を求めるように鳳牙は顔を上に向け、
「じゃあ、行くぜ」
御影の宣言と同時に暗転した空虚なる闇の中で、青白く輝く大きな星を見た気がした。