2.人狩暗躍 潮風の香る丘陵で
『あ、はい。分かりました』
『悪いね。二度手間になっちゃうのもなんだからさ』
『それじゃあ御影さんと連絡をとって一緒に戻ります』
『うん。よろしくね』
その言葉を最後に、頭の中に響いていた言葉は聞こえなくなる。
鳳牙はチャットの設定を通常に戻し、すぐ隣で黙って話を聞いていたアルタイルへ顔を向けた。
「うぬ。早速御影殿に連絡を入れ、所在を聞かねばならぬで御座るな」
「そうですね。出来ればもう少しここで稼ぎたかったところなんですが」
ちらりと、鳳牙は自分の持ち物ボックスを確認する。
所持している撃退マークは現在二十九個。アルタイルもおおよそ同数獲得しているので、総数ではおおよそ六十個といったところだ。
ギルドの機能拡張やらアイテム交換の事を考えると、実に心もとない数字である。
今日の成果としては鳳牙とアルタイルの二人でもうすでに二十名近くのプレイヤーを倒しているが、リスクの少ない相手を狙っているために一度に手に入る撃退マーク数は芳しくないのが現状だ。
本来なら一度に多くのマークを集めたいところではあるが、そうそう無茶は出来ない。
ちなみに、御影を倒した時に入手した撃退マークは五十個だった。それらはほぼ全てギルドホームの機能拡張に費やされている。
「御影殿でも五十個に御座る。安全策をとる事を考えれば、その一割程度の相手でなければ面倒で御座る」
「ですよね。あんなギリギリで五十個っていうのは泣けました。まあ、それが目的じゃなかったからショックはそこまででもありませんでしたけど」
ぽりぽりと頬をかきながら、鳳牙はあの日の死闘を思い出し、思わず身を震わせた。
賞金首で考えた場合、御影は間違いなくSランクに分類されるプレイヤーだ。最大ランクのプレイヤーから入手出来る数が五十個という事は、おそらく一人のプレイヤーから入手できる最大個数が五十個に設定されているのだろう。
つまるところ数を稼ぐためには頻繁に『異端者の最果て』から出てこなければならず、必然的に襲撃者との戦闘回数も多くなってしまう。
追加イベントの導入で賞金首たちがさらに狙われるようになっている事を考えれば、命の危険に晒される可能性はますます高くなるはずだ。
「……さて、御影さんに連絡を――」
そこまで言って、鳳牙はふいに言葉を切る。そのままゆっくりと首をめぐらせ、周囲を見回した。意識を集中させている耳が、しきりにぴくぴくと動く。
「どうしたで御座るか? 鳳牙殿」
その様子を不思議に思ったアルタイルが尋ね、
「今、何か聞こえませんでしたか?」
鳳牙は周囲を探り続けながら言葉を返した。
返答を受けたアルタイルも一緒に周囲を探るが、彼には何も感じられないようで、
「いや、拙者は分からぬで御座る」
首を横に振った。
――……気のせいか?
一瞬そう考えて、しかし鳳牙はかすかだが今度こそはっきりとした女性の悲鳴を耳にした。
おそらく、獣人である鳳牙にしか聞こえないであろう大きさの声。つまりは、かなり遠くの出来事である。
――フラミー海岸で悲鳴を上げなきゃならないような状況って事は、相当な初心者か?
現在鳳牙たちが潜伏しているフィールドは、いわゆる初心者向けのエリアである。生息するモブもレベルが低く、ボスモブの類も存在しない。
そういった理由で、フラミー海岸は初心者プレイヤーやその付き添いの中級者が多く利用するエリアになっている。
鳳牙とアルタイルはそこに目をつけ、主に付き添いの中級者目当てに撃退マークを稼いでいるのだ。
そのため、このエリアで悲鳴が聞こえるとなればそれはゲームに慣れていない初心者の可能性が高く、そこには付き添いがいるか、もしくはおせっかいな誰かが近寄ってくるかもしれないという事になる。
「向うから女の人の悲鳴が聞こえました。最後にもう少し稼げるかもしれないんで、ちょっと見てきます。アルタイルさんは御影さんに連絡してください」
「うぬ。一人で大丈夫で御座るか?」
「危なくなったら獣化で逃げます。それじゃ、お願いしますね」
アルタイルの返事を待たず、鳳牙は声のした方へと走り出す。直近に誰もいない事は確認済みのため、とにかく急いで目的の場所へと向かった。
しばらく走ったところで、鳳牙の視界に一人の剣士が巨大な黒狼に弾き飛ばされる場面が飛び込んできた。近くに僧侶と思しき女性がぺたんと座り込んでいるのも確認する。
――あれ? あのモブ、フェンリルシャドーだよな……。何で?
ゆったりとした動きで弾き飛ばした剣士に近づいていく巨狼は、フラミー海岸にはポップしないはずのモブだった。本体である神モブのフェンリルに比べればはるかに劣るモブキャラだが、フラミー海岸でレベル上げをしようとするプレイヤーにとっては下手なボスモブよりは強い。
悲鳴が上がるのも当然といったところだった。
――僧侶が初心者で、あの剣士が付き添いか。でも、剣士も大して強くはないんだな。
鳳牙は極々冷静に現在の状況を分析し、剣士のヒットポイントが最早風前の灯である事を確認すると、縮地を使用して一気にフェンリルシャドーの側面から襲い掛かった。
ちょうど剣士に止めを刺そうとしていたフェンリルシャドーは、横合いからの鳳牙の一撃をもろに受け、
「ギャンッ!」
犬のような悲鳴を上げて吹き飛び、地面を転がった。
すぐに追撃を試みる鳳牙だったが、
「お前もしかして――」
声の感じからして鳳牙と同年代くらいだろうか。背後から聞こえてきた声に反応してしまい、鳳牙は追撃のタイミングを逸してしまった。
「――賞金首ランクS。銀狼の鳳牙か!?」
「……だったら、何?」
心底面倒臭そうに鳳牙は背後へ振り返る。
軽装鎧の剣士はとても驚いているようだった。幅広のグレートソードを構えたままだが、その姿は隙だらけである。
一瞬、鳳牙は先にこちらを片付けてしまおうかとも考えたが、
「ヴオオッ!」
むくりと起き上がったフェンリルシャドーの咆哮を聞いて、ひとまずモブを片付ける方を優先することにした。
相手が何かするよりも先に鳳牙は縮地でその足元に達し、そのまま最初のスキルを発動。以降流れるような連続技でフェンリルシャドーのヒットポイントを見る見る削って行き、
「破っ!」
止めに徹しを打ち込んでフェンリルシャドーを沈黙させる。素早くドロップ品も回収し終え、地面に横たわる巨狼は透過して消えていった。
「す……すげえ……」
そんな声を聞いて、鳳牙は改めて呆けている剣士へと向き直った。すると、
「いや、なんかあれだよな。人工知能って分かってても、驚きだよ。まさか助けてもらえるなんて。俺たちはお前たちを狩る側なのにな」
剣士はそんな言葉を口にした。
そのため、鳳牙は面喰ってきょとんとした表情を作ってしまう。そして直後にお腹を抱えて笑う羽目になった。
おかしな事を言う相手だと鳳牙は思う。狩り狩られる関係にしかない賞金首と一般プレイヤーの関係にあって、ここまで無防備さを晒す相手に会った事がなかったというのもある。
「な、なんだよ。人工知能なのに、他人の事笑うのかよ」
鳳牙があまりに笑いすぎたせいか、剣士は仏頂面になって口を尖らせた。
――ああ。本当ならこういう相手と話が出来れば良かったんだろうけどな。
少なからず惜しいという気持ちは鳳牙の中にある。だが、今の立場がそれをただの甘えだと叱責するのもまた事実だった。
信じられる仲間はもう存在している。今は危険を冒してまで赤の他人と繋がりを作る意味はない。
そうして自分の中で折り合いをつけ、剣士がぶすっとしながらもグレートソードを納めた瞬間、
「………………」
笑う事を止めた鳳牙は無言で縮地を発動。一瞬で剣士に接近し、
「……え?」
剣士が驚きの表情を作っているうちに鎧越しの一撃を見舞い、わずかだった剣士のヒットポイントを削りきった。
灰色になった剣士の体が地面に倒れ、それを見ていたであろう女僧侶が自分の背後で小さく悲鳴を上げ、またへたり込んだのを気配で察する。
「え? ……あれ?」
わけが分からないというような声を出す剣士を見下ろしながら、鳳牙は持ち物ボックスの撃退マークを確認する。
所持数は三十二個となっていた。
「ちょ……何で!?」
非難の混じった声が聞こえ、鳳牙は足元に転がる剣士の死体を見つめた。そうして首を傾げ、
「何でって、何が?」
「だって、お前さっき俺を助けてくれただろ!?」
剣士の言葉を受けて、鳳牙はポンと手を打つ。
「……ああ、そっか。いや、ただ単に俺がお前を倒さないといけなかったから、モブに殺される前にモブを排除したってだけ。俺の狙いは最初からお前だから、何もおかしいところはないぞ?」
「はあっ!? なんだよそれ。俺は別に賞金首じゃないぞ? 何で賞金首のお前らが俺を狩る必要があるんだ」
「こっちにはこっちの理由があるんだよ。あと、別にお前である必要は無い。賞金首じゃなければ誰でもいいんだ。っと、これ以上は話しても無駄だな。あ、悪いけど、そこの彼女も狩らせてもらうよ」
一方的に言い捨てて、鳳牙はくるりと背後を振り返った。
「あ……」
そこにはまだ腰を抜かしたままの女僧侶がいる。まだゲーム慣れをしていないのだろう。必要以上の恐怖がその目に宿っているのがよく分かった。
「ちょ、待て! ミリアは……彼女は見逃してくれ! まだ始めたばかりなんだ。頼む!」
焦った声で剣士が命乞いをしてくる。どうもゲームにのめり込むタイプのようだ。おそらくそういう役に入り込んでいるのだろう。
そんな二人の様子に鳳牙はわずかばかり躊躇するが、所詮二人にとってはゲームに過ぎないのだと思い直し、無抵抗の僧侶に手を触れて一撃で色を失わせる。
「ミリアーっ!」
そんな叫びを残しながら、剣士の体が透過して消えて行った。ホームポイントに戻ったのだろう。僧侶の方もすでに消え失せている。
そう。彼らにとってはゲームなのだ。殺されても死んでも、実際には死なないのだ。賞金首たちとは、同じCMOという世界に存在しながら違う土俵にいる。
そんな事を考え、しかし鳳牙はぶんぶんと頭を振って変な考えを振り払った。
僧侶を倒した事で獲得した撃退マークは一個のみ。それでも、貴重な一個だった。
「鳳牙殿」
ちょうどそこへアルタイルがやって来る。
鳳牙は彼に手を挙げて応え、
「御影さんと連絡取れましたか?」
「うぬ。今は工房にいるようで御座るな。用がある故、こちらへ来いという事に御座る」
「なるほど。カルテナの森だとすると、海岸洞窟を抜けて行く方がいいですかね?」
実際はフラミー海岸からカルテナの森へ行くには隣接のタウンエリアを通過するのが一番近いのだが、賞金首が人の多いタウンエリアを通行するわけにもいかない。
そのため、基本的には遠回りでもフィールドエリアを経由して目的地へ向かうしかないのだ。
「それしかないで御座ろうな」
方針を固め、鳳牙とアルタイルは移動を開始する。
「……ところで鳳牙殿」
「なんですか?」
移動を開始してすぐにアルタイルに声をかけられる。鳳牙はごく普通にそれに応じ、
「何かあり申したか?」
続いた言葉にわずかばかり言葉を詰まらせた。
「……いいえ。特には。ああ、マークは四個増えましたよ」
「うぬ。そうで御座るか。もし何かあるようであれば、遠慮なく相談して欲しいので御座る。拙者、これでも鳳牙殿よりわずかばかりは長生きなので御座る」
「あはは。ありがとうございます」
気遣いの言葉に礼を返し、鳳牙は突然吹いてきた海の匂いを乗せた風をその身に浴びる。
塩の味すらも感じられそうな濃厚な風は、鳳牙の銀色の髪と毛を撫でながら、丘陵地帯を駆け抜けていった。