5.世界境界 立ちはだかるモノたち
「広い、ですね」
「広いね」
「うぬ。さながら箱庭のようで御座るな」
「学校のグラウンド、みたいな感じ?」
ハルナの転送によって初めて『世界の境界』へ足を踏み入れた鳳牙たちは、最初に降り立った空間の広さに思わず呆然となる。
目算など当てにならないが、鳳牙の感覚的には二百メートル四方はありそうな感じだった。
自然さを一切感じられないその空間は、周囲を密集した不気味な草木で覆われて奥をうかがい知る事は出来ない。もしも上空からその場所を見る事が出来れば、おそらく樹冠に覆われたジャングルの中で、ただその場所だけが四角く切り取られたような広場として映るだろう。
開けた地面は黒土のようで、しかしその固さは硬質なガラスの上に立っているかのような感覚さえ覚える。
鳳牙はおもむろにしゃがみこんで地面に触れるが、指はしっかり地面を抉り、黒々と地面と同じものがこびり付いた。その感触は足裏に覚えるものとは裏腹に、驚くほど柔らかい物だった。
その感覚の違いに、鳳牙は言いようのない不気味さを覚える。
「森の中へは入れないみたいだね。見えない壁でこれ以上進めなくなってる」
転送位置のすぐ背後に広がっている密林を前に、フェルドが手を伸ばして不気味な色合いの木に触れている。いや、彼の手は木に触れるよりも少し前で停止していた。つまり、そこに見えない壁があるという事なのだろう。
「うぬ。おそらくこの場所を森と同じくぐるりと囲っておるので御座ろうな。移動には方々に見えているトランスポーターを利用しろ、という事に御座ろう」
そんなフェルドの様子を確認したアルタイルが、改めてぐるりと現在のフィールドを見回していた。
鳳牙もまた再度周囲を確認し、ある程度の間隔を空けつつ立ち並ぶトランスポーターの群れを確認する。
「五……六……七……、にゃあああっ! 一杯ありすぎて数えるのめんどー!」
がっちゃがっちゃと鎧を騒がせながら小燕が地団太を踏んでいた。
彼女の言う通り、鳳牙がぱっと見渡しただけでも軽く二十は超えるトランスポーターが静かに宙に浮かび、くるりくるりと回っている。
それもまた、初めて見る異様な光景だ。
「まさにここはスタート地点ということなのかもね。どこに飛ぶかも分からないトランスポーターがこれだけある理由は分からないけど、ともかくどれかに入ってみない事にはここがどんなフィールドなのかも分からない、か」
「うぬ。よくあるパターンであれば、この中から正解を一つ見つけ出すというものに御座るが……」
「その形式だと、セオリー通りなら一番遠いところにあるのが正解だったりしますよね」
「あー、でもでも、こういう場合は真ん中ら辺のわさわさあって分かり難いところかもしれないよ?」
各々意見を出し合い、四人で出した結論としては、悩むのを止めてとにかく行動してみようというものだった。
事前情報が皆無に等しいのだから、やるだけやって情報を得ようという考えだ。
結局、四人は一番近くにあったトランスポーターを選択して移動してみる事にした。全員でタイミングを合わせ、一斉にトランスポーターへ進入する。
瞬き程度の暗転を経て、鳳牙は今までと変わらないようで、明らかな違いを持ったフィールドへ移動していた。
変わらないのはフィールド全体の雰囲気。密林に囲まれた四角い空間であるという事。
そして変化は大量のトランスポーターの消滅。加えて、フィールド中心部に存在する謎の巨大オブジェクトだ。
「何だ……? あれ」
「何だろうね」
「何で御座ろうな」
「何かなー」
全員が一斉に首を傾げる。その場の誰もが今までに見た事の無いものだった。
地面から噴き上がる薄緑色のそれは、まるで流水のごとく明らかな流れを持って壁のような形を保っている。奥行きに丸みを感じさせるところを見ると、おそらく円柱形なのだろう。
やや遠くにあるというのに十分大きいと感じるという事は、ざっと見て半径十メートルはくだらない規模のものだ。
それが背景や地形の一部ではなくオブジェクトだと分かったのは、ターゲットする事が出来たためである。ただし、ターゲットしても何の情報も表示されないため、やはりそれがなんなのかはまったく分からない。
鳳牙がちらりとその最上部を確認すると、はるか上空で噴出した水が上下するかのように高くなったり低くなったりを繰り返しており、さながら間欠泉のような様相を呈していた。
無音のまま噴き上がるそれをしばらく眺めた後、四人はこのままでも仕方がないとそれぞれにその謎のオブジェクトに近付いて行く。
手を伸ばせば振れそうな位置まで近付くと、やはりその大きさに圧倒される。わずかな発光すら見られるそれは、流体ではあるが水とは大きく異なる物質のようだった。
何とはなしに鳳牙は手を伸ばしてオブジェクトに触れようとして、その指先がわずかに噴き上がる流体の感触を覚えた、その瞬間だった。
「え?」
「うん?」
「ぬ?」
「お?」
それまで綺麗にまっすぐに噴き上がっていた薄緑色の流体オブジェクトに変化が生じた。円柱の中央付近が風船を膨らませるような急激な膨張を見せたかと思うと、そのまま乾いた音と共に雫を撒き散らして弾け飛ぶ。
「くっ……」
全身にその雫を浴びた鳳牙は思わず目を庇いつつ顔を逸らし、飛び散る雫が収まったところで再び前を向いた。そして――
「なっ!?」
眼前で長大な鉈を振り上げる豚の頭が乗った人間を確認し、反射的に後方へ跳躍していた。直後に顔面すれすれのところを振り下ろされた鉈が通過し、ザクリと黒い地面に斬痕を刻む。
辛くも凶刃から逃れた鳳牙はすぐさま戦闘体制をとり、瞬時に相手を確認した。
金属製の安全帽子のようなヘルメットを被るのは、醜悪な表情をした豚の頭。口元から獰猛な牙が二本そそり立ち、にちゃにちゃと粘着質なよだれが漏れている。
太っちょな体型は前面のみを守るこれも金属製の前掛けに覆われ、短くも恐ろしく太い手足は脂肪の下に確かな筋肉をうかがわせていた。
それを裏付けるように、先ほど振り下ろされた鉈の一撃は背筋がゾクリとするほどに速く鋭かった。
「オークファイター……?」
外見的な特徴から、鳳牙は相対する敵を亜人豚族モブと判断した。落ち着いて確認してみれば、相手の頭上にもそのネームが青色の字で表示されている事が分かる。
だが、鳳牙はその答えに疑問を持つ。何故なら鳳牙の知るオークファイターはこれほどまでに威圧感を受けるような相手ではないからだ。
これではまるで、彼らの王たるオークキングと相対しているかのようだった。
「各自応戦! 危なくなったら僕のところへ!」
すぐ近くからフェルドの叫び声を聞き、鳳牙は目の前の敵を警戒しつつちらりと声のした方を盗み見た。
やや長めと思われる詠唱しているフェルドと、その前で別のオークファイター二体と交戦中の小燕を視界に捉える。アルタイルは少し離れたところで同じく二体のオークファイターの間を動き回っていた。おそらく回避力を生かして遠くへ引き付けているのだろう。
瞬時にそれらを確認し、次いで鳳牙は感覚の届く範囲で索敵を開始。確認出来た五匹に加えて未だ消失した流体オブジェクトのあった場所から動かない二体のモブの気配を確認する。
――くそっ! オークメイジとオークプリーストまで混じってるのか!
移動していないと思われる二体を眼前のオークファイター越しに目視して、鳳牙は痛烈な舌打ちをする。
先の丸く曲がった杖を構えるオークメイジはすでに何らかの詠唱を開始しており、その身に淡い光をまとっていた。オークプリーストはすでに詠唱を終えたのか水晶の付いた杖を天高く掲げており、それに応じてオークファイターたちの体が白い光を帯びる。
――強化魔法か!
「プギィ!」
何らかのステータスアップを施されたオークファイターが耳障りな雄たけびを上げ、信じられない速度で間合いを詰めて来る。
その速度に一瞬驚愕する鳳牙だが、次の瞬間には縮地を発動し、向かってくるオークファイターの横をすり抜けていた。
鳳牙はそのまま振り返ることなく前進し続け、今まさに魔法を放とうとしているオークメイジと新たに詠唱を開始したオークプリーストに接近する。
こちらの動きに気が付いたオークメイジが魔法の標的を鳳牙へ変更するためか杖を向けてくるが、
「『獣化』!」
銀の狼に姿を変え、移動速度を飛躍的に上昇させた鳳牙は一気に相手を射程圏内に捉え、
「ヴォオオッ!!」
相手の魔法よりもわずかに速く獣咆を発動。オークメイジとオークプリーストを気絶状態にして強制的に魔法詠唱を中断させる。
「吹っ飛んどけ!」
接近の勢いはそのままに、獣化を解いた鳳牙はオークメイジをサッカーボールか何かのように蹴りつけて宣言通りに遠くへ吹っ飛ばした。
続く動作でまだ気絶状態のまま動けないオークプリーストに通常攻撃とスキルを織り交ぜた連撃を打ち込む。
――くそっ! なんだこのヒットポイントは!
気絶状態のため完全な無防備で鳳牙の連撃を受け続けているにもかかわらず、オークプリーストのヒットポイント減少量は不自然なほどに緩やかだった。
鳳牙の知るオークプリーストであれば、三発目のスキルを放った時点で倒せているはずである。
だというのに、すでに五発目のスキルを放っていながらそのヒットポイントはようやく半分を切ったところだ。
埒が明かないと判断した鳳牙は、相手が気絶状態から立ち直る瞬間に合わせて掌を押し当て、
「破っ!」
徹しを放って止めを刺した――その直後。
「がっ!」
背中を縦に走った灼熱の痛みに思わずうめき、鳳牙は前方へ転がるようにして逃げ、立ち上がると同時に背後からの襲撃者を睨み付けた。
「プギイイイッ!」
そこにいたのは歓喜の雄たけびを上げるオークファイターだった。プリーストを相手に時間をかけ過ぎたせいで接近を許したらしい。
背中の傷がずきずきと痛む。鳳牙のヒットポイントは今の一撃で四分の一ほどを失っていた。だが、いくら無防備に受けた一撃とはいえそれはもはやオークファイターの攻撃力をはるかに凌駕していた。
強化魔法によるバックアップも術者であるオークプリーストを倒した以上、その効力は失われているにもかかわらずだ。
それらの事実を踏まえ、鳳牙はハヤブサの言葉を思い出す。彼女の言葉の正しさを、鳳牙はその身をもって知る事になった。
「鳳牙!」
フェルドの呼びかけに反応し、鳳牙はオークファイターとの距離があるうちにその場から撤退する。進行方向には二体のオークファイターの攻撃からフェルドを守る小燕がいた。
彼女のヒットポイントはオークファイターの攻撃を防ぐ度に目に見えて削れていくが、一定の周期を持って彼女の足元の地面が淡く発光し、削れた分と同程度のヒットポイントが回復する事で均衡を保っているようだった。
「小燕は大丈夫だ。とにかくこっちへ!」
言われるがままにオークファイターと小燕の隣をすり抜け、鳳牙はフェルドの隣に達する。すると、小燕のヒットポイントが回復するタイミングで鳳牙の足元の地面も淡く発光を始め、削られたヒットポイントがやや回復した。
「聖浄なる領域。普段は使う機会もないけど、範囲内にいれば五秒毎に五分間ヒールが継続してかかる設置型の回復魔法陣だ」
早口で説明しながら、フェルドが回復魔法で鳳牙の傷とヒットポイントを全快させる。
鳳牙はヒットポイントが全快するや否や、
「助かりました。とにかく数を減らして来ます」
こちらも早口で礼を言い、すぐさま飛び出していく。狙いは無論、鳳牙の後を追って来たオークファイターだ。盛大に背中を切りつけてくれた礼はきっちりとしなければならない。
その際、ちらりと最初に蹴り飛ばしたオークメイジの所在を確認するが、こちらはのそのそとした動きで戻ってきている最中で、その射程圏内に捉えられるにはいくばくかの余裕がありそうだった。
――それなら!
全神経を目の前の敵に向け、鳳牙は正面からオークファイターへ突撃を仕掛ける。
「ブヒッ」
突っ込んでくる鳳牙を格好の的だと判断したのだろう。いやらしい笑みを浮かべつつ強く鉈を握り締めたオークファイターは動きを止め、その手を大きく振り上げて鳳牙を誘って来る。
その威圧感は、まともに受ければ致命傷必至という危険信号を鳳牙が感じるに足るものだった。
その行動もまた普通のモブとは明らかに異なる不可解な行動だが、鳳牙は怯まずにあえてその誘いに乗り、一気に懐に潜り込んだ。
「プギィ!」
次の瞬間、待ってましたとばかりに死の颶風をまとった斬撃が振り下ろされ、鳳牙の身体が真っ二つに裂かれた――かに見えたが、
「遅いっ!」
オークファイターが切り裂いた残像を残し、すでに直角に跳ね飛んでいた鳳牙は、着地と同時に縮地で間合いを詰め直し、攻撃直後で隙だらけになっている相手の横合いから強襲を仕掛けた。
驚愕に染まった顔に右の拳を叩き込み、のけぞってがら空きになった首を左の足刀で蹴り抜く。
「はああああっ!」
そこからは残存スタミナの許す限りモーションキャンセルを駆使したスキルを連続で放っていった。通常のオークファイターであればとっくに絶命しているはずの攻撃を叩き込み続けるが、相手のヒットポイントゲージは空にならない。
「ちっ」
スタミナの残りが少なくなってきたのを確認して、鳳牙は一度攻撃を中断。距離をとってスタミナポットを使用しつつ、相手の出方を伺った。
「ブ……ブヒフ……」
だらだらと大きな鼻の穴から血を流しながら、オークファイターが憎悪の炎が燃え盛る目で鳳牙を睨み付けて来た。そして――
「プギイイイイィッ!」
「来るか!」
がむしゃらに突っ込んでくるオークファイターを確認し、鳳牙は迎え撃つための構えを取った。
大きく鉈を振りかぶったまま突撃してくるオークファイターを注視し、ぎりぎりまで引き付けてから鳳牙も飛び出すが、
「プギィッ!」
オークファイターは斬撃を放つ直前で角度を変化させ、その斬線を斬り下ろしからなぎ払いに変化させた。これにより、先ほどと同じく鳳牙が直前で左右に逃げようものなら、その胴を真っ二つに掻っ捌かれてしまう事になる。
だから、鳳牙は左右にかわす事をせず、
「だりゃあっ!」
強く地面を踏み込んで跳躍し、右の膝をオークファイターの顎に叩き込んだ。
「プギュッ!」
縦の斬撃が横に変更されたため、鳳牙はがら空きの空間と化した上空へ逃げると同時に相手の顎を飛び膝蹴りで打ち抜いたのである。
風斬り音を発しながら放たれたオークファイターの一撃は、見事に飛び上がった鳳牙の下を素通りして空振りに終わった。
しかし、顎を打ち砕かれたオークファイターはなおも憎悪の炎を燃やし、体勢を立て直すと同時に背後へ抜けて行った鳳牙の方へ振り返った。だが、その時にはすでに勝敗は決している。
「終わりだ……破っ!」
すでに徹しを準備していた鳳牙の一撃ですべての残りヒットポイントを削られ、オークファイターは白目をむいて地面に倒れ付した。
鳳牙はやや乱しかけた息を整えつつ、すでに接近を許しているであろうオークメイジの方へ視線を向けた。すると、問題のオークメイジがかなり離れた位置で何かしら魔法を詠唱している姿が見えた。
――あれ? あんな遠くから届く魔法あったか?
その離れ過ぎている距離に鳳牙が内心首を傾げた、その直後――
「鳳牙避けろ!」
フェルドの警告の叫びと同時に鳳牙の全身の毛が逆立ち、とっさに重心が傾いていた前方への全力回避を試みる。
だが、間髪入れずに今さっき倒したばかりのオークファイターの身体が轟音と共に爆散し、避けきれなかった鳳牙はその爆発に巻き込まれて吹き飛ばされた。
「が……」
爆発によって撒き散らされたオークファイターの骨や抉られた地面によって、鳳牙は背中を中心に激しく打ち付けられ、地面を転がって土に塗れる。
『鳳牙! 大丈夫か!』
位置が離れ過ぎたためか、フェルドの【ささやき】が聞こえ、鳳牙は軋む身体に鞭を打って起き上がった。その途中でフェルドの【ささやき】を直接指定し、本人へ【ささやき】を返す。
『何ですか……今の……』
『コープスエクスプロージョンだ。死体を爆発させて周囲にダメージを与える魔法で――ああ、そんな事言ってる場合じゃない! すぐに次弾が来る!』
再度の警告に、鳳牙はオークメイジの方へ視線を向ける。相手は先ほどよりずっと接近してきており、鳳牙は十分にその射程圏内に入ってしまっていた。
――ちいっ!
鳳牙は持ち物ボックスからヒールポットを選択して使用し、
「『獣化』」
次いで狼に変身してオークメイジに背を向けて走り出す。先の一撃で相当なダメージを負ってしまったため、一度フェルドに回復してもらわなければ死んでしまうためだ。
そんな鳳牙の姿をオークメイジは鼻で笑いながら詠唱を続行する。
特定のスキルを除き、魔法スキルは必中の性質を持っているためスキルによる防御以外では出だしを潰すか範囲外に逃げるかでしか回避する事が出来ないためだ。
しかし、鳳牙はすでに潰しにかかるにも範囲外へ逃れるにしても行動が遅過ぎた。オークメイジの小馬鹿にしたような態度は、その事実に基づいている。
また、『獣人』の防御スキルの中にも魔法スキルを防御出来るものはあるが、使用後の硬直時間が長いためにさらなる追撃を受ければ確実にやられてしまうのだ。
傍目に見れば手詰まりとも言える状況だが、鳳牙とて無策に遁走しているわけではない。
魔法の多くは詠唱者から放たれて標的に着弾するまで、距離があればあるほど時間がかかる。弾速は極めて早いために微々たる違いだが、クールタイムが消費しきれるかどうかの瀬戸際においては絶対的な差が存在する。
鳳牙の遁走は、少しでも魔法の着弾を遅れさせるための手段だった。
そうこうしている間にオークメイジの詠唱が終了し、大きな火球が放たれるのを鳳牙は感覚的に理解した。着弾まではおおよそ一秒弱。
ギリギリでポットのクールタイムを消費仕切った鳳牙は、すぐさまヒールポットを再使用。
「ぐああっ!」
直後に火球が狼姿の鳳牙に着弾し、衝撃に飛ばされて再び地面を転がる。
追撃を受けた事でポット二回分の回復をはるかに上回るヒットポイントが削られてしまったが、
「ヒーリングオール!」
宣言が聞こえると同時に鳳牙の全身が強い光に包まれ、無数に生じていた傷がみるみると塞がっていく。そして、光が消え去った時には鳳牙は完全に全快していた。
「鳳牙大丈夫か!?」
「行けます!」
全快すると同時に、鳳牙は狼の姿のままオークメイジへと突っ込んでいく。悠々とこちらに近づこうとしていたオークメイジが鳳牙の急速な接近に驚き、慌てて杖を構えて詠唱を開始するが、今度はオークメイジの方が遅すぎた。
「ヴォオオッ!!」
速攻で相手を射程圏内に捉えた鳳牙は即座に獣咆を発動。再び気絶状態に陥ったオークメイジにプリーストと同様の連撃を叩き込み、止めの徹しで相手の後衛を完全に壊滅させた。
すぐさま【ささやき】をパーティー全員に設定し、
『メイジとプリースト潰しました』
討伐報告を送りつつも鳳牙は来た道を取って返し、小燕によって完全に引き付けられて固定されているオークファイターに背後から襲いかかった。
「鳳兄遅い! 待ちくたびれた!」
鳳牙の加勢を確認した小燕が、ぶーぶーと文句を言ってくる。
フェルドの支援があったとはいえ、二体の攻撃を捌き続けたというのにその声にはまだ余裕があった。勝手に付けられたものとはいえ、『鉄壁』の二つ名は伊達ではないという事になるのだろう。
「ごめん待たせた。片方このまま受け持つから、アルタイルさんが連れてくる前に沈めるよ!」
「あいさっさー。あーもうっ! よくも好き勝手殴りやがったなこんちきしょー!」
互いに一対一であれば、いかに妙な強化が施されているとはいえオークファイターに遅れをとる事はない。後衛の魔法組みを潰した今、ただの物理屋である相手に負けるわけには行かなかった。
「破っ!」
「止め!」
ほぼ同時に、鳳牙と小燕がオークファイターを物言わぬ骸へと変える。
鳳牙はふうと息を吐き、すぐさま残る二匹の討伐へ向かおうとして、
「ああ、もう終わると思うよ」
「え?」
フェルドの言葉に足を止め、ついとアルタイルが敵を引き付け続けているはずの戦場へ視線を向けた。その時、ちょうど二本の火柱が立ち昇り、その隙間から悠々と歩いてくる巨体が見えた。
火柱をバックに歩くその様は、大昔の特撮ヒーローか何かを思わせるような絵面である。
「豚」
突然アルタイルが足をぴたり止め、声を発する。
次いで、彼は頭上に右手を上げながら、
「焼」
今度はそんな事を言いつつ、
「滅!」
最後は背後の火柱が消え去るのに合わせて天に掲げた手を人差し指と中指だけ伸ばした状態で自分の顔の前に持ってきた。
何かの決めポーズと決め台詞を放つアルタイルの後方で、黒焦げになったオークファイター二体がゆっくりと地面に倒れ伏していく。
アルタイルはわずかばかりヒットポイントを減らしたのみで、ほぼ無傷であった。
それは誰が見ても完全勝利である。
「すげー! アル兄かっけー!」
小燕はアルタイルの演出効果に感動し、しきりにわーきゃー騒いでいる。
だが、鳳牙は一人唖然とした表情で、
「え? アルタイルさん、一人で同時に二匹倒したんですか?」
思わずアルタイルにそう尋ねていた。単純な戦果ではなく、内容を加味した戦績を見ればアルタイルのそれは圧倒的であった。
「うぬ? 何か不味ったで御座るか?」
尋ねられた当の本人は、実に不思議そうに首を傾げている。驚かれている理由がまるで分かっていないという感じだった。
「えと、不味いとかじゃなくて……。だって、このオーク変に強かったですよね? それを二体同時に捌いてほぼ無傷って、回避力だけで説明付きませんよ?」
鳳牙は感じた疑問をそのままアルタイルに伝える。
いかな回避特化の忍者といえど、あのレベルの敵二体からの攻撃をほぼ無傷で捌ききれるものではない。ポットによる回復を行ったとして、それでもあまりに減っているヒットポイントが少な過ぎた。
そう思っての疑問だったのだが、鳳牙の言葉を聞いたアルタイルは困ったようにガシガシと頭をかいている。
「別になんて事はないので御座る。確かに妙にタフで利口では御座ったが、所詮はオークで御座る。オークはステータス異常にとことん弱いので御座るよ」
アルタイルがぴっと右の人差し指を立てながら、左手にいくつかの投玉と罠玉を取り出す。
「目潰しで視覚を奪い、トリモチで機動力を奪ってしまえば、後は面白いように罠にかかるで御座る。避けられぬのであれば、それが分かったとて無意味で御座る故」
ころころと手にした投玉と罠玉を弄びながら、アルタイルは簡単な戦闘履歴を語り終える。
「なるほど。オークにとってアルタイルさんは見事なまでに天敵なんですね」
「うぬ。今回はまあ、運が良かったで御座るな」
取り出した玉を懐にしまい、アルタイルは両手を組んでうむと大きく頷いた。
鳳牙が忍者の多才ぶりに改めて感心していると、
「あ、宝箱出た」
小燕の言葉を聞いて、鳳牙は流体オブジェクトが存在していた場所を見る。
そこには確かに大きな宝箱と、そしてその近くに一列に並んだ四つのトランスポーターが出現していることに気が付いた。それらに加え、やや離れたところにポツンと通常の青色とは異なる赤色のトランスポーターも出現している。
いつそれらが出現したのかは分からないが、戦闘が終わった後である事は間違いない。
「なるほど。要はこのフィールドそのものが一つの括り、例えるなら普通のダンジョンの仕掛け部屋のような扱いなんだね」
戦闘中にずれた眼鏡の位置を調節しつつ、フェルドが現在のフィールドについての考察を述べる。
「全部が全部そうなのかは分からないけど、少なくともこの場所は敵の全滅がクリア条件なんだと思う」
「俺たちがオークを殲滅したから、宝箱とトランスポーターが出現したというわけですか?」
「状況的にそれしかないだろうね。ハルナの説明通りの帰還用トランスポーターとは別に、またぞろ四つも移動用のトランスポーターが出てくるあたり、相当に複雑そうだよ。このフィールドエリア」
フェルドの言葉を受けて、鳳牙は一番最初の場所で多数存在していたトランスポーターを思い出す。あれのすべてを探索するのに、果たしてどれだけの時間がかかるだろうか。
場合によって、入るたびに何かが変わる面倒な仕組みである可能性すらある事を考慮すれば、実にげんなりする話である。
「とりあえず、宝箱を確認してみようか。鳳牙はまた獣化する事があるかもしれないから――」
フェルドは視線を下の方へ向けて、
「小燕、取ってきてくれるかい?」
一番手持ちの荷物が少ない小燕に宝箱の確認を頼んだ。
「ういさー」
任された小燕はてててっと宝箱に近づいて行き、躊躇なくそれを開けた。罠の類はなかったようで、彼女はうんしょうんしょと宝箱の中を漁っている。
「にゃ? なんぞこれ?」
ややあってから小燕が妙な声を上げたかと思うと、大きな宝箱はその役目を終えたと言わんばかりに透過して消えていった。
「小燕、どうした?」
首を傾げながら戻ってきた小燕に鳳牙が問いかけると、
「えっとね ソウル・オブ・オーク っていうアイテムが入ってたんだけど、これ何?」
彼女は頭上に吹き出しと謎のアイテムリンクを表示させた。
試しに鳳牙はそのアイテムリンクを表示させてみるが、真っ白なウィンドウが表示されるだけでほとんど何の情報もかかれてはいなかった。
唯一書かれているものは、『所有者の死亡で消滅』というデッドロスト属性の説明のみである。
「まったく分からないね。もしかしたら生産用なのかもしれないな。あとで御影さんに渡してみよう」
同じようにアイテムリンクを確認したフェルドがそう提案し、一同はその意見に賛成した。
「うぬ。この後どうするで御座るか? 念のためアイテムを持って戻るで御座るか?」
「いや、まだ時間はある。行けるところまで行ってみよう」
アルタイルの進言に対し、フェルドは先へ進むことを提案した。
デッドロストアイテムは手に入れた時点で持ち帰れるように行動するのが鉄則である。だが、今回は最序盤で手に入る物がそれほど高価値なものではないだろうという判断での提案だった。
最悪失ったとして、それよりもこれから先にどんな仕掛けが存在しうるかの確認をしておく方が有意義であるという事だ。
「うぬ。しからば、慎重に先へ進んでみるで御座る」
「そうですね。またさっきみたいな奇襲があるかもしれませんし」
「モブも変に強いもんねー。早々に防ぎきれない攻撃が来ないといいけど」
「堅実に行こう。出来る限り先を知っておきたいから」
全員で頷き合い、鳳牙たちは次なる未知のフィールドへと進んで行く。