6.無双軍勢 黒き巨人を攻略せよ
鳳牙たちが『世界の境界』に挑み始めてから、すでに四時間が経過しようとしていた。
途中で小休止を挟みつつとはいえ、通常であれば一つのフィールドエリアを踏破するにあたってこれほどの時間がかかるなどありえない事である。
その上それだけの時間をかけての攻略だというのに、最初にオーク部隊との戦闘を行った場所を一つ目として、鳳牙たちはまだ四つ目にしか到達出来ていない状況だった。
これまで攻略してきた場所は、今のところ全てが広々とした箱庭のようなフィールドである。フィールド中央には薄緑色の流体オブジェクトがあり、何らかの方法でオブジェクトにアクションを行うとそれが弾けて中からモブが出現するという同じパターンが続いている。
モブを殲滅すると流体オブジェクトのあった位置に宝箱が出現し、同時に四つの移動用トランスポーターと一つの赤い帰還用トランスポーターが出現するというのも、今のところ変化がない。
ただ、そんな同じパターンの中でも若干変化が生じるものが二つあった。
それはフィールドの見た目と出現モブだ。
箱庭フィールドには密林以外にも砂漠や沼地や洞窟などの変化があり、出現モブはそれに応じて地形に適した種族があてがわれているようだった。
そしてすべからく通常のモブとは異なる性能を持っており、先に行くにしたがってその強化具合がエスカレートしていく。
終わりの不明確な未知のフィールド探索は、想像以上の難易度をもって鳳牙たちの前に立ち塞がっている状態である。
事実、四回目のフィールド攻略の際にはついに小燕の防御力をもってしても深刻なダメージを受ける事態が発生し、危うくパーティが瓦解する寸前まで追い詰められてしまった。
何とか切り抜けたはしたものの、正直次のエリアで最後になるだろうというのが鳳牙の考えである。
移動の前に体調だけは万全に整え、いざ次のフィールドへと覚悟を決めてトランスポーターに進入した四人はしかし、そこで妙な事態に遭遇する事になった。
「……あれ?」
「……うん?」
「……うぬ?」
「……にゃ?」
覚悟を決めて移動した先は再びの密林フィールドであった。しかしその中央には流体オブジェクトがなく、ポツンとただ一つのトランスポーターだけが寂しげに回転しているのみである。
鳳牙はぐるりと周囲を見回してみるが、見渡す限り何もなく、間違いなくそれだけしかないフィールドである事が確認出来ただけだった。
そのあまりの殺風景さとこれまでの激戦との落差に、一同完全に拍子抜けである。
それでも何かしらの罠があるのではないかと、鳳牙は慎重に周囲を探りながらトランスポーターに接近するが、結局何も起きないままにトランスポーターに到達してしまった。
「……うーん。何だろうねこれは」
顎に手を当て、フェルドが疑問を口にする。
それはその場の全員が感じている疑問だ。今までのパターンから見て、ここだけがどう考えても異質な状況になっている。
「外れ部屋……いや、この場合当たり部屋って言った方がいいんですかね?」
「うぬ。戦闘にならないという意味では当たりに御座るが、何も得るものがないとなればやはり外れと言うべきでは御座らぬか?」
「もしこの先の敵がさっきよりも二段階強くなってたらやだなー。って言うか、絶対無理じゃない?」
それぞれに感想を言い合うが、そもそもが初めて踏み入ったフィールドエリアであり、通常のゲームから逸脱した場所である。すべては推測に過ぎず、結局全員が黙り込んでしまった。
「……時間もそろそろか。何でか帰還用のトランスポーターも見当たらないし、先に進むしかないよね」
改めて、フェルドがぐるりとフィールドを見渡している。
鳳牙も再度周囲を確認するが、フェルドの言うように帰還用の赤いトランスポーターが存在しない。つまり、目の前の移動用トランスポーターを使う以外に選択肢がない状況である。
当然ながらそれは、その先に何が待ち受けていようとも甘んじて受け入れなければならないという事だ。
「次のエリアを攻略出来たら、生きて戻ろう。今の僕らだとその辺が限界か、まあ正直言えば超えちゃってると思う」
「ですね。前のエリアで小燕があれだけダメージを受けたとなると、俺やアルタイルさんも確実に二発受けれませんし」
「うぬ。相手の命中率もどんどん高くなっている故、拙者も思うように避けられなくなっているで御座る」
「うーがー。これ以上防御力上げるってどうしたらいいんだろ……」
それぞれの発言もやや弱気だった。一つ前の戦闘での苦戦は、正しく今の鳳牙たちの戦力を示している。
そこへ来て一つのエリアを飛ばして次のエリアに進むとなれば、自然と弱気にもなろうというものだった。
否応無しにどんよりムードが漂いかけるが、
「……よし」
暗くなっていた雰囲気を払拭するためか、フェルドがパンと手を叩き、
「とにかく突き進もう。僕らに出来るのはそれしかないんだ。皆、準備はいいかい?」
鳳牙たちの視線を集めてからわざと明るい声で確認を取ってくる。
その声に押され、
「いつでも」
鳳牙は拳を打ち合わせ、
「うぬ」
アルタイルが腕を組んで応用に頷き、
「だっしゃー」
小燕が拳を振り上げて答えた。
その反応にフェルドはうれしそうに頷き、笑顔からまじめな顔になって、
「じゃ、行こうか。八百万の神々のご加護を!」
右手で合図を出した。
全員同時にトランスポーターへ進入する。瞬き程度の暗転を経て移動した先は四方を崖に囲まれた、さながら穴の底とも言うべき薄暗い空間だった。そして――
「グァオオオッ!」
全身を揺さぶられるような雄たけびが耳朶を打ち、四人は思わず耳を塞いでうずくまってしまう。ただの一発きりだが、雷神の領域を凌駕しかねない音による不意打ちだった。
そして、その雄たけびの主は――
「ギガンテス……」
ずれた眼鏡を直すのも忘れ、フェルドが息が漏れただけのようなかすれ声を発した。
その視線の先にいるものを、鳳牙もまたしっかりと捉えている。それはいつか戦った神にも匹敵しうるほどの巨体を持つ、無骨にして鈍重なる棍棒を手にした一つ目の黒き巨人。
原始人を思わせるような毛皮の腰巻のみの超軽装ながら、その厚く盛り上がった皮膚を引き裂かんばかりの筋肉は、どんな強固な鎧をも凌駕し得る鋼鉄の肉体を形成していた。
「で、でも、ギルスタイン渓谷にいるギガンテスってもっとちっちゃくなかった? あ、いやほら大きいことは大きいけど……あーもうっ!」
驚きのあまり言葉が支離滅裂になった小燕が、両手を挙げて「ムキー」と何かに対して怒りを露にしている。
「落ち着くで御座る。それよりも――」
そんな小燕のヘルメットに覆われた頭をアルタイルが大きな手でがしりと掴んだかと思うと、
「あれを見るで御座る」
彼の太い指がギガンテスではないある一点を指し示した。
「……え?」
アルタイルの指し示す先を見て、鳳牙はすぐにあるものを発見した。
「……赤いクリスタル? と……人!?」
思わず大きな声を出してしまう。そしてもっとよく確認しようと目を凝らしたところで、
「ゴアッ!」
ギガンテスが手に持つ棍棒を足元を動いていた誰かに向かって振り下ろした。
ミサイルでも撃ち込んだのかというほどの爆音が轟き、地震の如き攻撃の余波が鳳牙の足元をも揺さぶる。
あんなものをまともに受けたら確実に一撃でぺしゃんこになってしまうだろう。
攻撃を終えたギガンテスがのそりとした動きで振り下ろした棍棒を持ち上げていく。憐れな誰かがその棍棒からぱらぱらと落ちる土くれに混じっている様を想像し、鳳牙は思わず口元を押さえた。だが――
「ガッ!」
突然、ギガンテスの大きな一つ目の直近で爆発が起こり、ギガンテスが顔を抑えながらよろけて後退した。と思ったら、次の瞬間には突然ギガンテスの下がった左足の地面が水面のように波打ち、巨木を想像させるギガンテスの足がずぷりと地中に沈み込んだ。
「ゴア!?」
一気にバランスを崩したギガンテスは体勢を立て直せないまま横倒しになって倒れこみ、強かに全身を大地に打ちつける羽目になった。
「一体何が――ん? 今度は黄色のクリスタル……?」
突然の事態に目を丸くしていた鳳牙だったが、離れていたために自然と全体を見ていた事が幸いし、倒れたギガンテスの側から菱形の黄色いクリスタルが滑るような動きで離れて行くのを視界に捉えた。
先ほど見た赤いクリスタルも同じ形をしていたが、鳳牙にはそれが何なのか分からない。
そのまま黄色いクリスタルの移動先を目で追っていくと、
「あ、生きてる」
クリスタルは今さっきギガンテスの超重量級の一撃を受けて消え去ったかと思われていた誰かの元へ戻って行く途中だったようだ。
鳳牙の目は、今度はきっちりとその姿を確認する。
あからさまな薄紫色のつば広トンガリ魔女帽子を被り、その帽子の下からは透き通るような青空とも、煌くアクアマリンとも表せそうな美しい長髪が風になびいている。
その身にはこれまた薄紫色の外套をまとっており、一目で『魔導士』、おそらくは上位職の『魔術師』である事をうかがわせた。
帽子の下にのぞく顔はまだ幼さの残る少女のものだが、目尻の釣り上がった紫水晶の瞳とへの字になった口は、目の前の敵に対する負けん気の強さを何よりも雄弁に物語っている。
そして、まるで彼女を守るかのように存在する四つの菱形クリスタル。それぞれ赤・青・黄・緑色をしており、どういう原理なのか宙に浮いたまま微動だにしていない。
「うぬ? あれはもしや……」
ふと、何かに気が付いたようにアルタイルが声を漏らす。
「何か分かるんですか? アルタイルさん」
呟きを聞いた鳳牙がアルタイルの方を見ると、同じようにフェルドと小燕もアルタイルに視線を集中させていた。
「ぬ……。まあおそらくでは御座るが、あの周囲に浮いているのは『クリスタルオプション』だと思うので御座る」
「……なんですか? それ」
まったく聞き覚えのない鳳牙はそう聞き返したが、返事はアルタイルではなく、
「『クリスタルオプション』だって!?」
驚愕の表情を浮かべるフェルドから来た。彼はそのまま、
「待てアルタイル。確かにあれはそれっぽいけど、一つならともかくも四つも同時展開出来るプレイヤーなんていないだろ」
まだ立ち上がれていないギガンテスに容赦なく魔法を撃ち込んでいる魔術師を指さした。
「しかも今の僕らはバーチャルリアリティログインと同じような状態なんだ。通常ログインならまだしも、バーチャルリアリティログインで実践に使ってる人を僕は見た事がないぞ」
ならばあの魔術師はなんなのだろうかと鳳牙は思わず突っ込みを入れかけたが、
「うぬ。まあ実際、便利そうに見えて使い勝手が悪過ぎるで御座るからな」
その前にアルタイルが話し始めてしまったため、鳳牙は言葉を飲み込んだ。
アルタイルの説明によれば、『クリスタルオプション』――通称『クリオプ』というものはレトロなシューティングゲームに登場する『オプション』のようなものだということだった。
具体的に言うと、召喚者が使える魔法スキルを全て使用出来る上、通常の使役召喚モブと異なりヒットポイントやマナポイントといったステータスが存在しないのだという。つまるところ、常時無敵でありながらいくらでも魔法を放つ事が出来るという、ここだけ聞けばとんでもない特殊召喚モブという事だ。
だが、クリオプにはそれらのメリットを潰すデメリットが多く存在するらしい。
まず、単独・複数召喚を問わずクリオプが詠唱をしている最中は他のクリオプはもちろん、本体であるプレイヤーも魔法スキルを使用する事が出来なくなるという点。また、クリオプの詠唱は途中でキャンセルをかける事も出来ないらしい。
「え? でも、あの魔術師は普通に詠唱してますよ?」
鳳牙が思わず指で示した先で、魔術師が操作したのか赤と緑のクリスタルが横倒しになったギガンテスに向けて魔法スキルのバインドによる魔力の鎖を発生させ、地面に縫い付けている光景が展開されている。
時間差によって二つの魔法スキルが発動しているわけではなく、鳳牙は確かに二つ同時にスキルが発動される様を見ていた。
「うぬ。そこは拙者も疑問に思っているところに御座るよ」
太い腕をがっしりと組んだまま、アルタイルは納得がいかないとばかりに首を傾げている。
彼は少しの間低く唸っていたのだが、結局その問題に関しては保留する事にしたようで、再び説明を続け始めた。
「しかし、クリオプの最大のデメリットはなんと言ってもその操作性に難があり過ぎる点に御座る。普通にクリオプを使おうとすると、自分自身がその場から動けなくなってしまうで御座るよ」
力説するアルタイルによれば、バーチャルリアリティログインをしているプレイヤーにとってのクリオプは、まさに自分以外のもう一人の自分に相当するものという事らしい。そのため、自分の身体とクリオプを同時に操ろうとした場合、大体の者がまったく同じ動きをトレースするだけに終わってしまうのだという。
そしてクリオプをきっちり操作しようとすると、今度は自然と足を止めて棒立ちになってしまう者が多いという事だった。
「クリオプの操作と自身の行動をまったく別のものとして切り離して考える事が出来なければ、クリオプはただ自分と同じ動きをするだけになってしまうで御座るよ」
そう言ってアルタイルは右手と左手をすっと持ち上げると、空中に三角を描き始めた。右手も左手も、まったく同じ軌道で図形を描いている。
「分かり易くもひどく乱暴な説明をするのであれば――」
そこで言葉を切り、アルタイルは突然左手で描いていた三角形を四角形に変形させ、右手はそのまま三角形を描かせ続けて見せた。
「――こういう事に御座るな。一応右手が本体で、左手がクリオプに御座る」
器用に右手で三角形、左手で四角形を描き続けながら、アルタイルが鳳牙たちを見回してくる。
それを見て鳳牙は確かにひどく乱暴な説明だと思った。だが、何を言いたいのかは理解出来た。問題は、実際には手だけではなく全身でそれが出来なければならないという事だろう。
例えるのならば、それは――物理的には無理だが――サッカーをしながらハンドボールもやるような行為だ。普通に考えれば到底出来ようはずもない。どちらかに集中してどちらかが疎かになるか、片方の動きに引っ張られて同じ動きをしてしまうのがオチだろう。
つまりそれは、先のアルタイルの説明の通りという事になる。
「故にクリオプの的確な運用には並列思考能力などのそれ相応の才能が必要に御座るが――」
図形を描くのをやめたアルタイルは、右の人差し指だけをぴっと伸ばし、
「例えばあらかじめ行動パターンを記憶させ、状況に応じて特定のトリガーコマンドを駆使すれば、擬似的な連携運用は可能に御座る」
そんな説明をしながら、空中にある見えないボタンを押すような仕草を繰り返し始めた。
確かに、あらかじめ動作を設定し、後はボタン一つで設定通りに動かせるようなコマンドを組んでおけば、状況に応じて使い分ける事は可能かもしれない。
「けど、その方法だとまったく融通が利かないじゃないか。それに例えそれが出来たとしても、四つは無理だろ」
フェルドの真っ当な指摘が入る。
それは鳳牙としても同じ意見だ。動きをあらかじめ設定して運用するという事は、ある意味で将棋やチェスを行うのと似たような思考が必要になってくるという事だ。
先の例に例えるのなら、サッカーをしながらハンドボールの代わりに将棋を指すという事になる。
「うぬ。仮に四つを同時に扱うとすれば……そうで御座るな。戦闘中に将棋と囲碁とチェスと何らかのシミュレーションゲームを同時に行えるだけ思考と行動を分割制御出来るのであればあるいは……で御座るな」
「それ、並列思考の限界超えてません?」
言いながら、鳳牙は自分の頭の中で右へ飛び跳ねつつ左へ進む事を考えながら前進して、なおかつ別の場所で攻撃を仕掛けて同時に回避し続けるにはどうすればいいのかを考えてみた。
「………………」
考えて、鳳牙は頭の中がこんがらがる苦しみを感じる羽目になった。単純計算でも思考の五分割など聞いた事のない話しである。
「うぬ。だからこそ運用が難しいので御座る。それでも、物珍しさからクローズドベータ時代にはあちこちで見かけたもので御座るよ。しかし、それも今や完全に廃れたはずで御座ったが……」
ふーむとアルタイルがなにやら考え込む。
だが、鳳牙は今までの話がどうでもよくなってしまうほどに気になる言葉を耳にしていた。
「え? アルタイルさん、クローズベータ時代からプレイしてるんですか?」
「うぬ。正確には正式オープンの際にはそのまま続ける事が出来なかった故ブランクが御座るが、これでもCMOとの付き合いは長い方で御座るよ。ちなみに、拙者の最初の職業は『魔術師』だったで御座る」
特に何の事はないといういった感じのアルタイルの言葉に、またしても驚愕の事実が紛れ込んだ。
「ちょっと待てアルタイル。僕も初耳だぞそれ。しかも『魔術師』だって?」
「おー。アル兄妙に詳しいと思ったらそっち系の経験者だったのかー」
フェルドと小燕がそんな感想を漏らす中、鳳牙は見慣れた大柄な黒装束の知人を再度まじまじと眺めてしまった。
この姿で魔術師と言われても、果たしてどう受け止めればいいのだろうか? 下手をすると魔法を撃たれるより殴られたほうが痛いのではないだろうかと鳳牙は思う。
「特に言うべき事でも御座らぬ故な。まあ、わざと黙っていたわけでは御座らん。今までそういった話題が出る事がなかっ――む……?」
アルタイルが突然言葉を切って目を細めたかと思うと、
「なーもうっ、なんばしょっと!? そげなとこで見とらんと、はよぅかたって!」
非常に元気のいい女の子の声が鳳牙の耳に届いた。【ささやき】ではなく、通常の音声チャットだ。
とっさにその声の出所を探り、
「あ……」
いつ接近を許してしまったのか、鳳牙はすぐ近くで黄色い菱形クリスタルが音も無く浮いているのを発見した。
「いつの間に……」
アルタイルに意識を向けていたせいで、気配のないクリオプの接近に気が付かなかったようだ。
鳳牙がちらりとギガンテスの方へ視線を移すと、その周囲を飛び交っているクリスタルの数が三つだけになっているのが確認出来た。
「こん子たちにはマイクん機能も付いとうたい。うちの声、聞こえとうと?」
再びの声と共に、黄色の菱形クリスタルはくるりくるりと右へ左へアピールするように回転し始めた。
先のアルタイルの説明通りであれば、こういった行動をクリオプにとらせるのもそれなりの労力を伴いかねないということだったが、動かしているはずの本人は鳳牙たちの方など見向きもせずギガンテスとの交戦を続けている。
「えっと、君は今ギガンテスと戦ってる魔術師……でいいんだよね」
ちらちらと遠くで戦う魔術師を気にしながらも、フェルドが黄色のクリスタルへ向けて話しかけた。すると、
「そうたい。うちはステラっていうとよ。よろしゅう……って、そうじゃなか! さっきからなして黙って見とうとよ! うち一人じゃ押し切れんと、はようかたってばい!」
九州方面の訛り全開な少女の声は、礼儀正しく名前を名乗ったかと思った直後に、非難するような声でそんな事を言ってくる。
だが、普段の生活において方言というものを聞きなれていない鳳牙はなんとなくニュアンスを把握出来るのみで、少女が何を言っているのか完全には理解出来ていなかった。
おそらく他の三人も同じなのだろう。それぞれになんと返事をしていいものか考えあぐねいている様だ。
「…………ああ、『かたって』って『加勢して』って言ってるのか」
ややってから、フェルドが突然ぽんと手を打つと同時に合点がいったというように声を発した。それに続いて、
「ああ」
「うぬ」
「なるほろ」
鳳牙とアルタイルと小燕も同時にぽんと手を打つ。
「んなあっ!? なして返事ばせんと思うとったら、そげなこつば悩んどったと?」
自分の言葉が正しく伝わっていなかった事に驚いたのか、プルプルと黄色のクリスタルが震えながら素っ頓狂な声を上げた。
「ごめんごめん。方言って聞き慣れてないとなかなかね。あ、それで加勢の件だけど――」
ちらりと、フェルドが視線を送ってくるのに気が付き、鳳牙はコクリと無言で頷きを返した。
なにせギガンテスを相手にソロで立ち回れるような魔術師である。この場を共闘で切り抜けるにあたって不足のある相手であろうはずもない。
いずれにしてもギガンテスを倒さない事には死んで戻るしかないのであれば、選択肢はおのずと決まってくるというものだ。
加えて、鳳牙たちのパーティーに最も欠けているのが純粋な魔法攻撃役である。アルタイルの罠もダメージの種類としては魔法ダメージに属するが、瞬間的な破壊力が望める攻撃ではない。魔法攻撃しか効かないモブが出ようものなら、その時点で詰む危険性が高いのが現状である。
見たところギルドネームを冠しているようには見えないため、今後の事を考えてあわよくばという気持ちがないでもない。
「――受けるよ。パーティー要請送るけど、今大丈夫?」
「大丈夫ったい。いつでも来んしゃあ」
「オーケー」
返事をするのと同時にフェルドが視線を魔術師――ステラに向け、直後に鳳牙のパーティーメンバーのステータスウィンドウの最下部に『ステラ』という名前が出現し、ヒットポイントなどのゲージが映し出された。
「うっわばりすごか! 皆二つ名持ちじゃなかとね。っと、アクアボルト!」
あちらにも鳳牙たちの名前が表示されたのか、再びステラが素っ頓狂な声を上げ、ついでに魔法スキルを放つ声も混じって来た。
ともすれば忘れがちだが、今こうして話している最中もステラはギガンテスと交戦中な上、三つのクリオプを操作し続けているのだ。
鳳牙としては何がどうなっているのか詳しく聞いてみたいという欲求に駆られるが、
「よし。それじゃあ交戦に入る前にいくつか確認と、それに応じて簡単に役割分担を決めておこう。ステラ――さん、もうちょっと持ちこたえられる?」
戦闘準備に入るフェルドの言葉に制され、意識を切り替える事にした。
「ステラでよかばい。大丈夫やけど、なるべくはよね」
「了解」
ステラの返事を聞き、フェルドがいつものようにすっと眼鏡の位置を直して輝かせた。全員で顔を突き合わせ、
「強化されているとはいえ、今までの状況を加味して基本は渓谷のギガンテスと変わりはない。これはいいよね?」
全員が無言で頷く。今までのモブは全体的にステータスが強化されている上にAIもいじくられてはいたが、知識にない不意打ちのようなスキルを使ってくる事はなかった。
ベースはあくまでそのモブそのままである可能性は非常に高いと言える。
「そうなると注意点は二つ。まず、ギガンテスは一発の攻撃力が半端じゃなく設定されてる。それに見てても分かったと思うけど、おそらく棍棒の一撃もらったら小燕でも即死だと思う。普通のゲームなら防御スキルの検証でもしてみたいところだけど、今回は絶対に受けちゃ駄目だ」
フェルドの警告を受けるまでも無く、鳳牙も直感的にあの一撃には耐えられないだろうと考えていた。つまりは、事ここに到って小燕が壁役を担うという戦法は完全に死に手になってしまったという事だ。
「次に、ヒットポイントが半分以下になった後で使うようになるアースクウェイク。物理スキルだけど必中の多段魔法ダメージだから、軽減には防御力と土属性の耐性値が必要になってくる」
最大の懸念事項なのだろう。フェルドが先ほど直したばかりだというのに、眼鏡のブリッジに指を当てていた。
「威力が分からないのが不安だけど、クウェイクをもらったらポットで回復しつつ僕のそばに集まって来て欲しい。そうすれば設置回復と範囲回復で一気に全快させられるから、戦線復帰の時間は大幅に短縮出来ると思う」
そこまで言うと、フェルドは急に鳳牙たちから視線を逸らし、
「それで――ステラ。交戦していて何か気が付いた事はない?」
その逸らした先にある黄色いクリスタルへ、つまりはステラへ向けて問いかけた。
「え? ……あ、そうたい。あいつ、もんちかっぱヒットポイントが多かとよ。なんぼ削っちもすぐ自然回復しよって、いっちょん減らんばい」
突然話を振られたにもかかわらず、ステラは元気の良いままに、しかし非常に落ち着いた様子でフェルドの質問に答えた。
ステラの言葉を受けて、その内容をどうにか理解した鳳牙はそういえばとギガンテスのヒットポイントを確認する。
ゲージはほぼ満タン状態で、時折申し訳程度に減るものの、すぐにするすると全快に戻ってしまっていた。
CMOではプレイヤーもモブも、その絶対値が大きければ大きいほど自然回復の速度が速くなっていく仕様になっている。
仮にステラの攻撃でギガンテスのヒットポイントが百削られたとして、その回復にかかる時間が先ほどのようにわずか十秒足らずであるとするのなら、一人だけで倒しきるのは確実に不可能だ。
たとえ鳳牙の徹しを撃ち込んでも、ダメージが全快されるまでに二分も必要ない事になる。さらに単純にクールタイム分を差し引けば、実に絶望的な回復速度である。
戦う前から嫌な予感がひしひしと感じられたが、
「ただ、ダメージば与えとう間は自然回復も止まっとうけん、間断なくダメージば与え続ければ押し切れるはずばい」
続いてもたらされた情報によって、暗雲立ち込める空に確かな光が差し込んだ。
「うぬ。であれば、拙者の罠は大いに役に立つはずで御座るな。時間差で罠を撒き続ければ自然回復を止め続けられるはずに御座るよ」
自信満々にアルタイルが大きく頷いて見せた。
時間差・波状攻撃は忍者の十八番である。さらに的が大きなギガンテスともなれば、回避に専念しつつ適当に罠をばら撒くだけで安定したダメージソースになるだろう。
「皆が参戦しとってくれるんなら、うちはギガンテスん動きば封じる事に専念出来るったい。うちとこん子らで絶対に攻撃ば通さんばい。やけん、遠慮無しに攻撃しとってくれてよかよ」
黄色のクリスタルを通して、ステラからそんな発言が飛び出してくる。
普通に考えればギガンテス相手に魔術師が一人で押さえ込める通りなど無いのだが、現実として攻撃を掻い潜りながら反撃まで加えている様を見せ付けられては、その言葉の真偽を疑う意味など無い。
「おー。もしかしなくても今回の小燕ちゃんはアタッカー? 本気出していいの? やったー」
パーティの編成上、どうしても壁役をこなす事が多い小燕が、久しぶりに大暴れ出来ると聞いて妙に張り切りだした。
ともすれば鳳牙も忘れがちだが、仮に鳳牙が『徹し』を持っていなかった場合、パーティーの最大火力は間違いなく小燕なのである。いつも戦闘終盤で攻勢に回る彼女だが、その攻勢に回ってからの殲滅速度が飛躍的に上昇するという事を考えれば、後は推して知るべしというものだ。
「こらこら。何がどうなるか分からないんだから、周りが見えなくなるのは駄目だよ。っと、それじゃあ最終確認だ」
こんこんと小燕のヘルメットを叩きつつ、フェルドが鳳牙へ視線を向けて来た。
「まず鳳牙と小燕はとにかくダメージを稼ぎ続ける事。スタミナが切れそうになったら僕に言って。すぐに回復するから」
フェルドの言葉に対し、鳳牙はコクリと頷いて見せた。
それに対してフェルドもまた頷きを返して来て、次にアルタイルへと視線を移す。
「アルタイルは下手にダメージを稼ぐ事を考えなくていい。とにかく死なない事と、常にチクチクとギガンテスにダメージを与え続けて自然回復を阻害し続けてくれ」
「任せるで御座る」
アルタイルが「ふんはっ」と例によってマッスルポーズをとる。気分が乗っている証拠だった。
フェルドがそれに対してまたもゆっくりと頷くと、今度はアルタイルから黄色のクリスタルへと視線を移し、
「そしてステラ」
「なん?」
先ほどまでよりも随分と余裕のある声が聞こえて来た。
ふと鳳牙が彼女本人へ視線を向ければ、彼女は攻撃を完全に止め、代わりにクリスタルと連携してギガンテスの行動をほぼ封殺しているところだった。
クリスタルが一つ欠けた状態でここまで封じ込められるとなれば、もう一つが戦線復帰した場合にどうなるのかは想像だに難くない。
先ほどに比べて余裕が感じられるのは、攻撃する隙を縫う事を止めたためだろう。
そんな様子はおそらくフェルドも確認しているはずで、
「今回の戦闘は君がギガンテスを抑えきれるかどうかにかかってる。君と僕らとでパーティーを組むのは初めてだし、そもそもお互いにまだ把握しきれてないところも多いけど、僕は戦闘中は容赦なく注文をつけるよ。だから――」
彼は落ち着いた調子で語りかけ、すっと目を閉じて一度言葉を切った。そしてゆっくりと目を開き、
「君も何かあれば遠慮なく言って欲しい。全体を見るのはヒーラーである僕の役目だけど、キーパーソンは間違いなく君だ。だから、こちらからもお願いする。力を貸してくれ。そして、一緒に生きてここを出よう」
どこかの映画にでもありそうな台詞を真顔で言い切った。
「………………」
そんなフェルドの言葉を受け、ステラが呆気にとられてきょとんとしているのが鳳牙には分かった。事実、
「うわっちゃったっとお!」
突然ステラが奇声を発したかと思うと、足元の地面が揺れた。
再び鳳牙がギガンテスの方を見ると、先ほどまで各種魔法スキルで封殺されていたはずのギガンテスが自由の身になっており、棍棒を大地に叩きつけている。
どうも呆然となってしまったせいで束縛を解かれてしまったらしい。
「な、な、なんば言いよっとね! い、いきなりびっくりひゃされんでよ!」
一転してかみかみでしどろもどろな怒鳴り声が聞こえてくるも、その間に再びギガンテスはステラの魔法に拘束され、再度自由を奪われた。
「……え? 何で僕怒られるの?」
フェルドが鳳牙たちの方を向いて不思議そうに首を傾げてくる。おそらく、本人としてはいい事を言ったつもりなのだろう。
だがそれに対しての鳳牙をはじめとするパーティーメンバーの反応は、妙に冷めたものだった。
具体的にまずアルタイルが、
「うぬ。拙者はそれがフェルド殿の良いところだと思うで御座る。しかし、時と場合と相手を考えずにやってしまうところはちょっと直した方がいいと思うで御座るよ」
腕を組んでうんうんと頷きを繰り返し、次いで小燕が、
「フェル兄、たぶんその手の事を現実世界でもやってるよね。あたしの学校にもそういう男子がいるわけですよ。そして各種イベントの時期に本人のあずかり知らぬところでこう、ね」
フェルドの癖を真似しているのか、両手を広げて肩をすくめている。
そして鳳牙はというと、
「あー……でも俺は何も言えないなぁ。それに乗っかった口だし」
初めてフェルドに会った時の事をしみじみと思い出していた。
「え? あれ? 皆、なんでそんな感じ?」
ただ一人、フェルドだけがまるで状況を掴めていない。
いっそ説明するのも良いのかもしれないが、
「まあその話は後にしましょう。今はとにかく――」
鳳牙はやや強引に話を打ち切り、
「あれ、何とかしましょう」
ステラによって自由を奪われ続けている黒い巨人を指し示す。
「……そう、だね。よし」
やや納得がいかないという表情をしながらも、フェルドも頭を切り替えたようで、すぐにいつも通りの策士な表情へと変化する。
そしてこれもまたいつものように、フェルドが全員の顔をぐるりと見回し、
「じゃあ、ギガンテス狩りの開始だ。時間もちょうど良いし、各自注意点に留意しつつ攻撃開始。最初から全力で行くよ」
「準備はもう完了しよるばい。いつでもよかよ!」
ステラの言葉を受け、フェルドが大きく腕を振ってゴーサインを出した。
「八百万の神々のご加護を!」
「応!」
「うぬ!」
「行っくよー!」
「来んしゃあ!」
鳳牙たちはそれぞれに答えを返しつつ、黒い巨人狩りを開始した。